はてなキーワード: 憂鬱とは
そんな感じで俺たちは着々と勝利を重ねていく。
そして、あっという間に決勝戦を迎える。
「優勝は……カジマ選手!」
「うおおぉぉっ! やったっすー!」
そして優勝を決めた。
……随分な話の端折り方をしてしまったが、これには理由がある。
まず地元の一般人のみ参加という制約上、レベルがそこまで高くない。
俺の観測範囲内ではあるが、地元でこの番組に参加するような人間でイタガリアンの適正がある奴はほぼいないんだ。
だが、その中でもカジマは適正がそれなりにある人間だったと確信していた。
前も言ったが、こいつは自己顕示欲が強い。
一般人がテレビになんて出たら大抵は緊張してしまい、普段のパフォーマンスを発揮することは難しくなるだろう。
だが、カジマは「目立てる」という感覚を優先させるのでリアクションを躊躇しない。
それでも多少はプレッシャーを感じていると思うが、程よい緊張感はパフォーマンスをむしろ向上させる。
特にこの日のカジマは、プロのアスリートでも珍しいと思えるほどに絶妙なコンディションだった。
更に身も蓋もないことをいうと、カジマは“絵になる容姿”を持っているのが何より大きい。
そんな奴がリアクション芸人さながらの痛がりっぷりを見せるのだからウケるに決まっている。
目立ち方の良し悪しを上手く判断できないのが弱点ではあったが、それは俺が手綱を握ればいい。
そして計算どおり、見事カジマはそれに応えてくれたってわけだ。
「さあ、今回から優勝者にはボーナスチャレンジの権利が与えられます!」
「何だよそれ、聞いてないぞ」
それが自分の落ち度ではなく、あずかり知らぬところで起きたことなら尚更である。
「スペシャルゲストと対戦していただき、買った場合はなんと賞金が倍!」
如何にも番組的な都合で捻じ込まれたような、思いつきの要素だ。
だが俺にとって嬉しい誤算ではあった。
これで山分けしてもかなりの金が手に入るぞ。
「加えて次回のイタガリアンにレジェンド枠として参戦もできます!」
と思ったが、やはりやめたほうがよさそうだ。
賞金が倍になるのは魅力的だが、次回もまた参戦しなきゃいけなくなったら憂鬱だ。
「あの、このボーナスチャレンジって絶対やらないとダメですか?」
「え……ああ、別にここで負けたとしても賞金が没収になったりとかはしませんよ」
「いや、そうじゃなくて、ボーナスチャレンジそのものをやりたくないって意味なんですが」
「……えー」
俺はそう司会者に尋ねるが、あまりにも予想外の質問だったらしくて困った反応をしている。
まあ、そりゃそうだ。
そもそもこの番組に出て優勝するような人間が、このボーナスチャレンジを断る理由はないからだ。
俺の参加動機が不純なのが悪い。
賞金が増えるなら結構なことだし、次回の参戦権は俺だけ辞退すればいいだろう。
「さあ、今回のボーナスチャレンジで戦うスペシャルゲストはこの方でーす!」
司会者がそう告げると、会場の正面にある扉から煙が吹き上がった。
ちゃちな空砲の音と同時に、扉が開かれる。
いや、誰だよ。
ローカル番組にそんな大層な有名人が来るなんて期待していないが、変にハードルを上げておいてこれは……
「まさかイタガリアンに出てくれるなんて、あまりにも予想外!」
しかし会場は彼の登場に大盛り上がり。
まさか、俺が知らないだけなのか。
「マスダ、知らないの? ネットでも一時期ミーム化した人なのに」
正直、カジマのいうネットミームは、かなり限定された範囲での話なことが多いから鵜呑みにできない。
だが、他の人の興奮ぶりを見る限り、実際に有名な人物のようだ。
「そいつは何でそこまで有名なんだ?」
なるほど、サッカー選手だったのか。
しかし、あの国ってサッカーがそんなに強いわけでもないし、そこまで熱狂的なイメージもなかったと思うが。
その国の元サッカー選手が何でそんなに有名なんだ。
Day 2
自律神経をやっていようと、そうでなかろうと、旅行で眠れないのはいつもの事だが、処方された睡眠導入剤を飲んでも5時間足らずしか眠れないとなると、この体質は筋金入りだ。
自然に目が覚めたのは6:45。
二度寝を決め込もうとしても、ちょっとウトウトするだけで、眠気は「こんにちは」してくれそうもないので、あきらめて起きることにした。
眠気はどうあっても俺に「おはよう」と言いたいらしい。
睡眠不足とホテルパーソンへのコミニュケーションのハードルを前に少し逡巡したが、おそらく一番ストレスが少ない形で美味いものが食える可能性が高い、ホテルの朝食をとることにした。
朝食会場に向かう途中、外を見ると、強い日差しの向こうで噴水が上がっていて、これぞ南国の午前という感じだ。
シャンデリアの下がる大広間でコーヒーをサーブされて、料理を物色するというのは朝から優雅なものだ。
ホーチミンはフランス植民地時代からアメリカ傀儡政権の時代まで首都を置かれた地で、パン食の文化がある。
果たしてビュッフェにもバゲットやチーズ、レバーパテがあり、これは行くしかない。
他にも当然アジアスタイルの炊き込みご飯やカレー、ライスヌードル、揚げ春巻きもあって、洋越折中といった雰囲気だ。
どれも美味いが、カレー(多分)が出色だ。
さっぱりして、辛すぎないマイルドな味わいだが、スパイスの香りが口の中に拡がって抜ける。
席の背後をチラッと見ると、「Sweet TOFU」の文字と壺。
「TOFU?」とホテルパーソンに声をかけられて、首を横に振ったが、やはり気になる。
結局サーブしてもらうことにした。
甘い豆腐。予想通り豆花だった。
しかし、台湾のそれと違って暖かく、ココナッツフレーバーと生姜蜜がかかっている。
美味い。
これだけ食って自律神経失調症も無いもんだと言われそう。
大変満足した。
あの日差しを浴びたい。ポーチに気休めの安定剤を詰め込んで、食後の散歩に出ることにした。
行く当てのない散歩だけど、とりあえずベンタイン市場を経由してサイゴン川を目指そう。
よく見ると現地の人だけでなく、観光客と思しき欧米人の対応力も凄い。
「バイクを見切って躱す」のはこの街では必須スキルなので、嫌でも身につくらしい。
昨日と違う事と言えば、バイクのライダーのオッチャンに頻りに声をかけられる事。
迂闊に乗ったら多分ヤバイやつ。
「Ser , Go work.」笑顔で固辞して先を急ぐ。というフリでプラプラ歩く。
ホテルの目の前の公園で談笑していた少年たちに許可を貰って一枚。
リーダーか、英語ができるかする少年に何か話しかけられたが、意味はわからない。
でも敵意はないのは伝わったようだ。
しばらく歩くとベンタイン市場に到着した。
体育館の様な大型のアーケードの下に、色取り取りの生地や雑貨、飲食店。
夕食はここにしようかな?
自律神経が働いた悪さなのか、旅行の緊張なのか、食べ物の匂いがまだ辛い。
ここでも頻りに声を掛けられるが「ハハハ」と笑いながら素通り。
10:00。
日本以外のアジアは大体が外食文化で、例えば台湾などでは学生は校門前に陣取る屋台で朝食や昼食を買って教室で食うらしい。
多分ベトナムも同じなんだろう。
周りを見れば、学校の向かいに軒を並べる露店で固まって食を取っている学生も多い。
ドン!
飲料水を買おうとしてファミマに入ると、そこでも学生が食事を摂っている。
それにしても男子ばっかりだ。
青い揃いの制服のせいか、男子学生達は一様に小綺麗で、教育程度も高そうな印象を受ける。
一旦学校前を離れて、日本で言うところの伊勢丹、いやもっと格上の三越のような存在の百貨店、サイゴンセンターを物色した後、1時間程で戻ると、男子達はまだ周囲の露店で食ってる。
こいつら引っ切り無しに食ってるな、なんだったら今が本番かも知れない。
暑さもキツくなってきた、先を急ごう。取り敢えず川が見たい。
学校前を離れる時に、校舎の壁に学校名のエンブレムを見つけた。
ARIZONA STATE UNIVERSITY
なぜアリゾナ州立大学がホーチミンにあるのかは分からなかった。
相変わらずの躱しゲーを繰り返しながら辿り着いたサイゴン川は、隅田川よりもっと広く、澱んでいた。
薄々勘付いていたのだが、自分はまあまあな晴れ男であり、観光やここぞと言うときに雨に当たられる事は少ない。
10月初頭のホーチミンはまだ雨期のはずだが、それでさえもこの有様だ。
自律神経の不調も憂鬱な気分も、事、天気に関しては影響しないらしい。
願わくばその運をもうちょっと別の事にも回して欲しいくらいだ。
雨のホーチミンで、お茶でも飲みながら茫然とするというビジョンはひとまず実現せず、現実には炎天下の橋の上でこの旅行記を書いている。
何はともあれ、この時間でやりたい事はやった。
ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、気になって例の学校について調べると、やはりというか、アリゾナ州立大学ではなく、カオタン テクニカルカレッジというらしく、機械や電子に関する工業高校らしかった。
そりゃ道理で男ばっかりな訳だ。
学校の程度はわからないものの、自作で車を作るイベントがあったり、インテルと提携して人材開発を行なっているらしかったり、そこそこ優秀な雰囲気を感じる。
ここは工業化・近代化真っ最中のベトナムだ、生徒といえば荒っぽい男の子達ばかりと相場が決まっている日本の工業高校と同じ感覚では考えられないのかも知れない。
多分、アリゾナ州立大学ともなんらかの提携を結んでいるのだろう。
Day 1
羽田の深夜便だった前2回の旅行と違い、今回は成田発で、昼出発。
しかもややメンタルに不調を抱えているとあって、余裕を持った出発を心掛けたかったが、時間を勘違いして、ギリギリで成田エクスプレスに駆け込み、その上方向を間違えて折り返すという失態を演じてしまった。
肝心な時には何かバタバタする傾向がある自分なので、「またやってしまったー」と思ったが、どうやらチェックインには間に合いそうで、成田エクスプレスの車窓から畑を眺めながら、「この旅行に行って何になるんだろう」と愚にもつかない事を考えた。
別に何が起こるわけではない。
ただ若い頃からずっとボンヤリあった心象風景、雨のベトナムで川を眺めながらお茶や料理を食べる、その画をこの目で見て来るのだ。
メンタル不調なんて、ボンヤリするのに格好の舞台装置じゃないか。
前回の香港旅行では、事前に広東語のフレーズをいくつか覚えて行ったが、「話せるものの聞き取れない」という致命的な見落としがあり、結局中学校時台成績2の片言にもほどがある英語と、メモによる筆談で乗り切ることになった。
ベトナム語も広東語と同じ声調言語(音の高低と発音で意味が決定する言語)であり、しかもその声調というのが「コブシを効かせるようにいちど下げて上げる」「波のようにうねって上げ下げして上げる」という難解極まるモノで、もう「ありがとう」「これください」「トイレはどこですか」以外のコミニュケーションは投げている。
今回搭乗したベトナム航空は、ベトナムのフラッグシップのようで、エコノミークラスといえど、タイガーエア台湾や香港エクスプレスとはモノが違う。もちろんTGATやHKEXが悪いって訳じゃないけど、地上職員は日本語ができるし、機材も大型で安定していて、シートには枕やブランケットが用意され、機内食も出る。
さらに、シートにはモニターが設置されていて、映画その他も見られる。
海外に行くときはその地のポップカルチャーを予習して行きたいのだが(香港前に発見したアガサ・コンは最高だった)、ベトナムはまだYoutubeでの情報が少なく、これと言った映画やアーティストを発見できずにいた。
そこでモニターをポチポチやっていると、果たして良さげなベトナムのアーティスト(多分)を発見したのだった。
英語詞の曲とベトナム語詞の曲が半々。音楽性はR&BとEDM(ダブステップの様な強めじゃないムーディーなやつ)とジャズを掛け合わせた様な感じで、ジャスティン・ティンバーレイクを思わせる。
機内では検索できないので、あとで調べよう。
朝飲んだ安定剤が効いているのかな、憂鬱な気分が後退してきていい感じだ。
ややあって、海外旅行なら一度は聴いてみたい、「pork or fish rice ?」というフレーズと共に機内食がサーブされた。
ベトナムの航空会社なのに機内食で和食が出るという不思議仕様でもっぱら噂のベトナム航空だ。
ここで「fish」と答えれば和食が出て来る事は間違いなく、折角の海外旅行、しかも出発便の機内食が和食というのもどうかという事で、「pork」と答えると、豚の唐揚げの煮物をチャーハンにぶっかけたようなご飯と、海鮮春雨サラダ、パン、デザートが出てきた。
春雨の方はヤムウンセンとかそれに類するもので明確にアジア料理だが、ぶっかけご飯の方はなんだか分からない。
付け合わせが椎茸の煮しめだったり、桜の形に型抜きされたニンジンである事も地味に混乱する。
味はというと、エコノミーでこれだけの物が食べられれば充分満足で、その後、暖かいコーヒーのサービスがあったり至れり尽くせりだったのだが、あれはベトナム料理だったのだろうか。
カラトリーがまとめられた袋の底に、スパイスの小袋が入っており、「甘利香辛食品株式会社」と書いてあった。京都伏見の会社であるという事だった。
機内食で腹を満たし、少し微睡む。
眼が覚めると機内は消灯されていた。
英語のスポーツチャンネルを見ながら、「早くホテルで横になりたいな。でも何を楽しめるんだろう?テレビをつけても何言ってるか分かんないだろうし」という思いが浮かんで来る。
チャンネルでは、MTBのアーティストが大木やバランスボール、建築物やワインディングロードなど様々な障害をキッカーにしてトリックをキメていた。インスピレーションを色々なものから受けて、驚くべきビデオやショーを生み出すらしい。
他の人からは無意味に見えるものに価値を見出して楽しみ、アートを生み出している。
意味不明に見えるけど羨ましい。
普段の自分もそういうキャラなんだけど、ダメかもなぁと感じてしまう。
多分、朝飲んだ安定剤が切れる頃合いだ。
自律神経失調症で襲って来る不安と無力感、安定剤を飲んで感じる旅行への期待。
正常と狂気の境は曖昧だと思っていたが、こうして自分そのものだと思っていたものが揺れ動くと、もっと根本的な、「自分」や「個性」というものが虚ろなものに思える。
深追いはしないでおこう。
しばらくして血糖値が安定すれば、少し収まって来るに違いないから。
「間も無く、当機はホーチミンに到着いたします。到着は19:30、ホーチミンの気温は38℃です。」
機内アナウンスに耳を疑った。
今年の異常熱波は関東平野の都市化が高気圧をブーストしており、バンコクより気温が高い、なんだったらユーラシア大陸で一番高いとさえ思っていたが、勝手な思い込みだったようだ。飛行機を降りると湿った空気を感じる。日本人の歪んだプライドは常夏のホーチミンの湿った熱波が吹き飛ばしてしまった。
19:50、国際空港の入国審査というのはどこか陰鬱な雰囲気なものだが、イミグレーションを抜けてもタンソンニャット国際空港は静かだった。
改めて旅程について説明しておくと、3泊5日というのは、帰国便がこのタンソンニャット国際空港 6:25発であり、ホテルのチェックアウトが当日では到底間に合わないので、前日にチェックアウトして空港で出発便をまつ、という事だ。
帰りはここで夜を明かすんだろうか。
そう思って建物を出て驚いた。
なんと半解放の広大なスペースに待合ベンチが設置されている。
軒を並べる飲食店、溢れる活気、びっくりするほどの騒がしさ。
タンソンニャット国際空港はこの半野外のスペースも含めての空港だった。
「ははは、スゲーな!」薬が抜けてるに決まってる時間帯だが自然に笑ってしまった。
見たことがない光景だ。やっぱり先生の言う通り、この街に来て正解だった。
学生だったら宿題だったり、社会人だったら仕事だったり、いわばその立場において必要な義務的なものは必ずつきまとう。
社会人になるとそのやらなきゃいけないことは自分だけじゃなく、会社としての責任になるし、やりたくない、では済まされない。
だけど、最近その義務感は感じるものの、身体が動かない。頭が働かない。
やらなきゃ、と思えば思うほど、スマホに手を伸ばし、YouTubeで時間を潰し、夜更かしして生活リズムが乱れていく。
平日の勤務時間にすべて終わらせられない効率の悪さがよくないのか、やる気が起きない仕事の内容が悪いのか、ただただ、自分が無能なだけなのか。
漫然と仕事辞めたいなぁ、とは思うけど、そんな度胸もすぐ転職できるような能力もない。
そんなことを毎週のように考えてしまう。平日前の深夜。
文字は尚とうとばれなかったが、しかし、思想が軽んじられておったわけではない。一万三千の怪物の中には哲学者も少なくはなかった。ただ、彼らの語彙(ごい)ははなはだ貧弱だったので、最もむずかしい大問題が、最も無邪気な言葉でもって考えられておった。彼らは流沙河(りゅうさが)の河底にそれぞれ考える店を張り、ために、この河底には一脈の哲学的憂鬱が漂うていたほどである。ある賢明な老魚は、美しい庭を買い、明るい窓の下で、永遠の悔いなき幸福について瞑想めいそうしておった。ある高貴な魚族は、美しい縞しまのある鮮緑の藻(も)の蔭かげで、竪琴(たてごと)をかき鳴らしながら、宇宙の音楽的調和を讃(たた)えておった。醜く・鈍く・ばか正直な・それでいて、自分の愚かな苦悩を隠そうともしない悟浄(ごじょう)は、こうした知的な妖怪(ばけもの)どもの間で、いい嬲なぶりものになった。
町の病院でゴネ続けている年寄りがいて、看護師も一生懸命説得しているのだが、どうにも埒が明かない様子だった。今日検査をする手はずになっていたのだけれど、どうも本人的には気に入らないらしく、またにしてくれと言っているように聞こえた。「歳を食うと我慢が出来なくなる」「もういい歳だから、検査なんて来月だって来年だっていい」「年上に対する口の利き方がなってない」等ありとあらゆる言い訳を喚いていた。
この年寄りとは全く面識も無く、どのような人物かも知らないので、想像でしかないが。歳を食って偏屈になった人なのかな?と思った。
こんな年寄りの相手はしていられないので、「はいはいわかりました。もううちの病院には来ないで下さい」といってやれば良いのに…とも思ったが、こんな偏屈の相手をいずれは誰かがしなければならないし、ここは追い出されても他所ではまた繰り返すのだろうと思うと、憂鬱になった。
『社会的包摂』だとか美しい言葉だが、元々にしろ加齢にしろこうなった人物の相手なんて、誰がやるのか?家族だってイヤだろうし、誰だってイヤだろうし、こんなのを暖かく受け入れるなんて可能なんだろうか?と。これの相手をさせられる方が気が病むよ。と。
○朝食:なし
○間食:色々(ストレス発散にやけ食いした)
○調子
はややー。
30分ほど残業して帰宅しようと会社の最寄駅に行ったら、なんと台風とかじゃなく人身事故で電車が止まってた。
他の路線で帰ったのだけど、そっちの駅から僕の家までは30分以上歩くから憂鬱なんだけど、仕方ないよねーと納得してたんだけど。
その路線が超混んでてたのに加えて、人身事故とも台風とも関係なく、ちまちまちまちまちまちま電車が止まって、普段より20分ぐらい遅れて駅に着いた。
なんだったんだ? あれは?
そのせいでもう、へっとへとでした……
●iOS
っていうか、RをEXでリメイクする流れ正直あんまり乗り気になれない。
僕はこのゲームを、コレクションするゲームとして遊んでいるふしがあるから、
これが、課金するゲームじゃなければ、そうは思わないのだろうけど、課金するゲームだとどうしても
これ多分、メガサメハダーとメガアブソルの実装に合わせて、サメハダーとアブソルをEXリメイクでしょ……
うんざりするなあ……
まあ、メガバンギラスのときにバンギラスはRのままだったから、うーむだ。
はあ……
○ポケダン(青)
複数案件受け持ってて、PMやったり、PLやったり、PGやったり、いろいろ兼任している。
流石に手が回らないので、派遣社員を雇うが、どうにも無能ばかりで困っている。
この度、掲題の通り「無能派遣社員」のうちの一人が隠れて会社のイベント参加の応募をしてやがった。
イベントの内容は、「社内の親睦を深める会」と称して、みんなで1分間スピーチし合って、フィードバックしよう。みたいなイベントだ。
社内の若年層がワイワイやってる。
どれだけ無能かを以下に記す
<作業依頼関連>
・書類を渡しても読まない
・口頭で説明しても覚えない
・メモを取らない
<質問関連>
・同じこと何回も聞く・聞いたことを忘れてる
・こっちの質問に対して回答しない
・会話が成り立たない
<実績関連>
・報告はしない
紹介ここまで。
人手が足りないので、こんな奴の手でも欲しい。
泣く泣くこの無能派遣社員を10月も延長することを決めた矢先の出来事。
・派遣の契約は作業を遂行することであって、イベント参加することじゃない。
・やることやれてないのに、なに遊ぼうとしてんの?
・無能(40歳)が遊ぶために、僕がスケジュール調整しないといけない。
応募してるのに気づいたのは金曜の夜。
土日を使って、月曜日になんて伝えようか、考えないといけない。
原因は色々思い浮かぶ
僕はどんなにプロジェクトが炎上しててもオフィスの空気をよくするため、いつもわきあいあいとした空気を出している。
そのせいだろうか。
舐められているのか。
<他にも参加する派遣社員がいる>
応募している派遣社員もいる。
しっかりやることやってて、自分自身で時間を調整した上で、上長と交渉して、応募している。
人間としてどうなのよ。
ビジネスマナーとしてどうなのよ。
考えられないんだろうか。
今自分がどういう状況なのか。
どんどん参加してくれ。
プロジェクトに貢献しようとしてるならすごく嬉しい。
でも、イベントの内容は「1分間スピーチ」だぜ?参加者全員20代。
40歳で無能で会話の出来ない、技術力もない、大した経験もしてない、単金45万のおっさんの話を誰が聞きたい?
なに若者に混じって楽しもうとしてんだよ。
どこで、いつ、なにから話そうか。
くたばれ。
気のせいかもしれないが、最近著名人ががんで亡くなるニュースが多い。
私は30代で乳がんにかかってしまい、現在は休職してがん治療を行っているのでそのせいもあるとは思う。
がん治療中の身としては、正直逝去のニュース自体シャットアウトしたい気持ちが強いが、テレビやスマホで見たくなくても目に入ってしまう。
ニュースへのコメントなどでいろいろと考えさせられてしまうことが多くなったので、すっきりしておくためにここで書いておきたい。
きっかけとなったのは、さくらももこさんが乳がんで亡くなられたニュースだ。
詳細は不明であるが、彼女は一旦病院での治療を行い、最終的には代替医療でがんを治療しようと試みていたようである。
そのニュースに対し「お悔やみ申し上げるが、怪しい根拠のないインチキ療法を行うからこんな目にあう。
病院でちゃんと治療をすることが必要だ」といったコメントが散見された。
私もがんが発覚する前、小林麻央さんのニュースを見てそのような感想を抱いた記憶があり、
がんを患ったことがない人、がん患者が周りにいない人にとっては一般的な感想になるのかもしれない。
ただ、がんを患う身となってから勉強・体験をするにつれて、若干考え方が変わるようになった。
がんの種類にもよるが、まだがんの腫瘍が局所にしかみられないステージ0~3のケースにおいては、
がんを根治することを目的に病院は手術や抗がん剤、放射線といった科学的根拠に基づいた標準治療を行ってくれる。
ただし、がんは標準治療が終わっても、必ずしも治ったと言い切ることができない。
寛解状態を維持できる方もいる一方、一旦治療が終わって寛解状態となっても、他の臓器に転移して病状が進む方もいる。
患者としては、ステージ0~3の場合は抗がん剤治療などの辛い治療を耐える気力もあるかもしれない。
私は現在乳がんの根治を目的として抗がん剤治療を行っているが、正直結構辛い(副作用が軽い人もいるが)。
最近はいい吐き気止めがあるので吐いたりこそはしないが、抗がん剤をうって1週間は寝たきりで起き上がれないし、
白血球の数が大分減り細菌・ウイルス感染をおこしやすいため体調が回復しても行動はある程度制限される。
抗がん剤治療が終われば生えてくるし、カツラがあるから大丈夫と人には言ってはいるが、やはりショックだったことは否めない。
薬によっては手足がしびれてペンや包丁を持ったりすることができなくなる。
肝臓や腎臓の数値も悪くなるなど、高齢の人や持病がある人は身体的に耐えられないこともある。
私が使っている抗がん剤の副作用は上記のようなものが中心だが、他にもいろいろなものがある。
また、手術で体の形はかわる。健康な体とはやはりどう見ても違うし、リンパ節を切除することもあるから後遺症も残る可能性がある。
「治る可能性がある」と医者に言われているから、憂鬱ではあるものの病院に行き、
我慢して標準治療を受けているような状態だが、がんが発覚してもこの治療を受けたくないといって拒む人の気持ちは理解できる。
副作用自体が仕事や価値観として耐えられないこともあるだろうし、
頑張って標準治療を受けても、まれとはいえない確率で再発・転移して一気にステージ4の病状へ進むことがあるからだ。
ステージ4は、がんの腫瘍が局所のみならず、他の臓器や部位に遠隔転移をしているような状況を指す。
このような病状では、基本的にがんを根治することを目的とせず、抗がん剤治療を中心とした、延命とQOL向上を目的とした治療方針をとる。
現代医学の限界として、ステージ4のがんの根治は難しいようだ。
樹木希林さんのケースのように転移を起こしても10年程度生きられるといったこともあるが、早期に亡くなってしまうケースも多いようだ。
自分ががんを患うようになって、ステージ4に進行した場合は代替医療をやってみる選択肢を否定できないな、と思うようになった。
病院で治療をしたとしても数年以内にはおそらく死ぬとわかったときに、
患者として副作用てんこもりの抗がん剤治療をやる気力が残っているのだろうか。
ステージ4の場合は原発巣の治療とは異なる薬剤を使うようだが、どうしても前に受けた治療の苦い記憶が思い起こされてしまう。
治らないとわかっている延命治療にお金を使うくらいなら、インチキかもしれないが奇跡的に治ったという人もいるという代替医療をやってみてもいいんじゃないか。
こんな風に代替医療を選択する人がいたって、おかしくないと思うようになった。
もちろん法外なお金をとったり、標準治療は間違っているなどと言ったりしている代替医療に関しては、
それを提供するクリニックや団体自体は問題だと思うが、患者の判断が問題といった物言いはできない。
代替医療を選択したいと思う気持ちをフラットに聞いてくれたり、下心なく相談に乗ってくれたりする人はなかなかいないと思う。
がんは日本人の2人に1人がかかる病気なので、病院の外来待合室はいつも患者とその家族で大盛況だ。
医者や看護師は忙しく、話を聞いてくれる余裕はなさそうで、「治療を受けるのはあくまで自己判断です」とオブラートにつつんでいわれるのが関の山だろう。
代替医療に科学的根拠はない、それ自体は間違ってはいないが、代替医療を選んだことを責めるのは心苦しいと思うようになった。
だって科学的根拠のある治療とやらでは、ステージ4のがんを治療したいと思う心はなぐさめられないのだから。
がんが発覚してから、ステージ4まで進行したら、と考えない日はない。
自分がこんなにも生きていたいと思っているとは、今まで思いもよらなかった。
もしステージ4に進行してしまったら、気楽な代替医療にすがってしまうかもしれない。
そんな時、「あなたの選択肢はおかしい、科学的根拠のある治療に切り替えるべき」なんて訳知り顔で言われてしまったら、本当に腹立たしいだろうな。
俺は本屋さんに勤めた事は無い
が、小売で働いてた期間はそれなりに長いので、ラノベのゾーニングを強化するとなれば本屋さん大変だろうなと想像はできる
俺の感覚で言えば牛乳の隣に豆乳並べて売ってた店が、なんらかの抗議を受けて豆乳だけ別の冷蔵ケースに並べる羽目になるようなものだろう
冷蔵ケースに空きがあれば良いが、無ければ新しいのを用意するか、他の商品を動かして空ける必要がある
豆乳をどこに置くか、空いた牛乳の隣のスペースに何を並べるかも考えないと行けない
売出し(本屋で言えば新刊発売日だろうか)の棚の作り方も変える必要があるかもしれない
R-18の様にレーティングを定めて、パーティションや暖簾で区切るとなると、もっと面倒くさいだろう
そして、おそらくはそこまでやっても売上に良い影響は無いか、落ちるかのどっちかだ
8月末に38度を超える熱が出た。
2日ほど仕事を休み、熱は下がってきたので復帰した(熱が下がっていなくても人員に穴をあけると周囲の目線が辛辣だから無理矢理出社したというのが正確)
しかし9月に入って数日後また熱が上がり、今度は4日ほど休んだ。
点滴も2回打ちに行った。
熱はないのに身体が怠く重いのだ。
ルーティンにしている筋トレもできず、元々痩せ型の身体がさらに痩せていく。
3泊4日の日程はなんとかこなしたが、帰宅した今、また熱が出た。
人の多い地域に行ったので、何か変なウイルスなどをもらってきたのだろうか…。
休む連絡を入れたときの職場の連中の反応が目に浮かんで既に憂鬱で頭が痛い。
ここにきてなぜ急に熱が出まくっているのか。
原因もわからず、対処のしようもなく、ひたすら辛く苦しいばかりである。
おそらく、いや、間違いなく自律神経が乱れている(自律神経失調症)だろうが、それがわかったところでどうすることもできず、やはり辛いだけである。
たいした話じゃないんだけどな。
俺はいつも最寄の20分くらい前の駅で乗り換える必要があるんだよ。だから電車一回降りて乗り換えのやつを待ってたんだけどさ。
ふと無意識に口にしたんだよね。
「さむっ」
って。
電車の中の冷房のせいじゃなくて、外気に触れて寒いなって思った。寒いっていったってもちろん、冬の寒さとは違うけどな。
朝起きて会社行くときは特になにも気にしてなくて、いつもどおりの半袖のシャツ着ていったんだけどさ。
今日わりと気温低くて、夕方過ぎてさらに下がってきて、20度ちょっとくらい?
自分で口にしてやっと気付いたんだよな、あー、涼しいな、そうか夏ももう終わるかもなって。
この前まで30度余裕で越えてて、この暑さでオリンピックはどうこう、サマータイム導入がどうこう、それは無茶だろアホか云々、なんて話してたのに。
毎日帰宅してすぐエアコンつけて、冷蔵庫からビール出して、汗引くの待ちながら飲んでいたのに。
このままずっと毎日暑い暑い言いながら過ごすかのように錯覚してたけど、夏はいずれ終わる。
でね、そこで閃いたんだよ。今日、鍋にすっか、って。
俺は一人暮らしなんだけどさ、鍋好きなんだよ。なんか鍋はみんなで囲むもの、一人で鍋とか寂しいだろみたいなイメージ結構強いけどな。
別に一人で鍋すんのってそんな悪くない。作るの楽だし。材料刻むだけだし、味付け適当でも最後にポン酢あればどうにでもなるし。
そういえば、先週末買い物いって、キャベツともやしと長ネギと豆腐はあるな。肉はないしキノコは欲しいな、とか。
どうでもいいけど、キノコってえらいよな。野菜とかたまにすげーアホみたいに値段あがったり、品薄になったりするけど。キノコだいたいいつでもあるし。値段かわんないし。しかも、なんかキノコって秋の風物詩感あるし。
そんなこと考え始めたら、なんかめちゃめちゃ楽しくなってきて、早く電車こねーかな、帰って早く鍋してーなって思い始めて。
駅から家までは自転車なんだけど、ちょっと寄り道すればスーパーがあるので、そこでキノコ(しめじとエノキ)と肉(豚ロースの鍋用ってやつ)と、あと白だしとキムチの素を買って来た。そう、キャベツともやしならキムチ鍋かなって思ったんだよ。辛いもの大好きなんだ。
レジ通すとき、この内容で「こいつ今夜鍋か?」って思われるんだろうか、とか少し考えたけど。ま、店員のおばちゃんがいちいち客の買い物の中身みて献立予想とかしねーよな。でもなんかそういうことも考えるくらい、そう、浮かれてたんだよな。今日、我が家では、鍋解禁日なんだぜ、って。
ま、唯一の誤算として、家にあると思っていた豆腐は既に冷奴で食っちまっていたことを忘れていたので、豆腐抜きの鍋になったけどな。
そこはまた次回の鍋のときの楽しみに取っておくことにする。
毎日そんな楽しいことがあるわけでもないし、一日一日過ごすのが憂鬱だなーって思うときもあるけどな。
ふと鍋食うかって思って作っただけでテンション上がるもんだな。
酒を飲んでしまって鬱々としているから、生き甲斐がないなんて考えてしまっているんだろう。
ここ最近は食べることと飲むことくらいしか楽しみがない、つまらない人間になってしまった。
とはいっても、最近体重も恐ろしいくらい増加しているので食べることや飲むことも抑えなきゃいけない。
そう思うと憂鬱になる。私は生きていけるのだろうか。
来月はライブが控えているし、休みの日は漫画を読んだりアニメを見たり、音楽を聴いたりして充実している。
充実しているはずなのだ。充実しているはずなのに、楽しくない。つまらない。
そりゃ、ライブに行けば楽しい。けれど、楽しいのは一瞬だけで、翌日からはつまらない日常が待っているのだ。
アニメや漫画の名作はあらかた読んでしまって真新しさがないし、映画だって古い映画の好きなジャンルはほとんど観てしまった。
世界が広いことはわかっている。
今から全く観たことがない新しいジャンルのものを観る気力が起きないのだ。
気力がなくてもできることは飯を食うことや酒を飲むことくらいしかなくて。
○夕食:台湾まぜそば
○調子
はややー。
おやすみですね。
月曜日から忙しくなると思うと憂鬱で、お布団でむっきゅりしていた。
普段よく言う意味のむっきゅりは、ネトフリでコメディを見るという意味なんですが、
まあ、たまにはこういう日があってもいいでしょ。
それと、久々に小説を読んだ。
ハードカバーで買ったのに5年以上積んじゃってた。(ソフトカバーか)
正直、読んでてて辛くなった。
僕は擬似家族モノはたまらなく好きなんだけど、好きだからこそ、こう反動というか、期待しすぎてしまうというか。
フィクションに過剰な期待を求めるの良くないくせなんだろうけど、どうしても、彼女達が幸せであってくれと、願うがあまり、感情移入をしすぎたかもしれない。
悲しいお話だった。
○グラブル
セラフィックウェポンを火水土風全部星三にした。