はてなキーワード: クリエイトとは
これはもう絶対。
鏡を見ても髭の剃り残しや顔のテカり、シミや異物の付着、首の汚れ、毛穴(主に鼻)の黒ずみ、髪の乱れやフケ、眉毛の形に目やに、服のシワやホコリ汚れ毛羽立ち黄ばみ、そういったものをそもそも視覚的に認識することが難しい。意識の高さでフォローする人もいるだろうが、人間視覚で認識できないものに対する警戒心はどうしても薄くなる。
もちろん、視力がよくても意識として認識できない「清潔感に対して意識が低い人間」ももちろんいるので、視力がよければ必ずしも清潔感があるかと言えばそうではないが、物理的に認識が難しい時点でスタートラインがはるか後方にあるのは理解できるだろう。
メガネをかけたオタク君達がそろいもそろって清潔感のない外見をしているのはそういう理由が大きい。視界がぼんやりしていることに慣れきっているので、メガネのレンズに指紋がベッタリついていようが、ほこりまみれだろうが気が付かないし、それに気が付かないからより視界がぼんやりする。
直すのは困難だ。メガネなら最低限自分に合った度が入ったものを用意しなければならない。普通に鏡に映った時にでレンズの指紋がくっきり見えるようなものがベストだ。できればコンタクトのほうがいいが、そこはライフスタイルもあるだろうし強要はできない。とにかく度があったメガネをかけ、まずはメガネの清潔感を保てるように気を付ける。
視界がクリアになれば多くの不潔ポイントに気付けるようになるし、他の人の顔や服がどうなっているかもはっきり見えるようになる。それだけで清潔感の向上にぐっと近づくはず。
とにかく清潔感においても視力が悪くて得することは何もない。裸眼の視力をよくしろとは言わないが器具や手術を用いて適切な補正視力を維持することは非常に重要だと感じる。
筆者プロフィール
地元の公立高校を卒業後引きこもりニート生活を始める。これまでMixi、FC2、はてななどで実績を積み現在ははてな匿名ダイアリーにて活躍中。革新的なマナーをクリエイトし続けており、年間200~300の増田を執筆しこれまでに獲得したはてブの数は1000を超える。今業界で注目の増田である。
マジで!?ヒラリーって意見を求められると途端に口ごもる、おとなしい図書委員タイプの子だったん?歴代大統領とかもみんな?
意味分からなかったからもう一回読んでみたけど、なんか書き手の「言い切る」って言葉の定義が前段と後段でくるくるしてて何回読んでも意味不明なんだよ
曰く、
コンサルが意見表明するのもトランプが「メキシコの国境に壁を作ってやる」のも「言い切る」らしいんだよ
でも商人が「金さえあれば、誰でも取引しますよ」って言ったらそれは「言い切る」じゃないらしい
どういうこと?
でもね、ここで気付いたわけ
確かにこの前段部分を丸々なくせば最近の分断化する世界について書いた文章とも読めないことはない
言い切るっていうのは分断のこと
全く関係ないものや既存の概念に新しく〇〇力とか名前を付けてラベリングする商売なんだってね
そうかそうかなるほどね
だからホリエモンと公民権運動とかいう字面だけで笑える組み合わせも無理やり「言い切る」って言葉でまとめてるんだな
って納得してブコメを開いたわけ
そしたら絶賛の嵐
頭がおかしくなるかと思ったね
コンサ"る"(既存の単語に新しい意味を付け加えてバズワード化しどうとでも受け取れる中身のない言葉をクリエイトすること)みたいな記事書きたくなったよ
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4687191144414851714/comment/shiju_kago ”科学をつまみ食いして自分に都合のいい非モテ理論をクリエイトする” ”あんなの”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4687191144414851714/comment/iheettkun ”疑似科学の方向”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4687191144414851714/comment/grdgs ”デマゴーグのヘイター”
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4687191144414851714/comment/kincity ”ミソジニー” ”まさにホモソ仕草”
ペースはかなりゆっくりやってるし島クリエイトも物凄く凝ってる訳でもない。まさにゆったりスローライフ。
が、発売からプレイし2ヶ月、ちょっとした不満がじわじわ溜まり始めた。
グラフィックの向上、島クリエイトによる整備や改変、家具の細かい作り込み、雑草までなんかかわいい。とび森からかなりクオリティは上がってると思います。
でもメインコンテンツの島クリエイト及び飾り付けが不親切過ぎる。
全体的に痒いところに手が届かないんですよ。
道を引く、崖を作る、川を引く、角を丸める、消す。これらの行為が何故1ボタンなのか。
操作をシンプルにして誰でも出来るように、という意図なのかなぁと思ったけどそれにしてはマイレージやら写真やらではめっちゃボタン使うよね。せめて消すのはBボタンかYボタンにしてくれないか。
飾り付け用の家具集めも非常に重要なコンテンツですがこれもまぁ不便。
今作追加要素のDIYはまぁレシピが被ること被ること。被ったレシピは持ってない友達にあげる用らしいんですが最初から知ってるレシピなんて誰が欲しいんだ。 というか所持済のレシピを受け取り拒否できないのはなんで?
レシピは収納にストックできないし皆持ってる様なレシピだと本当にいらない。
ポケモンのミラクル通信みたいに被ったレシピをメッセージボトルにして通信で他の人の島にランダムで流せるとかできたら良かった。
あとリメイクキットが微妙に高い。島を飾るのに家具もキットも大量に必要なのにまとめ買いできないしできても何故5個まで。せめて10個単位で売ってくれ。DIYもリメイクも複数まとめてやりたい。あの作業は結構苦痛。
あとデパートをくれ!!家具が必要なのに売ってる家具が少ない!!入手の手段をもう少し増やしてくれ…。
マイデザインを地面に敷けるのは嬉しいんだけど島クリエイトで敷いたデザインがYボタンで消せるのやめて欲しい。左官した床が足で消せてたまるか。
スローライフだから不便を楽しもう!って意見も多いんですが操作性の悪さは楽しみたくないです。
じゃあ島クリエイト以外を楽しもうとしてもここでも不便さが出てくる。
住民との交流も会話がパターン化してるしそもそもあんまり会話にならない。せっかくキャンプサイトがあるのにキャンプに来る頻度が低すぎる。金の道具も壊れにくいだけでジョウロ以外はコストに性能が見合わない。
離島ツアーは今回レア島の頻度が下がって交配花島は削除。今作はお金がかなり掛るのに金策の手段が乏しくなってる。
ていうかアップデートの内容告知しないのはなんなの。
私は怒っている。君に。君らに。直接言えないからここで書く。
一昔前は「クリエイティブ」な活動といえば、一部の人間のものだったんだろう。でも、今は誰だって簡単に何かをクリエイトすることができる。
自分が作った文章、料理、イラスト、漫画、ダンス、歌、音楽……なんでもいい。世界に発信し、反応をもらえる。
すばらしい時代だと思う。
私の友人も、そういう人が増えた。君らのことだ。
そういうのを見ると、友人の一人として、活躍が嬉しいし、応援したいと思う。作品がよいものであれば、自分のことのように誇らしくも感じる。
君らの「これを作りました!」という投稿には、「いいねお願いします!」「見てください!」「来てください!」と書いてあることも多い。
投稿だけじゃなく、個人的に直接メッセージをもらうこともある。「いいねよろしく」「友達登録してください」「公演見に来てください」。
「いいねが集まらないと仕事に繋がらないからお願い」と頼まれたこともあった。
実はあんまり興味がなくてスルーしていたのだが、直接言われたとあって「いいね」をしにいった。
宣伝は大事だし、どんどんした方がいい。赤の他人よりも人柄を知っている分、興味を持ってくれる可能性が高いはずだ。
興味はなくとも応援してくれる心優しい人もいるだろう。
私もこういった投稿を見て、「いいね!」を押したり、その人が書いたという本を買ったり、展示やライブを見に行ったりした。
もちろん、先述のように作品自体が自分の興味のないジャンルのこともある。
それでも友人として少しでも役立ちたいという気持ちから、わりと積極的に反応している。
単純に、他人に自分の趣味の範囲を広げてもらうのがおもしろいと考えているのもある。
誘われなければ、渋谷の小さなライブハウスに行くことなんてそうなかっただろう。流している音楽はよくわからなかったけど、あれはいい経験だった。ありがとう。
さて、本題だ。何に怒っているのか。
実は私自身もイラストやら漫画やらを描いては、SNSで「こんなの作ったよ」と投稿している。
「すごいね!」「昔から好きだったもんね!」「才能あるね!」といった内容ばかりで、まぁ社交辞令や身内贔屓だったとしても嬉しいものだ。
しかし、先述の「これを作りました!」という友人に限って無反応なのである。
おいおいちょっと待ってくれ。
確かに私の作品は拙いよ。趣味で作っているものだし、クオリティも素人丸出しだ。趣味じゃないってこともあるだろう。
お金なんて取りゃしない、イラストや漫画なんかチラッと見たらいいだけ。難しくもなんともないし、時間もほとんど取らない。頻度だって少ないもんだ。
もしどうしても忙しいんなら、「いいね」のポチだけだっていい。それも無理なのか?
私は君にとってただの養分なのか?
それともなにか、自分の作ったものは人間関係とは関係なくクオリティを純粋に評価されていると思っているのか?
……とまで考えてしまう自分もどうかと思う。自分の作るものの力が足りないのも元凶だろう。けど、率直な思いでもある。
他人をたくさんの「いいね」のひとつだと思うのを辞めてほしい。そのいいねを押す指は、きちんと生身の人間に繋がっているのだ。
[B! クリエイト] スマホRPGの「自動戦闘」を巡る賛否。導入せざるを得ない本質的な理由とその課題 - Kultur https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kultur2.blog.fc2.com/blog-entry-4829.html
についてだと思うけど、コンシューマー(オープンワールド)ゲーとスマホ(ハクスラ)RPGとじゃ設計思想が違うんだから楽しいポイントが違うのは当たり前じゃね?
RPG(ここではポケモンとか妖怪ウォッチを想定)の移動が楽しいことには同意。ファストトラベルとルート表示は選択できると助かる。特にルート表示は久しぶりにゲームやるときにあると助かる
赤月ゆにというVTuberがいる。私の観測範囲内では大人気のVTuberだ。東京都文京区にお住まいの美少女吸血鬼である。知らない人は各自ググってみてほしい。
(厳密にはVTuberとは呼べないがここでは便宜上VTuberと表記する。詳しくは『ユリイカ』2018年7月号の記事「バーチャルなバーチャルと、ノット・バーチャルなバーチャル」を参照)
元々、YouTuberやVTuberにあんまり興味は持っていなかった。某シロイルカの動画なんかをちょちょっと見て、なんか肌に合わないなー、と思ってこの界隈には近づいていなかった。友達にハマっている人が何人かいたので、その人経由で有名なVTuberの存在は知ったりと、脇目で見ている感じだった。
けれど、友達のひとりがしょっちゅうRTしてきた赤月ゆにの放送を試しに聞いてみたら、ドハマりした。過去のラジオアーカイブを漁りまくった。
鈴を転がすような声と知性に溢れウィットに富んだ語り口。一気にファンになった。ゆにちゃん様、すこだ……というモードになっていた。ゆに様.mp3が出たら絶対課金しようと思っていたしゆにたん萌え~hshsとつぶやいていた。
でも、その友達と話をしていて、赤月ゆにの「中身」は何人かのスタッフで、あの声の持ち主は渡された原稿を言われたままに読んでいるだけの声優である、ということを聞いてしまった。
ショックだった。
残念だった。
もちろん本気で不老不死の吸血鬼なんてものがいるとは思っていなかったし、色々なテーマを扱っているからリサーチを補助するスタッフのようなものはいるのかもしれないくらいは思っていた。ゆにクリエイトという会社があるのも知っていたけれど、本人が説明しているように「仕事とか事務、営業、あとコミケのスタッフで動いてる」ものだと思っていた(動画の作業とか、一人でできるとは思えないし)。文京区住みというのも,まあ,半分くらいは本当じゃないかもしれないとは想像していた。
でも、声と中身は一致してるんだと思ってた。
あの声とあの知性を兼ね備えた存在が日本のどこかに実在していることまでは流石に疑ってなかった。
だって徹底抗戦してたじゃん、ラジオ第1回で。おっさん疑惑について尋ねられて……あっこれ改めて聞き返してみたら明確に否定してない! おっさん疑惑を明確に否定してない! ちくしょう! なんかこう勝手に「そうだよな女性がこんなものを知ってるわけないみたいなジェンダー的偏見はよくないよな」とか「そうだよな文体や話し方にみられる性差みたいなのも実は創作や翻訳の過程で強化されるものであって実際は男女の話し言葉の間に明確な性差なんてあまりないよな」みたいな感じで納得していた自分が馬鹿みたいだよ!
バ美肉である可能性もちょっとは考慮して、一応声優の卵である知り合いに動画を見てもらって「天然ものの声帯だと思う」というお墨付きをもらって安心していたのだけれど、声帯と中身が一致してないとは思わなかったよ……
おっさんが考えた美少女に声優さんが声をあてているだけ、というのはアニメやエロゲのキャラもそうなんだけど、アニメやエロゲのキャラの殆どはそもそもが架空の人物であることが自明なのに対して、VTuberとかそういうのはある程度「中の人」のキャラが出てるんじゃない? って思ってた。エーリカ・ハルトマンや暁切歌や二階堂サキや時雨亜沙は実在していなくておっさん含む何人かで考えたセリフを声優さんが喋っているだけ、というのはわかってたけど、赤月ゆにの人格と声は一致していると思っていた。
でも一致してなかったなんて。ショックだ。
どのくらいショックかというと『うたわれるものらじお』にはちゃんと台本があって柚木涼香さんの発言は全部それに沿っているものだと知ったときの5倍くらいショックだ。
YouTubeでゆにチャンネルをチャンネル登録してるけど、解除しようかどうか割と真剣に検討している。伝統芸能として知られる円盤割りを披露しようかとも思ったけれど円盤をまだ持っていないのでやめた。でも改めてラジオ聞いてみるとすごいいい声……ゆにちゃん様すこ……って思っちゃうんだよな……でもそれは声優がおっさんの書いた原稿を読んでるだけ……ううう……
未だにこの事実と折り合いがつけられていないので、ひとまずラジオをもう一周くらいしてからチャンネル登録解除の是非を考えようと思う。
「こんなにいけてる俺に力を与えれば日本はいい方向の未来を掴める」って空気を放散してくれ。
そしてそれを発信してアピールしていってくれ。
表向きの側近もそういう前向きなオーラ出せる新顔で固めてくれ。
でもそれだけやってたら勝てないってもう身に染みただろう。
与党の失点はポロポロあるからそこを突こうとするとかえって焦点分散みたいになる。
「こんなことをした」「これは重大な悪事」っていくら言っても馬耳東風なんだ。
だから枝野さんが純粋な魅力勝負で安倍さんや河野太郎に勝つしかないの。
自民は悪い安倍は悪いって口を極めて表現しても先鋭化したコア支持者が喜ぶだけで、一般層にはなんにも響かない。
逸材・棚橋の前向きで外向きな情熱(先輩たちのような外敵や上の世代との情念の抗争ではなく「俺は最高」「ファンのみんな、愛してます!」の精神)、
そして先鋭化したコアファンを完全に無視してもっとライトな新しい将来のファンに目を向けたことなんだ。
コアファンが喜ぶことしてると未来は尖って細るだけだと気付いた。
こう言っちゃなんだけど今残ってるコアファンなんて何がどうあっても安倍が嫌いなんだから
冷たくされて拗ねて離れたとしても枝野さんが勢いを得たら絶対帰ってくるんだよ。他に行く場所ないんだから。
前の週にランダムに決まった映画を私が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという、友人やゲストであっても忖度しない型映画評論コーナー。それでは、今夜評論する映画はこちら!
『未来のミライ』!
はい。山下達郎さんのこの主題歌、やっぱり沁みますねー。かの名作、アニメ版『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』などを手掛けた、言わずと知れたヒットメイカー細田守監督が原作、脚本、監督を務めたアニメーション映画。
これは後ほどの僕の評で触れますけどね、どうも細田監督は脚本を外注するタームに一旦戻した方がよいんじゃないかと僭越ながら思います。というのも、フィルモグラフィを踏まえると、細田さんが脚本に絡めば絡むほど逆にダメさが際立っているのが歴然となるという(笑)。
さて、『未来のミライ』、どんな話かと申しますと、甘えん坊の4歳の男の子くんちゃんは生まれたばかりの妹・ミライちゃんと仲良くできず、両親を困らせてばかり。そんなくんちゃんの前にある日、少女が現れる。声の出演は上白石萌歌さん。『君の名は。』のヒロイン、三葉を演じた上白石萌音さんの妹さんだそうで。これなんかは、僕、勉強不足で申し訳ない。存じ上げませんでした。それと、黒木華さん、麻生久美子さん。スーパースケベタイムこと星野源さんなんかもね、声を当てております。
ということで、この『未来のミライ』、見ましたよ~というリスナーの方から監視報告結果をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は・・・多め。まあ、そんなもんですかね。注目度は高いでしょうからね。ただ、賛否の比率が今回、賛のメールが3割、否定的なメールが4割、そして普通が3割といった感じで。あらそうですか。まあ賛否両論というか、まあ世間的にも今回は否がちょっと多めな感じですよね。
多かった否定的な意見としては、これなんか僕笑っちゃったんですけど、「未就学児にアナルプラグってどうなんですか(笑)」「クソガキにひたすらむかついた」「リアリティラインがずっと迷子。演出が全て茶番」とかですね。みなさん手厳しいですね。一方褒める意見としては「まさに子育て中の自分にとってはくんちゃんの言動が“子育てあるある”でつい笑ってしまった」、「あの東京駅の造形は素晴らしい」、「全く予定調和ではない、ほとんどカルト映画のような展開に細田守のすごみを感じた」--最後のこれ褒めてるのかな(笑)--といったところがございました。
ということで『未来のミライ』、私もTOHOシネマズ日劇とバルト9で計2回、見てまいりました。正直日劇の方はちょっと寂しい、イマイチの入りだったんですけどね、バルト9の方は、休日ということもあったのか、子供連れのお客さんが多い雰囲気でしたね。おちゃらけたシーンでは子供の笑い声があったりしてね。これ僕意外だったんですけどね。
それで、細田守さんの細かい説明、はもういいかな。もういいですよね?
ニッポンの夏と言えばもう細田作品、となりましたね。春はドラえもん・しんちゃん・コナンくん、そして夏は細田作品というね。改めて振り返るとですね、あの押しも押されぬ名作『時をかける少女』以来、なんとキッチリ3年ごとに細田監督の劇場用新作長編アニメが天下の日テレをバックにつけて全国のシネコンでがんがん流れされるという。この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!・・・といった風情でございますが、“ポスト宮崎駿”という形容が正しいかどうかはひとまず置いておいて、現在の日本アニメーションを代表する監督のお一人であることは間違いございません!一方ですね、これだけ大メジャーになっても、細田さんの作品は、毎回変なんですよ、はい。
日テレがバックにいます、山手線にも全面広告出してます、たくさんの有名どころの芸能人が声あててます、主題歌は山下達郎です、で、騙されちゃいけませんよみなさん(笑)!“変”なんです。これも後で触れますけど、残念ながら悪い意味で、ですけれども。
細田さんなりの意識としてはね、今回はこれを描こう、これがテーマだというものがあると思うんです。そして大出世作『時をかける少女』を除けば、特に細田さんのオリジナル作品には、ドーンと太い幹のテーマとして、「家族」たるもの、そのあり方、に明らかにオブセッションがありますよね。ジャンルも角度も全く違いますが、大枠のテーマ設定自体は是枝裕和監督と共通してる、ともいえます。両者とも相手の作品のことは苦手そうですが(笑)。
そして今回は最もそのテーマがわかりやすく出ているからこそ、これまで周辺の諸々で覆い隠せていたダメさが際立ってしまってるという。
これねえ、細田さんのホント悪い癖だと思うんですけどねえ。実生活を作品に反映させすぎてるんですよ。
もちろんですね、ここは誤解しないでいただきたいんですけど、私も含めてですが、まずリアルの生活があって、日々作品をクリエイトしているわけでございますからそのことを安直かつ一概に悪いというつもりは毛頭ございません!我々の業界でも、それはそれはまあ古今東西のあちこちで「リアル」か「非・リアル」か、ということが作品、ひいてはクリエイターとしての評価軸として語られてきた闘争の歴史があるわけでございます。まあここらへんの話はし出すと切りがないからやめときますが、また別の機会に特集でやれたらなと考えています。
ただね、これ、我々とも共通しているんですけど、決して間違えちゃいけないのは、「リアル」だから偉いんじゃないんですよ。そして「非・リアル」イコールダメじゃないんです。“リアルの生活があってのクリエイト”の裏っ返しとして、作品がウンコなら、いくら本人的にリアルなものであってもダメはダメなんです。まあ当然の話ですけどね。言い換えると、てめえ創作をなめてんじゃねえぞ(笑)!というね。どういうことかというとですね、僕が常日頃から大変尊敬しております、故・藤子・F・不二雄先生のですね、こちらも大傑作『エスパー魔美』にですね、こんなエピソードがあります。大変有名なエピソードなのでご存じの方やこの流れでピンと来た方も多いとは思いますが改めてここで引用させていただきます。
主人公魔美に対し、画家である魔美のパパの絵を酷評した評論家がこう言い放ちます。曰く「芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ、飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作は駄作。」と。さらに、魔美公の「父の絵が駄作だと・・・!?」という問いに対しても、件の評論家曰く「残念だが・・・・・・」と。
「くたばれ評論家」というタイトルの話ですけれども、前後も含めて気になる方は是非全編読んでみてください。文庫版第1巻収録でございます。これ、我々クリエイターにとっては誠におっそろしい、喉元に切っ先をつきつける真実の言葉ですよ。作品内の一エピソードとはいえ、これを自作で評論家に言わせるF先生のすごみってのが改めて感じられますけども。
これを今回のリアル/非リアルの問題に引き直しますとね、こうなります。はいドーン!!
「結局、創作においては作品が全てなのだ。たとえ、童貞くんや処女ちゃんが作るAVでも傑作は傑作。ヤリチン、ビッチがその経験を総動員して作るAVでも駄作は駄作。」
はい、そういうことでね(笑)、まず『未来のミライ』、何が一番ダメか、というと、これ、あちこちのインタビューで細田監督自身がね・・・これホントダサいよなー・・・言い訳がましく語っているところでもありますが、4歳の男の子が主人公なんですね。で、彼の視点で基本話が進んでいくんですけども、監督曰く、同じ4歳でも、女の子じゃなくて男の子がいいという。そんで、監督が女の子と男の子の二児をもった経験をそのまま持ってきているという。
これねえ、頼んでもいないのにてめえで勝手に4歳男児を主人公にしといてね、4歳男児だからね!彼の目線だから!そういう体で!大目に見てよね!って言い訳にしてもクソダサいにもほどがありますよ!細田さん、昔はそんな人じゃなかったでしょ!?
なんでてめえんちの、オチもかわいげもないクソガキのホームビデオを延々と見せてんだ!っていう(笑)。一億万歩譲ってですね、ホームビデオだとしてもいくらでも演出のしようがあるだろ、と。こっちは先週ガチャが当たったおかげでクソガキのホームビデオ鑑賞に1800円の2回、合計3600円自腹で払ってんだぞ(笑)!っていう(笑)。まあ、最後のは僕だけの事情ですけど(笑)。
別にね、幼児を主役にすんな、ホームビデオを劇場で流すな、ってそんな単純な話じゃないんです。北野武監督の『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』のいわゆる芸術3部作ね。僕なんかは敬愛を込めて“偉大なる失敗作群”と呼んでますけど、あれらだってフェリーニの『8 1/2』方式といえばよいんでしょうか、意地悪な言い方すると豪勢なホームビデオっちゃあホームビデオですよね。それでもK.U.F.Uややり方次第で、いくらでも幼児ならでは、ホームビデオならではの特性を生かすことはできるんですよ。
これ、他の幼児キャラと比べるとはっきりわかると思うんですけど、みなさんご存じ“嵐を呼ぶ園児”野原しんのすけ!これはまあちょっと特殊な例ですけど、もう少しリアルよりのちょっぴりわがまま幼児といえば『トトロ』のメイちゃんなんかもそうですね。あと、変化球としては、F先生のオバQだってその言動だけ捉えたら幼児的な異物といえます。
どういうことかと申しますと、もう名前も言いたくないな(笑)、今回のこのクソガキ様の挙動がビタイチ、ホンットビタイチおもしろくもない、かわいらしくもない、ムカツクだけ。“好きくない”?はやんねーしはやらせねーぞ。
要するにですね、このガキ、いや、おガキ様、ほぼ全編に渡って、人間のむき出しの感情や欲望を、アクセル踏みっぱなしで発散しまくる、という非常に独特かつ個性的なキャラクターであらせられ、たてまつられ候なわけなんですね。で、ここを「面白い!かわいい!」と思える大変奇特な方も世の中には一定数いらっしゃると思います、あるいは、残念ながら僕のように「このクソガキ!」っていう風にやっぱり、拒否反応を感じてしまう方もいらっしゃると。これはねえ・・・もうしょうがない!
いや、実はしょうがなくはないんですけど。僕なんかはね、僕は自分の子供もおらず、あと僕自身末っ子なんで弟感、妹感ってのがイマイチわからないですけど。でもね、その人の実生活上の“あるある”なんぞに頼らざるをえない時点で作品としてはその時点で“負け”なわけなんですよ。
どういうことが言いたいかというとですね、先ほどの例であげた『トトロ』のメイちゃんね。これ、宮崎監督さすがだなあと思うんですけど、ダダをこねるシーン、グズるシーン、いずれもひじょーにロジカルに「何故彼女がそういう行動に至ったか」というのが、お父さん、さつきちゃんとの関係性も含めてストンと腑に落ちる作りになっている。しかも説明的なセリフもほとんどなく。
さらに悪いのはですね、クソガキのダダこねに対してお父さん、お母さん--こちら星野源さん・麻生久美子さん自体は好演だったと思いますけど--が突如ですね。表現が過激で申し訳ありませんね。白痴になられる(笑)。要はキャラクターとしての一貫性がないんですよ。
どういうことか。産休明け出勤時のお母さんは目の前に居る4歳児の甘え要請をガン無視(笑)。いやいやいや・・・(笑)。第二子が生まれたときの第一子のフォローって別に特別な知識や経験がなくたって、“人として”ちゃんとやってやんないとヤバいのは直感でわかるでしょう?
そんで、自宅で仕事をしているとはいえ、4歳の幼児と新生児をかかえてワンオペ育児父ちゃんの、千と千尋の父ちゃん母ちゃんにも匹敵するレベルの無慈悲な既読スルー(笑)。『風立ちぬ』の堀越二郎だってもう少し周り見えてたぞ(笑)。マジでこいつらサイコパス夫婦なの?何か目に見えない妖怪的なものに取り憑かれているとかそういうこわい系の話なの、これ?というね(笑)。他の作品でこんなの見たことあります?っていう感じですよね。僕、見たことないです。
あとねえ、僕個人的に一番許せないのがね、劇中、クソガキがミライちゃんにとあるひどいことをします。この“ひどいこと”自体も、「ためにする」展開の脚本でしかないんで、ただただ単に不快なだけなんだけど、その現場を見ていないはずのサイコ母ちゃんが「何で仲良くできないの!仲良くするって言ったでしょ?!」と頭ごなしに怒るんですよね。僕、子供いなくたってわかりますよ、一番やっちゃいけないっしょこれ。これもねえ、怒る前に母ちゃんの些細なイライラエピソードを入れるとか、クソガキが所在ない感じを示唆するとか、怒ってしまった後の後悔の瞬間をちらっといれるとかだけでも相当違うと思うんですよ。もちろん説明セリフじゃなくてですよ?少なくとも映画における省略技法ってこういうことじゃあないと思うんだけどなあ(笑)。
(続く)
http://www.fujitv.co.jp/muscat/20180392.html
ファンがこわくてセリフを変えられないのかと思ったらプロデューサーの希望だったと。
このプロデューサーのやったことは結局、できのわるい原作者へのファンレターだったというだけで「作品」とも呼べないものに落ちている。
クリエイトした意味を問いたい。清々しいくらいにプライドがない。
批判が怖いだけじゃん。
おまけに尺都合で必要な「間」もなく、駆け足な話の流れ。
昔話ですが。
当時つるんでた知人(5歳くらい年上だったと思う)がスラダン大好きで。アニメ化して喜んで見てた。
自分も原作は読んでてそこそこ(途中まで)面白いと思って読んでたからアニメも見始めた。
だから正直に「そのまんますぎてつまんなくない?」と知人に訊いた。
彼女はまんがそのまんまがいい、原作が大好きだから、原作に声がついてるのだけが見たい、といった。
自分は20歳そこそこだったけど、この意見というか気持ちがなんかカルチャーショックだった。ヤック・デ・カルチャ。
原作がある場合は、そういう思いのファンも少なからずいるんだなと認識した。
それはそれとして。
原作あれど、アニメ化するうえでは新しい作品を作るわけじゃん。クリエイターとしての挟持とか、原作超えたるわい!ていうような自負とか、ないんかい。
知らねーよ。
いっそゴッドマーズぐらい突き抜けたらどうなんだいと思うわけ。
逆にね。
今、JOJOの黄金の風アニメもやってるわけだけど。JOJOはあの原作に対してどうやってアニメ化するのかを一部からすごい試行錯誤してて、原作へのリスペクトもすごく感じるわけで、あれはある意味「原作のまま」が昇華されてるなと思う。すごいと思う。
でもスラダンはどうなのよ。
そっか、リスペクトか、足りないのは。リスペクトが感じられないからつまんないのかな。
BANANA FISHはでも、原作大好きな人たちが作ってるんだよね。でもつまんないんですがそれは。製作者の力量かね。
30代男性。妻子あり。
激昂した感情が漏れ出るではなく、感情の流れをそのまま垂れ流すでもない。ある定型にそった言葉がほぼ無意識にこぼれる。幼少の頃からそうだったのではなく、20代半ばにそのような癖ができた。
何某カナ的に誰それに会いたいであったり、誰それが好きだであったり、最も直接的なものだとセックスしたい、である。
対象となる人物が実在するかは問わない。むしろ実在しない場合の方が多いように思う。
この独り言がどのような心理的作用によって発せられているのか寡聞にして知らないが、独り言でなにかしら情愛の対象となっている人物に対してのその感情に偽りはないのだと思う。
つまり俺は、神戸から転校してきたクラス委員長と結婚したいし、ボクっ娘な真とキャッキャウフフしたいし、みくにゃんとにゃんにゃんしたいにゃあ!
今朝のことである。
昨晩意図せずに早寝したせいか、珍しく誰よりも早く目が覚めた。
先週は任せっきりにしていた朝の家事を今日は妻のぶんまでこなそうと思い、すぐにキッチンに向かった。6時前だった。
朝食の支度をするにはまだ少し早い。
ダイニングに目をやると、麦茶のピッチャーがダイニングテーブルに取り残されたままになっていた。まずは麦茶を作ることにした。
T-falに半分ほど注水してスイッチを入れてから、ピッチャーの底に澱んでいた麦茶をシンクに流す。
じじじじじ、と電熱器が加熱される音が次第に水が沸騰する音にかき消されていく。
熱湯消毒は洗剤で洗う前にした方がよかっただろうか。
そんなことを考えながらピッチャーを洗う後ろで、ぽこぽこぽこと沸騰音が徐々にキッチンを満たしていく。
独り言は環境ノイズが大きくかつ多くなればなるなるほどその存在を主張するがごとく大音量で発せられる。
その刹那。
「●●ちゃんて誰?」
T-falから溢れる沸騰音とシンクの水音を遮る声があった。妻だった。
間髪入れずに、半ばオートで答える。そんな俺を俯瞰している俺がいて、いつの間に分かれたかは知らないが、多分そっちが本物の俺だった。
数秒の間をおいて俺が重なり、同時に焦燥に似た何かが沸き上がってきた。
やっちまった? とうとうやっちまったな。いや何を? やってないぞ俺。いやヤりたくはあるのか。
キッチン脇を抜けてリビングに向かう妻の後を追いながら「恥ずかしいから聞き流してくれよー」と照れ隠しに笑う。
「知らんがな」と顔をこちらに向けずに妻は言い放つ。これ以上的確な受け答えはない、と思った。
「●●」とは誰なのか。
健康アイドル? 姫カットの貧乏お嬢様? 第5世界のイアルの子? FARGO教信者? ICPOのヨーヨー使い?
他に誰かいただろうか。それらのキャラクターと俺はセックスしたがっているのだろうか。
自問の答えは出ず、妻にはバツの悪いまま、慌ただしい朝の日常に呑まれていった。
いたというか自分で作り出していた。自分でハニーをセレクトしたカスタムメイドなキャラクターを。
集合的無意識によるものかもしれないし、チュパカブラ様のご神託だったかもしれないし、或いはそれが世界の選択だったのかもしれない。
ともかく、●●という名を持ったセックスしたいキャラクターは存在していたのである。
自身への疑問は解消した。しかしこれをどう妻に説明しようか。既存のキャラクターでも大概だというのに、自分でクリエイトしたキャラクターである。
ただでさえ性的に拗らせた感バリバリなのに、(控えめに言って)もっと面倒なヤツ扱いされはしないだろうか。
いやそれ以前に説明する機会は訪れるのだろうか。
まずもって俺は今日どんな顔をして「ただいま」と言えばいいのだろうか。