はてなキーワード: えことは
聖痕を読んだ。氏の小説をそれほど多く読んでいるわけじゃないから的外れなのかもしれないけど、比較的綺麗な筒井康隆が楽しめる作品だったような気がする。
とはいえ、描かれている作品の設定は結構深刻。主人公である貴夫はその美貌ゆえに齢五つにして暴漢に襲われ性器を切り取られてしまうのだから。
要するに幼くして無理やり去勢されてしまうんだけど、ホルモンなんかの関係で却って生来の美貌が高まることになってしまって、波乱万丈な人生を送ることになる貴夫少年は幼少期から様々な困難に見舞われていく。
こんなような物語の立ち上がりと、裏表紙にあるあらすじがエロスを強調していたのと、独特のちょっと読みにくい文体とが相まって、後半にはおどろおどろしい展開が待ち構えているんじゃないかと最初は思わされてしまった。
結果としてそういう読後感を味わう羽目にはならなかった。むしろ明るい家族小説を読み終えた気分。物語の終わり方から漂ってくる余韻は、結局のところ人間賛歌になっているような気がした。
登希夫の成長や、自らの出自を知った瑠璃と夏子が対面する場面、津波に襲われた子供たちの声が消えこたときの貴夫の思いや、被災地での運命的な再開など、後半はドラマチックな場面が盛沢山だった。
ずっと旅のラゴスに似ているなと思って読んでた。旅のラゴスが一人の男の貫徹した人生を描いていたのに比べて、聖痕はひとつの家族と彼らに関わった人々の泥臭い人生を描いていたように思う。
性器を失い、根源たる欲を欠いた貴夫の周りで、人々は愛おしいほど欲にまみれて大らかに生きていたもの。
あとがきに描かれていた、なぜ去勢されている主人公を題材として選んだのかとか、年齢や物語の年代のことについてはよくわかんなかった。最後の金杉君の長台詞にメッセージがあるのかな。よくわかんない。
めんどくさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。
いやー今回は6Vだいぶ楽になりましたね。
王冠さまさまです。
補正抜きの個体値が4Vのメタモンもだいぶ楽に狙えるようになりました。
おかげで育成は今までより格段に楽です。
努力値も毎度お馴染みパワーアンクル系アイテムのおかげでだいぶ楽ちんです。
いやうん個体値の引き継ぎどころか努力値振りもクソ面倒な時代によく育ててたなあと今は思いますよ。
で、まあ話は戻るんですけど、もう2段階ぐらい楽になりません?
個体値4Vメタモンのゲット方法も数回やっちゃえば終わりとは言え仲間呼び36連鎖させろとかカジュアル志向な人は完全に置き去りですよ。
おうかん集めも最初の3つぐらいは楽しくても最終的には作業ですし、努力値稼ぎもうまくやれば20回ぐらいで終わるとはいえこれまた作業です。
とっても面倒くさいんですよ。
昔と比べれば本当格段に楽になりましたよ。
徒歩で東京ー大阪間を移動するのと新幹線で行くぐらいの差があります。
でもまだちょっと面倒なんですよね。
その対戦が廃人のやりこみ要素になってるのは勿体ないと思うんですよ。
レートを上げるのがやりこみ要素であって対戦の間口時代は広くとってほしい。
でも今の環境だと「6Vにボコられるしー」「テンプレ構成にボコられるしー」「でも俺持ってないしー」とそもそも入ってこないでストーリークリアで終わりって人が結構多いように感じます。
まずはじめに、とんだ場違いな愚痴であることを謝罪させてくれ。
愚痴垢は所持しているものの、「やだ…知らない人たちに私の恥ずかしいとこ見られちゃってる…っ!」な気分を味わいたいだけだ。
ほんとただそれだけだから、この時点で「こいつ無理だわ」と思ったらブラウザバック→スルー推奨。
これだから女は…な男もとりあえずブラウザバックしてオナニーして寝とけ。
私はそこらへんにいる一介のゴリラだ。
そんなゴリラが、好きな洋服のブランドが同じという繋がりで、キラキラスイーツ(笑)女ツイッタラーたちと繋がることとなった。
相手は左手の薬指にリングをつけている。こっちは推しの陰茎の根元に射精管理用のリングをつける日々を送っている。
そして感じたのだが、ゴリラとスイーツ(笑)たちとはツイッターの使い方の認識がはなから違うらしい。
ぽつり…と呟いた独り言ツイートにも「わかる!私は○○で〜…」などと聞いてもいないのに自分の話をし始める。
お静かに願います。黄色いバナナの内側には入らないでください。幅50mくらい引き伸ばしておきますね。
50のいいねより1のリプライの方が大切らしい。うるせえいいねがつくだけありがてえと思え。
常に誰かと誰かが社交辞令丸出しの長文リプライを飛ばしあっている。TL埋まるやめろ。
「旦那」「相方」「彼氏さん」うるせえこちとら喪女ゴリラなんだよ!!!!
スイーツ(笑)は、常に誰かと絡んでいたい馴れ合いの巣窟みたいなツイッターの使い方をしているようだ。
馴れ合いなら顔本いけよ。ツイッターは呟くところだ全部独り言だ。用事があるならリプ飛ばすわ。
というか常に誰かとお喋りしてないと落ち着けないこいつらなんなんだ。マダムの井戸端会議か。小学生の連れションか。
ジャングルで生きてきたゴリラは、リプライを送る=部屋のドアにノック くらいの感覚だと思っていた。
今や常に誰かから
とクソノックを繰り返される日々だ。(当然だが例えだ。これくらい内容がないようなんだ)
感覚の差なのか、やめてくれ。
ゴリラも一応社会に適応する技術を練習中なので、送られてきたクソリプを無下にすることもできず、
「何の話かな?この人スカトロ好きなのかな?」
まず私が話していることは、「Change The World」。
つまりこの世の、具体的に言うと世論を変えようということです。
誰かが嫌な目に遭わないとそれをなんとかしようという気持ちは生まれないのです。
では、なんとかしないといけないこととは例えば何でしょう?
私はコンビニおでんが好きなのですが、あれは普通フタを閉められずに置いてあります。
閉まってると思ったら今温めてるところだったりします。
「あそこのコンビニは閉まってるよ」などの意見ももちろんあると思いますが、全体の割合で言ったらやっぱり開けっぱなしの事ばかりなのです。
衛生面で問題があったという話は聞いたことがありませんし、私も「しょうがないなぁ」と思いながら買っていきます。
もうお分かりですね。
小便袋です。
小便袋こそ、この悪習を亡き者にする打開策、その1つなのです。
ある日のこと、男の人が小さなビニールの子袋に小便を溜めたものを持って入店し、店員が見てないところでおもむろに
とぷん
うわぁ。おでんは汚れました。
でも1度や2度ではバレないでしょう。
とぷんとぷんとぷんとぷん
この事は徐々にバレてテレビで取り上げられるほど大騒ぎになり、ある日警察の努力の甲斐あり犯人は捕まります。
犯人は自己破産をしないといけないくらいの慰謝料に押し潰され、社会的に最悪な意味で有名人となってしまい、残りの人生なかなか生きづらくなるでしょう。
頑張って生き抜いてほしいですね。
でも彼の行いは決して無駄ではないのです。
日本だけではありません。海外でもちょっとしたおもしろワールドニュースとして取り上げられます。
「ワーオ!AVの見過ぎでスカトロを共有かい?いつものジャパンだね!HAHAHA!」などと言われ、redditのデイリーランキングで8位くらいは取れるでしょう。
その大騒ぎを受けてコンビニ各社はこの事件以後、全てのフタを閉めるよう対策を取るでしょう。
目的意識を持って異物を入れようとする輩がいたとしてもある程度は足切りできるでしょう。
本物の人にはかないませんが、それでも有効な策です。
どうです?
結果としてコンビニからフタ開けっ放しのおでんはなくなりました。
小便おでんを食べた被害者は一生の心の傷を負い、犯人は後の人生に大きな打撃を受けました。
これが犠牲なのです。
この犠牲が世間の「なんとかしようという気持ち」を生んだのです。
その気持ちに押されてコンビニ各社は対応せざるを得なかったのです。
どうです?
あなたはスカトロを期待してこのページを開いたのかもしれませんが、とんでもない知見を得られましたね。
もちろんこれは世論を変える方法のただの1つに過ぎず、しかもおすすめできる方法ではありません。
とは言えこれを見てあなたがビニール袋を買いに100円ショップへ走ったとしてもあなた以外の誰の責任でもありません。
そう思うと心が楽ですね。
その理由は過度な性的表現であるにも関わらず、ゾーニングされていないからだという。
迫害されるのは、ひとえに積み重ねた努力が足りていないからである。
これが公開されたところ、例によって批判が噴出した。曰く「公共的な場で使われるにも関わらず、発情的な表情、扇情的なポージング、スカートが透けているといった性的な絵であるのは問題だ」と。
その結果、イラストに修正がされた。批判の一つである「透けたスカート」が塗りつぶされたのである。
またこのパターンかと思う。とはいえこうなるのも仕方ない。なぜならば萌え絵には積み重ねた努力が少ないからだ。努力があればこの程度の表現など許される。むしろ批判する方がおかしいと思われるくらいだ。
映画もやっているし、知っている人は多いと思うが意外に読んでいない人がいる。
なんでも、集団いじめをテーマにしてる漫画と聞いて、重いと思ってしまうらしい。
なんてことだ!!こんな面白い漫画を読まないなんてもったいない!!!
というわけで、ネタバレを極力避けつつ、読んでみようかなと思わせるレビューを書くことにした。
この漫画は、一言で言ってしまえば、障碍者と前科者が社会に居場所を見つけるまでに直面する、人と人が分かり合うことの難しさ、尊さを描いた物語である。
硝子は聴覚に障害のある少女で、障害ゆえスムーズなクラス運営を妨害してしまう彼女は、転校を繰り返すがどこに行っても疎まれいじめらる。
将也の学校でも同じように疎まれ、将也を中心にいじめられるようになる。
将也のいじめは後にクラスで問題になり、逆に彼がクラスの集団いじめの標的になる。
このようにして、自分の犯した罪の重さを知った将也は、高校生になって硝子に謝りに行く。
将也が過去の罪を償うべく、硝子やその周囲で奔走することで物語が動いていく。
それを重く感じる人もいるだろうが、むしろ子供のころいじめられがちだった人こそ、この漫画を読むべきだと思う。
いじめや障害といった要素は主題ではなく、この漫画の本当のテーマは人と人が分かり合うこと、「聲(こえ)の形」なのだから。
手話は声を目に見える形で伝えてくれる。
しかし、それだけでなく、この漫画には本当に様々な「聲の形」が描かれている。
気を付けなければ見落としてしまうような、表情、しぐさ、間、すべてが「聲の形」である。
だから読み込むことで、「この人はこういう時、こんな顔をする」というのが分かってくる。
声が伝わってくるようになる。
誰が何を伝えきれず、見落とし、どうすれ違って、最後にどう和解するかが分かってくる。
優しいというのは、人の持つ人格を、その人はそういう人なんだと受け入れることである。
好き嫌いは別として。
強いというのは、人に向けた好意は、必ず好意と伝わると信じることである。
好意を返してくれるかに関わらず。
彼らが小学生の頃、誰も優しくもなければ強くもなかった。
本当なら、優しさや強さを教える立場の教師達も、それができなかった。
皆が傷ついた。
高校生になり大人になりつつある彼らは、やはり不器用に傷つけあいながらも、本当の優しさと強さを手に入れていく。
人は不幸にも、人生のどこかで人を信じないことを覚えてしまう。
人と真剣に向き合っても損をするだけ、表面上だけ合わせてやり過ごすことを覚えてしまう。
自分も人を信じて、向き合ってみようか?
また裏切られるのかもしれないけれど。
でも、その時が来るまでは優しさにあふれた世界を信じてみよう。
それが、自分を良い方向に連れて行ってくれる。
これは、そんな気分にさせてくれる物語。
さあ、読もう。
ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!西宮!西宮!西宮!天使!天使!天使!かわいいよ西宮!西宮かわいいよ!!!!!1話目の隙を見て逃げ出そうとしてる唇とがらせた顔がかわいいよおおおお!!!!母親が投げ捨てた筆談ノート取ろうとして、勢い余って川に落ちるときの絶望の表情がかわいいいよおおおおお!!!!いじめられてにへらっとしてる表情がかわいいよおおおおおお!!!!!!!進路をどうするか聞かれて、うんうん頷きながらどや顔してるのかわいいよおおおおお!!!!!!!!!ショーちゃんのおててをしゃぶしゃぶしたいよおおおおお!!!!!ショーちゃんの感情表現の手段、大事な大事なお指をなめ回したいよおおおお!!!!!そしたら舌ったらずな声で「い、いあ……」とか言ってくれるのかなあ!!!!!泣きそうな顔で「りゃ、りゃえて……」とか言うのかなあ!!!!!涎でぬめぬめでろでろになったおてて、これも聲の形だよね!ショーちゃん!!!!!
そしたらいいタイミングで通りかかった将也にぶん殴られるのかな!!!!「西宮ッ!!!大丈夫か!?」とか言いながらさりげなく肩とかに手を置いてなぐさめてあげたりするのかな!!!そして次の日に「昨日は殴っちゃってごめんな。お前はお前なりに考えがあったのかもしれないのにな」なんてメールを送ってきてくれたりするのかな!!!!!ごめんね!!!!世の中にはそんなに深く考えこまなくてもいい事があるんだよ!!!!!!
でもやっぱり植野が一番かわいい!!!鬼のような形相で西宮の髪ひっぱる姿がかわいいよ!!!!ちょっとした小動物なら心臓発作で殺せそうな顔面で永束君罵ってるところかわいすぎるよおおお!!!!!罵って!!!もっと罵って!!!!そして恐怖のあまり失禁したい!!!!失禁する姿を底冷えするような冷たい蔑みの目で見られたいよおおお!!!!!!!そのくせ一途に将也を想ってる所がかわいすぎるよおおお!!!!走る時の「したたたたた」って効果音がかわいすぎるよおおおお!!!!!走れ!君はどこまでも行ける!!!!
永束君ぼっちなの納得いかなくね!?オタク友達それなりにできるでしょ!こういうタイプ!佐原さん強い子!川井は、こいつだけは好きになれない。真柴君ほんと蚊帳の外!ザ傍観者視点!
島田ってもう将也と仲直りしてるよね!?あとはきっかけだけだよね!?遊園地で再会した時の「ふっ」って笑顔、1話目で母親と将也がじゃれてるの見て笑ってる顔と同じじゃん!なんかもう、途中から引っ込みがつかなくなってたの気にしてたんだよね!「ずっと気にしてたけど、なーんだ、楽しそうにやってるじゃん」って顔だよね!あれ!
勢い余って告白しちゃう西宮かわいいよおおお!!!結絃の何気ない「石田彼女つれてたぜ」って嘘ずっと気にしてたんだね!!!そんで植野のこと彼女だと勘違いしたんだよね!!!「やっぱり普通にしゃべれる女の子がいいのかなぁ」なんて悩んでたりしたのかな!!!かわいいな!!!!
西宮と再会するとこの植野も最高にかわいいよね!!!!西宮の補聴器取って「ぶん投げて遊ぶ?」って言ったとこ、すごいグロテスクだったよ!!!子供の残酷さって本当に怖いね!!!!トンボの羽をむしって遊ぶのと同列に、西宮のこと見てたってことだよね!!!怖すぎるよ!!!!だけどそれが幼心というもの!!それに気づかせてくれてありがとう!!!!人に共感する能力って、年を重ねながら学習する能力なんだね!!!
自分が何もしないでいるうちに、将也と西宮が手話で会話する仲になっているのを知った時の泣き笑いたまらないよお!!!完・全・敗・北!!!って感じだよね!!!笑いながら泣くしかないよね!!!成人式に婚約指輪もらったフリまでして将也の気を引きたいのに、まったく裏のない笑顔で祝福されちゃうのもかわいいよ!!!!
植野、容赦なく人の事ぶん殴るくせにいい子だよね!!!人に敵意や悪意を見せるより、曖昧に笑顔で流しちゃうのが楽だし傷つかないし、大人の対応だよね!!!だけどあえて、そうしないのは、心の底で人の善性を信じているからだよね!!!嫌いな奴だから、社会から抹殺してやろうとか、陥れようなんて考えないって、信じているんだね!!!
佐原、芯が強い子だよね!!!植野が西宮殴りまくってる時の罵り合いのさなかで「友達だよ!」って叫べるのすごいよ!!!植野と西宮母、拳で語り合いすぎでしょ!?平手打ちもコミュニケーション!これも聲の形!!!男前!!!!好きすぎる!!!!
でも一番好きなのは竹内先生と将也が再会するところ!大人にとって自分の間違いを認めるのは、難しいこと!!!ハズレを引いた、自分の責任ではなかった、それでも自分は反省している善良な人間、そう思って、それで終わりにしたいよね!!手話をマスターして、それで償いになったって思いこみたいよね!!!そこにかつての教え子がやってきて、過去の罪をまるっと認めて、そして向き合ってる姿を見せられたら、そりゃ認めるしかないよね!!!かつての教え子に、逆に教えられる!最後に「立派になったじゃないか」って言うところ、将也達は廊下に出てるんだから、慌てて職員室の入り口まで追いかけてきて言ってるんだよな!!!最高すぎる!!!!
最高と言えば成人式の同窓会に西宮と手をつないで入っていく将也ほんといいよね!!!かつて取れなかった手を取って歩いていく姿!!!最後に度胸試しした橋で西宮と会うようになる展開も最高だし!!学園祭の見開きで顔から×取れるシーンも最高だし!!小学生のころの度胸試しとか広瀬のなにげない一言を後々生かすのも最高すぎるし!!!永束君の映画酷評してる審査員、お前もチャップリンみたいな髭生やしてね!?!?!?島田バイトばっかりして、もしかして留学資金自分で貯めてるし!!!西宮視線でみんなが変な声でしゃべる世界の回想も最高の感涙だし!!!そっか、西宮が生きてる世界って、こういう風に見えてるんだって、感涙だし!!!将也が目覚めてから橋で奇跡的に再開する時に、じっと将也の顔を見る西宮かわいすぎるし!!!将也と西宮がいつも二人して同じこと考えてるの最高だし!!!将也と植野は似てるようで似てないし!!!もしかしたらもしかして、西宮と将也の物語が、植野次第で将也と植野の物語になってたかもしれないのも最高の最高の最高だし!!!!!とにかく最高な漫画だった!!!
腐女子用語に近いものもあるが、それとはちょっと意味合いが異なる。
どうやら妻に生えているらしい。
いつもの何気ない夜、二人でカウチに寝そべりながら映画をだらだらみていた時、
なんとなく陰茎をしごくような動作を妻の股間付近で行ったところ、なぜか何も
触れていないのにやたらめったら喘ぎ始めたのである。
やめろと怒られて終わるつもりでじゃれたつもりがこれ。
こうなるといろいろ試してみたくなるのが人情というものである。
亀頭をぐりぐりする動作など、一通り陰茎を攻め立てる行為を試してみたが、
やはりどれもやたらめったらに喘ぎ出す。
しかしどうも本人曰く、普段の愛撫などとは性質が違うらしく、一定の所まで続けると
それ以上されると苦しくなるらしい。このあたり射精に近いのではないか?との本人の弁。
とはいえこんなこと人生でいままで試したことがないだけに前例に出会ったことがない。
もしかしていままで知らなかっただけで、世の中の女性にはすべからく見えない陰茎が生えているのではないだろうか。
そう思うと夜も眠れない。
もう辞めてからだいぶ経って身バレする可能性が低くなったので昔勤めていた会社のことを書いてみようと思う。
以前勤めていた会社は約50人規模の地方中核都市の中小企業だった。
社長はバブル期の後半に30歳そこそこで起業をした人間で、色々途中ありつつ約20年でかなりの売上の会社にしたやり手だ。
時代もあったしたまたま始めた事業がその後世間的なニーズの波に乗れたという運もあったが、認めたくないものの仕事はできる起業家だったと思う。
私は比較的社長に近い位置に採用されており、その社長が他の社員や取引先と会合をしている様子を見てきた。
サイコパス的性格というのは他者への共感性が薄く、モラルが低く、自尊心が高く、また口が達者で一見魅力的という特徴があると言われるがこれが完全に当てはまる。
本人を目の前にしているときにはさんざん相手からの信頼を得るための美辞麗句を並べ立てておいて、相手から受けられる利益の当てがなくなるとあっさりと切る。
切って周囲から何か悪評が立ちそうになると「断腸の思いで切った」「時には経営者は嫌われ者になる覚悟が必要」とこれまた周囲をうまい具合に丸め込む。
あまりのすさまじい二枚舌に精神のバランスは大丈夫なんだろうかと最初は思ったが、何年も一緒に仕事をしているうち、二枚舌で相手を騙したり陥れたりすることにむしろ快感を覚えるタイプなんだということがわかった。
良心の呵責なんて全くなく、「バレなきゃ違法じゃない」を地で行くタイプだった。
先に精神が参ってしまったのはそんな様子を間近で見続けてきた私の方で、こればかりは匿名とはいえここに書くことはできないような事件があり「これ以上ここにいたら自分の良心も麻痺してしまう」と思い離職を決意した。
私は勤務をしていたときには社長に極力逆らわず、言われたことは言われたとおりに遂行し、従順すぎるくらいに従順だったのでかなり気に入られていたようだ。
なので私が辞めると告げた時にはもしかしたらひどい罵詈雑言を浴びせられたり離職の日まで嫌がらせを受けるようなことがあるのではないかと心配していた。
しかし予想に反してサイコパス社長は何年も勤めてきた自分に初めて涙を見せた。
いわく「お前がいたから俺はここまで会社を大きくできた」ということで、行かないでくれとまるで恋人にすがるかのような態度をとってきた。
ちなみに長年仕事をしてきたが私は社長のことが信用できなかったのでプライベートなことは出来る限り口にしてこなかったし、架空の恋人を作ったり別れたりしてきた。
私が絶対に辞める意志は覆さないと言ったところ、「せめて次の仕事を世話させてくれ」や「辞めている間何か助けをさせてくれ」とこちらが不気味に思うほどのことを提案してきた。
もうこれ以上この人とかかわり合いを持ちたくないと思っていたのでそうした提案も全部退け、逃げるようにして退職した。
退職したあと夜道を誰かにつけられているような気配がしたり、家の玄関先に社長が吸っていた銘柄のタバコの空き箱が置いてあったりということがあったが多分気にしすぎだと思う。
それも数ヶ月したらなくなった。
今考えるとサイコパスというのは悪気がないからサイコパスなのであって、良心の呵責なくバッサリ長年勤務してきた従業員を切ったり、取引先との契約を反故にしたりするのは本人の価値観からすれば全く問題ない素直なことなんだろう。
周囲から嫌われそうになったら全力で好かれようとするし、裏切られそうになったら何をしてでも関係を取り戻そうとする。
実に素直な性格だ。
直情的で自分に正直だ。
だから私を引き留めようとした涙も芝居ではなく、その瞬間は本気でそう思っていたんだろうなと思う。
あの人は会社を起こしてそれがたまたま成功したから良かったけど、人生における興味がもし殺傷とかに向かったら歴史に残る犯罪者になっていたかもしれない。
野原ひろしの年収は650万であり、これは2016年現在から見れば5%のエリートに属するというブログを斜め読みした。
ふむ。では当時ならひろしは平均、あるいは平均よりちょっといい程度とみなされたのだろうか。
Wikipediaによれば野原ひろしの年収650万はアニメ94話の台詞からの推測であり、これが放送されたのは1994年4月である。
そして国税庁の資料を見ると1年勤続者(男性)の平均年収(賞与含む,単位:万円)は当時以下のように推移している。
西暦 | 平均年収 |
---|---|
1989 | 493 |
1990 | 520 |
1991 | 547 |
1992 | 558 |
1993 | 555 |
1994 | 560 |
1994年の平均年収は560万である。650万は当時の平均より90万多い(ちなみに彼は35歳だが、1994年の35歳~39歳の平均給与は全体平均と同じ560万である)。
年収というやつは必ずしも正規分布しているわけではなく、一部の凄まじい金持ちが平均値を引き上げる傾向がある。従って中央値は基本的に平均よりも低いと見た方がいい。
その点も含めると、おそらく1994年の野原ひろし650万は中央値よりも100万ほど多いと思われる。平均給与より月収が8.3万多い計算になる。これを平均よりちょっと良い程度と思うかどうかは……まぁ人によると思うが、どちらかというとそこそこ年収のあるやつが自分の年収を隠して言う時に「いや俺だって安月給だよそんなん。え?平均とくらべて?同じようなもんだよ、あー、まぁ、ギリギリ平均よりちょっとだけ良いくらい?」的な雰囲気を感じる。イラッ☆
1年勤続者(男性)の平均年収は1997年の577万をピークとして緩やかに下っていき、リーマンショックでとどめを刺される。
野原ひろしは35歳の男性社員である。ということでこの全盛期で見ると、35歳~39歳男性の1997年の平均は589万である。バブル全盛期の中央値は平均値と殆ど同じだったと仮定すれば、1997年のひろしの年収650万は平均よりちょっと良い、というのは、まぁわからなくはないだろう。月給にして他の人より5万円多いのを「ちょっと」というのは、多い側からみればそうかもしれないが、少ない側から見ると「あ?それちょっとっていうならよこせや」と思うところな気はするが。
なお2014年の35歳~39歳男性の平均年収は502万である。やんなるね。
一方で春日部市における平均年収から見た野原ひろしはどうか(春日部市の平均収入でググると妙な数字が出てくるけど、これソースが不明瞭だし計算式も公開されてないので信用に値しないと考え無視した)。
総務省統計局では都道府県別の家計調査が2000年からしかないが、ひとまずこれを参照する。春日部市単独のデータは無いが、春日部市は人口15万人以上であることから中都市に該当する。曰く、2000年の賞与を含めた年平均月額の世帯主収入は466,591円である。12倍すると534万。バブル全盛期をちょっと過ぎた2000年でこの数字である。
650万とは実に120万の差がある。中央値はこれより更に下であることを考えれば、春日部市における野原ひろしは当時から見ても平均的、あるいはそこからちょっと良いだけとは言い難いように思う。
野原ひろしのような人生は、なるほど現代からすると相当なカチグミであるように見える。しかし当時の社会背景を考えれば、こうしたレールに乗ることは平均的な能力プラスアルファでどうにかなる範囲だったのではないか。
彼は1994年当時で35歳、二十歳で大学を中退して(つまり高卒で)入社したとのことである。従って1979年入社であり、これは残念ながらバブル期前である。
加えて彼は高卒であり、今ほど大卒信仰が強くない時代とはいえこれがプラスに働くことはまず無い。ゆえに就職活動において基本的には不利な立場にあったと言える。
どう考えてもこの時点で相当なカチグミである。これを平均よりちょっと良いレベルとは当時ですらやはり言えないように思う。
そういうわけで、野原ひろしは1994年当時で見てもエリートだと思う。バブル真っ盛りの時と比較してギリギリ「平均よりちょっといい程度だね」と見栄込みでいうことは出来ると思うが、それ以外ではいささか厳しい。
さらに国内商社は年功序列で給料が上がるため、2014年55歳の野原ひろしの年収はほぼ間違いなく1000万を超えているだろう。2014年の55歳~59歳の男性平均年収は631万であり、彼は最終的に平均の1.5倍を上回る所得者ということになる。
彼は今からみてもエリートだが、当時からエリートであり続けた、というのが正しい見方ではないだろうか。
子供のいる夫婦に限定すれば野原ひろしは平均になりえるのではないか、というブコメを見て「あ、それは見てなかったわ」と。
そういうわけで追加で調べた。
1996年の国民生活基礎調査「1世帯当たり平均所得金額,世帯主の年齢(10歳階級)・世帯構造別」を見ると、「夫婦と未婚の子のみの世帯」の平均所得は621万である。おお、これなら650万は平均よりちょっといい程度やんけ、と思ったが、問題がある。
これは世帯収入、すなわち共働きを含めた数字だからである。ひろしは単独で650万である以上、この数字と直接比較はできない。
この基礎調査に世帯主収入のデータは無いようだったため、これを推測すべく、2000年の家計調査の「有業人員別1世帯当たり1か月間の収入と支出」を見ると「全国・勤労者世帯(核家族世帯)」の世帯収入と世帯主収入のデータがある。核家族における世帯の実収入は月額568,391円、このうち473,674円が世帯主収入である。割合にして83.3%。
この比率が4年で大きく変動していないとすれば、621万の83.3%は517万である。残念ながら650万とはかなり差があると言わざるをえない。
96年の「1世帯当たり平均所得金額,世帯人員・地域ブロック別」を見ると、世帯人数ごとの所得額が地域別で分かる。ここでとりあえず「3人」を見てみると、全体平均が718万、一方で埼玉が属する「関東Ⅰ」ブロックでは829万である。当時全体平均に対して首都圏の所得は115.4%になる。
この比率を当てはめると、517万の115.4%で596万。これが1996年の東京ブロックでの子持ち既婚男性30代の平均年収の推測値である。
ただし、この「関東Ⅰ」には丸ノ内線内在住かつ子持ちの夫婦が含まれている数字であり、彼らが平均を大きく引き上げることは間違いないだろう。従って都内在住の子持ち夫婦というカテゴリで見るなら野原ひろしは平均的かもしれないが、埼玉県春日部市という点で考えれば、97年の最も所得の良かった時期の子持ちの夫婦という点で比較してもやはり平均的な家庭よりも所得に余裕がある立場ではないかと思う。
野原ひろしの務める双葉商事は中央区日本橋にある商社という設定だが、例えば日本橋にある神鋼商事の四季報を見ると平均年齢39歳で平均年収711万である。これと比較してみると35歳の営業課長で650万というのはちょっと低い印象がある。
とはいえ商社も色々である。総合商社なら平均で1200万~1300万になるが、中堅商社でいえば650万というのは平均的かもしれない。
Wikipediaによればバブルは86年から91年だそうで。顔真っ赤にして「ITバブルがー!サブプライムがー!」とか書こうと思いましたが、無知をお詫び申し上げる。
しかし政府統計を見る限り、この86年から91年の所得平均がずば抜けて凄いかというと特にそんなことはない。上述の通り、一番平均所得額がいいのは97年だからである(なので無知な自分は97年がバブル全盛期だと信じて疑いませんでした)。ただしピークへ向けて毎年のように平均所得と可処分所得が上がっていっているので、サラリーマン的に印象の良い時代だったことは間違いないとは思う。
バブル時代はボーナスがたくさんでた、というのは嘘ではないだろうけれど、全国的な平均を取るとそうでもなかった。給料が銀行振込ではなく手渡しだったなら「札束!」という印象が今よりあっただろうこと、東京の一部の羽振りの良い連中が誇張されたこと、当時の情報メディアは新聞とテレビが全てだったこと、といった条件下で醸成された「バブルの頃はみんな高給取りだった」んじゃなかろうか。
1ヶ月ほど経過して気持ちの整理が付きかけたので書く
実家に帰ると姉が長期旅行に出ていた、もう1ヶ月以上家に居ないらしい
東京に帰る前日、姉の近況を聞かされた
・昨年末に結婚相手を連れてきたがそれきりなんの進展もなさそうだったということ
・マルチ商法っぽいことにひっかかっているのではないかということ
封筒にかかれている団体名を検索するとカルトっぽい匂いがぷんぷん(○○被害者の会とか集団訴訟とか
それで「ああ変なものに引っかかったんだな」とおもったが別に引き戻そうという気にはならなかった
姉は家族でもはみ出し者で、俺が実家に居たときでも俺含め家族とは殆ど会話はなく、仕事から帰っても部屋に居るばかり
俺が地元を出てからもそれは続いていたようで、結婚もせず、かといって自立するでもなく実家に寄生する生活をおくっていたようだ
実家での最終日に母から姉の相談事をされ、それなら確かめてスッキリしたほうがいいのではないかと姉の部屋をさぐってみた
姉の部屋など高校時代に小沢健二のアルバムを黙って借りて以来忍び込んだことはない
俺にとって姉はやたらとツンケンして黙ってるか、金切り声を出すかのめんどくさいだけの人間でしかなかった
姉の部屋に入ると老人夫婦の写真が入った写真立てがテーブルにおいてあった
母曰く、この写真を拝んでいるところを何度もみたとのことだった
本棚にはあの時無断で拝借したCDの他に、いかにもマインドコントロールされてる人間が好みそうな自己啓発本数十冊
(というか、どうしてこの手の人間は「数十冊も読んでまだ足りない時点で自己啓発本に意味がない」事に気づかないのか
写真立ての中の写真や本棚を写メで取り、後で本の題名を調べてみた
10年以上前にあれこれ騒がれたカルト教団関連のものだった、しかもその教団自体が発行しているもの
こいつらに拝んでんのかよ、イカれてんなとおもいつつ、まあもう10年以上会話もしてないしどうでもいいかと思った
とは言えここ数ヶ月家を離れているというのが気になり、本棚の写メに映る題名からヒントになりそうなものを検索していった
するとその教団には集団生活をする施設があるというのを見つけた
そこのウェブサイトの集団生活に関するページを見ると、写真の中に姉が写っていた
マジかよ、いや、何となくそうかなと思ったけどこんな感じで分かっちゃうのか
っていうか数年ぶりに顔みるのがこんな形かよ
なに質素な服着て似たような幸薄そうな奴らと集団生活してんだよ
っていうか集合写真に写ってるけどよーくみるとお前他の奴らとちょっと距離あるじゃねーか、治ってねーじゃねーかよ
「一族からタタリ神がでてしまった」っていうオッコトヌシさまの気持ち今なら分かるわ、クソったれ
俺まだ結婚してないのにな、兄弟にカルト信者がいるとかマジ瑕疵物件じゃねーか
正直姉の目を覚まさせて家族に帰ってきて欲しいとか全然思わない
もともと仲良くないし、姉のために1ミクロンでも労力を割きたくない(カルトから脱会させるのって労力いるんでしょ?
姉が稼いだ金であればどれだけ吸い取られても別にどうでもいいし
あちらにそういう共同生活施設とかあるならさっさとそっちで暮らして欲しい(無いと思うけど
今でもあの区分があるのかどうか知らないけど、中学の理科の第二分野、
その中に出てくる「維管束」の問題がなぜかぼくは苦手だった。
何度覚えたつもりになっても、いざ試験本番で、道管と師管の配置がごっちゃになってしまうのだ。
中を水が通っているのが道管で、栄養分が通るのは師管、という役割自体はちゃんと覚えていた。
それなのに、茎を水平に輪切りにしたとき、内側にあるのがどっちだったか、100%間違えた。
基本的には成績がよく、主要5教科500点満点で450はまず切らない生徒だったぼくにとって
これは本当に由々しき事態で、何度も何度も繰り返し覚えこんだ。そしてそのたびに間違った。
あるとき、友達とその話になって、本当にあれがどうしても覚えられないんだ、と愚痴をこぼした。
彼は笑ってこう言った。
「簡単だよ。植物にとっていちばん大事なもの、って言ったら水だろ?
栄養分も大事だけど、花を育てる時にはまず水をやるじゃないか。
大事なものは中にしっかりしまいこむんだ。植物も人といっしょだよ」
だから道管が内側なんだよ、という彼の声を、今でも思い出せる気がする。
彼の説明はそれこそ荒れ地に撒いた水みたいにすぅっと染み込んでいった。
その次の期末考査、ぼくは胸を張って解答用紙に名前を書き込んだ。
道管が内側、師管が外側。もう絶対に間違わない。
ぼくは勇んで解答用紙の端っこをつまみ、今までの雪辱を果たすつもりで一気にひっくり返した。
もちろんそこには維管束の問題があって、いつもどおりに図がついている。
問題文にはこうあった。
「図1は、植物の葉脈を垂直方向に輪切りにしたものである。AとBが示す管の名前をそれぞれ書け」
ぼくは満点を取り損ねた。
FF13の一個目をやっていてそこそこおもしろくやっているわけだけれど、この感じだと続編も全部やる流れになりそうだが…ちょっと重い。
ふと思い出したシャイニングフォース3のお話。SF3はシンクロニシティなんてろというのでSF3シリーズでエピソード3まで発売されており、3人の主人公にフォーカスが当たるようになっている。
ただ、ゼノサーガシリーズとは違って(あのゲームも大概だが)ゲームシステムやゲームそのもののルックスが全く同じがために、EPが違っていようが同じゲームをやっている感覚になるのだが、EP2に移って一気に萎えてしまった。
SFシリーズ(というかシミュレーションゲームは大概そうだが)は強くなると必殺技や広範囲攻撃が使えるようになるのだが、これがEP2始めたらまた一から貧弱な登場人物たちを1から育てることになるのである。スパークLV3で敵をなぎ倒していたのに、1マス1マスでブレイズLV1で攻撃は…ちょとつらい。
SF3シリーズは半年おきに発売されており、リアルタイム組はちょうどよかったのかもしれないけど大人になってから一気にやろうと思ったらウヴォアってなった話。
とりあえずPCは最強のゲームプラットフォームになるからマジでみんな自作した方がいい。くそみたいなSONYのかかえこみなんてもう終わるって。
最近、会社でコミュニケーションの促進とか助け合いの精神が大切とか
言われるようになって、いろいろな企画がうたれるようになった。
なんか休日集まろう(セミナー)とか、偉い人と話そう(飲み会)とか、
コミュニケーションだけを目的としたイベント(BBQ等)開催とか。
そういうことをやられる度に、会社での居心地が悪くなる。
そもそも無趣味だし友達も少ないから、仕事以外で話すことがないし。
でもそんなこと思っているのは自分だけで、みんなちゃんと仲良くなっていく。
みんなが仲良くなるにつれ、
本当に自由な気分になれた。
すごい楽しかった。
少しぐらい頑張ってたって、その程度できる人は幾らでもいるし、
仕事してるからあまり人間関係構築に労力をかけたくありません、
なんて、そんな奴は要らない。
そんな風に変わってきたんだろう。
うちの会社だけかもしれないし、世の中の流れがそういう方向なのかもしれない。