一昨年、娘を産んだ。
出産後は、それはそれは大変だったけれども、大きな肩の荷物を下ろした気持ちになったことを書いておきたい。
男子からは、ランドセルを蹴られ、ツバを吐きかけられ、泣いたら「わー泣いたー」と笑って喜ばれる。そういう存在だった。先生に相談しても、「あなたのことが好きなのよ」という、何の慰めにならないようなことを言われ、何の対策もされなかった。最終的には、泣くのもバカバカしくなって、蹴られたら蹴り返すようになり、さらに「わーゴリラー」と言われるようになった。
それが中学生になり、殴る蹴るなどの暴力行為はなくなり、だんだんと「お前はブスだ」「女として見られない」という言葉のみが残った。
先生や兄にまで言われるので、私は、自分が美人やかわいいと言われる存在ではないんだな、ということを、ただ当然の事実として受け入れられていた。高校になっても同じで、私はオシャレというものを「そういうことを許される存在ではないから」と、学ぶことすら放棄した。
両親や祖父祖母が「かわいいよ」と言ってくれても、受け入れることができなかった。
女として見られたことがない私を、「女の子なんだから」と当たり前に女性として見てくれた人だった。
今思うと、言動も態度も軽い男性なのだが、私はその人のために、10キロのダイエットをし、化粧を覚え、オシャレな服を選んでくれと友人たちに頭を下げて、一緒にショッピングへ行った。
結局その恋は叶わなかったが、「自分も女性なんだ」と、ようやく思えた瞬間だった。
社会人になり、会社に就職した。自分のお金でお酒を飲むようにもなった。
「女なんだから」
「女なのに」
「女は」
初対面の取引先の人に、「もっとおっぱい大きい人に担当変えてほしい」と面と向かって言われた時は、さすがに顔をゆがめたけれど。
電車で痴漢された時に、上司に「良かったじゃないか。お前でも触ってくれる人がいて」と慰められた時。
「半年彼氏がいないの? あそこに蜘蛛の巣はっちゃうよ」と男の同僚に笑いながら言われた時。
生理休暇をとった同僚について、「そこは自己管理の問題だろ。なあ?」と怒る先輩に同意を求められた時。
私は怒ることだということすら分からず、ただ笑って「そうですねえ」と受け入れていた。
30歳を越えて、「生き遅れ」「女として終わった」と言われる現状を、笑って受け入れた。
「35歳を越えると子宮が腐る」と言われたことを、受け入れた。
婚活をはじめた時に、何度も「女は30歳まで」と言われるのを受け入れ続けた。
無意識に、「男に求められて結婚して子どもを産んで、ようやく女は一人前」という言葉に洗脳されていた。
今の夫は、学生時代からの友人だ。飲み会中に、前の彼女と別れたという報告を聞き、その場で私から口説いた。
もう周囲に何も言われなくてよくなった。
ずっとバカにされていたことを、「男の人って」「社会って」そんなものだと思い続けた。
もうちょっと言うと、「そうやって、顔をゆがめず、私は気にしない、とスルーすることが、世渡りの方法なんだ」と思っていた。
だって、そうしないと、「モテない女」という、最低な存在になってしまう。戻ってしまう。そう思っていた。
そうして、ようやく「結婚して子どもを産んだ」という事実で、一息つけて、昔の自分を振り返ることができた。
もっと怒って良かった。
バカにするなと泣いて良かった。
小学生の私は、戦っていた。
私は「ブス」ではない。大きいけど、それでバカにされるいわれはない。バカにするやつが悪い。
上司に、先輩に、同僚に、「女をバカにしてるって気付いてる?」って言いたかった。
次の女性は、そのうち娘になる。
娘が、自分の容姿や体の形で、男の人に受け入れられないと悩む人生は歩んでほしくない。
娘が、自分のことをブスだから、と、若いうちに着飾ることを恥ずかしく思う人生になってほしくない。
そのためには、声を上げ続ける。
それは、昔テレビで見た、ヒスババアと揶揄され、「かわいくない女」と言われていた、あの人やこの人のようなことなんだろう。
かわいい女になんて、なる必要はないし、そうでない女をバカにしていいルールなんて、無くなった方がいいんだ。
夫にそういったことを話したら、「そんな、『かわいい女』をパートナーに求めている男ってどれぐらいいると思っているの?」と逆に聞かれた。
驚いて、夫に私の好きなところを聞いたら、「僕を引っ張って行ってくれるところ」と答えた。