はてなキーワード: うつ状態とは
双極II型障害と診断され、あらゆる薬を試したが効果がなく、3年前に修正型電気けいれん療法(m-ECT)を受けた。
現在は別の病院に通っており、双極性障害の治療薬ではなくコンサータとデパスの頓服で凌いでいる。躁鬱なのか発達障害なのかあるいは両方なのか、結局よく分かっていない。
結果から言うと、電気けいれん療法は受けなくても良かったと思う。
当時20代で、ブルーカラーの非正規労働をしており、入院のために退職した。辛うじてギリギリ出勤できるレベルのうつ状態と希死念慮がだらだら続き、数ヶ月おきくらいで比較的マシな状態が発現するという具合だった。よくあるパターンではないかと思う。
電気けいれん療法は入院が必要で、全身麻酔下で施術される。数週間で6回くらい繰り返す。
一応効果はあった。2回目くらいで希死念慮が軽くなった。胃部不快感もなくなった。
副作用についてだが、人格が変わったり知能が落ちたり大きな記憶障害が起こるということはなかった。
ただ、施術前数ヶ月の記憶は多少曖昧になっている。もっとも、これはECTの副作用でなく単にうつ状態が酷かったからかもしれない。幼少期の記憶もしっかり残っているし、危なっかしいイメージに反して大きな副作用はないと思う。
強いて言えば、「現代医学におけるありとあらゆる治療を尽くした」という点で気持ちの区切りを付けることができ、諦めの境地に至ることはできた。
お母さんは認知症の初期だと思う。認知症の初期は、基本的な日常生活の動作は失われてないし、少しだけ手伝えばできるのに…ということが多い。例えば、記憶障害で予定を忘れてしまって友人や近隣の人との社交が出来なくなる、判断力の低下で新しい場所に行こうとしても交通機関を使っていけない、金銭管理が難しくなる等々、認知機能の障害のせいで日常生活の障害が起こってくる。
そして何より、お母さんは診断を受けてかなりショックを受けているんじゃないだろうか。今まで自分の中でも怪しいと思っていたのに、本当に診断されて突き付けられてしまった…という時期だと思う。認知症は偏見にさらされやすい病気だけど、お母さんの心の中にもきっと認知症への偏見があって、今は認知症になった自分がとんでもなく無価値な人間に思えて震えているんじゃないだろうか。お母さんはとても落ち込んでいるせいで、本当に持っている能力の半分も発揮できていないかもしれない。認知症の初期の人はうつ状態になって、症状が悪くなっているように見える時期がある。そこから抜け出せないと、時間がたってそのまま認知機能の障害も進んでしまう。
だけど気分が上向きになったら、お母さん自身が認知症カフェや認知症の当事者のグループに行ってみて、認知症の先輩たちの話を聞くのもいいかもしれない。そういうのがない地域や、敷居が高いと感じるなら、今は認知症の当事者が様々な手記を出版している良い時代だから、読みやすい本をいくつか読んで、お母さん自身が自分の今の状況を確認してみてもいいかもしれない。認知症の初期でも元気でやっている人たちに共通するのは、自分で自分の障害を受け入れていること。何でも話せる友人や仲間を作っていること。社会的な交流を復活させている人は本当に元気いっぱいに暮らしている(そういう人は認知症を周囲にカミングアウトしていることが多い)。
家族だから、以前と比べてあれが出来なくなった、これもできなくなったと悪いところばかり目についてしまうだろうけど、本人のできることを見てほしい。できることは自分でやってもらって、できないところだけ手伝ってあげると、自立した生活に必要な機能を維持しやすくなる。本人が認知症になったということを家族が受け入れているということも元気にやっている認知症の人の特徴の一つだ。
それから、外部の信頼できる支援者を得ていること。主治医はどうですか?本人を尊重するいいお医者さんですか?なんでも話せる人ですか?病院のソーシャルワーカーは社会資源に詳しいですか?
認知症の初期は自立してるし、そこまで介護度も高くならないから、介護保険サービスで使えるものが少なくて、みんな苦労している。ブコメでも、地域包括支援センターに相談、とあったが、今の生活の中で困っていることと、現行のサービスがマッチするか包括の人に相談してください。もしもなかったら、住んでいる地域の使えそうなその他の社会資源がないかを教えてもらうといい。
それから、積極的に介護認定を受けておいて、何かあったときのために転ばぬ先の杖を用意しておいてもいいかもしれない。お父さんが倒れたらやばいので、お父さん込みで相談しとくといいかも。家族も信頼できる専門職とつながって、相談先を作っておいてほしい。疲弊しすぎないようにしてほしい。
知名度だけ上がっててほんとのとこではどういうつらさがあって、どんな背景があるのか理解されてないよね。
うつ病と診断を受けていても実はそれは発達障害による二次障害的な抑うつ状態だとか。うつ病の背景に何があるか理解しないと治療も回復も難しいのにネットの情報をみて「3ヶ月仕事休めば治るんでしょ?」って平気で言う上司とかいるし。
じゃあ障害雇用で働けよとか思ってるかもしんないけどうつ病の診断だけじゃ障害者とは認定されづらいという現実があり、地方なんか障害雇用がほとんど無いし、そもそも会社に行くまでの満員電車が死ぬほどつらいとか理解されないし...不眠が続いてもなんとか会社にしがみついて生きている。惨めだ。声デカなうつ病の皮を被った発達障害の人のちょっと方向性の違う主張とかがネットでは増えて逆に障壁になってたりもする。
うつ病は認知度が上がったから診断として患者も受け入れやすいんだよね。治療すれば治るものだし。「あなたのうつ状態は発達障害によるものです」と言われても本人が認めきれなくてカオスと化してくのを心療内科に通いながら度々目にするよ。さらに認知度だけ上がったばかりに物知り顔一般人が増えてうつ病通院歴15年の自分はただただ肩身が狭く生きづらさを感じている。
うつ病を理解して受け入れてほしい。癌や1型糖尿病、脳梗塞みたいに本人の努力とかではコントロールしきれず発病する疾患として。
それがあればあと5年は生きていける。
ここからは参考文献程度で、urlばかりたくさんでコメント少なめなんだが大丈夫だろうか??
https://item.rakuten.co.jp/book/14796325/ ツイッターで健常の人にもおすすめされていた。
https://books.rakuten.co.jp/rb/15433910/ 借金玉は有名ブロガー。 この二冊とも細かい生活ノウハウ、大人版。自立できた場合には役に立つがうちの場合はまだうつ病が治っていないので全部は必要がない。ただ、カレンダーの使い方などは家族で工夫するようになった。
https://item.rakuten.co.jp/book/11476781/ 医者がわりと根幹をなす解釈を教えてくれてたと思う。まとまったキーワードがでてきていい本。・・
https://books.rakuten.co.jp/rb/11721907/ アスペルガー漫画家さん。よんだことなかった・・勘違いしてた
https://www.amazon.co.jp/dp/4054045847/ こっちだ。こちらはコンピューター業についたりしててわりと身近な感じで読めた
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N9SHVRJ/ うつぬけ、有名 この本でおすすめされていたのが↓
https://www.amazon.co.jp/dp/B01HTJ5WDE/ 自分のうつ病をなおした精神科医
うつの治療の指針にはなったが、全部ではなく、雰囲気を掴む感じ。生活全般をゆるやかに立て直すつもりでないと結局は治らないんだなと。
以上です
再追記
結局5年くらい「病人の親」をやっているので以前必死に買い集めて読んだ本は中身をかなり忘れていてすみません。
お役所の人や学校の先生がたと会ったり話したり、特に精神科医の先生になんども同じことを尋ねて答えてもらったです。
別の病気と解釈できるので別の医者にもいくつもつれていってます。
それと、本人とも「結論や方針だけを話させる」「どうしたいのかだけを聞く」のではなく
元気のあるときをつかまえて、世界への感じ方を中心にゆっくり話をして、
いつでも相談に乗れるくらいに相手を理解しておかないとですね。
その状態からだと本人が最終的に絶対ぶつかる壁だが今はまだ気がついていない障害を
いち早くフラグ立てしてなんとか避けるように言い聞かせられます。
そういうので、本当になんとかここまできたとおもいます。
(知らないのならしょうがないですが、一度痛い目にあったことを
二度目は用心して避ける要領の良さがASの子たちには全くないように思います、
思い切りがよいとか度胸があるとか正義感があるとか誤解されがちですが、
そうではなくびっくりするくらい全く予想ができない。
例えばミニスカートを履いて混雑する列車にのったら痴漢にあってわあわあ泣くくらいイヤだった。
ならどうすればいいと思う?と本人にたずねると本人なりに考えても
絶対にそれは優先度が違うんだと言い聞かせるのに親として苦慮します。
絶対に旅行を成功させたいならまずその時間帯のその電車にのるプランもやめとけば、
指定席とればと。
子供の側ではまずその必要なお金を考えついて親にねだるということを
全く想定もできないわけです。(お金には敏感すぎ、社会状況には鈍感すぎ)
でかけそうになるのは最近は繰り返し失敗したのでようやく改善されてきました。
一事が万事そういう感じ。
一病息災といいますが、
(未成年のため薬がのめず、うつ病の重いまま放置するしかない時期には
本当に一日16時間くらいいびきをかいて寝る、ただのマネキン人形のようでした。
うけいれつつ仲良くなれた気がします。
以上
私はいま、ある友達とこれからどうやって付き合っていくのかを悩んでいる。
Aとは同性です。
それは、私がAと接する時に「もっと自分を大切にしてくれる人と一緒にいたいな。」と思うようになったからだ。
つまり、付き合いを続けていくうちに、私って大切にされてないんじゃないか?と疑問を抱くようになったのだ。
私はAと○月中には遊ぼうね、と約束をしていたのだが、どうしても外せない急用が入ってしまい遊べなくなった。私は謝罪しながら約束を断った。するとAにキレられた。来月に埋め合わせができそうなので、その話をしたが既読スルーされている。
そう、本当に小さなこと。
でもこの出来事だけだったら、「私も悪いし、また謝って誠意を見せよう。」と思うだけだ。
しかし、この程度のレベルが何度も積み重ると私はイラッとしてしまう。
Aから「〇〇をこれから2人で一緒にやっていこう!」と提案されて、私が〇〇を始めていると、Aはあっさり辞めてしまったり。これも何回もある。飽きるの早っ。そっちが言い出したから始めたのに、私だけ1人で真面目に続けてバカみたいじゃん。まあ、私も〇〇気に入ったからべつにいいけどさ。
1つひとつは小さなことで、普段の私は気にも留めないけど、さすがに数が多いとイラッと来てしまう。
後は付き合う中で気づいたこと。
Aの人間関係を見ると、来る者拒まず、去るもの追わず、というような感じだった。Aはとても魅力的な人だ。初めて会った時はお人形かと思ったし、性格も独特の考え方や、他の人には無い感性があった。これはAの長所だと思う。とにかく、魅力的な人だ。だから、同性も異性も、惹きつけられて集まった。ただ、先程書いた通りにAは『来る者拒まず、去るもの追わず。』といった感じなのだ。例えば、Aは他人に食事を誘われれば誰でもついて行く。異性で苦手な人でもついて行く。ちなみにAは自分が可愛いことを自分でよく分かっている。でも自分からは誘わない。同性の友達はAから離れていった。私はAと友達なのに、気がついたら自分の方から連絡とってばかりだなぁと思うようになった。
Aから連絡が来るとすれば、辛くて辛くて相談がある時だ。Aはうつ状態に近いと思う。本気で心療内科の受診を勧めたこともあるし、学校に来れなくなったこともある。相談に乗るのは構わない。私もAに相談して何度も助けられたからだ。お互い様だと思っている。
私は2年前くらいに、別の友達(仮にBとする)からこう言われた。
「あなたはAに利用されてるんだよ。Aとは付き合わない方がいいよ。」
その時は「そんなことない!」と思った。Aは優しいし、私はAには色んな相談ができる。たくさん助けてもらった。Aは協調性が恐らく無いのでグループワークになると、よく揉めるけれど、1対1の関係だととても深い所まで話せた。語れた。私は1対1でこれからも接していけばいい、仲良くしていけばいい。だってこんなに心の中までお互いに話せる友達ってそうそういない。仲良くしたい。そう思ったからだ。
それに、BはAのことが嫌いだった。だから「関わらない方がいい」とわたしに伝えてくれたのかな、と思った。
私はAの良くないところも知っていたけど、いい所も知っていた。人間は誰だって長所と短所がある。BにはAの短所しか見えていないようにも見えた。だから、この件はあまり気にしていなかった。
ここ1年で、私はあることを知った。Aは人間不信だというのだ。「人間という存在が無理。この世で1番怖いのは人間。」「人間って汚い。」と言うようになった。Aは苦しそうだった。もともとAは抑うつ状態になりやすいし、こういう考えが根本にあるんだなと思った。「女の子って怖いよ。女の友情なんてそんなもの。」などなど、Aは人を信用してないことが分かった。
まずそこで私はガツンときた。私はAを信用していたけど、Aは私を信用していない。でも私はAと仲良くした。「私たちの友情なんてそんなもの。」そんなことを言われたくなかった。「人って簡単に裏切ってくる。」ともAは言った。私がここで全部嫌になって縁を切ったら、Aはきっと「裏切った!」と絶望するのが目に見えていた。私はAを信じたかった。私が泣いた時、あんなに支えてくれた。Aがいつか人間不信を乗り越えてくれればいい。Aがどう思っていても、私はAを信じよう。それが友達だと思うから。そもそも友達って見返りを求めるものじゃないし。
そう決意した。
Aからの相談はだんだん重くなっていった。重すぎて私まで潰れるようになった。Aは本当に苦しそうで、自殺しないか本当に心配だった。重すぎて学校の先生や他の友達に相談したこともある。私はAから連絡が来なくなると、Aが自殺したんじゃないかと本気でハラハラした。
「ああ、振り回されてるな。もう手に負えない。限界。」
と思う反面、
「私ぐらいしかAは話せる人がいない。Aは私よりもっと苦しい。」と思った。
ちなみに、学年が上がるにつれてAのことを嫌う人はどんどん増えていった。Aに好意的な人は私を入れて片手で数えるくらいだろう。みんなは「Aは無意識な自己中だ。」と言った。当時はよく分からなかったけど、今なら何となく分かる。
Aは自分のことしか考えていない。まあ、人間だれだって自分が可愛いし、自己中だと思うから、私がこんなこと言ってはいけないのだろうけど。
でも思ってしまう。Aは自己中だ。他人から声をかけられない限り、自分のことしか見えてない。自分のことしか考えてない。だから平気で他人を振り回すし、そもそも振り回していることさえ気づいていない。先ほど、グループワークでAはよく揉めるという話しを書いたがそれがいい例だ。基本的に他人任せ。誰かが声をかけてくれるのを待って、自分のことしか考えないからグループのために行動ができない。自ら他人のフォローは絶対にしないし、そもそも他人を見てない。だけど、自分はフォローばかりしてもらう。グループメンバーはへとへとになる。それすらAは気づかない。グループメンバーは「このままじゃいけない」と何度もAと話し合うが理解してもらえない。というか、逆に大喧嘩になる。こうしてAは敵ばかり作ってしまう。
それから、Aは心を開いたふりをするのがとても上手だ。無意識に、心を開いたふりをしてしまう。本当はこれっぽっちも信じていないのに。でもAは、本当は人を信じたいのだ。Aは今でも、もがいている。
「それでもAを信じよう。信じたい。所詮女の友情なんて言わせたくない。」
そう思ったのに。私は疲れたなぁと思った。距離を取りたいと思った。実際に本人に気づかれない程度に距離を取った。楽だった。別の友達と過ごして、「ああ、この友達は私のことが好きなんだ。」と伝わった。こういう友達とずっと居た方が楽だと思った。あの時、信じようって決めたのに。
ある時、またB(Aのことが嫌いなわたしの友達)に言われた。「Aはやめといた方がいいよ。あなたはお節介なんよ。」
Bだってバカじゃない。私のことを思って言ってくれてるのがすごく伝わった。私を心配してくれて、私に反感を買うかもしれないことを覚悟で言ってるのだ。
私は悩むようになった。
入学したての頃から1~2年は、私とは別にAには仲のいい友達がいた。その子はとても優しくて心が広くて、たぶん私たちの学年の中で1番大人だと思う。だけど、Aとその子は次第に疎遠になった。Aがその子を怒らせたのだという。その子が怒るなんて、私はよっぽどのことだったのだろうと思う。
周りを見渡すと、Aを避けている人とばかりだ。みんなAに怒ってるし、関わりたくなさそうだ。Aのことを本気で嫌っている人を、ぱっと思い浮かべるだけで軽く10人は超えてしまう。
心を開いたふりが上手いものだから、やたらと男の子に追われてもいた。今までAほど受け身なのにモテる人を、私は見たことがない。Aは余計に同性に嫌われた。まあそれは嫉妬になるからそっとしておく。
Aは「男の子はちゃんとコントロールしなきゃよ。」と言った。確かにそういう駆け引きとかも大事なのかもしれない。でもそれがAの人間関係、全てがそうなのではないかと疑問に思うようになった。自分に寄ってくる人と、表だけ仲良くする。私がそうされてるのではないかと思った。
ここで始めら辺へ戻る。
約束を断ったらキレられた。
私はもう疲れたし、イライラもしたくない。自分を大切にしてくれる人ととだけいた方がいいのではないかと思うようになった。
もうすぐ卒業して、Aとは約束をしないと会えないようになる。もう気軽には会えなくなる。もう、ここで関係を終わらせてしまった方がいいのか。卒業すれば会わなくなる程度の友情だったのか。会わない方が自分のためなのか。
私は迷っている。
ド田舎なんで発達障害診療可能な精神科病院が1件しかないんだけど、そこの主治医が控えめに言ってうんこ
自分:精神科既往歴15年、ASDグレーゾーン、被虐待児(精神的なものが主)、DV被害者(身体的以外10年受けてた)、IQは並
うつがひどくて障害者手帳取得を聞いたら「50%くらいだね、診断書は書きますよ」って言われたからしんどい中役所で30分かけて必要書類取りに行って次の診察日に出したら「えっ? あなたは手帳無理だよ」と言われて診断書書いてもらえず
うつがひどく寝てることが多いと言ったら毎回「とりあえず散歩してみたら?」だけ言われる 散歩できる気力あったらとっくにしてる
先月から食欲不振も出てきてそれも伝えたら「食べなさい、食べないで治る病気はないからね」
猫を飼っていて入院の話が出た時に「人間は預け先あるけど猫は野に放つしかないねーはっはっは(笑いながら)」
病院の方針で主治医の変更はできない(多分この辺はごねたら通るらしいがそんな気力ないので放置してる)
二次障害とトラウマのあたりをどうにかしてほしいんだがとりあえずのカウンセリング(話聞くだけ)と薬物療法でどうにもならない
自傷も自殺もダメとか言って安楽死もないのにずっとこんな状態続くの? お前が実際なってみろよ頭おかしくなるからって言いたい
去年の四月に上京してきた
役に立たず軽いうつ状態に陥り、休みの日も仕事の勉強しようと思うのに、嫌で嫌で仕方なくて、無為に1日を過ごしてしまっていた
親に電話して
実家に帰ろうと思う
つらい
親に泣いてすがったり
そういうのが出来ない 半端にプライドが高くて
藤子不二雄A先生の『明日は日曜日そしてまた明後日も……』が他人事に思えない
すごく辛かったよな、って主人公を抱きしめたくなる
※追記
反応ありがとうございます。少し救われます。
>親が健在なら電話して迎えに来てもらえ
実家は栃木です。さすがにそんなことは頼めません。「ダメだったので実家に戻る」と言って、今の住まいを引き払う準備します。
たぶんそうした方がいいのでしょうね。
今の仕事は知り合いの口利きで入ったので、結果が出せず申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。
最近睡眠は取っているのに寝たくてたまらなかったり、やたら喉がかわいたり、お風呂に入らなかったりしてしまいます。近所の精神科を検索したりもしています。
宗教や、弱者を食い物にする類のものだけにはひっかかるまいと思っているので、その辺りは大丈夫かと。
昨日は無意味に三谷幸喜の映画を二本続けて観たりしていました。
>こういうのも守破離なんだろうなぁ
頼るとか甘えるとかが上手に出来ないのです。何度も直そうと思っているのですが、ままなりません…
しかし、個人的な経験から言わせてもらえれば、そのような良心的な精神科医はほんの一握りです。田中さんがその気になれば、自分をうつ病だと診断してくれる精神科医をすぐに見つけることができます。
面談を拒絶するようになった田中さんに対し、私は「このままだと会社から解雇されてしまいますよ」とメールでアドバイスしました。実際、A社は田中さんが休職期間満了後も復職できそうにないなら解雇することに決め、田中さんにもそう通告していました。
すると田中さんは、休職期間が終わるギリギリになって会社に手紙を送ってきました。そこに同封されていたのは「重度のうつ状態。外出困難な状態が継続している」と書かれた精神科医の診断書です。
そして、数日後、田中さんは「私には働く気力があります」といった内容の手紙を会社に送ってきました。それは、ただの手紙ではなく、内容証明つきのものでした。
「なぜ重度のうつ状態で外出困難な人が内容証明付きの手紙を送ることができるのか?」という疑問もさることながら、それ以上に私が不思議に思ったのは、田中さんの通っていた精神科が彼の住む県の2つ隣の県にあったことです。
気になってその精神科医に連絡をとってみると「診断書は田中さんと電話で話をして、それをもとに書きました」という信じられない返事が返ってきました。
電話で話しただけで、患者さんが重度のうつ状態で外出困難かどうかなど、果たしてわかるのでしょうか。
10年以上うつ状態で1年前ぐらいに薬を飲み始めてから初めて精神状態が改善したんだよね。
いわゆる普通の人の感覚ってこんな感じなのかなって感激したよ。
そりゃ、起きてご飯を食べる気力も湧いてくる。
この世界が素晴らしいものだって考え方になるのもおかしくない。
もちろん性格が変わったわけじゃないから、うつ状態が改善しても大きく身の回りのことが変わったわけじゃないけど、まあまあ普通に過ごせるようになってきた。
うつ病のことが気にならなくなるぐらいには。
そういう感じだったんだけど、去年の年末にバタバタしてて薬を一週間ぐらい飲まなかったんだよね。
そしたら、来たんだ。うつ状態。
久しぶりにこの感覚きたなあ、なんでだろう?
それで、ちょっと考えてすぐに薬飲んでなかったからだって気づいて。
ズシーン!って心、というと誤解があるかな。
脳。脳に来るんだよ。
起きれない。ご飯たべられない。薬は手元にない。
改めてうつ状態になって思ったのは、
・およそ人がまともに生きていける状態じゃない
・考え方を変えるとかそういう問題でもない
簡単なメンタルコントロールとして、辛いことを考えないようにするとか、悩まないようにするとか、そういうことを意識的にやってる人っていると思う。
自分も薬によって改善されたとはいえ、落ち込むようなことはあって、そういうときは考えないようにするとか、気にしないっていう対処法でまあそれなりになんとかなるようになった。
最初のうちはこれでなんとかなるなんて普通の人たち最強だなって思ったりもした。
ただ、今回、うつ状態になってそんなこと無理だって気づいた。あれは、自分の状態が良かったからできたんだ。
でもうつ状態ってそういう次元の話じゃない。問答無用でズシーン!てくる。頭の中が真っ白でも状態は最悪。
久しぶりに自然と死にたいという思いがこみ上げてきて、ああ、こういう感覚だったよな。こんなのでよく自分がんばってたなと思った。
自分の力でなんとかするとか、考え方を変えるとか、物事の見方を変えるとか、そんなことひとつも無理だと改めてわかる。
そういうこと意味ないんだよ。問答無用に理由なき絶望に包まれるんだ。
今は薬のおかげでだいぶ落ち着いて考えられてるけど、それにしても、薬を飲んでいなかったときの自分はよくこんな状態で生きてたよ。
10年以上も続けば感覚も麻痺していたもので、それが普通って感じで日常的に絶望してたから分からなかったけど。
とりあえず、自分はずっとこのままなんだろうな。
今年6月ごろにうつ傾向が強くなり、初めてメンタルクリニックに行ったり、うつについての本を読んだりした
原因になった職場をすぐに辞め、3ヶ月くらいぼんやりしていたら改善した、最近新しい仕事に就いた
うつ状態の間、小学生くらいから抱いてた希死念慮をさらに強く感じ、死ぬまでにしたい事を今やろうと、とりあえず物欲を満たすために(自分なりに)大きい買い物をした
結婚願望は無く、貯金を増やし東京を出て家賃が安い地域で一人暮らしをする予定だった
が、東京に住む利点や今の職場環境の良さを手放さずに一人暮らしができるなら、それが一番良いかもと思い始め
正社員になり会社近くに住めというのが一般論だと思うが、ブラック企業に勤めてた時よりフリーターになった今の方が生きやすい
勤務時間も月給も大して変わらない
生涯独身でいるなら実家に住み続けて貯金を増やした方がいいのか、家を出て自立した方がいいのか判断ができない、、、
知恵袋に頼ったら実家に残り貯金をするべきという意見が圧倒的だった
転勤
などなどが重なってうつ状態になった。
プロに治してもらおうと思って。
プロに直してもらうっていっても
これこれこういうことがあって辛いです、って。
たぶんそういう事ができたから「こいつ軽症だな」って思われたんだろうな。
んで、本当にうつ状態なのかどうかをテストするペーパーテストをしたんだ。
その結果的には「あらー、結構しんどそうね。」って感じらしい。
でも二言目には
「しんどそうって思わせるためにこの結果にした?笑」
だそうだ。
ふざけんな。
お前の居ないところではしんどくてしんどくて辛いんだと。
さらに。
「機能不全家庭で育ったのはわかるけど、もう24なんだから自分の責任で自分の人生生きないと…。」
だそうだ。
私がリスカまみれ、露骨に精神やんでます系じゃなかったから治るもんも治らないのかよ。
なんだよ、成人するまで機能不全家庭にいたんだよ。
だからこそ成人したからこそ自分の人生に責任持たなきゃ…みたいな感覚が持てないんだよ。
いろいろひっくるめて死にたいんだよ。でも死ねないのもわかってんだよ。
助けてくれよ。
岩波ブックレット『ひきこもりのライフプラン 「親亡き後」をどうするか』の斎藤環氏が書いた部分に、
ひきこもりの子供に対して父親は上から目線で権威的に話し、母親はストレートな批判はしないものの皮肉や嫌味が自然に出てくる傾向があるとあった。
ではどのように話しかければ良いのかというと、個人的に素朴にまっすぐ伝えることだと。
そのやり方が分かって実行できれば何の苦労もないわと、さらっとした書き方に対して一通り僻んで苛立ったあと、
自分は心の能力が低い、未成熟で貧しいんだという感覚に飲み込まれて悲しくなってしまった。
新庄耕『ニューカルマ』に、主人公と先輩社員の会話が出てくる。
子供が出来たのでエロ本の編集を辞めて今の会社に来たという先輩社員の話を聞きながら、主人公のモノローグがある。
「まだ知り合って間もないにもかかわらず、自身の過去を明け透けに伝えられる素直な態度と、それを足下で支えているだろう潔白さに、引け目を感じてしまう。」
「思わず頷きたくなる共感と、同じくらいの反発がない交ぜになって胸に去来する。」
主人公に対して、架空の人物への距離感を失い、お前は俺かとなるモノローグだった。
「素直な態度に対する共感と引け目と反発」。自分の中にある感情の言語化を代行してもらったみたいだ。
それが自分の中に起きているときは、とてもメタ視や冷静な言語化ができない。
胸の中に渦が生まれて息が詰まる。相対的剥奪感や被害者意識、暗くて攻撃的な気持ちに飲み込まれる。
同僚が「人に気持ちを聞いてもらうだけで違うようなところあるから」と自然に言っただけで、
気分が異様にざわついて喉がこわばって言葉が出てこなくなる、ということもあった。
同僚は職能の持ち主である前に人であり、私も人である、話を聞いて欲しいものだ、という一般的なはずのことにざわつく。
ここで書くと「腐かよ」と吊るされそうだけど、中村明日美子『同級生』の草壁くんがとても好きだ。
支配的でも厭味ったらしくもない、私の欲しい素朴のイデアみたいなところが草壁くんにはある。
生きるために衣食住のほかに何が必要かといったら「草壁くんの素朴の概念」だ。
欲しく、取り込みたく、千尋に執着するカオナシのような情動があり、読んでいて泣いてしまった。
でも欲しいというのは支配に近くて、コントロールされた時点で私の欲しい素朴を失っている。
カオナシ×千尋のような、片方が片方をコントロールしようとする関係はカップリングとしても推せない。
でも千尋に執着して、偽物を差し出して釣ろうとして、飢えてヤケクソになってなんでもかんでも食べようとするカオナシにはかなり自己投影しやすい。
自己投影しやすいキャラクターはどこか、カップリングになって欲しくないと思う。
人とかかわるのに必要なものが足りてないから、人間関係において害を生み出す。
自分の気持ち悪さや欠損感を問題視し『アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)』を読んだ。
物語を伴わない、私の思う「素朴」の「技法」のようなものがそこにはあった。
長年のコミュニケーションの手癖を矯正していく作業は地道なもので、ショック療法一発で治るようなものではない。
アサーティブでないコミュニケーションをしてくる上司の持つ、強烈な巻き戻し力に抗えないときもある。
子供の頃からうつ状態の再発を数年おきに繰り返している身でもある。未だに父親には脅迫まがいの言い方で人生をコントロールしようとされる。
しかし筋トレのように地道に自分を改良していくことを決めた。支配欲は本当に気持ち悪いものだからだ。
無防備な素朴さに対する、引け目と反発と愛おしさと憎しみと、足下に「自分で自分を許しているかのような」支えがあることへの僻み妬み、
そういう感情にかき乱されるのなら、もう自分自身がそうならない限り、技法として身に着けてそれが一時的な演技でなく本質・血肉にまでならない限り、