2020-03-24

百分で名著アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

原点あたってないけど、基本的翻訳年を観るとちょうどUFO超能力が取り沙汰された、70年台の頃の作品だなと。これはあくま国内事情で、向こうではアダムスキーなど、数年早くブームがきていた。この頃の空気感自分の子供の頃にはまだ全然残っていて、TVでは超能力特集とか毎度のように放送していたと記憶している。

番組ではクラーク氏の科学観を云々と述べていたいのだが、どこまでいっても時代の制約を人は脱しきれないのだ、という印象が強くなるばかりだった。時代の空気を読んで何かを作らざるを得ない以上仕方ないことなのかもしれない。

科学カウンターとして宗教的ものを尊ぶという極端なヒッピー文化的な発想、近年の疲れ切った西海岸IT実業家カウンターカルチャーとして嵌まるメディテーションとそう変わらない印象を受ける。西洋人はその不自然なまでの実存主義に厭世感を覚えて常に別世界に逃げ込もうとする。

厭世的と極端なユートピア思想の背景は言うまでもなくベトナム戦争にるものなのだろう。両極端な分離した心理で常に葛藤して、それに対して内外圧と極端な癒やしを求める。もはやアメリカ全体がうつ状態なのではと思う。躁鬱の差が激しい国だと感じる。そういえばうつ病になりやす性格は白黒はっきりつけようとする性格だとか。

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