はてなキーワード: 自律とは
囃し立てられすぎたんだよ。マジメに律してくれる人がいないし、自律もできなくなってしまった。学ばなくなってしまったのだよ。
ダリフラ、いいよね。
テレビアニメに求めるものは人それぞれ、色々あってしかるべきだと思うよね。おれは絵画が好きだし、絵が(写真でなく)動いてるだけでアーンイイネーと思っちゃう人間で、ダリフラは完全にいいね。画面は美しいし、002はかわいいよね。
6話はよかったよね。016は326とかに「乗せられてただけ」「002は独りで戦える」とかって意地悪言われてて、真に受けてたんだよね。016は326の実力を認めてたし、その326が002に使い捨てにされて、やっぱり002は独りで戦えるんだ、どうせオレも使い捨てかと捨てバチになってたと思うのよね。でもホントの死に直面してみて、002にもパートナーが必要だってわかったんだよね。だから死ねない、死たくないと思ったんだよね。落ちこぼれと言われ続けてた016が、久々に?自分を認められたんだよね。ちょっと016の心が強すぎる気もするけど、あんまりクヨクヨしてると碇君になっちゃうからね・・・。
SFとしてもいいなあと思うんだよね。最初はスタニスワフ・レムの砂漠の惑星のことだと思ったね。自律進化したロボットが滅ぼした惑星で、生命の力強さを見いだすという話ね。叫竜は人工物っぽいデザインだし、マグマエネルギーを採取するためのロボットなのかなあとか妄想できるね。ターミネーターかよ!そういう世界だとしたら、新開発のフランクス搭乗員がカスみたいな存在で泣けてくるね。今後の展開が楽しみだね。単に生命が散っていくだけじゃないといいなあ。
要するに、眼鏡が大好きです!
動悸、発汗、息苦しさ、睡眠障害などなど、いわゆる、自律神経が失調した状態となった。
仕事は、お休み中なのだが、何もしないということが、すごく不安です。
いったい、どうすれば、良いのだ。、
支離滅裂な文章になってしまっているので訳が分からないかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章。
まず、僕の状況から説明する。某都道府県のトップレベルの進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCHを受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人。早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。
こんな所に書き込みなんてしてないで、最後の最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。
どう言っても敗者の言い訳にしかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。
親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。
僕は一小一中の地元の学校に通って成績でトップに位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校に入学して気づいた。
高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。
高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。
今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。
そして、高校にぎりぎり、滑り込みで入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。
僕はどうしたらいいか分からなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間はゼロに等しくなった。
勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生。格差なんて一気に広がった。
模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。
トップであることが勉強のモチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強を普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。
偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。
3年に無事進級してからは受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分を勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。
はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。
ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。
冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。
僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校で先生に候補の大学を出して貰いなさい、ということを言った。
次の日、先生と面談して幾つか候補の国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。
意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションがゼロになった。
昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である。
自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。
出願を行ったのも自身であったから勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。
親は自身の体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。
でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代と現代は事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか。
僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ。理系だから院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分の体制を整える猶予が。
残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。
書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずである。しかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。
他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である。
内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。
もちろん、親に関しては自分へ金銭、時間の投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分の意見をきちんと突きつけられるようになりたい。
出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。
かなり長い文章になってしまったから、最後まで読んでくれた方はいないかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えます。ありがとうございます。
どうしたらいいんだろう
新しいガジェットと考える? だんだん育って自分と似たような知性を備えたり、なんなら越えられたりする機能がついてるのはちょっと凄い、かつてない。
幾らくらいだっけ1000-2000万? まあ金は良いとしてもだ。
それより、面倒見るのすごい大変なんだよね。犬でも面倒だったのに。犬と違って10年くらいすればだいぶ自律するんだっけ? あんまり期待できないか。20年ならまあマシになるか。
うーん。めんどいな。愛は覚める。でもいないと寂しいのもわかるんだよな。老後はおいといて40-50代の暇つぶしとか働く理由としては良さそうなんだよな。
はてなだとすぐに「お前みたいなのは虐待するからやめろ」とか言われるからなー
虐待親とか露骨に不幸だし不幸にはなりたくない、作らない方が合理的ならそうしたい。
ガチャ度合い高いんだよな。あまりにも知性が低く生まれてしまったら愛せそうな気がしない。
まあ私と配偶者の子なら賢く生まれるだろうか。でももういい年なんだよな。
悩むなぁ。
【カトリーヌ・ドヌーヴが署名した記事の翻訳の件】お返事を拝見しましたが、いろいろ問題点が残っているようです。目下時間的余裕を欠くためにぶっきら棒な指摘の仕方をすること、ご寛恕ください。テクストを読む際に、まして翻訳する際に当て推量はマズイですので、以下の諸点を改めてじっくり検討されるますように。(元記事: http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)
参照サイトのhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie は、la galanterieというきわめてフランス的なものを適切に説明しています。けれども、その内容の一面だけ取り上げて、「恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順」というふうに「恋愛」や「誘惑」に直結させてしまうのは行き過ぎです。なぜなら、①そもそもフランス語圏の日常社会生活で言われるla seductionの意味するところは、日本語の「誘惑」よりずっと広く、一般的である。②男性が別に何らまったく誘惑の下心なく女性にドアを開けて差し上げる、席を譲る等のレディ・ファーストも、そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば立派なla galanterieである。③la galanterieをめぐって、それは男女同権原則を何ら妨げることなく男女関係を文明的にする作法なのか、男性優位のパターナリズムの表現なのか、という議論が頻繁に行われているという文脈がフランスには存在する。
■agression machisteについて:
前項の(3)からも分かるように、agression machisteは、(外見に反して男尊女卑を含意している)パターナリズムの押し付けを指しており、問題のテクストの賛同者たちによれば、la galantrieは agresssion machisteではない。ある種の「痴漢行為」はagression machisteの一つと言えますが、agression machisteすなわち「痴漢行為」ではありません。
■s'autonomiserに関して:
「自立」と「自律」は区別する必要。autonomieは「自律」です。また、現状の日本語では、「自立する」とは言いますが、「自律する」とは言いません。
■une conception substantielle du bienについて:
これの改訳例として私が「実体論的な善概念」としておいたのを「善の本質的な概念」に直しておられますが、それでは意味を成しません。この言葉は、哲学的で少し難しいのですが、まず間違いなく、道徳律をたとえば「他者の自由を妨げない」ことというように「否定的」な形式で考えるのでなく、「これがが善だ」というように実体論的に(あるいは、本質主義的にと言ってもいいでしょう)考える、そういう善概念を指しています。あとに出てくる哲学者のRuwen Ogienが世間の道徳を批判するときによく使う言葉でもあるようです。ですから、「実体論的概念」「本質主義的概念」と、「本質的な概念」はまったく異なります。ゆえにここは、せめて「本質主義的な善概念」とでも訳しておかないといけません。
■misogynieについて:
これは「女性嫌い」「女性蔑視」であり、「女性差別」の元になり易い性向ですが、「女性差別」と混同するわけにいきません。
■la liberte d'offencerについて:
「この概念が攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)『権力』『権威』とそれをアンタッチャブルなものにする空気」と断定(推量?)するのは早合点です。テクストに、Le philosophe Rugen Ogien defendait une liberte d'offenser... と書いてあるのですから、固定観念に囚われず、Ruwen Ogienの哲学思想を念頭に置いて理解しないといけません。そうすると、「人の気分を害する自由」あたりがやはり適切なのです(「中指を立てる自由」は論外)。
■la liberte de dire non a une proposition sexuelle ne va pas sans la liberte d'importuner :
「『ウザがられる自由』が男たちの側にあると解釈するのは…」無理ではないですよ。それどころか、その自由を相手(←ここでは男性)に認めるからこそ、女性の側がそれを「ノン!」と突き返す自由が生きるわけです。「ノン!」と拒否することがimportunerすること、ウザがられることではありません。なお、こういう間主観的関係が成立するのが男女間に限らないことは言うまでもありません。
■Pour celles d'entre nous qui ont choisi d'avoir des enfants, nous estimons...:
これを「子供を持つことを選んだ人々のために」とか、「私たちの中で子供を生むことを選んだ人達のために」と訳すのは、当該テクストの文脈の中では明らかに誤訳です。"Pour"はここでは、En ce qui concerne や quant aの意味なのです。著者(たち)は、私達のうちで子供を持つことを選んだ者についていえば、私達の考えはこれこれだ…、と述べているのです。
以上。
それとも風邪でしょうか。
http://www.kawamura-jibika.com/blog/?p=250
より
3-1.
鼻を温めて深呼吸をする
鼻を温めると血流が改善され、鼻の中がすっきりしてくるはずです。
花粉症の鼻づまり、風邪の鼻づまりなど、どんなタイプの鼻づまりにも効果があるといわれています。
鼻に蒸しタオルを当てる
お湯をためたタライに鼻を近づける
熱がなければゆっくりとお風呂に入り、体を温めて血流を改善しつつ、湯気を吸いこむような気持ちで深呼吸してみてください。
外出中に鼻づまりを何とかしたい時は、使い捨てカイロを鼻の根元に当ててみましょう。
3-2.
脇の下を刺激する
テレビ番組で紹介され、鼻づまり解消法として注目が集まっているのがこの方法です。
子供のころ、横を向いて寝てると鼻づまりが解消されたという経験はありませんか?
脇の下にある自律神経を圧迫することで反対側の交感神経を刺激し、血管を収縮させて鼻の粘膜の腫れを改善する、という原理です。
鼻づまりなのに脇の下が関係しているの?と思った方はぜひ試してみてください。
やり方は簡単で、つまっている鼻とは反対側の脇の下にこぶしをはさみ、圧迫します。
こぶしの代わりにペットボトルでも構いません。
圧迫するときはこぶしを入れた脇を下にして、横に寝てみるとよいでしょう。
3-3.
鼻うがいをする
鼻の奥についた花粉やほこりをしっかり洗浄する効果がありますので、花粉症で悩む方は毎日行うと良いでしょう。
鼻うがいのやり方は以下の順序です。
煮沸した水で0.9%程度の食塩水を作る
顔を横に傾けるとスムーズですが、傾けすぎると食塩水が耳管に入り、中耳炎になりかねませんので注意してください。
また、鼻うがいが上記のようにできない方は、鼻で水を吸い込み、鼻の中を洗う要領で行っても構いません。
真冬は水が冷たく、そのままでは痛みを感じる場合もありますので、できればぬるま湯を使って行いましょう。
煮沸した清潔な水で行ってください。
だそうです。お大事に。
「己の意志で罪と責任を感じ律して行動する」と「罪や責任が抑止力として機能している」の差はどこら辺にあるんだ?
まあそれはともかく、俺はそういう「自律」は客観的な観察ができないので本当に自分が他の選択をできたのかどうか確認する余地はなく、「できた」と自分が認識していることに大きな意味は無いと考えている。
しかしみんなが「お前は他の選択ができた」と考えることには社会的な意味が十分にあろう。
もちろん倫理的・宗教的な態度としてそういう「自律」に価値を置くことは理解するが、「真の自由」とまで言われると、そんなおまえ一人の心の中の動きなんてそんな大層なもんじゃないだろ、とは思うわ。
この点は全く同意なんだけど、
世の親たちは褒めるべきところできちんと子を褒めてほしい。
褒めて育てた子ほど、親に評価されたい一心で生きることになるのでは?
アドラー心理学の視点から書かれた記事によると、「褒めることは相手の自律心を阻害し、褒められることに依存する人間をつくり出してしまうことになる」と捉えているそうで、「褒められたい」と思うことは依存で自律性を欠いた状態であり、人を褒めるということは、その人の自律性を奪うことになるのだそうです。
人が自信を持って行動するのは「上から評価して褒められたとき」なのではなく、「横から勇気づけられたとき」であり、こうした感情を何度も受け取ることによってのみ、人間は自律的に成長していくことができるのだそうです。
だそうな。
私の大学受験が近いことで父が苛立っていて、ろくに勉強をしていないとかだらしがないとか態度が悪いとかいうことで毎晩毎晩怒られている。
勉強が足りていないのと怠惰なのはその通りで、自立・自律できていない私にももちろん多大な非があるのだけれど、態度への叱責に関してはすごく不当に感じる。ただいまの声が暗かったとか、口数が少ないとか、話しかけても勉強中なのをいいことに目を合わせようとしなかったとか、そういうちょっとしたことで烈火のごとく怒る。突然怒鳴りだし、物を投げ、扇風機のような大きなものを引き倒したり、丸めた新聞でゴキブリのように何度も私を叩いたりする。
怒っているときの父は完全に目がヤバくなっていて、抗議の声を上げれば大きな吼え声で遮られることもある。おまえはどうしていつもそうなんだ、どうしてどうしてどうしてと問い詰められ、なんと言えば許してもらえるのかわからないまま1時間や2時間にわたって正座させられる。ほとんど毎日!
(ただしそれでも、怪我が残るような暴力に限ってはほとんど振るわれたことがない。愛と理性だ……。)
私の態度に対する父の過剰な反応からは、わが子に不当に嫌われ蔑まれているという被害妄想のようなものが感じられる。決してそんなことはないのに。ただ父は干渉が過剰で、私の勉強中に頻繁に様子を見に部屋に立ち入るなどするので、それに対してつい鬱陶しそうなそぶりをしてしまうのがいけないのかもしれない。
現在のように父が怒るようになったのは、私が小学校4年生で中学受験の勉強を始めたときが最初だ。あのときも子どもが思うように勉強しないことへのもどかしさや焦りで気が立っていたのかもしれない。ごめんなさい。当時の記憶として、私が壁沿いに尻もちをついて怯えていて、父がヤバい形相で新聞を振り上げていて、母がおとうさんやめてと叫んでいる…… というような情景がおぼろげに残っている。
私が無事に中高一貫校に合格すると父の叱責の頻度は減り、5年間を比較的穏やかに過ごしたが、最近また大学受験を期に関係が悪化してきた。これまではウワーと怒鳴られても反抗的に淡々と言い返すことが多かったが、最近は手を上げられる前から簡単に泣いてしまうようになった。精神が変になっているのかもしれない。泣けばうまく話せないし、相手をますます苛立たせてしまう。それに何より見苦しい。非常によくない。
不思議なのは、叱責のきっかけや内容、直後の悔しかった気持ちを、時間が経つとほとんど思い出せなくなってしまうことだ。だいたい怒られた30分後には何事もなかったかのようにケロッとしている。家での叱責以外で会話の内容を忘れるなんてことはないし、どちらかといえば過去の感情はねちっこく反芻するタイプなので、多分怒られすぎてどうにかなっているのだろう。
中学受験のときと一緒で、きっと大学受験が済めば父は多少穏やかになるのだと思う。ただあと3,4か月耐えなければいけないと思うと家に帰るのがツラい。今年に入ってから母が祖母の介護のために家を空けていて、帰ったら父とふたりきりなのだからなおさらだ。それにもし浪人すれば追加であと12か月、今よりもますますヒートアップするに違いない。
(たまに母が帰ってくると私の教育方針のことで父との怒鳴り合いが始まる。私がかわいげもなく怠惰な穀潰しであるせいで家庭がおかしくなっている。申し訳ない……。)
家庭事情を友達と比べることなんてないので、自分の家がどのくらい異常なのかわからない。ツラいことにはツラいけれど死ぬほどツラいわけではない。親子なんて案外これくらいが普通なのかもしれない。スクールカウンセラーに相談に行こうかとも思うけれど、この程度のことで手をわずらわせていいのかわからない。
以前勤めていた職場は自宅から3kmの場所、すなわち車だったらものの数分で着いてしまうし、徒歩でも1時間かからず行けてしまう。
結果、台風だろうが雪だろうが出勤して当たり前だったので、昨晩のような台風や雪に見舞われると結構面倒。というか予報の段階で殺意を覚えたものだ。
結局、そこの仕事は自分の適性と全く合わなかったので数年勤めて辞めてしまい、今はいろいろあってクルマ→電車と使って片道2時間近くかかる職場だが、通勤時間については全く不満はない。
これは通勤の道のりが大学時代に通った道とほぼカブっていることと、何より仕事が比較的自分の適性に合っていることが大きい。
このような経験から、天候に左右されるレベルで自律神経が弱い人でもない限り、通勤時間の長い短いなんて本当に些細な問題というのが、自分の得た教訓である。