はてなキーワード: 自律とは
私が職場のストレスから自律神経なんちゃら(うつ病一歩手前)になって休職して、
それを知ってる友人がLINEで「私も職場のストレスで悩んでいる」って言ってきて、
わかるよ、大変だよねって返したらそれ以来ずっと
「死にたい」「自分はなんて無能なんだ」「まわりに迷惑をかけている」「死にたい」と送ってくる。
休みを取るように、病院に行くように、薦めても「まわりに迷惑だからできない」
でも「仕事ができなさすぎて自分なんかいないほうがいいのでは」「辞めたい」「死にたい」
仕事を辞めて、病院に行き、休養を取るよう薦めても「できない」「死にたい」
「死にたい」→落ち着いて、「自分は無能すぎる」→仕事には向き不向きがあるよ、「ミスばかりする」→疲れてるんだよなどなど
ねえ私もストレスで休養中なの知ってるでしょ?
さらには「新しい会社から内定をもらった」「でも今の会社に退職を切り出せない」「どうしよう」
私は!休職してて!将来も金銭も不安なの!それなのに内定もらった自慢?!と思ってしまう。
それでも良かったね、どっちにしろ辞めるんだからメールでもなんでもいいから辞めるって言うしかないよ、あなたは悪くないよと慰め続けた。
すると「病院に言って薬をもらった」といい出した。
良かったね、お疲れ様、と返した。
それ以降薬で落ち着いたのかLINEはこない。
二週間ほどして突然「調子はどう?業務内容は改善してもらえた?」
は??????????????????????????????????????
私が休職中だよと返すと「いいな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
は??????????????????????????????????????
そして「来週退職することになった」と。
「しんどくて予定をドタキャンしてしまった」といいながら「遊びに行きたかった」と繰り返し
ドタキャンを繰り返しながら「パーティーやろう!主催するから」と言い出す…
薬を増やしてもらうべきだと思った。
なぜ、街中でPK横行してないの?
鍵が見つかると IOI-xxxx が固めて入れなくなって競り合いになってる描写があった記憶
原作はAtariネタ乱発しすぎてウザいのでどこまで付き合ってやるかというトレードオフはあると思う
忘れたけど奨学金問題のように借金強制+強制労働のコンボは現実でも有り得なくはない
内部のセキュリティザル過ぎでは?
スラム爆破した後で死亡確認してなかったりAechの所在も風体も知らなかったりGoogleIOIはゆるふわなので仕方がない
天才創業者のプログラミングと高度なセキュリティと自律制御で無人運用されており誰にも手出しすることは不可能(鼻ホジ
sudoersに追記されてるはずだからロールバックでもしたらいいんじゃない(鼻ホジ
恐らく原作読むと色々な問題が氷解すると思うけどクィディッチ今昔を10冊くらい読破した気持ちになる出来なのでエンジョイして忘れるのがいいと思う 俺も見に行かないとなー
ブロックチェーン流行ってるじゃん。あれ使えば何でも、改竄が絶対不可能になって、所有権を保証できるんだろ。超すげー。
ということで、俺様が考えるブロックチェーンの使いどころを書き記す。よく聞け。
これらの違いは、早い話がブロックチェーンを誰が運用してるんですか、という話だ。
パブリックブロックチェーンでは、誰もがブロックチェーンを運用するノードになれる。そのために、現実的に不正ができないよう、ノード間で見張り合うシステムが必要になる。
Bitcoinのようにお金を扱うシステムで、皆が台帳を持ったら、誰もが、自分のところにお金が入ってきたことにしたり、自分の使ったはずのお金を使ってないことにしたり、といったことをやりたがる。
Bitcoinは、Proof of Workという仕組みで、そういった不正を現実的にはできないようにすることで、お互いに信用できない人同士の分散台帳というものを可能にした。
Bitcoinが革新的だったのは、「信用できない人たちに分散台帳を管理させたらみんな好き勝手に不正するに決まってる!」という常識をぶち破り、そういった人達による台帳管理ができることを示したから。
企業が業務や商売でブロックチェーンを使おうとすると、誰もがノードになれるとか、誰もがノードにアクセスできるとか、そういった仕組みは望まれないことが多いらしい。
そこで、自分たちだけの閉じた環境でブロックチェーンを作ろうという試みが、プライベートブロックチェーンだ。
ここでは、Bitcoinが起こした革命である、信用できない人たちによる分散台帳管理なんてものは必要がない。
プライベートブロックチェーン、いろいろと研究されたり、実証実験が行われたりしているが、
「なんでブロックチェーンでやる必要があるんですか?」にどう答えられるのか、よく分からない。
「なんでブロックチェーンでやる必要があるんですか?」については、後でさらに深く掘り下げる。
プライベートブロックチェーン意味ないよね、と気づいた人達が次に考えたこと。
銀行間とか、企業間とか、組織をまたいでブロックチェーン作ればいいじゃないか、と。
組織力学の都合上、そうするのがいいなら、勝手にやってください。
けれど、Bitcoinが起こした革命である、他のノードに嘘ついてまで不正をしようとしている者同士が、ひとつの台帳を保持できる、というその特性、必要ある?
今も銀行間でいろいろ、電子データをやりとりしてると思うけど、そんな不正しようとしてる銀行あるの?
「なんでブロックチェーンでやる必要があるんですか?」に、技術的には答えられないのがコンソーシアムブロックチェーンだ。
ブロックチェーン使って何かやろうとすると、大体の人がぶち当たるのが「それ、ブロックチェーンでやる必要あるんですか?」「データベースじゃダメなんですか?」って問題だ。
この問題に陥るのは大抵、ブロックチェーンの持つ自律分散の思想を理解せずに、誰かが管理しよう、特権を持とう、中心的存在になろうとしてるからだ。
管理者がいるなら、管理者がデータベースを作って、そこでやればいい。その方が話はシンプルだ。
もっとひどいのは、データベースはデータベースで別で置いて、ブロックチェーンに載せられるカラムはブロックチェーンに載せて、その取引IDをデータベースに記録しようと考えている場合だ。
全部データベースでやった方が作るのも運用するのも楽なことになぜ気づかない。アホなのか。
改竄防止だトレーサビリティだと騒いでいる人がいるが。そもそもブロックチェーンは何を保証するのか。
ブロックチェーンに載ってからは、確かに改竄は難しい。電子署名が不正な取引はブロックチェーンに載せないこともできる。
けれど、必要なタイミングで正しい入力を与えるのは、ブロックチェーンを使う側の仕事で、
電子署名などのプログラム的に検証できるもの以外で不正が行われても、ブロックチェーンは何も検知できない。
ブロックチェーン自体は最近の発明だが、ブロックチェーンで使われている、ハッシュ関数、電子署名などは、
もっと昔から改竄検知や偽造防止に使われていた技術で、それらを適切に利用すれば、ブロックチェーンを使わずとも、大抵の目的は達成できる。
これらの話、知っている人には「うん、そうなんだよねー」って感じだったと思うが、知らなかった人は「じゃあブロックチェーン、一体何に使えるんだよ」と苛ついてきた頃かと思う。
ブロックチェーンは何にも使えないのか。いいや、そんなことはない。
Bitcoinは、送金するのには手数料がいるが、残高照会は無料でできる。他のブロックチェーンも同様のものが多い。
そこで、参照されることは多数あるが追加、変更されることが滅多にないものをパブリックなブロックチェーンに載せて、データ置き場として活用する方法を考えれば、
ブロックチェーンを使って低コストで何かをすることは可能かもしれない。
ブロックチェーンは、誰も管理しなくても動く夢のような仕組みだ。
ブロックチェーンと、staticなHTMLやjsなり、なんかのスクリプトなりがあれば成り立つシステムを作ると、作った人が何もしなくてもネットワークが維持されるシステムの完成だ。
ホントそう。
「脳の病気」も誤解ありそうだから、一歩進めて「中枢神経の病気」と呼んだらどうかな。というのも、鬱病が関わる神経伝達物質(セロトニンとか)を出すのは脳幹あたりで、新皮質じゃないっぽいんだよね。新皮質の主な神経伝達物質はグルタミン酸らしい。や、まあ「中枢神経」には新皮質も含まれるんだけど、受ける印象が違いそうなので。あと、素人がちょっと齧っただけの生半可な知識なので正確かどうかは知らん。(詳しい人いたら訂正なり補足なりよろしく)
だから、人類が進化の過程で新しく獲得した新皮質の部分は病んでない。動物にも備わっているような古い中枢神経が病んでいるだけ。だから心が壊れたわけでも自我が壊れたわけでもない。…と僕は思ってる。
そのかわり、体を制御する重要器官である中枢神経が病んでいるので、自律神経とかホルモンとかに影響が出るんだと思う(自分の場合)。特に視床下部ていうところが超重要な役割を担っているみたいなので、ここが病んで身体的な症状が出るんじゃないかな。個々の臓器は病んでないのに体全体を統括する制御系が病んでしまうので、訳のわからない不定愁訴がたくさん出るっていう。
今のiPhoneに替えてから二度目の画面破損だ。一度目は画面が割れただけで反応はしていた。しかし今回の破損は画面が表示されないレベルの破損である。ものを大事にしろと言われると耳が痛いが、わざとではないので大目に見ていただきたい。保険に加入しているとはいえ、出費が痛い。
iPhoneが使えなくなった今、いかに自分がスマホ依存になっていたかがよくわかる。ちょっと時間が空くとスマホを探している自分に正直失望している。
iPhoneを持っていなかった時代の私はどのように時間をつぶしていたのだろうか。いつから私は下を向いて生きるようになったのだろう。
ちなみに私は18歳の大学生なのだが、そんな若輩者が昔を語るなという意見は今はこらえていただきたい。
私が初めてスマホを手にしたのは中学生の時。それまでの私にとっての暇つぶしとは読書や、外で遊ぶことだった。しかし今はどうだろう、暇つぶしといえばスマホ一択という有様。いつから私はこんなにもスマホ依存になってしまったんだろうか。
私は中学生のある時から、とある自律神経の病気を患って学校に殆どいけない状態で、親にすら理解されない環境にあった。親に怒鳴られる毎日、家に居場所がなく死にたいと思う毎日を過ごしていた。そんな私の唯一の救いはスマホであった。
負の感情を忘れさせてくれる唯一の居場所であった。スマホがなかったらきっと今の私は生きることを諦めていたと確信している。
私のスマホ依存はここから始まったのだろう。一種の吊り橋効果ではなかろうか。病気が日常生活をする上で問題なくなった今も、依存は色濃い。
スマホを今失った今、割れたのも何かの縁、これを機にスマホ依存から脱却してみようと思う。過去を思い出しては負の感情が生まれる自分を変える意味も込めて。
スマホを持っていない時代を思い出そう。周囲の風景を楽しんでいたあの頃に、前を向いて歩くことの楽しさを。掌に収まる小さな箱の中の広大な世界から、五感すべてで感じ取れる広大な世界にもっと目を向けてみよう。肩こりとか目の疲れとか全く感じなかったあの健康体を取り戻そう。
スマホを使っている時間を他のことに充てたらどうなるか、今からとても楽しみだ。
とりあえず今日はもう寝よう。
日が昇る前ら自己顕示欲をむき出しにし、やれ本気で好きになった人はいないだの、好きじゃない人とのセックスは砂を噛むようだ、だのとのたまって自律神経を正常に保つ
日の出ごろから仕事に関する愚痴をこぼし始め、不健康自慢が始まり、不毛な政治議論が勃発する。この間、現実逃避のために猫が駆り出され、ぼんやりとした癒やしを他田に提供する
出勤時間になると、他者への敵意がむき出しになる。やれやれ調の同族嫌悪的異性叩きに端を発し、気に食わない他田に一行で噛みつくのは当たり前、ため息にも似た文脈ゼロの短文を投稿して周囲をいらつかせたかと思うと、思い出したように両親の話を朗々と語りだして、これがたまに名文だったりする。
出社時間になると、フリーの増田たちの時間だ。同世代への憎しみをぶつける主婦たち、取り返しようのない時間を噛みしめる大学生やフリーターたちの百鬼夜行でご機嫌を伺ってくる。これらに影響された不良社員の増田たちが、仕事へのぼんやりとした苛立ちを無理やり共有してきたり、性欲を全面に押し出した怪文書で攻撃を仕掛けてくる。この時間帯のトラバは単純に地獄だ。
先日、初めて1人カラオケに行った。デスボイスを出したかったが往来で出すのはいささか気が引けたので、野暮ったいビルの中のカラオケチェーンに入った。
受付をしていると後ろに小学生たちとその親たちの集団が入ってきて、俺を見ないでくれと願った。そして、しばらくの受け答えのあとようやく部屋を案内されたが、受付のすぐ近くで泣きたくなった。
小学生たちに汚い大人の不満やストレスが乗ったデスボイスを聴かせたくはないので、彼らが受付を済ますのをしばらく待ち、そしてマイクを取った。
デスボイスはすばらしい。
泣きたいのを堪えてるときに喉の下の方が詰まった感じになるよね。そこを思いっきり腹筋使って鳴らすんだ。
suicide silence,marylin manson,SlipKnoT,マキシマム ザ ホルモン(半角空く『ザ』の両脇!!!!!)、SiM等を歌っている間、ものすごく気持ちが良かった。横隔膜を動かすことで自律神経がなんちゃらとか聞いたことあるし、それなのかも。
marylin mansonの曲で一旦暗いところに沈んで、suicide silenceの曲調とは裏腹に困難に立ち向かう歌詞に助けられるデスボイスセラピー、みなさんもいかがですか。
しんどかった。
ネットでそれらしい言葉をぐぐってみると「ただの男の性欲処理なんだから理解すべき」「風俗は浮気じゃない」というアドバイスが多かった。
女性側の気持ちを理解すべき、という男性へのアドバイスはなぜ無いのだろう?と思った。
身体的(本能的)な欲求は承認されるのに、感情的なものは我慢させられるのはなぜだろうと思った。
男性による風俗のレポートはたくさんあるのに、風俗へ行かれてしまった女性側の詳細なレポートはなかなか見つからなかった。
わくわくしているときも、死にたさに溢れている時も、わたしは同じような状況にある人の言葉を探す。
仲間を見つけたからなのか、そこに自分の気持ちの代弁を認めるからなのか、不思議と心が落ち着くのだ。
だから、誰かにとってそうなるかもしれない期待を込めて、私の気持ちを書き記しておく。
「さっきセックスしてきたのかあ」「セックスほやほやかあ」「妙にこざっぱりした顔してたかも」「私に気づくまで、笑顔で歩いてきたよね」「信じられない」彼の顔を見れなかった。
ふとしたときに、彼が風俗の女性と抱き合っている姿がうかんだ。
官能的なものじゃなく、彼の後ろ姿と抱きしめられて彼の体に隠れてほとんどみえない裸の女性の静止画。
それが目に浮かぶたび「私じゃない人と、そんなふうに近づいたりするのかあ。」と思った。
宿泊先に戻り、布団に入って目を閉じた。
静かに涙が出てきた。鼻水も出てきて、枕元にティッシュがなかったので焦った。
このままでは目が腫れて明日に響くと思い、気合いで泣くのをやめて眠った。眠れるものなんだなあ。
友人や同僚で風俗へ行った経験がある人は何人かいたし、浮気や不倫の話を聞いたことがないわけじゃない。
「男は1度くらいは風俗に行くもの。素人と浮気するよりマシ。」みたいな言葉も知っていた。
でも、直後の彼に出くわしたインパクトが強すぎて、もうむりだ、と思った。
「死にたいと思う状況になった」と思った。
社員研修は続く。
一生懸命笑顔で過ごす。「みんなに怪しいと思われてるかも」という気持ちが拭えない。
頭が働かない。妙にぺらぺら喋っていたような気がする。
彼氏を含めた同僚数人で話さないといけない状況でも、彼を見ることができない。
早く1人になりたい。
ふとしたとき、泣きそうになった。自席で寝たふりをして、少し泣いてしまった。
会社をやめたいと思った。でも、こんなことで自分のキャリアを失うなんて間違ってる、仕事も職場の人間関係も頑張らなきゃ、これまで通りの人生を過ごさなきゃと思った。
頑張って楽しく過ごすことに必死だった。当然だけど凡ミスや変なボケをかましまくった。
疲れてるんじゃない?と同僚に心配されて、それがまた辛かった。
リングから降りることが許されずに、パンチを受け続けている。負けようが勝とうが私には本当はどうでもいいのに。
辛かった。情けなかった。みじめだった。
道を歩いている時も、車での移動中も、事故が起きて私だけ死なないかなと思っていた。
研修が終わって解散。彼と暮らす家へ帰る気にもなれず、駅近くのホテルへ向かった。
こんなときに浮気できるような異性の知り合いも、自分にはいない。別にしたくなかったけど。
自分が情けない。意外とプライドが高いのか、誰にも言えなかった。
同僚とわいわい風俗へ行った彼氏と、その辛さをまだ誰にも伝えてないひとりぼっちの自分。
電車に乗っている間、タクシーに乗っている間、ホテルについてチェックインしている間、部屋につくまで、一生懸命泣くのをこらえた。
エレベーターに乗り部屋のある階についた瞬間、涙がぽろぽろぽろぽろ出始めた。
運良く、エレベーターのすぐ近くに部屋はあった。
鍵を開けて部屋に入りドアを閉めて、そこからずっと声をあげて泣いた。
泣き続けておかしくなりそうだったので、泣くのをやめた。
自分の心が壊れるのが怖い。だから、泣きすぎるとやばいと思った。彼氏よりも自分が壊れるのが怖いんだなあと思った。
各部屋にドラム式洗濯機がついてる。だから1泊1万円もした。トリバゴから予約したらもっと安かったのかも...と思った。
洗濯機を回しながら、本当は結局泣き続けた。呼吸がおかしくなるたびに一度自分を落ち着かせた。
2時間半もかかるのか!と思ったけど、そんな時間余裕で泣いていた。
洗濯したくせに、カミソリで腕を切って浴槽につけておこうと思った。電車に飛び込みとか、首吊りとかいろいろ考えたけど、なんとなく浴槽がいいなと思った。少なくとも今の自分から一番近い。
けれど、お母さんの顔が浮かんだ。
お母さんの心が壊れてしまうのだけは嫌だと思った。だからお風呂で、「死んじゃいたい」「死んじゃダメだ」「死んじゃいたい」「死んじゃダメだ」...と声をあげて泣いた。
でも、なんとなく、自分は死なないだろうと思っていた。
これまでも死にたいことは何度もあった、でも自分の周りの人が苦しむのが嫌で、何度も何度も何度も何度も死にたさと戦って、生きることを選んできた。
だからきっと生きるんだろうなとどこかで思った。
洗濯しただけのことはある。
でも、これは人生でベスト3に入るぐらい辛かったなあ。過去の辛さは、その時々ではベスト1なんだけれど。
この時代に生きてて良かったと思ったのは、同じような体験をネットで読めることだった。
自分の考えを巡らせることだけに終始していたら、きっと生きていなかった。
実はクローズドでやっているSNSに、死にたさを示唆する書き込みをしてしまった。すぐ削除したけど、それに気付いた学生時代の友人が連絡をくれた。
彼女も死にたさと戦うことがあると教えてくれて、それにも救われた。
くだらない性欲をくだらないノリでくだらない同僚と吐き出しにいった。
でも自分にはそれだけだと思えなかった。
可愛くて、スタイルがよくて、なんかテクニックとかもすごい、そんな相手と自分が比べられたかと思うと恥ずかしかった。
こんな恥ずかしい顔や体や自分を、愛されてる、受け入れられてる、喜ばれてる、と何の疑問も持たずに彼にさらけ出してきた自分が恥ずかしかった。
私の心と体がいかに大切なものか、長い時間をかけて教えてくれた気がする。
そのせいなのか、ただモテないだけなのか、私は周りが恋愛やセックスをしてる間に、自分の夢に向かって勉強してるようなタイプだった。そんな自分の人生が嫌いじゃなかった。
それが、彼のくだらない一夜の風俗で壊された気がした。
自分の大切なものが、こんなくだらないことで壊されたのが悲しくてみじめで、こんなことになっちゃった自分が情けなくて仕方なかった。だから誰にも言えないと思った。がっかりされると思った。恥ずかしいのもあるけど、周りの人まで残念な気持ちにさせるんじゃないかと思った。
こんな気持ちにさせた彼が許せない。ひどい。でも好きだからこそ悲しいことが、悲しい。
恋愛もセックスも人並み以下の経験しかせずに、しかも結局夢にも破れて、なぜだかストーカー被害にもあったりしていろいろ挫折して、どんぞこにいた自分を、元の明るい自分にしてくれたのは彼だった。
初めて恋人と誕生日やクリスマスやお正月を過ごした。旅行にもいった。なくしたけど指輪ももらった。長い時間を一緒に過ごした。お互い仕事も頑張って成長した。いろんな幸せがあった。
なのに、その彼に結局は壊されてしまった。
彼が友達と行った旅行も飲み会も、ぜんぶ風俗に行ってたかもしれない。そう思うと楽しかった思い出も全部むなしい。彼のことが好きで、いつも幸せだったから、それが全部裏切られたと思った。全部わたしの、独りよがりな幸せだったのかもしれない。
「天使なんかじゃない」っていう少女漫画で、主人公の彼ママ(過去に隠し子不倫をされて離婚している)が「(不倫に気付いた時)積み重ねてきた幸せが全部崩れるようだった」と主人公に吐露して泣くシーンがあるんだけど、それを思い出した。(セリフはうろ覚え)
自分とのセックスは気持ち良くなかったのかも、自分はスタイルも顔もよくないし、その上積極的にできていなかったのかも、胸が小さすぎるのかも、しまりが悪いのかも、風俗でどんな風にしたんだろう、ちゃんとゴムはつけたのだろうか、彼は嬉しかったのだろうか、どんな風に優しくしたんだろう、なにをしゃべったんだろう、終わった後どんな気持ちになったんだろう、いろんなことを考えた。
彼は私が悲しむと思わなかったのかな、背徳感はなかったのかな、きっと気軽な気持ちだったんだろうけど、それにしても浅はかだな。がっかりだな。
私の弱さを気にするほど、彼は私に興味がなかったのかもしれない。
彼にというか、彼に勝手に期待して依存して彼のくだらない行動で傷付いてしまった自分の弱さが情けない。
自分がちゃんと自分だけを信じて自律していれば、こんなに傷付かないはずだった。
自分ってだめだと思った。
もともと他人に期待しすぎちゃいけないと思って生きてきた。
自分の傷つきやすさを自覚しているからこそ、家族や友人も含めて、他人に変に期待(依存)しないように、思春期からずっと気をつけてきた。
それでも、彼氏にはすごく期待してしまっていたことに、今回気付いた。
こんな無意識の期待さえしてはいけなかったんだと分かって悲しかった。
今後、他人に対してもっともっと慎重にいなければならないと思うと、生きる喜びってとても少ないなと思った。
また彼より自分について考えてるなあと思った。いつも私は私のことばっかり考えてる。だからダメなのかもしれない。
それでもやっぱり、自分はどうしたら明るく楽しく生きていけるかなと考えた。
引っ越し、シェアハウス、転職、海外に行く...いろんなことを考えて、調べた。全然眠れなかった。
死にたみに溢れてても、生きていくアイデアにアクセスしようとした自分は成長したと思った。ネットはすごい。思えば過去の自死願望にも、いつもネットが時間薬をくれた気がする。
自分の心が壊れるのが怖いから、もう前ほど彼を信じようとは思えない、それがさみしい。
人間は孤独で、どんなときも心のどこかで人に対してあきらめを抱えたまま生きていくしかないのに、誰と愛し合おうが結婚しようがそれは変わらないのに、うっかり忘れてしまっていた自分が情けない。
情けないけど、やっぱり信じていたかったから辛い。寂しい。残念だ。辛い。
神様が、本当はいなかった、本当はひどい詐欺師だったような気持ち。
浮気されてる女性を知っている。一見幸せな家庭に見えるけど、そんなのダサいって思ってた。今でも思う。でも、彼女は幸せなのかもしれない。
思い出して泣いてしまう自分、自信を無くしてしまった自分、楽しさを失くしてしまった自分、こんなネガティブで暗い自分は、結局彼とうまくやれないと思った。
結局彼を許しても、いつか彼が離れていくと思った。
私みたいな世間知らずじゃなくて、もっと経験豊富で肝っ玉な女の子と付き合ってくれればよかったのにと思った。
信じても信じなくても、もし彼が、もしもう一度同じ過ちをしたら、もう自分は生きられないと思った。そんなことで自死するなんてダサイからやだなあ。
それに、私は私が壊れるのが怖いから、たぶんもう前ほど彼を好きになれない。
もっと言えば、いつも他人を心の底で少し突き放して生きていくことになる。それは軽蔑と言ってもいい。残念だな。
なんにせよまた新しい自分の弱さを知ってしまって、生きることがむずかしい。それでも生きるけど。つらくなってしまった。
どうして生きるのはこんなにつらくてつらくてつらいんだろう。
信じることはあまりに盲目で、目が覚めた時に断罪されるんだと思う。みんな目が覚めたくないから信じたいんだよ。(私別にクリスチャンじゃないけど、ごめんなさい)
男性の風俗についての見解をぐぐると「ただの性欲処理」「トイレと一緒」「壊してもいいおもちゃ」みたいな言葉がたくさん出てきた。
彼も「汚いから本番はしてない。キスもしてしない。」なんて言っていた。ほんとか分からないけど。信じてないけど。
でも、そんな言い方ひどいと思った。
自分がしたくてお金払って行っておいて、生身の人間に対してその言い草はないよ。
私はお店の人や通りすがりの人や、赤の他人にもいつも親切な彼が好きだった。
性的なこととなるととたんに道徳感を失うなんて理解しがたいよ。私と同じ女性を、そんな風に言わないで。言い訳のつもりだったかもしれないけど。
自分のパートナーには、動物とか本能とか言う前に人でいて、素敵な人でいてほしいよ。
私は風俗嬢という言葉を見るたびに、少し傷つく気がする。でもそれは風俗嬢にされてるわけじゃない。あなたに傷つけられんだ。
話し合いを重ねて、結局彼と暮らしている。
改められる人だったから信じることにした。でも、もう私の「信じる」は前の「信じる」とは違う。限りなく「信じたいけど」に近い。
2人でいることの幸せも、言葉尻からうけるニュアンスも、すべてが前と違う。
別れを切り出したのは私なのに、私は自分が裏切ったり彼にふられたりすることに怯えてる。
それがしんどくなったら本当に終わりだなと思う。
嫌いになることも、嫌いになられることも、こわい。こんな気持ちを知りたくなかった。
いつか出産して、わたしのあそこがゆるくなったらまた風俗にいくのかな。
風俗から帰ってきたその手で子供をなでるんだろうか、なんて結婚願望も子作り願望もないのに想像してしまった。
顔が腫れぼったい、鼻が低い、目が細い、口が曲がってる、眉毛すら美しく生えていない。
胸が小さい、くびれがない、下腹がみっともない、足が太い、とにかくいけてない。
少なくとも風俗嬢よりきれいじゃない。だって私は私を売り物にできない。
鏡を見たくなくなった。写真を見るたびに落ち込んだ。
彼が可愛いねといっても、「ほんとは可愛い子が好きなんだ」としか思えなくなった。
ガッキーみたいな子だったのかな、それともギャルみたいな子だったのかな、どんな顔でどんな体型でどんなメイクでどんな風に喋る子だったのだろう。
彼がすでに誰かにさわられたところも、まだ誰もふれていないところも、すべてをさわりたい。私が液体になれたら楽なのに。
彼が本当にしたいことを知りたい、でも、みっともない自分が恥ずかしい。
今出来なくなったらずっと出来なくなる気がする。
でも今したら、私が軽薄みたいな気もする。
いよいよどうしたらいいのか分からなくなって、「セックス やり方」と検索する。
そうこうしてると風俗嬢の解説に行き着いてしまい、また彼が誰かとセックスする姿が頭から離れない。
どんな風にしたんだろうって、聞きたい。でも聞いたらきっと立ち直れない。
あの時から今までずっと、死にたいことととそれでも生きること、彼の風俗のこと、自分の醜さ、知らなかった感情を知る怖さと、それが増えていく人生の意味について考えている。
追記しようと思ったが、微妙に長くなったので新しく書いた。
中には怒っている様な人が居たが、俺としては怒らせるために書いた文章では無いから、その辺は申し訳なく思っている。だから、この文章は出来るだけ整理して客観的に書いていきたいと思う。
まず、「彼女と結婚したくない」のブコメやトラバは読めるもの全部目を通した。
色々突き刺さったものがあったが、特に突き刺さったのが次のものだった。
女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する証明
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
勝手な言い分や感想とは異なったものだった。書店に行って確認までしたが、論破はできそうにないものだった。
そしてそのまま彼女のところに行って、話し合いをして、別れることになった。
彼女は泣いていた。そして俺も泣いていた。だが、別れることが二人のためであるという側面もある。もちろん、そうでない側面もある。ちょっとした騒ぎにもなって、特定されたくないので期待している人には悪いが、詳細は控えさせてもらおうと思う。
ここで終わらせてもいいのだが、処女を追求することについて、いくつか発見があったので紹介したい。
女性側に排卵隠蔽があるために男性はそれへの適応を迫られた.このため純潔性と婚姻後の性的貞操への選好が生じる.これは文脈に大きく依存し文化間で大きな差がある.
・若さへの好みについて
(改訂版追加項目)若さへの好みについて:男性が繁殖力を求めるのだとすると非常に若い男性は自分より少し年上の女性を好むと予測される.実際のリサーチでは15際の男性は17~18歳の女性を好むという結果が出ている.しかしその年の女性は自分より若い男性には全く興味を示さない.これは「男性の若い女性への好み」を「報酬強化」や「男性が権力とコントロールを求めること」で説明しようとする主張が成り立たないことを示している.
多くの動物と異なりヒトにおいては男性側が配偶相手の身体的な魅力をより追求する.また若さの追求は霊長類の中で独自の特徴だ.これは(長期的な配偶相手においては)選択時以降の生涯にわたる潜在的な繁殖力が重要であるからだ.若さや美しさの追求は西洋文化から来ているのではなくユニバーサルな特徴だ.女性に対する美・魅力の基準は決して恣意的ではない.ただし純潔への選好には文化が大きな影響を与えている.しかし結婚後の貞操を求める心は強くユニバーサルだ.
ブコメで叩かれるであろうことはわかっていたが、「呪いにかかっている」どころか「精神病」や「強迫性障害」まで出てきたことについては、はっきりいって今のはてなは異常だ。男性が処女を求めるのは、正常だ。
by-king誰とは言わんが、普段は価値観の多様性の大切さを説いてるのに、自分と合わない価値観に対しては真っ向から否定したり、精神病扱いして矯正しようとする頭悪い人が居るよな
ChieOsanai ふだん多様性万歳と言ってるはてなーも、男らしくない男は徹底的に叩く。それがはてな村のジャスティス。
ここでいう男らしさは、フェミフィルター(?)を通過できた都合の良い男らしさになるんだと思う。
ちょっと前に増田で話題になった「アナと雪の女王」のクリストフみたいな感じだ。
はてな村の多くの人は、ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー(SJW)なのだと思う。
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
http://semimaruclimb.hatenablog.com/entry/2015/05/13/221216
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
こういったことが起きる。
はてな村が偏っていることは、「はてなユーザーの性格分類統計」(http://fuyu.hatenablog.com/entry/2015/10/17/025450)でも言われていて、16タイプ中上位3タイプ(INTP,INFP,INTJ)で全体の半分の割合を占める。内向型8タイプで全体の81%を占める。日本人の標準MBTIタイプテーブル(日本版MBTIマニュアル P.80)だと、上位3タイプはESFJ,ESTJ,ENFPで全体の内34%を占めて、外向型8タイプで全体の62%を占める。
はてな村の人達は、自分の立ち位置の特殊性は理解した方がいいのだと思う。
そして、はてなを利用する人は、その偏ったブコメを安易に鵜呑みにしないほうがいい。5chの言葉を鵜呑みにしないがいいのと同じ事で、それはあまりにも当たり前のことだけど。
俺が勤めている職場には今年の春から、高校を卒業したばかりの女の子が入社してくる。
耳障りが悪かろうが、政治的に正しくなかろうが、自然主義の誤謬と言われようが、身分違いで失敗しようが、女性が上昇婚をやめられないように、俺も繁殖力(若さ・健康・くびれ・美)のある処女(排卵隠蔽対策)を求めることをやめられないのである。
そして、社会はそうした多くの人で埋め尽くされており、そうした人が投票や政治活動でそうした社会をまた形作っていく。俺はその社会の中で、処女に関することがふと頭に浮かび、扁桃体神経回路の情報処理の結果が視床下部へ伝えられ、自律神経反応を引き起こして心臓の拍動が早くなり、胃腸の動きの変化を体感しながら生きていくのは、結婚生活における日常生活を営むレベルでも困難になると、その経験から判断した。
これを読んでいる人も、色々な言葉を取り入れつつ、最終的には自分の頭で物事を判断してほしいと思う。
上昇婚に関しては
この話の大前提になるのは、「女性は自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という現在の風潮です。これは結婚に対する意識調査で性格・容姿の重要度が男女共通であるのに対して女性のみ経済力や学歴を求めるとする調査1、実際の女性の婚姻の双方で観測されており2、ほぼ揺るがない事実とみていいでしょう。女性は社会的地位が不安定だから自分より年収の高い男性と結婚したがるのだという意見もありますが、そういったものに縛られない医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらず“パワーカップル”と名付けられた高年収夫婦が統計的に明瞭に観測されるので、その指摘はほぼ無視して良いでしょう。
一昨年の初夏。人員不足だからと同じ課の中で配置転換されて、そこでパワハラされた。
無視、仕事の内容伝えてくれない、会議に参加を除外されて決定事項を教えられず決まった事を守らないと叱られ、通院で休日出勤出来ないと言うと迷惑そうに苦笑いされて、風邪をひいて休めば「休んでもいいけどちゃんと仕事をして」と言われ、新しい仕事の内容を確認に行けばそれぐらい予測できないんですかと言われ、とにかく初めての事が多いのに謗られ詰られ、自律神経がおかしくなった。
瞳孔が眩しくてもちゃんと閉じない、 寒くて震えが止まらない等。
このままでは本当に鬱になってしまうと課長に言っても「戦略的な事で配置転換したから」と取り合ってもらえず、産業医面談までした。
お盆休み明けも無視と捌き切れない量の説明の無い仕事を積まれて、なんとかその日を終えたもののどうしても明日会社に行きたくない気持ちが会社の出口に立った時に湧いて、行かなくていい為には死ぬしかないと結論を出してしまった。
轢かれる為に会社の目の前の道路に飛び出そうとして、あんまり痛くなく済むスピードの車を。と選んでいる時、人が後ろを通って正気になった。なって、心臓がバクバクして冷や汗が止まらなくなった。
それから1時間弱、邪魔にならなそうなところにうずくまって、落ち着くまで深呼吸して。
涙が勝手に出て惨めで辛くて。
毎日フラフラになりながら会社に行っていたら、産業医と課長と三者面談になって。
そこで大泣きして、泣き止めなくて。やっとヤバいと判断されて、移動になった。
移動先は皆何をされたか知っているから、優しいし穏やかな場所だ。でもたまに色々フラッシュバックする。けど、なんとかやってる。
でも、パワハラしてきた相手は罰を受けない。受けたと言う話はない。
多分何年かしたら、昇進するかもしれない。
許さなくてもいいですか。
復讐してもいいですか。
偉くなりそうなタイミングを教えてもらったら、社のパワハラ委員会に相手が何をしたか伝えていいですか。
謝ればいい話じゃなくて、謝って欲しくない。会いたくない。遠くから姿が見えるだけで冷や汗が出て動悸が激しくなるし、目眩がする時もある。
愚痴を書かせてください。
私は、彼と同じ学術分野(文系)のQ教授の過去の研究内容に疑義があり、それを指摘するために本講座に参加している。
最近わかってきたのは、Q教授の研究はまさに先行研究だということ。彼らは先行研究だったのに押さえてなかった。つまり、タコツボだった……。
文科省の審議会の人文学・社会科学振興に関する平成21年の報告書を読んだのですが、
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/1246351.htm
基本的にこの頃から問題の性質は変わっていません。十年ぐらい叱られているのに、それでも克服できない。
昔の学者ってどうだったのかなと思って、マックス・ウェーバー『職業としての学問』を読んでみたのですが、当時のドイツの大学では、私講師という資格だけが与えられ、何を教えてもよく、給料は受講生からの授業料の上がりだけ、つまり出来高制だったみたいです。しかし医学や自然科学系の研究に巨額の資金が必要となり、アメリカでは研究者という仕事が月給制になった。ドイツでもアメリカナイズが進んでいるとウェーバーは書いている。ドイツ式だと市場原理が働くので、実力不足の学者は淘汰される。一方、アメリカ式だと雇用が保護されるので、官僚主義がはびこる。
日本で大学が設立された頃の事情ですが、福沢諭吉あたりが大学を創設した後、その後に官立大学を作ったみたい。2011年の東日本大震災で原発御用学者が社会的に批判を受け、国立大学法人改革で彼らは国家公務員ではなくなった。
いままで国は学者個人の自主性・自律性を尊重するとか言って、お金は出すけど口は出さなかった。しかし厚遇しすぎて、仕事をえり好みする人ができあがった。果たして障害者にフッサールを教えることが正しいのか? 私は、彼らがずっとサボタージュしてきたQ教授の過去の研究の批判という仕事の督促のためにやって来たのですが、彼らは、どうしてもフッサールを障害者に教えたいらしい。Q教授の批判という仕事は絶対にやりたくない。病人の私に押しつけたいそうです。病人の私がいまやらないといけないのは自分の病気を治すこと(自己保健義務)です。早く元気になって、勤労と納税の義務を果たすことです。Q教授の批判なんて、病気に障るからできるだけやりたくないのだが。
国が税金で複数の学者を雇っているのは、お互いをチェックさせるためなのですが、彼らはタコツボという自分たちの宿痾を克服したくない。どうしても大好きな哲学学を障害者に教える仕事だけをやりたい。私はいまQ教授が20年前に書いた悪書を読んで、問題点を洗い出す作業をしている状態です。泣きたいですよ。
文系って理屈っぽい。「理論上はこの結果がでるはず」と自説にこだわって、ありのままの事実を認められない。理想主義者なんですけど、理想論を学生にも吹き込む。そうするとモンスター障害者、モンスター高齢者ができる。大学教員もモンスター化しているともいえます。
東京周辺に在住している高齢障害者が熊谷さんの講義を何回も聞いている一方で、沖縄の子どもの貧困率は29.9%です。
いま医療費が年1兆円ベースで急増している。とても国民全員に熊谷さんの講義を何度も聞かせられる財政状況ではない。税金で喰っている哲学者と税金で喰っている障害者が学校を開いたら、そりゃあ「学ぶことはすばらしい」という結論になるでしょう。その学費を稼ぎだしているのは誰? 受講生は病人だから知らなくてもいいと思うけど、プロである学者がそんなことさえわからないとしたら、職業としてもう終わりだと思う。一度、マックス・ウェーバーの時代に戻すべきでしょう。
いまの文系の振興策、例えばこんな研究に三年間で一千万ぐらい使われちゃってるんですけど、
https://www.jsps.go.jp/jissyakai/data/saitaku/h25_houkoku/hamauzu.pdf
こういう税金の使い方、本当にいいのかな。