はてなキーワード: 負の遺産とは
もう返還し終わったけど、私は大学時代、某日本最大手から奨学金を借りていた。その返還中の話。
奨学金の返還は銀行口座から自動引き落としなんだけど、たまにうっかりその口座にお金入れとくの忘れるんだわ。まあ人間だから返還期間20年弱の間にはそういうこともたまにある。勿論、悪いのは忘れてたこっちだけどさ。
それで督促電話がかかってくる。それはまあ分かる。
でもさ、今はどうだか知らないけど、その督促電話、私の場合は100%ワン切りだったよ。
これマジだから。
詳細を書くわ。
電話が鳴る→出ようと思うがワン切りされる→仙台の局番の番号が履歴に残ってる→番号ググって調べる→ネットでブラックリストに載ってるけどどうも日本○○会(今の名前忘れた)の督促で、その代行で電話かけてる会社(大手系列と思われ)の番号っぽい
てことで、次にかかってきた時(また見事にワン切り)に折り返してかけてやった。
だってさ、ブラックリストに載るほどワン切りしてるってことは、日本○○会から金もらってるにも関わらず督促先に電話をするもワン切りで「電話をした」という実績「だけ」残して「督促業務を怠っている」ワケじゃん。金もらって仕事してないワケじゃん。何でそんな企業に金払ってるとこに利子まで付けて金返さなきゃなんねーんだよ。
フツーに頭くるじゃん。
私、折り電する。
女「はい、○○コールセンターです」(的な。正確なことは記憶にないし別に本筋と関係ない)
私「あのね、今お宅から電話かかってきたんだけど、出る間もなくワン切りされたんだけど?あなたじゃ話になんないでしょ?上の人に変わってくれる?」
~ 少し待つ ~
私「あのですね、今この番号から着信があったんですけどワン切りされたんでこうして折り返してるんですけど。ワン切り一度目じゃないんですよね」
男「それは大変申し訳ございません」
私「で?何の用なんです?用もないのにかけてるワケじゃないんでしょ?」
男「えーとですね、私どもは日本○○機構(日本○○会の今の名前)さんから業務委託を受けまして返済の滞っている方にお電話してるんですが」
私「で、ワン切り?それでお金回収できるんですか?うちはナンバーディスプレイ付けてるからワン切りされても番号分かるけど、付けてない電話なら分かんないし履歴も残んないですよ?どっからかかってきてんのかググってみましたけどね、知ってます?この番号、ネットでブラックリスト入りですよ?」
男「はい」
私「そうやって電話かけて1回鳴らして切って『電話をかけたけど出なかった』ことにして督促業務サボって金だけもらってんですか?そう思われてもしょうがないですよね?実際ワン切りしてんだから」
男「大変申し訳ございません」
私「迷惑なんでもう二度とかけてこないで下さい」
男「私どもは日本○○機構さんから委託されてお電話していますので」
私「ワン切りならかけたって意味ないでしょ?ハガキだって届いてんだから出られもしない電話なんかいらないって言ってるの。分かんないですか??」
男「申し訳ございません」
私「今度ワン切りあったら、日本○○機構の方に『○○(この業務委託されてる仙台の会社)はいつもワン切りしてくるからこんな会社に金払うな』って苦情言いますから。もう二度と無駄な電話かけてこないで下さい」
私、電話切る
この後もうっかりはあったんですが、二度と電話はかかってこなくなりましたね。
借金してでも学ぶ意欲のある人だけ借りればいいモンで、誰も「借金してでも大学入ってくれ」なんて頼んでないの。
こないだテレビで奨学金サラ金化なんて特集やってたけど、それに出てた先生の「そもそも大学全入に反対」に諸手を挙げて賛成だわ。
偏差値40台で底辺大学入って楽しいか?楽しいだろうな。遊んでんだから。
大学で楽しむのは学友達との交流ももちろんだけど、学問なんだよ。それが大学じゃなきゃできないことなんだよ。
先生や先輩と酒を酌み交わしながらゼミの延長で議論するとかマジ楽しいぞ。知らねえんだろ。
知る気もないヤツは大学なんか行かなくていい。てゆーか来るな。入るな。
大学卒業と同時に何百万という借金背負ってそれを毎月毎年返し続けてでも学問したいヤツだけが、奨学金借りてでも大学入る資格があるんだよ。
申請すれば返済の猶予や免除もあることも「知らなかった」とかマジどこまでバカなの?
何でそんなことも知らないで借金してんの?調べもしないで文句だけ言ってたりすんの?
私は大学4年間じゃ研究したりなかったから大学院まで行ったよ。今度は学校法人の奨学金借りて。
全部返済したよ。当たり前じゃん。
就職?院まで行ったらロクな仕事なんかねーよ。それでも返したよ。借りたんだから。
そんな当たり前の覚悟も出来ないヤツが奨学金借りてまで大学なんか来んな。
さっさと就職して手に職付けた方がマシ。
学問なんか金になるもんじゃないし、大学は就職予備校じゃない。
モラトリアムのためにあるんじゃねえよ。
もう借りちゃったヤツは諦めてちゃんと返すか返せないならちゃんと相談なり届出なりしろ。
私は夏に産まれたそうだ。
医療の力で今生きているが、
あのとき、死んでいたら良かった。
19歳の時に
77歳で父が亡くなった。
相続なんてしたくなかったが
歯向かおうものなら
言うことを聞けば「お父さんの血を継いだ頭の良い子」、
と罵られてきた。
もしかしたら、
あれは今で言う毒親というものかもしれない。
「相続したくない」と言えたら良かった。
あの女の人は
「あなたの為を思って、
あなたが得をする様に
お父さんが全てあげると言ったんだよ」
などと言っていた。
前妻に遺産がいくのが嫌で、
相続させられた結果は
一生安くない占有料を払って、
とことんマイナスなんだけど。
取り壊すのにもお金がかかるじゃない。
橋と家、合わせていくらかかるかな
うーん泣けてくる。
さっさと運良く亡くなりたいです。
お父さんは天国で満足ですかね。
・弱きを貶す←ストレス発散できる対象がいれば自分に関係あろうがなかろうがどうでもいいし真偽すらどうでもいい
・日本は美しい国←言うだけで美しい国にしようと努力していない
・日本人は優しい←外国人と日常生活したこともないくせに旅行者のチヤホヤ体験聞かされて天狗
・日本人は連帯感がある←責任の押し付け合いや出る杭を打つ足引っ張り文化なだけ
・技は盗め←連帯感どこいった?技術の継承や共有をめんどくさがりいつの間にか産業が空洞化
・日本人は義理堅い←定年迎えて暇になってたエンジニアは中国にヘッドハンティング、義理堅く技術を横流し
・日本人は約束を守る←大事なのは納期を守ることで顧客を満足させることが目的じゃないので納品後はどうなっても関与しない
・日本人はみんな教養がある←クソみたいなゆとり教育を推進したせいで馬鹿が教育係となり貧困層が爆発的に増えて猿だらけに
・日本人は優しい(2回目)←当たり障りのない良い子ちゃんぶってるが尊厳死を認めないせいで介護業界がゾンビに
・日本人は団結力がある←烏合の衆が集まったところで有力な方針を打ち出す者もおらず騙されるか徒労するかが落ち
・金儲けは恥じる←資本主義社会で何年も続けてきたのに未だに共産主義的思想を持つため中国にすら負ける始末
・禅の心←自己満足に浸る前にもっとやるべきこと目の前に沢山あるだろ逃避してんじゃねえよ
・忘れかけた大切な文化←本当に大切で金の延べ棒のように誰もが欲しがる文化なら残ってますから
・思い出を美化←先人たちの遺産の上にヌクヌク胡坐をかいていた時代はさぞ楽しかったでしょうね
・ワビザビ←要するにルールを言語化できない障害者を正当化しているだけ
・中国、韓国人が悪い!←圧倒的に日本人の方が国内の選挙権も市民権も多いですけど?お前ら何してたの?死ねよ
・政治が悪い←政治家選んでるのお前らですけど?優秀なリーダーを選べないお前らがガンなのにそろそろ気づいて死ねよ
・エンジニアを軽視←無能どもが派閥争いしている裏で必死に会社のために稼いでたエンジニアは評価されない
・優秀なマネジメントも評価されない←マネジメントの重要性も文系出身なのに馬鹿なので理解できないし評価もされない
・新しいものを嫌う←とにかく昔からのやり方にこだわるのは自分が新しい環境に適応できない、というわけではなくめんどくさいから
・効率化をしていいところとしてはいけないことの分別が付かない←マニュアル化できる内容もせず、人間がやらなくていい仕事も人間にやらせる
・少しでも叩けるところがあれば叩く←お前の生活に1ミリも関係のないことなのに現実のストレスを発散するためにネットで叩き
・マスコミイナゴがネットイナゴに変わっただけ←結局馬鹿は踊らされるだけ、馬鹿に便利な道具を与えても何も変わらなかった、死ぬしかないね
・法の重要性が理解できない←法(公正さを様々な角度から構築すること)の重要性が国民レベルで理解できてないので効率化も自由化も浸透しない
・海外の文化をノータイムで崇拝←自分の国の文化にも誇りと自信を持てないのに日本文化は素晴らしいというタブスタの極み
・自分も他人も客観的な評価ができない←客観的な評価ができないために改善もできない、どちらかが悪役で話が終わり生産性の無い結論になる
・ディベートがガキの喧嘩←TVタックルでなくとも議論になるとすぐに相手を攻撃する言動が多くなり、議論の理想の着地点には永遠にたどり着かない
・アットホームな職場と言いつつ家だと思っているのは経営側だけ←忠誠心をどうやって気づけばいいのかノウハウも知らないのに何言ってんだコイツ?
・優先順位が付けられない←何が最優先なのか分からないし共有もできないしそれを判断する材料が何なのかも分からない、驚くほどの能無し
・プロの意見に自信満々で逆らう←お前ができないから金払ってでも他人にやってもらってるんだよね?イチから自分でやれよバーカ
・失敗を許さない←失敗を認めた時点でゲームオーバー、信用されなくなるため隠ぺい工作に集中する、再発防止するコストはそのために失われる
・負けを認めない←もう中国にも韓国にもとっくに負けてますけどいい加減認めたら?負けを認めないから頑張れないんだよ
・終わってる人生を認めない←何高望みしてんだよ、お前の人生終わってんだよ終わってるレベルでの幸福を探せよ夢見てんじゃねえよ
・派遣と正社員で争い←なんてレベルの高い戦いなんだ…!どちらが勝ってもどちらも幸福にはならないというのに…!
・生活保護とフリーターの争い←なんてレベルの高い戦いなんだ…!どちらが勝ってもどちらも幸福にはならないというのに…!
新日本人は、
団塊の世代、団塊Jr、ゆとり世代の作り出した負の遺産を一身に背負い、
今は大小の新興企業が勢いを伸ばしてきた再生の時代だからこそ、
ハッキリ言おう。
で、最近ふと思うことがあったんだけど、自分が物心ついたときって、まだ「戦後35年」とか、「戦後40年」とかいってのね。
で、もう戦後71年目に入るわけだか、ということは
「第二次大戦が終わる→俺が物心つく」と「俺が物心つく→現代」が、同じくらいの時間になりつつあるわけ。
これは、結構驚く。
俺が子供のころってのは、フツーにじいちゃん、ばあちゃんに話を聞けば、空襲の話とか、機銃掃射で撃ち殺されそうになった話とか、
知り合いが戦争で死んだとかって話が聞けたし、
小学校で「身近なお年寄りに戦争体験を聞いてくる」なんて宿題やると、
「うちのおじいちゃんは、ガダルカナルという南の島で、死にかけたそうです」
なんて話を聞いてくる奴が普通にいた。
うちの母方の実家も空襲にあってるし、うちの叔父が鶏肉苦手なのは、子供のころ食糧不足で、
もらってきた鶏をじーちゃんとばーちゃんがなれない手つきで絞めてるのをみたときのトラウマだったりとか、
多分、今のシリアかってくらいの生きるか死ぬかの修羅場を潜り抜けた人も、けっこうフツーに生きてたわけ。
まあ、その時代には、ネットはおろか、スマホもケータイもパソコンもウォッシュレットもなかったし、
家庭でテレビ番組を録画するってのは、金持ちの家ではあったのかもしれないけれど、まだまだフツーの家ではできなかったし
飛行機のるのは、かなりの贅沢だったし、コンビニは24時間営業ではなかったけれど、
でもテレビはフツーに見てたし、洗濯機もテレビも炊飯器もあったし、車もっているのが特別な金持ちってこともなかったし、
(当時は、経済指標として、国内総生産=GDP じゃなくて、GNP=国民総生産を使うのが普通だった。
で、それから30数年で、たしかにいろんなものが出てきて世の中変わってはいるんだけど、
なんっていうか、生活の基本的なレベルってのは、そこまで大きく変わっていないような気がするんだよね。
少なくとも、その前の30数年に比べると。
いや、「その前の30数年」に関しては、あくまで伝聞ですけれども。
最近、若い人が安易に「日本オワタ」みたいなことをネットに書き込んでいるのを見ると、
無意識のうちに「なに甘ちゃんなこと言ってんだよ」と思っていた自分がいて、
自分のおじさん化に自分で驚くわけだけれども、その感情の源は、この辺の間隔にあるのかなあと。
僕らの親世代である戦中派~団塊世代ってのは、とにかく日本の変革を阻むガンとしてネットでは評判が悪いわけだけれど、
だって、あの人たちが子供のころって、日本が米軍に占領されてて、チョコレート欲しさに占領軍追っかけて、
で、奴らが動物にエサやるように子供にばらまいているのを、ありがたがってもらっていて、
それを親(俺らから見たら祖父母)が、やりきれない目で見てたりしてたわけだ。
そんなところから、今でいえばブラックとしか思えない働き方して、気づいたら「経済大国」を作ってた。
なんだかんだいって、これはすごいことだと思う。
一方、俺ら世代は、その負の遺産を前に、なすすべもわからず、とにかく対応するのに精いっぱいで、
まだ、さして何にも残していなかったりするわけだが。
日曜日の夜。都内のとある肉バルで妻と食事。そこは以前から何度か通っていて、リーズナブルで美味しい肉料理とワインが楽しめ、お店の雰囲気も下品でなく、丁度良い華やかさ、賑やかさがあって、程よく手の届く幸せを得られるお店として気に入っているお店だった。
まずはワインをボトルを頼んで乾杯した後、メニューを見たところ二人とも大好きなラム肉の盛り合わせがあったので、テンションも上がり即注文。その他にサラダとディップも合わせて注文。日頃からどのメニューも美味しいことは分かっていたので、二人ともワインを進めつつ話が弾んだ。
サイドメニューが幾つか届き、お酒もある程度進んだところでようやくラム肉の盛り合わせを店員が運んできた。そこで事件は起こった。。程よく盛られていた肉達の一つがポロリと、地面に落ちてしまったのだ。店員、自分、妻ともにその落ちていく肉を見ていて、3人共に「あ…」となった。
おおよそサービスの行き届いたお店であれば、店員が「申し訳ありません、すぐに代わりのものをお持ちします」とか「先ほどお肉を一つ落としてしまったので、こちらお詫びのサービスの一品になります」と別の料理を持ってくるなどの対応が予想できる。こちらもその肉一切れを絶対に食べたいほど空腹なわけではないので、その申し訳ないという気持ちさえ見えれば気持ちは落ち着くし、逆に「あ、気を遣ってくれるお店なんだな、素敵だな」とブランドイメージも向上すると思う。
しかしながらそこで店員は何もなかったかのように料理の説明をしたあとその肉一切れを拾い、別の客の接客に戻ってしまった。それに加えて、その後その店員が再び我々のテーブルにやってきて「今日はあそこの席のお客様がお誕生日なので、このクラッカーでおめでとう!の協力をお願いします」と伝えられた。
私としては、自分の注文した料理を半端な形で提供されたことに加えて、店都合で別の客のお祝いに協力してほしい、という要望を出されたことに対してどうも納得がいかず、申し訳ないがそのクラッカーを鳴らすことはできなかった。未開封のクラッカーは別の店員が持ち去っていったが、そのクラッカーが鳴らされていないことに対して、どう思ったのか、何も思わなかったのか、帰宅後の今になっても非常に気になる。
その後の妻との会話はもっぱらその出来事についての話になった。というのも、その場でその店員に何と伝えるのが、そのお店のファンである客としてベストな対応なのか?ということだった。幾つかパターンがあると思う。
1)その場で感情を伝える
「あの、今肉落としましたよね。今日のおすすめメニューですよね、これ。それに対して何もないんですか?このお店はそういう対応でいいんですか?」と、感じたことをその場で瞬時に言葉にし、ある程度の怒りをぶつけて納得できないことを伝える形。肉一つが惜しくて怒るのではなく、自分が一組の客として大切に扱われていないこと、お店のおすすめメニューを完全体でない形で提供してしまうことを許すという、プライドの無さについて言及するパターン。このクレームは正論ではあるが、日曜日のせっかくの楽しいディナーの時間、妻に対しても他の客に対しても、悪い空気を出してしまうこと、言った自分も「そんな小さいことで目くじらを立ててしまう俺って…」という自己嫌悪に陥るなど、非常にデメリットが多いと思う。
「ここのお店はおすすめの肉を落としても、誠意のある謝罪も代替えのサービスもありませんでした。もう2度と行きません。」と食べログに書くパターン。これはこれで書いた側はすっきりするかもしれないけど、自分が好きなお店がたまたま犯した失敗に対して、後々非常にマイナスになる負の遺産を、相手の手のとどかない場所から投石のごとく、ズルい形で攻撃するようで、やはりあまり気乗りはしない。またここでも「自分は正々堂々と伝えもせず、ズルい奴だ…」と自己嫌悪に陥ってしまいそうだ。
3)何も言わない
「海外ではそういうことはよくあることだし、いちいち目くじら立てない方が結果的にみんなハッピーなんじゃない?」と考えるパターン。仕事に対する自分の哲学として、それをよしとするならそれでも良い。しかし自分も仕事をする身として、自分の客に知らず知らずのうちにそういう我慢を強要していると知ったり、考えたりしたら、非常に申し訳ないと思う。なのでやはり、できれば何かの形でその気持ちは伝えたいと思う。
と、ここまで色々と納得できない気持ちをモヤモヤとさせながら色々と考えていたが、ベストな対応としては下記の4番ではないかと結論づけている。
「あの、今日おすすめメニューの肉を一切れ落とされたんですけど、それについて何も無かったんですよね。私はこのお店が好きだったので、とても残念でした。私としてはまたこのお店の料理を食べたいと思っていますので、次、期待していますね」
妻や他の客がいないところで、帰り際にコソッと当事者の店員にこの形で伝える。そうすれば、自分は自分で思った気持ちを正々堂々と相手に伝えることができるし、妻はその場を見ずに楽しい週末を過ごせるし、他の客も嫌な思いをせずに済むし、店員は店員で自分のサービスに対しての行動を振り返ってくれるのではないだろうか。
日頃から人に対して正直に自分の意見を堂々と伝え慣れていないせいか、帰宅後の今になってこの答えにたどり着いたことがもどかしいが、その場でこういう形でお店に対してフェアに、自分の気持ちを伝えることができたら、とても気持ちが良いと思う。こういう判断を瞬時に、正々堂々とフェアにできる自分でありたいと思う。
SMAPというのは、日本のいわゆる「失われた20年」を駆け抜けたアイドルなのだろうと思う。
今、あらためてWikipediaを見てみたら、前身である「スケートボーイズ」の結成が1988年、
バラエティーも全力でこなす新しいタイプのアイドルとしての存在のスタートとなったテレビ番組
『夢がMORIMORI』のレギュラーとなったのが1991年
そして、『SMAP×SMAP』が始まったのが1996年だそうだ。
以降、森くんの脱退という事件をはさみながらも、日本の芸能界のトップを、彼らが懸命に走ってきたことは、誰もが知っている。
ちなみに、日経平均株価が、38,957円という今では信じられない高値を付けたのが1989年の年末。
その後、バブルが崩壊して、山一證券が自主廃業を決定して、社長が記者会見で号泣して世間に衝撃を与えたのは1997年のことである。
まさに、SMAPのメンバーが光GENJIのバックダンサーなどの下積みを経て、人気を獲得しだすまでの時期に重なる。
まだまだ「一生懸命勉強して、いい大学に入って、いい会社に就職すれば、一生安定した生活が送れる」という、
高度成長期の神話(当時は、あながち神話でもなかった)を信じ込まされて大学まで進んだものの、
やっと就職した会社では、自分の目上に掃いて捨てるほどいるバブル世代の下で、
後輩もろくにできず、ブラックな働き方を長年続けさせられたり、
就職活動がうまくいかずに非正規社員になったり、ニートになったりという人が、相当数いるはずである。
そして、そんな彼らの中に、SMAPに憧れたり、勇気づけられたり、
やけっぱちになってSMAPの歌をカラオケボックスでがなったりしていた人も多くいるはずだ。
SMAP自身も、アイドルをめぐる環境変化の中で、当初はなかなか売れる見通しが立たず、苦労を強いられたという。
それが「バブル崩壊」と関係あるのかどうかはよくわからないが、ともかく、彼らは有能な女性マネージャーの下で、
歌唱力も演技力もダンスも、彼らより優れた人たちはいるのだろうが、
どんなに「スカしている」「いきっている」といわれようとも、かつてのキムタクは「カッコいい」の代名詞として人気は別格だったし、
「音痴」という、本来歌手としてあるまじきレッテルを張られながらも、その人柄と気配りで中居くんは日本屈指のMCタレントになっていったし、
闇を抱えながらも明るさを振りまく慎吾ちゃんの姿とか、
あくまで飄々と、ときにユースケサンタマリアと、女性の胸が見える見えないではしゃいでたりする草薙くんとか、
決して仲良しではないのだろうけれど、互いを尊重しながら「プロのアイドル」として彼らは日本の芸能界に君臨してきた。
そんな彼らが、「同族企業の経営一族」と「自分たちを育ててくれたたたき上げの取締役」の対立が原因で、
分裂させられそうなのだという。
これは、とてつもなく哀しい。
あんなに「スーパースター」な彼らも、所詮は権力を持っている年寄りたちの都合で動かされる「労働者」にすぎないなんて。
昨年からSMAPが「のど自慢」に出場して、東京から5~6時間かかる被災地の街を訪問したり、
年末には、中居くんが『笑ってはいけない』に出てきて、お笑いタレントとキスシーンを披露するなど、体をはった仕事をしたり、
年明けには『すべらない話』で、中居くんが事務所社長の誕生日のエピソード
(それも、事務所内での近藤真彦の優遇ぶりと、中居くんの立ち位置を彷彿とさせる話)を披露したり、
なんか、SMAPが仕事の幅を広げてきているなあ、とは思っていた。
それが、事務所独立を見据えた必死の行動だったと思うとまた、なんとも切ない。
現在の事務所に頼らず生きていくためには、そりゃNHKや吉本興業との関係は深くしておくに越したことはない。
とくに、中居くんの「肝の座りっぷり」と「体の張りっぷり」は、「SMAPの居場所を俺がつくる」という覚悟の上ではないだろうか。
一部報道によれば、キムタクが現在の事務所に残留を決めた理由の一端に
奥さんの懇願もあったともいう。
メンバーで唯一、家族を抱える彼にとっては、「安定した現在の会社に残ってほしい」という奥さんの願いは無視はできないだろう。
これも「労働者」っぽくって、哀しい。
バブル後に社会に出た人の多くは、バブル以前の社会が残した諸々の「負の遺産」を清算するために、
苦労を強いられてきたうえに、あまり感謝されることもなく、年寄りたちの「わがまま」に振り回されているのではないかと個人的に思っている。
少子化はあんたらが結婚して子供創らないせいだとかいわれても知るかよ。
SMAPもそうだ、とは言うつもりはないんだけれど、でも、なんか、やはりどこか重なっているように見えて仕方がないのだ。
さらに突飛なことをいえば、ちょっとだけ、例の「新国立競技場」をめぐる騒動を思い出す。
偉くて権力を持った人たちが決めてしまったことが、たとえ非合理だったとしても、もう覆すことなんかできないのが、
この国の常識だった。
幸いにして、あの膨大な予算を食いつぶす「ザハ案」とやらは変更が決まって、
多少なりとも「世論」が、「権力者が決めたこと」を覆せたのはよかったけれど、
あの、「権力を都合のいいように使う年寄り」の象徴たるオリンピック組織委員会のトップ(記すのも忌々しいので、ここのは名前は出さない)は
いまだトップであり続けている。
それが、多分、今のこの国の限界だ。
はたしてSMAP、どうなるんでしょうね?
なんとか存続してほしいなあ。
自分は、そこそこテレビ好きでお笑い好きだけど、SMAPに今まで特別な思い入れがあったわけではない。
カラオケで代表曲のほとんどは歌えるけれど、CDを買ったこともない。
でも、SMAP存続の役に立つんなら、『世界に一つだけの花』のCD一枚くらいなら買ってもいいかなと、今回、思ってしまった。
まあ、役に立たないと思うから、買わないけれど。
「事務所内部の問題に口に出す立場にはないが、フジテレビとしては、『SMAP×SMAP』は長年、視聴者に愛されてきた番組であり、
今後も放映が続けられるよう関係各所には努力してほしいとは思っている」くらいのことを会見で発言したらどうだろ?
現在ネット上では四面楚歌にあるフジテレビの好感度も、多少は上がるんじゃないかと思うし、
結局は業界にいる人たちが動かないと、事態は良い方向には動かないのだろう。
下村文科相が「ザハ案に決まった経緯を調査する」と言ったり、安倍首相が「民主党政権時に決まったことだ」と答弁し始めたりする動きを見ると、
すでに自民党の水面下でキールアーチ見直し前提で動いている感じ
今の首相周辺のやり方ってのはほんと分かりやすくて不都合なことは民主・野党が悪いで押し通す。だから一週間ほど前に「民主党」というキーワードが安倍首相の口から出てきた時点で官房長官や元首相が何と言っていたとしてもこの結論は予想できたことなんだ。「民主党のせい」と布石を打っといて、後はタイミングを図るだけ。もちろん世論の反対が多い安保関連法案の衆院可決にぶつけて支持率の下落を相殺させようとしたという話。
どちらも社会にある不平等、不公平、不正義を指さして「ここに問題があるので解決しなければならない」と叫ぶ点で類似性がある。
問題は、格差是正問題は問題の焦点を論者が自由に設定できるということだ。年収100万円はいかにもすくないが、200万円だって問題にしようと思えばできる。300万円だって「それでは結婚が難しい」などという但し書きをつければ焦点にすることが可能だ。この焦点の選択は何に影響を与えるかというと「搾取されている人間の割合」の設定に影響を与える。専業主婦を含む不労者を計算にいれれば、国民の50%くらいは年収250万円以下のラインに収まる。つまり「年収250万円以下は搾取されている被害者である」という設定をぶち上げれば、国民の半分は問題に巻き込めるということで、これは年収部分を変更すれば7割だろうが8割だろうが「被害者側」として巻き込むことが可能だ。この種の変数設定可能な論は非常に取り回しがよい。
フェミニズムはそこの部分が弱い。そもそも「女性は被害者である」という主張なので、どんなにどんなに頑張っても国民の50%よりおおくは被害者として設定できないのだ。世の中には当然自分の環境に不満のない女性や納得済みの女性も多いので、現実的には国民の10%も被害者設定できれば良い方だと思う。もちろんだからフェミニズムが間違っているという話では全くなく、「そもそも共感を得るのも支持を得るのも最初からすごく難しい」主張なのだ。
「どれくらい支持が得られる理論か」ってのはかなり重要で、たとえばその割合がかなり少ない場合、その理論の支持者はコミュを存続させるために理論を過激派せざるを得ない。そこから始まるのは「社会を変革するための理論」というよりも「コミュを存続させるための理論」「コミュ内部で権威を保持するための極論」の類であって、カルト教団が生まれる過程そのものだ。
穏当なフェミニズムが社会に浸透して徐々に「一般化」してきたこの10年間という時間の流れから大きく逸脱し、「女性は被害者であり男を打倒すべきである」タイプのカルトフェミニズムはどんどん先鋭化してきてしまった。初期には社会の耳目を集めるために有用だったこういう派手な意見(オタク男は死ねも、同一の文脈)も、今ではフェミニズムの負の遺産となってしまった。
現在日本のフェミニズムが全力で戦うべき相手は、檀兼社会というよりも、日本のフェミニズム論壇が抱えてしまった負の遺産なのだと思う。
80年代に作られたシステムつっても80年代に作られたシステムを「そのまま」ただ運用してきたわけじゃないんですよ。
毎年毎年銀行では新しい業務が増えたり減ったり業務フローが変わったり現場から「使い難い」と文句が噴出したりとシステムに対する要求が際限なく出続けます。
その度に今走っているシステムに少しづつ手を入れて対応していく事になるんですけど、段々増築に増築を重ねた建物みたいに誰も中がどうなってるのか分からない化け物に変貌していってしまいます。
そこで全体を一旦整理整頓して仕切りなおす儀式「次期システム更改」が行われるわけです。化け物の中身がどうなってるのかを一つ一つ紐解いて再構築していく作業は半端なもんじゃないです。
それもある。
だが、他国に自分の国の国民を住まわせるだけで、間接的に領土にすることができる。
例えばアメリカのサンフランシスコには中国人街があるが、そこでは星条旗のかわりに毛沢東の肖像画が掲げられている。
つまり、アメリカ内にアメリカという国家のためではなく中国のために忠誠を誓う人間がいるということだ。
そういう人間をアメリカ政府が国民として養っているというわけだ。
人権も何もない奴隷として他国から移民を入れるというなら賛成する。
社会保障も何もなく、鞭で打って働かせる奴隷としてなら、経済成長に寄与するだろう。
でもそういうわけにもいかないだろう。
http://bokurasha.hatenablog.com/entry/2014/04/01/115953
受けた寂しさの、程度の差は相当あるけれど、
私達と同じようにモデルケース不在の中、
私達と同じ、「幸せ探し」に迷走した女のひとりです。
私たちはもう大人で、愛し愛される対象を自分で探すことができる。
それが
※とりあえず改行うざいので若干詰めました。文字・文章等はいじってません。
結構ひどい母娘関係から脱出して今に至るんだが、これはちょっとなーと…まぁ間違っちゃないんだけどさ。順番が!順番が違うのよ!
あのですね。
子供の頃から「変な人」に育てられると、まずほぼ物心がついた時もしくは十代のうちに「自分ちは人んちとはなんか違う」という衝撃を受けます。つまり認知の順番としては
自分の育った環境を否定するというのは結構難しいし、体力を使うことなんですね。一番簡単なのは「普通の環境で育ったにもかかわらず自分はおかしい人間に育った」と自分自身を貶めること。これが自己肯定感の低下の原因です。人と違うとか、うまくいかないことで自己肯定感が低下することももちろんありますが、自分原因のものであれば比較的容易に回復可能です。方法を変えればうまくいくからです。また環境をかえたり、そもそも諦めてしまったりすることで回復することもあります。毒親に育てられた場合は全てにおいて親に否定をされ、しかも社会ともうまくやっていけないことが多いため、回復できず結果的に自己肯定感が縮退していくのです。
また虐待児に関しては普通によく知られている話ですが、学童期までは子供は自分の親に従順で疑うことはあまりありません。特に抑圧されたタイプ(被虐待児は特に顕著ですが)は親が世界の絶対だと思い込んでいるので、多少周囲と違っていることはもちろん認識していて、ちょっとしょうがない親だなとおもいつつ信頼しようと努力するものです。平和な家庭で育った同級生などが親のことを詰ったり喧嘩したとか言ってると、「もう少しおとなになったら?お母さんも疲れてたんじゃない?」などと言ってしまうタイプが自己肯定感の低い人です。抑圧する親に育てられた子は、親の親代わりを幼少の頃から課せられているため、そういう発想が出ます。
なお、親を憎むほどひどい抑圧を受けた場合はけっこう早いうちに限界が来て親から離れ、その後寛解することが多いですが、耐えられない程ではなかった人ほど気づくのが遅れ、三十を過ぎてからもしくは子供が生まれてから苦しんだりもします。全然気づかずに子に連鎖する人もいます。いわゆる虐待の連鎖です。随分たってから苦しむのもつらいですし、下の世代に負の遺産が引き継がれるのも避けたいものです。これを防ぐには早い段階で「うちの親はおかしい、自分は間違ってない、親から離れるべきだ」と気づくのが大事です。「親も人間だから」「それでも愛してくれてはいるはず」とか言ってたら手遅れになります。とっとと親離れして、また親に子離れをさせて、正常な人間関係を取り戻さなければなりません。
許す必要はありません。許したら離れられなくなります。ただ事実を事実としと認め、許せないなら許さない、腹が立つなら腹をたてる、近寄りたくないなら近寄らないを徹底するのが自己肯定感を取り戻すための最初の一歩です。憎みたくなかったら別に憎まなくてもいいですが、憎みたかったら憎んでもいいんです。また離れるべきは母親だけではありません。父親もです。憎むのは母親だけではありません。そんなあなたと母親を放置した父親もです。父親にも問題があるのです。たいていこういう話題だと知らん顔してますが。
完全に離れるのは良い方法です。
そして母親は一人の間違った人間で、自分に害をなす存在であると認識しましょう。あなたの親をあなたが育てる必要はありません。あなたが親を一人の人間として解放してあげる必要はありません。あなたの親は大人なのですから、自分自身で生きれるはずです。手を離して世話をやめても死んだりしません。大丈夫です。
追記:
文章のおかしいところ、読みにくいところ、繰り返しになる部分を修正しました。
追記:
人の親が毒親かどうかどうでもいいならタイトルに入ってる時点で引き返してください。あとメンヘラさんの自己正当化に使われているかどうか(もっとも人格障害は環境要因もあるらしいので、毒親の影響を受けてメンヘラ化した場合もあります)を知りたいなら、会話をよく聞いて、あらゆるものに文句をつけているか、それとも親や特定のものに対してだけ口が辛くなる(もしくは重くなる)かをみればよいと思います。特に口が重くなる場合が親起因で自己肯定感の低いタイプの人です。
つい十年ほど前まで「親がおかしい」というのはどこにも相談できないことでした。そんな中で、「やっぱりおかしいんだ、そうだって認めてもいいんだ」と私が知ったのはネットの名もない文章でした。ポツポツと誰かが書いた文章に私は救われ、勇気づけられ、寛解に至ることができたと思っています。そうでなかったら未だ自由は得られていなかったかもしれない。もしかしたら死んでいたかもしれない。否定され続ければ、人は死にます。自尊心を失えば、人は死にます。
今でもまだ親がおかしい、好きになれないという話をネット以外でするのは非常に難しいことです。一人で悩んでいる人もたくさんいると思います。毒親という言葉が出てくる前、さらにインターネットが普及する前はもっともっと沢山の人が悩んで、一人で絶望していたのかもしれません。一人でもそうして苦しむ人が減って欲しい。私はたくさん助けてもらったから、同じように「別にそれでもいいんだ」という文章を残していきたい。それが誰か一人のきっかけになれば嬉しい。ただの徒労であれば、悩んでいる人がぜんぜんいないのであればそれ以上によいことはない。
「許しなさい」と言われ、その通り許すのでは自分の人生を生きていることにはなりません。人の意見を聞くのは大事なことです。でも、それを言われるがままに実行するのでは、なにも問題が解決されていない。母親が他人に変わっただけです。
聞いた上で許せないのなら許さなくていい。どんな些細なことでも、自分にとって大事なことなら許さなくたっていい。それが自由です。自由は苦しいし、辛いし、悩むことがたくさんあります。間違うことだってたくさんあります。でも、人の顔色をうかがって、自分が間違っていないか常に疑いながら生きる苦しみよりはずっとよいです。
相続に本妻ではない女が生んだ子供(隠し子)が絡む場合は、不貞の慰謝料も隠し子の負の遺産として相続に含めたらいいんじゃね? と考えてみた。
現行法では不貞の慰謝料請求権は当事者(夫と愛人)が死亡した時点で失われてしまい、また双方健在でも不貞発覚から3年、不貞行為から20年が経過すると自動的に請求権が失われてしまう(よな?)。
これを変更して「慰謝料請求権を当事者の生死に関わらず、(不貞発覚から3年)、不貞行為から無期限」としたらどうだろうかと考えた。
まず、現行法でも父親が死んだ時点で母親(愛人)が生きていた場合、不貞行為から20年以下であれば正妻は愛人に対して慰謝料を請求できる。でも正妻が死んでいたり、愛人が死んでいた場合は請求権がなくなってしまい、この時点で不貞お咎め無しの状況が成立してしまう。
これをとっぱらって、「非嫡出子に相続が絡んだ場合においてのみ」正妻の子から愛人/正妻から隠し子/正妻の子から隠し子へも慰謝料を請求できるようにし、負の相続財産として正の相続財産から差し引きとする。
もちろん父親の存命中に不貞の慰謝料がきちんと支払われていれば相続の際に慰謝料は発生せず、嫡子も非嫡子も同一割合の資産を受け取る事が出来るようにする。正妻完全公認の不貞および隠し子の場合は、慰謝料1円等の支払い実績を作っておけば後々の相続で揉める事態を起こさずに済む。
これで随分不公平感が薄れるのではないかと思う。
ようは「隠し子こさえてあの世へ逃げ切ったもん勝ち、正妻と嫡出子の唯一の対策は親父に遺言を書かせる事だけ」という状況が、非嫡出子の相続割合に関わらず現行法でも起きてしまっている事が問題で、これをどうにかしたらこの法案の心理的抵抗も大分減るんじゃないかと考えた。
まあ正妻に子供が居なくて、かつ不貞発覚前に彼女が夫より先に死んじゃったらこの案でも元も子もない。現行法同様に妻の遺産も(夫の遺産経由で)非嫡出子に渡ってジエンドだ。慰謝料請求権も妻側の相続に含めるとして、生存している奥さんの親や兄弟に請求権を移行するってとこまではさすがにやりすぎだろうか。
ド素人から見たら「非嫡出子は罪も無い子供なのに権利が半分なのはおかしい」って意見はごもっともなんだけど、同じように正妻の子だって罪も無い子供なのに(隠し子の居ない普通の夫婦と比較して)相続の権利を侵害されるのはやっぱりおかしいと思うのだ。
その不公平感を埋めるものといったら、やはり不貞に対する慰謝料と言う形での罰則しかないだろうと。
※「男女逆のケースも想定しろ」というブコメを下さった方がいたので追記※
ブコメの人がいう「法律婚と事実婚の子がいるケース」がどういう例に該当するのかが不明ですが、どのタイミングで嫡出子と非嫡出子が産まれたかに関わらず「法律婚の夫との婚姻中に別の男性と子供を作った(間男との不倫が発生した)」ケース以外は、ド素人の自分が考えた案ではどちらの子供も同じ割合の相続を受けられるようになるので問題ないと思われます。
ブコメの人の場合は「嫡出子と非嫡出子が居る状況が周知されている」ので、不貞発覚から3年に該当していると思われる。この場合は現行法通り慰謝料請求権がなくなるので、ド素人ケース(略称)では、どちらの子供も上記同様、慰謝料を介在せず均等の相続権を得る形になる。「発覚3年後」は泣き寝入りなのは、現行法でも男女逆の場合でも同じ。
一方「妻の托卵に夫が妻の死後気付いた」場合は、間男の身元が分かっていれば夫の浮気同様にすれば良いと思うが、相手がどこの誰だかわからないケースがあるのがネックか。
いずれにせよ間男が死亡していたり、間男の身元が不明で慰謝料請求できない場合は、ド素人ケースだと夫または夫の血を引く子が間男の子に慰謝料請求権を得る事になるので、よっぽど家族間の仲に問題が無い限りは「話し合った上で慰謝料1円にて決着」てのが落としどころではないかと思う。
※追々記※
細々ブコメ頂きありがとうございます。法律全然知らない物でブコメ頂いたり自分でググるたびに目から鱗が落っこちます。
まず「認知」について根本的に自分がド忘れしているアホだったせいで、追記の「托卵のケース」にかなり出鱈目が書いてあると思われます。妻の托卵を夫が妻の死後まで知らなかった場合、その時点で間男の子は嫡出子の扱いを受けてることになりますね。親子関係不存在確認の訴えの縛りを現行法からかなりゆるくしないと、そもそも托卵の子を非嫡出子とすること自体が(DNA鑑定で親子関係不存在の証明が出来ても)不可能ってことになる。
でもって第二の自分的ショックですが、認知という行為は別段配偶者や他の嫡出子の許可を必要としないため、定期的に役所へ行って夫や父親の戸籍を確認しておかない限り、隠し子を隠れて認知されていても正妻サイドの家族にはわからないようです。「父親の葬式に隠し子がやって来て(略」ってのは、要するに子作りのみならず認知まで奥さん子供に隠れてやってたせいでそういうことが起きちゃったってことなんですね。うへえ。
なんというか日頃頭を使わないのでいい勉強をさせて頂きましたが、嫁に托卵される男性も亭主に隠し子を作られる女性も、こりゃたいへんなことだなあと調べれば調べるほど暗澹たる気持ちにさせられます。