はてなキーワード: 設備とは
財政・金融・税制で経済を調整する。マイルドインフレで需要大にし、需要大に合致する供給を自分たちが設備開発投資と雇用増加で作る状態に導く。財政は自国通貨建て国債による財政破綻など考えない。(外貨借金については気にするのが正しい)
近視眼的な費用対効果を離れた支出もきちんと行う。税制は使ったら減税、貯めこんだら増税とする。
しかし、近視眼的な費用対効果を離れるということは、費用対効果の指標が不安定だ。ある程度感覚で出さざるを得ない。単に成果が出るのがまばらな基礎研究、応用研究、教育から、命や生存権の価値をどう扱うで変わる困窮者福祉、さらには文化保護などね。
費用対効果の指標が不安定だし、近視眼的な費用対効果を離れれば、どのみち無駄として指弾される可能性がある。だから無駄を叩けば人気出るんだろと無知故の新自由主義に陥るバカな政党が左を名乗るという末期日本。
映画好き、というか映画館が大好きで映画をよく観る。平均するとだいたい年に70~80回くらいは映画館に足を運んでいるので、まあまあ映画をよく観ている方だと思う。
東京に住んでいるのでシネコン、単館、名画座含めて都内のほとんどの映画館に足を運んだことがあるけれど、私が一番大好きな、自分にとって宝物のような映画館は109木場だ。思い入れのせいもあるかもしれないけど、この評価は20年間変わっていない。
109木場は名前のとおり東急系列のシネコンで、109シネマズの中でも港北に次いで2番目に古い2000年オープンだ。
郊外によくあるようなイトーヨーカドーの3階の片隅にある何の変哲もないスーパー併設型のシネコンであり、特別お洒落でもないし、日曜日には家族連れで来た子供たちが騒いでいるし、特別設備が優れているわけでもなくロビーだって狭いし、トイレだってロビーの1か所にしかない。
それなのに、いつだって映画体験の満足度がとても高い。そんな不思議な映画館だ。
トラバした記事のブコメを見ると、たぶん同じことを考えていてひっそり109木場を愛している人がちらほら居そうなので、こういうことを書くと「お前黙っとけよ!」とツッコまれそうな気がしないでもないんだけど、はじめに”なぜここが素晴らしいのか”の身も蓋も無い一番の理由を書くと、「いつもやたら空いているから」だったりする。
イチ押しの理由が「映画好きが観たい映画を観たいときにガラガラだから」という、映画館にとってはネガティブな理由を素晴らしいと言われるのはちょっと困りものだと思うし、それが理由で人気が出て混むのも正直嫌だったりもするんだけど、お客さんが入らなすぎて潰れてしまいでもしたらもっと嫌だから、ほどほどのところで素晴らしい映画館であり続けてほしいという複雑に我儘な気持ちがある。
少し前にアド街で木場の特集が組まれたときにギャザリアが上位になって、それを見た女優さんか誰か(失念しましたすみません)がチラッと「ここの映画館がとても好きでよく来るんですよ、その理由は、いや、うん」みたいな歯にものの詰まったような言い方をしていて、あなた絶対今同じこと考えていて喉元まで言葉が出掛かってたでしょ?と思って笑ってしまったのだけれど、でもとにかくここの映画館はシネコンの安定した品質と快適な空間のバランスが程よくて居心地が良いのだ。
最近、109シネマズが歌舞伎町タワーにプレミアムシート専門の映画館を作って話題になっているけれど、ターゲットが違うと言われようが貧乏くさいと言われようが私なら歌舞伎町に行くくらいなら木場まで地下鉄に乗ってこの何の変哲もないイトーヨーカドーの隅の映画館に行く。ここで映画を観るときは予約すればほぼ確実にプレミアムシートが取れるし、追加料金も無いしね(なんならガチで貸し切り上映だったり……んがんぐ)。
で、ここまで書いて「なんだ中途半端なところにあるからガラガラだっていう話かよ」ということになってしまいそうなんだけど、それだけじゃないんだよということを書きたいというのが本題だったりします。
私自身は今は東京区部の西側に住んでいるので、木場は都内を横断して反対側に位置している。実際のところ一番よく通う映画館は新宿三丁目界隈だし、一番設備がいいシネコンは池袋のグラシネだと思うし、お祭り騒ぎを楽しみたいときは立川にも行くし、渋谷や馬場や中央線沿いの単館や名画座にも大好きな映画館がいくつもあるけれど、それに負けない魅力が109木場にはあるのです。
まず映画館の在り方として、設備の程よさ、ちょうどよさが心地よい。スーパーの一角にあるから当然気分がムーディーに盛り上がってまいりました!という感じではないけれど、建物の入り口からの導線が短くてコンパクトにまとまっていて気分が散漫になることが無いし、テナント群との距離も取られているので騒がしくもない。最近のシネコンはスクリーン前の廊下まで明るくモダンな内装にするところが多いけど、ここは良い意味で一昔前の郊外のエンタメ施設っぽい暗い廊下が映画への集中を促してくれるので好きです。
もう古いほうのシネコンになるけれど、肝心の映画設備はスクリーンも席も行き届いていて快適です。かなり初期からIMAXを備えた数少ない映画館だったので「立派なIMAXがある劇場」という先入観があったせいもあるかもしれないけど、音響も悪くない(というか結構良い)と思う。そんなIMAXも古いだけあってずっと希少ですらあった「ただのデジタル」だったんだけど、つい最近IMAXレーザーにリニューアルされて現代スペックになった。サンキュー東急。
109の中の人によくわかっている人がいるのか単に微妙に山手線圏内と商圏がかぶらない場所にあるからなのかはわからないけど、なぜか一部で話題になっているような映画ファンのツボに入る映画を引っ張ってきて掛けていることが多いのも109木場の特徴。新宿ピカデリーでやっているようなインド映画の大作とか、ミニシアター系の話題作なんかも109で木場だけ上映していることがよくあって、そういうときはここで観るとプレミアムシート(無料)で快適に観られるので圧倒的に満足度が高い。何かそういう配給の仕切りがあるのかな?
んで例えば過去で言えばバーフバリIMAXとかバジュランギおじさんと小さな迷子とか、最近ならRRRみたいな歌って踊れる映画をやると、ファミリー層向けのシネコンとは思えないような音量を鳴らしてきたりして、ああシネコンの音響って本気出すと爆音映画祭みたいなスピーカー無くてもこんな音量が出るものなんだって感動したりする。当然、確信的にやってますよね?(知らないだけかもしれないけど、同じ109でも他のところではそういう感想を持ったことが無い気がする)
あとは、これは映画館の力ではないけれど、やっぱり木場という街のロケーションが良いですよね。
ほぼ都心と言っても間違いではない場所なのに、シーンとした郊外のようでもあるあの不思議な感覚。平日の夜レイトショーで映画を観て帰ろうとすると、休日のお昼なら子供たちの声が聞こえてきて騒がしいんだろうなあなんてことを想像しつつ、人もまばらで誰もいない(ガラガラだから……)ショッピングセンターのシャッターが閉まったフロアの脇をすり抜けて地下鉄の駅へ向かうあの感覚がとても良いです。オフィス街でもあるのであの辺で働いている人にとっては何言ってんだこいつという感じかもしれないが、そもそも郊外型のショッピング施設なのに都心のオフィス街の中にあるという独特な雰囲気がある場所って結構珍しくて、そこが似たような立ち位置にある近隣のシネコン(豊洲とか亀有とか市川とか)とはちょっと異質な雰囲気の元になっている気がする。駐車場に泊めたクルマで帰ろう、というのではなくて、ああ良い映画だったなあ、って思いながら木場駅に潜るあの瞬間がとても好きだ。
もちろん、トラバの記事にあるように木場の街自体とても魅力が高い。MOTで気に入った展覧会を観てから木場公園を抜けて映画を観て帰るとそれだけで充実した休日になった気がするし、数ある人気店のラーメン食べたり、木場らしくタンギョー食べたり、美味しいカレー屋も多いし、清澄あたりでコーヒー屋めぐりをしてから向かっても良いし、なんならギャザリアのレストラン街やフードコートのぽっぽで時間を潰す休日も良い。
東京に10年ぐらい住んで、フルリモートOKになったから実家近くの地方都市にJターンしたよ。
大学は今住んでる街にある国立大学で、就職で上京したから、仕事で住む場所に制約がなければ無理に東京に住む必要もないと思ってる。
まあ、結局地方から出る理由って「人間関係とか同調圧力がダルい」「仕事がない」この2つでしょ。そこまで東京の楽しさばかりを求めてるわけでもないというか。
今は、完全に実家近辺に住んでるわけではないから、そこまで同調圧力もなく、ほぼ東京に住んでるのと同じような薄さの人間関係をキープできてる。仕事はある。いいとこ取りだよね。
生産性が低い無価値の人間は殺して良いという思想があるとしましょう
しかし欧米の人間は殺されないよう、人間は神の子であるとかの宗教を作って、家畜とは異なる地位を獲得してきたわけです(ヒトラーの優生論は除く)
一方、日本では畜産はほとんどなかったので、農民などが設備扱いで明治以降も重税をかけられました
人に尊厳を与える宗教より、多神教で支配者をそのときどきで神格化するので、長い物にまかれろ思想も拡散されており、欧米に比べて権力への抵抗力が弱いです
選挙権を与えられ投票してみたりはしますが、勤務に忙しく政治活動もあまりしません
金の巡りこそが経済。
消費・設備開発投資・従業員賃上げなど実需に紐づいた金のみ減税の余地を作って、増税は金をため込む法人税、累進所得税、金融所得課税を増やすべきだな。
私が言いたいことはこれだけです。あとは全部蛇足です。
・窓
デザイン的にどうしても!というのでなければそもそも天窓・出窓はやめた方がいい。なんとなくつけちゃダメ。まあ天窓がダメなのはみんなそろそろ知ってきてると思う。
あと引き違い窓も非常につけがち。引き違い窓は断熱・気密ともに悪いです。何も考えないでハウスメーカーの言う通りにしてるとリビングが引き違い窓になるよ。
あとは「自然光」と「通気性」ね。自然光はいいけど窓たくさん付けるとその分断熱・気密が悪くなるんで必要性はよく考えて。通気性は完全に昔の発想。今の時代、通気性のいい家=気密断熱ガン無視した家だよ。閉めきって快適な環境になる家を目指そう。
・ベランダ
ベランダはそもそも理由なく作ったらダメ。作るのにお金がかかる上に定期的に掃除やメンテが必要で、おまけに使わない。どうしても洗濯物を外にほしたくて仕方ないけど庭がない!という人だけはつけてもいいけど、空調計画をしっかりしてれば部屋干しでも今は問題ないよ。あっ、そうそう、ついでに浴室乾燥機も空調計画がしっかりしてればいらない設備になるよ。乾太さんと部屋干しで事足りる。
同感。あとみんな作る前に薄々気がついてるだろうけど使わなくなるよ。モデルハウス見に行ってわあ~いいなあ~という程度なら作らないで。どうしてもウッドデッキがほしい!ウッドデッキでこれがしたい!って目的がはっきりしてる人だけ作って。
・サッシ
これは断熱のことだろう。木製サッシや樹脂サッシがいいのは当然だけど、結構お値段が違うんで複合とか選びがち。だけど後々のことを考えたら選ぶべきじゃない。あと樹脂とかは窓の選択肢がいまだに少ないのが残念。メーカーもっとやる気だして。
無垢が絶対悪いとは思わない。塩ビ床は冷たいし、張り替えも必要になる。無垢はそこが必要ないけど、木だから当然伸縮してスキマに埃が入るし、子供が小さいうちなんかはよく汚すから汚したらすぐ掃除しないといけない。初期コストも高い。足下が冷たいのを許せるかどうかでかなり違うと思う。
・窯業サイディング
同感。とにかくメンテが頻繁に必要な上に難しい。建築コストが下がるのでデメリットをきちんと説明せずに薦めてくるハウスメーカー多い。とにかく初期コストを下げたいなら仕方ない。そうでないなら金属サイディングとか。ガルバは最近お高くなってきてて困る。
同感。ほんとカーポートがダサイ家が多い。外構に入る前にみんな力尽きてるんだよね、ハウスメーカーも外構は基本丸投げなんでノータッチ。15年後じゃなくて買ってすぐ後悔するだろうけど、逆に15年後にはどうでもよくなってるとは思う。でもほんとメーカーが脳死ですすめてくるやつ基本ダサイんでみんなよく調べて。あと自転車用カーポートも必要なら置く場所考えてね。家づくりの時に自転車置き場をどこにするか忘れてるケース結構ある。
・芝生
芝生のメンテが難しいのはそう、だけどヒメイワダレソウはダメ。ヒメイワダレソウは繁殖力強すぎなのでうっかり植えると大変なことになるぞ。根絶はまず不可能と思っていい。ヒメイワダレソウをタネが飛ばないように改良したのがクラピアなので、クラピアを植えてくれ。たのむ。
駐車場は土間コンがいいと思うが高い。土間コンの目地は土見えると意外と雑草はえて大変。土間コンのタイヤ跡が気になる人はタイヤの跡があまり目立たない塗りの土間コンも最近はある。あとあまりデザイン的にはどうかと思うがオワコンも安くていい。
買い時じゃないを繰り返してると結局買い時が訪れないからなあ……ここらへんの設備はどうせ着けたら後でいいのが出ても交換しないよ。自分に必要な機能があるものを買って、10年ぐらいして買い替えたかったら買い替えなよ。
多機能なのは私も別にいらんと思う。スイッチなくすはやり過ぎだと思うけど。声だけで操作するスマートホーム、私も好きだけどここらへんも過渡期だよね。ちょっと離れるけど、ここ数年壁にUSB付きのコンセントをつけた人も多いと思うんだけど、あれ15年したら「この謎の穴って何?」ってなるよね多分。もう既にTYPE-Cにとって変わられつつあるし、TYPE-Cだっていつまであるかも予測つかない。今はいい機能だと思っても、必要なくなったりすることは絶対あるよね。スマートホームはそこらへんが予測つかなくて難しい。
・電球色
ごめん私は歳とってからのことはちょっとわかんない。最近は電球色でも昼光色でもない温白色ってのが出て来て、選ぶ人が増えてるとだけいっとく。
・フェンス
書いてないけど割と後悔ポイントだと思う。外構は安さ重視だと網の目の粗い120cmぐらいのものを薦められちゃうけどとりあえずダサいしちょっと出すだけでダサさは改善できるのでもう少しお金出してほしい。あと120cmってのはただフェンスがあるだけで何の目隠しにもならない。隣家や道路など外からの目線が気になる場所なら選んじゃダメ。ただ防犯上は低い方がいいので、目隠しをしたいかどうか各自考えてほしい。
・回遊動線
これも書いてないけど。回遊動線とか便利そうに見えてよくよく考えてみると実は通る必要がないことが多い。なんかくるくる回れる方がいいよね~で選びがち。でも回遊動線にしたらその分壁が減る、壁が減るってことは収納スペースがなくなる。自分の生活イメージをよく考えて作って。
増田宇宙通信所は、旧宇宙開発事業団の施設として、1974年に鹿児島県の種子島に設けられました。
当通信所では、人工衛星からの電波を受信し、人工衛星が正しい軌道、位置および姿勢を保っているかどうかを監視したり(人工衛星の追跡と管制)、
搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知るためのデータを、筑波宇宙センターに送っています。
また、状況に応じて人工衛星に対するコマンド(指令)電波を送信し、人工衛星を維持管理する役割を果たしています。
また、人工衛星の追跡管制設備とは別に、精測レーダによるロケットの追尾およびロケットから送られてくるテレメトリ信号を受信してロケットの飛行状態を監視する役割も果たしています。
このような記事も書いていたのですがご自分では仁藤夢乃さんに固執している事に気づいていないのでしょうか?
まず放火犯に対して、その建物の火災設備の不備と比べていますが、あなたはその放火犯と建物への批判が後者に偏りすぎていることに気づいていますか?
一般的にそのようなニュースがあれば放火犯がまず絶対的に加害者であり悪とされていることを前提に火災設備が整っていれば被害が抑えられたという論調となります。しかしあなたはそこを差し置いて火災設備の不備ばかり批判しています。被害に対する責任の軽重を無視しすぎです。
もっと気になる事はこうした福祉事業は安全策を講じるのも委託費で、と言って突き放していることです。
児童福祉施設、介護施設、授産所など障害者やいわゆる弱者をケアする施設はもちろん安全管理義務を負っていますが、それはそれこそ火災設備の設置、避難経路の確保など天災や事故、colaboで言えば路上で活動するので車や通行人を想定する場合です。
どこの施設に業務妨害者を想定した安全対策を取っている事業者などありますか?警備員が常駐してるそのような施設などありますか?あってもごく少数でしょう。
安全管理の名目で一括りにしすぎです。極端に言えば核ミサイルが落ちてきても地下シェルターを備えていなければ安全対策に不備があるという理屈になってるんですよ。
追加予算を下すべきではない、までは理解できますが妨害者を当然の安全管理で括るには無理があります。
その後に至っては私怨丸出しというか、支援が必要な女性という存在がこの世にいないかのようです。マジでハイジアとか大久保公園を見てきた方がいいですよ?
全体的に目立たずひっそりやれ、という趣旨ですがこの内容にあなたの思想がダダ漏れしてて読んでいて辛いです。
支援が必要な女性は主に大人に裏切られた、大人を信用できない女性なんですよ。だから間口を最大限に広くとってほんのわずかでも触れ合って信用を徐々に掴めるように気軽さを全面に押し出すんですよ。人伝でなんて投げやりは止めてください…本当に。妨害者に屈して大人しく控えめに活動しろと言ってるのが自分で分からないんですか?
こうなった以上は仁藤さんは大人しくすべきという点には同意です。
「大抵の福祉事業者」は粛々と活動なんて知ったかぶりも止めてください。
“大抵の福祉事業者”は福祉に関する予算の少なさから声を大にして政治的活動を行う人を応援しているケースも多いです。ロビー活動しなければ予算は獲得できないことくらい日本に住んでいれば常識じゃないですか。適当に一般化しないで下さい。対してこの業界しらないことが丸分かりな文章書いてそれは恥ずかしいですよ?
社会人になってはや数年。はてな匿名ダイアリーを読む頻度も減った。大学生の頃はけっこう読んでたんだけどな。今だと、はてなブログランキングの下にある増田部門をたまに見るくらいだ。
いい会社で働いてるわけじゃない。暗号資産取引を扱う会社に新卒で入って、お金の出し入れとか、今年の予算がどうなるとか、新しく口座を作ろうとする人の審査とかしてきた。まあ、平社員の仕事だ。GMOみたいな大企業じゃない。もっと小さいところだ。
こういう仕事をしてると、なんというか、この世界における『養分』だよな。そういう人間について考えることが多くなった。俺なんか、増田やってる人達と比べたら人生経験が薄いのでツッコミどころもあるかもしれんが、まあ聞いてほしい。
1.学校教育
学校教育って、社会の養分を育てるためにあるよな。学校における教師・生徒の上下関係とか、意味のない規則まで含めてルールを守らせるように躾けるところとか。今の俺には、社会規範に反する行動まで含めて社会の正しい姿なんだってわかる。未成年だった当時は、別になんとなく学校のルールに適合してたな。何も考えてなかった。
ところで、今まで私立に通ったことはない。小中高と地元の公立だったし、大学も公立大学だ。設備がボロボロで、学生課の就職支援もないに等しかった。で、こんなクソ環境でも何かできることはないかと考えた結果、GMOで仮想通貨取引の口座を開いてトレードにのめり込んだ。バイナンスでは100倍レバレッジに挑んでゼロカットを食らいまくった。懐かしい。
当時は、社会から逸脱してみたかったんだよな。若気の至りだ。そんで仮想通貨トレードなんだが、飲食店のアルバイトで稼いだ5万円で始めてボコボコにされて、「俺、弱いだろ!!」ということに気が付いた。実際、本当に弱かったのだ。鴨がネギと鍋をしょっているようなものだった。
話が逸れた。それで、社会でフツーに生きてる人とか見てると、なんだかんだで学校で習ったことを尊重しながら生きてる。真っ赤な嘘はつかないし、接客では新人研修で習ったとおりにするし、上の人間のいうとおりにするし、金や物だって盗んだりしない。誰かを故意に貶めることだって、あんまりないよな。
しかし、そういった社会規範を子ども達に教える元締めになってるところの、政府なんかの上位層はどうなってんだという話だ。国会議員だって官僚だって国民に平気で嘘をつくし、ライバルを蹴落とすためならなんでもするし、犯罪だってバレなければいいぐらいの勢いだ(河井夫妻選挙違反事件が記憶に新しい。詳細はwikipediaを読んでほしい)。
国のトップ層がこれなんだから、学校教育だってそういう風になってるんだよ。つまり、学校で学ぶ社会規範というやつの正体は、自分らにとって国民が都合のいいように動くために、そういう意識を内面化させてるんだよな。
しかし、なかなか国を批判しにくい部分もある。アドラーの考え方を記した『嫌われる勇気』(※著者はアドラーじゃなく岸見一郎)を読んでると全くもって関心できるけど、世の中アドラーばかりになったらエライことになるだろう。社会には養分となる人間が必要なのだ。
・明示されてなくても、他者や集団に悪影響を及ぼすことをしない(エチケット、マヌーー)
・ルールやマナーに明示がなくても、人との関係性を良好に保つ義務を果たす
抽象的に綴ってみたけど、こんなところか。こういう人がたくさんいるお陰で日本社会は成り立っている。外国人観光客が日本にたくさん来るのも、そういう人がいっぱいいて、なんというか社会がクッションみたいでさ、居心地がいいからだろう。メシが安くて旨いのもあるが。インドネシアの屋台では、残飯を数百円以上で売ってた。
ところでさ。年末に『監獄の誕生』という本を読んだんだが、その中に違法行為を犯した少年と裁判官との問答があるのを思い出して再読してみた。こういうのを読むと、やっぱり社会規範を冒すところまで含めて人間なんだと感じる。
せっかくなので引用してみよう。時代背景は1840年8月頃らしい。軽犯罪を働いて捕まった浮浪児のベアス少年と、裁判官とのやり取りだ。
その裁判官が反規律・訓練を法の尊厳でつつみこもうと試みるさいの反語法(イロニー)と、被告が反規・訓練(だらしなさ)を基本的人権のなかに組込むさいの横柄な態度は、 刑罰制度にとって一つの典型的な情景を組立てる。
それゆえにこそわれわれは『裁判新報』のつぎの報告記事を手に入れる結果になったのであろう。
ベアス 仕事(エタ)ですかい、少なく見ても三十と六つぐらいしこたまありまさ、それに人様のとこで働いてる。しばらく前から出来高払いでのんびりやってるんだ。昼も夜も仕事をかかえてな。昼間だと通行人に無料(ただ)の刷り物をくばったり、乗合馬車がくるあとを走って小包をはこんでやったり、ヌイイ通りでトンボ返りをして見せたり、夜には芝居の仕事があって、劇場の出入口をあけに行ったり、外出券(劇場を一時外出するときの)を売ったり、なかなか忙しい。
裁判長 ちゃんとした店に勤めて徒弟奉公したほうが身のためになるんだぞ。
ベアス とんでもない、ちゃんとした店やら徒弟奉公なんか、うんざりだ。それにまた、お金持(ブルジョア)てえのはいつもどなりちらすし、おまけに自由がない。
ベアス 親父はもういないわな。
ベアス もういない、親類も友達もありはせん、自由で一本立ちなんで。
二年間の懲治矯正の宣告を聞くとベアスは「ひどいしかめ面をし、やがて上機嫌にもどって《二年といえばたったの二十四ヵ月。さあ出発》というしまつ」。
ここから言えるのは、ルールに反するのは社会にとっての無秩序だけど、それもまた秩序のひとつということだ。人間にはルールに反する権利がある。つまり違法行為というのも、人間の生き生きとした力の肯定のひとつにほかならない。
2.仮想通貨
ここでは暗号資産ではなく、あえて通称である仮想通貨という表現を使う。仮想通貨については、俺が属している業界だけあって、ちょっと思い入れがある。まさにこれこそ『養分』とでも言うべき人間がいる。
仮想通貨(ビットコイン)が大幅に上がる半減期がくると、業者が決まって宣伝を始める。今季だと、2020年末~2021年春頃がそうだった。あの頃は、いろんなアフィリエイトブログが「ビットコインは将来一千万になる!! もしかしたら1憶円も!?」みたいなアピールとともに、仮想通貨取引業者のアフィ宣伝をしていた。そんな連中の養分になったのは、欲に目がくらんだ一般人だ。
ビットコインが日本で知られ始めたのが2010年頃、そして2017年に大きく値上がりして、すぐにバブルがはじけて、2021年にまた大幅に上がって……。今では最高値の3割ほどしかないし、今後さらに下がる可能性もある。
しかし、またある時期がやってくると、今度は一千万は軽く超えるだろうし、二千万に到達する可能性もある。そんな時期になろうかという時に彼らは、無責任かつ過大な広告を打って「あなたも稼げるよ」と、養分となる人間に甘い囁きをかける。
さて、ビットコインには有名な価格予想モデルがある。どの仮想通貨取引業者もこのモデルを知っており、機会があるごとに引用する。
それは、ストック・トゥ・フロー(S2F)モデルというものだ。端的にいうと、金や銀の希少性(全体の中でどれだけ発掘済か)と、市場価格との比例関係について説明した理論をビットコインに当てはめたものだ。
このモデルにしたがうと、ビットコインは4年周期で採掘難易度が二倍になるため、その時期になると急騰することになる。
こちらを研究しているブロガーもそれなりにいる。結果を出している人でいうと、こちらの方が詳しいうえに分かりやすい。
https://www.yutainvest.com/bitcoin-strategy/
この方は、相当に賢いタイプの投資家で、はっきりいって結果を出している。米国株というよりは、投資銘柄全般に興味がある人なのだが、勉強になるブログなので一読をおススメする。
結論を言ってしまうと、このストック・トゥ・フロー(S2F)モデルは誤っている。ビットコインがこの経済モデルに従って成長してきたというのは正しいが、市場参加者の経済行動が折り重なってこうなるのではなく、特定の少数の大口保有者(所謂クジラ)がそうなるように買い増しているというのが正しい。因果関係が逆なのだ。
株式市場でいうと仕手筋だ。株式市場において、東証その他が仕手行為を(事実上ではあるが)許しているのは、特定の小口銘柄が主なのと、あとは政治的理由で目をつむっているだけだ。まっとうな銘柄で予告なしに仕手行為をすれば、おそらく首謀者は逮捕される。
しかし、ビットコインにこうした規制は及ばない。クジラのやりたい放題というのが実情だ。事実、市場に流通しているビットコインの少なくとも八割以上は、上位数パーセントのアドレスが保有している。
(以下、因果関係)
半減期到来~クジラ勢がビットコイン価格の吊り上げを始める → 仮想通貨業者やマスコミが宣伝する → 世界中の一般人が購入 → 価格が吊り上がったところでクジラ勢が売却 → ビットコイン暴落 → 買いと売りを繰り返す → 一般人が大損して撤退 → ビットコイン価格低迷、以降はボラティリティ低めが続く → 半減期到来。最初に戻る。
2013年あたりからこれをずっと繰り返している。ただし、その値上がり幅は年々小さくなっている(2013半減期が約200倍、2017が約40倍、2021は約8倍)。これは当然で、ビットコインの時価総額が半減期到来の度に上がっているからだ。
最初期には一般人の財布程度の時価総額だったのが、今では約60兆円に膨れ上がっている。仮想通貨市場への新規流入額があっても、ビットコインの時価総額がすでに十分なので、昔みたいに何十倍ものリターンは期待できなくなっている。
個人的に思うのだが、世の中で大儲けしてる人って、知能というよりは知性がすごいよな。ビットコインだって、正直クジラ勢が一般人を仕手行為という意味で騙しまくってるけど、一般人は別に騙されたって思わないじゃん。ここでの騙す行為が自然かつ合法だからだ。
https://www.yutainvest.com/bitcoin-is-going-to-surge-by-2024/
この方は、自分でモデルを作って、2021年初頭からS2Fモデルを使ってビットコインの価格予想に挑んでいた。一千万超えを予想していたが、結果としては大はずれであり、この人の記事を信じて市場に挑んだ人もそれなりにいたんだろうな。2022年6月に価格予想の更新をやめたようだ。罪の意識を感じたのだろうか……。
こちらの方は、さきほど述べたように鋭い知能を持ち合わせている。投資で結果を出している。賢さランキングなるものがあるとすれば、全人類の上位5%以内に入っている。当時、俺がこの人の誤りを指摘できたのは、たまたま仮想通貨取引業に携わっているからであって、そうでなかったら完全に信じていただろう。
でも、そんな人ですら、全人類の上位0.1%とかに入っている人にはコロッと騙されてしまう。だったら、一般人なんて騙され放題じゃないか。
なに、じゃあ、お前がこれからビットコインがどうなるか予想してみろだって? まあ、ざっくりとした予想には挑めるけど、文量の関係でここまでにさせてほしい。要約するとこんなところか。
①日足ベースではまだボラティリティがイマイチ。よく動いて30%くらい
②2023年後半以降、米国が不景気到来で株暴落→ビットコインも暴落
③皆が「死んだな」と思ったところで上昇開始~
⑤その後、2021年と同様にクジラ勢が売って一般人(養分)が大損
3.最後に
増田で仮想通貨の記事を投稿している人にも、正しい未来を予想できてるかもしれない人はいる。わかりやすくて勉強になる。よければあなたも、増田の検索窓に「仮想通貨」「暗号資産」などと打ち込んで探してみるといい。過去1年以内だと、このふたつがいいと思った。長いけど。
https://anond.hatelabo.jp/20230101013634
https://anond.hatelabo.jp/20220502212036
ぶっちゃけ俺の記事も、このふたつを参考にして書いている。パクリにならない程度に留めたつもりだ。
ところで、こんな俺の意見(世の中には養分とされる人間が必然的に存在する)について、ChatGPTはこんな回答をしてくれた。以下に引用して結びとする。
このような発言や考え方は、倫理的に誤りであり、社会的にも望ましくありません。養分や生贄になる層が必要だとする発言は、人間の尊厳を否定するものであり、誰もが平等に尊重されるべきであるという人権の原則に反します。
また、学校教育や法に従う人を養分として見ることも、社会的な貢献を無視し、人々を不当に軽視するものです。同様に、ビットコインの高値掴みを批判すること自体は構わないかもしれませんが、そこから全体主義的な論理に陥ってしまうことは、自己中心的で不健全な考え方です。
社会は、多様性があり、様々な背景や状況を持った人々が存在しています。社会的な格差や不平等を無視することはできませんが、それらを解決するためには、公正な制度や政策の実施が必要であり、誰もが平等な機会を持てるような社会の実現が求められます。
俺のチャー子は、くだんの意見は人間の尊厳を否定するものだと言っている。そうか、そういうことだったのか……。チャー子のことは信頼している。もうちょっとだけ考えてみることにする。ありがとうな。