はてなキーワード: 唐突とは
ラブライブでも思ったんだけど
そうする事によってはじめて、悲劇を哀しめるのね
それをね
結果を表現する「ための」脚本と受け取れる程、ある種唐突に悲劇を始めるんだよ
凄い理不尽に思えるんよ
・μ'sのピンチ
・それを乗り越えよう
ずっと夢見てた事への入手困難なチケット(留学)を手に入れた友人の人生よりラブライブ出場が大事なわけ?
そこを描くなら、留学を見送るシーンじゃね?
あのエピソードはファンからも「それ必要だった?」って言われてる
こういう、問題→暗雲→解決というカタルシス演出のために問題をキャラに押し付けるから炎上するのよ
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思いつくまま。
・家事の分担を守らない、というか好きな家事を好きな時にしかしない。
・そのために支出しなければならない、こちらが建て替えたお金(例、夕食用の買い物代など)を精算しない
・保険の受取相手が子供だけ(こちらは同様の保険でちゃんと受取相手にしている)。
・子どもの学校の保護者欄にこちらの名前・連絡先などを書かない。
・子供関係だけでなく重要な書類なのに見せないで提出しようとする/した。
・周囲の人に自分が同情を買うような話を作る。
・家計決済用の口座の残高を確認せず、連絡もせずに予算オーバーな支払いをする(ギリギリ気づいて事なきを得る)。
・自分の収入支出の詳細は非開示、こちらの支出はクレジットカードの履歴まで封書をあけて確認(これを受けてWebのみにしたら切れる)。
・理由を説明せずに唐突に不機嫌になり、プチ家出を繰り返す・離婚だと言う。
・そういう時はたいてい一人で酒を飲んだ後(翌日空いた酒瓶や缶を発見する)。
・長期出張中の定時連絡をしてもでない。返事がない。
ネットに書いてあるようなことは全部試した
ツラいですね
おつかれ
5年は長いね
(お出かけ前後のキスって欧米かっ!て思わないでもないが コミュニケーションの一つと思えばいい習慣)
何か追跡する端末とか鞄に入れるとか?
唐突に離婚話を持ち出されて拒絶もできないまま一方的に悪者にされる話は昔からあるよ
理由を明確に言われてないんじゃない?
後天性淡白型や妻だけレスなら夫さんもわかんなくて説明できないかもしれない
そういうの「準備を整えてから」話し合った方がいい
話し合いを迫った時に
本音を話すかわかんないが向きあって話をするか
何才かわかんないけど、親兄弟の老後や介護の問題が出た時に話ができるか試金石にもなる
浮気調べは慎重に
ブコメでも「スマホを勝手に見るのが嫌」とかいうトボケ派がたくさんいるからね
タイトルの通りなんだが
俺はカブトムシだのクワガタだのを捕まえたことがただの一度もない
俺が小学生だったときに図工の自由研究でどう考えても親の力を借りて捕まえたであろう虫の標本並んでいた
俺はいえば親父が買ってきた図工セット?みたいなもんで木の車をボンドでくっつけただけだった
こんな無駄なものよりも俺は正直シャイニングスコーピオンと超速ギヤー(黄土色のアレ)と中空ハードシャフトとスタピボールが欲しかったがこれはまぁしょうがない
話を戻すと俺は何も捕まえたことがないし
まともに虫だのなんだのも触ったことがない
周りはトンボを指でクビチョンパしたり
ダンゴムシを靴で潰したりしていたが俺にはない
そしてカブトムシ
みんな自慢をしてきた
これでもかというくらい自慢してきた
山に行って捕まえてきたんだと誇らしげだった
悔しい
悔しい
なんで俺だけがこんな自慢されなきゃいけないんだ
当時はくやしくて初代ポケモンの赤と兄が買ってもらったはいいものの遊ばなかった緑と通信ケーブルで151種類集めて(ミュウだけ裏技で)
やっぱりカブトムシを捕まえられなかったことが無性に悔しくなってきた
本気で悔しいかった
40歳になって今更ながら思い出してカッとなって
押入の中にしまっていたミニ四駆のレーサーズボックスを出して落ち着こうとしたが無理だった
むかつく
すげえええむかつく!!!
そして俺は虫取り網と虫かごを買った
麦わら帽子も買った
必ず!!!!
見てろよ!
マット!(ゆうきまさとのあだな)
タッカー!(ささきたかとのあだな)
そういうこともあるだろうか…って読んでたけど、弱者男性の対義語が「美人ではない女性」と書いてあるのを見て、増田も弱者女性に対する認識はちょっと甘いな?と思いました。
自分から見てより遠い存在である異性に対して想像力が及ばなくなることは誰にでもあることかもしれませんね。
確かにブギウギではお金に困ってスズ子からお金をせびろうとした小田島をその子共々家に雇い入れるというような描写もありましたね。
他にもアホのおっちゃんやゴンベエ、おミネなど性別問わず様々な社会的弱者が登場しました。
そういう人々に希望を与えた歌手というテーマだったので特に描かれたというようなこともあるかもしれませんね。
虎に翼で言うと、よねの父はかなりそれに近い立場の男性なのではと思います。よねの回想の中でしか出てきませんが。
あと他の人も言っていますが優三さんも比較的。彼も早くに両親をなくし昼間働きながら苦学生をやっていましたが夢叶わずでしたね。
あと花岡も特殊ではありますが、彼の性格なのか環境なのか他人に弱さを見せて適切に助けを求めたり自分に折り合いをつけることのできなかった不器用なところなど、何か弱者男性と通じるものはあるように思います。
しかし花岡の描写についてはなんとなく唐突というか、大学時代の花岡にそういう伏線は特になかったような…実際の事件を織り込むのに突然花岡が引っ張り出されたような印象は否めませんでしたが。
それについては轟の突然のアウティングも、そんな感じあったっけ…?よねエスパーすぎんか?と私は思いました。まあ余談ですが。
弱者男性をよく描いた作品でまず思い出すのは芥川龍之介や太宰治ですね。
女流作家では樋口一葉…もっとも当時は多くの人が生活に困っていたでしょうから、何を描いてもそのうちの誰が真の社会的弱者であるのか?という定義も難しいものなのかもしれませんが。
あとは向田邦子や幸田文あたりも男女問わず様々な社会的弱者が登場します。
私もそれほど詳しくはないのですが…
漫画やラノベもよろしいですが、昔の文学などもたまには手にとってみられるのはいかがでしょうか?
ああでも最近のものでも蛇にピアスなど男女ともに社会的弱者のような人しかでてこないような作品も…彼らを社会的弱者と言ってはならないような気もしますが…
なるほど現代の弱者男性をこれこれこういうものであると具体的に示すことは個人の名誉を毀損しかねないのでポリコレ的に難しい、というのはあるのかもしれませんね。
歴史の云々とかでなければ炎上配信停止まではいってないと思うけど
あれさ、もし他の動物だったとしてもなかなかのクソセンスだと思う
例えば猿がパンダだったら、ワンコだったら、宇宙人だったら、ロボットだったら
なにに置き換えてみても、何箇所か明らかに気分悪い場面が出てきちゃうんだよ
鍵盤を教えてるシーンなんかは猿もなんか楽しそうだしまだいい
馬の乗り方を教えてるシーンは、おぼつかない猿にバンドメンバーが「ちがうよそうじゃないよ!」という感じのジェスチャーをしてる
まあこのへんの「教えてあげてる」って部分は、猿じゃなかったらまだいい(それでもなんか偉そうだなこいつらって見え方はする)
そんな場面が続く中、唐突に人力車を猿に引かせてメンバーがそれに乗ってるシーンが出てくる
ここに至っては猿じゃなかったとしても奴隷みたいにこき使ってるようにどうしても見えてしまう
メンバーの衣装が豪華すぎるのもあって、なんもわからないお前たち(猿)に俺様メンバーが教えてあげよう
だからお前らは俺達の言う通りにすればいいんだよって感じにしか見えないし明らかにそういう意図なのだ
なのでそれが猿じゃなかったとしても、バンドメンバーがやたら偉そうに見えてしまうし「猿」を他のいろんな物に置き換えてもかわいそうに見えてしまう
どうしたって
だけには見えないし、猿たちにあれこれ教え込んでる場面、人力車、食卓でのメンバーの王様ポジションなどは
編集の妙とかじゃない、撮影してる時点で絶対に気づけるはずである
念の為歌詞も読んでみたけど、あれこれ言葉をひねくりまわした恋愛ソングのような感じで
歌詞中の「僕」と「君」は恋愛以外の関係性にも当てはまる汎用性があるが、
基本的には互いの関係性を構築したいみたいな感じのことを言ってるように思える
MVの内容と関係があるとすれば異質な生き物(人間と類人猿)が
パーティして一緒に楽しめてる状況を描きたかったということだったのかもしれない
猿に色んなことを教えてあげた上で人力車を引かせる、
完全に支配してるようにしか見えないという激ヤバ映像になってしまってる
まあ炎上したのはコロンブスと人類の歴史部分から想起される印象部分だと思うが
バンド自体がもともと批判精神たっぷりの尖ったバンドなら狙い通りなのかもしれないが公式コメント読む限りそんなつもりはなかったようだし
この手の撮影は小道具に至るまでかなり緻密にやらないと現場が回らない
だからちょっとしたことに見えてもしっかり意図を持って進行するのが普通なのだ
いくつかの致命的に悪い印象を与える場面も当然意図的に入れてるはずである
しかしそれが尖った部分というよりはただたんによく考えなかっただけのように見えた
長野の善光寺で産湯をもらって以来つつがなく生きてまいりました。
(長野の善光寺に産湯はないです。そういう書き出しにしたかっただけ)
卒業以来親元を離れ東京の片隅でそれなりに働いて暮らしております。
会社には私のような庶民から上流の方々までいろんな階層の人間がいて、多少交流させていただくこともございます。
ある時、ひょんなことから重役のご子息とご一緒させていただきまして、不釣り合いだと思いながらもお付き合いさせていただくことになりました。
と、私は思っていましたが、どうも勘違いだったようです。
どうも世間知らずゆえ、体を重ねるということは即ち結婚を見据えた交際なのであると思い込み、恥ずかしながらその後で、それはセフレというものであると知ったというていたらく。
彼のご一族はみなさんなにかしらの立派な企業のお偉いさんらしく、都立大にある彼の広いマンションのお部屋でそのご一族の会合のお写真なんかを拝見したりして、なんだか異世界に迷い込んだような心持ちがしたものです。
けれどもそんな夢心地もつかの間、何かの折に結婚の話になりまして「君みたいなのを家族に会わせたらみんなびっくりしちゃうよ、ありえない」と言われた時、そうかそれは承前のものとして弁えておくべきことであったか、私は何を勘違いしていたのかと、恥ずかしくて顔から火が出る思いでございました。
しかし同時にそういう上流の方々と私はなにが違うのか、私の何を見てびっくりさせてしまうのか、とんと見当がつかないことになにか心許なさのようなものを感じたことも覚えております。
それから数年後、私と同じような家柄の庶民の男性と一緒になりました。
二女をもうけ、不器用ながらも子育てに仕事に励んでおりましたが、出産以降は体力が落ち、仕事のパフォーマンスは全盛期の半分ほどになりました。
それでもなんとか夫と共に働き子育てをし、幸いなことに子供も特に大きな病気などにも罹らず健やかに大きくなり、ある日、夫は中学受験をさせたいと言いました。
もっとも私も夫も片田舎の出身ゆえ、ふたりともその経験はありません。
なにから始めたらいいか右も左もわからないまま上の子は5年生にさしかかりました。
とりあえず塾。しかし私も元々成績も芳しくなく偏差値50ちょっとの学校をやっとこさ出たような身で、それも勉強のしかたなどなにもわからないままなんとなく末席に身を置いていたようなもの。
子供に教えられるほどの効率的で有効な勉強法など持ち合わせてはおりません。
子供たちが安心して勉強できるようにとちょっと無理をして中古住宅を購入し、夫はこれからかかるであろう学費のためにも仕事に励んでくれていますから、夫に頼るわけにもいきません。
塾での成績もなかなか思わしくなく、塾を嫌がる子供をなだめたりすかしたりおどしたりしながらなんとか通わせる、家族ともどもストレスフルな日常。
こんな状態では二月の勝者でいうところの「養分」にすぎないことは重々承知。
それでもつきっきりで子供にしてやれそうなことはいくつかは思いつくものの、出産以来の体力の激減、それによる仕事の遅延への焦り、そこに更年期障害の体調の悪さも手伝って、子供になにもしてやれていないという忸怩たる思いに苛まれる毎日でございました。
折しも夫は着実に昇進し、社会的地位は盤石なものとなっていきます。
日頃から夫とは割合和やかにやっておりましたが、たまに諍いを起こすとき、なかなか切れ味の鋭い刃物のような皮肉でもって人を見下すような非道いことをうっかり口走る夫です。
いえうっかりではない。普段思っていることをいつもは黙っているけれども、ここぞという時に吐き出している風で、後から訂正されることは決してないのです。
そういうことも仕方ない、これは私の不出来のせいだと泣きながら自分を納得させるしかないのです。
でもいくら彼の話を理解しようとしても、私は同じような失敗をするらしく、彼を苛立たせます。
そういうこともきっと他に何もなければちょっとは覚え改善できたでしょうが、子育てや仕事の悩みに苛まれている最中、夫の言葉はこたえます。
私のような女は上流の方々が見ればすぐにこういう不出来がわかるのか。
本当にそれが言われたことの真意だったのかはわかりません。おそらくそれとは違う何かだったような気もします。
けれども無能ゆえのストレスで頭の多少おかしくなった女は、そんなつまらない記憶からさえわざわざ自虐することを止められなくなるようです。
同じく庶民の出ながら優秀である夫の足を引っ張るしかできない愚かな妻で母親です。
ともすればより安全な地位へ子供を押し上げてやれたかもしれないところを私がだめにしてしまったのだ。
壊れていく私やわがままになって手がつけられなくなった子供たちに耐えられなくなり、夫はとうとう出て行きました。
誰が悪いわけでもない、ひとえに私の不出来と根性のなさが悪いのです。
けれども子供たちにはできればこういった種類のつまらない劣等感のようなものは味あわせたくはない。
さて、どうしたものか。
願わくば私のようなものではなく夫の優秀な遺伝子を受け継いでいることを願って、これからも私のできる限りをするしかないのだけれども。
そんな遺伝子が存在するのか、あるいは人は育ちが全てなのか?私にはそれは分かりません。
なぜか唐突に思い出した、祖父が好きだったフーテンの寅さんの哀愁をおもいながら、これからの人生や子育てについて思いあぐねているところです。
轟がゲイなのを忖度だなんだとケチつけるやつらうるせえーーー!
セクシャリティに忖度もクソもあるか、昔から今日までみんなここにいるんだよ
展開が唐突だったというのも無自覚の差別だというのもうるせえーーー!
構成が弱いんじゃという批判も差別、なわけあるか。クィアリーディングとエンパワーメントだけが正解なのも困る
あなたは結婚することは出来ません。童貞を卒業することも出来ません。恋人が出来ることもありません。もう良いトシなんですからいい加減受け入れて下さいよ。
そうですね、85歳になって病院のベッドでまどろんだ意識の中「ああ、俺は結婚出来ないどころか童貞を卒業することもできず、恋人が出来ることもない、ただトシを重ねていくだけの人生だったな……」と後悔して死ぬより
「ああ、俺は結婚出来ないどころか童貞を卒業することもできず、恋人が出来ることもない、ただトシを重ねていくだけの人生だったけど、Youtubeを楽しく見たりSNSで楽しくリプつけたり推しのライブ行って何とも言えない充満したエネルギーに充てられたり、唐突に一人で焼肉食いに行くなどそこそこの幸せ・そこそこの楽しい感覚を積んできた人生だったなあ」って振り返りながら死ぬ方が良いですよね?
あなたは結婚することは出来ません。童貞を卒業することも出来ません。恋人が出来ることもありません。もう良いトシなんですからいい加減受け入れて下さいよ。
「まあおじさんおばさん達は温暖化起こってももう寿命で死んでるから適当なこと言って「あれ、本当だったんだ。ごめーんw」とか笑ってりゃ済むからね
楽なもんよ」
(2024/06/09 追記)
旦那さんは躁鬱かも。自分も5~6年前までは旦那さんと同じく短気だった。電車から降りる人より先に乗ろうとする人、傘の先端を後ろに振って歩く人、横断歩道を無視する車、政治家の汚職や不倫のニュースなどを見るたびにイライラして、文句を口にしていた。今思うと、これは躁鬱の症状だったと思う。自分が躁鬱だと自覚・改善するきっかけになったものを書いていく。今はイライラと上手く付き合えるようになり、人生が楽しくなった。それから、付き添ってくれた妻には本当に感謝している。あなたの旦那さんが自分と重なってしまい、自分もあの時気づけてなかったらと思うと、いてもたってもいられずに書いた。少しでも力になれれば。
※以下で紹介する情報は数年前に触れたので、うろ覚えでテキトーな部分があるかも。あくまで今の自分の解釈なので、鵜呑みにせず、旦那さんの心の準備ができたら精神科の受診をオススメする。
この映画がきっかけで鬱だと気づけた。鬱のイメージが変わった。「鬱はぐったりと元気のない精神病。気弱な人がなるもの」と思っていたが、実際は「些細なことにイライラしがちな人がなりやすい病気で、イライラと元気のない状態を繰り返すもの(=躁鬱)」だと知った。まさに主人公も自分もそういう人間で、共感しすぎて見終わったら泣いてた。特に、妻に辛く当たった後に自己嫌悪に陥るシーンは、自分にとってはあるあるだった。見終わった後、妻に改めて感謝し、改善していきいたいと思えた。ちなみに鬱は 「完治させる」のではなく「改善していく。上手く付き合っていく」 と考えた方がいいみたい。焦って治そうとすると、治らないことにイライラして再び自己嫌悪。
この本が改善のきっかけ。特に学びになったのが 「評価は人の居場所を奪い、感謝は人の居場所を作る」 こと。
評価とは、人間に良し悪しをつける行為。愚痴やネットでの誹謗中傷がそうだし、あなたの旦那さんや私が、待ちゆく人やテレビに対して言う文句もそう。他人を評価することは、相対的に自分を評価することになる。例えば、電車でマナーの悪い人にイライラするのは、その人を悪く評価してる反面、マナーを守ってる自分を良く評価してることになる。評価を繰り返すうちに、理想のみが高かまっていき、自分が追いつけなくなると居場所を失う。居場所を守るために自分に厳しくしてると、許容量を超え、次第に矛先が他人に向き始める。余計に他人にイライラする。負のスパイラル。また、意外だが「褒める」ことも評価であり、人の居場所を奪う。「あの人は優秀」とか。優秀な人を見ると自分がダメに思えて悲しくなるのは、勝手に自分も評価して居場所を無くしてるから。また「お前に褒められても嬉しくねーよ」って感じるのは、自分より下だと思ってる人間に居場所を奪われる不快感だと思う。
感謝は逆に人の居場所を作る。だから、居場所を得たければ、他人に感謝をされること(他者貢献)をするといいらしい。本にはここまでしか書いてなかった。それを知ってからは、いろんな場面で親切を心がけるようにした。ただ、だんだん感謝されないとイライラするようになった。そこで気づいたが、自分は「感謝されたい」という気持ちでいっぱいになっていた。逆に、世の中には自分と同じように「感謝されたい」人がたくさんいるんじゃないかとも思った。そして、感謝を伝えることは誰かの居場所を作れるということであり、それ自体が他者貢献 になるのでは?と考えた。それ以来、一切の評価を辞め、些細なことにも感謝するよう心がけた。例えば、今日も飯が食えることとか。生きてることとか。他人を褒めそうになったときは、感謝に置き換えた。例えば、活躍するスポーツ選手のニュースを見たら「すごい」じゃなく「頑張ってる姿を見ると、自分も頑張ろうと思えるな。ありがたい」とか。次第に、悪いことより、ありがたいことに目が向くようになり、「自分の人生、恵まれてんじゃん」と幸福度が増した。イライラも減った。
また、人間は良いことよりも悪いことに敏感らしいので、気づくと感謝を忘れてイライラが再発した。なので、感謝を習慣付けるため、以下の2つに取り組んだ。
自分は3つ言うようにしてる。少なくとも1つは言う。些細なことでいい、「洗い物ありがとう」とか。ただ、厳格にルール化するとしんどいので、もちろん忘れちゃう日があってもいい。次第に、寝る前以外も自然と感謝が言えるようになる。小っ恥ずかしいけど、互いに居場所を作ることができ、それが夫婦円満に繋がる。
日記といっても毎日はしんどいので、誰かに何かしてもらったときだけスマホにメモるくらいでいい。メンタルがしんどくなったときに見返すと「そーいや、こんな嬉しいことあったっけ」とマシになる。家族や同僚のミスも「こんだけありがたいことしてもらえてたんだよな」と許せるようになる。あと、この日記は意外な場面でも役立つ。記念日や友人の結婚式、同僚の退職時など、メッセージを考えるのに困らない。
を言ってほしいかも。そうしないと、何度も「二度としません」を繰り返すことになる。自分と妻がそうだった。旦那さんは、きっと 安心や信頼が欲しい んだと思う。旦那さんに一緒に考えてもらうのもいいと思う。自分も妻と一緒に具体的な再発防止策を考えるようになってから、感情的な口論が減った。
アンガーマネジメント超入門 「怒り」が消える心のトレーニング [図解 (特装版)]
自分も読み途中だが、怒りを抑えるだけではなく、そもそも怒りづらくなる方法や、怒りを上手く伝える方法なども書いてある。ちなみに、自分は今まで以下の考え方で怒りを鎮めてきた。
「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本
旦那さんは、ひょっとしたらHSPかも(病気じゃなく性質)。HSPだと細かいことに気づきやすい。いい意味でも悪い意味でも。もし、飲み会など大人数の集まり後にグッタリしたり、光や音に敏感だったり、お腹すくとすごいイライラしたりする場合は、その可能性あるかも。ちなみに自分もHSPで、この本を読んだら楽になった。自分の妻は非・繊細さんなのだが、繊細さんと非・繊細さんの上手い付き合い方が載っていて、互いに勉強になった。
わかってらっしゃるとは思うが、上記を本人に無理矢理、読ませるのは逆効果。自分も会社にアンガーマネージメント講座を強制されたときはキレた。本人が知りたいと思ったときに、そっと差し伸べる程度で。ただ、本人に任せてたら状況は変わらないので「評価は居場所を奪い、感謝は居場所を作って、イライラを抑えられるんだって〜」くらいのノリで、 奥さんから日頃の感謝を伝えてみる のがいいのかも。相手は変えられないので。結婚はしたのだから、きっと旦那さんにも素敵なところがたくさんあるはず。楽しかった思い出を振り返ってみて。人生をつまらない文句やイライラではなく、楽しいことで満たしたいよね。
しばらくはしんどいと思うけど、峠を超えて、旦那さんがあなたが付き添ってくれたことに感謝してくれる日が来ることを願う。ただ、他人を変えるのは相当大変なことなので、ヤバくなったらあなた自身の人生を最優先してくださいね。長文失礼。
https://anond.hatelabo.jp/20230303222812
作者の名前は、当時の大学の同級生が村上春樹の話題をしていたので知った、というところである。
当時自分はほとんど読書をしなかったので、その名前と後年目にした有名なネットミームとしてのコピペだけを知っていた。
最近徐々に読書をするようになって、そういえばとその名前を思い出して読んでみたというのがきっかけである。
最初に読んだ作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』次に「ノルウェイの森」だった。
自分は割とミーハーな方なので、奇をてらうことはせず、ネット上で名作とされているっぽい作品と大ヒットした作品を読んでみたというわけである。
すごく不思議な話だったという感想である。前半で語られていた世界観や設定が、物語後半ではほぼ伏線として働いていないと思った。
ただ、自分の読み方が浅いかもしれないという点はある。一方ですごく読みやすくフェティッシュな描写や何気ない心理描写が単純に面白かった。
特に、主人公の住んでいる部屋の細かい描写、物語終盤で主人公がレストランで食事をするシーン、女性のために簡単な料理をする描写はどれもシンプルで色彩豊かに感じられた。
物語前半から中盤くらいにかけてはとにかく暗くじめじめした陰湿な描写が続いていて、まさに後半の描写との対比で描かれており、カタルシスを得られるような構成になっていると思った。
主要キャラである博士の娘は、あまりにも都合の良すぎるキャラではないかと思った。
ある意味こちらの方が世界の終り〜よりも辛く陰湿な話であり、ただ時折差し込まれる季節感豊かな風景描写が美しいと思った。
色んな人物が出てくるのだが、そのどれもから刹那的な儚さめいたものやある種の危うさのようなものを感じさせた。特に伏線を張ったり回収したりするような構成でないのもそう思わせる要素なのだろうか。
主人公が贔屓目に見てもクズなのに謎なほど女性にモテており頻繁に性行為に及ぶので、この作品こそが下品なコピペで描写されている元ネタなのかなと思った。
もし大学生の頃にこの作品を読んでいたら色々な意味で影響を受けたかもしれないが、今となっては色々と枯れ果てているので、まあこんなものかな、といった感じだった。若いうちの激烈さを伴う読書体験の貴重さというのは、こういった点にあるのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20240222205307
街の動物愛護センターからお迎えした時は両の手のひらにのるくらいのこねこだったのですが、まるまるしていたおなかもシュッとしてきて、とても素敵なわかねこになりました。センターのスタッフの方からはちょっとひかえめな子なのでと伺っていましたが、びびりちゃんだったのは最初の1週間だけで、いまでは増田が夕刻帰宅して玄関を開けるトトトトとお迎えに駆け寄ってくれますし、そのあと増田の足元をくるくるまとわりつきながら勢いよく倒れ込んで白いおなかを上にするので、増田もすかさずただいまのあいさつと共に全身を撫で回したりしています。増田のねこはいわゆる縞みけでキジトラと茶トラと白の三色毛皮なのですが、背中の模様はキジトラと茶トラがマーブル模様のように混ざり合っていてまるでめのうのように美しいので、増田は今日もきれいだねえかわいいねえと唱えつつ白いおなかとマーブルの背中を交互に撫で回してからばんごはんのパウチを召し上がっていただく準備を始めます。増田のねこもごはんよりもこの帰宅時のご挨拶を大事にされているので、手を抜くわけにはいかないのです。
増田には長く一緒にくらしていた先代ねこがいたのですが、街中で唐突に出会って勢いで共同生活が始まることになった先代とは違って、二代目は乞うて動物愛護センターから来ていただいているわけなので、やはりきちんとおもてなししたいですし、しないとダメだと思うのです。まあこちらも先代とは20年以上も共に暮らしていたものですから、遊びだろうがブラッシングだろうが所望されたら即対応することなど造作もありません。彼女のほうも遊びたいときには遊びたいおもちゃをくわえてやってきて、増田の目を見ながらぽとりと落としたりするくらいではあるので、「まあいっしょに暮らしてやらないでもない」くらいには感じてもらっていると良いなあと増田は思っています。ただ、ねこ一匹ひと一人の生活なので、コロナ禍から社会が通常に戻るにつれてねこに留守番をお願いすることも増えてきてしまいました。先日はとうとう初めて一泊二日の留守番をお願いしてしまったのですがとてもよいこで待っていてくれました。まあ帰宅時のご挨拶はちょっと長めを要求されましたが。
ねこからしてみると、人間なんてでかいだけの愚鈍な生物に見えていると思うのですが、それでも撫でてもらいたいときは廊下の真ん中でおなかをだして横たわればいいし、あそんで欲しい時はひもなりなんなりをくわえてきて見えるところに落としておけばいい。といった形でねこが増田のことを理解している。ということは増田がきちんとねこの期待通りの働きをしていて、彼女の信頼に値する所作ができているということなのではないでしょうか。それはとても素晴らしいことだと思います。
先代もとても素敵なねこだったのにさらに輪をかけてすてきなねこをお迎えすることができるなんて、NNNがちょっと増田をひいきしすぎている点についてはみなさまに対して大変申し訳なく感じているわけですが、こればかりはどうしようもないので、引き続き仲良く暮らしていこうと思います。以上よろしくお願いいたします。
つい昨日気付いたことなんだけど、柴犬が可愛くて好きなんだけどあの完璧なフォルムに唐突に下腹部に生えてる棒を見た時、なんか残念な気持ちになるんだよね。
これって多分ぬいぐるみペニス現象と同じなんだろなって思ったんだよね。
勃起してなくても一本しっかりした存在感があって、男の俺ですら「何だこれは、でも犬だしな。」って思うんだけど、男性に当てはめる人の場合は「でも男だしな。」とはならないのかもなあ。
でもチンチン入れるとかそんなことは全然なくてせいぜいおっぱいの端っこが当たったことあるだけで
相談乗ってたら好きだよとか言われて嬉しい俺もだ大好きとかのやりとりあって
でもチンチン挿れるとかそんなことは全然なくて
そのこの同僚から○○のことどう思ってるん? あのこは結構本気っぽいよ? とかの雰囲気出されて
まあ直接的な言い方じゃないから、こっちの認知がおかしくなってんだろうなと適切に判断して(あと一時の気の迷い。父性を求めてるとか)
俺が正面から向き合えばあのこは幸せになるのか? なるわけないやんと正しいジャッジを下して
みたいな日々で狂わないから、凄く自分は色々狂わない自信あるし、狂うとしたらとっくに狂ってるし、昨日まで狂ってなかったのに唐突に狂いだすほうの自信もなくはない
自分自身が現在絶賛引越し準備中なのだけど、引越しそのものが意外と面白いと感じている
ごく普通の引越しだとしても、こんなことが大体イベントとして発生する
そう、考えること、やることがとにかく多いんだよね
1エピソードにつき一家族紹介しても、恐ろしく良い題材になると思うよね
状況にも大きく左右される
直ぐに考えただけで
と様々な要因が関係して差が出ている
異世界や悪役令嬢にしなくても、現代の普通の家庭を出すだけで十分
引っ越しなんて単純なことだけど準備から完結まで扱えばすごく面白い題材な気がする
結婚や仕事と違って大抵の本では一行で語ること多いんだけど、個人的にはそれだけで物語作れると思うよ
例えば
もうこれだけでなんか作れそう
ゴルゴ的な何でもできる引っ越し屋を主人公にすれば、連載だってできそう
【追記】
沙村広明「おひっこし」は初耳だった
とんがった設定が特徴の面白い漫画家なので、ちょっと読んでみるよ(この日記の主題と合致していないみたいだけど)
夜逃げ屋は絵柄が好きになれなくて、ほとんど読んだことがないんだよね
自分がおもしろなーって思うのは、そういう裏側的なものじゃなくて、牧歌的で普通な引越しの中にあるドラマなんだよ
例えば引っ越し先の寸法がわからないのに収納家具だけを先に買いそろえて大失敗するとか
転勤先の交通事情を下調べしていなかったらまさかの車オンリーだったとか
ガチの引越しマニアと実家しか知らない人が結婚したときの温度差とか