はてなキーワード: ヒーローとは
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
お前から見たらフェミは暴徒で頭おかしい連中に見えるだろうけどな、さっきから言ってるように彼女らは顕名で活動して、それこそ「女みたいな劣等生物が何イキってんだ」と言われてた時代から団結して、
ようやく男女平等に口を出す奴はクソ、というのが正論とされる程度まで世の中を変えていったんだよ
社会運動のあり方としてこれを評価しないのはいくら何でも子供のヒーローごっこがすぎる
それを暴徒だアホだと貶した所で、何せ社会的な信用度が全く違うってのが現実だろ
それに対抗する策は何なんだというのが聞きたいんだよ
シーハルクとは、MARVELコミックに登場するキャラクターで、ある事故だかの輸血でハルクの血を使ったら自分もハルク化出来るようになった女ヒーロー(?)
当然ハルク化したら怪力になるけど、ハルクのように理性を失ったりしない
ちょっとだけデッドプールみたいに第四の壁無視して話したりする(メタネタ言ったりする)
今思うと全く分からないけど、UMVC3ってゲームでカラーが変更出来て肌の色を通常の緑じゃなく赤に出来てた
何故かそれで凄い興奮した
>atsushimissingl そういう言い方したら、イケメン特撮ヒーローも女性に性的消費されてるし、熊みたいなぽっちゃりおじさんもゲイに性的消費されてたりするし、なんだったら馬とか車の排気口とかもそういう対象になるし、人間は愚か
確かにそうだけど、そういうことじゃないんだよ。
イケメンヒーローやぽっちゃりおじさんと同じ属性の人、つまり男性は道歩いていて痴漢や盗撮にしょっちゅう逢いますか?「惨事のブスwww」などと言われますか?「○〜ん」とか性器呼びされますか?
二次元美少女はオタクの崇拝の対象であると同時に弄りと称して貶められる対象でもある。田井中律はブスと言われたし、かれんさんはキュアババア呼ばわりだ。後者に関しては、それを知ったプリキュア好き女性にショックを与えても不思議じゃない。
二次元美少女がオナネタにされブス、ババアと貶められているのと、多くの、美少女ではない「惨事の」女性が性犯罪に逢いブス、ババア、惨事、○んさんと貶められるのとは、多かれ少なかれリンクしている。
後者がオタク関係ないとは言わせない。オタクの巣窟のニコ動やまとめサイトは女性蔑視で溢れている。
例えは悪いが、最近は韓国の反日が話題だが、もしも韓国で日本人のキャラクターが「ファッキンチョッパリ!」と貶められ、そいつを原爆で殺す同人誌が流行ったら、「二次元の話」なんて割り切れないんじゃないか?(たとえばの話です。日本人と韓国人逆でも良い)
>tomoya_edw お前が傷つくからなんだっていうんだ。他の人全員の傷つくを何とかしてくれんのか?お前は他人の受け止め方全てを規制しないと気が済まないのか?なんて恐ろしいことを考えるんだ。
増田は「規制しろ!」なんて言ってないんだよ。ただの個人的な願望、吐き出し。それを「規制派!お気持ち!」と責め立てたら反規制派に転向するとでも?
俺が女性向け漫画のヒーローはイケメンばっかで苦しいって言ってんのと同じだな
イケメンでなきゃモテないなら俺はどうなんだってルッキズムに傷ついてるのでよくわかるよ
まぁ最近ではCGなんかは意図的にブサイクに寄せてるのも多いし女性の露出も覚悟が必要になってくるだろう
世界は確実に良くなってきている、お互い頑張ろうぜ!
モテないという言葉の悲痛さは、それが性的接触の少なさを嘆く言葉ではなくて、実際には性とはあまり関係なく、必要とされていない、人間的に重要な存在ではないという自覚から来ているからだろう。
少年的なたとえならば、みんなのヒーローにはなれなくても、誰かのヒーローにはなれる…という夢さえ打ち砕かれて、存在するだけのなにかになってしまったような。
だから、本当は性的な充足やサービスでは解決をみなくて、精神的な拠り所の方が必要とされているけれども、そういったものは独身者に適したものが少ない
今回のパワハラ事件は関係なく。物心付いた子供の頃から思ってたけど、ディズニーランドやUSJってそんなに夢のある国か?
なんというか見ててもドリーム感を感じない。
寧ろ、なんというか「現実の世界で必死こいて夢見せている」感を強く感じる。
いや、事実その通りってそうなんだけども、夢の国って言えるほどのファンシー感があるとは思えない。
レゴランドよりは全然マシとはいえ、夢の国とはいえ入場から色々と金取られる辺り、寧ろ現実を見せられている気がしてならない。
地方で格差はありそうだけど、地元で有名な遊園地でも行った方が素直に楽しめそう。
ヒーローショーとかプリキュアショーみたいに、ショーとして舞台上で数分何かやるのならそれはそれで楽しめるけど
ディズニーやUSJみたいに、園内を有名キャラがウロついていたりするのはなんというか冷める。
作者からすれば勝手に理想を押しつけられて被害者面されて、何の法にも反していないまっとうな商売を妨害されるんだから迷惑でしかないよね。
どうしても誰かに聞いてほしいけど、
時期も時期だし、付き合いのある人たちはそれこそ研究室の人たちになっちゃうから、
だって、たまに会う社会人の友達にこんな愚痴を聞いてもらうの申し訳ないし。
こぼすこともあるけど。
助けてヒーローって叫べば助けに来てくれるスーパーマンとかいないし。
だから今日も研究室に行って、ごくまれに、軽い口調で研究辞めたい、大学やめたいって言いながら、
進学してからずっとずっとずっとずっと劣等感と虚脱感しかなかった。
周囲との熱意の差がすごくて、「少なからず研究したいから院に来てるもんな、俺ら」って言葉に、
内心よくわかんないって思いながらも、へらへらしてる。
へらへらしてるし、なんも考えてないように思えるかもしれないけど、
ずっと苦痛だった。
これを見て、大学院やめようって思ってくれる人がいればいいな。
あそこは、「研究することが苦痛じゃない」人たちがいくところ。
苦痛になる可能性があるとか、卒論ですでに辛いとか、それでも社会に出るより学生してたいから大学院残るって人は、
本当一回ちゃんと考えてみてって強く言いたい。
強く強く言いたい。人生後悔してからじゃ遅いし、学部卒でもいいんじゃないかって。
すごくすごくすごくつらい。
例えばだけど、統計は使ってもガッツリ数学とか使わんよって思いながらも数学の知識とかを学ばざるを得ない。
ってずっと思って、思い込まなきゃやっていけなくて、
壊れた気がする。
もう限界です。
だから、どうか大学院に行くなら、研究が苦痛じゃない人が行きますように。
読んでくれた人がいるなら、ありがとう。
小さなころから今に至るまで、二次元に憧れの女の子がいる。彼女たちは私の女神で天使でヒーローで、大切な存在だ。
そんな彼女たちでさえラノベの表紙絵でパンツが見えそうになっている。ていうか、むしろ履いてなさそうな姿で乳首の形が透けている。
私のヒーローは、だけど男の子にとってズリネタでしかないと言われたような気持ちになって、十代の私は傷ついていた。
あんなに賢くて勇敢で意思の強いあの子だって結局ズリネタでしかないなら、あの子のようにはなれない私は?
あの子のような優れた人間性も能力も持たないわたしは、もっと当たり前にズリネタとして扱われても仕方ないの?
「あの子のようには可愛くないお前なんかをそう見るはずないだろ」と思う人もいるかもしれない。でももう、当時の私でさえ知っていた。
オタクからも、オタクじゃない人からも、そういうことをされる。
私はその辺を歩いているズリネタだった。
人間だったはずなのに、いつの間にか、ズリネタに貶められていた。
私の憧れのヒーローでさえその境遇から逃れられないんだという苦い絶望とともに、大好きな女の子が表紙を飾る大好きなラノベを買っていた。そのうち疲れてしまって、ラノベに触れなくなった。
女神か天使かというほど綺麗な女の子だって、すぐデブとかブスとかBBAとか言われる。
あの子でそうなら、じゃあ私はなに?
道を歩いていれば勝手にブス呼ばわりされるし、ツイッターを見ているだけで上から目線の惨事とかwが浴びせかけられる。
綺麗で可愛いあの子でさえピエロみたいに笑い者にされて、好き勝手に殴っていいサンドバッグのように扱われるなら、私はもっとそう扱われる。
あの子みたいに可愛くない、綺麗じゃない、深い慈愛もない私は、穴だらけだ。
その穴を突こうと思えばいくらだってできる。私はそんな「惨事の」女だ。
大好きなあの子が貶されているとき、いつも二重に傷ついている。あの子を推してるオタクとしての自分と生身の人間としての自分、どっちも傷ついている。
私はプリキュアでもキズナアイでもピカチュウでもない、まして上坂すみれさんでは絶対にない。なれやしない。
だから憧れの、たくさん理想化された二次元のあの子ですら、あんな扱いを受けることに傷つくんだ。
全49話だった
放送終了後
とんでもない最終回だった
本当にとんでもない最終回だったのだ
序盤から、ストーリーを展開しつつバディ要素で感情に感情をぶつけてくるとんでもない作品だとは思っていた
冬の映画も
夏の映画も
やはりバディ要素を軸足に、感情が感情へとボディブローを叩き込んでくる徹底してとんでもないヤツだった
そして最終回
ここまでの全てが詰め込まれた感情の迫撃砲を真正面から受け止めた私の感情は、完全にバラバラになっていた
とんでもない
今までの積み重ねから期待していたものを遥かに超えた幕引きは、あまりにも力強く、切なく、暖かく、そしてなにより、過酷な一年を戦い抜いたバディへの最高の祝福だった
これ以上はないと心から思えるそのさまを見とどけて、ただ呆然とテレビの前でへたりこむしかできなかった
そこに、一年間追い続けた作品が完結してしまったことへの悲しみは存在していなかった
それからひと月と少し
ばらばらになった感情がひとかたまりに落ち着きを取り戻しつつあった10月
ファイナルステージという、ヒーローショーとトークショーで構成されるイベントを観に行った
レールガンで撃ち出された感情が、私の感情を真っ直ぐに貫いていった
やっとそれとなく固まりかけていた感情は、それはそれは綺麗に爆発四散した
あの最終回を更に加速させる素晴らしいステージを、まさか、生で、目の前で、目にすることができたのだから
最後の握手会でライダー達と交わした手の力強さだけが、ああ確かに現実であるのだと伝えてくれた
ああ、これで「仮面ライダービルド」は改めて完結したのだな
とわかってしまったら、あとはもうどうしようもなく、ただ泣くことしかできなかった
こうしてネタバレを極力回避するようにした結果回りくどく詩的なものになってしまった記事をしたためている今も、私の感情は未だ夢心地のような塩梅を見せている
それでも、いや、だからこそ、それらを含めて、今、こうして書きとめたかった
脆くも強いラブ&ピースを掲げ謳い続けたライダー達のことを誰かに伝えたかった
「仮面ライダービルド」を、彼らの「物語」を、とにかく一人でも多くの人に知ってもらいたくて仕方がなかった
どうか、彼らの生き様と感情を、そしてそれらが行き着く結末を、見届けてはくれないだろうか
追伸
https://www.ebookjapan.jp/ebj/free/campaign/tezuka/
おいおい2日目の今日(11/3)きづいたよ。誰か早く言ってくれたら良かったのに!
ってわけで色々読んだ。
人が獣人になってしまう奇病「モンモウ病」。青年医師の小山内桐人はそれを風土病と考え、同僚の占部とともに研究を進めていた。一方、日本医師会会長への選出を目指す竜ヶ浦教授は伝染病と考え、対立する小山内の排除を目論んでいた。竜ヶ浦の指示によりモンモウ病患者の出身地に赴任することになった小山内はその奇病の餌食となってしまい……。
獣人という差別から逃れられない存在になった主人公を通し、中身ではなく外見ですべて判断される虚しさ、あるいは判断する愚かさを力強く訴える。医者として確かな腕を振るっても、ただ犬の顔というだけで結果が信頼されないのはまー辛い。
ヒロインは3人いるが、行動にいちいち生々しさがある麗花ちゃんがお気に入り。拾った赤ちゃんに対するスタンスには彼女の生き様を感じた。
悪役に対してはわりと因果応報。モンモウ病を受け入れる層に囲まれるシーンもあって小気味よさは感じるが、その分、ヌルい結末だなーという感じ。
見た目だけでなく、生肉をガツガツ食わずにいられないことによって人間の尊厳を奪われてしまうのがモンモウ病の特徴であり作品の中でも重きをなしていたと思うのだが、中盤以降そういうのがなくなってしまったのもヌルさに拍車をかける。
第二次世界大戦におけるナチスドイツの興亡を背景に、「ヒットラーにユダヤ人の血が流れているという(ナチスにとっての)大スキャンダル」を巡って世界が、そしてふたりのアドルフ少年の稀有な友情が翻弄される様を描く。
めっちゃ面白かったー。物語の展開のさせかたがチビるほど上手い。もうひとりの主人公である峠草平の弟がドイツで殺された理由はなんなのか、何を草平にたくそうとしていたのか、なぜ草平はなぞの組織や特高から襲われ続けるのかーといった感じで話がグイグイ進む。ヒットラーの秘密を軸に、いろんな人物が入り乱れ、運命が捻じ曲げられていく。
特に、アドルフ・カミルをユダヤ人と見下すことなくむしろ尊敬を持って接していたアドルフ・カウフマンが、ドイツ本国の学校に入ったあとナチズムに染まっていく描写が圧巻。無垢な魂も環境が容易に堕落させえることを、手塚先生は容赦のない筆致でえぐり出していく。
そして訪れるふたりのアドルフの友情の結末とタイトル回収。どこを切り取っても隙なし。文句なしの傑作。
ちなエリザちゃん初登場時の顔面偏差値の高さすごい。あれは一目惚れするわ。手塚先生が描く美少女は2018年でも十分通用すると思う(そしてその子が老婆になった姿もしっかり描くところが手塚先生エゲツない)。
復員後、GHQの秘密工作員として働く天外仁朗。久しぶりに戻った実家では、父親が兄嫁と不義の娘・奇子(あやこ)をもうけるなど、人間関係が汚れきっていた。仁朗はGHQから命令で、殺しの後始末を手伝うが、返り血を浴びたシャツの始末を奇子に目撃される。一族から犯罪者が出ることを恐れた天外家は奇子を地下牢に幽閉するが……。
タイトルの割に、戦後直後の地主一家の腐りっぷりが話の中心。肉欲に金欲、そして一族の体面最優先な感じがキツい。一見まともに見える人物も後々おかしくなったりするのでそういった家の宿痾を巧みに描いているとは言える。
タイトルになっている奇子も、幼少時は純粋で可愛らしいと言えるが、幽閉され常識やモラルがないまま長じてしまった後は性的に成長した外見と非常識な内面のギャップがかなりキツいキャラになってる。外見も童顔なのに高身長&グラマラスでグロテスク、という感じがこう……(たぶんわざと)。
というわけでヒロインにゐば(仁朗の母)で決定。夫が息子の嫁に手を出すのを止められなかったとはいえ、作品の良心ともいえる存在(息子の嫁は純粋な被害者)で、話が進むにつれだいたいおかしくなっていく面々に対し最後までまともかつたまに元気な姿を見せてくれる一服の清涼剤であった。かーちゃんかわいいよかーちゃん。
幾人もの男と関係を持つふしだらな母に虐待されて育った近石昭吾。彼は愛し合う生き物を見ると衝動的に殺してしまう性格に成長した。ある時、警察に現場を見られ、彼は精神病院に送致される。催眠治療の過程で女神像に「女性を愛するが、結ばれる前に女性か自分が死ぬ」という悲劇を体験し続けろと宣告されるが……。
重たいテーマを扱った手塚作品は緻密かつ重厚な世界観になりがちで、話を把握するのが大変。だけど、これは主人公のトラウマも設定も最初にぜんぶ開示されるため非常にわかりやすい。かつ、それらの体験を重ねていくと大きな物語が浮かび上がる仕組みにもなっていて、かんたんなわりに厚みもあって楽しめた。
ある女性を愛するけど毎回悲劇的な結末を迎えるという構造に関しては『ゼノギアス』を思い出した。フェイとエリィに幸せな結末が訪れたように、いつかこのふたりにも……と期待してやまない。
漁師の息子・矢崎和也はトリトン族の赤ん坊「トリトン」を拾う。直後に津波が漁村を襲い、和也の父は死亡。トリトンを忌み子と見た祖母に捨てるよう言われるが、和也は母を説得し、トリトンを含めた3人で東京へ。長じたトリトンは、己が人間でなくトリトン族であり、一族の大半はポセイドン族に殺されたことを知る。トリトンはポセイドン大王を倒すために海へと出るが……。
今まで読んだことはなかったけど、いわゆる衝撃のラストについては知っていた。けどそういう展開にならずアレーと思ってwikipedia見るとそれは富野が監督をしたアニメ版のオリジナル展開だったという……。
衝撃のラストに比べれば、漫画版はひどく平凡な出来って感じかなー(それでも冒険活劇としては読めるけど)。テーマとして憎い敵であっても許すの大事ってのがあると思うんだけど、けっきょくそうならないしね。
あと今の感覚で言うのはアレだけど、今まで子ども扱いしていたピピ子が美少女に成長したとたん「洋子ちゃんよりずーっときれいだよ」とか平気で言ってしまうトリトンは普通にない。
おしゃまな天使チンクのいたずらで男の子と女の子の心を持って生まれた王女サファイア。出生のとき王子と誤って発表されたことにより、一日の半分を王子、もう半分を王女として育てられることに。サファイアを排除して息子に王位を継がせたいジェラルミン大公や、サファイアの女の子の心を奪おうとする魔女の魔の手が迫る。
戦闘美少女、男装令嬢、女装少年(「亜麻色の髪の乙女」に変装するため)など今現在おおきな勢力を誇る萌え要素の先駆けであり、実際それらの要素に期待して読んだけどとても楽しめた。
お話的にはピンチピンチの連続で、けっこうハラハラドキドキ。ただ、ヒーロー役であるフランツ王子に中身がないせいで、こいつと結ばれるためにサファイアは頑張ってるのかと思うとかなりしらけるものが……。
キャラとしては魔女の娘であるヘケートが魅力的。奔放な性格ながら自分というものを持ち、それに反することなら母ですら出し抜いてみせるところが小気味いい。フランツに好意を抱きながらもそれを黙ったまま迎えるラストは心が動いた。ヘケート→フランツの逆でサファイアに好意を抱く海賊のブラッドというキャラがいるけどこいつも同様の魅力がある。
脇キャラはいいのに主役ふたりの中身がしょぼいのは本当になんなのか……。
あと魔女はいい悪役だったけど、後釜のビーナスは微妙すぎる。魔女とポジションがまったくいっしょだった上にキャラの厚みがゼロ。
いいところと悪いところが極端という印象。
ちななかよし版のあと少女クラブ版をちらっと読んでみたけど、コマ割りのレベルが低すぎてさすがに読めなかった。漫画の神様も昔はこうだったのかと思うと妙に安心する。
※続き
確かに2014年ぐらい(体感だからもっと前かも)までのFPSは銃の打ち合いだったけど、今はそうでもないよ。
いきなり反則ぎみだけど、銃の打ち合いじゃなくてヒーローパワーの競い合いだよ。
人を狙う必要がないキャラもいてリアル銃器戦争は無理だけどこれはOKって人そこそこいる。
まぁ、これはわかるね。インクを飛ばし合うゲームで任天堂ようかんがえたなって思った。
ルールもナワバリバトルっていうのが独創的で良い。それでも人は戦いを求め続けてドミネーションみたいなのが出来たときはびっくりした。
いわゆる「非対称型FPS」ってやつ。他にもあるけどこの2つが有名かな?後自分が知ってるのはEVOLVEとかいうやつ(やってない)
Depthは銃が出てくるけど片方はサメなので銃VSサメだから撃ち合いではない、DbDは鬼ごっこなので出てこない。(シューティングといえるのか…?)
これは全然最近でもないけど、FPS(もしくはTPS)で銃じゃなくて剣と魔法の物語をするよ。
年明けには6がでるよ。
まぁ、これだけ上げたけどそれでもCoDやバトルフィールドが売れ続けてるんだからFPSは銃撃ち合いゲーと思われても仕方ないんだけどね。