はてなキーワード: 休みとは
※ネタバレ
特に映画に詳しいわけでもないけれど、現代社会が舞台で肩ひじ張らない娯楽映画が好き。
ただ、そういう映画って何かのランキングとかに紹介されることもなく、だんだん忘れられてく感じなので、とりあえず3本くらい選んでみる。
自分の中でプロデューサーというとこの映画のダスティン・ホフマン演じるスタンリー・モッツ。傲慢で厚かましく側にいたら絶対うんざりするだろうけど仕事は進めてくれるだろうという信頼感はある。「That's Nothing!!」
なお、この映画、例のビル・クリントンとモニカ・ルインスキーの件が公になる前に封切られてる。映画の演出がフィクションを強調している(飛行機が落ちて無傷…)のも妙に迫力がある。
イスラムテロリストと戦わないといけないけど、そのために先軍政治になってしまってはダメだよね、という今なら不思議でも何でもない映画の製作が同時テロ前という。00年代の予習みたいな映画。
一部俳優が大物過ぎてひっくり返る(名演というか迷演というか…)。
当時クライムアクションという触れ込みだったけど、アクションではない…(ただ妙に盛り上がる)。サスペンスでもない。とんでもなく悪意たっぷりの視線でアメリカの田舎をこき下ろした映画。
今だったら、ポリコレ勢と保守派の両方から袋叩きにされること請け合い。インモラルさ半端ない。ただ、自分はこの映画で、神と銃とピックアップトラックのアメリカがあることを知ったのも確か。
数ある法廷映画でもこの映画が好きなのは、やはり相手役のキャラが立っているから。良い仕事には、良い環境が必要。昼休みに電話をかけてくるものは滅びるべし。
イギリス映画といえば「フル・モンティ」や「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」が有名ですが、これもじんわり心が温かくなる佳作。ヤクザの高齢化問題を先取り。バイオレンスで夜の生活もばっちり。
会社で、上司のやる気がないってイキってる若い人にやさしくなれる映画。
高校の科学教師って電話組み立てられるんだという驚き(ネタ)。1条件でどんどん場面を転がしていくのに舌を巻く。題名通り携帯電話使ったギミックが沢山。
ともあれ着信音がうるさい輩は万死に値する。
ごめんなさい。ファンタジー映画でした。でもファンタジー世界でも、人は業から逃れられぬのよね。
無垢っぽいキャラクターで話を作っているところが意地が悪くて好き。
女賞金稼ぎって異世界にしかいないんじゃないの?という良識ある皆様を裏切るノンフィクションベースの映画。やっぱり人質司法はよくないよねって思う…かな?
自分は最高にハイだったけど、LSDキメてんじゃないかというポケモンフラッシュ系の演出があるので注意。
ごめんなさい。これもファンタジー映画でした。ウィキペディアにそう書いてあるし。ファンタジー映画です。でも、あまりファンタジー好きの人に受ける気がしないな。
近所のお兄さんの頭の傷は、ロボトミーじゃなくて脳梁離断術というのをきちんと分かったうえで演出しているのが良いですね。
これもトニー・スコット監督だった。悪役のキャラが立つのはよい映画。フェアであればその結果破滅してもいいよねっていうビジネスの狂気。
自分もいろんな投資に手を出してきたので、ちょっとこの悪役の気持ちがわからんでもない。
皆様大好き、ウェブの片隅に現れる胸糞漫画の広告。それの決定版みたいな映画。手心一切なしスカッと復讐。
スーパーエンジニアの主人公がスーパーすぎてそこに痺れる憧れる?
頑張って2本探してみたけど、最後の一本は紹介してくれたらうれしい。
ブコメへお返事
原罪とか楽園とか聖書ワードで楽しむ物語として創ったんだとは思うけど、けなげな主人公はそれだけで応援したくなるよね。
法廷ものだと『ザ・ファーム 法律事務所』『ペリカン文書』『評決のとき』等々、90年代に数多く制作されたジョン・グリシャム原作作品が好きでよく観てたなあ。
3っていくつだっけ……
1、2、…たくさん
増田の例はあんまり社会派感感じなけど、社会派娯楽映画ならマイケルマンのインサイダーが好き。社会派抜きならヒートのが好きだけど
「ニュースの天才」ヘイデン・クリステンセンの闇堕ちが、スターウォーズ以外でも見られます。
エリン・ブロコビッチ好き。あと女神の見えざる手も
うん好き。ちょっと重いけどね。
映画は主にかっこいい俳優目当てで見るので、マーシャル・ローはブルース・ウィリス、ロンドン・ドッグスはレイ・ウィンストン、完全なる報復はジェラード・バトラー目当てで見た。完全なる報復はラストが超胸糞。
ラスト胸糞と思うのは筋が通っていてよい。クズを殺してすっきり、でもその後はやりすぎじゃね、で主人公を殺してすっきり、という定見のない観客をあてこする映画と思うので。
確かに1回しか見てない映画もあるし、歴史の試練に耐えるかというとそうではないだろうけど、たまに思い出す系映画。
書き直し。
ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子「ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的に主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。
全部谷川俊太郎って演奏会を明日やるんだけど、中の2曲が自分の経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい。
去年の夏、子供の誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。
数日後、会社で仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。
数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援のヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分の携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。
会社は早退して駆けつけた。
病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署で手続きやら葬儀社の互助会の書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団の練習は無断欠席していた。
「生きる」だった。
ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。
うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。
曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。
……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。
それはのどがかわくということ
木もれ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。
くしゃみをすること、手をつなぐこと
と続く。
「くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。
これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系だから、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。
そうはならなかった。
寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。
そうはならなかった。
私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまったからだ。
私は亡くなった人と手をつないだことがない。
曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然や科学や芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。
あの人はもう、新しく美しいものに出会うことはできない。最後の電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこが揺れている、揺れているということ
いま、いまが過ぎてゆくこと
不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。
生も死も同じ時間の中にある。
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。
もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリも存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。
それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さない人間でも、愛する可能性がある希望。
そして曲はまた、
あなたの手の
あなたの手のぬくみ
生きるという生きるということ
「あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。
私が繋がなかった手のぬくみ。
一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。
空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。
子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。
亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。
でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。
去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。
今日はリハーサルで明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。
もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。
これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。
しかも
もうじきまた夏がやってくる
(中略)
おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった
と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ。
主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから、若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。
何でもかんでも自分と関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。
今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。
お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。
去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。
曲は、しかし喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。
たびたび出てくる「知る」という営為。
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
主人公は何を知りたいのだろう?
なぜネロは死んだのかを?
私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。
詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、
それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え
春を迎え 更に新しい夏を期待して
そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいものを貪欲に取り込む力強さ。
(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)
私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。
冬場からこちら空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。
家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダーの書き込みもそのまま。去年、子供の誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。
それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。
まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。
(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記で距離を置かないと吐き出しにくい)
https://anond.hatelabo.jp/20230616181933#
https://anond.hatelabo.jp/20230616183359#
https://anond.hatelabo.jp/20230616185259#
https://anond.hatelabo.jp/20230616193905#
https://anond.hatelabo.jp/20230617050254#
https://anond.hatelabo.jp/20230617055005#
https://anond.hatelabo.jp/20230617053211#
05:00:起床
05:10:着替える
06:50:自宅着
07:00:シャワー浴びる
07:30 〜 15:00:掃除したり、片付けたり、料理したり
19:00 〜 21:30:料理する
22:00:うまくできて美味しそうだったら食べる。出来なかったらまた明日でいいかなと思う
05:00:起床
05:20:ゴロゴロ、ネットしたり、ゲームしたり、調べ物する
14:00:洗濯したりしないといけないなって思う
18:00:風呂に入る
19:30:洗濯物をまとめる
22:30:コインランドリーにとりに行く。たまに混雑している時があってそういう時は気まずい
22:40:服を吊るす。しまう。着替える
22:50:なんか疲れたので出前取ることにするが、ピザしか頼めないことが多いので食べるのやめる
06:00:起床
06:10:ボーッとする
06:30:起きろアラームが鳴るので消す
06:40:風呂入る準備をする
07:00:風呂入る
08:40:吊るしている服に着替える
08:50:着替え終わる
09:00:迎えにくる場合は待機。現場で待ち合わせの場合はマンションを出る
23:30:自宅着
23:40:着替える
27:00:寝る
「わるいな夫(妻)、この巣は一羽用なんだ」って感じ
いつも1羽だけ巣に入って、もう一羽はひとつ隣のランプを足場にしたまま寝てる
巣とツバメをしばらくまじまじと見てたら歩きたばこのじいさんが「ツバメの巣があるやろ」って話しかけてきた
そのあとも話すでもなくそばで立ち止まったままたばこ吸い始めたから仕方なくその場を後にした
ほんとたばこきらい
ITパスポートの過去問が机上の空論すぎて思わずヤバイ現実を突きつけてしまう皆さん「人員なんて増えない」
プロマネが部内で手伝い募集したけどだれも手を上げず、結局増援の見込みなしとなる。
やむを得ず連続残業と休みを返上して期日通りに案件を終わらせた。
っていう、だれも褒めてくれなかった事があったのを思い出したよ。その後、無理がたたって入院もしたし。
この一件でうつにもなったし、この場は逃げるが勝ちだったなと今でも思う。
と思って、児童相談所にも行ったし、最終的には民間のあっせん団体とやり取りを始めた。
児相は、最終的には実の親に返すことが目標である養育里親のなり手の方が欲しいようだった。
特別養子縁組、それもできれば新生児がいいだなんて、何を虫のいいことを言ってるんだ的な顔をされた。
ただコロナ以降なのか、大体何でもオンラインになっていて、ちょくちょく休みを取って上京しないといけない、なんてことにはならないようだ。
それはそれで不安だが、交通費が馬鹿にならないのでありがたい。
当たり前なのだが、児相だろうと民間だろうと、「子どもに障害や病気がある可能性を理解してください」とめちゃくちゃ念を押される。
実子だろうと可能性レベルで言えば同じなのだが、いざ覚悟を問われるとちょっと身構えてしまう。
別に「五体満足で健康な子でないといりません」なんてことはもちろん言わないのだが。
でも、「五体満足で健康であるに越したことはない」と、思うくらいは許してくれよ。と思う。
誤魔化すし、くだらない嘘もつくし、面倒は嫌いだし、非課税で2億ほしいなーとか毎日言っている。
そういう、俗世間の普通の人間でも、他人の子をお預かりして育てられるだろうか。
なんだか、すごく意識と徳が高い完璧夫婦を求められている気がして居心地が悪いのだが、特別養子縁組で子どもを迎えたいと思っている。
Twitterで話題になっていたが、年収800万円は日本人女性の上位1%ということらしい。
それについて様々な議論が交わされ大変興味深かったが、わが家は妻の年収をアテにして、夫(私)がキャリアダウンをし、家計運営をすることにした家庭であり、今年、妻の年収がちょうど800万円を超える想定である。
私たち夫婦としては、「合理的に考えて、男性がリスクを負ってキャリアアップをするより、女性が収入を増やす方が容易であり、家計運営においても有効である」という考えの下、このような決断に至った。
今日は日本型雇用を踏まえてなぜ女性の収入アップが有効なのかについて、わが家の見解と実体験を書いていきたいと思う。
なお、はてな匿名ダイアリー初投稿のため、不備や読みづらさがあったら申し訳ありません。
夫:1200万円 28歳 コンサルとか広告代理店とかそんな感じ。ほぼ毎日終電(裁量労働制のため、残業代ナシ・・)
夫:500万円 38歳 地銀とか地方公務員とか大企業の地方子会社とかそんな感じ
妻:800万円 40歳 大手JTCで一般職が廃止され、強制的に総合職(管理職にならなければ転勤はないという条件付)
そうは言っても人気の地区に住んでおり、地価は順調に上昇中で子育て世帯が多い
家は高級と言われるハウスメーカーの、さらにだいぶデカい家に住んでいる(笑)
夫が転職により時間が余りに余ったため、小さいうちに勉強を仕込み、近隣にある私立小(高校まで一貫)に入学
別に教育熱心ではなく、子どもは将来日東駒専以上に行けばバンザイというレベル
現在は上の子が中学受験をしたいと言い始め、私立小に通いながら受験塾に通っている
基本的に余裕がある
1軒目の家のローンは早々に完済できた(夫の転職で退職金が入った。夫婦の会社の株価がリーマン以降に大幅に上がった等、地合に恵まれた)
地価も上がったため、購入時の倍ほどの値段で家をウリ、同じ自治体内のタワマン⇒子の小学校近くに再建築と移動。
夫が転職して収入が減ってからも、資産額が前年を下回ったことはない。日々家と会社の往復しかしていないため、お金を使う用事がほとんどなく、夫も妻も帰宅時間が読みやすいので、突発的な出費(シッターへの依頼や預かりがわりの習い事への預け)が不要。時間に余裕もあり自炊もできるので、出費は少ない方だと思う。
お金を貯めたいとは思っていないが、自然にどんどん貯まっており、なぜかサラリーマン生涯賃金の半分くらい貯まっている。
夫は20代で1000万円を超える稼ぎがあり、当時も正直言って資産に余裕はあった。
しかし、20代でこれだけ稼いでいるということは、当然激務であり、帰宅は毎日23時を過ぎていた。
仕事は非常に楽しく、周囲のレベルも高く、世の中を動かしている実感も大きかったため、戻れと言われれば今でも喜んで戻りたいとは思うが、どうしても仕事を続けたくない理由があった。
それは「転勤」があることであった。
夫のような大した学もウデもない人間が大企業に所属するためには、総合職として全世界への転勤を受け入れる必要がある。
しかし、転勤をしてしまうと、妻のキャリアが中断してしまうこととなる。
大変失礼な話だが、妻もこれといって学やウデがあるタイプではなく、一度退職した後、どこかに再就職することは難しいのではないかと考えた。
(まして転勤者の妻なんて、いつ辞めるかわからないんだから定食につくのは難しい。)
妻の会社には「配偶者の転勤で一旦退職しても復職できる制度」があったが、妻が「そんな図々しいことができない」と頑として拒否したため、わが家にとって転勤は大きなハードルであった。
また、上の子が超超超がつくほどの人見知り。新しい環境が苦手。どこかに行ったら間違いなくイジメにあって不登校になりそうなタイプであり、この子を連れて全国を回るのは、子どもの人生が壊れてしまうというリスクがあると思った。
(これは子どもが小さいうちならではの心配な気もしていたが、やはり根本的な人間の気性は変わらず今でも同じようなタイプなので、全世界転勤がある仕事は離れて良かったと、今も思う)
わが家も、上の子が小さいうちに夫が転勤する機会があったが、上記の理由で単身赴任をし、その後東京の会社に転職し、さらにその後現在の会社に転職をした。
さらに、例えば私が病気になり働けなくなった場合、家族の収入が一気にゼロになってしまう。
親が若くしてガンになり、その後家族が崩壊⇒進路が大幅に制限された私にとっては、これも大きなリスクとして考えられた。
つまり、夫一人で1500万円稼ぐことを目指すよりも、夫婦で1000万円稼ぐほうが転勤リスクもなく、また、片方が病気で倒れた時も家族が崩壊しづらい環境を作る方が、「家族というチーム」においては強いと思ったのである。
結論から言うと、この10年くらいはボーナスタイムであり、例えば男性が700万円⇒1000万円(+300万円)を目指すより、女性が500万円⇒800万円(同じく+300万円)を目指す方が容易だったと思っている。
そして今後もしばらく、この流れは続くのではないだろうか。
実際、鼻で笑われそうな学歴のうちの妻でも十分に達成できたのは、正直なところ時代が良かったからであると思う。
前述の通り、妻の会社は一般職制度を廃止し、旧一般職を全員総合職に登用した。
※大半は仕事内容がそのままで年収が増えた状況。簡単に800万円は稼げないが、これはこれでオイシイ状況になっている。
わが家では夫婦で話し合った結果、これを収入増のチャンスと捉えた。
わが家は夫ではなく、妻の収入増を目指したが、これには大きく3つの理由がある。
(1)社会的に女性の昇進・昇格が求められているので、すなわち昇進・昇格しやすい
(2)家庭があると、休みやすい・リモートしやすい(※コロナ禍以降)・男性よりも周囲が理解してくれやすい
(3)残業したり、成果を出せると、女性というだけで評価が上がりやすい。
会社としても元一般職女性の昇進は「ロールモデル化」しやすいので大歓迎。ゲタも積極的に履かせてくれる。
社会に求められているのは、男性の出世ではなく、女性の出世なのである。
実際に誰でも800万円の年収を達成できるかは不明であるが、例えば年収500万円の夫婦がいたとしたら、男性より女性の方が、圧倒的に年収800万円の到達はしやすいのではないかと思う。
正直それくらい、世の中の女性へのハードルは低い。低いというと失礼に聞こえるかもしれないが、女性は家事育児の中心を担う存在・男性は仕事をすべき存在という前提は根強い。
そのため、世の中の常識と逆のことをすると、大きなメリットを享受することができるのである。
妻の会社の総合職には昇進試験があり、妻が総合職になった2年目に受験のチャンスが回ってきた。
試験の内容はグレードによって異なるが、現在、妻は既に以下の2つの受験が完了している。
(1)テーマに合わせて自身の業務を絡めて記述する作文試験(一発勝負・2時間程度)
(2)自身の業務改善提案をして生産性200%を達成するための考案+プレゼン試験(準備2か月以上・本番1時間程度)
総合職に新卒入社した人たちは、およそ入社6年目・10年目頃に受けるのが一般的なようだが、元一般職の妻は入社9年目・13年目頃に受験をしていた。
ちなみに同年代以上の女性たちは、これらの受験をことごとく断ったそうだ。
理由は「一般職として入社したので総合職の試験を受けるのはおかしい(抗議?)」「そもそもキャリアアップするつもりがない」「内容が難しそう」ということだったそうである。
受験内容と、同僚が受験しない旨の相談を受けた時、私はすぐに受験を薦めた。
理由は「他に受験する人が少ないのであれば、受験さえすればそれだけでプラス評価が得やすいのではないか」「他の元一般職が受け始めると比較されてしまうので、いつか受ける可能性があるのであれば、早い方が良い」というものだ。
作文試験もプレゼン試験も取り組んでみるとなかなか難しい内容であったものの、「一般職でこういった試験に取り組む姿勢」「元一般職にしては異常に高いクオリティ(夫が作文・業務改善・プレゼンの指導を全力で行ったため、対策は万全であった)」が評価され、非常に高い点数を取得できた。
なお、妻が受けた翌年以降、元一般職の試験は年々厳しくなっているらしく、現在は普通に落ちたり、低得点(今後の昇格にあまり良い影響を与えない)人もいるらしいので、早めに受験する作戦は、それだけで大成功だったと言える。
というか、うちの妻(と同じく、機を見るに敏だった優秀な女性たち)が、ハードルを上げた面もあるだろう。
正直、妻の方が稼ぎもよく、リモートワークにも取り組みやすいため、家庭における私は実際のところ、必要ではない。
そうなった時に夫が発揮できる価値はなにか。
夫婦で家事を分担したことがある人はわかると思うが、家事はその日の体調や気分によってムラが生じる。また、得意分野や苦手分野がある。
例えばわが家の妻は、料理は大好きだが皿洗いは嫌いだ。
低収入の夫の価値は、ここで徹底的にフォローし、家庭運営を軌道に乗せることである。
妻が料理をしている間に机の上を片付け・箸やお茶を出す・その間に風呂を沸かす準備をしたり・子どもの連絡帳や宿題のチェック・明日の準備の声掛けをする。
妻は体力がなく食事が終わると早々に寝てしまうので、その後に中学受験の子どもの学習を見るのは私の仕事である。
子どもが寝た21時半以降に、食後の片付け・翌日の米研ぎ・みそ汁の準備・肉の解凍等の下準備・お茶づくり・ルンバをかける・翌日のゴミ出し準備・下駄箱に靴をしまう・気になるところの掃除(日常レベル)や片付け・洗濯機を回す。
その後ジムに行って汗を流し、帰宅後風呂に入り、風呂掃除をするまでが私の仕事である。
もちろん、毎日こんなに完璧にルーティンをこなせているワケではない。
妻もよく掃除をするし、洗濯ものやゴミのまとめをすることもある。
収入の低い人間(夫)のすることは、収入の高い人間(妻)の状況を把握し、その他の対応をこなすことで、家庭を円滑に回すことなのである。
ちなみに、別に収入が多い妻が偉いとか、男性である夫が偉いとかはない。
あくまで家庭というチームを経営する上で、細かいことをイチイチ気にせずに、双方の得意分野や知見を持ち寄っているに過ぎないのである。
妻は望んでもいない昇進をさせられているのではないかと思った方もいるかもしれない。
よく妻の仕事の相談に乗るが、そこで出て来る話は「昇進試験で作文やプレゼンをした内容を実際に業務に活かせて面白い」「というか、私みたいな経歴でもここまで昇進できるなんてラッキー!」みたいなテンションである。
夫としては時流をとらえて上手にライフハックしているつもりであるが、妻としてはあまり深く考えず、ラッキー!
実際、妻の仕事は年間での繁忙期が非常に明確で、その時期は毎月多大な残業を強いられるが、ある程度昇進してからは、妻の意見が採用されて業務改善を進めやすくなったり、短期で派遣さんを雇ったりと、自分の仕事にも良い循環が果たせるようになったそうである。
担当以外にも、新しい華やか系の仕事が入ってきた際には、まず妻に声がかかるそうである。色々と新しいことをやっており大変そうではあるが、グループ全社に配られる社内広報紙に載ったりと、正直うらやましい。
一方夫はというと、仕事面に関してはほぼ捨てている。
これまでの人生観と180度変わったような転職をしたから当たり前である。
年収が下がったという意味でSNSでは圧倒的に地位が低い(笑)
最近ではリモートできる職種が増えたのでうらやましい(夫はリモートができない)が、当時の自分が選ぶことができた選択肢の中では、もっとも良い選択ができたのではないかと思っている。
現状金銭面では困っていないが、子どもも大きくなることで家庭運営は年々ラクになっているため、チャンスさえあればやりがいのある仕事に再度チャレンジしたいと考えてすらいる。
ここまで妻の800万円への道筋や、そのために夫が大幅年収ダウンしたこと等について語ったが、「結局夫が大幅年収ダウンしているから、意味なくない?」と思った方もいるであろう。
確かにその通りである。本来は夫が1200万円を稼いだまま、妻が800万円を稼いでこそ、こういった場所で偉そうに他人にアドバイスができるはずだ。
しかし皆さんに問いたい。
わが家は転職した当初、世帯年収が1000万円を切ったこともあったが、生活には特に困らなかった。
自分の幼少期を思い出してほしいが、みなさんそんなに子どもの頃って裕福だっただろうか。
つい30年ほど前の日本は、東京で治安良く住める地区はごく一部・どこもタバコくさい・きれいなトイレがない・貧乏っぽい家にはバキュームカーが来ていた・マクドナルドがmade for youではなく作り置きだった等、正直、誰もが裕福な感じはしなかった。
ところが今は、どこでもだいたい治安が良く、タバコの臭いを一切かがない日もある・イオンに行けばトイレはキレイ・子どもがモンクレールを着ていたり・カロリーなんぞないスタバに長蛇の列・車もこぞってアルファードという家庭が増えている気がしないだろうか。
この30年で、日本人はものすごい贅沢になったと、個人的には思う。
しかし、適切に支出をコントロールすれば、わが家のようなちょい贅沢的暮らしはできてしまうのである。
家族全員でモンクレールを着て、ゲレンデを所有して、高級腕時計をつけて、都心に居住して、私立小に通って、食材は最低でも成城石井、外食はチェーンではないお店でしか食べないというのであれば、稼ぎは多いに越したことはないだろう。
そのレベルに行きたいのであれば、そもそも「雇われの年収800万円」程度では全く足りない。自らリスクをとって、事業を起こすべきなのだ。
6500字を超える記事をここまで読んでくださった方は、夫婦でサラリーマンをしながら、妻も年収800万円を超えたいなと思っている方だろう。
そのレベル(=もちろん私も含まれているので、皆さんを下に見ているつもりはない)で良いのであれば、支出のコントロールを考えることが、ある意味最も大事なことである。
ここまでの話をまとめると、
・夫は転勤懸念があり、共働きを維持するためにキャリアダウンを受け入れた
・妻は「女性活躍」の流れに先んじて乗り、キャリアアップがしやすかった
・夫の家庭参画時間を増やし、妻に稼ぎを集中してもらっている
・それでも夫婦で年収1000万円は軽く超え、郊外であれば圧倒的に余裕のある生活ができる
となる
欧米のように真のトップクラスのみが転勤をし続けるような働き方ではないからこそ、私のようなレベルの人材でも手に入れられていた1000万円。
要するにわが家では、かつての日本型雇用に守られた男性中心の働き方よりも、女性の地位向上の流れに乗った方がQOLは上がり、ウェルビーイングであり、人生設計も安心安全であると判断し、そして現状ではそれで上手く行っている、ということである。
今後社会情勢がどのように変わるかによって、夫婦がとるべき策も変わってくるかもしれないが、幸いにもアラフォーにして、今後つつましく暮らしていける程度のお金は手にしているため、今後も現状のキャリアをのんびりこなしていくことも悪くない。
もしくは、お金はあるので、本当にやりたい仕事に戻り、やりがいを追求しても良いだろう。
いずれにしても、人生のどこかで時流を読み、そこに上手に乗れることで、学歴がなくとも女性の年収800万円は達成可能であり、持続可能であろうということが、少しでも伝わればと思う。
もともと自分の母方は姫路に本拠地があるので3歳から六甲おろしを歌わせてもらえる家庭でした
でも自分は物心ついたときから町田か町田の近くで育ってて 自分の中心になる球団ってやっぱり遠かったんです
それでも阪神ファンは心の拠り所でな(なんJの影響もある) ずっと視界のどこかで彼らの動向を追うてました
ある日 奇跡的に仕事が休みになる日があったんで「そうや!阪神の試合観に行こう!」ってなったんすわ
夜行バス往復とって でも行きの晩(昨日の晩)寝坊してね 朝始発で新幹線乗って行きました
関西に住んでる友達と会うて 宝塚で散歩してな 別れて で西宮のライト外野におったわけです
昔買うた平鍔のキャップ被って 黄色と黒のかわいいアウター来て 夢中で試合にかぶりついてました
ボールを打ってる人たちが僧侶や菩薩のように見えて ずっと手を合わせていました 応援歌も聴きかじりのを精一杯歌ってね 真言のように繰り返していたんです
そしたらね 急に天から言われたんです
「お前は今まで阪神ファンのファンやった。でもお前は今日ヅカに行ったやろ タワマンの中に美しい水の光る武庫川をお前の目で見た。それは洗礼と一緒や。お前はもう許され、お前の血は祖先の魂とともに一つの川に注ぎ込んだ。阪神ファンになってええ。甲子園にいるあいだはどこにも東京を感じなくていい。明日から関西弁を喋り 誰よりも選手名鑑を読み込んでな 家電を買うんやったら鶴川のJoshinに行け」
そう
もう元には戻られへんわけです
試合はボロ負けですわ あの野郎2発もホームラン打たれてな ホンマどないしよんねんもう
全ての人と悔しさを分かち合いたかった でもその瞬間が美しかった みんなが同じ気持ちになっているあの時間がきらきらしていた
試合のあと喫煙所に雪崩込んで知らないお兄さんと喋りました 叫びたくなったのでキャップを地面になんべんも叩きつけました
そして素戔嗚神社に手を合わせて怒鳴り込みました
「お願いします!!!!!あなたはずっと甲子園のそばにいて 私たちをずっと見守ってくれた やから絶望の底にあっても発破をかけてくれるのはあなたが一番やと思うんです どうか!!!!!!!
𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺を
日本で一番強い球団にしてください!!!!!!!!!!!!!」
本気で神様に祈ったことは 生まれて初めてだった 今日は救いの日だ 雨に打たれた後のようにずぶ濡れになって(全て自分の汗やった) 大声をあげて泣きました
ぎゅうぎゅうに詰まった甲子園駅に向かう群衆のなかで 僕は鳥取に住んでる仲のいい男の子に衝動的に電話をしました 電話越しの介抱も大変やったと思う わしはベロベロに酔っててな もうめちゃくちゃになってた すぐに電話を切って電車に詰め込まれました
あんなにスイスイ歩けてたはずなのになんにもわからなくて泣きそうでした どこからかジャズの音が聴こえてきて踊ってしまいました 魂のそこからわいてくる踊りです トランペットを吹いていたお兄さんに財布の小銭を全部わたして
日本じゅうの𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺ファンのみなさん 見えますか?聞こえていますか?
今日僕は 私は ワイは 全ての人格が あなたたちと同じく大いなる武庫川に帰依しました
佛 この土地と
いやお前なに神社に祈ってんねんという話ですけれどもね
愛しています
また戻ってきます
そしてその西、市川沿いに静かに暮らす私の祖母と、書写山の遠くの空に眠る祖父、散り散りになっても関西弁を話しつづける従兄弟たちに思いを馳せます
武庫川の、向こう側……w
光ARE