はてなキーワード: 小説家とは
http://anond.hatelabo.jp/20160904033715
選定基準は
・読みやすい
・有名で、他の本や映画に出てきがち
ド名作。読んでおくと伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』がもっと楽しい。
早く来てくれオーバーロード。
③永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編カント(訳:中山元)
「本邦初訳」作品。古典新訳文庫ならでは。イタリアっぽいユーモア。
エログロ。
『藤野先生』も『狂人日記』も入っていてお得。訳者の村上春樹と中国の関係についての研究も面白い。
誤訳が多いらしいが、すごく読みやすかった。他の訳では通読できなかったと思う。
訳者は元国際プラトン学会会長(2007~2010年)で、解説の量がすごい。
読んでおくと、あの映画とかあのミステリーとかのネタ元なので捗るはず。
⑩闇の奥 コンラッド(訳:黒原敏行)
『地獄の黙示録』の原作。個人的には「叡山の僧兵の大将」中野好夫の訳より好き。
―――
①グレート・ギャッツビー(村上春樹翻訳ライブラリー)フィッツジェラルド
村上春樹の訳が好き。
『英文の読み方(岩波新書)』など、英語の読み方の著作に定評のある行方昭夫の訳で。
野村萬斎が自ら演ずるために、河合祥一郎に新訳を依頼しただけあってとても読みやすい。
『月下の一群』の堀口大學の訳で。
⑨カフカ-ポケットマスターピース-01-集英社文庫ヘリテージシリーズ
小説家の多和田葉子の訳で。『変身』は先に別の訳を読んでおいた方が新鮮かも。
⑩マーク・トウェイン-ポケットマスターピース-06-集英社文庫ヘリテージシリーズ
はてな民ならハックルベリーは読んでおきたい。柴田元幸の訳で。
―――
国立大の附置研(生物系)でポスドクをやっている。次の仕事が見つかったら可及的速やかにアカデミックの世界から離れたいと思っている。以下に記す文章はただの愚痴であって、研究者全体に一般化できるような話ではない。また、多くは、既にポスドク問題とかその辺りで語られてきたことでもある。しかし、何度語られようともこの業界が抱える問題はそのまま何も変わっていない。この状況が続く限り、私のようなポスドクが何度も何度も似たような文章を書き残して消えていくことになるのだろう。とにかく、今はもう我慢ならないから、駄文ではあるけれども書かせてもらう。
これ以上この仕事を続ける気が無くなった理由は二点ある。1)職務内容と待遇のギャップ、2)職務内容と自分がやりたいことのギャップの二点である。
附置研の予算で雇用されている契約職員である。給料は時間給で払われていて、勤務日数によって異なるが、額面で約20万である。手取り16-17万程度。勤務時間は週30時間となっているので、社会保険と厚生年金に入れる。賞与無し・昇給無し。任期は、一年ごとの更新で、最長三年となっている。給与に関して言えば、学生の頃よりも入ってくる現金の量は減った。学生の頃は様々なるところからかき集めてきた奨学金が月20万円ほどあった。入ってくるお金が減ったのは、税金とか保険とか年金のためであるが、社会人になった途端使えるお金が少なくなるというのはかなり心にくるものがある。
同じ仕事をしているポスドクでも、お金の出所によって待遇が全く異なるということはよくあるのだが、うちの研究所では、同じ研究所の予算からお金が出ていても、採用のタイミングによって待遇が異なる。私より早く採用されていたポスドクは、年収が100万円ほど高い。後何年か経ってから採用されるポスドクも、私より100万円高い給料で雇われるはずである。この辺は細かい規定があるのだが、ここでは説明しない。担当するプロジェクトは違うとはいえ、立場は同じであるし、業務の内容に本質的に差が無いのにこの差があるのは相当にやる気がそがれる。
休日等はどうか。私は、同じような分野の研究者としてはかなり甘々な環境に居るとは思う。しかし、それでも平日は平均で11時間ほど研究室に居る。休憩を除けば、一日当たり4時間の残業である。しかし、これは全く管理されていないので、全てサービス残業となっている。研究室に生き物が居るので、休日は実験が無くとも出勤する必要がある。この辺りはどこの研究室でも、博士後期課程の学生とかポスドクの仕事である。これがあるので、完全な休日(研究室に全く行かない日)は年間で10日程となる。これも全く管理されていない。休日に出張が重なった場合は、さすがに事務の方で処理する必要があるので、代休を与えられる。しかし、それは出勤している日に、「今日は代休取ったことにしておきます」と言われるだけのものである。そして、どんな計算をしたのかわからない日当700円が振り込まれるのだ。代休は実質使えないため、この700円は土日分の賃金の全てである。
この待遇で雇っておきながら、ボスはポスドクが出ていくということを全く考えていない。この程度のお金さえ与えておけば、ポスドクは任期満了までここに居ると確信している。やめると言い出したらまず間違いなく強く慰留されるだろうし、それがやめるための一番高いハードルになっている。私にはまったく理解できないが、世の中には無給ポスドクというのも居るらしいし、保険や年金に入れるだけまだ恵まれた方であるという話もある。だから、普通の研究者というのは上記の待遇をごく普通だと考えているのだと思うし、不満を言うのは私の甘えかもしれない。しかし、自分の価値はそんなものなのかと思うと悲しくなってしまう。
生きていくのに足りる程度のお金をもらえて、自分の好きなことができるという職場であれば、それでも来る人はいるだろう。そして、多くの場合、研究者がネットで愚痴を吐いたときに、「でも好きなことをやっているのだからいいのでは」、「小説家や芸能人を目指すのと同じであるのに研究者だけ特別に問題視するのはおかしい」「研究の傍ら副業でお金を稼いでこないのは甘え」というような話が聞かれる。だが、現実には研究者というのはサラリーマンである。「好きなことで生きていく」というのとはだいぶ様子が異なる。
私が雇われているのはあるプロジェクトを遂行するためであり、その内容はまさに私が強く興味を持っているものなので、私の仕事がそのプロジェクトを進めることだけであればまだ納得できたかもしれない。しかし、今の私の最優先の仕事は別のプロジェクトである。それは、お金のために魂を売ったような爆死プロジェクトで、お金を取ってきたあとしばらく放置されていたものだ。お金を集めるためにいろいろなところに妄想を書いて送っているため、研究室は処理しきれないテーマを抱えることになる。そして、それはポスドクとか学生とかに適当に振られる。そのうちの一つが私のところに落ちてきたのである。このプロジェクトは締め切りが近く、しかも白紙であるため、優先的に処理せざるを得ない。また、「この分野のこと何も知らないけど、大学院入りました。これから実験頑張りたいです!」とキラキラした目で語る学生の指導もしなければならない。教員でない人間に一から育てる仕事を振って良いのかとも思うが、頼まれたのでやるしかない。これも相当な労力である。それから、土日は出張が多い。自分が興味を持っている分野の学会に参加するのであればいいのだが、実際には、政治的な理由で行われる研究会に政治的な理由で参加するというようなものである。好きな実験のために土日出勤するのであればいいが、何の対価も無く興味のない話を休日に聞くというのは精神を疲弊させる。概ね週末の20-30%はこれでつぶれる。
この愚痴で強調したいことは、研究者(特に下っ端の)というのは自分の好きなことをやって生きているようなものではなく、サラリーマンなのだということだ。だから、研究者を特別視することなく、サラリーマンとして考えてほしい。上記の待遇が企業において問題になるのであれば、我々の場合にも同じ程度に問題になってしかるべきである。公的機関であるにも関わらず、労働者との間に自分たちで定めたルールを全く守る気がないのは何なのだ。超過勤務に関する規則など何のために定めたのだ、一円も残業代を払うつもりが無いのに。これだけ人を馬鹿にした態度を取って、ルールをないがしろにする組織や、そこに属する人が科学に対してだけは誠実であるとどうして信じられるのか。
もうこの国は科学技術立国などという題目を掲げるのをやめたらいいのではないか。この問題は少なくともこの10年ほど全く進展が無いように思える。大学院生やポスドクの犠牲のもとに研究成果をあげる、というのが国の方針なのだとしたら今の状態が正しいのかもしれないが、私にはそこまで出来ない。
小説でもアニメでも映画でも好きな作品はいろいろあるんだけど、その作品を作っている人のことについてはあんまり興味がない。
例えばアニメだと声優さん人気がすごいし、自分でも「この声優さんの声いいなー」と思うことはあっても、
その声優さんの年齢とか結婚とか顔とか性格とかは知りたくないし興味がない。
前に声優好きな友人と話していて、「○○っていう人の声好きなんだ」って言うと、その友人が「えーでも○○ってぶさいくじゃん」と答えていたのが衝撃だった。
小説でも、作品自体は好きになってもその小説家個人のことについて知ってしまうと途端に冷めてしまう。
有名な賞をとった小説家は顔や声がテレビに出てしまうからどうしても読む気にならないし、何が書いてあるかわからないからツイッターとかは覗けない。
なんていうか、小説を読みながらその小説を書いている人を想像してしまう。
ただ、既に亡くなっている人の場合にはその限りではなくて、むしろ生前のエピソード等を見るのは楽しい。
よくテレビ番組に出ている芸能人が演技をしているのを見ると現実に引き戻されてしまう気持ちになる。
演技や演出についてはよくわからないけど、普段バラエティ番組などで喋っている姿を思いだしてしまい、演技をしている姿が滑稽に見えて、こっちにカメラとか監督とかいるのかな、って考えてしまう。
もちろん好きな芸能人もいるんだけど、その芸能人についても顔やしぐさが好みって言うだけでその人の出ているからドラマを見よう、とはならない。
特に、「中の人」人気的に不思議だなーと思うのがニコニコ動画の歌ってみたとか、ゲーム実況とか。あとはユーチューバー。
歌ってみたの動画で好きなものもあったんだけど、その歌ってみたの動画が好きなわけで、歌っている本人が好きなわけじゃない。
ゲーム実況もまったく見ないわけではないんだけど、実況者個人の人気がすごくてつい嫌悪感を持つようになってしまった。
そもそもゲーム実況はゲーム自体に興味があって見ていたことも多くて、実況者が主役ではないっていう認識だったから、実況者人気は意外だった。
ついつい歌い手と実況者はいろんな面でかぶって見える。イベントの露出とか。
きっと作品の作者に勝手に幻想を抱いていて、本人が出てくるとその幻想が壊されるようで嫌なんだろうとは思う。
作品が好きであればあるほど、作者に表に出てきてほしくないなあって思ってしまう。
もちろん、本来は「中の人」である作者や俳優のことを好きだって人を否定したいわけじゃない。
「作品が好きだからその作者のことも好き、この俳優が好きだから作品も見る」っていう人の方が多いのかもしれない。
むしろその方が作品をより一層楽しめるのかもしれない。それはそれでいいと思う。
その作品を作っている人を知ってしまうと、途端に作品が生々しく感じてしまう、ってことはないんだろうか。
それに、作者のことを知ってしまうとその作品のことを客観的に見られなくなってしまいそう。
って感じのことを最近ふわふわと考えてしまう。考えがまとまらない。
きっと客観的に見ればひねくれた人間なんだろうなあと思いながらも、やっぱり作品の「中の人」についてはあまり知りたくないと思ってしまう。
結局あれ出来レースでしょ。
結局得てして受賞ないし候補になってるじゃない、特に最終選考は。
多分なろう系はアニメ化したら大ヒットするだけの余力はあるんだけど、
文学賞は無理だろう。
結局出来レースの文学賞に応募するだけ時間と労力と金の無駄なんだ。
じゃあ、どうすればいいって?
簡単な話、ネットで小説を書いて信者を作って行ったりネットで話題になればいいんだよ。
これが一番の小説家への近道だって事はラノベの現在の主要作家陣を見れば明らか。
しかも作家の年収ランキング上位は皆なろう系とかネット小説から這い上がって来た人ばかり。
時代は文学賞を求めない事は、直木賞や芥川賞を含む文学賞の顔ぶれを見れば分かり切っている。
正直面白くなくても受賞するのがそれらで、線引きは多分家柄とか学歴とか作家本人の認知度の高さで決まってくる。
それ以外、つまりそういうのを持ってない才能のある人はネット小説で試せばいい。
40ウン歳でそういうの作ってる側です。
たとえば殺人事件を扱う漫画はたくさんありますが、実際殺人事件を起こした犯罪において、その種の漫画のせいにして減刑されたことはないですし、さらにいえばその漫画家が(あるいは映画製作者でも小説家でもいいですが)巻き添えで有罪になったこともありません。つまり社会は「一般に言ってフィクションはフィクションだと認識できるし、現実と混同しない」と判断してますし、事実そう動いています。
ですのでがフィクションをフィクションだとわかる人を前提として底向けに作っていますし、この社会全体がそうだという前提だと認識しています。
正直、娯楽作品に人生の責任を要求されても困るといいますか、せめてセックスした相手に子供の認知を迫るべきで、物陰からうかがってた女性に認知を迫られても怖いだけともうしますか、困惑しきりです。
10年をさくっと語ってみる。
小説家ワナビ人生のはじまりは高校生だった。あるラノベを読んで、衝撃を受けた。それで、自分も書こうと思った。
書けると思ったんだ。
でも、高校生のときに書けたのは、1年半くらいで、結局2作。しかも短編。
そのときに知るべきだったのだろう、「書ける奴はこの時点で長編書けてる」ってことに。
夢だ、夢をかなえるんだ!
いろいろあったけど、略。
小説のことだけ書くと、大学で書いた小説、計4作。しかも短編。
でも長編一作も書けない。
小説家になるために、小説を読もう読もう、と努力しまくった。なにしろ文学部だ。
でも、もっとすらすら読めるのは、文学理論とか、作家のエッセイとか、創作理論とかだった。
ところで、話は前後するけど、高校生のときから、どうも自分には精神病のケがあったらしい。
このころは、強迫性障害になってた。
簡単にいえば、水道の蛇口がいつまでたっても確認しまうとか、ガスの元栓が以下略とか、家の鍵が以下略とか、物を落としたんじゃないか、と思って地面をガン見したりとか……。
大学時代、これは加速していった。
だから。
だから、小説家になって、見返したかった。いろんなものを。バカにしたあいつらを。
小説なら、こんな屈託が書けると思った。
自分を救ってくれる、と思った。
で、話は元にもどる。いや、実際は繋がってるのだけど。
大学院にいった。
文学部だ。
小説家になるために、知識をたくわえるのだ……というのは、半分嘘。
社会が怖かった。
小説家になってないままだったら、自分は社会に出られない、と思い込んでた。
精神病は、小説家になれば治るんだ、と思って、薬物療法をしていた。
体重は、20kg上がっては、20kg下がる、みたいなことになってた。
このころには、もう統合失調症になってた。そんな人間が、大学院での修士課程の勉強についていけるはずがない。退学した。
しょうがなしに「小説家になって……」と答えた。あの時の学生課の人間の「ハハッ……」なせせら笑いを忘れることは出来ないが、今はしょうがないか、とも思える。
いろいろあって、働くことになった。食っていけない。でも、ほぼニートのような状態だ。
というかニートなのだろう。時間はあった。金はなかったが、時間はあった。
精神病院にも入った。
そして数年。
ちょっとよくなった。
長編を5作くらい、書けた。それくらいには、回復した。でも、投稿しても一時落ち。それ以上いったことはない。
小説は相変わらず読めない。
そればかりか、薬物療法の甲斐あって、どんどん思考力が落ちていってる。
比喩を思いつくスピードが遅い。文章を連綿と書けない。何より、深く思考し、キャラを作ったり、物語を作ることが出来ない。
最近になってようやく気がついた。
自分は「小説家になる!」の夢しかない、真性ワナビなのだと。夢に酔っていただけかと。
そもそも、おかしかったんだ。
なんで小説をこれほど読めないのかというのが。「人間の心理を描く文章」「情景を頭のなかで構築する文章」を読むとなると、やたらと疲れる。疲れまくる。
現実での人付き合いは、他人の顔色をみて、電気反射・脊髄反射で、どうにかしのぐような状態。
そして自分が書く小説は、不快な現実・人間からの逃避ということで、やたらと調和的な平和な、何も起こらないような世界の物語。
キャラに怖い、つらい思いをさせるのがイヤだ!!!!! 作者たる自分がいやだ!
というわけで、捨てた。小説家になる夢を。
これからどうしよう。
https://twitter.com/tm2501/status/753676514600771584
ソシャゲに、Twitterに話題になった奴に、一昔前の、今は軽くオワコン化した人気小説家が書いた題材からしてBL狙いにしか見えないスポーツもの…。
なんか、オタクがマジョリティになったんだなぁ〜オタクに強度が要らなくなったんだなぁ〜的な感想
https://twitter.com/tm2501/status/753677256740839424
なんか、ちゃんとポケモン見よう、コナン見ようと、今季アニメ見ない代わりに短期間で映画を10本20本見た僕のほうが一周回ってサブカルっぽくなっちゃったなぁ〜。
個人的には「寄せた」ぐらいの気持ちなんだけど、結局「寄せることができる人」が絶対的に減っちゃったからなぁ〜。
https://twitter.com/tm2501/status/753678708540514304
あーなんだろう…。コナンとポケモンをほぼ全部見ちゃったから、この勢いで、しんちゃんとジブリも見て、すごいボリュームの記事書いちゃおうかな…。
ツイッターで話題になったマンガやソシャゲーしかアニメ化しない深夜アニメ見るぐらいだったら、そっちの方がずっと面白いことしてる気がする
https://twitter.com/tm2501/status/753679086661185536
…僕は「コナンにうるさい」んじゃなくて、「90年代後半〜00年代後半までに放送されてて、子どもの時に見ちゃったもの全般」にうるさいんだよ…。
そこに、ジブリと、コナンと、しんちゃんと、ポケモンがあっただけのこと。
https://twitter.com/tm2501/status/753679573884166144
いや、ミュウツーの逆襲で泣いちゃった小学生は思春期引きずって生きるしかないんだよ。ラピュタに思い出補正かけまくって見ちゃって、ジブリで一番面白いのを最も宮﨑駿のエゴが少ないエンタメ作品であるラピュタだと言ってる人も、ポケモンと同じぐらい思春期引きずってるが…。
今の子は何だろ?
https://twitter.com/tm2501/status/753683648197431296
いや、オタクに特化した「おたくエリート」みたいな子を死ぬほど見てきたけど…そういう子って「手段としておたく」なだけ。知識が豊富で議論やネットの使い方がわかってるだけ。
思春期こじらせて「自生した」オタクよりも引き出しはあるんだけど…自分の意見とか位置関係がないんだよね…メタいの
すべての理屈が俺SUGEEEEにつながるのほんとすき。もう語り口調がどう考えてもおっさん。
そして自分がちょっとでも気に入らないものは全部ダメ! いってることがまともでもこんな老害おっさんから話聞きたくないわー。ないわー。ないわー。
https://twitter.com/tm2501/status/753547749262360576
「ミュウツーの逆襲」の名言を23個も書いて、I2の「悲しくて泣くのは人間だけ」というフレーズが出てこない辺り、このレビューサイトは節穴だと思う。20年先までの指針がそこに詰まってるのに/ミュウツーの逆襲の名言23個。ニャースやサトシ
ポケモン映画は、「悲しくて泣くのは人間だけ」というフレーズがミュウツーの逆襲の最初に出てきて、ピカチュウ達ポケモンの涙でサトシが奇跡的に復活する。「ポケモンは動物でも、従者でも、コレクターズアイテムでもなく、ポケモン。人間の友達であり、人間と同じ位置にいる存在」である何よりの証拠
ポケモン映画って、ポケモンと人間が対等な友達であることを20年貫いてる。
人間の方がおごっていても、ポケモンが人間に対して排他的でも、悪役になるし、ルカリオみたいにポケモン自身が下につこうとする場合もサトシと喧嘩になるのよねぇ…。
え?僕は、ポケモンとコナンとしんちゃん見る時はかなり高い精度で見てるよ?/一応読んでると思うけど、コナンで本気出したやつ貼っとく。ベーカー街のところとか見てみ?こんな精度で書いてるやつ自分以外見たことないわ
ちなみに、エヴァとかまどマギで本気出そうと思ったら、30年前のアニメどころか特撮まできっちり見てないとわかんないものを抑えてるかどうかで揉めるじゃん?作品の解釈どうこうじゃなくて、元ネタ当て合戦になるじゃん?俺、あっちの方面は弱いです
よく貧困やなんかの社会問題系の記事で「一番の問題は想像力の欠如だ」みたいな言われ方がされている。
人間は基本的に自分の見たもの経験したものについてしか考えられない。
それ以上の領域に踏み込むためには類推だとか連想だとかが必要で、それにしたってある程度の下知識が求められる。
そういうものをぶちやぶって想像力を飛躍させるレベルともなると、これは一つの才能だ。だから小説家なり漫画家なりで金を取れる。
誰もが小説家になる必要はない、弱き隣人に思いを馳せるのにそんなに大したコストはかからないと人は言うかもしれない。
社会問題を考えるうえで必要とされる「想像力」とはすなわち、「他者の痛みについての想像力」だ。
痛みこそ、自らが体験あるいは目撃しないと想像することができない最たる感覚だ。
実際にその痛みを体験したものでさえ、いったん過去としてしまえばすぐに同じ痛みを味わっている他者に対して冷酷に振る舞える。ルサンチマン。卑近なところでは、体育会系の年功序列がいい例だろう。
そもそも共感に訴えるロジックは、その感情を共有できない人間を包摂できない問題を抱えている。
共感能は誰にでも備わっているようで、グラデーションがあるものだ。映画で人が刺されるシーンを観て自分まで同じ箇所がキリキリ痛むような人もいれば、サイコパスと呼ばれる人々はまったく共感というものを持たない。その二つの極のあいだで我々は「すぐもらい泣きしてしまう人」や「反応が薄い人」として生きている。
たしかに共感に訴えるショッキングな事件は、短期的には法改正などにつながりやすい。しかし、よほど特異でセンセーショナルなケースでないと大衆は食いつかない。たとえば未成年が集団で残虐な事件を引き起こす、だとか。
そこが難しいところだ。貧困など、恒常的で身近な問題に共感は通用しにくい。
状況を良くしたいのなら、我々に「想像力」などないと認めるところからはじめるべきだ。
人間が他者に対して無関心なのは今に始まったことではない。その状況を了解したうえで、どうやってゲームに勝利するかだ。
となると、やはり構造的に問題の根を断つ方法を見つけなれけばならない。なるべく人的コストを必要としない方法がいい。
てっとりばやく、ゲームのルールを策定する側に回れれば話は早い。
権力。
権力。
権力を手に入れろ。
増田たちよ、栄達せよ。
そうして、クソを漏らす自由を。
きょうはじめてはてなIDつくって、はじめてそのまま匿名ダイアリーを書いた。あたしのただの今の気持ち書いた。ブクマなんて来ないと思ったから20とかきてておどろいた。こんなへんなJK(笑)の話ブクマしてくれんのかー、と思った。少ないのかもしんないけど、1コもこないと思ってたからびびった。ネカマじゃなくてほんとに女子高生やってんだけどね……。てかつづきとか書いていいのかな?ルールとかあんのかな?まあいいや匿名だし、つづけるけど、ネカマってやつに笑った。てかコメントけっこう笑って読んで、あたしの情報病んでるJKってことしか知らない、あたしのほうもだれかまったく知らない人が5秒くらいあたしのこと考えてたんだ、って思ったら不思議な気分だった。ネカマ……。(笑)文体がネカマっぽいのかな、コメント?も読んだけど、読んでもらえるって嬉しいなと思った。思った思ったばっか使ってるとこJKっぽくない?あ、ぽくない?まぁ信じてもらえなくても一応ガチJKです。(笑)
太宰は人間失格とかメロスとか教科書とかで読んだけどああいう話はよくわかんなかった。女生徒は太宰のなかでいちばん好きな作品だけど経緯はしらなかったからググッた。あと読んでる人たいてい大人みたいな感じして、まあはてなブログとか見てもあんま高校生とかいないし、(あたしが見る限り)おとなおおめ?
書くだけで楽になったし、読んでる人いるんだって思ったらもっと楽になった。ちょっと気分かわった。ね、文章で精神安定できたでしょ。むかしから書くのは好きで小説家になりたいとか思ったことあったけど、いっこも書き上げられなくてむりだった。こう見ると文もへただし、現在進行形でJKなのにJK役で文書くとネカマっぽいし(笑)、むりだったな。いろんな意見あっておもしろかった。とりあえず高校は卒業するよ。あとけっこうがんばって進学校入ったから、大学いっときたいな。
これ、前の読んでくれててさらに読んでくれてる人いんのかな?いないかもしんないけど、初匿名ダイアリーたのしかったよ。たぶんまた書くよ。ありがとう。おやすみなさい。
読書会で夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。
<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ
漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。
「私の個人主義」は講演をまとめた本です。
タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日、学習院で行われた講演のタイトルです。
漱石は1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。
5つの中から、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。
学習院で行われた講演ということで、若い学生を対象にしていたようです。
漱石が学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。
漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、
彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。
いい加減な事をしたわけです。
呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、
熊本で教師を続ける中、文部省化からイギリスへの留学を勧められます。
彼は断ろうと思いました。
なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。
結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。
「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています。
彼の心境は非常に苦しいものでした。
「腹の中は常に空虚でした」とか
「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」
そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます。
この喜びを
「ようやく自分の鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など
そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます。
「貴方がた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。
自己本位が必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。
彼が人に流されて生きてきた。
その腹の煮え切らない不愉快な気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。
ここまでが第一部の内容です。
個人主義や自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。
自分の自我を尊重するのであれば、他人の自我も認めなければならないといいます。
講演を聞いている学習院の学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。
気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。
彼は所属する団体や立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます。
団体を作って、権力やお金のために盲動しない。というものでした。
素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。
理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から、
漱石の中期~後期の作品は個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています。
特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います。
淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を
論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義と漱石の魅力だと思います。
以上
"仮にもリーダーなんだし, もうちょっと出現回数上げていこうよ."
「・・・」
"おい! そこは三点リーダー使えよ!!"
「でっでも、こっちの方がみんな使ってますし・・・三点リーダー使うと小説家きどりの意識高い系みたいに思われますよ・・・」
"あのさぁ, 君がいつまでもそんな新人みたいな気持ちでいるからその分私が頑張らないといけないの, 分かってる?"
「えっそれはどういう・・・?」
"ほらまた使った."
「・のことですか?これ中黒さんじゃないですか!」
"それもドットって呼ばれてんだよアホ!! ……あーごめん. 今の言い方は私も悪かった."
「いえ…」
"やっと使ったね. いつもそうすればいいのに. いい? 君がちゃんと自分を売らないからフォントの違いで上へ下へと飛ばされたりするんだよ?"
"良いじゃん, 調子出てきたじゃん! 実は擬人化アニメの話が来てるから君にも活躍してもらおうと思ってたんだけど, これならいけそうね!"
「えぇっ、本当ですか!?ありがとうございます!!」
"じゃあ今晩はアニメ化を祝して飲みに行こう! 私の使い方ももっと教えてあげよっか? (笑)"
「あっ…すみません、今晩は二点リーダーとリーダー勉強会なんで…」
"そ, そう・・・"
中学時代、ある程度仲が良かった男子がいて、見た目も地味でそもそも肥満だったり、ルックス的には全然恵まれていない人なんだけど、とにかく勉強ができた。
で、勉強ができる子らしく立派にオタクだった。カードゲームとかオンラインゲームとかも中毒レベルでハマっていた。あと(ラノベではない)小説が好きで、中学生なのに作家の(大人だらけの)ファンミーティングなんかにも顔を出す社交的な人だった。
でも、外見は完全にオシャレでもない単なる肥満児で、恋愛とかモテとは無関係に思えた。
ところが、その男子が中学2年のある日、これまた勉強のできるクラスでも指折りのメガネ美人(と評価されていた)の子と付き合い始めた。正直、ショックだった。いつもありえないほど原色のスウェットに太ももがピチピチのチノパンを履いてるようなヲタ丸出しの子だったのに、突然異次元か別世界の人になったかのようだった。いや、あいかわらず外見はピザデプのヲタであることには変わりなかったのだが。
自分がその交際をからかったことから、その男子との関係は悪くなり、私達の縁はほぼ切れてしまった。その後も同じ高校に進学したものの、その男子は青白い顔をした文化系ヲタ丸出しだったにも関わらず、なんとラグビー部に入部。部活漬けの青春を送った後、現役で首都圏の名門私大に進学した(もちろんスポーツ推薦ではなく実力)。
大学進学の際、私は地元に残った。それ以来、あの男子とはまったく接点がなくなっていたのだが、先日、ふとFacebookで彼の名前を検索してみたところ、たいぶ体型はスリムになったものの、オタクっぽいメガネをかけ、センスの欠片もないファッションに身を包んだ彼が小さな子どもと写っている写真を目にした。
あの男子は既に結婚していた。彼が好きだった小説家がよく本を出版していた大手出版社に勤めていた。相手女性は(オタク系の専門校卒ではあったが)美人で知的そうな顔をした女性で、彼女との間に子どもすらもうけていたのだ。典型的な幸せな家庭を築いているように見えた。
別に私があの男子に恋していたわけではない。どちらかといえば軽いイジメの対象にしていたような気さえする。正直言って、彼のルックスは(現在写真に写っている姿もふくめ)底辺クラスといっていいし、とてもではないけど恋愛対象にはならない。
けれど、彼のような全く恋愛と縁がなさそうな男子でも、できる人は思春期になり初めの頃から恋愛を楽しめているわけで、逆に私の周囲にいる(外見も中身も悪く無い)草食系男子は学生時代からろくに恋愛には恵まれていない。
そう思うと世の中の人が言うような、恋愛に縁がない男性は「努力が足りない」とか「勇気がない」というより、どうも生まれついての何かが違うのではないかと思えなくもない。
あのビザデブ男子は少なくとも外見では(現在にいたるまで)モテのための努力はほとんどしていないことは明らか。たしかに痩せた努力は認めるけど、清潔感もろくにないルックスは相変わらず。でも、彼は恋愛相手に恵まれているし、私の周りのわりと雰囲気イケメンな男たちはなかなか相手に恵まれない。
この差はなんなんだろうね。婚活もふくめ世の中の人が色んな「モテるための努力」に勤しんでいて、私もその一人ではあるのだけど、正直本当に人として魅力的でありさえすれば、もしかしたらモテるための努力なんて必要ないのかもしれない。
結局、私たちはそもそも人として大して魅力的でもないので、せめて外見やモテるワザをつかって相手の気を引くしかなかった、というのが現実なのかもね。
いわゆるフリーターなんだろけど、近所のよく行くコンビニ、バイトの定着率が良いのか、
服飾か美容関係の専門出て、そのままバイトしてるような感じの、
よく髪型かえたり、ワンポイントで派手なファッション(時計とか)したりする20代前半くらいのかわいい女の子とか。
20代中盤だろか深夜にいる、マスクしてるから素顔がどうかわからないけど、目だけhydeなイケメンとか。
30そこそこだろうけど、やっぱ深夜バイトだと生活のリズムが狂いやすくて、
毛にくるんだろなぁと思わされる冴えないオッサンとか。
実はバンド組んでたり、小説家志望だったりするんだろうか。夢追っかけ系フリーター。
それとも特にしたい仕事もなくて、惰性でバイトしてるだけなのか。
コンビニのバイトって、学生や主婦がやるイメージが強いので(それが古いかもしれないのは別に否定しない)、
せいぜいやっても4年程度だと思うんだけど、学生って感じもしない。
この人たち、自分の将来どう考えてるんだろうとか、たまに勝手に不安になる。
「変化がない」というのが、地味に怖い。