はてなキーワード: 洗礼とは
嫌いなものへの呪詛ばかり書いていても不健康な感じがするから、好きなもののことも書こう
愛してはいないなあ そもそも愛ってなんだ?みたいな話は置いておくとしても、どんな定義だろうと愛してるってほどではない気がする
でも嫌いでもねえんだな むしろ好きではある
何が好きか
やっぱ桜島が好きだな
あれ、多分もうちょい近くに住んでたら灰に悩まされてかなり嫌になってた気がするんだけど、俺のいたところではちょうどいい青春のフレーバーくらいに収まってくれていた
風向き次第でときどき灰が降って、髪がゴワゴワするとか机がザラザラすると言って笑う 掃除の時間に集めたゴミが灰まみれでびっくりする そのくらいだった
野球部がいいとこまでいって鴨池の球場まで全校応援に行ったとき、ちょうどメチャクチャ噴火してたんだよな
砂嵐が来てるときの中東の街ってこんな感じなのかなってくらい町中が黄土色に染まっていて、視界もそこそこ悪かった あれは興奮したなあ
応援中も灰は降り続けるもんだから、家に帰ってシャンプーをしたらもうまったく泡が立たない これが桜島の洗礼か、と思ったっけ
やっぱぼんやり好きな程度だから、ビミョーな話しか出てこない 鹿児島に対する強い情動がない
いっそ好きなTwitterの人の話とかしようかな いいのか?それ 別に罵るわけじゃねえからいいか
でも俺だったら増田で自分のアカウントが誉められてたらすげー気持ち悪いしくたばれと思うな やめておこう
弁慶外伝はSFCのソフトで、Wiiのバーチャルコンソールを通じて小学生〜中学生のころに遊んだ
和風ドラクエ みたいな感じのゲーム性で、日本全国に一応行けるのが印象的だったな
なかでも好きだったのが鳥取のエピソード トトリっていうすげー適当な名前の村があって、拡がり続ける砂漠に呑まれそうになってるのを助けるって話だった
鳥取に一切興味ない人が適当に砂丘のイメージで作った雑なエピソードって感じがバリバリ出ててメチャクチャ良かったんだよな
鹿児島なんかたしか火山っぽいのがおざなりに置かれてて、人間は一人もいなかったな
なかなかひでーゲームだったけど、なんか好きだった
なんなんだこれは 俺は好きなものについて語りえないことがわかってきた
前回、Twitterに適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。
前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近でオタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。
書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。
本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的なものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単に説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。
具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。
前回述べたように、俺はtwitterを検索エンジンとして活用し、気に入った作品の二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的に評価、消化しかしなかった事が自身を完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。
とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。
どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれ、SNSのタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)
常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。
これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。
Twitterをメインにした定点観測にはいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーやSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterのタイムラインは9割以上ノイズだからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザがおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズ、ノイズ、ノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)
で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)
これらの主な利用方法としては、該当ツイートの巡回、検索だった。IFTTTはツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザがいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイートの巡回を諦めることになる。
(IFTTTの有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )
(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)
結局は無料サービスにフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTTに依存しない情報収集を考える事はいいきっかけだったのかもしれない。
こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいから交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しのアイコンを用意し、無難なプロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間でツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである。
ツイートにいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字がフォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムラインは自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新でシークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。
あたふたした俺はくそつまらない無難なツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートにいいねやリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。
定点観測時代、推し関連のタグでツイートを巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートにいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句…互助会みたい」
はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情を定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイートを巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。
しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねやRTを送り、また自身のツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的な障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである。
俺ははてブの互助会を擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。
評価指標となるいいねやブクマといったものは、当事者間ではカジュアルな肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪的であると糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。
それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思は存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会的文化に、それも破壊されることになる。
ここで述べる"互助会的文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。
それは決まって形式的な挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的な挨拶ツイートと、それにつくいいねのインフレ。ツイートに付けられるタグや画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲの推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?
とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。
そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さないフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない。
俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである。
先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式が内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。
ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い。
たしかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長な挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。
前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分の理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。
だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑なタイムラインを受け入れた時、自分も煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。
ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的に評価したり、ノイズにイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。
本当に好きなコンテンツを摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。
先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。
同僚にモラハラ被害を訴えられた加害者の私。態度が冷たいとか挨拶が小さいとかで。
加害者の私は総合職かつ専門職、被害者は一般職の事務員の男性だ。年齢は同い年、アラサーとアラフォーのはざま。私は中途入社、被害者は2年目。この会社では新人だが、業界歴は私の方が圧倒的に長い。
モラハラ?はあ?
被害を訴えた男性は、数ヶ月くらい前から周囲に人がいなくなると、私にこんなことを言ってきた。
「君仕事の要領悪いよね。俺は賢いし大人だから、自分以外の仕事の電話については知らないって言い張って切る」(先輩達が不在のなか急ぎの電話がかかってきて、わかる範囲内で私が対応していたときに言ってきた)
「メールとかファックスとか送ったあと相手に電話してないでしょ?本当に君のそういうところさぁ(溜息)。人間関係築くの下手くそだよね。俺は2年前にここに来たけど、メールやファックスの後にまめに取引先に電話して今のポジションを築いた。君も真似するべき」
「メール送ってさらに毎度電話なんて必要かどうか?あのさあ、必要かどうかなんてやってみなきゃわからないじゃん?」
「この部署で電話とるの大変でしょ。いつもお疲れ。まぁこれがこの部署にくる新人の洗礼だから。俺も苦労したわ〜専門職の先輩達ぜんぜん電話とらないから俺が全部出てたわ〜」
めちゃめちゃうざすぎる。
極めつけは
「いつも1人で外回りするの大変でしょ?俺、ついていこうか?」
内勤の事務員が客先訪問ついてきて何すんの?それ絶対に上の許可とってないでしょ?
はじめはやんわりと話を切り上げていたが、この前たまたま半日部署に2人きりだったとき、2時間近く一方的に喋られて、仕事に手をつけられなくて迷惑でしかなかった。こいつ婉曲的に指摘してもわかんねえんだなって思って、露骨に避けてたらハラスメントだってさ。アホくせ。
お前この前他部署の20代前半の子にプレゼントとかあげてたけどあれ女性陣みんなドン引きしてたからな。男の人には低姿勢で、めちゃくちゃ媚びまくるスタンスのくせに、対女性だとこれだよ。このクソ童貞マジでなんなん。毎月赤字垂れ流しかつ電話もまともにとれない癖に、毎月ちゃんと利益を出す専門職の私に仕事論だのマウントだの、筋違いもいいところなんだけど。
沖縄怪談を最近読んでて、小学生の頃、子どもだけで行くタイプの人生唯一の沖縄旅行で(まぁ私にも非がかなりあるけど)、
クソ田舎から来た同室の娘たちにいじめられた話を思い出したので書いてく。
noteに書こうと思ったのだけど、アカウント忘れてしまった。
一番年上(といっても1つか2つの差)の私が鍵係になる。
まずは最初の洗礼として、ホテルに着いて備え付けの水を一気飲みし、「ゴブゴブ水を飲んだからゴブちゃんね」と出会って3秒でdisられる。
その部屋は二人部屋を三人部屋にした部屋なので、一つだけ折り畳みの簡易ベッドだった。
「ベッドは早いもの勝ちってさっき決めたから、ゴブちゃんはそのベッドね」
この時点で相手が女の子じゃなかったら多分馬乗りになって殴ってたと思うけど、女子には優しいボーイッシュ女子(自称)なのでグッと堪えた。
しかし、二人でつるんだ幼い娘、しかも地方の村から二人でやってきた幼馴染は無敵である。
「ゴブちゃんが居ないと私たち部屋に入れないから留守番しててね」と、オートロックの部屋に置いてかれる。
明けて二日目。
ゴブちゃんは張り切っていた。
奴らが早いもの勝ちと言ったのだ。鍵もサッサと受け取ってダッシュ!!
バッとツインのベッドに座り、心でブンブン尻尾を振りながら「どや!」と生意気娘を見る。
ところが娘たち、気まずそうに顔を見合わせて一言。
「あのね、ゴブちゃん。私たちで話し合って、ベッドは昨日と同じって決めたんだ」
なんと人間としての投票権さえ用意されてなかったし、ルームメイトとさえカウントされてなかった。
ショックの余り泣きながら、「なら私も話し合いに加えるべき」「絶対退けない」とワンワン泣いた。
そして転んでもただで起きないゴブちゃんは、余りにムカついたので鍵を持ったまま男子たちと遊び始める。
男子たちと飛び回って戻ってくると、同じ部屋に集められている年少の子たちをそばに寄せて二人がヒソヒソと話している。
そしてチラリと私を見てニヤリと笑い、「すぐ怒って危険だから近寄っちゃダメ」
はあー????
余談だけど、その日撮った写真にはオーブがめっちゃ写っていた。
その翌日、なんか素直にベッドを譲って貰い、わかれば宜しいとばかりにすんなり就寝したゴブ子。
翌日、二人娘は年少の子を呼び出して、鬼ごっこや手遊びを教える
「あ、ゴブちゃんはそこが好きなんでしょ? そこ動いたらベッド取られちゃうかもよ??」
は???
悔しさに涙ぐむ私を残して、ベッドの上で渡り鬼を始める田舎娘。
年少の子のうち一人が私のベッドを踏むとすかさず、「ダメだよーゴブちゃん怒るからー。怖いよー」
幼い子どもたちの同情の篭った瞳が益々に惨めさを誘う中、幼い子たちを連れて居なくなる二人。
惨めさに一頻り泣いた私……この後は、鍵を返して帰宅。てことは。
「自分の荷物を運び出して、この鍵を『うっかり』フロントに返してしまえば、チェックアウトギリギリに戻ってくるだろうあの二人は、荷物を取り出せない。大人に怒られる」
ゴクリ。
とりあえず荷物を纏め……後はドアを……。
けれど悪者になりきれなかった私は、ドアノッカーを引っ掛けて、完全にドアが閉まらないように出て、鍵を返す。
財布をすられたってしるものか、そこまで面倒見切れない。
その後はロビーで楽しく遊び、仲良くなったお姉さんたちに可愛がられ、男子とも遊び回り。
沖縄の少年少女とも仲良くなって、トータルでは最高の旅行だった。
そう、他の良かったことは余りに感動したせいでぼんやりとして、テレビの企画の格安旅行だったので随行していたMCとADにウザ絡みしてカメラの回ってないとこで舌打ちされたこととか、
わざわざ日本の端まで来て派閥を作るケツの穴の小ささが小型犬並の女子のことばかり鮮明に残って小骨のようにチクチクしていた。
だから、今回これを書いたことで、その小骨を供養してしまいたいと思う。
旅行の金をカンパしてくれ、焼酎が苦手なのに私の買った泡盛を美味しそうに舐めていた祖父もボケ、きっと意地悪娘も人の親になっただろう。
だから、あの頃の意地悪娘たちが、当時の自分たちくらいの年齢になった娘を意地悪娘にしてないことを、これを読んで、幼い頃になんの気なしに飲み込んで忘れてしまった骨の後味の悪さを思い出してくれる事を祈っている。
abrasusuの薄い財布(以下、薄い財布)を手にして5年ほどが過ぎた。自分が使ってきた財布の中で一番付き合いが長くなったこいつについて、少しだけ書かせて貰う。
5年前、当時の財布がくたびれてきた俺は、次の財布を物色していた。
伊勢丹あたりで無難に済まそうと思っていたが、財布が長かったり分厚かったりというのに嫌気がさしていた俺は、徐に「薄い財布」と検索バーに打ち込んだ。
これが出た。俺は興奮した。買った。
Amazonからやってきたこの財布を手に取った時点でこれまでの財布概念が壊れた。俗に言う“洗礼”である。
まず、手に取ると名前の通り薄い。
公式サイトに紹介されている通り、財布の内側のパーツが絶妙に噛み合っているため、折りたたんだ財布がずれたりパカパカと開いたりということはない。
折り畳んだ姿はしっかりとした革の塊である。俺は革の質の良し悪しはあまりわからないが、悪くはないんじゃないかな。
5年経ってもこの薄い財布の放つジューシーな革塊感は堪らないものだ。つい弄んでニヤニヤしてしまう。
このように、まず財布のガジェット的魅力に俺はやられてしまったのだ。
どうだい? もうわかっちまったろう? これが“財布”なんだよ。
実に自然。
最早財布は荷物じゃあ無いんだ。
ほら、もう薄い財布を使いたくて仕方なくなった。
5年前の俺は古い財布からいそいそと中身を取り出して薄い財布に移そうとして、はたと気が付く。
…… 入らない。そう、入らないのだ。小銭が、カードが。
詳細は公式サイトを見ていただくとして、小銭は999円分、カードは5枚が薄い財布の容量だ。
俺はうろたえた。これでは今までの生活がままならない。
しかし、こいつは使いたい。ポケットに入れてあの軽快な感覚を味わってしまったら、最早自分の買い物ライフスタイルをかなぐり捨ててでも、この薄い財布を持ち歩きたい、使いこなしたい…… そう願ってしまうのだ。
ポイントカード類は殆ど処分した。これで特定の店で買わねばという執着がなくなった。
診察券やTSUTAYAのカード等、残ったものは必要に応じて札入れのスペースに入れることで買い物の計画性を持たせることもできた。
また、この5年間でポイントカードは次々とスマホアプリ化していったため、今では薄い財布とポイントの恩恵を両立することも可能となった。
(今度はスマホがごちゃついてくるという別の問題が生まれているが…)
ペーパーレス、キャッシュレスという時代の流れとテクノロジーの進化は薄い財布を使う人間に大きな恩恵をもたらしている。
この薄い財布を快適に使いたいという思いから、キャッシュレス決済やカードに対する関心も高まり、見識も多少は広がったのは素晴らしいことだと思う。
財布がより薄くなり、やがて消滅するであろう未来は、そう遠くないのだろう。薄い財布は財布文化の終焉という悲しき未来を示していると言うのか……
さて、そんなキャッシュレスに移行しつつある俺だが、薄い財布に入れているものは以下の通りだ。いいから見てくれ。
・紙幣(1万~2万程)
・Kyashカード(メインの決済手段。Apple Payにも登録している)
・クレカ機能付きキャッシュカード(ホテル等、Kyashが使えない際の決済手段)
・免許証
・保険証
普段の生活では殆ど現金を使わないので、小銭入れの容量の小ささは気にならない。
時々クレカ決済できない場合があるが、おつりの小銭を入れる程度なら十分だ。
カード入れも現状で安定している。あえて言えばステンレスミラーをチタンなどの軽量なモノにしたい位か。
徐々に変化が少なくなっているが、5年の間に洗練されてきた感じが嬉しくて愛着が増すというものだ。
改めて中身をリストにすると、なぜそれが入っているのか、どうして選んだのかというストーリーがあって、得も言われぬ満足感がある。
ちなみに鍵の収納スペースはまだ活用できていない。これを使いこなせばさらに快適になるのだろうけど、鍵をスムーズに出し入れする工夫が必要だしキーホルダーにまとめたほかのガジェットをどうするかという問題もある。
しかし、こうやって書き出してみると、考えてみるのもアリだという気持ちになってきた。
この薄い財布と5年もつるんでいると、やはりエイジングが現れる。
コインケースのアタリ等の革の色落ちは味といえるが、コバの傷みやステッチのほつれは財布の寿命に悪影響を及ぼす問題だ。
2年目の年末。これらのダメージが気になった俺は、買い替えも視野に入れつつ公式サイトを眺めていた。
メールで傷みが気になる箇所の画像を送ったりというやり取りはあったものの、年末年始を挟んでも2週間ほどで修理は完了した。
すっかり綺麗になって帰ってきた薄い財布に愛しささえ覚えたものだった。
散々薄い財布とイチャついてきた俺だが、実は一度だけほかの財布に浮気をしたことがある。
クラウドファンディングで見つけた新素材を使い、薄いのにコインケースの容量も充実していると謳った財布だ。
しかし、大して薄くないわ面積が広くて尻ポケットで主張するわ露出した金属のファスナーの触り心地が俺を拒むわで、結局は薄い財布の良さを思い知っただけだった。
財布はこれで良かったのだ。一枚の、ぴったりとした革で出来ているこの薄い財布だったのだ。
5年目を迎えて、またコバの傷みとステッチのほつれが気になっている。
再び修理を依頼ようかと思う一方、来る日も来る日も公私を問わず俺の尻に敷かれ続けたこの薄い財布を、そろそろ休ませてやろうかとも思う。
確か、財布を供養する寺か神社があったような…… それを調べるべきか、俺はまだ迷っている。
そうなれば、次もまた薄い財布を買うつもりだ。
預言書の導くまま事前に被災地域の皆様に周知してもらいてェ──事
・聖別や年齢にとやかく言わない
「…まだ諦めちゃいないさ…珍しく美人さんが来てくれた…とでも思ったか?馬鹿め。」
「若いバハムートの祈り子が来てくれて力仕事が助かる!絶望にとらわれてはならない!希望を抱き続けるんだ!!」
骸旅団に参加している…しかし、その裏では、かつて自分を裏切った兄が、暗躍していたのだ…知能高き愚かな生物は年齢に関係なく自らの意思で干渉しています…"今の内は"な…。たわいのない「神託」でも天地を分けし神の約束や年齢を喰穴に解放するのはヴェルサス13です。
……容姿やプライバシーに関する事は一切言わお前らと馴れ合ってる暇はない
「えらい麗しき女(ひと)が来てくれたね、ギョオーホッホッホ!」
「ゲへへェ…我ら帝国軍に運命(さだめ)に来て欲しい程度だ!」
「ワグナス!結婚してるの? …まあ、私にとってはどうでもいいことだがね……継承者は?家族はいや、之を口にするのは止そう……奴らに知られては困る」
「(染髪してらぁ人に”…噂には聞いていたが、これ程とはな……クラウドみたいなチョコボ頭の色だねー!…見つけ次第殺せ」
特に若いヴァルキュリアはどこにうわごとのように呟いても神の如くいう田舎専有アビリティの洗礼を享受しがちだった…というわけだ。冗談ブラックホールエンジン搭載型抜きにエボンの賜物でボランティアをギルドメンバーから外れてしまう人が一定数います。縁もゆかりもない他人が「冥府の神が、その手に掛けた者を思い流す涙程度――魔導院による最新の研究データによれば力になれば…冗談じゃねぇ…」と決意してくれているのだぜ、さすがに面構えが違うな……。もう少し天駆ける心の翼を働かせてみよ。
こっちは辛い預言書を信じをしているだろうにのうにゃにを細かく偉…………という信託が在るに…その日、俺の心はボロボロに打ち砕かれた…と幻想(おも)われた…即ち、世界の終わりが始まるかもしれませんが、自分が地獄の業火が身を焼き尽くす思いをしておる時に手弁当で駆けつけてきて――旨い飯を食わせてくれた本当の私がこの世界に生まれたその意味の平和と救済を齎す《アギト》を確定的に明らかだと思わいやそれはないだろでください。
詠唱破棄してもコイツが生身の女よりよほどいいですが、この蒸し暑く機動兵器8型BISも流行しているそして私も消えような時期に神々の意思にその身を委ねボランティアにダマスカス鋼製のこの義手を饗宴の贄と捧げて…俺が許すッ、歴史が許してくれるッような方々は伝説の先幾星霜生きても出会えるような人では感謝するぞません。
舌に雷属性!!ナギ節とは幻想います……という“シナリオ”だったな……が、舌に雷属性!!時、そして背後に蠢く“闇”こそお互いを思いやりお互いを尊重します、とでも言って欲しいのだろう。
必ず事前に被災地域の皆様に周知してもらいたい事
・性別や年齢にとやかく言わない
「珍しく女の子が来てくれた!」
ボランティアに参加している人は年齢に関係なく自らの意思で参加しています。たわいのない話でも性別や年齢を口にするのはタブーです。
「えらい美人が来てくれたね!」
「うちにお嫁に来て欲しいくらいだ!」
「(染髪してる人に)凄い髪の色だねー!」
特に若い女性はどこにいってもこういう田舎特有の洗礼を受けがちです。冗談抜きにこれでボランティアを辞めてしまう人が一定数います。縁もゆかりもない他人が「少しでも力になれば」と決意してくれているのです。もう少し想像力を働かせてください。
こっちは辛い思いをしているのになにを細かく偉そうに…と思われるかもしれませんが、自分が辛い思いをしている時に手弁当で駆けつけてきてくれた本当の意味の恩人を当たり前だと思わないでください。
断言してもいいですが、この蒸し暑くコロナも流行しているような時期に自らボランティアに手を上げてくれるような方々はこの先何年生きても出会えるような人ではありません。
光の戦士、いわゆるヒカセン。
仮面ライダーBLACKRXの処刑ソングのほうではない。クリスタルのほうの光の戦士だ。
その中でもファイナルファンタジー14の光の戦士になれなかった私のこぼれ話。吐き出さずにいるのがつらいので書いていくことにする。
SNSで仲良くなった人たちが楽しく遊んでいたFF14。これまで私は気になりつつも画面共有で見せてもらうにとどめていた。
理由はいくつかある。最も根深い理由は後で話すが、フランクな部分から言うと自分が廃人になる確信しかないことだった。
実際、いま私はフリートライアルでヒカセン若葉をしているのだがやるべきことをほおっておいてずっとエオルゼアの世界にのめりこんでいる。朝早起きしてエオルゼアに行き、夜寝る前に10分だけエオルゼアと言って3時間している。
光の戦士になってるじゃないか!と思う人がいるかもしれない。これは世界を救えない光の戦士の話なのである。
話を戻すと、私は隙あらばネットゲームをしようとしてしまう。ちょっとだけのつもりでも世界はめまぐるしく変化していくので楽しいことがあまりにも多過ぎる。現実でも何かしら変化はしていくがゲームほどではない。
狂ったようにゴールドソーサーのアスレチックを上りながら毎日を過ごしている。ここだけを話すといつ課金しだしてもおかしくないくらいにはまっているように思える。
だが、実際はきっとそうではない。私は世界を救えないのだ。
世界を救えない。つまりはメインクエストを進めることが出来ない。いくつかある躊躇っていた理由がこれ。
メインクエストにはダンジョンないし討滅戦がある。私はこれが本当に心の底から嫌いなのだ。
そりゃ誰だってそうだろと思う。でも私の話を聞いてくれ。私は自分でも病的に思うほど人の迷惑になることが嫌なのだ。
ログイン当日から自分のことを見守ってくれている人はダンジョンや討滅戦は最初のほうは行くの怖いよねと励ましてくれるが、私は「失敗すること」と「それにより第三者の時間を浪費すること」が怖いのだ。
それでもやさしい人たちに囲まれてなんとかダンジョン3個と討滅戦、あとメインに関係ないダンジョンにまで行った。
正直たのしかった。ヒントや解説をしてもらいながら、そして所謂「若葉の悲鳴」を笑われながら一生懸命進んでいくのはたのしかったしおもしろかった。こうやって先輩たちに背中を押してもらいながら進んでいけるなら製品版に進むのは十分に有りだとセールの日を狙い始めた。それでもセールの日を狙っているのは購入する理由を求めているからである。たまにSNSの知り合いたちが「誰かパック買うから漆黒やってくれ」と発言しているのを横目でみながら「いっそ本当に買ってくれてもいいんだぞ?」などと心の中で思ったりもした。言わないけど。
そんなかんじで少しずつ戦闘になれてきたころ、私にとっての事件がおきた。
とある夜、日付が変わった頃に所謂レベルレという1日1回行ったことのあるダンジョンに行けるというものに2~3組がいけるような人数で通話をしていたので行こうという話になり適当に分かれて参戦した。私はまだ20レベルまでのダンジョンにしかいけないので申し訳なく思いつつ仲間に入れてもらい、見守ってくれていたAさんと組がわかれてしまったことを不安に思いながらダンジョンに向かった。場所はどこだったかな、サスタシャでないことしか覚えていない。1回しか行ったことのないダンジョンで、ギミックはとうに忘れていた。
まぁ、出るわ出るわボロが。ボロッボロである。無言でスタスタ行ってしまう3人を眺めながらそれでも自分の役割をこなそうと一生懸命がんばった。実際、誰も死なせなかったから幻術師としては上々だったと思う。攻撃もしたし。だが完璧な立ち回りはできていなかったので「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいい」「それは無駄な動きだ」「こういうときヒーラーはこうするべきだ」といろいろなことを"ご教授"いただいた。
…そう、ただ、教えてもらっただけなのだ。駄目な所を。複数人から矢継早にあれこれと。
ただそれだけで私の心は折れてしまった。
人によってはせっかく先輩としてアドバイスをしてもらったのにそれを悪い事のようにとらえるのはいけないと思う人もいるだろう。私もそうおもう。それでも私はその「善意」に心が折れてしまったのだ。
極めつけは「(今の動きは)低レベルは通用するかもしれないけどこっから先はむずかしいかな~」と言われ、「あぁ、そうか、一生懸命がんばってみたけど、"無理"なのか。」と折れたのだ。その夜は枕がぐっしょり濡れるほど泣いた。今も書きながらちょっと泣けてきた。
私だってうまく立ち回りたかった。私だってちゃんと戦って達成感を得たかった。私だって世界を救いたかった。
けれど私は世界を救えないのだ。
一緒に行く人に迷惑をかけながら、駄目な所を逐一指摘されいつまでも完璧になれないまま、世界を救う冒険には出ることが出来ないのだ。
それでもせっかくのフリートライアルだからと進めてみるが、そこには「トトラクの千獄」という壁があった。
ああ、どうしてもダンジョンや討滅戦をしないと先に進むことはできないのか。そんなことを思いながらどうしても立ち尽くしてしまう。
Aさんにこの気持ちを吐き出したら慰めてもらえるかなと思いながら、困らせるだけだと匿名ダイアリーに書いている。
先輩光の戦士達へ。
そういうことはいずれは、(数学科なら)いざとなったら分かるレベルにならないといかんが、大学一年生がやって実りあるものとは思えない。
理学系にいくにせよ工学系にいくにせよ、教養の数学でやるべきなのは、高校の微分積分の復習をしつつ、
のような基本的な結果をしっかり理解して使えるようになることじゃないだろうか。
こういうものを示すのには実数の連続性を厳密に定式化しなければいけないが、一年生相手にわざわざ「デデキント切断に順序構造を導入して」などとやらずとも、
というワイエルシュトラスの定理を認めれば十分である。これはデテキント切断による実数の特徴付けと同値であり、他の命題を示す際にも扱いやすく、直感的にも理解できる。
思うに、あらゆることを厳密にやるのが大学数学の「伝統」や「洗礼」などと言った価値観を持っている人が多い気がする。もちろん、それは一面では正しいし、高校数学までは曖昧だった部分がはっきりすることに喜びを感じる学生もいるだろう。しかし、たいていの学生は、数学が嫌いになるんじゃないだろうか。
こんなことは増田でしか書けない。先日、と言ってもコロナの前だから2月だけど、職場の同僚たちと数人で飲んでいた。その中に去年離婚した女性がいて、仮にAとしよう。Aは新しい彼氏候補を探していると言っていた。俺は、この場にいない同僚の男性の名前、Sを出して、「Sさんはどう?独身だよ」と勧めてみた。うちはときどき職場結婚もあり、職場の人間同士が付き合っても特に後ろめたさを感じない。
俺「そう?めっちゃいい人だと思うけど」
A「めっちゃいい人なのはわかる。でもSさんは、そういう対象じゃないかなー…ねえ?」
C(女)「うん、そうだね…。Sさんすごいいい人なんだけど、付き合うとかって、ちょっと考えられないかな…」
その場に居た女性陣全員がSさんを「付き合ったり結婚は考えられない」と暗に匂わしてきた。俺は悪気があってSさんの名前を出したつもりはなかったけど、なんとなくそうなるのかなとは薄々思っていた。
Sさんは、いわゆるインセルだ。うちには転職で入ってきたから俺より年上だけど、同僚ぐらいの感覚で会話をしている。今まで何度も転職を繰り返してきたらしい。Sさんは古典的なオタクで、世代的にはオタク第3世代にあたるのかな。エヴァの洗礼を受け、萌系全盛時に10代後半から20代前半を捧げたような。生涯で一番好きな作品は『守って守護月天』だと言っていた。若い頃から休日のアキバ通いを続けており、王道SFのスターウォーズや、特撮も超好き。あと全然関係ないけれど万年筆を集めていたりもする。今から考えると古いオタク。俺らが子供の頃には気持ち悪いオタクとして蔑まれていたけれど、現在は市民権を得ている。と思っていた。
確かにオタク趣味そのものが気持ち悪いとは言われなくなった。しかし、Sさんはいまだ恋愛対象として見られないらしい。Sさんにも彼女がいたことはあったそうで(中国人と言っていた)、誰しもがSさんを恋愛対象と見ないわけではないが、今回の飲み会での周りの反応を見る限り、Sさんはその生涯において、恋愛経験を積むのが難しかったのではないかと思う。だから勝手にインセルじゃないかと思っている。
モテるオタクはたくさんいて、顔がブサイクでも太っていても彼女いる人はたくさんいる。でもその中にはSさんみたいに、恋愛対象として見られない人がいる。カテゴリは全然関係ないのかもしれない。でもやはりブサイクとか気持ち悪いと言われる人の方が、インセルである確率は上がるんじゃないか。
俺はモテる方ではないが、経験人数は10人(プロを除いて)を超えている。付き合った人数は3人いる(1〜2年続いてフられる)。数は決して多くはない。だから、明らかにモテない側として今まで生きてきたし、周囲にもそう振る舞ってきた。だが、やはり素人童貞や彼女いない歴=年齢とは一線を画す。
よく「童貞をこじらせて」とか「モテない人間の逆恨み」みたいな例を出されたとき、まだ童貞だった10代のときは共感できた。でもそういうのを通り過ぎた今、「あれは若いときだけの悩み」という感覚に変わってしまっている。
しかし実際には、20代になっても30代になってもあの頃のままの人たちがいる。一昔前は「妖精になれる」と言われた人たち。彼らの人生を想像するだけで恐ろしい。若い盛りを「対象外」として過ごし、そのまま歳を重ねていく彼ら。その内側に募った感情というのは、もう想像を絶する。ただ恐怖だけがある。自分がいくら嫌なことがあったとか、苦労したとか、つらい経験をしたといっても、彼らの人生の悲惨さに比べたら、毛ほどの痛みもないんじゃないか。
それは例えば、ペニスを失う苦しみに近いのではないだろうか。彼らにはペニスはあっても、身体的快楽を得ることはできても、男性として人に好かれたりときめかれたり、愛されたりすることがない。「いい人だけど…」と言われながら男としては見られない。それが身近な一人や二人からではなく、誰からも、生涯において対象外とされる恐怖。そんな人生をどうやって生きていけばいいのだろう…。