はてなキーワード: 蜘蛛の巣とは
俺の兄弟がちょうど大学卒業時にリーマンショック直撃世代だったんだが、人生の敗戦処理状態を覚悟で就職して結果的に嫁さん含めて最高に幸せな状態になったと思うケースモデルがあるが、これくらいやってやっと不安定さもない結婚生活ってなるモデルとして考えて欲しい
大学を卒業して、よりにもよって入ったのが自殺率が底辺ブラック企業を超える断トツトップのJ隊、しかも赴任直後に東日本大震災に直撃遭遇
俺たちの親父は会社を倒産させて自己破産、俺は当時大学生で、退学の危機にまで陥ったが、何とか大学を卒業できたがその事後処理でマトモな就職活動が出来なかった。
兄弟も兄弟で、親父の借金の一部を肩代わりし、上官にも金を借りなければいけないくらいに疲弊して、一時はクビ覚悟でこっそり夜のバイトでもしようかなと相談を受けていたほど困窮しているようだった。
しかし周りの人間にも恵まれ、公務員として居場所を作り軌道に乗って、ようやく大学卒業をして9年後、20歳の女子大生(実家は自営業)と結婚できた
両親や親族同士は祖母の付き合いまで仲は良好、お互いの顔合わせも和気あいあいで幸せの絶頂という感じ、親父もコネで就職ができてハッピーエンド
残された俺はかつて、とある競技で国体レベルの選手だったんだが、辞めざるを得なくなり、焦って就職した先が、非人道レベルのブラック企業
精神破壊寸前まで追い込まれて、東京へ逃亡して、一般技術者派遣で不安定ながら毎晩不安障害で嘔吐を繰り返しながらも、20代としては平均上を何とか稼げているレベル、それこそ親兄弟には言えないような汚い手段を取りまくらなくては、ロクに食っていけない訳で、すっかり磨れてしまっている
平均より稼げる方法はいくらでもあるけれども、結婚して幸せに子育てもできて将来に不安のない環境なんてものを得るには、これほどの幸運と悪運、最低でも駅弁かMARCHレベルの大卒の頭と資格と、頑健な肉体というスペックが必要というわけだ
結婚や子育てなんて簡単だろとか、舐めきったことをほざく馬鹿老害どもや、意識高い系の童貞やマ○コに蜘蛛の巣を張ったまーんたちよ
少なくともお前らのいう「簡単」とか「普通」はこれくらい運がよくて時間もかかるレベルなわけだが、今すぐにでもできるのか?
追記
そもそも景気とか卒業年次の社会とかで変わる変わらないって認識でしか見てないような底の浅い馬鹿には無理だね
恵まれてる恵まれてないにかかわらず、一定の学歴と社会人として平均上を維持しつつ、これを7~8年間積み重ねて、ついでに彼女も作ってようやく到達できるくらい難しいのを、お前らアホ共は簡単にできると、できもしねぇくせに言ってるのが滑稽って話だよ
風雑 雨布流欲乃 雨雑 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩
乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之叵夫可比 鼻毘之毘之
尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己
呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等
伎曾倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻
子等波 乞弖泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者
比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰
安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等
々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃
其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保
乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方
尓 囲居而 憂吟 可麻度柔播 火気布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能
須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提
短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻弖 来
立呼比奴 可久婆可里 須部奈伎物能可 世間乃道
世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへる がごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
一昨年、娘を産んだ。
出産後は、それはそれは大変だったけれども、大きな肩の荷物を下ろした気持ちになったことを書いておきたい。
男子からは、ランドセルを蹴られ、ツバを吐きかけられ、泣いたら「わー泣いたー」と笑って喜ばれる。そういう存在だった。先生に相談しても、「あなたのことが好きなのよ」という、何の慰めにならないようなことを言われ、何の対策もされなかった。最終的には、泣くのもバカバカしくなって、蹴られたら蹴り返すようになり、さらに「わーゴリラー」と言われるようになった。
それが中学生になり、殴る蹴るなどの暴力行為はなくなり、だんだんと「お前はブスだ」「女として見られない」という言葉のみが残った。
先生や兄にまで言われるので、私は、自分が美人やかわいいと言われる存在ではないんだな、ということを、ただ当然の事実として受け入れられていた。高校になっても同じで、私はオシャレというものを「そういうことを許される存在ではないから」と、学ぶことすら放棄した。
両親や祖父祖母が「かわいいよ」と言ってくれても、受け入れることができなかった。
女として見られたことがない私を、「女の子なんだから」と当たり前に女性として見てくれた人だった。
今思うと、言動も態度も軽い男性なのだが、私はその人のために、10キロのダイエットをし、化粧を覚え、オシャレな服を選んでくれと友人たちに頭を下げて、一緒にショッピングへ行った。
結局その恋は叶わなかったが、「自分も女性なんだ」と、ようやく思えた瞬間だった。
社会人になり、会社に就職した。自分のお金でお酒を飲むようにもなった。
「女なんだから」
「女なのに」
「女は」
初対面の取引先の人に、「もっとおっぱい大きい人に担当変えてほしい」と面と向かって言われた時は、さすがに顔をゆがめたけれど。
電車で痴漢された時に、上司に「良かったじゃないか。お前でも触ってくれる人がいて」と慰められた時。
「半年彼氏がいないの? あそこに蜘蛛の巣はっちゃうよ」と男の同僚に笑いながら言われた時。
生理休暇をとった同僚について、「そこは自己管理の問題だろ。なあ?」と怒る先輩に同意を求められた時。
私は怒ることだということすら分からず、ただ笑って「そうですねえ」と受け入れていた。
30歳を越えて、「生き遅れ」「女として終わった」と言われる現状を、笑って受け入れた。
「35歳を越えると子宮が腐る」と言われたことを、受け入れた。
婚活をはじめた時に、何度も「女は30歳まで」と言われるのを受け入れ続けた。
無意識に、「男に求められて結婚して子どもを産んで、ようやく女は一人前」という言葉に洗脳されていた。
今の夫は、学生時代からの友人だ。飲み会中に、前の彼女と別れたという報告を聞き、その場で私から口説いた。
もう周囲に何も言われなくてよくなった。
ずっとバカにされていたことを、「男の人って」「社会って」そんなものだと思い続けた。
もうちょっと言うと、「そうやって、顔をゆがめず、私は気にしない、とスルーすることが、世渡りの方法なんだ」と思っていた。
だって、そうしないと、「モテない女」という、最低な存在になってしまう。戻ってしまう。そう思っていた。
そうして、ようやく「結婚して子どもを産んだ」という事実で、一息つけて、昔の自分を振り返ることができた。
もっと怒って良かった。
バカにするなと泣いて良かった。
小学生の私は、戦っていた。
私は「ブス」ではない。大きいけど、それでバカにされるいわれはない。バカにするやつが悪い。
上司に、先輩に、同僚に、「女をバカにしてるって気付いてる?」って言いたかった。
次の女性は、そのうち娘になる。
娘が、自分の容姿や体の形で、男の人に受け入れられないと悩む人生は歩んでほしくない。
娘が、自分のことをブスだから、と、若いうちに着飾ることを恥ずかしく思う人生になってほしくない。
そのためには、声を上げ続ける。
それは、昔テレビで見た、ヒスババアと揶揄され、「かわいくない女」と言われていた、あの人やこの人のようなことなんだろう。
かわいい女になんて、なる必要はないし、そうでない女をバカにしていいルールなんて、無くなった方がいいんだ。
夫にそういったことを話したら、「そんな、『かわいい女』をパートナーに求めている男ってどれぐらいいると思っているの?」と逆に聞かれた。
驚いて、夫に私の好きなところを聞いたら、「僕を引っ張って行ってくれるところ」と答えた。
夏休みは最悪だった。
行動すれば何か変わると思ってた。人生が好転する出来事に出会えるんじゃないかと思った。漫画的なドラマチックな幸運が訪れるんじゃないかと思っていた。
ベリーハードの人生を生きているキモイ顔と肌の恋愛負け組灰色の青春無気力アトピーゾンビに転機が訪れることはなかった。
海に行った。
半袖半ズボンで行った。水着はアトピーゾンビウイルスの汚さがさらされるのでやめた。
恵まれた健常者たちが楽しそうに人生を楽しんでいた。容姿に優れた女のほうが露出が多いのが面白かった。
アトピーゾンビウイルスの汚い肌に潮風が染みて痛かった。同い年くらいの健常者男女が楽しそうに砂浜を歩いていた。
ギャル男みたいな人たちから嘲笑を受けた。二十代女たちの笑いの対象にされた。
アトピーゾンビは友達も恋人もいたことがない。海で対称的な人生を見せられた。行かなきゃよかった。
プールに行った。
友達や家族や恋人と一緒の人が多かった。アトピーゾンビは汚い容姿と肌なので服を着て徘徊した。
アトピーゾンビの人生がいかに悲惨で不幸でつまらないでごみなのか再認識できた。よかったよかtった。
一人でプールに行っても何もいいことない。ナンパできるほど容姿に優れていれば違ったのだろうが。結局容姿がすべてなんだなと思った。
あーいやなこと思い出した。アトピーゾンビウイルス治療の影響で眉毛がなくなったんだけど、それを恵まれた他人の健常者中学生が馬鹿にしてきたのだ。まゆげねーwwwwうけるwwwwゲラゲラって感じだ。まあいいや。行かなきゃよかった。いやな思いでが増えただけだった。
夏祭りに行った。
浴衣姿の女の子が沢山いた。一生こういう女の子たちと関われることはないんだろうなだってキモイアトピーゾンビだから。と思った。
カップルも多かった。一緒にたこ焼き食べてたり祭りの外で雑談してた。楽しそうだった。アトピーゾンビの人生には一生ないイベントなんだろうなと思った。
同い年くらいの男女六人組が楽しそうにしてた。見下されそうでびくびくして下を見て早足で横を通り過ぎてすぐ祭り会場の隅っこに隠れた。
アトピーゾンビの人生には起きないイベントを当たり前のようにこなしてていいなーと思った。
あのなかで片思いや両想いの人がいるんだろうな。ドキドキして楽しいんだろうな。
青春を謳歌しているな。あのグループは容姿に優れたひとばかりだから人生楽しくて仕方ないんだろうな。
アトピーゾンビも容姿に優れていたらあの輪の中に入れたんだろうな。
その思い出が生きる活力になるんだろうな。アトピーゾンビの人生つまんないな。
生まれてきたのが間違いだったな。虐待もいじめもアトピーゾンビウイルスもなければ楽しい人生だったんだろうな。
健常者のサンドバックとして生まれてきたんだろうな。日本で一番不幸なアトピーゾンビにはいつになったら楽しいイベントが起きるんだろうな。と思った。
花火を見た
糞田舎の花火を見た。糞田舎らしく、何の感動もないつまらない花火だった。
ぼーっと何も考えずに眺めていた。周りの健常者は楽しそうにしていた。
どんな花火でもまともな家族や容姿の優れた友達や恋人とみれば美しい思い出になるのだろう。
ただつまらない思い出が増えただけだった。みなきゃよかった。
ギターを買ってみた
ギター教室に行くという選択肢も脳内にあったが、キモイ肌とでかい頭と一重と腫れぼったい唇とでかい鼻と、がさついてる顔のアトピーゾンビがギター教室に行っても、「その顔でギターwww鏡見ろよ不細工wwなんか肌キモイしwww近づくなよばい菌ww」と講師や生徒に笑われるだけだろうから辞めた。
教則本についてきたDVDをみた。顔は隠れていたが、容姿が優れてそうな人がギターを弾いていた。
二週間くらい毎日練習していたが、何が楽しいのが全く分からなかったからギターを投げ捨てた。
そもそも音楽の素養がゼロで音楽に全く興味がないことに気付いた。バンドの仕組みのことも何も知らない。有名なバンドもギタリストも知らない。
容姿が優れていて虐待もいじめもなければ友達とバンドを組んで楽しい時間を過ごせていたのだろう。
友達ができたことがないから音楽の知識がない。友達と好きな音楽の話をするような時間を持ったことがないから、人生が貧困である。
ギターなんて買わなきゃよかった。金と時間をどぶに捨てた。最悪である。
ボカロ曲を作る
初音ミクでボーカロイド曲を作って愚民どもにちやほやされようと思った。適当に既存の曲を歌わせてみた。パラメーターをいじってみた。飽きた。
そもそもオリジナル曲を作れるだけの能力がなかった。曲を作る熱意もなかった。
音楽の素養がはぐくまれる恵まれた家庭環境に生まれてきたかった。
アトピーゾンビの家にはCDが一枚もない。あるのはテレビだけ。漫画も本も雑誌もない。
そんな家のアトピーゾンビであり、人生経験に乏しい灰色の青春持ち恋愛負け組不細工愛着障害のゾンビがいい曲を作れるわけないのであった。
いい曲を作るには豊富な人生経験が必要だ。アトピーゾンビにはそれがない。
ペンタブを買って絵を描いた
ペンタブと一緒に入門書を買って数週間練習した。けど、絵を描くことの何が楽しいのかわからなかった。
今まで生きてきてまともに絵を描いたことなどなかった。一緒に画力を高めあう友達がいたこともないし、イラストレーターの名前も全く知らない。絵に興味を持ったことがない。賞をもらったこともなかった。
そして、アトピーゾンビは絵を描きたいのではなく、他人からちやほやされて承認欲求を満たしたいだけだと気付いた。
ペンタブがごみになった。買わなきゃよかった。金と時間を無駄にした。最悪である。
小説を書いた
漫画を描きたかったが、絵が描けないから漫画かけないし、しかたないから文字だけで自己表現できる小説を書くことにした。
ラノベのようなご都合主義ハーレムストーリーを書いたり、鬱屈した性格がねじ曲がった少年の孤独なニヒルストーリを書いたり、異世界物を書いたりした。全部短編だ。
しかし、どんな小説を書いても現実は何も変わらないことに気付いた。文章力がないし、ストーリ構成も稚拙でつまらない。やはり才能がないのだろう。
売れれば億万長者になれるようだが、本を一冊書くだけの能力も熱量も持ち合わせていないから無理だ。
梅原のような格ゲーのプロになれば億万長者だし、人から尊敬もされるしで最高の職業だと思った。
遊びが仕事になるとか最高だなと思った。ネットで格ゲーがうまい人が集まっているゲーセンに行った。
後ろからこっそりうまい人のプレイを見ていた。アトピーゾンビでも出来るんじゃね?と思った。
所詮ゲームだし、こいつらよりアトピーゾンビのほうが若いから技術の習得も早いだろうと思った。
なんで、対人プレイはまだ早いと思いCPUと戦った。操作方法がよくわからなかったから、適当にガチャガチャやったら負けた。次に操作を覚えながら戦ったら負けた。まったく歯が立たなかった。後ろから笑い声や嘲笑が聞こえた。
まるでアトピーゾンビの人生みたいだなと思った。負けに負けて何も得られない。嫌な思い出が脳に積み込まれていくだけ。
思えば、小学生の時、友達のふりをしたいじめ加害者の家で対戦ゲームをやらされたとき、いつも負けていたのを思い出した。
お前w何にもできないんだなw笑えるwと言われたのを思い出した。
ゲームの才能が皆無だということを思い出した。そもそもゲーム自体ほとんどやってこなかったからおそらく好きじゃないのだろう。好きではないものを仕事にするのは人生の浪費だ。やーめた。時間と金の無駄だった。
ライブを見に行った
CDで聞くよりもドラムやベースが目立ってて音がでかくてかっこよかった。
ライブに出る人は容姿に優れている人が多かった。とくにボーカルは。汚い顔と肌のアトピーゾンビがライブに出たら歓声ではなく悲鳴が聞こえるだろうなと思った。
観客は健常者がほとんどだった。健常者同士で楽しそうにライブに参加していた。カップルも多かった。
グルグル回るやつとかモッシュとかやってみたいと思ったが、きもいアトピーゾンビが健常者の近くにいると気持ち悪がられるので後ろのほうで一人で遠くから見ていた。
アトピーゾンビが健常者だったらなーと思いながら指をくわえながら観客を見ていた。
タイに行った
日本より閉塞感が無くて良かった。容姿に優れた人が少なかったので気が楽だった。町の人も緩い感じというかいい意味での適当さがあって居心地がよかった。でも、一人で行っても楽しくなかった。
容姿に優れた友達や恋人と一緒に行かないと海外旅行はつまらないなと思った。
あと、タイにも美醜格差があって、容姿の優れたもののほうが楽しそうに生きていた。
健常者ランドという名の惑星地球では美醜によって幸福度が変わるということを確信した旅行だった。
秋葉原に行った
もっと萌え萌えしてる場所だと思っていたけど、思ったより電気街っぽかった。
容姿に優れた女が容姿に優れた健常者が店員の店のチラシを配っていた。容姿に優れた男がナンパをしていた。ナンパは容姿に優れたものしかできない。キモイ顔でキモイ肌の非健常者で虐待といじめを十数年受け続けた精神疾患障害アトピーゾンビにはできないことだ。死ぬまで一生。
アキバには友達や恋人と一緒の人がたくさんいていやな気持ちになった。電車男のようなイベントはなかった。
メイド喫茶に行こうとしたが、
行かなきゃよかった。
田舎に行った
田舎の夏にあこがれがあった。沢山の緑と青い空。美しい蝉の声。白いワンピースに麦わら帽をかぶった少女。
古びた駅。川遊び。虫取り。そんな美しいものを沢山思い描いて田舎に行った。
現実では、じじばばばっかりで若い人が全然いないし、白ワンピの少女はいないし、蝉の声はうるせーし、川ねーし、駅は薄汚れてて汚いし、日陰がぜんぜんないから暑いし、なんにも娯楽施設がないからつまんねーし、自販機すらまともに無いから喉が渇くし、最悪であった。
虫取りしてみれば、蚊が沢山飛んでるし、蜘蛛の巣には引っかかるし、カブトムシはいないしで最悪であった。
カラオケに行った
ヒトカラをした。友達や恋人とワイワイやったら楽しいんだろうなと思った。もう行かない。
瞑想をした
アトピーゾンビウイルスの痒みでまともに瞑想ができた気がしないが一応手順どおりにやった。
瞑想中は虐待や虐めの記憶や、一生完治することがないアトピーゾンビの醜く赤黒い顔やカサカサの気持ち悪い肌が映像として出てきたり、灰色の青春持ちであるキモイごみアトピーゾンビとは対照的な明るく楽しい学生生活の映像が出てきた。
友達がいていじめも虐待もなくて容姿が優れていて彼女がいて勉強や運動するときにアトピーゾンビウイルスに邪魔されないで楽しく取り組める人生が映像として流れてきた。
一週間ほど続けたが、ただ苦痛なだけで何がいいのかわからなかった。やらなきゃよかった。
筋トレをした
これは今でも続けている。なぜなら自殺して死体になったときに体が軽いほうが運ぶ人の負担が少なくて済むからだ。筋肉がついてなんか変わったかというと特に変わらん。まぁそんなもんだろうな。
結局どこに行っても容姿に優れた美男美女が人生を楽しんでいる姿を見せられただけだった。
結局、容姿に優れている健常者のための世界なんだなここはと思った。
やらずに後悔よりやって後悔という言葉は恵まれた健常者なんだなと思った。
非健常者であるアトピーゾンビは行動なんてしなければよかった。苦しい記憶が増えただけだった。身の程をわきまえるべきだった。分相応の生活というのをすべきだった。
恵まれた健常者学生は夏休みには二度と戻ってこない青春時間を目いっぱい楽しんでいるのだろう。
それが生きる活力になるのだろう。そして成人しても仕事もうまくいって老人になっても穏やかでいられるのだろう。
一方、非健常者であるアトピーゾンビは両親からの虐待と同級生からのいじめを数十年受け続け、何もいいことがないから人生に。だから無気力になる。灰色の青春持ちで、仕事もやる気が出ず、首になる。
そして、人生に恵まれてきた健常者が言葉の金属バットでアトピーゾンビをぼこぼこにたたく。
健常者恵まれた人は甘えだの努力が足りないだの言ってくる。健常者より努力してるっつーの。やってらんね。くだらない人生が確定してる。健常者に負ける人生が確定してる。アトピーゾンビウイルス治療の努力は報われない。評価もされない。スキルもたまらない。生きてるのがばかばかしい。
推敲しないで書きなぐったからおかしいところたくさんあると思う。まぁいいや。
何も得られるものがなかったいろいろ行動したけど。無駄な時間と金を使った。
とにかく最悪な夏休みだった。
終わり!!!
やる夫やらない夫って懐かしいよね、今じゃすっかりまとめサイトの印象持たれてる感じ
もともとどうでもいいことを言わせるようなキャラクターにはうってつけの職(?)なのかもしれない
比較的どうでもいいことを考えているとき、「やらない」を選択した後に再度「やる」「やらない」で検討することがある
これを帰納法的に考えると、「やらない」→「やらない」→「やらない」→...ってなる確率は0に近づいていく
誰が言ってたかも知らないんだけども
応用情報技術者試験を受けてきた
試験会場は神奈川の山奥、敷地から一歩踏み出せば歩道には生い茂る木、さらに張り巡らされた蜘蛛の巣、引っかかりもがく虫
昼食の調達が非常に困難であったことを除けば結構落ち着く場所だった
河原に大きな公園もあり、さらに少し行けばリハビリ病院なんかもあるらしく、納得の田舎といったところ
一応説明しておくと、応用情報技術者試験は午前と午後に分かれている
午後は1題の問題文だけで2P~5P程度を割いている超長めの文章題を必須1問と選択10問中4問、記述式回答
いずれも60%の得点で合格となるが、全体の出来が悪い場合得点の底上げがあるそうだ
私は長文を読むことがそんなに嫌いじゃないので、午後の方が得意だと感じる
既に書いている文章が長文となりつつある
午後は自分の得意な問題を選ぶことができたはずなのでおそらく6割は下らないのではないだろうか
私にとって問題となるのは語句の意味を答えるような問題ばかりの午前だ
正直どうにでもなるだろうと思っていることに対して本気になれない
実際はどうにでもなっていないことの方が多いのが余計にタチの悪い部分であるが、この性格はいつか治るだろうか、いや、治らない
この午前試験の予備校独自解答のようなものは、試験日の15時頃に公開されるようだ
つまり既に公開されており、おそらく私はそれを用いることで午前試験の採点を行うことができる
これによって、80問中48問の正解を掴み取れていればサクラサク、47問以下であればサクラチルといった結果が得られそうだ
さて、私は極端に自信のないこの午前試験の採点を「やるべきか」「やらないべきか」
といったところで、冒頭に戻ることとなる
つまりさっさと採点した方がよさそう
たのむ
http://anond.hatelabo.jp/20150410101845
エウリアンにはついて行くな
秋葉原などの繁華街で絵葉書を無料で配っているお姉さんたちがいる。
しかし、ついうっかりお姉さんから絵葉書をもらってはいけない。
言葉巧みに画廊へと連行されて、気が付くと大して価値もない絵(というか版画)を、何十万ものローンを組まされて買う羽目になる(絵画商法)。
エウリアンにも新社会人にも全く興味はないんだけど、版画への冒涜は許さん。
君が代に過剰反応する左翼のように、どんな文脈だろうと、どんな事情があろうと、版画をdisられるとプッツんしてしまう。
エウリアンの売る版画というものがどんなものか知らないけれど、これだけは言える。
生でみなければ、版画の魅力はわからない。
否、
触ってみなければ魅力はわからない!
断言するけど、江戸時代の浮世絵から最近の現代作品に至るまでの伝統木版画、これを見たことがある日本人はほとんどいない。
そんなものは、世界の車窓からのDVDをみて海外旅行に言ったと言ってるようなもの。
和紙の質感!どんなに拡大しても粒子が見えてこない無断階のグラデーション!摺りによって出来た凹凸!
まず、床や机において窓から差し込む斜めからの光のもとでみて堪能。
テレビ番組の映像や、窓から差し込む車のヘッドライトが絵の面を瞬間的に照らした瞬間も美しい。
入ってくる光の方向、光の種類によって、表情が変わる。
そして、やっぱり手に持って鑑賞だ。
パンツが見えそうで見えないグラビアを、下から覗いてみえないはずのパンツを見ようとする、アレを浮世絵でやるとすごい。
ちょっとだけ見える。見えないはずのところが本当に見えてくる。
目の錯覚でしかありえないんだけど、紙のたわみと、光の加減で、ときどき本当にみえてくる。
うわぁぁんってなる。
ぶっちゃけ、浮世絵美術館、あんな一般展示なんかやめてしまえ!!
額やショーケース越しでしか見れないなら、触れないんなら、カラーコピーで十分だろ!
額装やショーケースに入れる職員の目しか楽しませられないなんて、時間も無駄!文化財の無駄!
触らせないんなら燃やしてしまえ!
よさが微塵も伝わらないのに飾ってみせる価値が有るのか?
1億円と書かれた小切手を飾って見てるようなもんだろ。
医学とか物理学とかは、100年前と今では大きく違うけど、絵は、たいした進歩してないだろ?
ぶっちゃけ、1万5000年前のラスコーの壁画と、そのへんの美大生の絵のどっちが上手いかって言ったら、芸術とかよくわからん俺にはどっちが上かわからん。
でもね、印刷という技術を手に入れた、触れることが出来る!その素晴らしさ!
俺ね、江戸時代の浮世絵の価値は認めるよ、でもさ、浮世絵のいいところって、ライブ感なわけ。
絵師が描く、描いた絵は板に貼り付けられて、その上から刀を入れられて紙ごと彫られてゴミとなってしまう。
絵師の絵を活かすも殺すも彫師次第。
それから、色の指定があって、色の数だけまた彫りがあって、そんで摺師が摺って、試しに作ったものに対して、あーでもないこーでもないっていうディスカッションがチーム内でされたわけ。
色の調節をして、時に柄を変えて、セッションによって出来上がる。
売りだしたあとの、町の人々の評判さえも取り込んで、みんなが主役のライブだったわけ。
俺、音楽はよくわかんないけど、たとえしょぼいバンドの小さなライブハウスでのライブでも、有名フィルの録音にも負けない感動があるでしょう?
一番有名どころだと、北斎あたりだと思うけどね、もうね、ヤバいの。
元々が天才でしかも努力もしまくったらこうなるってやつ。努力ってのが普通の努力ってんじゃないの。
だいたいにおいて、他派の画法を学んで破門されたあたりからだけど、もう何でもあり。
大和絵も漢画も銅版画も油絵も、手段を選ばず学んでるようで、見りゃ誰でもわかるんだけど、もうホントヤバい。
すべて独学で。本読んで覚えたってより、ひたすら描いて描いて描きまくって吸収したという感じで。
貧乏の理由が、お金を封筒でもらったまま中身の確認もせず、支払いの時には「その封筒からもってけ」くらいに無頓着だったからという馬鹿。
掃除をすれば、「ここにあった蜘蛛の巣どこ行った?(描きたかったのに)」くらいの馬鹿。
誰よりも自信家で、本が売れたのは俺の挿絵が良かったからだ!と言って作者と喧嘩する傲慢な一方で、猫がうまく描けないっていう理由で80歳で悔し泣きをする馬鹿。
30回画号を変えるってのがもうよくわからん。たとえば漫画家が30回名前を変えてデビューするとかないだろ。売れっ子が新人に戻るってことだろ。馬鹿かと。いや馬鹿だよ。
そんな絵中心のわけのわからない生活を、88歳で死ぬまで続けちゃうってのがもうね。
例えば、水木しげるが週刊少年ジャンプで週刊連載をしてて、CG(北斎はコンパスや定規やらも使いこなしてるようで、幾何学や製図も知ってる様子。当然おそらく独学)を使いこなし、ありとあらゆるジャンルを書き分け(春画から、行ったことのない中国の古典小説の挿絵まで)、30回新人デビューとかしてたら、人間じゃないだろと。
で、そんな北斎の線ときたら線の始まりから終わりまで、この線以外じゃダメっていうカンペキ。筆の入り、筆の終わり、太さ細さ、もうすごい。線が凄いってわかるってことは、彫師が凄い。フリーハンドじゃアリエナイような精密で、コンパスや定規ではありえないような強弱があり、油絵なら何度でも塗れるだろうし鉛筆なら何度も消せるし、CGなら何度でも書き直せるけど、最小限の輪郭線で森羅万象を切り取ってる。
写真を目指してたんじゃないだろうか。
写真というものがなかったので、目指してたというのは変な話だけど、露光時間調節やピントズレに近い表現があって、写真を目指し、写真を超えたなにか他のステージに足を踏み入れようとしてた、ように思う。写真なんかなかった時代に。
で、それがわかるっていうのは、彫師がすげぇ。
摺師がすげぇ。
俺がこの数ヶ月で買い集めた70枚ほどのほとんどは復刻だけどさ、復刻もまたライブなんだよ。
摺る工程を見せてもらったわけ。
濃い絵の具を数種類用意するだけで、都度混ぜて薄めて版木に塗り、摺る。
なんということだと思わないか?同じものをたくさん作るなら、同じ濃度に調節したプレミックスを作っておくべきだろう?
絵師と彫師と摺師だけじゃないの。
版木を作る職人、紙を漉く職人、紙にドーサを塗る職人、絵の具を作る職人、バレンを作る職人、数えきれない職人たちのライブが木版画。
だから響いてくる!
で、ライブが存続するためには、絶えず誰かが買わないとダメなわけ。
材木から板を作る職人は消えちまったそうだよ。ただ板を平らにするだけじゃダメらしい。
バレンを作る職人も消えかけらしい。
だからさ、エウリアンが木版画を扱ってるかどうかはしらんけど、なりふり構わず売るということは少し理解できる。
俺だって、1ファンとして、こんな見苦しく匿名掲示板で見苦しく宣伝してるけどさ、どうせ中の人だろ、ステマうぜえって思われてるんだろうけど。
日本中の浮世絵美術館が燃えることより、職人がいなくなることのほうが損失はずっとずっとずっとデカいんだよ!
復刻浮世絵なんて一万円そこそこで買えるんだよ!
数万円となった山桜の版木を何枚も使うわけだし、キャリア何十年の職人が一月かけて彫るだけで、いくらの人件費だ?
キャリア何十年の摺りの職人が、今では手に入らない材料で自作した絵の具で、人間国宝が作った紙に摺る。
一枚200枚やそこらは売れないと滅びるだろ。
お願いだから買ってやってくれよ。
俺がビルゲイツだったら、もっと買ってやれるんだけど、安月給なサラリーマンじゃこれが限界なんだよ。
財布に入ってる1万円札、あれに1万円の価値があるのか?あんな小さな銅版画にわくわくするか?
せっかくだから文句を言いたい。
千円札の富士山わからんでもない。写真を銅版画にするなら許せる。
5千円札、2千円札、屏風絵を銅版画にするとか、絵巻物を銅版画にするとか馬鹿なの?オマージュにしたって、もうちょっと工夫しろよ。
100万円札を和紙で作れ!木版画で作れ!一枚一枚違う味があって味があるだろ!
偽造されてしまう?
偽造けっこう!本物と見紛うような彫りと摺りの技術が世界中に溢れれば、日本銀行の信用がどうなろうと、人類の幸福の絶対量は増加する!
木版画紙幣の発行は無理でも、一つの可能性として、造幣局で木版技術に関わる職人を世話してやってはくれないだろうか。
造幣局に一人くらい、材木から板を作る職人がいたり、絵の具を調合する職人がいたっていいだろう?
多少脱線しましたが、そういうわけで、ちょっとだけエウリアンを擁護してみました。
終わり。
考えてみればライブって凄いよな、芸術家って、基本的に俺が俺がじゃないか。
当然だけど、絵も彫りも摺りも極めることなんか出来ない。
それが、分業制、買う客の声も含めて、一人一人が主人公、思いがけない方向に転ぶ面白さ。
今でも、現代作家が版画にするために専門業者に頼んだりはするけれど、基本は作家の意思が優先で、作家の作品という域を出ない。
やはり、売れないことには、ちまたに溢れないことには、あれがいいこれがいいと話題の中心が木版画にならないことには、木版画に未来はない。
音楽としてどうかはわからないけど、AKBの会いにいけるアイドルという路線は、一つ評価したい。
あれが、理想の姿。
巷に日々木版画が溢れ、あれがいいこれがいいと、皆が好きに意見を言う。
町の人々の意見を取り入れ、流行の先端を走り、絵師や彫師摺師が腕を振るう。
たまらんじゃあないか。
9/19、現地時間で深夜0時を周る少し手前から異変は生じた。
全国各地に散らばっていたはずの電子妖精のトラッキング情報が同一座標を差し始めた。
そして、時間を少し置いて、タイムスタンプ以外全く同一のデータが送られてきた。
まるでDDosのように、一分間に40というスピードで、的確に。
20^3という重さが空白のテーブルを食いつぶしていく。
数の暴力と時間推移がもたらすマトリクスは傾斜をなだらかに描き、
頂きをみることも、それに至る歩みをも、依然とやめようとはしない。
午前7時、朝のテレビは高らかに告げる。
そして、林檎は投げられる。
地図上の侵略拠点から、戦士達と"林檎"の個数がグラフィックスとともに天高く聳え立つ卒塔婆のように伸びていく。出陣の時間だ。
彼らはやがて、あらゆる戸口の鐘を鳴らし、押し入り、一口齧った林檎を証明書として渡す。そして高らかに叫ぶのだ。今ここで一人の人間が林檎帝国に魂を売ったと。その声は電子妖精を通じてモニターに犇き、占有していく。
林檎中心。
一年に数回、泡のように現れ、消えていく戦士達の母艦の名前である。
午後10時過ぎ、お祭りはいつしか過ぎ、蜘蛛の巣のようにマッピングテクスチャを這い回っていた戦士達と電子妖精達は帰る場所に帰ってきた。体力を限界まで減らし、最後に蚊の鳴くような声で終了の時報を告げると電子妖精は己の揺りかごに帰っていく。翌日の5:00にマスターの声に起こされるまでの束の間、彼女達は浅い夢を見るのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20140327170002
就職に失敗して工場勤め、事務という話で面接を受けて内定をもらいましたが、
車で会社の駐車場に行き、そこからバンで社長夫人じきじきの送迎があります。
時間に遅れると置いて行かれるので、その場合は徒歩15分の田圃道を歩きます。
私は緊張したり、嫌なことが続くと、便意が猛烈に襲ってくるタイプなので、
入社して1ヶ月でこんな状態になってしまったおなか具合を慰めるために
会社までの道のりにトイレを借りられるコンビニ数件と、公園のトイレがあることを確認してきました。
公園のトイレは虫が飛んでいたりクモの巣が張っているので、本当に緊急の時しか使いません。
ある日、いつものように出社中、途中の国道で猛烈な便意が襲ってきたので、
ところがコンビニには大型バスが停まっていて、どこぞの合宿に行く途中だか帰ってくる途中だかの
トイレ前には数人並んでいたので、ここで早々に出発してしまえばよかったのですが、
公園のトイレを使いたくなかったし、もう少し我慢出来ると思って待ってしまいました。
これが大きな判断ミスでした。
並んでも、なかなか進まず、そのうちにどんどん便意はやってきて、
このままではコンビニで漏らしてしまう!と思い、慌てて車に乗り込み出発させました。
この慌てて走ってしまったのも、腸に刺激を与えてよくなかったと思います。
やたら引っかかる信号にイライラしながら、10分後に公園の横の道に車を駐車させ、
車に積んであるティッシュペーパーを掴み腰を浮かせた瞬間、プリっと第一波がやってきました。
焦った私は自分に「まだ屁だけ!実などでていない!」と言い聞かせ、
パンツがなるべく作業着にくっつかないように注意しながら歩きました。
まだ便意はおさまっていないので、心で急いで体は注意深く、顔は青ざめつつ公園のトイレに入ります。
カギをかけるのももどかしく、作業着とパンツをそうっとおろすと、
バターチキンマサラカレーくらいの柔らかさと色の直径1cmほどのシミがありました。
和式便器に座るとき、注意していないと胸の当たりにパンツがくっついてしまうので、
あんなに激しい便意だったのに、出して見ればカレーのスプーン2杯分くらいしかでませんでした。
小さい虫がブーンと飛び、壁には蜘蛛の巣やラクガキがあるトイレで
私は極めて冷静に、真顔で作業ズボンとパンツを足から引き抜きました。
汚い床に直に立つのがイヤだったので、スニーカーの上で器用に脱ぎきったとき、
「駅のトイレでストッキングを履き替えるスキルを身につけていてよかったなぁ」と思いました。
さらに、作業ズボンにウンコが染みていないことを、目視とニオイで確認し、
作業ズボンのみは履きました。
この時ばかりは、名ばかり事務員のライン工で、事務服(スカート)じゃなくて作業着が支給されていて
良かったなぁ、と心から思いました。
それから、申し訳ないとは思ったのですが、クリーム色のコンクリート製の手洗い場で
シミつきのパンツを洗い、若干スカスカしますがノーパンで仕事をしました。
「これはパンツではなくてハンカチですので」といったテイで干しておきました。
そうこうしているうちに送迎のバンがやってきてしまい、私はそのまま出社して汗だくで働きました。
ちなみに、この会社は駐車場までが遠いため、昼休みなどに外出することができず、
その上コンビニが徒歩圏内に一切無い刑務所のようなところです。
女性がノーパン・ズボンで一日過ごすと、人によるとは思いますが、
股間から染み出てくる液体でズボンが汚れてしまうことがあります。
私は通常Mサイズなのですが、支給されていた作業着がXLでダボダボだったので、
太ももが多少気持ち悪くなったくらいで済みました(トイレでこまめに拭きました)。
トイレットペーパーを折りたたんで股間に貼ろうとも思ったのですが、
常に湿っているわけではなく、油断するとズボンのスソからトイレットペーパーが落ちてきてしまうので
すぐにやめました。
この経験から、私は鞄のエチケットポーチのなかにナプキンだけではなく
これは急にやってきた生理や急にパンツを見せなければいけなくなった場合などにも対応出来るので、良いと思います。
女性がパンツを持ち歩くのには男性と違って理由付けが出来るので、
お前って客観的に見るってことが出来ない奴なんだな
マスコミに「暇じゃない人々」が口を出す
「暇じゃない人々」に俺が口を出す
俺にお前が口を出す
一緒なんだよ
お前は矛盾も酷いな
口出しする奴は暇なのか忙しいのかどっちなんだよ
お前さあ
「この件で彼女を擁護するのは『善いこと』。口出しは簡単」
「この件で彼女を批判するのは『悪いこと』。口出しは負担が大きい」
お前が加えたのは「善か悪か」という基準だよ
「善人が口出しするのは簡単でーす。負担にならない範囲で善いことをしているだけでーす」
「悪人が口出しするのは大変でーす。わざわざdisるなんて暇じゃないとできませーん」
欺瞞だね
自分の意見も言えなかったし、議論もできなかった。自分を売り込むことなんて、まったく、できやしない。
まじめにやってればいいと思ってた。
でも違ってた。
少しずつ。
少しずつ変わっていったんだ。
「論点ずれてね?」
「池沼現るww」
たとえば株を買ってみる。
前日まで+3万の利益だったのが、
次の日+2千、
その次の日は▲5千
となる。
毎分、毎秒、マーケットは動いている。
蠢いている。
Nothing stays the same.
それでわかったのだ。
「女の子のほうがなんで若い頃男よりデキルんだろう」
いつも疑問に思ってたんだけど、
きゃつらは、強制的にマーケットインなんだね。
髪型、
服装、
つきあう友達、
変われば変わるほど、男たちが放って置かない。
口説かれて、だまされて、見る目を養っていき、
気づけば自分を磨くことを忘れられない。暗示のように、呪いのように。
「商品価値を高める!」
「そう、力を!」
もちろんずうっと放置されたまんまの女は、自分の価値を逆の意味で知るだろう。
「喪子乙wwwwwww」
「蜘蛛の巣貼ってんべwwww」
「マンコ臭そうwwww」
女はつねに評価され続ける、女じゃなくなるまで。
気づいていない男たちの多いこと。
俺、昨日気づきました。
気づくの遅すぎw
■補足
つまり、こういうことか。