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2020-01-28

anond:20200128162736

ドット絵は細部を描かなくても良い可能性があり

ぼんやり物を見るのが得意な人にはいいかもしれん。

2020-01-27

テン年代俺的最強ゲームベスト10

いちゲーオタ中年男性ハートのど真ん中の最奥部に抜けないほど深く突き刺さった「テン年代ゲーム10本をランキング形式で挙げていきます。お付き合いください。

特別賞『Doki Doki Literature Club!(ドキド文芸部!)』(2017/PC

のっけから特別賞」から始めることをお許しあれ。ランキング発表後だと、1位よりもスペッシャルな空気を醸し出してしまいそうで。それを避けたかった。

でも、本作がとくべつな1本であるには違いない。だから悩んだ挙句の……「特別賞」。まんまでごめん。

個人的には『ノベルゲー」って昔からあんまやらないんです。ノベルゲーやる時間あったら小説を読むほうが(たいてい)有益だろう、という長年の思いこみ集積のせい。でも、『Doki Doki Liteature Club』は例外ゲームらしいインタラクティブな要素があるわけじゃないのだけど、小説でもマンガでもアニメでもこの表現絶対不可能

本作の凄さについてはもはや語り尽くされている感があるし、強く深い思い入れを持っている方が世界中にいらっしゃることも存じておりますし、まだプレイしていない方のためにも、内容については何も言いたくない。

でも、これだけは言わせてほしい。

本作は「神は存在を愛している」ってことをギャルゲー/ノベルゲーのガワで見事に顕してみせた一大叙事詩である。ここには生があって、性があって、詩があって、死があって……愛がある。さらには現象学的「彼方」をも開示してみせる。

その(一見破天荒、かつ強烈な内容に憤怒するかもしれない。ショックのあまりマウスを壁に叩きつけるかもしれない。号泣するかもしれない。戦慄するかもしれない。でも最後にはきっと宇宙大の愛に包まれる……絶対

ああ、すっきり。

では、こっから心置きなく2010年代・心のベスト10を発表させて頂きます

10位  『ASTRO BOT Rescue Mission』(2018/PSVR)

「……なんか妙に懐かしいな。子供の頃、お前と行った鵠沼海岸をまざまざと思い出したわ」

ゲームと本の山でとっ散らかった僕の部屋にやってきて、このゲームをしばらく遊んだ君は、いかにも重たいPSVRヘッドギアをつけたまま、そう呟いた。

僕はかなり潔癖症から、君が顔じゅうに汗をたっぷりかいてることがひどく気になって、除菌ティッシュ片手にそれどころじゃなかった。

けどさ、あの頃君と一緒に見つめた空と海の青さに、まさかVR新規アクションゲームの中で出会えるとは夢にも思わなかったよ。

ハタチん時、『スーパーマリオ64』を初めてプレイした時の驚きと、海辺自分の子と君の子が一緒に遊んでいるのをぼんやり眺めてるような、そのうちに自分たちも同じくらい小さな子供に戻って、一緒に無邪気に冒険してるような……切なくて温くて微笑ましい気持ちじわじわこみあげてきた。そのことに、僕は本当に心底驚いたんだよ。またいつでもやりに来てくれ。

9位  『ショベルナイト』(2014/PCほか)

「あー、なんかシャベル持ったナイトのやつでしょ。古き良きアクションゲームへのオマージュに溢れる良質なインディーゲーって感じだよね、え、あれってまだアップデートとかやってんの? なんかsteamセールん時に買って積んでんだけど、ま、そんな面白いならそのうちやるわー」

あなたが『ショベルナイト』をその程度のゲームだと思っているのなら、それは大きな大きな間違いだ。

プレイ済みの方はとっくにご承知と思うが、本作はレトロゲーもオマージュゲーもとっくに越えた、誰も登れない山頂に到達した類い稀な作品であるアイロニーと切り張りだけで作られた、この10年で数えきれないほど溢れ返った凡百のレトロゲームとは、かけ離れた聖域に屹立してゐる。

そして3つの追加アプデ(大胆なアイデアに溢れた全く新規追加シナリオ。今月でようやく完結)によって、本作は10年代下半期にリリースされた『Celeste』や『ホロウナイト』の先駆けとなる、傑作2Dアクションとしてここに完成したのだった。さあ、ショベルを手に彼の地へ赴け。

8位  『Undertale』(2015/PCほか)

このゲームの印象を喩えて言うなら、

久し振りに会って酒でも飲もうものなら、いちいち熱くてしつっこい口論になってしまう、共感嫉妬軽蔑と相いれなさのような感情腑分けするのが難しいくらい綯い交ぜになっている面倒きわまりない幼なじみ、みたいな。

正直、ランキングにはあまり入れたくなかった。が、初プレイ時の衝撃をまざまざと思い出してみると、やっぱり入れないわけにはいかぬと悟った。

もし未プレイだったら、このゲームはできればPCsteam)でやってみてほしいとせつに願う。当方バリバリコンシューマー勢なので、ゲームPC版を薦めることは滅多にない。だが、コンシューマー機ではこのゲームの持つ「鋭利ナイフ」のような「最後の一撃」が半減してしまうだろう。

作者トビー・フォックス氏は、かつての堀井雄二糸井重里系譜に連なる倭人王道シナリオコピーライターと感じる。

確認のために本作の或るルートを進めていた時、初期ドラクエと『MOTHER』と『moon』が携えていた「あの空気」が30年ぶりに匂い立ってくるのを感じて眩暈がした。会えば会うほど凄みを増す狂人のような作品だ。

2020年内に出る(であろう)2作め『DELTARUNE』において、トビー氏は堀井/糸井が書け(書か)なかった領域確信犯的に踏み込んでくるにちがいない。それが半分楽しみで、半分怖くて仕方がない。

7位  『デラシネ』(2018/PSVR)

その山の森の奥には古い洋館があった。

庭は川と繋がっていて、澄んだ水が静かに流れていた。

君は川沿いにしゃがみこんで1輪の花を流していた。

俺は黙って君を見つめていた。

君は俺に気づかない。

俺は木に上ったり、柱の影から君を見守ったり、触れられない手で君の髪を撫でたりしているうちに……君の可愛がってたシェパード犬がこちらにひょこひょこやってきて、ワン、と小さく吠えた。

ああ、なんだかこのゲームやってると批評目線がどんどんぼやけていくのを感じる。まるで透明な死者になってしまったような、奇妙で懐かしい感覚に否応なしに包みこまれるような……。

本作は「VRで描かれた古典的AVGアドベンチャーゲーム)」であると言われている。個人的には、そんな持って回ったような言い回しはしたくない。

VRしか描けない世界情緒に対して、あまり意識的な本作。その手腕はあざといくらいなんだけど、実際に本作をやってみるとあざといどころじゃない。泣くわ。胸の内に熱いものがこみあげてくるわ。

『Deracine』はプレイヤーの原風景をまざまざと蘇らせる。かつて失ってしまった友人を、失ってしまった動物を、失ってしまった思い出を、「ほら」とばかりに目の前に差し出してくる。そのやり口はほとんど暴力的でさえある。

6位  『バウンド 王国の欠片』(2016/PS4/PSVR

もしVR対応しなかったら、知る人ぞ知る良作(怪作)止まりだったであろう本作。

かくいう俺もPS Storeで見つけて何となく買った時は、まさか2010年代ベストに入れることになるとは思わなかった。怪しい仮面被ったバレリナ少女サイケ空間を飛び回ってんなあ……製作者はドラッグでもやってんのか?くらいの。

しかPSVR対応した本作を再度プレイして驚愕した。怪作がまごうことなき傑作に生まれ変わっていたのだ。あるいはコンテンポラリーアート作品としての本質を露にしたとも言える。ああ、VRというハードではこんな事態が起こり得るのか……。

画を作っているサンタモニカスタジオゴッド・オブ・ウォー風ノ旅ビト他)の仕事はいだって凄まじいクオリティでため息が漏れるのだが、VRとの相性は抜群だ。とりわけ今作での仕事白眉と言える。

とにかく、思わず自分少女の頬をつねりたくなるほど美しい。少女が、景色が、色彩が、確実に「もうひとつ世界」(夢、とは言いたくない)を現出させている。

そして本作は本質的な意味で——究極の恋愛ゲーでもある。誰も認めなくても、俺はそう強く感じる。あの少女と過ごした時間を、あの少女が内に秘めていた闇の部屋を、あの少女が戦っていた怪物を、そしてこの狂気と色彩にみちみちた世界日常生活の中で思い出す時、この胸に去来するのは——それは「恋」しか言い様のない儚い感情だ。

5位  『INSIDE』(2016/PCほか)

書き始めるまで、本作がここまで自分内上位に食い込むとは思わなかった。

が、確認のために軽くプレイしてみたら、やっぱりとんでもなかった。

実験施設内部に、そして自分の内側(Inside)に展開するめくるめく不穏な景色ディストピアの先にある、吐き気をもよおさせると同時に、穏やかな安寧に包まれるような、唯一無二のビジョン——を完璧に描ききった本作。

終盤の怒濤の展開と比類なき生命描写インパクトに心奪われるが、本作の真骨頂木々や空や雲や雨、海などの自然情景(それが何者かによって造型されたものであれ)の美しさだと思う。荒んだ世界の中、思わず立ち止まって、天に祈りを捧げたくなるような敬虔心持ちを強く喚起させる。

俺にとって『INSIDE』とは、自己内面に深く潜るための潜水艦、あるいは哲学書のページを繰っても繰っても掴めない、自分世界との乖離自覚するための尖った注射針であり、神なき世界宗教である

灰色にけぶった空の下、雨降るトウモロコシ畑で無心で佇んでいた時のあの安寧と絶望感に、これから先もずっとつきまとわれるだろう。

4位 『スプラトゥーン』(2015/WiiU

人の生には「もっと幸福な時期」というものがたしか存在するようだ。そして、それは必ずしも幼少期だったり青年期だったりする必要はない。

俺にとっては、傍らに愛猫がいてくれて、WiiUと3DSが現役ハードで、仕事から帰ってくると毎日のように今作にあけくれていたこの頃が——生涯でもっと幸福な時期だったと言いきってしまいたい。なぜなら、幼少期や青年期と違って、その記憶ははっきりと想起できるから

そして後から振り返ってみて、その時期がどれほどありがたいものだったか確認し、やるせない気持ちに包まれるのだ。「ああ、やっぱり」と。

プレイ時間は生涯最長となったし、この作品を通じて(自分にしては珍しく)老若男女多くの「オンラインフレンズ」ができた。

が、続編『スプラトゥーン2』は発売日に購入したものの、ろくすっぽプレイしなかった(できなかった)。

その理由は(おおざっぱに書くと)3つ。

ひとつは『2』発売時、先に述べた、俺にとってもっと幸福だった時代が過ぎ去っていたこと(ごく個人的理由だ)。

ふたつめは、初代スプラトゥーンが持っていた、俺を夢中にさせるサムシングが『2』には欠けているように感じられたこと(批評記事ではないので、それについてここでは掘り下げない)。

3つめは、次に挙げる同じく任天堂開発の対戦ゲームの登場である

3位  『ARMS』(2017/Switch

それは35年前に夢見た未来の『パンチアウト!!』だった。そして20年前に夢みた『バーチャロン』と『カスタムロボ』の奇跡的融合であり、同時にそれらとは全く別次元昇華された「理想的格ゲー」であった。

スプラトゥーン』で「共闘」の愉しさを味わった俺に、本作は「見知らぬ相手とサシで戦う」ことの妙味と厳しさをばっちり思い出させてくれた。

そして画面内のキャラをこの手で操る——そんなあまりにも原初的「ゲーム」の喜びが本作には隅々までみちていた。こればかりは「Just do it」(やるっきゃない)。

やがて俺は日々のオンライン対戦では飽き足らず、リアル大会にまで足を運んだ(あっさり敗退してしまったが……)。そんなゲームは、おそらく生涯最初最後だろう。

余談だが、Joy-con特性を生かした「いいね!持ち」による操作こそが本作の革新であると信じているのだが、革新性よりも「合理性」と「勝率」を求める猛者たちには殆ど浸透しなかった。

いいね!持ち」メリットをうまく調整できてさえいれば、本作は『e-sportsゲーム初の従来型コントローラーから離れた(両腕全体を用いた)操作形態を実現していたはずで、それについては至極残念だが、現在開発中であろう『ARMS2』に期待したい。

2位 『Rez infinite』(2016/PSVR

2010年代下半期は、俺にとっては「VRに初めて触れた年代」としていつまでも記憶されることになるだろう。

2017年冬、とにかく『Rez infinite』をプレイしなければならない——そんな義務感でPSVRを勇んで購入した。配線がややこしい機器PS4に繋げ、想像していたよりもさらに重たいヘッドセットを被り、本作をプレイすると——すぐに「ここには未来がある」と思った。いや、正確じゃないな。「未来に至る——今の時間自分」をばっちり感じたと言うべきか。現在可視化され、360度方位に顕在し、俺をユニバーサルに包みこんだ。

AreaXを初めてプレイした時の、重たい身体感覚から自由になり、魂だけが宇宙に放りこまれたような未曾有の感覚は、ゲームなるものと関わってから過去30数年を振り返ってみても、5歳の時に生まれて初めて電子ゲームに触れた時の体験と並ぶ、あるいはそれを越えかねない、空前絶後体験だった。

それは精神開放であり、身体解放だった。言葉遊びに非ず。

これだけ長いこと「ゲーム」なるものを続けてきて、ゲームからそのような感覚を初めて得られたことに深く感動し、ラストではほとんど泣いていたことがつい昨日のように思い出せる。

そして『Rez infinite』の「次の体験」を今か今かと待っている。

1位 『とびだせ どうぶつの森』(2012/3DS

Rez infiniteからまさかの……自分に驚き、何度も自身に問うた。

あれだけ昔からどうぶつの森』嫌いだったお前が。とび森を。テン年代1位に。据えるつもりか? 

お前はそんなにぶつ森好きだったのか? ありがちな中年男性みたいに「しずえ萌え」になったのか? それとも親子くらい歳の離れたフレンドと時々会えるからか? おいおい、かあいこぶってんじゃねーぞ、と。

だが本作を1位にした決定的な理由——それは、テン年代初頭に放たれた今作から仮想世界」における、人間存在理想的な在り方の萌芽をひしと感じたからだ。

一発で脳内に凄まじいヴィジョンを注入した『Rez infinite』と比べると、まるでアリが餌塚に砂糖を運ぶようなゆったりとした足取りだが、本作は確実に世界中ゲームファンに「もうひとつ世界」をキュートな顔つきと口調(しずえ嬢のような……)でじわじわと浸透させ、人々の無意識をしれっと変容させ、もうひとつ生活を愉しませ、ネット接続により文字通り「飛び出させた」。

どうぶつの森』は今年3月に発売する次作『あつまれ どうぶつの森』においてさらなる大きな広がりと変化を見せてくれるだろう。

が、俺は本作をとくべつに、個人的に、偏執的に、限定的に愛しているのだ。

それは故岩田社長が生み出した『3DS』というハードへの偏愛と、ゲーム機では3DSだけが備えた「裸眼立体視」——ARVRを折り合いし、先取りした——唯一無二の機能によって『どうぶつの森』というクローズド世界をまるで飛び出す絵本のごとく彩り、「夢の中で他者の森を訪ねる」という奇妙かつ魅惑的な通信世界を生み出し——

要は、全シリーズを振り返っても今作『とびだせ どうぶつの森』だけが持ち得た、この奇妙で牧歌的神秘的なアトモスフィアに由るものだ。

カフカ『城』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』主人公のように、俺はある時、この森の中に、夢の中に、村の中に、これからも留まり続けることを選んでいた。

そういうわけで、本作を迷わずテン年代1位に据えたいと思う。

※※※※※※※※※※

長々とお付き合いくださって本当にありがとうございました

余談ですが、最初は「順不同」にしようと考えていたのです。これほど自分にとって大切なゲームたちに順位なんてつけるのは相当失礼な気がして。

でも、敢えてつけてみた。並べてみたら、なんとなく自分重要度みたいなものぼんやり浮かび上がってきたので。

異論提言はもちろん、よかったらあなたテン年代ベスト(5本でも20本でも1本でも)教えて頂けると、いちゲームファンとしてめっぽう嬉しいです。

ああ、10年はDECADE(でっかいど)。

2020-01-26

anond:20200126093701

ネカマ多いなあ。

女に生まれてそんな誰も疑わない無防備人生送ってたらとっくに犯罪に巻き込まれてるって。

男ならぼんやり生きていても平気なんだろうけど。

少女”という名の虚構について、久遠千歳について、Vtuberについて

 何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地も蜃気楼も求められない沙漠のような……カサカサに乾干びたこの巨大な空間に、自分空想が生んだ虚構事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております

その大切な大切な彼女天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女創作天国を、アトカタもなくブチ毀され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります

隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います

 彼女は罪人ではないのです。一個のスバシイ創作家に過ぎないのです。

単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然彼女自身破局構成して行ったのです。

 しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局ドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。

 ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。

 彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。

 ただそれだけです。

夢野久作少女地獄――何んでもない」


久遠千歳という女性を知っているだろうか

いや、やはり知らなくても良い、話は幾らでも通ずる

これは少女地獄、何んでもないの感想連想に過ぎないのだから

少女”をもっとも蠱惑的に見せる理由は何だろうか

それは、一にも二にもなく、「嘘」だと思う

得体の知れない、正体の分からない、手ごたえのない、暖簾に腕押しのような、気怠げなその雰囲気本質である

この系統で、日本で最も人口膾炙しているのは、間違いなく椎名林檎であろう

百色眼鏡を想起する方もいるだろうか

「私に、恋のこころが無くてもいいのでしょうか?」

 と私は少し笑っておたずねしたら、師匠さんはまじめに、

「女のかたは、それでいいんです。女のひとは、ぼんやりしていて、いいんですよ」

 とおっしゃいます

太宰治斜陽




このネットでは、虚構を振りまいて歩く“少女”を多く見つけることができる

彼女らは嬉々として自らの理想とする“虚構”を、思うままに追及し、それを公然披露する

まるで、このネット世界が丸ごと劇場であるかのように

彼女らの“少女”には、衆目を惹いて止まない魅力がある

彼女たちの身命を賭して構築された“世界”には、容易には抗えない魔術的な引力が籠められている

そして、何よりも美しいのは、丹精込めたであろうそうした瞬間的芸術品を、ある瞬間から事も無げもなく、あいけらかんと放棄して、住所(address)も綺麗さっぱり消して、住処(Twitter)も更地にして、まるで白昼夢か、あるいは妖精かのように錯覚させるかの如くにしてしまう所にある

から次へと棲所を変え、顔を変え、声を変え、そして勿論、名を変えて、移り変わって

そうした変貌が、我々を以ってして正体を暴こうとさせ、知りたいと思わせ、追いかけたくさせる

私にとっては、それが久遠千歳という名の“少女(虚構)”だった

危うげで気怠げな、“少女”であった

思うにVtuberという世界は、宿命的に“虚構であることを強調される部分がある

論者によってVtuberが究極のコンテンツと称される所以はここにあるような気がしてならない

中田充の死刑判決

こういうケースはこれから多発するんだろうな

ぼんやりと思う

2020-01-25

anond:20200125023446

いい話、と思ったけど実際に妻にこんな相談をされたらぼんやり不安になってしまいそうな気がした。

あたまぼんやり

寝てる時間と起きてる時間が同じになってる。だったら寝てたほうがいいのに。ばかね。

2020-01-23

フリーランスだがもうだめかも

何も手につかない仕事やる気がおこらない

一日ぼんやり座ってるだけ

一歩踏み出すことができない

もうだめかも

●同じ立場の人へ

今回の落ち込みの原因、よく考えるとクライアント担当者退職するのがきっかけだ

そいつ真正の屑だが、負けん気を刺激してくれてたんだよね

ライバル必要だよね

ここに書いた時点で底は打ったみたいで今日仕事できそうな予感

ありがとう

これ以上自分を嫌わずにいられそう

2020-01-22

20代学生映画イージー・ライダー』を観た話(雑感)

デニス・ホッパー監督イージー・ライダー』(1969年)を観た。

率直に言って、感動した。そして、不覚にも今の自分と重ね合わせてしまった。

イージー・ライダー』のあらすじを簡単説明しておこう。麻薬密輸入大金を手にしたワイアットとビリーは謝肉祭が開催されるニューオリンズに向けて旅をする。途中、田舎カトリック家庭やヒッピーコミューンに立ち寄りながら、バイク目的地へと走らせる。また、祭りパレード無許可で参加したこと留置所に入れられるが、そこで酔いどれの弁護士ハンセン出会い、行動を共にする。三人は再びニューオリンズに向かうが、そこに待ち受けたのは「自由」の国アメリカ非情現実であった。

今日20代若者がこう言うと古臭いと思われるかもしれないが、私は劇中で描かれた自由と自負に憧れを覚えた。

若さたるものアメリカの大地のように、ここまで自由に、あっけらかんで無鉄砲であるのだと教えられた気がした。

しかし、それは主人公たちが暴力的なまでにも迫害される描写で、現実を突きつけられる。

ワイアットが終盤に、「自由の身だ」というビリーに対して、「ダメだよ」という場面がその心象をあらわしているだろう。

私は今まで真面目に励んできたが、周囲の期待から苦しくなった。

今でこそ諦めからかその憂慮は落ち着いてきている。

だが、諦めて自由気ままに暮らしてきたものの、真面目にやってきたところから自分堕落している感覚も否めずにいる。

現代社会において、自由にふるまえばふるまうほど、その人は凋落する。

イージー・ライダー』はカウンターカルチャーに即応している点、その当時の感覚を鮮明に映し出していると思う。

その感覚は令和になった今日でも息づいていると、ぼんやり思う。

Netflixで観れるので、気になったら観て欲しい。今でも憧れを持たせてくれる名作だと思う。

最後に、劇中のハンセン台詞を記しておこう。

自由な奴を見るのは怖いのさ。」

anond:20200121231146

昔、セックスの相性がとんでもなく良い女性とつきあっていて、「もう離れられない」ってよく言われていた。

え、下らん自慢だって?いや違うんだよ。その女性の親が某カルト宗教にハマっていたり、とか、まあ色々あってね。結局別れたわけですよ。今でもぼんやり思い出す。けれど後悔はない。誰かと一緒にいる、ってことは、誰かと一緒に生きていくってこと。セックスはその一部なのは間違いないけれど、それが全てというわけでもない。そういうことだったみたいだ。

2020-01-21

働かずに楽してお金が欲しい

と思ってる人が(少なくともネットを見てる限りでは)かなり多いと思うし実際自分もそうなんだけど、

今回(前にもあったけど)の前澤?とかい社長お金バラ撒く際に上記の様に日頃から思ってるはずなのにこれについては手を出さない・反応しないという人が少なくないなと思って(自分もそう)、これは何でなんだろうなというのをぼんやりと考えていた

他にあるかな

自分は上4つがごちゃまぜになってる気がする

ただ自分はこれについてあ~またやってるんや~くらいの(たまに反応してる人を見て思い出す程度の)認識で具体的にどういうアクション必要なのかよく知らないので頓珍漢なことを挙げてる可能

追記

今(22日14時)見たら予想外に反応貰えててエエーーーーーって言った 元々「もしこれが確実に貰えるものだったら自分はやったか」と思ったのが始まりだったんだけどいくらいっぱいお金持ってる人でもそれは無理がありすぎるな……って思いが先んじてしま考えるのをやめた 仮定の話がへた

かに「働かずに」って話だとポンと100万もらうというより毎月コンスタント20万とか30万とかほしいというのはわかる

そもそも感情労働なのではというコメ見て確かにな〜と思ったけど結局精神面を含めた払うコスト結構あるので「(働かずに)楽して」に該当しないってところが大きいのかな

あと一番最初に挙げたけどコスト払ってもリターンが確実じゃないし

1~4って言うなら箇条書き数字しろよってちょいちょい言われるから文章の方を修正したわよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(最初リストやめて数字入れたんだけど見栄えが悪くなったのでやめた、番号付きリストって使えるんですか?)

増田を始めて、そろそろ10年になる

10年前のこの頃、増田を始めたのだった

確か、「誰にも知られず、同一性すら保持せずに、自分の思いのままに物を書きたい」と思っていたような気がする

記事を消すことはしなかった

たとえどんな醜くとも、恥ずかしくとも、それを綴ったのは自分自身なのだから

おかげで、1000件近い書き込みが残っている

年間100件、一か月で8件程度

離れていた期間もあるので、ムラはあるのだろうが

これもまた、人生の記録だ

記憶ぼんやりして、一か月前の事すら鮮明ではない自分にとって

今や、これだけが自分思考足跡確認するほぼ唯一の手掛かりである

これからも、サービスが続く限りは書き続けるのだろう

次の10年は、どんな年になるだろうか

2020-01-19

男性幸福ってなんだろうな

まぁ男の幸せなんてどうでもいいってのが男女問わず大半なんだろうけど、

苦痛普通になるとその苦痛がそのまま他所に降り掛かってくる気がしていて、

それが今の老害と呼ばれる人達なんじゃないかなーとぼんやりと思った

性教育で唯一足りてないものって

正しい自慰行為方法だよな

セックス同意とかぼんやりしてて教科書に出来るようなもんじゃないけど、正しい自慰教科書に出来る

そして、男の場合ちゃん自慰してないと日常生活に支障が出る

未来の子供の為にも正しい自慰行為教科書にしよう

大学生自分共産党に入党した経緯

Kutooとか、レインボーパレードとか、社会をよくするために行動する人たちがいる。

私は、それを、これは賛同できる、賛同できない、とかぼんやり考えたり、時に考えたことをツイートするだけの普通人間だった。

「確かによくないことだとは思うけど、かといってゼロしろっていうのもね」とか、そんな批判をしたり、「そんなことが起こってるのか、ひどいなあ」なんて賛同したりした。

賛同するときにも、いいことだと思いながら、実際に自分も行動することはせずに、

「正しいことを言っているのだから自分がなんとかしなくても、きっとあの人たちの主張は認められて世の中はよくなる」

漠然と思っていた。

それが変わったのは、あるパネルディスカッションに行ってからだった。

そこで、一人の参加者に声をかけられて、その人が参加しているという社会貢献アクションFBのページを宣伝された。

私と同じ大学生だった。

ジェンダー論を専攻にしています友達と一緒にこの組織運営しています

みんなに問題を知ってもらい、自分達も勉強するために、講演会パネルディスカッション企画しているんです。

そういう話を聞いた瞬間、急に、今までなにもしてこなかった自分が恥ずかしくなった。

Twitterテレビ活動を見ていたときには

「遠くでえらい人たちがいいことをやっている」

で済んでいたことが、目の前に来て、それが同じ大学生で、そんな状況がすごく衝撃的だった。

今まで「えらい人たち」で済ませていた人たちが、血の通った人間で、感情があり、傷つきながら必死活動しているのだと、急に生々しく感じられた。

それから、かといって私は行動するわけでもなく、デモ活動を見るたびに、ジリジリと胸の焦げるような罪悪感を感じて過ごしていた。

世の中は勝手によくなっていくわけではなくて、血の通ったあの人たちが、血を流して戦ってよくしていっているのだと思った。

なのに、自分はなにもしないでそれを家から見守って、よくなった世の中だけを享受しているような気がした。

そんな中、地元で、デモが行われていることを知った。

ローカルから東京デモより自分必要とされている気がした。

東京の大々的なデモより、報道とかも少なくてハードルが低そうな気もした。

たとえデモをしたところで世の中が何も変わらなかったとしても、なにもしない罪悪感で自分を嫌いになるよりはなにかしたほうがマシだと思った。

思いきって参加してみたら、参加者10人もいなかった。

そして、デモの途中で、酔っぱらいに絡まれた。

私の気持ちとしては、絡まれたなんてかわいらしい表現では物足りないぐらいの大きな衝撃だったけど、実際そのよっぱらいのやったことは、絡んだとしか言いようがないので、絡まれたと表現する。

私の主観では、私の心に土足どころかヘドロまみれの状態で転がり込んできてそこら中に吐瀉物を吐いていった、ぐらいの衝撃だった。

酔っぱらいは、散々みんなにひどい罵倒言葉を投げつけた後、私の髪を掴んで、「高麗人か。高麗人か」と叫んだ。

あとで聞いたことによると、デモをよくしている人たちにとっても珍しいことだったらしい。

でも、当時の私にとっては、活動をして来た人たちはこんな理不尽と戦ってきたのかと思わされる出来事だった。

昔の自分はよくもまあ、主張の詰めが甘いだのなんだの偉そうに上から目線デモケチをつけられたものだと思った。

今までなにもしてこなかった自分も、そうして絡まれて何もできなかった自分も、全部が情けなくてボロボロ泣いていたときに、慰めてくれたのが、日本共産党斉藤和子さんだった。

いっぱいいっぱいだったので、あまりちゃんと覚えてないけど、

「私は政治家から、みんなを守る方の立場なんだ。あなたが背負う必要はない」

というようなことを言われたと思う。

その後、日本共産党に、党員という形で党を応援するシステムがあり、それは誰でもなれることを知った。

(※後から知ったことだが、2020年1月現在日本共産党規約では、日本国籍を所持している必要はある)

他の人たちがこうして戦って世の中をよくしてくれているのに、自分だけその成果の甘い蜜だけ吸っている。

党員になれば、少しは、今まで世の中をよくしてきてくれた人たちに報いられるかもしれないと思って、すぐに共産党事務所に行って、入党させてくださいとお願いをした。

そして、入党したら、私が「世の中をよくするために戦ってきた人たち」だと思っていた人が、共産党員だったことが次々と発覚した。

共産党が、青年政治に参加する方法を学ぶための民青という組織支援していることも知った。

どうしてあんな風に戦えるのか、到底同じ人間と思えない、と感じてきたことにひとつ納得できる理由がついたような気がした。

あいった人達は、誰かから、こんな風に、政治に参加する方法を教わってきたのだ、自分はそれと出会ってなかったのだ、と思った。

党員立場で言うのもなんだけど、政治に参加する方法を学ぶ場は、必ずしも民青でなくてもいいと思う。

でも、すべての人に、何かしら、そうやって、政治に参加して、世の中を変える方法を学ぶ場所や、共に行動してくれる仲間に出会ってほしいと思う。

投票は、政治に参加する方法のうち、一番簡素ものしかない。

長い戦いの末に私たち先祖が獲得した「参政権」は、もっと多様で、その中には、投票よりも細かく正確に自分の主張を伝える方法が含まれている。

政治に参加する」とは本来特別政治に詳しい人が独占するものではなく、誰も正解がわからない中、それぞれが生活の中で行っていくものだ。

デモしろ署名しろ仕事帰りにとか、買い物のついでにとか、もっと生活の中で気楽に行われるべきものだと思う。

自分政治に何を求めているのか考えを整理することも、それをどう社会に伝えるのかも、練習なしにできることではない。

民青などで教わりながら、ときには間違えて失敗しながら、少しずつ身に付けていくものだ。

民主主義とは、みんながそうやって気軽に政治に参加することではじめて成り立つのではないだろうか。

多分今の世の中は、みんな政治に参加するスキルが足りていないせいで、民主主義がうまく回っていないのだと思う。



ちなみに、みなさん気になるであろう、党員としての生活については、入党して1ヶ月経つが、今のところ大して入党以前の生活と変わらない。

危ないことは特にないし、離党したければいつでも離党できるし、中国共産党武力の影は欠片も見当たらないし、嫌な活動強制されたりもしない。

党員としての活動の内容も、得意なことをできる範囲でとのことで、私に関しては、バイトでもやっている慣れた作業を気楽にやらせてもらっている。

未来を担う若者だ、と、みんな私を大事にしてくれて、帰れる居場所ひとつ増えたようで楽しい

anond:20200119110826

俺もキモくて金のないおっさんハゲデブサイクだが


Atcoder解説が難しすぎるので、

1.ひたすらググッて解説が書いてある

ブログを5個ぐらい読むとぼんやり理解できる。

2.ブログ作者のコード写経しながら、理解する

を繰り返す。

一問につき3時間~6時間以上かかるので、

非常にツライが結局これしかない気がする。

英語抵抗がないならLeetcodeがおすすめ

Easy・Mediumなら解説が丁寧で良いし、GAFA対策に集中しているから。

純粋数学とかはあんまり出ない。

2020-01-18

30過ぎて初めて好きな人がいる辛さを知る

ずっと彼氏いない歴=年齢で、最後好きな人がいたのはただ見てるばかりだった高校生の時で、私は友人が彼氏に会えなくて寂しいと言っている気持ちも、恋愛が辛くてしんどくなることも口では共感や慰めをしても全く理解できなかった。でもいま死ぬほど久しぶりに好きな人ができてようやくそ気持ち理解できた。当時の友人達、本当にごめん。

私は大学まで共学で育ち、大学サークルインカレサークル社会人になってからはそれこそ減ったものの、出会いは人より多かったと思う。なんなら留学もしている。けれど一度も彼氏が出来たことはなくて、親しい男友達もいなくて、出会いアプリをやっても先に進めなくて、もう一生彼氏ができないことを覚悟していた。幸い、仕事するのが好きだし、海外旅行含めて映画館でもラーメン屋でも一人でわりとどこへでも行けるし、あと何年かしたら陽当りの良いマンションを買って猫を飼うことが出来ればそれなりに幸せだし、私の人生はそれで充分だと思っていた。

それなのに、久しぶりに好きな人が出来てしまって、それなりに仲良くしてくれるから、楽しくて、気の合う男性と二人ででかけることの楽しさと安心感を知ってしまった。

平日は毎日ほぼ会える関係性だから土日は会えないのが寂しくて死にそうになる。

だけど悲しいことに、勇気をだして飲みに誘ったり、ボディタッチをしたりしてみたけどいつも健全解散で、出会いアプリで誰か一緒に遊びに行ってくれる人を探そうかなとか二人でご飯を食べてるときに言い出すし、脈は多分ない。

ふとした会話の中でわかる優しさとか、私が普段しっかりしているように見えてぼんやりしているのを察してツッコミを入れてくれたりとか、真面目な議題を軽んじないでちゃんと考えてくれることとか、私が倒しそうな物を取ってくれたりとか些細なことが好きすぎて辛い。

でも私は彼氏いない歴=年齢の恋愛偏差値が恐ろしく低い女で向こうは彼女がわりとずっとちゃんといたモテる方の男性でだからこそ私と仲良くできるわけで、無理めがすぎて無理。

この人を逃したらもうきっとこんなに好きと思える人とは出会えないと思うけど喪女には荷が勝ちすぎる。無理。辛い。

一人旅してるんだけどその人と一緒だったらもっとしかったのに、とかその人のことばかり考えてしまって辛い。今まで何回も一人旅をしてきたけれどこんなに寂しい感情に苛まれたことなんて無かった。この感情をどこかに埋めてしまえればいいのに。

誰かといる楽しさを知ってしまったら一人でいることに慣れてしまった状態に戻れないのかな。しんどい

anond:20200118010955

読書資格勉強最初はやってみたんだけど今はそれすらやる気が起きないのとそもそも三半規管弱くて車内で本とかスマホ見ると酔っちゃうので今はひたすら寝るか音楽ラジオ垂れ流してぼんやりしてます

anond:20200118010633

とりあえず一人になれるところ(漫画喫茶など)でぼんやりして考えれば

疲れてるんだろ

2020-01-17

職場のお世話になった先輩がご結婚されるということで、お祝い会があった

折角なのでと参加を表明して、仕事をなんとか切り上げてお店に向かった

でも、誰もいなかった

30分待って誰も来なかった

店のなかを探しても誰もいなかった

電車に乗って帰っていると、心がぼんやりとした虚無に塗られていくようで

悲しみというもの理解できた気がする

松屋牛丼を買ったのでこれから家で食べる


追記

ああ、松屋牛めしですよね。なので当然この増田フェイクです

何度も連絡のメール確認して、日時や場所が間違ってないこと、予定変更の連絡がないことは確認していました

お店は割と自由に出入りできる感じで、中に入って見回して出るくらいなら何も言われませんでした

お店の人に聞いて知らないと言われたら立ち直れないので聞いていません

ラインはてブと同じ名前なのでビジネスでは使いたくないんですよね

牛丼普通盛りのつゆ多め直乗せです

おすすめ七味唐辛子を教えて欲しい

疲れているせいなのか、欲しいものもやりたいことも今一つ思い浮かばない。

最後の砦は食欲。

凝った料理をする元気はないけど、いつも使っている調味料ちょっと変えてみたら何か生活に張り合いが出るんじゃないかな、なんてぼんやり考えた。

そこで、七味唐辛子だ。

いつもスーパーで売っている大手メーカー七味唐辛子適当に買っている。

普段とちがう七味唐辛子が、あせた日常に少しの色を取り戻してくれるのではないか

お気に入りおすすめ七味唐辛子があったらぜひとも教えて欲しい。

増田に新しい刺激を与えて欲しい。

センター試験の思い出

人生ターニングポイントと呼べる瞬間があるとしたら、私にとってそれはセンター試験だ。

10年以上前1月、朝から雪が降っていた。東京から滅多にないのに。そういえば去年も雪の日だったな、何かの運命かな、とぼんやり思った記憶がある。

浪人して、1年ぶり2度目の受験だった。

***

現役で受けた大学は全敗。初めてのセンター試験も散々だった。

勉強を全くしていなかったから当然の結果。でも、それまで順風満帆に走っていた「人生のレール」から脱線したというか、レールそのもの消失したような途方もない虚無感に襲われたのを覚えている。初めての経験だった。

公立後期の不合格を見届けた後、親に懇願して浪人生となった。それからは、怠惰だった高校3年間を取り戻すかの如く、予備校で朝から晩まで勉強漬けの日々を送った。

心を入れ替えた、というと語弊がある。気を抜くとまた現れる虚無感が怖くて仕方なかった。眠る前に漠然とした不安に襲われる夜も幾度となくあったし、浪人生という以外に肩書きがない不安は常につきまとった。それらを紛らわすには勉強しかない、それだけだった。

見失ったレールの続きは、この大学受験の先できっと見つかる、そう愚直に信じて過ごした1年間だった。

***

迎えた2度目のセンター試験本番。

前日、私は例に漏れず緊張していた。布団に入っても「また散々な結果だったら?」と失敗する未来ばかり想像した。でも気がつくと熟睡していて、朝になって我ながらその図太さに驚くとともに、「もうなるようになれ」と吹っ切れた。

試験会場は大学の大講堂で、私の席は最前列だった。目の前の教壇には複数試験官がいて、無駄に緊張したのを覚えている。でも、今思えば視界に他の受験生が入らないぶん、試験に集中できて良かったのかもしれない。

そう、後でわかることだけど、試験結果は控え目に言って上出来だった。各科目で凸凹はあったものの、総合では過去のどの模試よりも良い点数だった。

ただ、2日間の日程を終えた直後はそんなこと知る由もなく、とにかく安堵した。やりきったという達成感と微かな手応えもあった。そして何より、今日この日に実力を出し切れた「環境」に感謝していた。

そうだ、これは環境のおかげだと、なぜかそのとき唐突に悟った。あれだけ勉強してきたのに、自分の頑張りだとか、努力の賜物だとは一切考えず、今この場所にいることが全てだと感じた。

思えば1年前、両親が浪人を許してくれたことに始まり予備校に通えたこと、長い間勉強に専念できたこと。応援してくれる人がいたこと。健康でいれたこと。今日、雪の中交通機関が動いてくれたこと。そして、無事にこの会場で受験できたこと。

どれも当たり前じゃないし、これを「運が良かった」の一言で片づけるのは勿体ない。私一人の力ではどうにもできない、有り難いことばかりではないか

そんな当たり前のことに気付いて、私はいてもたってもいられなくなった。この感謝気持ちを今すぐ誰かに伝えたい。そう思って、全科目が終わり皆が一斉に会場を後にする中、私は出口とは真逆の、試験官のいる教壇に向かった。

「2日間、お世話になりました。ありがとうございました」

「ああ、こちらこそ。帰り道、気をつけて」

短く他愛のないやりとり。でも私はそのとき、この瞬間を一生忘れないだろうと思った。

2020-01-16

眉毛すら描けない。ゆとりから

はじめに、わたしはおばさんである

40代後半。

ネットなんて当然ない時代少女期を過ごした。

化粧なんてしたことのない高校時代(なんとか平成)からコスメが好きだったが、情報といえばTV雑誌

自分で取りに行かなければ何も得られない時代である

雑誌に新製品の発売日情報が載ればデパート専門店に見に行った(まだドラッグストアはない)。

カルトQ化粧品の回に、今で言うインフルエンサーとして雑誌で顔を売り始めていた植村朗子さんが優勝した時も、

「今の問題は全部わかった!わたしが出ていたら優勝していたのに!高校生だから出られなかった」

などと臍を噛んでいた。酸っぱいぶどうである

まだ所謂デパコスなんて買ったこともないのにね。

とは言え、雑誌掲載された情報を読み込み、製品の特徴を完璧に覚えていたか

テレビの前でクイズに正解したのは本当である。若くて記憶力が良かったのだ。

この頃、VOCEだの美的だのという美容雑誌存在しない。

最新のファッション誌のメイク情報を読み、プロ向けの季刊誌ムック本を大切に大切に読んだ。全部覚える勢いで読んだ。

そしてカウンターへ赴き、テスターを触らせてもらってBAさんに話を聞いたり、やり方を教わったり。

大人に近づくにつれ、自由になるお金が増え憧れのフランス製ブランド化粧品を買えるようになると香りだけで製品ラインを当て、リップネイルの色を見れば番号がわかるほどに熱中した。

その頃のわたしはまるでフリーターのような予備校生であった。

予備校の向かいにあるバイト先に、プロを目指すメイクアップアーティスト養成学校生がいた。ある時、彼女に「メイクモデルになって欲しい。バイト代と交通費は出すから」と依頼される。

あなた可愛いし何より肌が綺麗だから、と。

あれだ。

プロになる人だから、どんな顔でも美しく粧えなければならない。顔は正直関係ない。

若くて、肌が綺麗だったから誘われたのだ。そして勉強してなさそうだったからであろう。

二つ返事で承諾し、青山まで。

有名アーティストの名を冠したメイクアップスクールで、プロを目指す授業を見学し、実際に教室に入って実技のモデルになる。

その日のテーマに沿って受講生が施したメイク講師が直す。毎回毎回、講師がいいと思うメイクに正してくれる。鏡張りの教室で、その技をじっと観察することもできる。

何より、メイクを落とす前に作品であるところの自分の顔をいくらでも研究する事ができた。

これは得難い経験であった。

その技は今でも活きている。

化粧品のものの質が向上し、技術が古くなるかと思いきや、今でも通用する。

何なら今の若い子が初めて知って「大発見であるかのように発信し、万単位でバズってしまうような内容である

時代と共に古くなるメイクはあるが、技法は変わらないものもあるのだ。

ところで本題。

眉毛の話。

去年辺り、イガリノブ氏のアイブロウブラシが絶賛されていた。

ご覧になった事があるだろうか?ぽってりと太め、大きめで毛足の短いブラシである

これが若者に大流行、大絶賛であった。挙って欲しがり欠品が続いた。

わたしはその様を、頭の中を【?】でいっぱいにしながら眺めていた。

なんで?

眉毛って一本ずつ描くものでしょう?

かに今の流行ぼんやり薄く真っ直ぐな眉毛。ぼかしやすいのかも知れない。

わたしだって一本ずつ描いても最後には馴染ませる。

しかし、そのブラシを手に入れることは憚られた。

なんで?

それにしたって描きづらいでしょう?

なんで??

その解は思いもよらぬ所からしかも後頭部に殴りかかってきた。

色々あって人気(割愛)の、CHICCAのブランドクリエイター 吉川康雄氏の語ったという言葉である

吉川氏はどう見てもおじさんで、我々と同じ時代を生きた先人である。「必ずしも左右対称の眉でなくていい」などと、多くの美に迷う羊たちに救いの手を差し伸べてきたその人が言う。

毛を1本ずつ描くと言われているが、特殊技術なので素人には無理。ペンシルを細く刀で削り、本当に生えているように毛の動きを出すのがプロが行う「1本ずつ描く」ということ。素人パウダーで軽い影と重い影を作るといい。


なんでだよ!

昔は練習して、技術を身につけてナンボだったじゃないか。出来ない奴は置いていかれるのが当たり前。

まあ、そんな人の為に細さを保てる繰り出し式のアイブロウが発売されたりしたのだけれど。

テクニックが欲しければ、自ら動いて情報を得て、試して、自分のものにする。それができる人が独占するものだったんだ。

できる人だけが垢抜けて綺麗になれるものだったのに。

その時気付いて愕然とした。

ガリ氏のふとましいブラシは「毛」を描く為のモノではないのだと。

今、情報はそこら中に氾濫し

得ようと思えば誰でも手に入れられる。

お金をかけなくても。

そこへいかなくても。

バズって廻ってきた同じTIPSを誰もが平等に受け取ることが出来る。

自分だけ綺麗になっては「ズルイ」のだ。

情報を共有してバズる事の方が価値があるのだ。

なにそれ。

全員で手を繋いでゴールする徒競走か?

ゆとりか?


少なくとも、20世紀メイク好きコスメ好きが誌面で教えを乞うたアーティスト達は、技術練習して身につけろ と言っていた筈だ。誌面で解説しているから、と。

吉川氏は初めから素人に期待をしていなかったのだろうか。

それともどこかの時点で諦めたのだろうか。

ーー

自分の考えが古いのは重々承知で。

それでも納得いかない。

誰でも同じように出来ることを目指したから、個性が消されるんじゃないの?

から中国韓国の方が面白いことやってるんじゃないの?

2020-01-12

anond:20200112232620

自分も分からないふりする

「よんじゅうはち…?」

みたいな

けど、バカにされてるという感覚がすごくむかついて

本人の目に入るようなところに「気持ち悪い人に誘われてあり得なかった🤮生理的に無理なんですけどw」とかわざわざ書いたりしょぼい仕返しはする。

けど今までセクハラしてきた男全員並べて面と向かって罵りたい、なんなら刃物突き立てたい、みたいな感覚ぼんやりとある

とくにトラウマ的なものはないんだけど病気なのかな

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