はてなキーワード: 原爆死没者慰霊碑とは
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150803/k10010176121000.html
これは非常に興味深い。
特にこの部分
『「アメリカが原爆を投下したことについて現在、どう考えていますか」と聞いたところ、
「今でも許せない」と答えた人は、広島で43%、長崎で46%、全国で49%でした。
一方、「やむを得なかった」と答えた人は、広島で44%、長崎で41%、全国で40%で、
広島では、ごく僅かですが、数字の上では「やむを得なかった」と答えた人が、「許せない」と答えた人を上回りました。』
小学生まで広島にいて、中学生から関西の進学校に通った個人的な経験から思うことを書いてみる。
(僕の小学校だけではなく広島がそんな感じだった、のを前提とする。経験からおそらく正しい)
まず、中学生の時に驚いたのは、同級生が原爆が落ちた日を知らなかったことだ。
もちろん全く知らないわけじゃなかったが、知ってる人でも、笑いながらあれ広島9日だったっけ?
というようなレベルだった。
広島の公立の小学校では、ほとんど全員知っていたし、知らなかったとしてもそれが何か恥ずかしいことである、という雰囲気があった。
それが、知的レベルが相当高いはずの進学校でこんな感じなのか、というのは、良い悪いではなく、単純に驚いた。
広島で原爆が落ちた日、というのを他のことで例えるなら、たとえば、阪神大震災が起こった日、東日本大震災が起こった日。
それが近いと思う。その地方にいた人はおそらく起こった時間まで覚えているだろう。
それと同じ。広島では小学生でも、原爆が落ちた時間まで覚えている。
広島では小学生はどんな感じだったかといえば、ことあるごとに原爆の話を聞くし、戦争についての話も聞くことが多い。
それは、反戦教育、という言い方になるのかもしれないが、小学生からしたら客観視はできないし当たり前のことのようにその中で育った。
中でも、僕の小学校では、僕が3年生の時から「平和集会」というイベントが1年に1回開催された。
それまでは学年ごちゃ混ぜの運動会みたいなものが開催されていたのだが。
平和集会というのは、各クラスで、平和に関するプレゼンをしあうものだ。歌や劇や朗読や方法は自由。
その結果、僕はどうなったか。
ほんとうにうんざりした。
それは小学校6年生の作文に書いてあったのをこの前見つけた。(写真で出しても良いぐらいだ)
何年も続けてやってたら、同じ話ばかりだしプレゼン作るのもうんざりする。
おそらくこれは僕だけではなかったと思う。
一つの例として、小学校6年生の時に、湾岸戦争が始まったのだが、その時クラスの男子何人かは「やったー」と叫んでいた。
僕は叫ばなかった。そして、女子はもちろんたしなめたが。
それは単純に幼さとも言えるが、その背景に平和教育への反発があった気がしてならない。
やりすぎは良くないのではないか、と思っていた。
原爆に関しても、そんな感じだった。
原爆原爆うるさいよ、と。そんなに言ったって、落とされる方にも問題はあっただろ、と。
そんな気持ちになっていた。
で、このアンケートの結果。
もしかしたら、そういうことなんじゃないか、という気がしてしまうのだ。
原爆落とされた日はもちろんおぼえているけど、だからって今でも許せないとは言い切れない。そんな空気を感じてしまう。
一応、これでは終わらない。終われない(笑)
中学生ぐらいまでは、そんな風に、今言われているのとは違う意味での「自虐史観」のようなものを持っていた。
僕が大学に入った頃、98年ぐらいから右傾化ブームが訪れる。きっかけはおそらく小林よしのりの「戦争論」だろう。
僕もなんとなく読んだし、そんな雰囲気が自分にも周りにもあった気がする。京都大学でも。
そうすると、だんだん核武装論みたいなことをいう人も出てきて、口に出してもおかしくない雰囲気が出来てきた。
それはおそらく今にまで続いているだろう。
たとえば、石原慎太郎なんかが言ったりする。
ところがだ。
核武装については完全に反対だ。
よく言われるのは、持っても誰も使えないんだから大丈夫、国際的な地位を高めるためだけだ、という理屈。
でもそれは明らかにおかしい。本当に使えないなら初めから核の脅威などない。本当に使えないなら持つ意味もない。
で、持ったとして、もしも打たれたら打ち返すのか。ちょっと待ってくれ、と思う。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文がある。
時に右寄りの人から、これは我々は被害者であり自虐史観だ、という意見を聞くことがある。
それは違うと思う。
原爆というのは、誰がやったとか、誰が被害者だとか、そういうレベルの話ではないのだ。もう絶対的な破滅的な悲劇なのであって、その点において人類全員の罪なのだ。
そういう発想なのだと思う。って今調べたら、広島市のホームページにもそう書いてあった。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1137568968454/index.html
ということは、だ。これは、仮にもう一度原爆を落とされたとしても、自分たちが打ち返す、なんてことはありえない、という意味であるはずだ。
誰が落とすとかではなく、もう一度原爆が落ちる、ということ自体を否定する、そういう気持ちを表しているはずだ。
なんなら、どこかの国がどうしてもどこかに落とすというのなら、それならもう一度ここに落としてくれ、と。そんな気持ちにすらなる。
もう一度、原爆が落とされるような世界なら、もうここにはいたくない。そんな気持ちにもなる。
で、ここが重要なところ。
僕がこんなことを思えるのは、おそらく、本当にうんざりするほど、勢い余って落とされても仕方なかったんじゃないか、と思ってしまうほどに、
原爆について、その悲惨、ありえなさ、どうしようもなさ、を叩き込まれたからではなかろうか。
体験こそもちろんしてはいないが、理屈ではなく、肌感覚としてそれを学んだからではなかろうか、と。
そんな気がするのである。
実は僕は自衛隊を持つことには一概に反対はしない。だが、核武装は絶対反対だ。
これを説明するには、たぶん刷り込まれた肌感覚としか言いようがない気がする。
ということで、この理論を裏付けるための一つの予言をしてみよう。
おそらくかなりの数、下回ると思う。