はてなキーワード: 進学校とは
みんな寝足りてないんだと思うんだ。
http://gigazine.net/news/20141010-jawbone-city-data/
高校の時、英会話の授業で「ホリデーにやりたいことを話してみましょう」というレッスンがあった。
そしたらさ、解答がクラスほぼ全員一緒だったんだよ。
「寝たい」「とにかく寝たい」
進学校で、体力ないのに1時間以上かけて通いながらも予復習はかかさないような、勤勉な子の多い女子校だった。
その先生はこう言った。
「死んだらずっと寝続けることになるのよ。生きてる間に『寝たい』なんてクレイジーだわ」
正直びっくりした。
休みがあったら惰眠をむさぼる、それが至高。
自分も、おそらく周りもそう思っていたし、疑ったこともなかった。
休日に勉強でも睡眠でもない、好きなことをする人生もアリなのか…!(゚д゚)という衝撃と
そうは言っても常に眠いんだよー!今も!(´Д`)という現実がないまぜになって
グルグル頭を駆け巡ったことを今でも覚えている。
閑話休題。
休日、好きなコトができるくらい、日々寝ておこう。
誰かに頼らずとも少しはすっきり起きられるようになるかもよ。
日々の生活に活力が出てくれば、人付き合いの範囲も広がって、そのうち
毎朝美少女とごにょごにょ…?もかわいい嫁として実現するかもしれないしさ。
今朝は完徹で出社して、昼休みにこれを書いているのはまた別の話。
睡眠不足で体力が落ちると寝ることさえままならなくなるよ。
google検索で「東大 湘南」と入力して検索結果に気になるもの(http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n335731)があったので、はてなに私の考えを残そうと思います。
ー>同意。
「トップ校」として湘南高校に入学を検討している保護者及び受験生は、偏差値だけでなく、最大の行事の体育祭を見に行きましたか?
もしNOならば、見に行ってください。考えてもらいたいのは、
・一年掛けて自分の子供が、自身が高2の夏から高3の夏まで期間この体育祭の準備に専心するということ。本当に自分事として見ていますか?
・あなたの考えている高校生活とこの事実は擦り合っていますか?
湘南高校の場合、体育祭の規模は日本一の体育祭と吹聴するほど大きいです。
このため、この体育祭の準備に時間的コストが"日本一"割かれるという形で湘南生に降りかかります。
是非、体育祭を見に行ってその事実にリアリティを感じ取ってください。良くも悪くもそのリスクとリターンの程度を受容してから志願しましょう。
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よくみると数があっていないと思います。
早稲田6個慶應6個うけて、全部合格とかあってそれが足されているのです。
オタクとかインキャラとか呼ばれる、スクールカーストの下の人だけです。
明るく元気でクラスの人気者タイプの生徒はかなり高い確率で三流大学になります。
ー>だいたいこんな感じ。
体育祭の準備を組織的に行うために役割分担します。確かパート決めとかいう。
こうして、クラス内ではスクールカーストに相当する上下関係が明確な名称で与えられることになります。
また、パートの選択によって体育祭の準備に捧げる時間が変わるという特徴があります。
例えば、東大に行くような生徒さんは競技パートという時間的コストがかからないパート(役職)についていることが通例となっています。
クラス内でもそうした通例は3年間の高校生活の間晒され続けているので、あのパートは陰キャラ、あのパートは脳筋、あのパートは...のように、本人の個性に先立って、パート自体の先入観が与えられています。こんな学校です。
「亜細亜大学いくよ」などと二年生が話すのをみていて
「ここ県内トップの進学校じゃないの?」と不思議に思いました。
ー>初耳。私はこうした体験はしませんでした。
湘南高校で生活してわかりました。ここはどんどんバカになる高校なのです。
なぜかというと、進学校であるにもかかわらず「勉強より部活動と行事」という
ー>4年制高校と自虐する語録が残ってるので上の考えは多数派と私も思います。
先生方のモットーが「俺たちは人間教育をやっている。だから勉強したければ
ー>そんなことなかったです。教員によって方針が異なります。熱心に取り組んでいると思います。出来る範囲で。
ただ、上記のようなフツウでない特徴がある高校であり、入学者の意識とのギャップがあまりに大きくなっています。
こうした不満をフツウな水準に押し下げることはできていないと感じています。
なんで勉強より部活動と行事か、というとこれはそういう学校だから、
としかいいようがありません。
おそらく戦前広島の海軍学校に湘南中学からかなりの生徒が進学したため、
ー>文武両道が教育目標だったと思います。負担の多すぎる行事を正当化する理由として機能してますね、確かに。
生徒全員が部活動強制のような形なのですが、体育会系と音楽系は
ー>これは人によります。湘南高校に限ったことではないと思います。
忙しいところは忙しいし、緩いところは緩い。忙しいところでも、休めばいいし、緩いところでも自主練すればいいでしょう。
部活動に関しては自由に活動できるので、引いていえば自己裁量、自己責任かと。
これはなぜかというと、湘南高校は留年がいじめで登校拒否とかに
ー>同意。
大学受験で必ず大東亜帝国には入れます。湘南高校の生徒はみんな
ということは、高校時代一回も教科書開いたことなくても全部0点でも
大東亜帝国はいけるのです。だから、先生方も、成績の悪い生徒になにもいわず、
そのまま進級させます。
ー>ほぼ同意。必ず入れるとか...
とれないというのは、かっこ悪いですから、レギュラーをとることに
ー>こういう人って中学校の頃にどういう姿勢で部活に取り組んでたんでしょうかね?
高校二年生の夏休み明けには、理数系の授業はクラスの半分がついていけなく
なっています。
ー>ついていけてないというのは思い込み。ただ、3年の文理分けの比率は1:1でクラスの半分近くは理数系の授業を必要としていない。
だから、二年の夏休み明けに生徒は文系理系の選択をしているから文系と決めた人は理数系の授業に”ついていかなくなる”のかもしれません。
このことから、湘南高校は生徒の文理選択の意識と受験科目の決定の胸算用がいかほどかを調べてみてもらいたいですね。
ガリ勉タイプや容姿に恵まれない女は後ろで絵を描いたり、小道具を作ったりです。
結局組織だから、体育祭でクラス内で上下関係ができちゃうんです。
ー>上述の通り
あとの35人は人気者の手下となって一年生二年生三年生の夏休みを
ー>同意。合わない人にとってはとことん合わない。ムラ社会っぽい要素が他校より強いと思う。
体育祭に参加しないとかなり高い確率で集団シカトされるので、参加しないわけには
いかないのです。教室のグループで昼休みは一人で弁当で、休み時間は誰も
口利いてくれません。
つまり、湘南ではない進学校にいけば現役で一橋大学商学部にいけた生徒が
ー>他の進学校行ってもそういう人は同じ結果になるよね
以下は略。湘南高校に限ったことではない。
とはいえ、
体育祭に関わりの薄い生徒ほど進学実績に貢献している一方で、彼らはスクールカースト劣位を与えられる。
私は、こうした相関を他校以上に生徒が理解して行動しないと、他校以上に不満が大きくなるだろうから、より状況を説明しておいたほうが良いと思う。
そのため、生徒会なり、実行委員会なり、なんでもいいから、冊子を配布するとかで理解を深めてもらうような啓蒙活動をすることを期待している。
すこしでも前に進めようと常に努力する姿勢は個別問題にかぎらず、学校へ好循環を与えるんじゃないかな。
悲しみを断ち切れ!湘南生!
会った状況を場所や状況を綿密に説明すると身バレするから、詳しくは書かない。
その日の前日に従兄弟と祖父と夕食を取ろうと父親から言われていたから、どこかで会うことはわかっていた。
そう、会社で会ったのだ。
会社の人間の誰かが従兄弟を見て、「全然違う」と言ったような気がした。
従兄弟の顔を恐る恐る見たらイケメンだった。綺麗な顔をしていた。
二重で目が大きいし、髪は綺麗なストレートだし、肌は何もしてなくても綺麗な真っ白な肌だし、鼻も綺麗に通っている。背は自分と同じくらいだけど、顔と体の比率は向こうの方が体の比率が多く占めている。つまり、顔が小さい。少し顔が大きいけど、男ならこれくらいだし、普通だ。自分は異常に顔が大きい。
女装したら可愛くなる顔だ。
自分のような酷く醜い顔ではない。
実は彼は自分のおじさん。つまり従兄弟の父と従兄弟は一緒に住んでない。昔、離婚したのだ。
彼の美しさの元となった母と一緒に美しい従兄弟は住んでいる。
彼の元の父側についた従姉妹二人は、不細工な一重で腫れぼったい顔をしている。つまり自分と同じ系統の顔なのだ。
そして二人ともマイルドヤンキーで、一人は解体工と結婚して一重の子供をポンポン生んでいる。
初めて会った従兄弟が美しい顔をしていたけど、僕はあまり嫉妬しなかった。いや、激しく嫉妬してたかもしれない。
嫉妬しなかった原因は美しい顔しているのに、自分より出来が悪い部分があるのだ。
美しい顔をしているくせして、高校受験に失敗して、滑り止めに進学し、1年間いじめられ、不登校で2年間ひきこもりになったのだ。
そして、1年大手予備校に通った挙句、頭がとてもわるいのか福祉の専門に行ったのだ。
自分の母親の遠い親戚が田舎の中高一貫の進学校の理事をやっていた。少し下駄を履かせてもらって自分はとてもいい中学高校に入学した。
持病の薬のせいで顔が滅茶苦茶になったりしてヒドいことを言われても自分は通ったし、あんまりにも球技ができなくても通ったし、勉強ができなくても通ったし、キモがられても通った。
とても同じく顔が醜いK君もひどいことをされても通った。自分の学校でいじめられる人間は全て顔がわるいものだったけど、みんな通ったし、自分はうまく回避しながら通った。
放課後に美しい顔をした、最終的に慶応にいったハルカちゃんの夕日がかかった汚れのない白くて美しい肌を見たあと、家でずっと泣いていたけど通った。
彼は自分より一歳年上なくせして、金には困っていないのに専門で、バカなのだ。
彼と祖父と自分の父とまずいテリーヌやらを食べていたときに、彼は関西に住んでいるというので、京都の話をたくさんした。
「大学のあたり〜」という言葉を乱発させた。普段は財布の奥深くに突っ込んである楽天カードみたいなゴミ学生証を一番財布の前に入れた。
無駄に財布を開いた。彼の前で。
どうでもよくなると自分は黙って肉に食らいついた。
「お前と違って、こっちは現役でとりあえず関関同立いってんだぞ」と内心ずっと思っていたし、彼の発する言葉全てに「バカだな」と軽蔑していた。
自分の方が深い話ができるし、頭もいいと思った。彼と違って醜いけど。
顔がいいのにいじめられて不登校は甘えだ。自分は容貌障害、内臓障害だぞ。それなのに生きてるんだぞ。
パンのためのオリーブ油に小さな虫が浮いていたから、従兄弟に虫入り油をパンにつけることを勧めようと思ったが、やめた。
自分の父は自分が見てきた中の福祉業界の奥深さと希望を喋りながらも、4年生大学に行くことを遠回しに遠回しに従兄弟に勧めたりしていた。
彼が男ではなく、美しい女だったら自分はどんな対応をしていたか考えた。
おそらく、勃起して、怒り狂って、トイレで泣きながら抜いて、ただただ勇気がないからそいつの顔にフォアグラを塗ったりもせず、黙って自分の口に肉を詰めていた。
彼が自分と同等、もしくはそれ以上の大学に通っていたり、女でなくてよかった。専門学校でよかった。優越感を感じることができた。
彼を擁護するようなことを言う人間はたくさんいるかもしれない。自分はバッサリと甘えといいたい。
今日、妹に禿げていると言われた。髪が後退している。父親の髪型は孫正義みたいなのだ。それほど金を持っていないけど。
容姿差別をする人間を自分は憎まない 自分だって容姿差別している。容姿を醜くしたものと、醜く産んだものと醜いものを憎むだけだ。
そこで「子育てに適しているか」というのは、言うまでもなく大きなファクターである。
しかし、本当にそうだろうか。真に子供のためを思っているだろうか。
子供のため、というのは名ばかりで、子供を育てる大人の都合しか考えられていないのではないか。
例えば移動。
車社会のデメリットは交通弱者に厳しいことだが、特に地方擁護派は、このデメリットを軽視しすぎている。
突然だが、地方の公共交通はおおむね3通りに分けられる。ざっくり言って、便数が少ないか、高いか、その両方かだ。
それでも大人は、自家用車があればいい、と割り切れる。(だから余計に公共交通が使われないのだが)
公共交通に頼れないとなると、親の顔色伺わないことには、事実上移動や買い物の自由がなくなってしまうのだ。
ちなみに、地方では最近、車を運転できない世代が買い物難民と化すという問題が起きているが、
自分たちは何十年も前から、その苦しみを知っているのだ。今になって騒いでどうする。
自然の中でのびのび育てたいとかいう、ありがちなワードも意味不明だ。
単に都会の誘惑から遠ざけて、無菌状態で育てたいというだけではないか。
いささか乱暴な話だが、都会に住居があるほど金があるなら、休日に自然公園にでも連れていくぐらいわけもなかろう。
確かに公園は多いが、禁止事項ばかり多く、事実上ゲートボール専用になっている。よくネタで言われるが本当にそうだ。
土地が安ければ、兄弟が2~3人いても、自分の部屋を持てる率が高い。なかったら最悪だが。
地方は地域トップの進学校でも、都会で言えばそこそこのレベルに過ぎないことも多いから、
運悪く教育ママの家に生まれても、都会ほどには消耗せずに済むかもしれない。
まだまだいろんな要素がありそうだが、とにかく言いたいことはひとつ。
女子高生とセックスしたいけど、いましたら犯罪になるし、やらせてくれる子もそもそもいない。
っていうか、僕は年の離れた男に簡単にやらせるような子とはあんまりしたくない。そりゃ、目の前に裸でいたら襲っちゃうけど。
生まれ変わりシステムがあるなら、死んで高校三年間をやり直したい。
今度は真面目な進学校じゃなくてそこそこの高校に進学しよう。そうすれば、勉強が頭の隅に常にある生活じゃなくて、頭の中を女の子のことだけにして青春を送れそう。
バレー部のいかにも女子高生な黒髪ロングな女の子と席が隣になって、休み時間に喋ってる内にお互い意識し出して、一学期も終わりが近づくとなんだか寂しくなって終業式の日に告白してウキウキワクワクの夏休みを送りたい。
初Hは彼女の部屋でなかなか上手くいかないけど、なんだかお互い幸福感に包まれながら抱き合ってお互いの体温を感じてたい。んで、次第にセックスの楽しさにお互い目覚めて毎日やりまくりの日を過ごすんだ。
花火大会の日は浴衣を着て屋台を楽しむけど、いざ花火が始まると茂みに隠れながら花火を見ながらの野外プレーを楽しむ。
いざ学校が始まると、花火大会の日の興奮がお互い忘れられず、空き教室とか体育館でスリルを味わいながらセックスしたい。
冬になったら抱き合って、あったかいねウフフとかしてみたい。夏服冬服スク水ユニフォームそれぞれで着衣プレーも忘れてはいけない。着衣プレーで使って少し汚れた制服を彼女に着せて一日過ごさせたい。
新学年になったら、彼女のことを好きな後輩が告白するけど、当然我が彼女は僕を選んで、二人で後輩のことを嘲笑いながらセックスしたい。
清楚でクラスのマドンナだけど、自分の前では淫乱痴女の彼女を思い浮かべながらのオナニーも乙なものだろう。
卒業したらお互い別の大学に進み疎遠になって自然消滅するけど、久しぶりに彼女と会って、彼氏のセックスの愚痴を聞く内にラブホテルに行く流れになり、彼女にやっぱり増田君じゃなきゃダメっっっとか言わせたい。なんやかんやでよりは戻さず、彼女は大学時代の彼氏と結婚することになり、結婚式にこっそり潜り込み高校時代の彼女のハメ撮りを見ながら感傷に浸りたい。
書いてて辛くなってきた。どうせこれから好きな人と出会っても、高校時代にセックスしてた人なら諦めて普通に死ぬと思う。
高校時代にセックス出来たかどうかの差は大きい。その後の人生でどんなことをしたって取り返せない。
童貞で成人した自分に耐え切れず、出会い系で汗臭いヤンキー風アラサーに3万ぼったくられて童貞卒業する引きこもりの現実なんてないんや……。
ああ死にたい。
いまではもう、8年ほど前の話になるが
教師の評価はどれだけ生徒をいい大学に受からせるか、だけだった。
いまなら、そんなこと普通に考えられるけれど
その当時はそんなこと考えたこともなかった。
クラスの中でも私の成績はいつも後ろから何番目かって感じだった。
要領もよくないし、バカだった。
成績のいい生徒は愛されていた。
私は、高校3年のとき、最後の一年だけ勉強を一生懸命頑張った。
そしたら先生の態度が変わった。よく目にかけてもらえるようになった。
そのあとなんだかんだ大学に入り、なんとなく教師になることを目指した。
それで教師になるための色々な授業を受けた。
その中でも心理学の授業がいまでも忘れられない。
その授業では「生徒は教師にかけられた期待次第で成長が変化する」ということが数値的に表した実験結果を見せてくれた。
しかも、教師は意識的ではなく無意識に生徒に対する期待値を変えてしまっているという内容だった。
当たり前の内容かもしれないが、恐ろしくなった。
もし、私のような、先生にあまり目にかけてもらえなかった生徒を私自身が教師になることで、また生み出してしまったらどうしよう、と。
私の高校では、勉強しかしなかったから勉強でしか評価できるものがなかった。
そのあと母校の教育実習に行ったけれど、職員室は生徒の「点数」の話しかしていなかった。
私は教師になることをやめた。
もし、母校の後輩がこれを見て、自分の高校かもと思ってくれたのなら、伝えたいことがある。
先生のいうことはすべてではないし、自分のしたいようにしたほうがいい。
あと、高校以外の色々なコミュニティに参加することをお勧めしたい。
帰省したらテーブルの上に広げてあった父の給与明細を見てしまった
6月は18万だったらしい
これが父にとって高いのか低いのか判らない
父は土木作業員の監督だから安定して18万なわけじゃないだろう
自分が子どものころから雨の日は休みだったし、忙しいときとそうでないときで帰宅時刻が全然違った
うちの家庭は自分を含めて子どもは3人で、地方住まいの自営業者の父、パートの母、大正生まれの祖父の6人だった
自分が幼少の頃、バブル時代は毎週出前の寿司を食べていたし、言えばなんでも買ってもらえたし、田舎だからと言うのもあるが、車が6台だか7台あった
金があったんだろう
昭和59年生まれの俺にとってのバブル時代なんてほとんど記憶にないけど、寿司と車とファミコンソフトに溢れていたのは覚えている
でも、子どもたちが中学生になるころには「お前たちがいくら頭が良くなったとしても、大学には上げてやれない」とか「高校に入ってしまえば勉強なんて一切しなくていい」と言われ続けていた
俺はバカな子どもで、中学の成績は中の上程度だったし勉強よりもゲームやテレビが好きなやつだったから、言われたとおり、高校に入ったあとは勉強しなかったし、そのあと進学もしなかった
変に中学時代は中の上程度の成績を保てたもんだったから、行った高校は半端な進学校で、周囲はみんな勉強していた
だから勉強なんて一切しなかった俺の成績は、下から片手で数えられた
自分はフラフラとバイトを変えたりしたあと、現在は事務系の会社員(非正規)で、弟は地元に残って土木作業員だ
妹は当時流行していた美容師になりたがったが、希望の学校の学費が払えないと言われるなり、高校卒業後は半ば家出のように東京へ飛び出して行き、キャバ嬢を経たあとは働きもせず男の家に引きこもっている
進学はするなと言われていたしね
あーそりゃあそうだ
子どもが三人もいて、月収18万の父とパートの母と家でボーっとしているだけの祖父しか大人がいない家庭じゃ大学なんか行かせられないよな
母は仕事と買い物以外ではずっと家にこもっていて、テレビにも本にも興味がない、無趣味の人間だ
そりゃそうさ、うちにはそんな金がなかったんだ
母はよく「税金だけはちゃんと払え。絶対借金はするな」と言っていたのできっとうちに負債はないんだろうけど、決して余裕のある生活ではなかったんだなあ
今思えば貧乏の片鱗はたくさんあったのに、よくここまで子どもたちに隠し通したと思う
実際、明日の食べるものや着るものがないとか親父がパチンカスの浮気性とかそういうテンプレが通るような深刻な貧乏ではなかったし、両親も家族も仲はいい
おかげで、成人してひとりになるまで自分が勉強不足で世間知らずのバカだったなんて気づかなかった
妹はもう三十路近いのに、今でもフェイスブックに「ぱぱとままみたいなあったか~い家庭があこがれ♪」なんて書いているけど、会うと酒焼けしただみ声をしている
・ゆとり前夜だったが0限授業、7限授業当たり前
・夏休みは7月一杯補習という名の通常授業(英数だったかな?)
・もちろん課題の量も半端無く、その上部活動への加入も推奨してくる
・浪人したら骨は拾ってやる
・(補習科という予備校が併設されている。19歳だけど制服で登校だ)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150803/k10010176121000.html
これは非常に興味深い。
特にこの部分
『「アメリカが原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、
「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%でした。
一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、
広島では、ごく僅かですが、数字の上では「やむを得なかった」と答えた人が、「許せない」と答えた人を上回りました。』
小学生まで広島にいて、中学生から関西の進学校に通った個人的な経験から思うことを書いてみる。
(僕の小学校だけではなく広島がそんな感じだった、のを前提とする。経験からおそらく正しい)
まず、中学生の時に驚いたのは、同級生が原爆が落ちた日を知らなかったことだ。
もちろん全く知らないわけじゃなかったが、知ってる人でも、笑いながらあれ広島9日だったっけ?
というようなレベルだった。
広島の公立の小学校では、ほとんど全員知っていたし、知らなかったとしてもそれが何か恥ずかしいことである、という雰囲気があった。
それが、知的レベルが相当高いはずの進学校でこんな感じなのか、というのは、良い悪いではなく、単純に驚いた。
広島で原爆が落ちた日、というのを他のことで例えるなら、たとえば、阪神大震災が起こった日、東日本大震災が起こった日。
それが近いと思う。その地方にいた人はおそらく起こった時間まで覚えているだろう。
それと同じ。広島では小学生でも、原爆が落ちた時間まで覚えている。
広島では小学生はどんな感じだったかといえば、ことあるごとに原爆の話を聞くし、戦争についての話も聞くことが多い。
それは、反戦教育、という言い方になるのかもしれないが、小学生からしたら客観視はできないし当たり前のことのようにその中で育った。
中でも、僕の小学校では、僕が3年生の時から「平和集会」というイベントが1年に1回開催された。
それまでは学年ごちゃ混ぜの運動会みたいなものが開催されていたのだが。
平和集会というのは、各クラスで、平和に関するプレゼンをしあうものだ。歌や劇や朗読や方法は自由。
その結果、僕はどうなったか。
ほんとうにうんざりした。
それは小学校6年生の作文に書いてあったのをこの前見つけた。(写真で出しても良いぐらいだ)
何年も続けてやってたら、同じ話ばかりだしプレゼン作るのもうんざりする。
おそらくこれは僕だけではなかったと思う。
一つの例として、小学校6年生の時に、湾岸戦争が始まったのだが、その時クラスの男子何人かは「やったー」と叫んでいた。
僕は叫ばなかった。そして、女子はもちろんたしなめたが。
それは単純に幼さとも言えるが、その背景に平和教育への反発があった気がしてならない。
やりすぎは良くないのではないか、と思っていた。
原爆に関しても、そんな感じだった。
原爆原爆うるさいよ、と。そんなに言ったって、落とされる方にも問題はあっただろ、と。
そんな気持ちになっていた。
で、このアンケートの結果。
もしかしたら、そういうことなんじゃないか、という気がしてしまうのだ。
原爆落とされた日はもちろんおぼえているけど、だからって今でも許せないとは言い切れない。そんな空気を感じてしまう。
一応、これでは終わらない。終われない(笑)
中学生ぐらいまでは、そんな風に、今言われているのとは違う意味での「自虐史観」のようなものを持っていた。
僕が大学に入った頃、98年ぐらいから右傾化ブームが訪れる。きっかけはおそらく小林よしのりの「戦争論」だろう。
僕もなんとなく読んだし、そんな雰囲気が自分にも周りにもあった気がする。京都大学でも。
そうすると、だんだん核武装論みたいなことをいう人も出てきて、口に出してもおかしくない雰囲気が出来てきた。
それはおそらく今にまで続いているだろう。
たとえば、石原慎太郎なんかが言ったりする。
ところがだ。
核武装については完全に反対だ。
よく言われるのは、持っても誰も使えないんだから大丈夫、国際的な地位を高めるためだけだ、という理屈。
でもそれは明らかにおかしい。本当に使えないなら初めから核の脅威などない。本当に使えないなら持つ意味もない。
で、持ったとして、もしも打たれたら打ち返すのか。ちょっと待ってくれ、と思う。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文がある。
時に右寄りの人から、これは我々は被害者であり自虐史観だ、という意見を聞くことがある。
それは違うと思う。
原爆というのは、誰がやったとか、誰が被害者だとか、そういうレベルの話ではないのだ。もう絶対的な破滅的な悲劇なのであって、その点において人類全員の罪なのだ。
そういう発想なのだと思う。って今調べたら、広島市のホームページにもそう書いてあった。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1137568968454/index.html
ということは、だ。これは、仮にもう一度原爆を落とされたとしても、自分たちが打ち返す、なんてことはありえない、という意味であるはずだ。
誰が落とすとかではなく、もう一度原爆が落ちる、ということ自体を否定する、そういう気持ちを表しているはずだ。
なんなら、どこかの国がどうしてもどこかに落とすというのなら、それならもう一度ここに落としてくれ、と。そんな気持ちにすらなる。
もう一度、原爆が落とされるような世界なら、もうここにはいたくない。そんな気持ちにもなる。
で、ここが重要なところ。
僕がこんなことを思えるのは、おそらく、本当にうんざりするほど、勢い余って落とされても仕方なかったんじゃないか、と思ってしまうほどに、
原爆について、その悲惨、ありえなさ、どうしようもなさ、を叩き込まれたからではなかろうか。
体験こそもちろんしてはいないが、理屈ではなく、肌感覚としてそれを学んだからではなかろうか、と。
そんな気がするのである。
実は僕は自衛隊を持つことには一概に反対はしない。だが、核武装は絶対反対だ。
これを説明するには、たぶん刷り込まれた肌感覚としか言いようがない気がする。
ということで、この理論を裏付けるための一つの予言をしてみよう。
おそらくかなりの数、下回ると思う。
母に褒められた記憶が無い。あるのかもしれないけど思い出せない。
手伝いでこっそり洗濯物を干してもやり方がなってないと逆に注意されたり。
自由研究で銀賞をとっても金賞じゃないと意味が無いと言われたり。
優秀な姉が一人いたお陰で様々なハードルが上がりまくっていたせいである。(姉は手伝いも上手だしいろんな賞もらっていたし高校ももっと優秀な進学校に行った)
当時私はその事に気づいておらず、むしろああ、私はダメなやつだなぁとか思ってた。
別に母は私の事を嫌っているとかではなくむしろ愛情はあったと思う。
これについて母は「こないだ排水口に落とした車の鍵を棒を使ってなんとか拾えたからそれが縁起が良かったからきっとそのおかげでまぐれで合格したんだ」と嬉しそうに笑っていて私のことを褒めたりはしなかった。
その時も私はまぁ確かにまぐれで合格したんやな、と思っていた。
そのころも私は自分がだめなやつだと思っていたのだけど夫は私のことをいろんな分野でたくさん褒めてくれた。
大学に合格した時の話をしたら「ここの大学はまぐれで合格できる程甘くない、それは君が頑張って実力があったから合格したんだよ」と言っていた。
そんな夫と付き合っていると「あれ?ひょっとして私は頑張っていたのか?自分はダメなやつだと思っていたけれどそんなことないのか?」と思えるようになってどんどん自分が好きになった。
自分を好きになるとますます夫のことが好きになった。そしてめでたく結婚。
そんな私ももうじき母になる。
今一番恐ろしいのは同じ事を私がしてしまうのではないかということ。
皆はどうやってこの呪縛を解いているのだろう?
公立の小中に通ったけど、その頃は自分が普通じゃないとは思わないし
勉強ができる方っていっても、運動神経がいい人がみんなオリンピック選手になるわけじゃないし
ちょっと人よりできるだけって感覚で、それがそんなにすごいことという感覚はない。
高校で進学校に行く頃からすっかり自分は普通の人だという感覚に慣れて、
ちょっと頑張って東大入れたけど、運がよかったくらいに思ってた。
東大入ると、同じ国で同じような教育を受けたとは到底信じられないような天才がゴロゴロいて。
でも、高校の頃は偏差値のいい大学に無理していく意味が見いだせなかったけど
偏差値の高い人間と数多く出会えることには意外と意味があると気付いた。
今後は、いま「話ができない」と思ってる人たちが考えていることを汲み取っったり、引き出したりする努力をすればもっと世界は広がると思うけど。
http://anond.hatelabo.jp/20150704181823#tb
を読んで自分のかつての廃人っぷりがよみがえってきたので書く。
県内で1番の進学校にいたものの、いまだに続いて驚きの某MMOにどハマりする。
総合レベルランキングに回復役のプリーストながら50位以内に入る。
無謀にも難関大学志望だったので、当然落ちる。
落ちた際に、装備をリスクのある強化を繰り返し、壊して、
【大学時代 前期:】
自分で言うのもなんだが、遊戯王でかなり強くなり世界大会で優勝した。
コナミの本社にも呼ばれて表彰される予定だったが、ジャンプに掲載される
可能性があるとのことで、大学デビューを果たしていた自分はゲームおたく
属性を隠すために断った。
世界大会は決勝戦で、相手が将棋で言う投了をした前代未聞の事件が起きたので
やってた人は知ってると思う。
遊戯王は、家のPCが新バージョンに対応できなくなったため辞めた。
【大学時代 後期:】
MMOをやりこんだため、ちまちまとレベル上げをするゲームが好きだったのだが、
FPSに手を出す。
暇な学部だったこともあり、1日平均4時間、夏休み1ヶ月1度も家に出ないまま
プレイし続けることもあった。(実家暮らしだったため衣食住には困らなかった
この劣悪なご時勢,進学校にも入らず田舎から地方予備校を通して独力で東大文1に合格し,法学部を卒業するという努力を貫徹し,社会悪を抹殺した上,現在では純粋数学まで研究しているとか,日本人として素晴らしいとしか言いようがなく,死刑になるはずもなければ結婚できないはずもない。こんなの本物に決まっているからな。
性欲が湧いた異性と即性交したり,悪の道に入っていく圧倒的多数のゴキブリに対して,やることなすこと本物だし,特別な存在に決まっている。
回数はこの人より少ないんだけどさ、
年下の痴漢にあったことがあるんだよね。
もう15年も前の話しだけど。
15年前の梅雨のある日、京浜東北線で西川口→赤羽まで乗ってる時に、
見た目とかさ、小学生が詰め襟着てるようにしか見えないんだよね。
真新しい制服、真新しいロゴ入りの指定バッグ、しかも超進学校のバッジつけて。
将来とかとても期待されてるだろうに、
やっていることのリスクも理解できるくらいとても賢いのだろうに、
なんでこんなことしちゃうんだろう。
なんかとてもショックだった。何も出来なかった。
学校の最寄り駅についたら、どんよりした空から大粒の雨が降り注いでいて
暗い顔を傘で隠せてよかったと思ったのを覚えてる。
あの時のことなんて、すっかり忘れてるんだろう。なかったことになってるだろう。
実際、ちょっと触られただけで大したことされてないし、私も大事にしなかったし。
でも、私は15年経ってもこうして覚えてる。
雨なのに蒸し暑い日だったこと、車内のジメジメした空気まで覚えてる。
別に恨んでるわけじゃない。執念深いわけでもない。普段は忘れてるし。
多分、いじめた子はすっかり忘れても、いじめられた子は忘れないように
どんなに些細な痴漢でも、気軽な気持ちでやっただけで、した側はすっかり忘れていても、
された側は覚えてることが多い、それだけのこと。
怪我させられたわけでもないし、トラウマにもなってない。
痴漢に泣く被害者も、冤罪に怯える「加害者予備軍」もいない平和な世の中になるといい。
そんなことを思った、梅雨の晴れ間。
うちの姉の話なんだけど、女なので男の精神崩壊みたく暴れる事はないんだけど、ヒステリーの発作で回りを困らせる事がある。
姉は幼稚園の頃から、鬼子のように手のつけられない凄まじく気の強い人間だった。姉が良く暴れている(※大人になってからは暴れてません)のを妹ながらに見てた。そして私は、よく姉に苛められていた。
小学校に上がる頃には、姉が周囲の人とはかなり変わっている変人だと言うことが分かってきた。言動がめちゃくちゃで、奇行が激しく、服のセンス(格好)も変だった。
妹ながらに姉が恥ずかしかった。小学校でも姉は周囲に迷惑かけてるんだろうなと感じてた。
けれど姉は学校の成績だけは良かった。
5教科だけでなく、体育も美術も音楽も家庭科も技術も、評価は"5"だった。特に塾に行くこともなかった。
こんなに性格の難しい変人なのに(ちょっと頭がおかしい…)、学校の成績は良いんだなと、
10代を過ぎてぐらいから分かってきた。(そこだけは唯一誇らしく思っていた)
姉は、高校も県下でTOPの進学校に行き、大学もいわゆる高学歴の部類に入る大学を出た。
私は、姉と同じ高校には行きたくなかったので、(姉が恥ずかしかったから…)自分の成績を考えても1つランク下の高校を選んだ。
周囲からは、私の成績だと〇〇高(TOP進学校)に行けるよと言われもしたんだけど…。
そして社会人になって…、
私の社会人ルートも対して良くはないけど、それでも姉よりはマシだと感じている。
就職活動を失敗したのだ…。
さらにヒスが酷くなって、いつ精神崩壊して発狂するかヒヤヒヤしている…………
と書こうとしたが、
何か昔を思い出すと、対して症状が酷くなってるわけでもなく、
今も昔も何ら変わっていない…。
いや、むしろ大人になって暴れないだけマシになってるかもしれない…。
昔から、姉は壊れていた。
うん、大丈夫かもしれない。