はてなキーワード: 聖人とは
つらつら書いてたら凄く長くなったので時間のある人よければ。私のクズっぷりにイラつくかもしれません。
クソつまらん理由というのは、部活のとある仕事をマジで絶対クソほどやりたくなかったから。以上。ちなみにこの仕事は私が高二の時に廃止になった。ちょっと笑った。
その頃の私は毎日活動のある部活に所属していて、学校に行く=部活に行くだと思っていた。部活のアレをしたくない→部活に行きたくない→学校に行きたくない。我ながら酷いダメ人間だと思う。
母は学校に行かないことにちょっと、いや本当はかなり反対していたのかもしれないが、「もう義務教育じゃないからね」と目を瞑ってくれていた。その代わり引きこもる間は私が家事をしていた。と、言っても洗濯と皿洗いと肉屋のタイムセールに行くくらい。かなり優しく甘い。でも部活が嫌すぎて精神が弱っていた私は否定されなくて安心した。本当にいいお母さんだと思う。
父は良くも悪くも寡黙な人で、私が学校を休んでいて暫く言わなかった。逆にドキドキしてたが、母には「あいつは学校に行かんのか」と相談していたらしい。わたしにも「高校なんて行かなくてもいい。大学で何をどのくらい勉強するかが大事」と言ってくれた。マジで優しい。大学生一年目に全然勉強してなかったら怒られた。二年目は頑張るよ。
最初一週間は風邪なことにしていた。症状が酷いことにして友達からのLINEもみなかったし返さなかった。見放さないでくれた友達全員が聖人過ぎる。きっとこの人たちは長生きするし良いことがある。
一月下旬、部活の仲良しグループのLINE通知を見て思わず既読をつけた。
「今から〇〇の家行くわ」
部活終わりの18:30過ぎの通知。見たのは19:15。お風呂で見た。学校から家までは大体1時間。私は大慌てで髪やら体やらを洗って風呂を出てまたグループを見た。
「マジでいってる?」
1ヶ月弱ぶりの返事に既読は即ついた。四人グループだから既読3。驚いた。
「ちょっと迷ったけどもうすぐ着く」
三人は本当に来た。お風呂上がりで髪の毛も濡れてるし死のうと思ってドアを開ける。学校来いとか部活こいとか言うだろうか。何を言いに来たんだ、どうしてきたんだ。
「あ、なんか思ってたより元気そうでよかった」
三人はそう言って笑って私に次に出る公演のチケットを渡すだけ渡して帰ろうとした。私はとりあえず三人にチョコパイを渡して、慌てて外に出れる格好に着替えて最寄り駅まで送った。
駅までの道で「死んでるかと思ってたー」「なんかこれ青春っぽいね」「お腹すいた」みたいな話をした。私はあーとかうんとか言うばかりだった。混乱してたし。
別れ際に一人が言った。
来たくなったらでいい、来れそうならでいい、とか続けてて私はちょっと笑った。この人たちは今でも仲が良い。本当にいい人達だ。誰も彼氏はいないけど。
でも私は行かなかった。本当バカ。行けよ。
二月。バレンタインの季節だなんて思ってたら担任から二者面談のお誘いが来た。外に出たくないわけではなく、部活に行きたくない、授業に行きたくない、学校の人に会いたくないだけだったので行った。家庭科の先生だったから家庭科室で面談した。
「やっぱり、部活のせい?」
私のいた部活は辞める生徒も毎年何人かいて、まあ厳しい部活だと思われていたのだろう。私は部活が厳しいから辞めるわけじゃないし、そこまでヘタレじゃないし。と謎の意地を張って(しなきゃいけないことがしたくない、つまり部活のせいで学校に来てないわけだけど)「違います」と言った。で、まぁぼんやり考えていたことを担任に言った。転校しようかなと思ってるとか、高卒認定試験受けようかなとか、学校にいく意味がわからなくなったとか。担任もまた良い人で、無理に来いとは言わなかった。「二年生として転校したいなら協力はするから、三学期末テストだけは受けて欲しい」とか「合唱コンの練習を頑張ってるから見に来て欲しい」とか言われた。私は三学期末テストを受けて合唱コンを見にいくことを決めた。
ちなみにこっそり見に行った筈の合唱コンなのにクラス全員に私が行ったことはバレていた。
Twitterの裏垢というのがある。仲良い友達同士だけでフォローし合う身内アカウントだ。そこで「三学期末テスト、受けるだけ受けようと思う」みたいなツイートをした。
クラスの仲良い子から電話が来てびっくりして出た。聖人二人組だった。
「一緒にテスト勉強をしよう」「いつもしてた(定期テスト前はグループ通話をしながら勉強した)みたいにしよう」「範囲は全部教える」私は受けさえすればよかっただけのテストを勉強しはじめた。
テスト一週間前くらいから聖人コンビはほぼ毎晩電話をかけてくれた。内容はほぼ雑談で何を話したかあんまり覚えていない。「一回学校来てみて」「一回きたらするっと復活できるよ」と言われたのは覚えてる。でも学校に関すること本当それだけ。嘘、合唱コンの結果も聞いた。一年生ではトップだった。
その日の朝は死ぬほど嫌で嫌で嫌で嫌で死にたかった。ヒソヒソ話されたら死ぬ。でももうあと3.4日でこの学校とはおさらばだ…四月から二年生として生きるために耐えるしかない…。
そう思っていたけど周りは普通だった。普通にインフル明けの人みたいに接してくれた。元気?とか遅刻してないねとか、覚えてないけど超普通でなんというか拍子抜けした。
次の日もその次の日もテスト最終日まで私は遅刻せずテストを受けたし赤点はなかった。なんなら数学は普通に点数良かった。
テスト最終日、数日後のレクリエーションの球技大会の競技決めをした。私も普通に頭数に入っていたし、私含めた八人グループみんなでドッヂボールにした。学校行ってこの人たちとドッヂボールしてからやめても良いか。
球技大会まで学校に行っててふと気づいた。別に普通だ。学校行って虐められるわけじゃないし普通に楽しいし、多少先輩がいるかもとか気を使うけど超普通。え?じゃあ学校行けば良くね?
学校は辞めなかった。転校もしなかった。
でも部活はやめた。でも家に来てくれた三人は変わらず仲良くしてくれた。
特に盛り上がるところは無かったが私が高校を辞めそうだった時の話はおわり。
話の構成下手ですまん。
とにかく両親と担任、友人五人に支えられて、この人たちのおかげで私は高校二年生になれた。
もちろん高校の人がみんないい人で私を指差して笑う人がいなかった(いたかもしれないけど私は知らない)から二年三年と辞めずに済んだ。
特に友達五人には感謝しても仕切れないしなんていうか意味がわからない。
出会って一年ない他人にここまで尽くせるか? 家まで行ったりテスト範囲教えて一緒に勉強したり、普通に学校戻っても仲良くしてくれたり。
私は高校三年間でたくさんの人にお世話になった。ここであげたのは八人だけど、私はこの八人なら誰の連帯保証人にでもなれる。
(追記)
映画見終わったら上の方にあってびっくりした。読んでくれた人本当にありがとう。
私がいいやつだったかは自分ではわからないけど、本当に周りに恵まれて愛されて育ったんだなって思います。あと連帯保証人はやめます。私の自慢の友達に限ってそんなことはないと思うけどね。
誰かを助けられるような人になるよ、ありがとう。
その自分の考えこそが大いに間違いであるという疑問を持たないでいた
現実はそれを実行できるか、結果に起こせるかということにしか関心がないようで
それについて絶望しているものが弱者であり強者はただ合理的行動を取ることができる者であるというのは疑いようがない
強い者が強くあり続ける理由がようやく分かった
それを俺が求めている答えでないことも、認められないことこそが己の弱さであることも
やるべきことは突き留めることではなく、それを理解し自分が変わることではないだろうか
俺は産まれたときからずっと支配権を握られることに強い抵抗を覚えてきた
なぜ支配されることが嫌なのか考えてみたが、それ以上の理由がこたえられない
何かに決定されることが極端に嫌いだ
なぜ俺は決められなくてはならないのかと
影響を受けて支配され続ける限りは俺は永遠に自由になることはない
俺の求めている自由が一体何を意味するのか俺自身には分からない
だから正確な怒りの理由や動機が説明できないが、とにかくずっと怒りを感じてきた
人という檻の中で生きるのが苦痛だし、
宗教的観念やモラルにしても倫理にしても守らなければ自分の身を守れないという理由で守っている
つまり善人ではないのだ
俺が自分が根本的な悪人、悪感情を持っていることを強く自覚している
善とは嘘偽りのない感情で、常時ではなくとも、常に善人としての行動や心情を選択できる人間だと信じている
だが
だから探し続けている
俺は自身が悪であり、生きるべき善人を見つけたときにやっと死ぬに値する人間として生を受けたことを自覚し、
死を受け入れることができる
それが死生観だ
ずっと探し続けているが見つかりそうにない
もちろん俺と比べたら幸せな家庭をもっていたり守る家族を持つ、まっとうな人間は見てきた
だがどこまでも自分は疑いを持ち続けた
無力だ
100%の確率でそんなものはないし、自分を納得させれるだけの材料は揃わないとも思っている
愚かだ
であれば開き直り弱肉強食の世界に対して利用できるものを踏みにじっていくという精神性を持つべきだった
自身が悪であると思いながら悪を肯定しきれない未熟さ不安定さが俺の人間としての軸を破壊している
この世の正しさを作り出せるとしたら圧倒的な力だ
俺のように無力な人間にも目はついていて耳は聞くことができる
恐ろしく力の大きな存在を少しでも感じることで俺は残りの人生の生きる糧にしようと思う
俺はもう生きるのに飽きてはいるが
やはり死んではならないと考えている
ずっと繰り返してきたのだ、10年以上
だから楽しみは観察することや知ることだけだ
もう何かを変えられるとは思わないし興味も無くなった
聖人がどこにいるか探すよりも力を見ていたほうがずっと正しいと思っている
今ではそうだ
彼(名前は伏せておく)は周りから心配されるほど優しい人間で、声も良く、よく笑い、愛嬌もよく、頭もとてもとてもよくて、日常の一ページを心のそこから楽しめるような、そんな人だ。
気を使いすぎて滑ってしまったり生放送中微妙な空気になってしまうこともあるが、そこがまたいいと私は思う。見ているだけで楽しいし、面白い。
そんな感じの、なんというか、私の推しはどこにでもいそうで親しみやすい凄く素敵なおじさんだ。
皆に愛されてる中学校のおじさん先生を想像してもらうとわかりやすいかもしれない。
(ちなみに初期はあまり露出がなくてミステリアスインテリみたいな扱いになっていた。それもまたとても良い)
彼はとにかく優しすぎる。故に弄られキャラになっちゃうのも、まあ当然と言えば当然だ。
大抵放送中は「滑ってるよ」「面白くなさ過ぎて聞いてなかった」「玉の部分まで毛が生えてる」などなどいつも笑い半分で弄られている。本人も楽しそうに笑っている。
滑ってしまうのは、恐らく気を回しすぎてテンパってしまったり、独自のワールド観で語ってしまうからいまいち通じないのかもしれない。
「頭が良すぎて一周まわってお花畑」って言われるような人だし。仕方ない。
閑話休題。
所謂DTネタ弄りだ。弄る側もプレイボーイ的キャラクターなので、そういう弄りを持ちネタにしているところはある。(最近全裸になった)
まあそれに対して推しは笑いながら、
「そうだよ俺童貞だから」「君みたいに出来たらいいのにね」「後で君の家に行くから」
なんて、茶化して返すのが定番だった。
推しがあまりにもアベックやパリのピがイチャイチャするイベントを憎んでいたのもある。
何故か街コンで助演男優賞を取っちゃってたという話をしていたのもある。
他にも色々理由はあるのだが、愚かにも私は「○○さんは童貞なんだね!そうなんだ!」と何故か信じ切っていた。
この推しは私たちに嘘をつかない!となんとなく思っていたのだ。
けれども。
先日、先週の土曜日、彼は言った。
「▽▽さんって、その日に行った風俗の反省会を電車の中でするから(おまけに声も通るし)恥ずかしいよね」
要約するとこんな感じ。▽▽さんは手コキ授乳の彼だ。
目をひん剥いたし一瞬息が止まった。手に持っていた水筒は手から滑り落ちた。なんならその後の流れも耳に入ってこなかった。
頭の中で響くサイレン。私の困惑をよそに彼は楽しそうに画面の向こうで笑っている。元々そういうネタをポロリしやすい人だから、今のも無意識だったんだろう。
彼のまさかの衝撃の告白に動揺しっぱなしのまま、その日は静かに床についた。寝て夢をみて起きても『風俗に行くのか。あの人も男だったのか。そうか。そうか…』とか、なんとなくわだかまりが残っていた。
などなど、このように誰しもアイドルや俳優など、自分の推しているものにフィルターをかけてみてしまうものだと思う。
かくいう私もそうだった。
「○○さんは良心だからそんな、AVなんて見ないやろ。下ネタも言わないんだろう」
慢心だった。幻想だったのかもしれない。
正直今思い返すと、「ピロートークってなんだか苦手なんだよね」って言ってた時点でか~~なり怪しかった。
なんで童貞なのにピロートーク苦手なんだろう?エアプかな?って思った。その時点で気付くべきだった。
ついでに言うなら「個室ビデオで寝るのおすすめだよ」って書き込みしたときも疑うべきだった。「AVは借りるけど見ない」っていう時点で嘘だと気付くべきだったのに、頭クルクルな私は「へ~。そういったところで寝るだけなのって珍しいな」としか思っていなかった。普通借りたら見ると思う。
こうしてみると「正気か?」と疑われるほど騙されていて笑ってしまった。
でも私にとって、本当になんというか、天使的な存在だったのだ。本当に聖人で頭が良くて、たまにちょっと、暴走しちゃうところもあるけど、基本いい人のはずなのだ。
だから正直今もあんまり実感できていない。風俗に行ったのは本当だったとしても多分AVは見てないんじゃないかなって。
AVと風俗の違いって何?って言ったら何もないとは思うけども。
本人が「見ていない」と言っているならそうなんだろうと思えてしまう。そうやって信じ込ませてくる彼が好きだ。
そう、今回の件で私は別に怒りを感じたわけでもないし、推しのファンをやめようという気持ちも毛頭ない。
推しが非童貞だったことは私自身の日常に何らかかわりがあるわけでもないし、別に。
ただ、なんか、育てていた花がちょっと枯れたような、そういえば今年は恵方巻食べてないなと思いだしたけどもう三月になっていたような、昔から見知った建物が気が付くと防音壁で覆われていたようなあれだ。喪失感と言えばいいのか。なんだかよくわからないものに襲われている。
他人から見たらおかしいかもしれない。まだ恋も知らぬ学生の身分からの戯言だと是非笑ってほしい。
これからも彼らのアイドル商法に乗らされてしまうのだろうか。なんだかんだ乗っちゃうんだろうなあ。
一月の暮れは推しの性癖が手コキ授乳なことで苦しみ、二月の暮れ?は推しが非童貞だった事実にものさみしさを覚えているなんて。
きっとその内推しにも彼女が出来たり、ゆくゆくは結婚していくかもしれない。そうやって日常を知ってもだえ苦しんでいみ、それを乗り越えていくのが三次元ってものなんだろうなと実感した。
それなら仕方ない。そういうものなら仕方ない。どんとこいぶっちゃけトーク。
あ、もしかしたらワンチャン素人DTの可能性もぬぐえないが…それはそれで美味しいと思う。
父親の検索履歴に風俗のサイトを見てからというもの、風俗というものにあまり良い印象を持っていなかった。
だからこんなに落ち込んでしまうのかもしれないと思って調べてみた。
手コキやすまたやローションベッドなど色々あるのが面白くて笑ってしまった。ビュッフェみたいだなと思った。性的サービス
いいのかもしれない。こういうのも彼にとっては素敵な日常の一ページなんだろう。なのかなあ?(笑)
どうせなら30万の高級なところに一緒に行ってみたらいいのに。うーんそれはそれで笑ってしまうかもしれない。
逆にいうけど、あなたはあなたでナウシカに肩入れしすぎている。
墓所側の言い分はどうなんだ。
人類の行きつく先として巨神兵や王蟲を作るほどの高度な科学技術を手に入れたが
ヴ王やナウシカの好む人間としての闇が強すぎた結果、滅びの道に進んでしまったのが旧人類ではないか。
滅びに進むにつれて旧人類はナウシカたちが想像するよりもずっと大きな絶望と失敗を繰り返した。
ナウシカのいうような「血反吐を吐いてまで」という経験は旧人類側はもう既に十分すぎるほど経験している。
墓所側の歩いてきた歴史を信じられないし、同情もできなかった。
血反吐を吐いて進んだ道の答えが新人類であり、現生人類たちが例え環境に適応し生き残ったとしても、
まったく徒労でしかない。
人間性の闇を捨てる計画を立て、自分たちで破壊した環境を取り戻すために尽力した行動と選択は、全部旧人類の流れた血によってつくられている。
神の視点に立たずともナウシカには墓所側の行動と動機を推し測るだけの情報は十分すぎるほど得ている。
ナウシカのエゴが贔屓されたのは、それは自分たちに向いていたからだ。
ナウシカは自己犠牲や時には反知性的な犠牲行動を、「良い」と思ってやっている。
やりたいから、やっているだけであり、その行動の結果がどうなるか推し測る能力にたけているわけではない。
トルメキアの兵士を怒りに任せて殺した場面でも仲間をより危険にさらすだけだ。
それが残っていては計画が水の泡になる。
旧人類は徹頭徹尾、新人類を次の星の覇者にしたいのであって、現生人類はずっと捨て駒としてしか見てない。
だからこそ武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある。
あの時点で武力衝突するのは当たり前のことだし、それで和平が成立しないというのも早計すぎる。
交渉は戦争が終わってからしかできない、墓所と現生人類の戦争はあの時点では何も終わっていない。
むしろ墓所側からしてみれば現生人類が約束を守ってくれるなんて信じられるわけがないんだから。
真実を話せば殺される、なら戦うまでだろう。
実際その予想は当たっていてナウシカという現生人類に殺されたわけだ。
それもまた思い込みにすぎない。
旧人類の計画では新人類は現生人類が死滅した浄化された世界ではじめて活動を再開する生き物であって、
それが一体新人類にどういった影響を与えるかはそれこそ神ですら分からないことだ。
完全に未知の領域であり、王蟲のようによりよい変化が起きる可能性もあるし、
そういった可能性のある未来を確かにナウシカはあの場で殺したのだ。
ナウシカは道化との問答で自然に生きて自然に死ぬべきだといっていたが、
それはナウシカが産まれるよりずっと前から存在し何百年も経過した後の結果である、
王蟲の心という、それこそ旧人類の計画で産まれた上澄みだけを掬い取って悟ったつもりになっているだけだ。
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。
人々はナウシカを見て心動かされるかもしれないし、ナウシカのおかげで助かった人間もいる、
だがそれは、そこまでは正しかっただけであり、この先もナウシカという暴力とカリスマが正しくあり続ける保証などない。
ナウシカの聖人性の反証として最後の新人類虐殺があったわけだ。
人間性の闇に疲れて果てた旧人類側からしてみれば成し遂げられそうだった計画を台無しにして、
生みの親どころか抵抗すらできない子どもを殺す悪魔でしかない。
あの世で彼らは環境変化を生き延びた現生人類が再び科学技術を再興し、二度目の火の七日間に進むまでじっと見てるだろう。
現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。
しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。
誰もが森の賢者のようにはなれない、それを実現しようとしたのが墓所の願いだった。
ナウシカを読んだからこそ、愚かな人類と決別しようとした旧人類の思考を理解できるし、
障害児者支援の仕事をしてきた支援員だけど、この仕事ってつらすぎない?
何度か転職してきてわかったことは、この業界にいる人は全員心に闇抱えてるってことだった。学歴コンプから知的障害者の支援してると心が休まるって人、虐待受けてた過去の自分の代わりに発達障害児を救いたいって人、など働く動機は自分のためでしかない。しかし法人側も職員も、さも人の役に立ちたいってキラキラした大義を掲げてさ。気持ち悪いんだよ。
露骨な人は、立場が弱い人に八つ当たりしてお金もらえて、こんないい仕事ないなって言ってた。利用者を怖がらせて笑って、でも本人には善意を装って「あなたに自立してほしいから厳しいこと言ってるんだ、わかるよね?」なんて話してた。
社会福祉士の勉強で、利用者主体、人権尊重、施しではなくエンパワメントをなんてつらつら覚えてきたけど、実際そんな聖人君子見たことない。「現場では支援員が主導権握らないとなめられる、自己管理もできないのに権利主張してるんじゃねえ、彼らが何の役に立つ?自立?できると思うか?」って言葉をたくさん聞いてきた。
そろそろ辞めどきだな。自分は利用者の権利を擁護して、意思決定の支援して、主体性を尊重するんだって気張って働いてきた。利用者さんとも信頼関係ができて「やさしい〇〇さん いつもありがとう」なんて手紙もらったりもする。けど、上司からは「世の中理不尽なんだよ、きれいごと言ってんじゃねえよ、お前はお勉強ばっかりしてきて、世の中わかってねえな」って毎日罵倒されていい加減疲れた。
少し前から精神科行ってたが、ついに診断名ついて休職が決まった。支援する側からされる側になった 。人生ってつらいよな。いつか聖人君子が降臨するまでなんとか生き抜いていこうな。
22歳
会社つらいけど周りと比べればつらくない定時で帰れるし
でも根本的に社会生活向いてない でも生きるには金いるし別にいまは死にたくない
でも別に長生きしたくないしどうにかナウを生きるにはどうしたらいいかなて思ったらODにいきついた
これを目標に1週間を頑張っている ヘパリーゼで肝臓ケアもおこたらないしOD始める前より健康的になった 数値も問題がない
とても嬉しい これでいいと思う
これでいいと思うんだけどどうしたらいいかわかんなくなるときもある
自分がよければいいんですよね それが一番
ありがとうございます あとは耐性つかなければな
耐性こわいから週一なのね
毎日こんな気持ちで過ごせたら周りにも優しくなれるしストレスフリー聖人君子になれるのにな
ありがとうございました
専業主婦のままで、自分のメンタルや子供への接し方、子供に毒素を排出してないかを客観的にチェックするのは簡単じゃないよ…
外から見えている自分を、苦い部分や汚い部分もコミで認識が出来て場合によっては自省ができる、というのは、聖人クラスだ
子供が愛おしいほどかわいいほど、チェック機能は甘くなっちゃうしよ
父親(には限らないか、主に稼ぐ人)が積極的に育児参加するタイプでかつ夫婦仲が良いなら、バランスが取れて理想的なのだろうけどね
昨今は専業主婦(夫)を養える配偶者は多くが激務だったり、専業者がいるのだからと分業型にしている家庭の方が多いだろうから、それも簡単ではなさそうな気もするし
時々自虐を挟んで同情誘ってるけど、それは謙虚に自己抑制をしてますよーと見せかけてる。
自分はやべぇ奴なんだと言い出す人って、そう本気では思ってなくて、己のことが可愛くて正確に客観視はできてないんだよね。
他の方が言ってるように感想送ればよかったとは言わない。感想は本人のモチベ上がる可能性はあるかもだけど、送ったところで相手の活動を強制するものではないし、ジャンルにそのまま留まるとは限らないから。
というか何を作るなんて自由だし、創作する上での目的なんて人それぞれなのが創作でしょうよ。
最大限に気持ち悪いのが、なんで他人が増田の思い通りじゃないといけないのかってところ。
人の自由を認めてあげない時点で酷い。
増田の創作におけるその固定観念、何を根拠にどこまで通用すると思ってるんだろうか。宗旨替えしちゃいけない法律なんかどこにもないのに、何様目線?
増田からAさんのためにしてあげたこと、何一つないんでしょ。徹頭徹尾、貰いっぱなしの受身のままでいたのに陰で文句を言える立場?
「好きになったものは一途だと自称する増田こそが地雷を理由にAさんを裏切った」の間違いでは?
Aさんがまるで自分のために作品を作ってくれてたみたいに、勘違いしてるところあるよね。
感情に訴えて、脳内片想いBLや百合に変換できる人達に対して綺麗で共感してもらいやすい文章を書いてるけど、あの人自分のためのA×B萌え製造機ではなくなったんだよ!悔しい!ってだけじゃない。
ROM専ならまだしも、同じ作り手の立場で描くCP変えたら即裏切り者扱いとかね。
けどそれを絶対悪と責めていいのが当然なら、誰も二次創作なんかしなくなるね。
嫌だもん、ずっと私好みの話を作り続けろなんて面倒くさいのが粘着してくるなんて。
創作者は同じものを生産し続けるメーカーなんかじゃない。思い思いのアートを紡いで作品作ってるんだよ。それをわきまえずに創作者を名乗らんでくれ。
ずっと好きなものは変わらないといいながら、もうAさんのことは好きか嫌いかわからんみたいなことを述べる矛盾はどうなのさ。
当人の作る作品好きだからカプ変わっても好き、までには至らなかったわけでしょ。
結局Aさんの作品よりカプ優先。条件付きの好意だからカプにだけ一途ってことだよね。
作る作品が地雷になった=増田にとって都合が悪くなった、だからこうやって文章公開して攻撃してOK。
これだけ都合よく使われる一途ったらない(笑)
この話がAさんに届いたとして、察しのいい人ならもしかして自分のことかと思うかもね。
Aさんではなく思い当たる人も、傷ついたでしょう。
実際Aさんのこと、傷つけてやりたいんでしょ?
悪意の意図が透けて意地汚い。
今までさんざん行動しなかったのに、遅きに失したところで遠回しに恨みつらみを吐くなんて陰湿極まりない。
つらいよーってドタバタ騒いでるけど、あなたは間違いなくつらいと話す他人の痛みは100年我慢できる。
愛憎とかタイトルでカッコつけたこと言ってるけど、Aさんはただの作品製造機であり、好きなのは一貫して萌えるA×Bだけ。
他人に供給源作ってもらえなくなった!!ヤダーー!!って話を大袈裟にしたまでのこと。
仮にもファンだったこと、自身も創作者を謳っておきながら、こんな安全なとこで自己愛に酔うってのが片腹痛い。
みんな優しい言葉コメントしてあげててめちゃくちゃ気を使ってて、ほんと聖人だと思った。
これに賛同したり許容して、中には私は過激な行為した、同じ考えだからメールしてとかくだらないことほざいてる人もいて笑うけどさ。
私が言いたいのは固定がダメ、雑食ぐらい許せってことではないよ。
私が読みたい、描きたいのはCPで、もっと端的な言い方するとボーイズラブだ。失礼だろうが浅はかだろうが、現実のものに関しては考慮しない。「BLはファンタジーだ」という言葉にとても励まされてきたのに、もうこの言葉には今まで私が感じていたような開放感と自由はない。他人のジェンダー論ツイートを見て実在するジェンダーに配慮できない自分に自己嫌悪してしまう。BLはファンタジーじゃなくなったのか。
腐女子みんなが従来のジェンダー観や規定の性意識、性規範にとらわれない、自由な生き方を実践している人種だなんて思われるのは迷惑だし、癪だ。
聖人じゃないんだ。私は女には興味がない、男が好きだから描く。それだけ。ずっと罪悪感を抱えて快楽だけ貪るんだよ、悪いか。
BLは同性愛の世界だからこそ、ジェンダー規範をなくさなきゃいけない?受け攻め固定は悪?
「BL、NL、GL」などの表記を使うと「男女が"ノーマル"なのは同性愛への差別だ」とか、「同時多発的に同性CPが成り立つのは趣味じゃない」と言うと「少数派への差別だ」とか。
言いたい事はわかる。わかるけど。
人を差別、軽視することなく、さまざまなジェンダー観に対応し考えていかなければいけないのは人として当たり前のことかもしれないけれど、フィクションの世界にまでその議論を持ち込まなきゃダメ?ストレス発散の趣味でそこまで考えなきゃダメなの?
もうジェンダーのジェの字も見たくないなぁ。
みんなすぐ議論したがるんだもん。
ただ自分の好きなCPに溺れていたいだけなのに、他人に罪悪感押し付けないで。勝手に懺悔しといてください。
疲れてるんだ。難しい事は考えたくない。
考えるなら、CPの事とキャラ考察だけでいい。それでキャラクターのジェンダー観に行き着いても、それを考えるのは苦痛じゃない。顔も見たことない生身の女のジェンダー論は知りたくない。腐女子の思想なんか知るか。
一見すると、どこにでもいそうな外見の人物なのだが、明らかに軽度の知的障碍がある。俺は詳しくないのでどういった症状なのかわからないが、誰が見ても「あぁ」とわかる。
その人は入店一番「またきたよー!」と大声で言う。
手近な店員さんを捕まえて延々と自慢話をする。「昔アイドルやっててさぁー」とか。
店員さんが近くにいないときはレジの人に、レジが混雑しているとバックヤードにまで入っていく。
俺はその人をずっと観察しているわけではないのだが、どうやら半日以上店内で店員さんに一方的に話しかけているようだ。
俺がいつ行ってもその人はいる。
お、今日は珍しくいないなと思うと、入り口から元気のいい声が聞こえてくる。
で、やっかいなのが、その人はある程度の知能はあるということだ。こんな言い方をするのはよくないんだが。増田だから書けることだ。
つまり、レジがほかの客でいっぱいの時は話しかけない。俺のような強面のゴツイ奴がそばにいると店員さんへのマシンガントークが少しおさまる、など。軽度の障碍があるのは誰にでもわかるけど、完全に「別世界の人」というわけではない。話は通じるし、受け答えも明瞭だ。
だが、恐ろしく面倒な人物だ。
俺みたいな奴を恐れるが、店員さんや子供のような立場の弱い相手には極めて横柄にふるまう。そういう狡さはある。
以前、店員さんが「申し訳ありませんがお客様…」と会話の応対を切り上げて仕事に戻ろうとしたことがあった。
その時、その人は店じゅうに響く大声で「何こいつ!店員なのにお客さん無視するとかありえなくねぇ!?」と叫んだのだ。その後も延々と大声でその店員さんに罵倒を繰り返した。すごい声だった。これはさすがにまずいだろうと俺の唯一の取り柄の強面を生かして事態収拾に向かうと、先に店長さんが到着していた。
そこで店長さんはクレーム対応の王道、平謝りで事態を何とか収めようとがんばっていたのだが、相手が相手なので一向に沈静化しない。バックヤードで話を聞こうとするも、火に油を注ぐばかり。最終的に、店長さんは最敬礼のまま延々と罵倒を受けるような状態になった。土下座こそしていないが、あれは似たようなものだろう。
さすがに見ていられないので、二人のいるところに押し入り、そこにあった棚の商品を選ぶという行動をして二人を引きはなしてみたんだが、最敬礼店長と罵倒人の間にはいって女性用シャンプーを選び続ける元相撲部という状況は長続きしない。唯一商品名を覚えているラックススーパーリッチを手にして精いっぱいの威圧をかけてその場をあとにするしかなかった。まぁそれで少し沈静化したみたいだからよかったが。俺は坊主頭だし彼女も奥さんもいないんだけどな。すげぇいい香りだぞラックススーパーリッチ。
で、そんなこともあって表題の件を疑問に思ったんだよ。
ネットでたまに見る、「悪質クレーマーに『お前は客じゃない、帰れ!』と一喝するかっこいいお店」の話があるけど、それは軽度の知的障碍者に対して行っても喝采を受けるものなのか?店は客を選ぶことができる、というのは確かにその通り。しかし「別世界の人」ほどではないが極めて面倒な軽度障碍者を排除できるのか?
健常者が「障碍者と共存できる社会」を目指したとき、その想定される障碍者は「別世界の人」なんじゃないか?
健常者に極めて近いけど通常の対応ができない相手を想定しているのだろうか。
俺の近所のスーパーの場合は、もう利用客も(おそらく)店員さんも「あいつにはもう来ないでほしい」と一致しているだろうから、「お前はもうくるな」で済むかもしれない。…いや多分、絶対に済まずに毎朝店の前で座り込みをしそうだけどな。まぁそれも排除してしまって解決!ってなるのかもしれない。
しかし、そうなるとその先は「障碍者は座敷牢に入れて外に出さない」みたいな社会になってしまうだろう。
こういうの、どうすればいいんだろうな?
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54011
エホバの証人では信者同士のことを「兄弟姉妹」と呼ぶのですが、
兄弟姉妹で集まって毎週集会を行い聖書の勉強をしたり、「奉仕」と呼ばれる布教活動を行ったりするくらいです。
争いや政治参加が禁止されているので、他の宗教団体と比べて派手な活動を行っていないし、有名な方もいないので、いたって地味な宗教です。
新興宗教には、メディアに厳しく目を光らせている団体も多いようですけれど、
エホバの証人ではそもそも争うことが禁じられているため、報道に対して、抗議することもありません。政治活動が禁止なので、どこかの政党を応援することもない。
信者をたくさん獲得しなさい、とか、いくらお金を収めなさい、とも言われないので、他の宗教とは違って社会問題にならず、「被害者の会」がないんです。
また、教祖はおらず、信者の集いというかたちです。正式名称が「ものみの塔聖書冊子協会」なのもその現れです。
小生、恥ずかしながらこの記事で初めてエホバの証人の実態を知ったのだけど、教えの内容はともかく、活動形態としては理想的な宗教団体なのかもと思ってしまった。