はてなキーワード: アヴァロンとは
真女神転生Ⅲ
安倍公房
シルバー事件は大好き、killer7は積んでましたすいません。
呪みちるは入手できる範囲で単行本揃えてる。谷口トモオは未読。
早く完結して下さい。
>宝石の国
原作もアニメも見ました。市川先生なら25時のバカンスが一番好き。
>Hollow Knigth
横スクはあまりやらないけれど、LIMBOやINSIDEみたいに世界観が少しずつ分かるタイプなら興味あります。
オカ板に浸っていた時期があったもので懐かしいワードがチラホラあって楽しかった。
>鬼哭街
>Undertale
7巻のホラー回を見るにあの人は相当"溜まっている"。
>Pony Island
exe.シリーズにハマっていた時にプレイ動画を見てしまって後悔してる。ああいうのはプレイしてこそなのに。
>portal1・2
>ナウシカ
>DEADSPACE
2までは名作2までは。
>よるくも
1巻読んだ→なんじゃこりゃ?完結したみたいなので続き読みます。
>寺山修司
なんかうまく言えないけど少し好みから外れる。
>砂ぼうず
すまん、参考までにどのツイートが「オタクたちの煽り」なのか具体的に番号で示してもらっていい?
02 ツイッターがここ数年でオタク化してるって誰かが言ってましたね
03 味方全員の必殺技のゲージをそれぞれ20%上げたり、味方全員を1ターン無敵にしたり、必殺技が全員の体力と必殺技のゲージを少しずつ上げたりできるキャラで、戦闘のサポートするのに最強のキャラでなかなか手に入らないから、Twitterのトレンドになったと言うことです。
04 安室奈美恵って誰だよ...←
05 マーリン知らないの笑う
06 このキャラらしいです(´◦ω◦`) [FGOマーリンの画像]
07 円卓分からないんですか
08 塔の上から猫を投げ捨てる人でなしですよ
13 ガーデンアヴァロン!!!!!!!!!!!!
14 マーリン知らないは草
15 トレンドのマーリンの中で一番ぷっちぎってるツイートがこれというのも逆に面白いですね・・・お見事です👍 FF外から失礼しました・・・お詫びにいいねとリツイートしておきます。
16 日本はオタク化が進行しています。素晴らしいです。 子供向けのEテレでは、大ヒットアニメを放映するなどして、小さい子供にもアニメのことを知ってもらおうとしています。
18 王の話する人です
19 トランスフォーマー最後の騎士王観ればわかる(分かるとは言ってない)
22 王の話ばっかしてます
23 王の話をするとしよう。
26 ニモのお父さんのことですよー
29 アーサー王伝説に出てくる魔術師です世界でも有名なんですよ
30 ディズニー映画の王様の剣に出てくる 魔法使いのお爺さんですよ?w(・o・)
36 多分あれだよ メジャーリーグのチームの・・・
38 安室奈美恵って誰ですか?
40 「星の内海。物見の台。楽園の端から君に聞かせよう。君たちの物語は祝福に満ちていると……」 「――“罪無き者のみ通るがいい”――」 『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)』
41 モンストですよ
42 スネ夫の亜種
44 王の話をするとしよう。
45 多分、今になってキング・アーサーとトランスフォーマー最後の騎士王が流行ったんでしょう…(すっとぼけ)
48 エロメンコバースの超越ウィッチによく入ってたカードですね
49 マーリン(Merlin)はヨーロッパ中世の伝説上のグレートブリテン島の魔術師。 [Wikipediaの画像]
50 マリーン ほんと~に気になる
51 知らないのも仕方がない…
56 分からない。
57 (謎ω謎)???????
58 FGOのマーリン知ってて当たり前みたいなリプ飛んでるの見てイキってて気持ち悪いと思った(渾身の感想)
60 パンに塗るやつでしょ
62 安室奈美恵を未だに崇拝してるほうがどうかしてるんだけどね
63 他人の趣味にとやかく言う気は無いですが、ゲームだかアニメのキャラなんてクソどうでもいい頻出単語をトレンドに上げないで欲しいですね。
66 FGOで人のマーリン使ってて欲しくてお話したくて会いたくて震えるガチャ
67 円卓の騎士も知らないとかやばそ
68 すっごく簡単に説明すると、一番スマホアプリの中で課金されている人気ゲームの中でも飛びぬけて人気で強いキャラが、今だけ確率的に手に入りやすくなっているのです。
69 安室ちゃんが誰って凄えな...この日本は二極化が進んでるわ(主観)
71 王の話をずっとしてる人( ˙-˙ )
73 あの有名なアーサー王伝説のマーリンを知らないんですか!?ディズニーで映像化されてるくらいなのに!
74 RTから来ました。アーサー王伝説に出てくる魔法使いですね。
75 fate grand order略してFGOというスマホゲームの登場人物の名前です。
77 王の話をするとしよう
78 お前誰だよ()
80 フェイトグランドオーダーというゲームアプリのキャラです
83 んなとっくに過去のミイラみたいな奴誰もどうでもいいって思ってるからだよ てかお前がこの世で頭おかしいぐらい金稼いでるFGOを知らないのが問題 何?君ほんとに日本人? 日本に住んでない人? 日本人でfate知らないとかもはや非国民だから自害しろランサー
85 日本人なら皆やってるアプリ、FGOの事知らないの?お前、韓国人だろ?
88 某スマホゲームでものすごく性能の良いキャラクターが当たるセールが始まりまして。
89 アーサー王伝説及び円卓の騎士の伝説に登場する、花の魔術師マーリンの事ですね
91 うーん 嘘松w
94 まーたアニメアイコンどもが騒いでるよ
95 知ってはいるが活動してたん?みたいな FGOは世界一とっちゃったし
96 スマートフォンのゲーム「FateGrandOrder」に出てくるキャラクターみたいですね>マーリン 今回プレイアブルになったか手に入りやすくなったとかで話題になっているみたいです。
その1(http://anond.hatelabo.jp/20161223120406)からの続き。
ガリ勉でクラスの中で浮いていた霧里七華(十七歳)が、ある出来事をきっかけに心だけ六歳に戻ってしまった。心が子供に戻った彼女に幼馴染の凪原稔二や同級生の雨宮さんが振り回されたりもしながら、十七歳の七華と稔二と雨宮さんの三角関係を描く漫画である。ラブコメなんだけど普段のラブ成分は少なめで、大事なところでドバッとでる感じ。それと恋愛よりも人を思いやるという心の成長を主題にしているためか、幼馴染大勝利!とならない。
ヒロインはタイトルにも名前が入っているとおり七華なんだけど、十七歳の七華はたまにしか出ないレアキャラだし、雨宮さんかわいいし、雨宮さん優しいし、雨宮さん頼りになるし、はじめはいじめっ子として出てきたのに、あっという間に稔二との過去話が補完されたし、実質雨宮さんがメインヒロイン(ちなみに人気投票の下馬評ではぶっちぎりだった)。雨宮さんは、いつも赤面していて、だいたいいつも報われないんだけど、時々とても幸せそうな顔をする瞬間があって本当に応援したくなる。
でも本当はドミ子が一番かわいい。
あらすじ
どこにでもいるような普通の女子高生エルナは、普通の家庭で普通に暮らしていた。しかし都市部の工事現場から古代ギムレー期の伝説の聖剣が見つかったことで、彼女の血に隠された王族の魔力が彼女の運命を残酷に捻じ曲げていく。
携帯電話やインターネットが存在する現代的な科学世界の上で、真面目に魔法や空想の生物の力を扱ったらどうなるのか。魔法は通常兵器と異なり術者一人だけで大規模破壊や暗殺行為が可能になる。そんな力がテロリストに渡ったら政府はどう対応するのか。
既存の力を軽く超えた魔法の力が存在することの恐怖とはどんなものか。SFファンタジーである。
ギムレー期の伝説「エルナサーガ」を描いたIと合わせてどうぞ。
絵がかわいい。意外とストーリーがしっかりしている。ふわふわ。キャラが可愛い。
一応ストーリーを。天使が通う森の学園になぜか入学した悪魔のルカ。毎日愛天使ハニエルに振り回されながらどこかおかしい学園の真相に気がついていくストーリー。
軟派な大学生潤が、身元不明な女性から「あなたのこどもです」と一歳児スミレちゃんを押し付けられてシングルファーザーをする話。
はじめはスミレのことをうっとおしく思っていた潤だけど、日々の成長を見守っていくうちに一人のパパとして成長していく。スミレが通う保育園の優子先生との恋愛も子育てと並んでこの漫画の中心となるが、スミレが本当に潤の子供である可能性も出てきて、なかなか仲が進展しない。
スミレの戸籍上の父親で売れない俳優の椿吾郎が、愛のない家庭で育ったことで、子供の愛し方を知らなかったけれど、スミレと触れ合っていくことで過去を乗り越えていくながれがすばらしい。子育ては子供を成長させるのではなくて、子供とともに成長することなんだ。
つまり結局のところ、幼児のスミレちゃんが愛くるしいのでホオを緩めて愛でましょう。
玄奘三蔵の妹テンテンが、妖怪の総大将 孫悟空に殺された兄の代わりに、旅の仲間たちと共に天竺を目指すストーリー、つまり西遊記。ところが、西遊記を作者が思いっきりやりたいようにアレンジしてしまった。
仲間の悟空がオリジナル悟空のクローンだったり、悟空の師匠の悟浄が軍服の眼帯女だったり、昔の中国だって地の文にも書いているのに重火器や携帯電話が思いっきり登場したり大変自由。果てにはロボットまでも出てくる。
「あかりや」というどんなあかりでも揃っている店を舞台に、宮沢賢治の幻想的な香りに人の心のぐちゃぐちゃした猟奇臭を加算した奇妙な話の連作集。
例えば、子孫を残せずに死んでしまった渡り鳥が、鳥神様に許されるために渡り鳥の群れを導く光となる「第3話」のように残酷ながらも美しい話があるかと思えば、思いっきりカニバる「第2話」のような話があったりする。オススメは芸術家の業と歪な肉親愛が題材の「第4話」。絵を書かずにはいられない姉と姉が好きすぎる弟が、姉が事故で光を失ったことで尋常ではない共依存のような関係になってしまう話。
あらすじ
かつては浄水施設だった街で、街の一画と共に水の底に沈んだ家族に心を囚われるユィと貯水壁が壊れる夜を描く「水槽の街」、ツノと尻尾が生えた少女が、鬼に胸を貫かれてほぼ全裸になる「少女というより痴女だった」、真面目系とチャラ男系という完璧にタイプが違う中学生の芹沢と工藤が、偶然ビデオ店で出会ったことから共通の趣味を見つけ、友達未満になる話「友達だなんて思っていないんだ」などを収めた短編集。
作者である鈴木健也さんの描く人物は非常に肉感的なんだけど、特徴的な線かな。
一番のおすすめは「ジゼルとエステル」。サーカスの見せ物で美しいシャム双生児の少女ジゼルとエステルが、エステルが男の子に恋したせいで、(おもにジゼルが)物理的に精神的に引き裂かれる話。じつにえぐくて物悲しい。信じていたものに裏切られるつらさ。
こころがぐりぐりされる。
おばか変態ギャグ漫画。ここで紹介するのは、フレイヤ騎士団(ナイトクラブ)の美の化身こと鏡尋斗の必殺技、「男子魅了(読み: バンコラン)」効果: 男子を操る、に負けたから。ちなみに三巻の57-58ページ。あとブルマに対する作者の情熱がものすごい。
人々が天を忘れた時、地の底から邪なものが這い出してくる。その都度、神は大地へ天の使いを送った。そう…邪悪を祓い、人々の心に再び天を抱かせるために…。 時は現代、地上に邪なものが現れると、彼らが現れる。天に選ばれた戦士たち、そう、「天空特警 アヴァロン」と「美少女天使 パレストリーナ」!!!
特撮とアニメをリスペクトなヒーロー漫画。マッシヴなのに意外と理知的なアヴァロン(中身は不良)と目立つの大好きパレストリーナ(中身は生真面目生徒会長)のコンビがいい感じ。
面白いのが、天と邪なるものとのパワーバランスは天を信じる人々の数で決まるため、敵側が、現代が情報社会であることを利用した情報戦やイメージ戦略で攻撃してくるところ。現実でこれやられたらかなり人間不信になる自信がこの増田にはある。
もし怪獣に変身することができるお姉さんがいたらってお話。
時代は第二次世界大戦が終わってしばらく経った日本。主人公の間宮さんは興奮すると自分の意思に関わらず大怪獣に変身しちゃう厄介な体質の持ち主。大戦中はその能力に目をつけられて軍事利用されたり、戦後も政府の監視下に置かれたりと自分の体質に翻弄される。 しかし戦後は怪獣映画のメインキャスト(怪獣)を務めたり、自分の力に折り合いをつけだんだんと自分の幸せを見つけていく。
おすすめ場面は、変身しなきゃいけないのになかなか変身できない場面で、秘密兵器(美少年のいけない写真満載の雑誌)を見て「あかんわー」と叫びながら変身する場面。
毎日ラブを探してラブにラブする中学生 相田愛子(ラブ子)をはじめとして、サッカーに生きるラブ子の幼馴染 国立カケル、年の離れた弟たちの世話で大変な砂田素直(すなちゃん)、クールな勉強家 北王子学斗、おっとりして奥手の浦上麗(うららん)たちが好きな相手にドキドキしたり、意識していなかった相手を意識してドキドキしたりする固い蕾のような青春漫画。
他人のラブにはすっ飛んでくるのに、自分のラブにはうまく答えが出せないラブ子が素直でいいんだこれが。
あとラブ子のラブ暴走っぷりもいいんだけど、おっとりで学斗に一途純情のうららちゃんが、自分ではない女のことに頭を奪われてしまった男に興奮します。
「目の前の私をみていない 瞳」
「私以外の 誰かを 好きな瞳」
ふわふわ感がよかった人は「ふわふわカタログ」(www.mangaz.com/book/detail/115531)、変態感とエグみがよかったひとは「魔法少年マジョーリアン」(www.mangaz.com/book/detail/120131)と「姉さんゴーホーム」(www.mangaz.com/book/detail/120111)へ行きましょう。
前者は、月刊MOEで連載されていてもおかしくないフワフワポワポワな内容で、後者では、いたけない二人の少年がナイスバディなお姉様に変身して敵と戦う話と、大切な記憶を守るためにそれ以外を全て捨てて狂っていく女性の話が読めます。
古い村とその村に寄り添うようにしてある古城をめぐる一話完結型の牧歌的雰囲気の漫画。村の近くに見えるお城だけど、近づいても近づいても一向に近づけなくて、離れようとしたらお城に近づいてしまうこと、池で水遊びをしていたら、水面に映った逆さ城の中に入ってしまう、など幻想的で牧歌的な漫画。
絵柄がかわいらしくて、ますむらひろしのアタゴオルみたい。自身のHPで連載しているとのこと。
麻雀は絵柄を揃えたら役が出来るくらいしか知らないけど、この漫画は一戦いっせんに熱があって面白い。
単なる麻雀の漫画ではなくて、マジャンという麻雀のルールに加えて特殊ルール(トランプのジョーカーみたいな牌が入っているとか)があるので、単なる麻雀好きの学生だった主人公が特殊ルールに苦しみながらルールを解き明かす部分を読者として共有できて良い。
麻雀要素以外にも、閉じた村、おどろおどろしい伝承、そして表面上は普通なのに、ある事柄にだけ一様に口を閉ざす村人など横溝正史的成分も満載。
麻雀は門外漢だけど、主人公の打ち筋がデータ・確率重視なところが現代的で面白いと思う。まあそのせいで、麻雀と異なるマジャンの特別ルールをはじめ、村の奇習/因習に主人公は振り回されるのだけど。
こちらのレビューが詳しい「竜騎士07が震撼した漫画「マジャン~畏村奇聞~」」(http://blog.livedoor.jp/inoken_the_world/archives/51895567.html)。
以上。増田的には全部何度でも読み返せるくらい面白いけど、あえてオススメするなら「ゆめのかよいじ」(https://www.mangaz.com/book/detail/43881)が一番心に残ったかな。ちなみに連載期間調べるのめちゃくちゃ大変だった。
具体的に知ってるのは84年生まれ向けの中学講座だけだから前後がどうなのか知らないが。でもそもそもCMが筋肉少女帯とかエイリアンとかだったんだよなあ。
テキストの他にフルカラーの冊子があって、これの内容が結構サブカル色濃くて毎月楽しみだった。
なんか映画の特集では『風と共に去りぬ』から『フェイス/オフ』とか押井守の『アヴァロン』まで新旧作を紹介してたし、名セリフ紹介ではなぜか『ニューヨーク1997』の「俺をスネークと呼べ」が写真付きで載ってた。
ロボットアニメ特集ではエヴァを軸に簡単な系譜と当時の人気アニメについて書かれてて『アキハバラ電脳組』を知ったし、人気OVAランキングとかもワクワクしたなあ。
マンガ特集ではさらに小冊子が付録でついてきたし、新作フィギュア紹介とか財力的にどう考えても中学生向きじゃない特集もあった。
性に関する特集もあって、それぞれのオナニーの仕方が投稿されていたと思う。勃起の抑え方で「母親の顔を思い出す」という読者投稿を顔写真付きで紹介していたことも強烈に覚えている。
こんな感じで中学生向けにしては不思議な濃さで、学習教材よりもサブカル方面の教育の方が身についてしまったが、なんだかんだで金もない当時としては簡単な情報収集ができたしいろんな面白いものを教えてもらってありがたかった。
アヴァロンは押井の通常運転しかない映画だからほかの押井作品を知らないと楽しめないと思う
クライマックスで「またいつもの押井だよ!」って笑うのが正しい楽しみ方だよ
アヴァロンって中学生のときにみたけど全然面白さがわかんなかった
大学生のときに小説読んだら、こっちは映画よりは面白かったけど、映画よりはって程度で、絶対的には面白くなかった
ビューティフル・ドリーマーはそこそこ面白かった
押井守のガルム・ウォーズがようやく公開されたので観に行った。
平日の夜、観客は10人弱くらい。
なんと一組カップルがいてびっくりした。
全く関係ないが、俺は直近で劇場で観た映画はズートピアなんだが、「もう一回劇場で観るならガルムとズートピアどっちがいい?」って訊かれたらガルムがいいなっていう程度には気に入った。
まあこの比較に意味はないんだけど、とにかくみんなもっとガルム・ウォーズ観に行ってほしい。
ズートピア見た人は動物好きだと思うのでガルムも見よう!犬がでてるよ!
俺はかなり後追いのファンで、レンタルで観たパトレイバー2とかから入って、最初に劇場で観た押井映画が「立食師列伝」だった(当時付き合っていた彼女と観た)。
なんといまだにビューティフルドリーマーを観ていないにわかっぷりなのだが(昨日TSUTAYAでレンタルしてきた。俺は一回劇場かレンタルで観てからじゃないとブルーレイとか買わない主義なんで…)、そんな俺が観ても面白かったよ!というくらいには押井信者以外が観ても面白い出来だ。
むしろ、古参のファンほど辛口になるんじゃないかな?旧GRMに思い入れがある人ほど、本当はこうじゃなかったんじゃないかとか言いたくなると思うんだけど、何の思い入れもなしに観たら、わりかし見やすくてそれでいて押井守にしか作れない作品で、「よく考えたら日本の監督で押井守より完成度の高い実写ファンタジー映画を撮れる人っていないんじゃないの? 鋼の錬金術師とか進撃の巨人とか押井守に撮らせれば良かったんじゃないの?」とか思った。
アヴァロンより面白かった気がするし、失礼を承知で言えば、押井守ってまだまだ監督としてのびしろあるんだな~って感心した。
俺としては、はてなブログで「パトレイバー2が、後藤隊長がどうこう」「攻殻機動隊がどうこう」「押井守がどうこう」とかいってるやつには全員劇場で観て感想を書けといいたい。
よろしくお願いします。
昔、ある出会いがあった。
おそらくは、一秒すらなかった光景。
されど。
その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。
その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と
その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー
やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ
本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな
わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは
HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………
アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ、出会いの強さがしんみりと来たぜ
……だからこそ、歯痒いものを感じる
セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!
この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。
守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。
本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。
問おう、貴方が私のマスターか
のカットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて
本編アーチャーの過去編だったよね。
セイバーの表情もとても良かった。
そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。
何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲームの製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。
でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲームの製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。
つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。
新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。
一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…
原作やったのがだいぶ昔でアーチャーの言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。
あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな
挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな
偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった
ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常の象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。
理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う
衛宮士郎は幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと
だから誰を救うのかも定まらない
それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い
自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う
じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど
今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。
数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。
エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。
自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来の自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。
「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。
士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった
今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった
これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど
今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた
今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎は衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?
そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい
ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした
Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備
もう一つ便利機能があるがこれは別の話
アーサー王物語にて、策略でアーサー王と決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき
鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった
と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある
もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も
忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。
Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。
でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fateの真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。
次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!
ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね。
個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。
服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己の個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。
凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」
20話視聴後の感想はまさにこの心境だった
衛宮士郎というキャラクターは創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん
違うアーチャーも言ってただろ
「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる
普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由が存在する
でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう
でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ
間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている
「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」
「おい、そこから先は地獄だぞ」
剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ
元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。
これ、普通の物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど
そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」
までぶっとぶのがUBW。
「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通のキャラにとっては深刻なんだけど
衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから
話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。
そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。
それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。
士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、
それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を
士郎が元々持っていないと始まらない。
それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。
アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。
「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉を
それよりは
>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。
> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」
> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。
の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。
→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう
っていう意味じゃないか? UBW展開は。
「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。
あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから
多分answerが凄いことになる。
UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。
まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が
演出上の最強のカードになろうとは。
某動画サイトでのコメントはアーチャーがセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。
あそこのシーンのセイバーはアーチャーの言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。
ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。
SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから
そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。
虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。
たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、
「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど
基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから
実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。
その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?
今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で
「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。
自分はこれが見たかったんだよね。
とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。
士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。
> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、
> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。
> ……あの日の前に戻れて。
> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。
士郎って割と元々ああよ。
衛宮士郎がアーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い
アーチャーは自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する
士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする
幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする
自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな
今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉が
あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。
余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と
いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。
だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーのレトリックに過ぎない。
「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも
助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。
ここら辺、原作やってても勘違いしちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。
なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。
価値観っていうと語弊があるのかもしれないが
とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは
押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。
災害中の描写から、衛宮士郎の連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。
っていうか、原作の描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが
んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。
だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと
極論すると、士郎以外の誰であっても
上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。
実際問題、それは非常に考えづらくないか?
なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら
やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と
涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、
そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。
「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」
を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。
大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ
「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。
よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。
読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で
「借物」が「心がない」と誤解されたり
「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、
今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。
始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい
思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。
今回は素晴らしかった。
なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ
人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ
士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる
一応補足しとくけど、兄貴とディルでは置かれた状況が全く違うからな
兄貴とディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ
そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに
仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし
もし兄貴がディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか
それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディルも兄貴同様、立派なケルトの英雄だと思うけどなぁ
士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。
でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロの人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロの人助けをしたかったんだろうな。
そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。
なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。
大河になってアーチャーを馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっきり抱きしめたい。
俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった
士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね
だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも
分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは
だからあのゲリラの少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって
指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分や家族が食べていく為だったりするし
>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」
>原作ではこう
>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。
>>いけないのか。自分の気持ちではないから、それは偽物なのか。
それ、別に矛盾しなくない?
士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」
っていう願いを持ってた。
でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて
意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)
そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、
「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、
士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では
抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。
SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・)
会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)
これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう
後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?
虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に
ナタリアとの別れによる正義への絶望や故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな
横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。
・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写。
・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。
「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」
スマホからだと書きにくいな…
俺は
「たしかに、始まりは憧れだった」
「けど、根底にあったものは願なんだよ」
「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」
「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」
って解釈した
根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた
のコメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。
車の傍の死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
トンネルの中の死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
荒野の木の周りの死体
暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。
世界との契約
暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。
という事?
そうじゃなくて、
地獄を見た。
地獄を見た。
地獄を見た。
――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。
ってこと。
いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。
実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー。
そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。
セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。
だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。
セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。
彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。
士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャーの気持ちもセイバーは理解できるだろうしね。
挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチックな気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、
Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー
Judasはエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想
として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。
そこだよね 翻訳と日本語のニュアンスの違いとかいろいろあるんだろうけど、
この物語は、『可能性の1つに過ぎない未来の自分が厄介なことに自分に文句つけてきた』
なんてものじゃなくて、『命題の結末』としての未来が、その命題が破綻していて
『間違っている』ことを告げ、お前は間違っているその在り方をどうするのかと問うてきた
士郎と切嗣の「全ての人を救う」という在り方は、そのものが最初から間違っている
でも 『誰かを救いたいという願い 全ての人に涙してほしくないという祈り』
それが決して『間違いなんかじゃない』というのが、士郎とこの物語の答えなんだよ
次回予告でそのポイントをちゃんと押さえてくれることが分かって凄く嬉しい
アーチャーは別の媒体だと自分の生き方を「サバイバーズ・ギルトの権化」だと言ってるな。
メサイアコンプレックスは英雄視されることが自己承認欲求の昇華に繋がるから士郎には当てはまらないと思うよ。
士郎は他人に自分を認めて貰いたいとかこれっぽっちも思わない人間だし、凛に心配された時すら凛のお人好しさに感動してるし。
むしろ自分の価値が低くて、生き残った事に罪悪感を持ってて他人を助けなきゃ!!ってなるから確かにサバイバーズ・ギルトの方が合ってると思う。
「士朗がアーチャーになる可能性はほぼ無い」ってのは、
きのこが凛というキャラを通じて残したささやかな救いであって、それ自体はこの話のテーマじゃない。
これは士朗の救済の話じゃなくって、あくまでアーチャー(士朗の未来)の救済の話。
「悔しいけど私じゃあいつを救えない」って言葉の通り、凛ではどうやってもアーチャーは救えない。
アーチャーは、他でもない士朗によって救済されるんだよ。
それは守護者でなくなるとか、そういう設定上の話ではなく、
アーチャーが苦しんでる本当の理由は、守護者になったからでも、地獄を見たからでもなく、自分を見失ったからなんだよ。
確かクリア後のタイガー道場(?)でアーチャーはセイバールートの士郎なのか?っていう疑問に対して
セイバールートではイリヤが生きているため士郎を止める人間がいるから、アーチャーになることはまずないっていう回答がある。
士郎は絶望しないからアーチャーにならないんじゃなくて、士郎一人だとどこまでも突き進んでしまうから、
その士郎を止めてくれる人が近くに居るかどうかが士郎のアーチャー化の有無に関わってるんだと思うよ。
止めてくれる人が誰も居ないとアーチャーのようになってしまう可能性があるってぐらいに思っておけばいいかと。
正しいだけだと「正しく出来なかった人達」を取りこぼす事になるからな。
最初の士郎の願いって、まさしく正しい答えを選べなかった(その場所にいなければ良かったという正解)人達をこそ救いたいってものだったわけで、だからこその正「義」の味方なんだろうな。
つまり、選択肢をミスった後に出てくるタイガー道場こそ士郎の目指すべきポジション・・・ってアレ?
>切嗣は覚悟があった。大勢を救うためならば少数を殺す事も必要であることを知っていた。その少数がたとえ肉親出会ったとしても引き金を引く覚悟があった。でもそれは間違いだったとアンリマユに気付かされた。
それが間違いだと気づかされたというのは違うんじゃないか?
切嗣は小数を殺さずに済む方法を聖杯に求めたが、自分自身がやっている少数の犠牲の受容を極端な形で拡大解釈して大勢を犠牲にして小数を救うという最悪の回答しか得られなかった
少数の犠牲の受容という現実的解決方法そのものが間違いだったのではなく、それ以外の方法は結局ないんだということに気づかされた
しかも、聖杯はそれよりももっと最悪な解決しか引き出せなかったんだ
アーチャーの場合は契約時点で理想を追求するには自身が無力すぎることを痛感している状況で理想を実現するための力を求めていた
契約して力を得ることで理想を実現できると思っていたが、力を得ても少数の犠牲を受容しなければならないという現実を覆すことはできなかった
それどころか、力があるがゆえにその現実をいやになるくらい体験させられたということだと思う
その結果の「絶望」なんだろうけど、彼のは厳密にいえば「失望」であって「絶望」とは違うんだよな(少なくともアニメの描写を見ている限りは・・・)
現にアーチャーはあれだけ失望し続けながら、なおも救おうとしているわけだし
100人を救おうとして1人も救えない。
1人を見殺しにして99人が救われる。
「動機」の観点では前者が正しく、「結果責任」の観点では後者が正しい。
考え方は様々だけど「全員が救われる事が理想である」という点では異論はないはず
仕方がないという現実は理想を理想でなくす理由には成り得ないし、
決して届かないとしても理想を追い求めることは間違いじゃないだろう。現実を見失わない限りにおいては。
現実と向き合いながら理想を劣化させることなく生きていくのは人として味わうことができる最上級の苦痛かもしれない。
その上、そこまでして行き着く先には何もない(理想は実現しない)というのだから、こんなに酷い話(現実)もないだろう。
それでも、それら全てを踏まえたとしても、「何が正しいのか」と問われれば「答え」は決まっているよね。
それは「誰かの願い」であって「誰もの願い」でもある。
士郎は目につく人みんなを助けたかった。人類全部なんかじゃなくかつての自分のような目の前で危機に陥ってる人を。せめて自分の手の届く人たちを。士郎はその通りのことをしようとした。でも自分は英雄なんかじゃなくただの人で無力だった。死後の命を預けてようやく英雄になり、英雄になってようやく目の前の人を救えるようになった。つまり「衛宮士郎は死後を売渡し、エミヤにならなければ人を救うことができない」英雄エミヤは間違いなく士郎の理想であり到達点。自分の理想を正しく達成した成功例。しかし死後、待っているのはただの殺人。救いたいはずの弱者を殺す役目。「人を救う」という理想を叶えるということはエミヤ(英雄)になるということ。
エミヤ(英雄)になるということは人を殺す道具になるということ。士郎の理想とする英雄では誰も救えない。
救う術を知らず、救うものもなく、誰かの為にならなければという強迫観念、憧れただけでは人は救えない。
エミヤが忘れていたのはその憧れただけの理想にも願いがあったこと。
エミヤはずっと正しい選択をしてきた。愚直に真っ直ぐに不器用に。でも"この"衛宮士郎は時には正しい選択を否定するという決意をした。
そうそう。士郎がよくUBWルートだと真相知ったから守護者にならないってSSでも結構あるけど例え全てを知っても士郎は守護者として契約しちゃうんだよ、ね。
ただアーチャーのように絶望後悔はしないって言ってるだけで。もし真相知ったから契約しないって言うのはすでに見返りを求めている、自己愛があるって事だからそれは士郎ではない。UBWのキモはそんな士郎を絶対に守護者にしないように凛が頑張るって話だから(詠唱にあるような誰にも理解されない士郎にはしないって言ってるklと)
アーチャーが数ある士郎の未来の姿の失敗例の一つに過ぎないのならアーチャーは士郎にこだわらないし
士郎もアーチャーの言葉に信念が揺らいだりしない。士郎がアーチャーにほぼ必ず行き着く理由がある。
士郎もアーチャーも二人とも核が同じだからだ。「誰かを救いたいという願いが綺麗だから憧れた。」二人はこの核からなる人間。
その強い憧れを叶えるためにできることは限られている。過激な思想を持つ人間が行き着く先が銃を手に取るしかないのと同じ。
いやあ士郎はかっこいいよね。
例え絶望が約束されていても自分が間違いじゃないと信じた理想を貫き通す以上絶対に後悔しないと言い切ってるんだもの。
これは士郎の目指したものに共感できるかどうかとか関係ない熱さだよね。
特にアニメの演出では、結構クールな独白が多くて、ブレなさの表現が上手いから余計ね。
士郎は甘いのでも現実が見えてないのでもない、現実の悲惨さを知りながら揺らがないんのだものね。かっこいいよ
アーチャーが後悔したのは守護者になってからってのを理解してない人が多いのかもな
アーチャーは生前助けた人々に裏切られて絞首刑に処せられても一切そのことについて後悔してなかった今回士郎が言ってたように完全に正しかった正義の味方だった身を捧げる覚悟も出来てたしそれで良いと思ってた
そんな覚悟決まりきった正義の味方でも守護者として人類の滅びを救うために延々と滅ぼす可能性のある事象とその関係者を殺し続けることには耐えられなかっただけ
UBWの士郎でも正義の味方として突き詰めるならエミヤになるしかない。ただ凛が人間として幸せにしてそれは回避されるだろうけど人としての幸せ手に入れる時点で正義の味方として完全じゃない
たとえ本物になれなくても、抱いた理想が間違いでないと思えるならば、それを追い求めることは正しい、
といことがテーマだと、どっかのインタビューできのこが言ってたな。
ただ、それは非人間的な機械のように生きることには変わりないと。
一人の大切な人を守るために、理想に折り合いをつけ、機械のような男が人間になるはなしだと。
どちらが正しいという話でなく、それぞれの解答がある。
アーチャーが失敗例だと思って語ってる人が多いのはどうなんだろって思ったけど、来週で変わるかなあ
結局士郎は道を変えない(アーチャーと違う道を選んだりしない)ってのは話の肝だけど、伝えづらいよね
>「アーチャー(失敗作)を目撃したこと(と、遠坂との絆を得たこと)によって士郎はアーチャーと違う道を歩むことが約束された」
テーマとしてはむしろ正反対だよ。アーチャーが失敗例っていうならそもそも衛宮士郎自身が生まれた時から失敗例になってしまう
士郎はアーチャーに忠告されたからって違う道を歩むような人間じゃないってのがややこしいところだし自分殺しの動機でもある
今回の話も対比。抗魔術で身動きできない凛は瀕死のランサーに救われた。原作ゲームでは
凜は、なけなしの魔宝石でランサーを救おうとするシーンがあったらしいけど、人が誰かを
助けたいと思う気持ちに、何の打算もなく反射的な時もある。
慎二はランサーの槍先が刺さっただけで逃げ出したけど、それが普通の人間の反応。
何の覚悟もないし、痛い物は痛い。士郎はアーチャーに串刺しにされたけど、セイバーが
そばにいてアヴァロンのおかげで治癒したけど、それがなくても立ち上がれただろうけど、
それでは、何の解決にもならず、いずれ未来の選択肢の一つに負けていた。
だからこそ、ここで救われた弱い士郎は、心が折れず、正義の味方を夢見ていられる。
救いたいのは、他人のためでなく、自分の願いだから、正義はエゴなのだから。
衛宮士郎は、切嗣と凛、そしてアルトリアという3人にかつて命を救われた弱者ということを。
だからこそ、誰かを救える力を求めたけど、その理由を「人の為」と「偽った」から、アーチャーは
疲れてしまった。憧れたのは綺麗だったから、余りに幸せそうに笑った「爺さん」のために、
大勢の両親、友人、知人や知らない誰かを救えず、見捨てて、死を受け入れた虚無から生きよう
と思っただけなのに。アーチャーは力を得たけど、それ以上の暴力に打ちのめされ、滅私奉公
しすぎて、正義が摩耗し、絶望のあまり、己れの願いすら呪いと捻じ曲げてしまった。
士郎は、救われる以前から、弱いからこそ、負けられない頑固者だったのに。
アーチャーは失敗作なんかじゃない。英霊エミヤってのは正義の味方を目指した衛宮士郎としては最高傑作だ。衛宮士郎が正義の味方であることを突き詰めるとどうやってもあぁなる。凛との繋がりが出来てUBWの衛宮士郎はエミヤにはならないことが確定してるけど、それって特別な一人が出来たことで正義の味方としては不純になるってことでもある。
ところでやっぱり、Zero…というか、虚淵さんのセイバーの像が、原作と深刻なズレを起こしていますな
Zeroしか通過してこなかった視聴者は、原作であるSNのセイバーの行動や思考がわからずに、なかなかに頓珍漢なことを言っている
あと相変わらず慎二にヘイトためってる人は、型月的にも平凡な人なんだな
非凡以外の何者でもない、あの作品の大半の登場人物たちにとって、慎二は本当に極限まで「どうでもいいやつ」なんだ
数回前の凛にも怒られてたけど、自己犠牲が強すぎて中身がない。手段が目的になっている。
その原因は「キリツグの代わりにその夢を叶えてやろう」っていうだけのものでしかなかった。
そのまま大人になってしまったから英霊エミヤという存在が生まれてしまった。
でも今ここで、未来や過去の自分と向き合うことで、手段に意味を見出した。
「キリツグの夢」が「自分の夢」とイコールになったと言えばいいのかな。
これからもやることは変わらないだろう。でもそこには〝中身〟がある。
きっともうエミヤようにはならないだろう。
面白かったけど今見るとさすがに新鮮味はない。
うる星やつらって作品自体にこの映画で初めて触れたレベルの人間。
自分が生まれるより前の作品って考えると、すごいなー当時生でこれを見ることができた人が羨ましいなーってすごく思う。
もともと押井守自体が、アヴァロンって映画見てクソつまんねーって思ってからまったく見る気になれないクリエイターだったから、この映画を見るまでだいぶ時間がかかってしまった。
似たような作品って沢山あるんだなって思った後だと、ただのいちアニメ視聴者にとっちゃどれが先か後かなんて大した問題じゃないし、アニメ・オタク文化への影響うんぬんとかも別にどうでもいい。
あとは攻殻機動隊GHOST IN THE SHELLでも見てやめとこうかなと思う。
メジャーなもの、評価されたものだけを見てとりあえずやめておく。
全部追っかけようとか考え出したら、キリがないし。
ライダーが宝具の槍を折ってセイバーの親指が解放されてエクスカリバーでキャスターを倒す
討伐の報酬を受け取るためにロード・エルメロイが神父と交渉して令呪の一画をもらう
綺礼が神父の死体を見つけるけ。ダイイングメッセージに書かれてた聖書の一文を読み上げる。
遠坂邸で綺礼が時臣からいままでの労をねぎらわれて宝石剣をもらう
もらったそれで時臣を殺す。
綺礼が雁屋を教会に呼ぶ
ほいほいやってきちゃった雁屋が時臣の死体と対面
なにこれwww?
時臣の妻、葵も綺礼に呼ばれていらっしゃい
雁屋おまえがやったのかーwww
おれじゃねーwwwwで葵の首絞めまくる。葵失神
間桐雁夜を綺礼がそそのかす。
殺された直後察知した切嗣が令呪でセイバーを衛宮邸に瞬間移動させる
アイリスフィールはさらわれる
イスカンダルがさらったと思い込んだセイバーがバイク使ってライダーを追う
戦闘の結果ライダーはチャリオットをエクスカリバーでぶっ壊される
アイリスフィールも殺される。あっさり殺される。
イスカンダル対ギルガメッシュはギルが乖離剣で王の軍勢を崩壊させる
馬で突っ込んだイスカンダルは負ける。死ぬ。
ウェイバーの令呪は戦闘前に「聖杯を手に入れ勝利しろ」で三回使われる
ウェイバーは死なない。
セイバー対バーサーカーはセイバー負けまくりだけど雁屋おじさんの魔力切れでセイバーの勝ち。
雁屋おじさんはなぜか生きて間桐邸まで帰るけど桜を逃す寸前で死ぬ
切嗣と綺礼の対決は綺礼の勝ち
切嗣死ぬ
ぶはwwwwでも聖杯の中身降ってきたぜwwww
令呪でも逆らっちゃう俺マジカッケー
あああwwwwww
雨宮ねいさんがチラ見してくれたようなので脊椎反射してしまいました。
みなさん、よいお年を!
ニコラス・ルッカ(Nicolas Rucka)
様々な風景を見せるようになった日本アニメにおいて、押井守は彼独自の場所を築き上げるに至った。SFエンターテイメントという枠に捉えられる事もしばしばだが、彼の仕事はその要件を遙かに凌いでいる。押井はジャンルという括りに疑問を投げかけ、SFと現代の生活との間にまっさらなリンクを構築してみせた。彼のこうした姿勢は、アニメーションという体裁の境界を拡張するアプローチ・スタイルと結びついている。それは「攻殻機動隊」のすばらしい続編である「イノセンス」に見てとれよう。
ルッカ: あなたの作品は第二次世界大戦前後のヨーロッパの様式、とりわけ東側諸国の影響が大きいかと思います。それはどのように培われたのですか?そしてこれまでの作品で表現されてきたあなたの世界観にどのような位置を占めていますか?
押井: 若い頃からヨーロッパ映画を見て、楽しんできた。古典的で、古いスタイルの様式、雰囲気といった東ヨーロッパ的なものは静謐で美しく、そしてノスタルジックで、ひどくそそられたね。
ルッカ: もうちょっと続けますけど、あなたの映画で言及される70年代終わりから80年代にかけての欧米産サイバーパンク小説や映画、ウイリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」やリドリー・スコットの「ブレードランナー」などは日本の街並み、風景、そしてテクノロジーの影響を強く受けています。で質問なんですけど、こうした話法を引き続き採用するのか、それともより高位のゴールでこれら要素を取り入れるかって事なんですけど?
押井: 僕の作品はサイバーパンクに分類される事が多いけど、個人的はそうじゃないと思う。「ブレードランナー」みたいに本当に楽しまされた映画があって、映画作りの上である程度役に立っている部分もあると思う。でも僕以外にもっと影響を受けている人ってたくさんいるんじゃないかな?人間とサイボーグを題材にした映画を作るなら、「ブレードランナー」にふれないわけにはいかない。このテーマに関する先駆けだからね。こうした話法を採用するか、それともしないのかなんだけど、僕のゴールは未だかつて誰も見た事のない新しい映画を作る事だからね。それは「イノセンス」で証明できたと思ってる。
ルッカ: あなたの作品、とりわけ「アヴァロン」なんですけど、タルコフスキーを偲ばせる要素が多く見受けられる。そうした影響は?
押井: 今はそうでもないけど、昔はすごい好きだった。でも「ストーカー」や「惑星ソラリス」、「鏡」は今でも好きだね。
ルッカ: 押井さん、これは私見なんですけど、犬との交わりを人間より優先させているかと。こうした傾向は主題的化身の選択、それとも人間という形態はもはや必要ではないという人間意識のあり方のどちらと結びついています?
押井: 僕個人的には犬との結びつきを優先させる。でもそれは人によってまちまちだと思う。人間が「主体」の一部を失い出すと、己が何者かを知るために他の何かと関わらざるを得ない。それは僕のように犬だったり、猫や他の動物かもしれない。生き物である必要はない。機械、車、コンピュータ、街、自分以外だったら何でもいい。それが失われた「主体」を見つけ出すって事です。
ルッカ: 人類というあり方は時代遅れのものですか?もしくはそうなると?
押井: おっしゃりたい事に確信はもてないけど、間違いなく人類というあり方は失われつつある。動物は常に同じであったし、これから先も変わらない。でもテクノロジーの発展によって人類は常に変化するし、変化せざるを得ない。でも、変化や進化を恐れてはいけないし、それを受けいれ、共存する事を学ぶ必要があると思う。
ルッカ: 映画作りの際には何から手をつけますか?印象的なイメージ、本、音楽から着想します?まずは脚本から?
押井: 僕の頭の中には違ったアイデアがたくさんある。それをどうやって映画で生かすか、って事なんだよね。企画が来る頃にはすでに何かが頭の中にあるんだ。発想の多くは小説や写真集に目を通したり、いろんなクリエイターと話す事によって生まれるけど、実際の具体的なアイデアや映画の基礎といったものは作品作りの前に決まってるんだ。
押井: いつもって訳じゃないけど、だいたいそうだね。実写か、アニメかによるけど、中核となるグループはたいてい同じ。彼らは本当に才能があって、辛抱強いと思うし、あ、でもわがままで頑固だけどね、ぼくは十全の信頼をおいている。彼らがいなかったら、映画は絶対に作れない。
ルッカ: 制作準備にはどのくらいの時間をかけます?そこでは何を?
ルッカ: 「イノセンス」では実際の制作、そして編集ははどれくらいかけました?