2016-11-28

自分が今まで無事に生きてこれたという事実奇跡しか思えない

私の家にはテレビがないが、実家、友人や恋人の家、旅行先や出張先のホテルなどでテレビをつけると、

何らかの犯罪おかしたり、あるいは巻き込まれて死んだり怪我をした人についての報道がよくされている。

それを見るたび、私が今まで無事に生きてこれたという事実奇跡しか思えなくなる。

サーカスの綱渡りのように、恐ろしいほどギリギリバランスを保っているように感じて怖くなる。

私はとても不注意な人間だ。

病院に行ったことはないが、多分何らかの発達障害なのではないかと疑っている。

しか生活に支障はない(忘れ物は多い)。

今は、私は自分という人間特質をかなり把握していて、問題が起こらないように気をつけて生活できている、と思う。

子供の頃は本当にひどかった。

どういう訳なのか今の自分から想像がつかないのだが、とにかく自分の身を危険晒したがっているとしか考えられない行為をしていた。

例えば…

学校彫刻刀セットをもらったら、自分の膝で試し切りをして血だらけになる。

ごつごつの岩に高いところからダイブして全身血だらけになる。

あえて車のドアやエレベーターの扉に手をはさむ。

道路で、車が通りかかると走って近づいて、轢かれそうになるスリルを楽しむ。

風呂溺死一歩手前まで息を止める一人遊びをする。

少し高いところから飛び降りて、頭から着地する。

思い出しただけでもこんな感じだ。多分忘れていることもあるので、まだまだ余罪?はあるだろう。

頭は3ケタを超える回数ぶつけていると思う。ひどい場合には車に轢かれてふっとんで頭から着地して、救急車で運ばれたこともある。

私の親は教師で、すごく厳しかったが上記のことで心配はされても怒られたことはなかった。

馬鹿ではあったが、わざとやっていたわけではなかったからだと思う。

田舎で、学校は少し荒れていたしヤンキーみたいな子もいたけど、

親に迷惑をかけたらまずいという抑止力がはたらいて、自分は品行方正を心がけていた。

今は20代後半だが、今までずっと健康のものだし、犯罪おかしたり巻き込まれたりすることなくここまできた。

犯罪などの危機(したりされたり)を回避する能力というのはどのようにして養われるのだろうとよく考える。

私のような不注意な人間が、今までどうして無事でいられたんだろう。

それは、やっぱり環境だろうなと思う。

ここでいう環境というのは、家庭のことだ。

私は、前述したように子供の頃はかなりヤバめの奴で変な人オーラ全開だったと思うので、結構嫌がらせをされたりした。

でも、両親の仲が良くて、いつでも見守ってくれて励ましてくれたから、

無意識のうちに色々な場面で踏みとどまって危険から逃れることができたのだと思う。

こういった表現には反発をおぼえる人がいるかもしれないが、

今、私や君が立っている「こちら側」と、犯罪に関わってしまった人がいる「あちら側」の境目は

きっとすごく曖昧で、けれど確実に存在する。

私は、「あちら側」に行きたくないし、他の人にも絶対に行ってほしくない。

だけど、全員が恵まれた家庭に生まれることはできない。

私は結局親と同じように教師になった。

まだまだ未熟でできることも少ないが、自分の生徒たちが「あちら側」に行かないよういつも気を配っているつもりだ。

だけどニュース今日も「あちら側」に行ってしまった人のことを報道しているのだろう。

私はちっぽけな一人の人間に過ぎないので思い上がりも甚だしいのだが、そういうことを考えるとものすごい無力感に襲われる。

そして、自分が今にも「あちら側」に行ってしまいそうな気がして怖くて仕方なくなる。


私と同じように考えている人はいるのだろうか?

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