はてなキーワード: 描写とは
舞妓さんが想いを寄せ続けてる故郷の幼馴染の動かし方があまりにもご都合主義すぎる(かつ幼馴染に魅力も感じないのでどうでもいい存在)
頭の足りない主人公フィルターを通して「やさしい世界」と認識されてる地獄の描写かと思ってたら、単に作風として舐め腐ってるだけってのが判明したので、もうええわって放置
脇役の学校の描写にページ割きすぎだし、作者の実生活や体調の事情を鑑みても30巻くらい費やして作中時間1年は、流石に読み手として体力がもたん
キャラクターの性格をロボトミー手術でも受けさせたんか?ってくらい改変しすぎで辻褄が合わなくなった辺りで放置
和風パーティが出てきたあたりからなんか話がとっちらかってきて、つまんねーなって思いながら惰性で読んでたけど、例の存在に料理を食べさせるあたりで完全に飽きて放置
酷い目に遭わせた本人ではなくて
嫌いでいいが攻撃は止めようよ
嫌いなんだから離れればいいじゃんね
近づき嫌な思いをするこたないと思うんだが
「憎い」って言うし攻撃せずにいられない原因がありそう
ところで
・弱者男性
・チー牛
・オタク
を「叩いていい男性」と書いてる
どうもわからん
どうにも解らんので考えない
何なのあれ使う人
・弱者男性 は
どっちかわかんないな
・オタク は
・貧乏人
・モテない人
・金持ち
どっかの成金みたいに金配れ、とか
・モテモテだからモテない人= 増田が気のない人に付きまとわれて困ってる
これならしっくりくる
本来ただ好きな趣味が漫画アニメ視たり読んだり書いたりってだけ
本来ほぼ無害
同居家族だと
・金が無い
・部屋が埋もれて掃除できない
・重くて家が痛み傾いた
「のめり込み過ぎると支障が出る」のは何のオタクでも同じか
性的描写に寛容過ぎてエロ漫画が普通の漫画と思ってそうな奴等かな
「男性」が批判されるのは性欲とか性行動で犯罪行為かセクシャルハラスメントが多いもんね
これかなあ
つらつら書いたけど
葬送のフリーレンは好きで原作を一話からずっと読んでいるが、ファンタジー描写が薄っぺらいというのはその通りだと思う。
中世ヨーロッパ風の物語設定という時点で二次創作、そこに独自の視点を入れても三次創作みたいなものなので難しい。
それとは別に、フリーレンはある種の生臭さ、生物間、生活感、性欲みたいなものまで脱臭している感じがある。長旅に必要な道具を持っていない。老若男女仲良く一緒で濃厚な恋愛や性描写を避ける。血は流れるがリアルな痛みの描写ではない。そういうリアリティラインなので、薄口にも感じられる部分はある。
ボーはおそれているを見た
本当ははてな匿名ダイアリーに書こうと思ったのだが、初の試みすぎてどこからいけば入力ホームに飛べるのかも分からなかったので、こうして一旦自分のエディタに向かって書く。ちくしょうめ。
お前たちがこれを見ているのなら、どうにかうまいこと投稿できたんだろう。
あのミッドサマーを作った、嫌な人間関係を描くことでお馴染みの男アリ・アスターの作品だ。
彼の妙に女側の鬱憤描写に自信がありそうな感じは、まあきっと他の人が論じることだろう。
以下は、ボーと同じく母子関係に問題のある増田がどのようにボーと旅をしたかの備忘録である。
物語は、ボーが母親の誕生日パーティをドタキャンしたことから始まる。
ボーはいつも恐れていた、母親の機嫌を損ねることを。傷つけることを。
わかるぞ、ボー。
女手一つで息子を育てるというのは、どんなに大変なことか。
大人になればなるほど、それが途方もない献身の末にあったことが身に染みるようになる。
そんな彼女の気持ちを裏切るのは、いつも最悪な気分になった(これは増田の話)
それにボーは、母親の経済的援助の元にある(はっきり書かれてはいないが、増田はボーのカードは母親名義のものだと推測している)
就職先とか全部潰されてきたりしたのだろう。
アパートで鍵を奪われたりしたのは、なんだったんだろうな。
母親は誕生日パーティのドタキャンを受ける前から、ボーに試練を与えるつもりだったのか。
それとも、母親の一味の中にボーに害意を持つ者が個別にいたのだろうか。
あるいは、「お前はこれで終わりだ(うろ覚え)」と語りかけてきた男は、ボー自身の破滅願望だったのか?
ともかくここからボーの辛い旅が始まる。
家にたどり着くまでのやつは割愛しよう。
あれはほとんど昔話で言う「三回正しい行動をしたものだけが生き残れる」みたいなお約束パートに見えた。
その中でも、医者の妻や森の痩せた男など、ボーに同情的な人々は少し居た。
彼らはどんな気持ちであの寸劇をやっていたのだろうか。
あの医者の家の娘、その気の毒さ。
突然やってきたボロボロの中年男性に、居場所を奪われるのは苦しかっただろう。
もしかしてあのペンキを急に飲んだのは、ボー母からの内密な指令だったのかもしれない。
例えば誰も逆らいようのないボー母から「ボーと恋人関係になれ」などと命令されたなら(もちろんもし従ったところで、きっとボー母は彼女を始末しただろう。ボーにセックス禁止の呪いをかけていたわけだし。つまり、彼女が本気でボーを誘ってボーがそれをちゃんと断るところを見たかった。試したのだ)、あのヤケクソも理解できる。
ティーンエイジャーがそんなことを強いられれば、死にたくなったって仕方がない。
(追記:最初の推測は上の通りだが、よく考えて「ボーを本当の息子として扱え」が命令だったのかも)
個人的な推測をさらに進めるなら、ボーの母は彼を裁くに足る証拠を集めたかったのだろう。だから彼が罪を犯すチャンスをたくさん与えた。
そういえばボーの居住地区の治安が終わってるのも、母の采配なのだろう。
彼女はボーが自分を愛していないことを、確認したかったのかもしれない。
ペンキ自殺をきっかけに、ボーは次のステージへと追い立てられる。
舞台の筋を書いたのは母親だろうから、母の愛(鎖)を断ち切ったところで幸せにはなれないという話だったのだろうか。
結構序盤からボーの妄想劇場っぽかったから、あれは単に彼の内心の探索だった説の方が強そうだが。
そういうお母さんの話(舞台)を途中から流すようなところが、母をイライラさせていた可能性はある。でもあのお母さんイライラ範囲デカいからな…。
セレモニーが終わってみんな帰った後っぽかったのは、フェイクだったからだろう。元々死んでない葬式なうえ、目的はボーのリアクションを確かめることだ。
弔問客がいっぱいいたってノイズになるばかり。
クルーズで出会ったあの子(たぶんボー母がセックスに至る前に追い出した)が、葬式に現れる。
彼女はボーと可及的速やかにベッドインするし、死んだ母親のアクセサリーとかもいじくり回す。
絶対このタイプの女、ボー母は嫌いだもんな。明らかに遺産目当てだし。
あのおっかない母親が死んだ今、ボー一人を籠絡するのは楽勝だと思って現れたのだろう。
でもこういう金目当て女に易々とハマるのは、ボー母の責任だ思う。
お前がボーに恋愛(セックス)を禁じて、免疫を得るチャンスを与えなかったから……
そしてボーは母親に言外にしかし固く禁じられていた射精を、彼女の中で果たした。
ボーが母親に決定的な不信感を覚えた瞬間だと思う。
あの外観を与えたのはボー母であるし、自分の中で射精した瞬間死んだみたいなエピソードもそれっぽい。
ボーを宿したあの瞬間までで夫の物語を止めて仕舞えば、美しい話で終われる。
隙を見せたお前が悪いので自分語りをするが、私も過去に浮気をされたことがあり、ボー母のこの気持ちはよくわかる。
ある一瞬以降の「あいつ」を死んだことにしてしまえれば、どんなによかっただろうか。
ここに関しては、ボー母は自分のやりたいようになったことだろうから、少し羨ましくもある。
アリ・アスター監督は女のこう言う感傷部分への理解が異様に深い。
私も無限の金があったなら、昔の男のことは好きなだけボロボロにした上に殺したと思う。
なんでもできるが故に、諦められない。
彼女にとってどうしようもできないのは、人の心だ。
父親の心も、ボーの心も彼女は全く思い通りにできなかったのだろう。
一度、彼女の側に立ってみてボーを見る。
多分父親に似ていたのだろう。
今度こそ自分を一心に愛する男に育てようと心を砕いたのに、ボーは何度でも「私」を裏切る。
男友達と一緒に自分を貶め、自分以外の若く美しい女と寝ようとする。
自分に愛しているという口で、カウンセラーには不満や憎しみを言い募る(聞いてる母が悪いのだが)。
愛しても愛しても(少なくともそのように認識していても)、男は決して満足のいく愛を返してくれはしない。
可愛さ余って憎さ100倍ということわざが向こうにもあるのかは分からないが、そんな心境だったろう。
父と息子を混同するの、やめた方がいいよ。
「私」をとうとう完全に裏切った「あなた」なら、安心して殺せるから。
正直言って母の父への憎しみはわかるものの、「子供」としての増田はボーと共にある。
経済的援助を受けていたやましさ。
日記帳を覗かれていたおぞましさ。
母を拒否した時の、たとえようもない罪悪感。
他にも色々あるが、ボーにシンパシーを受けるのはこの辺の過去があるからだ。
私の母は経済的援助についてはもちろん恩を感じるべきだというし、
日記帳に関しては母の愛だったのだから、私が許すべきだと主張する。
そして彼女の様々な誘いを拒否すると、哀れっぽく嘆いて見せるのだった。
これは、このタイプの母を持つ人間にしか分からない強制力だろう。
特にお前が母親に「自分はあなたの死を悲しんでた、超泣いたし」みたいな言い訳してるとこすごい分かったぞ。
自分でも嘘なことはわかってるんだけど、悲しめない自分に罪悪感もすごいしそれが母にバレた日にはすごいことになるから、とりあえず口先だけで母親想いをやるんだよな。
昔は金と罪悪感のコンボで割とコントロールされていたものの、最近すっかり距離を取るようになった。
物理的に距離を開けたのもあるし、一念発起して母に直接様々なわだかまりを伝えたからもある。
まあ全然分かってはもらえなかったのだが、幸いにして私の母には100人の狂った部下はいないし、経済的自立も今のところ果たせている。
このままボートには乗らず、本物の葬式でしか近づかないつもりだ。
ボーよ、お前には全然選択しなかったと思うけど、こういうオチもあったよ。
映画自体は徹底的にバッドエンドだったし、スタッフロール中にも転覆したボートを延々映し続けて終わる最悪さだったが、その後のことは私が勝手に想像してもいいだろう。
ボーはあの後、きっとボートの中にあった空気で助かって、うまいこと脱出できた。
観客席のみんながはけた後、最後に残った私のところにボロボロで泳ぎついて、私は「よく頑張ったなあ」ってボーの手を掴んで引き上げる。
そのあとは小汚いボーを連れてその辺でホットドッグとか買って齧って、公園で「いやお母さんやばいね」みたいな話をして、話も尽きたし寒いから私は普通に家に帰る。
ボーはお母さんの手から逃げることはできないだろうけど、まあなんとかトボトボ暮らしてお母さんが死んだら、遺産とかもらって急に派手な暮らししたらいいよ。頑張ってお母さんより長生きしな。
人より苦しい時間は多かったかもだけど、もしかすると本当にもしかすると、その苦労に見合った価値のある時間がいつかくるかもしれない。
そういうのって、生き残ってみなきゃわかんないから。
ボー、恐れるな。
私もついてるし、意外と似たような境遇のやついっぱいいるからさ。
な、しぶとく行こう。
親とか親戚のおじさんおばさんとかが言う
なんか成長したってことが言いたいのかもしんなくても
自分が言われたわけでなくてもなんか
そう思っててもそういうのは黙っててくれよって思う
うーんそうだな…
フリーレンの描写は時間が経っていくにつれて起こる変化のひとつとして描かれてるから?
なんかどっかしら生々しいっていうか
えっ今どこ見てなに想像してそれ言ったんすか…って思っちゃってゾワッとするかも
ケモノが出る漫画がバズっていると聞き、期待して読んだが肩を落とすことになった。
しかし、『なぜ心にひっかからないのだろう』『この駄作感はどこにあるのか』という疑問が浮かんだ。
anond:20240215225121は『ヒトナー』の世界観の甘さの理由を「読み切りに大してコストをかけられないから」という結論に至った。しかし、当方は原因としてこれがピッタリハマらないように思った。
さらに、作者はケモノとケモナーに対する知識の取材不足であることが雑さに拍車をかけた。
『ヒトナー』は作品のモチーフの中にフェティシズム"ケモナー"を含んでいることが明白である(そうでなければどうしてヒトナーというタイトルにするだろう?)
だが、そもそもの"ケモナー"への知識不足、またフェティシズムへの知識不足が作品の足を引っ張っている。
"ケモナー"をモチーフに含む作品は、例えば『ケモナー勇者を落としたい!』が挙げられるが、正直そちらのほうが断然ケモノとケモナーの解像度が(誇張があったにせよ)高かった。その作者は人外/モンスター娘志向のようであったが、だからこそフェティシズムへの理解は十分に見えた。
トネリコはかわいいが、猫としてのかわいさがあるだけで、作者のケモ個性は感じられない。他のキャラクターも同様である。
ビジュアルが既存のケモ志向作品(例:『羊竜飼いのケモノ事情』、『バツイチ狐と旅ごはん』など)と比較して、あまりに魅力が欠けているため、ケモナーは取り込めないだろう。
また、人間の男の方も"友好的な知的生命体"という描写にとどまり、ケモナーという感じは1ミリも見られない。冒険心はあるようだが、明らかにフェティシズムはない。異星人/SF的世界観/ケモナーを扱うなら、『プラネットハウル』のような作品を見習ってほしいものである。
ストーリーにも褒められた点は無く、物語のお約束をなぞるだけの子供騙しである(ジャンプならそれで良いのかもしれないが……)
ケモナーから着想したかどうかわからないが、『ヒトナー』は描くつもりもない"ヒトナー"というフェティシズム要素を入れたことがすべての足を引っ張っている。
また"ヒトナー"の裏として"ケモナー"も含んでいるが、作者がケモナーを理解していないため作品に違和感が生じ、雑なケモノの描写によってさらに完成度を落とした。フェティシズムが感じられないのも作者がケモナーではないからである。
もし作者が猫ケモナーなら、"猫"というステレオタイプに頼らず、『シャミー1000』のようにフェティシズムを感じられるケモノを読み切りでスッキリ描くこともできただろう。
そうでないなら、"ケモナー"や"ヒトナー"の要素を入れずとも、『ヘテロゲニア・リンギティスコ』のように自然に獣人(とその文化)を出すことは十分可能なのだが……
まあ正直、"ヒトナー"という要素から離れれば"普通だね"と思われバズらなかっただろうから、難しいものである。
とにかく、「『ヒトナー』は、非ケモナーが、"ネット上で戯画化されたケモナー"をモチーフに作ったバズり狙いの三流漫画」に過ぎないというのが当方の評価である。正直、タイトルで期待させられただけにがっかりさせられた。
人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教的世界観においても
この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう
どこかで発想の飛躍があったのかな
気になるねえ、ぐぐりましょうねえ
天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか
天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方
発想としては仏教の後光と同じか
まだ足りない
天使や聖人を描いた絵画→???→漫画的表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと
なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな
勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな
天使や聖人を描いた絵画のパロディで、天使を例えば政治家に差し替えた風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか
それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?
一応、英語圏のイラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……
日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画無いかな
……手塚治虫がやってる気がする
あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか
うーん、探し方が下手
wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな
英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか
うーんアメコミにもヘイローの使用あるかもだが、アメコミに詳しくない
ここまで調べたというメモ
なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ
今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果
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こういう路線で調べていくのがよさそうか
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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋
漫画の記号的表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーのアニメにも、ヨーロッパのカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。
人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー
アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーロちゃんをお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそばで翼を広げて飛んでいますよ」。
死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式の教理として教えられることはまれですが,映画やテレビの連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます。
あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使の本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書そのものが何と述べているかを調べてみましょう。
うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか
それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?
っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな
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ここら辺の本があるいは参考になるか
だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題だから、そこに期待が出来る
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英語圏の情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない
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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチのエピソードがあった気がする
プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない
やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ
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ってことは
天使や聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストやアニメ→天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた
……か?
まだ足りないぞ
キリスト教の教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう
ヘイローは聖なるものの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?
でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい
まだまだ調べないと納得できないな
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ひょっとしたら演劇やミュージカル側の文化が関係している可能性もある
死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない
一応留意して調べる事
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「池にコインを投げる風習はいつから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな
聖者の記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない
しかしあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう
あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず
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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ
②漫画的表現で死者が天使となった描写→漫画的表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート
こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで
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次にやる事
→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか
:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む
→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い
→でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教の教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって
→第一次世界大戦は1914年7月28日~1918年11月11日、ちょうど探したい年代
:キリスト教的素養がない私がヘイローの描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える
:そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる
→基礎(略
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②についてだが「ゲームのドット絵でキャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた
流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ
しかし調べるとっかかりとしては魅力的
ヘイロー関係ないけど「ゲームで戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう
また別の機会に調べよう
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「Heaven Cartoons」というジャンルの風刺画があるらしい
画像検索してみるとなるほど確かに天国で天使がなんやかんやする種類の一コマ漫画
いつ頃から描かれているかをちょっと調べてみたがなかなか難しい
Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない
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星新一がアメリカの一コマ漫画を蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入
権利関係の問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ
もっと挿絵を見たいから挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは
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やっとひとつ見つけた
ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画が1868年?1869年?に描かれた、ってところか
翼があり、ヘイローもしっかり完備
しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議だ
なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するときに天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない
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トムとジェリー以前のオールドカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体を全然見つけることができていない
ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった
オールドカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画の文脈だと思うんだけどな……
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『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ
絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ
18~19世紀の文学作品で天国を描写しているものを探すべきだな
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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説がアメリカで1868年に刊行されめちゃくちゃ売れたらしい
当時の人々の天国観に影響ありそうに見える
In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.
カルヴァン主義の伝統とは対照的に、フェルプス版天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである。
とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳)
うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする
『マーク・トウェインの天国建設の旅』という論文の序文あたりに19世紀半ば以降に天国ものの小説が流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする
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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイローは写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい
なので宗教美術において死者(例えば聖人、殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンのヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか
一度断絶しているのでは?という疑問を持っている
ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画やカートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている
あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな
19世紀のアメリカで人々が見ることが出来た美術や絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……
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自分が確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法』
オールドカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないからもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)
幽霊は沢山出てくるんだけどねえ
『ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいかも
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キリスト教の教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)
→19世紀半ばにスピリチュアルな小説が流行り、人々の天国観を変えた
→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった
→たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞の挿絵、風刺画、漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった
→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画、カートゥーンアニメでビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくまで天使など聖なる魂的な存在(専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧な表現)と同じ装い)
→日本でキリスト教の文脈が無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号的表現となる
……という流れだという仮説を立てることが出来た
うーん、自信ない
「18世紀以前に普通の死者も天に召されるときは天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない
印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ
探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的で教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)
また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない
しかし、とりあえず一定のレベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ
対してオタク文化にもインターネットにも社会にも詳しくないただの頭悪いガキだから変なとこあったら指摘してくれ。
私の説明
中学の時に受けたいじめから男性が苦手。高校から女子校に入り、男がいないだけでこんなにも学校生活楽しいんだ!となり、余計に男性嫌いをこじらせる。
NL、BLも中学生の時に通ってはいるが深入りしてないので最近話題になってる女オタクの文化に対しては、怖って普通になってる。あんな狂人が普通にいるのやばすぎるだろ。
最近は百合ばっかり見てる。自分の性的嗜好は自分でもよくわかってない。
私が持っているTwitterアカウントは最初に作った雑多にフォローしているなんでも垢、自分の趣味全開の絵師やVチューバをフォローするオタク垢、三つ目は主に同年代の女の子とつながっている愚痴垢だ。
なんでも垢とオタク垢のおすすめには所謂アンフェミと呼ばれる思想が多く流れて来る。愚痴垢には所謂ツイフェミと呼ばれる思想が多く流れて来る。アカウントを切り替えるだけでそこには別世界が広がっている。そして、私はそのどちらの思想にも共感してしまう。どっちの意見も理解できてしまう。Twitterを見ているだけで板挟みになっている感覚になって苦しい。どちらか一方を責められたらどんだけ楽なんだろうと思う。
でも私は現実の男性が嫌いだし、その正反対の存在である二次元の女の子が大好きだ。性犯罪が話題になると男なんて全員いなくなればいいのにって思うし、胸が大きかろうが小さかろうが、女の子だったら好きだ。
日々過激になっていくように感じるツイフェミにはついていけないし(最近話題になったバス会社の件に関しては正直理解できなかった)、だからってそれに反論しているアンフェミが言ってることもきしょいし、的外れなリプライとか見るとなんでこんなバカなこと平気で言えるんだろって思う。生理とかの話題に関しては圧倒的に男性の知識不足だと思うし、これは男性に対して生理などの知識を教えなかった日本の教育のせいだと思う。でも女性の二次元のイラスト叩きに関しては度を越えてると思うし、これはどっちにも言えることだけど何かをたたくのってそんなに楽しい事なのって思う。たまに話題になるスカートを地面におろしてトイレをするみたいな女性の理解が足りてないおもしろイラストに関しては私もおもろって思うけど、だからってその無知をたたこうとは思わない。そういう明らかに違和感のある女性描写の指摘に対して必死に的外れなリプライを飛ばしている男もバカだな哀れだなって思うし、それを晒して笑う女も自分も笑ってるから人のこと言えないけど性格悪いなって思う。
とにかくインターネットには無意味な争いが多すぎる。バカのことは無視すればいいのにバカが多すぎるからバカに賛同する奴らが多すぎる。
そんな醜い争いしてないでみんな自分の好きなものについて発信しようよ。まあその自分の好きなものが誰かの地雷になっちゃう世界だからどうしようもないけど。
どっちの意見も理解できる私的には、女性はもっと寛容になるべきだし見たくないものは見なければいい。不快なものからは目をそらせ。もちろん女性の権利関係とか実際になにかあってそれに対して声を上げるみたいな本来のフェミニズム思想的な発言は積極的にするべきだと私も思う。私もゲームの攻略とか調べてたら出てくるエロ漫画の広告とかは不快だし、そういう物の住み分けをするのは大切なことだと思う。でも地方のバス会社のキャラクターなんてあんな騒ぎにならなければほとんどの人が見ることがないまま消えていったはずなのに、腰の角度が変わろうがほとんどの人に影響がないものをたたくのはおかしいと思う。
私も今勢いだけで書いてるからそんな奴が指摘すんなって話だけど男性は自分の知識が本当に正しいものなのかツイートする前にggrks。的外れなリプライしたところで「お前のいいね欄女体ばっかじゃんw」って言われるだけぞ。自分がどれだけ気持ち悪いのかを自覚しろ。そして住み分けをしろ。政治的主張をするアカウントと推し活するアカウントを分けろ。アニメアイコンで突っかかんな。お前の推しに悪い印象持たれるし、マジで損しかないからな。
勢いだけで書いちゃったけど私は今のインターネットのツイフェミvsアンフェミって構図が嫌いだからお願いだからそんなくそどうでもいいことで争わないでくれって思ってます。なぜなら女が好きで男が嫌いな女の居場所がないので。あと私は極端な思想は悪だとおもってるからなんかせめてもうちょっとお互いマイルドになってくれないかな~って思ってます。駄文ごめんね。
https://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5
種明かしをすればこの「キャラにイタコのように乗り移り、自分はあくまでキャラの代弁者や庇護者として作者への不満や批判を述べる」という語り方は、極めて文化的な所作・女性オタクの奇習なんですよね。
ということで思考実験として試しにやってみる。題材は自分でも知ってるメジャーなタイトルの、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」のキャラクター達で。
・ソニック
Heyguys!こんな掃き溜めで何してるんだい?
オレとエミーは付き合わないぜ?あいにく走るのに忙しいんでね!
気色悪いからやめろよなぁ…
・テイルス
どうして女の子のカッコウをさせるの?ちょっと頭がおかしいんじゃないかなぁ……
・シャドウ
頼むからやめてくれないか、キミがマリアに似てるとかいうくだらないジョークは。
えええい!!ワシを便利屋代わりに使うな!
どうせ見るならいっそのこと、一人で世界征服する夢でも見ておれぇい!!
なんだか昔を思い出してきて気分が悪くなってきた……
それじゃ気分も悪いし終わろうか。
これじゃあ憑依じゃなくてただのなりきりだね、うん。ムダな時間だった。
俺の論点ブレブレの感想文につき合わせて悪いが、一部誤解している部分もいくつか見受けられたので補足
まず前提として、「生成AIによるイラストを許容しないのに二次創作を許容することはダブルスタンダードだ」という話なのだけれど、私が二次創作に文字数使いすぎてしまい、誤解させてしまった。申し訳ない。
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繰り返しになって申し訳ない。AIイラスト批判者が二次創作を許容するのはダブスタだよね」ということ核においていたけど、これは二次創作周りに文字使いすぎた俺の完璧落ち度。
とはいえ、「二次創作への嫌儲」という文脈の読み解き方をばかりしすぎていて、俺の想定した読み取り方をしていない部分が多かったので、覚えて帰って欲しい。
あと、ガイドライン云々はyoster運営のソシャゲみたいに、二次創作をガイドライン上で許容してる作品を除きたかっただけね。
とはいえ、序論部分にその話は書いてあったはずなのに、それを無視して論を組み立ててしまえるような人が考える「俺の厳密な気持ち」なんてアホくさいと思うよ?
ごめん、意地悪言いすぎたね。次に行こう。
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ここは明確なツッコミポイントだね。実はアメコミとかは著作者はDCコミックスみたいな法人格が持ち主で、ライターが独立して描いてるわけじゃないから、日本みたいに作者が独立してるパターンと比較にはならないよ。
アメコミライターは作家かどうかはともかく、法的な著作者じゃないから今回の話の引き合いに出すのは間違いだね。
(エッチな二次創作は文脈や関係性などのフリーライドで、作家性がなくリスペクトもないといった意見に)
それはもう凄く頭が古いというか、才能が無いよね。
作家としても読者としても。
同じキャラにセックスさせるんでも出来なんてまるっきり変わる。
極端に言えば作者より良いセックスを描ける二次創作者だってきっといる。
失礼な話だけど例えば、
俺はヒロアカって原作あんま好きじゃないけど二次創作は結構好きなんだよな。
作者はざっくりしたキャラデザとかガワを作るのは上手いけど
会話の機微とかリアリティある青春描写とか全く才能ないからさ。
あのキャラの学生生活を見たいと思ったら二次創作の方がいいわけ。
俺はヒロアカ二次創作者のうち俺の好みで技量も高い人のことを創作者だと認めざるを得ないんだわ。
こういうことを理解できないのだとすれば
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ここが特に感情的で困った。「二次創作は一次創作のフリーライドだ」という意見に対して「私が創作者だと感じるから創作者だ。そう感じないのは貴方の落ち度だ」という意見はさすがに反論以前じゃない…?
別に貴方が創作者と考えるか否かは私の意見になんら寄与しないよ…?
まあ、明らかに「俺個人に言い返すこと」を目的としておいて「感想文」という逃げ道をつくっておいたり、
後半の「二次創作は一次創作のフリーライド」という論点は全部俺に対する人格攻撃でやり過ごしてたり、
そもそも生成AIから始まった話なのにそこを一切考慮しないで反論するのに含むところはあるけど、概ね俺の書き方が下手くそだった故の被害者なので、あんまこの人のこと責めないであげてくださいね。
なんかもう話が荒れ狂っちゃったけどさ
俺も別に巨乳好きじゃないけど世間に巨乳やめさせたいなんて思わないから真面目に理解できない
興味ないだけだし嫌だとか思わないしまして滅ぼそうなんて全く思わないんだけどな
女性が男性向けの漫画雑誌読んで女性のグラビアがあるからキレるってかなり無茶苦茶じゃない?
俺が女性雑誌読むのが好きな男でも(一時期読んでた)「なんだよこの男性アイドル特集!俺興味ないんだけど!」ってキレるのはあかんやん
まして女性の性欲が導いた女性向けコンテンツに「こんな男の描写は不快~~~!!!」なんて風にキレようと思わないし
どうしてそんなことしたいのか真面目にわからない
男性向けラブコメで、男性キャラクターを意図的にダサキモく描く理由について、興味深い疑問ですね。ヘイト感情ではなく、真面目に考えてみましょう。
1. ヒロインの魅力を引き立てるため:少女漫画や女性向け漫画では、ヒロインをより可愛く見せるために、周囲の男性キャラクターをダサく描くことがあります。人間は相対的に魅力を認識するため、ヒロインを際立たせるための強力な手法と言えるでしょう。
2. 共感を得るため:男性向けラブコメでは、読者が主人公に共感することが重要です。ダサキモく描かれた男性キャラクターは、読者との共感を生み出すためのテクニックとして利用されている可能性があります。また、相手のレベルに詰める過程をネタにすることで笑いを引き出すこともあります。
3. 読者の期待に応えるため:一部の読者は、主人公が外見的にキモくないと楽しく読めないと感じるかもしれません。しかし、このキモい描写が読者全体にどれだけ影響を与えているかは不明です。中学生や高校生の漫画を読む際、主人公と自分の身の上を区別することは普通ですが、世の中の人々はさまざまです。
1. 男性向けラブコメで男性キャラをダサキモく描く理由は、ヒロインの魅力を引き立てるためや共感を得るために利用されている可能性があります。