はてなキーワード: ハンバーガーとは
・めだま焼きと唐揚げ
・親子丼
あたりは、ユダヤ教の「親と子を一緒に食べてはいけない」という教えに反するらしい。
ハラルとか仏教とかそれぞれ違ってめんどくさいから全部食わないのがいちばんだよ。
ID非公開さん
2016/9/1 15:50
6回答
ユダヤ教において「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」という戒律がありますが、“親子”の組み合わせ料理は、ユダヤ教徒は厳禁で 同じ親子の組み合わせ、親子丼やチーズバーガーすら厳
禁らしいです。
でも戒律は「子ヤギの肉を、その母の乳で煮てはならない」であって、あくまでも「子ヤギの肉」を「ヤギ乳で煮てはならない」であるから親子丼やチーズバーガーなら問題ないんじゃないでしょうかねぇ?どうも悪い方へ解釈してしまってるのですね。
宗教・1,114閲覧
cav********さん
2016/9/1 19:05
ユダヤ教では「肉と乳製品をいっしょにとること」を禁じています。チーズバーガーやクリームシチューに肉を入れることはもちろん、一回の食事で肉と乳製品をとることはできません。肉料理の食後のコーヒーにミルクを入れるなどもだめです。私がイスラエルを旅行した時、肉料理の後にデザートとしてアイスクリームが出ましたが、牛乳ではなく豆乳を使っているとのことでした。肉と乳製品を食べる間に、6時間だか8時間だか置かないとだめなのです。(胃の中で双方がいっしょにならないように。)もちろん、どこまで厳格に守るかは個人差があるようです。
親子丼は、卵であって乳製品ではないので大丈夫なのではないでしょうか。
まったくだな、鶏・卵白な親子丼、ヤギでないのに食いたくないのは とんでもない解釈!
お礼日時:2016/9/7 14:18
クリームシチュー 肉チーズバーガー親子丼クリームシチュー肉料理
その他の回答(5件)
dol********さん
2016/9/2 8:10
違うよ。カシュルート(食物規定)では「肉」と「乳製品」を混ぜることが禁じられているんだよ。
で、卵も乳と同じように親鶏から出てきて、子を育てる成分を含むものだ。だから、中世ユダヤ人は卵の性質上、乳と同じだと考えた。ただし、まだ殻を形成していない段階ならば乳とは見なされない。ここは議論があって、絶対そうだというわけでもないよ。
いずれにせよ、卵の殻座の部分には血が混じっているので、その部分を取り除かねばコシェル(適正)にならない。
また、厳格な人は食後にコーヒーを飲むこともしない。うっかりコーヒーにミルクを入れて、胃の中で肉と乳が混ざることを防ぐためだ。
さらに、イスラエルのマクドナルドなんかは、ハンバーガーを売るカウンターと、アイスクリームを売るカウンターとが別々になっている。
あなたは「悪い方へ解釈」と言ってるが、それは「食物規定は悪いもの!」というキリスト教価値観の押し付けにすぎない。
こうした食文化全体として見れば、あなたが挙げた問題なんて取るに足りないことというか、むしろ「より安全な方へ」という解釈になっているんだよ。
なぜなら、神が与えた食物規定の真意は、人には分からない。だから、人がうっかり規定違反することがあるかもしれない。それゆえ、神が具体的に命じたことを範例として、食生活の一つ一つについて詳細に検討した結果なんだ。人の謙遜さの現れなんだよ。
これがイルカの絵を描いてたり、エイズで死んだり、麻婆豆腐得意だったりカメラ目線で鍋振ってる周富徳だったら違うんだろうな。
「ねえ、パパってビートルズだったの?」
美味しんぼだけを見て育った人は、ピーマン嫌いに「本当においしいピーマンを食べたことがないんだ」とか言いがち。
おいしいピーマンはピーマンではない。「うん、これなら僕も食べられるよ!」は問題解決してない。
いい歳のひねくれたおっさんも、うまいもの食べさせればその味の善し悪しが分からなかったことで自分の間違いに気づき、
すぐ非を認め、素直に反省して謝って、相手と仲良くしようと屈託がない。
そう思えば、雄山に美味い料理出されて対決で負けても、自分を顧みないのは士郎だけだな。
どうせ、雄山の出した母の料理を食べたとき、士郎の記憶が蘇って、
ってゆう「マクロスプラス落ち」だろ。周りのみんな、言ってやれよ。
X-9には同じ人工知能の無人機ぶつけろよ。機械には最後は人間が勝つって、
根拠のないナショナリズム的な精神論だから負けるんだよ。三目並べやらせるの好き。
必勝法は無いかもしれないけど、相手がいれば勝つことはできるけどね。
相手に詰められたとき、だっと立ち上がって、外に走って出たい。
「士郎、お前は浮気してるだろう。スマホを見せろ。自分の伴侶すら幸せにできない者が、
他の相手と楽しくやろうなどとは片腹痛いわ」ってときに、「うぐっ」って言って、
走って逃げたい。田畑さんとやりたい。
結局みんな金持ちで、平民が食べてる一般食を「まずい」って言ってる金満の考え。
ワイの中の理想の大人は海原雄山。雄山ならこんなときどうするんだろう、って考えてる。
「これはなんですかねー。肉とも魚とも違う、、不思議な味でーす」「人肉だよ」。
全然関係ないけど、Youtuberとかで「命に感謝、いただきます」とか言ってる奴、
みんな死ねばいいのに。昔から肉とか黙って食べてたよ。一方的な言い訳を見せられて、鼻につく。
「スタッフがおいしく云々」に至ってはバカにしてるだろ。食べ物で遊ぶなってことだからな。
給食の栄養士は、子供が残すような献立をだすなよ。栄養のバランスがとか、
まずい料理にしなきゃ栄養が偏るのかよ。食べ物残すより、残される料理出すほうが罪深い。
ポテトサラダに玉ねぎ入れる人は、カレーにコーヒー入れたり、酢豚にパイナップル、
ラーメンのスープにはすんごくこだわるけど麺は製麺店から買ってる。
サッポロ一番塩ラーメンとうまかっちゃんの粉末スープはすごい。
結論から言えば「とにかく不可食部の多い食品を選ぶ」これに尽きる。
この一行ですべてを悟った人はそのまま実践してもらえば確実に健康になっていくので、ここから先はもう読まなくても大丈夫。
で、まぁ、「痩せる」とか「ダイエット」とか言うと、カロリーがとか、PFCがとか、糖質がとか有酸素運動がなどとただでさえ薄い頭をさらにモヒカン刈りにして躍りかかってくる輩が雲霞のごとく湧いてくるんだけど、今回はそういう話ではないので自覚のある人は黙っていてほしい。特に黙ってほしいのはカロリー信者だ。「消費カロリーが摂取カロリーを超えれば痩せる」という説を今だに唱える人は、自分がホメオパシスト並の「古科学信奉者」だと認識を改めてほしい。カロリーってのは食物に含まれる脂質を単純に計算しただけのものだ。脂質を取って糖質を抜く減量方が理論を伴って存在する(その是非は置いておく)以上、カロリー信者はもはや100年単位での時代遅れと言わざるを得ない。もはやカロリー教は単なる経験主義者でしかないのだ。100年くらい前にはそれで何となくうまくいってたっぽいからそれを支持する、それだけの存在で、ぶっちゃけもはや有害でしかない。カロリー天動説から早めに脱却できることを望む。
話を戻そう。
不可食部の多い食品を選ぶというのは、つまりは食物繊維をとるための具体的な方法だということになる。
ダイエットをする、痩せる、健康になるための理論がこれほどまでに世間にあふれているということは、それら方法がいかに実践し続けるのが難しいかということでもある。
油は最高に美味いし、肉最高、米無双、ハンバーガーやばい、フライドポテトはまさに麻薬。それが現生人類の大いなる現実であって、そこから楽々解脱できるメンタル強者の話は偉人伝みたいなもので、「ほえー」とはなるけど実際に自分がやれるかという話にはならない。
理論はわかってるし、モチベーションが上がって数か月続くこともあるけど、やっぱり元に戻ってしまう…。
そういう世界だ。
まぁこの辺はダイエットをちゃんと考えたことのある人ならもはや言うまでもないだろう。
具体的な方法を伝えよう。
もちろん、これが唯一の解ではない。上手く生活に取り入れるためのヒントとして活用してもらいたい。
なぜ世の中にこんなに肥満が増えたのかというと、近現代の食生活と健康が矛盾するようになってしまったからだ。
ダイエットの特効薬は食物繊維であることは様々な統計、科学的調査によって判明している(サプリで食物繊維採っても意味ないことも判明している)。
しかし、人類は「食物繊維をなるべく減らそう」として来てしまった。それはもちろん「食べやすく、美味しいから」なのだが、それが行きつくところまで行きついてしまった。
研究により「食物繊維超大事」ってわかったんだけど、世にあふれる食品は食物繊維抜きの物ばかりになってしまっている。
かといって中世の食事に戻れるはずもなく、人類単位でジレンマを抱えてしまっている。
そういう時代だ。
そこで、冒頭の「なるべく不可食部の多い食品を選ぶ」のが大事になってくる。
肉を食べるなら、スペアリブや手羽先のような骨付きの物。野菜はできるだけ皮つき、骨の多い魚など。
いわゆるホールフーズダイエットだ。丸ごと全部食べるダイエット。
極端に言えば、リンゴを丸ごと全部食べるだとか。見た目的に「ちょっと汚そうだな…」って思うリンゴの上下の部分も、芯の硬いところも、全部食べる。種はさすがに残していいけど。見た目的に抵抗がある部分でも、口に入れてしまえば別に何でもないのだ。人間はプラムの種を飲み込んでも別に問題なく排出される。自分の体を信じよう。もちろん、アレルギーには気を付けて。
クリスマスにはケーキの上にフルーツがこんもり盛られたケーキを。見た目的にも嬉しいし、食物繊維が少しでもとれる。
お酒のつまみにはゆでた枝豆を(豆の周りに薄皮が付いているから)。
ジュースは粒入りの物を。
魚介類を食べるなら、殻付きのエビを。エビは最高に美味い。頭まで食べれる。
圧力なべを使って魚の骨まで食べたり(サンマ缶や鯖缶もいい)。
焼き芋も皮と根本も全部食べる(飲み込んでしまえばいいのだ)。
特にお勧めなのはあら汁。あら汁は最高。美味しいし、食事中に何度も手が止まる(骨や鱗をよけるから)し、何より安い。あら汁に合わせてご飯を食べれば、食事時間は10分以上にはなる。食べ終えるころには自然と満腹になってくる。
デザートは果物を。桃やキウイは皮ごと食べていい。みかんもバナナもスジまで食べていい。
昔はこれらの食物繊維を取り除いて食べるのがオシャレだったが、ようやく「むしろ全部食べるのがオシャレ」になってきている。この波には乗っていい。ぜひ乗ってくれ。
皮を食べるのがどうしても抵抗がある人は、食品用の洗剤というのが売ってるから、それで洗ってもいい。
というか、普通に売ってる洗剤でもちゃんと食品や果物、野菜に使えるようになってるものもある。
少なくとも、花王のキュキュットのラベルには「用途:野菜、果物、食器」と書いてある(ただし、薄めて使うこと)。
https://www.kao.com/jp/products/kyukyutto/4901301288417/
これは、昔の野菜は回虫の卵やら泥やら砂やら小石やら肥料のウンコやらが混ざっていたので、それらを除去するためのものだったからだという。実にまっとうな用途として台所洗剤は存在している。
野菜は洗いまくって皮ごと食べよう。(ジョイには用途に食品が書いてないので、ちゃんと確認してほしい)
とにかく、「食物繊維が抜かれた環境で『食物繊維を食え』と言われる」というダブルバインド甚だしい世の中に生まれてしまったので、自衛のために日ごろの生活から意識してみてはどうだろうか、と提案してみる。
筆者自身の話をすると、ひたすら食物繊維を追い求めた結果として3年でBMIが10下がるということになった。米も肉もフライドポテトも食べている(ただし骨つき皮つき)。
強迫性障害っぽさを感じた
「値段の割には?」「値段関係なくジャンクフードとして絶対的に?」「他のバーガーと比較して?」「そもそもハンバーガー類を総称してマックを代名詞として使った?」「これは食べに行こうって話か?」「いや、実はマッキントッシュの話?」「マクドナルドが濡れ手に粟で稼いでてズルいって話?」「買ってこいのパターン?」「何かの前フリ?」「世界一売れているからって話に繋がる?」「ただの雑談?」「そもそも何と比較して?」「単に同意すればいい?」「同意した途端にやっぱコイツ舌馬鹿じゃんって返す気?」「いや、それとも他の人を舌馬鹿と煽るためにこっちの同意を利用しようとしている?」「つまり不味いというのが正解?」「はい」「わかりません
増田は話を先に進めなきゃという思考に囚われすぎている気がする、プレゼンテーションや小説ならともかく、ただの雑談なら5往復くらいは同じ題材の会話でいいんだよ。
基本的に話しかける側は「共感してほしい」という気持ちが一番強いと思う。
「マックって美味すぎるよな」の本当の意味は、ツッコミ待ちでも世界中のハンバーガーとの比較検討でもなく、「マックは美味しいという意見に共感してほしい」だけなんだよ。
増田の書き方を見ていると増田自身はマックのことをそこまで美味いと思ってないんだよな?だからここでは「お前は何が一番好きなの?」が正解。この時に謎のツッコミをしても滑るだけだし、「別に美味くないだろ」って増田自身の感想を素直に返してしまうと「否定しかしない嫌な奴」になる。経験あるんじゃないか?
増田は恐らく周囲の人間とは感性が合わないことが多そうだし、それなのに周囲は常に共感を求めてくるわけだからまともにコミュニケーション取ろうとすると疲れると思うわ。だから相手を否定せずに質問返しするのが一番マシなんじゃないか(それでも疲れるとは思うが)
あとそもそもの話だが、増田はつまらないとかコミュ障とかよりアスペルガーっぽいから診断下りたら楽になるなら病院行った方がいい
もう逃げ切れねえな。
必死に笑いを取ろうとして失敗した。
痛いやつだと笑われることはいくらでもあった。
センスのいいことを言おうとして失敗し続けた。
頭がいいと思われたくて必死になりすぎた。
サクラ大戦やったことある人にしか分からねと思んだけど ←ほらこういうのがもう駄目
あのゲームって選択肢がいくつか出てくる間画面のふちに導火線が走って残り時間が表示されるのよ。
それで時間切れになると強制的にバッドコミュニケーションになるの。 ←ほらこういうのアイマスやったことねーと分からねえのに注釈もねえ
俺の頭の中はいつもそんな感じで必死に面白い選択肢選ぼうとした結果いつも爆弾が爆発するの。
じゃあ適当に安全そうなの選べよってなるけど「はい」「わかります」「ありがとうございます」とかなの。
でも時間切れで爆発すると最悪なので必死に「はい」「そうですね」で切り返すの。
マジつまんねーなって俺も思う。
逆に俺からすると他の人が言ってることも別に完璧じゃねえんだよ。
「マックって美味すぎるよね」
みたいなお題が突然来るとするじゃん?
まあ俺はそこで「値段の割には?」「値段関係なくジャンクフードとして絶対的に?」「他のバーガーと比較して?」「そもそもハンバーガー類を総称してマックを代名詞として使った?」「これは食べに行こうって話か?」「いや、実はマッキントッシュの話?」「マクドナルドが濡れ手に粟で稼いでてズルいって話?」「買ってこいのパターン?」「何かの前フリ?」「世界一売れているからって話に繋がる?」「ただの雑談?」「そもそも何と比較して?」「単に同意すればいい?」「同意した途端にやっぱコイツ舌馬鹿じゃんって返す気?」「いや、それとも他の人を舌馬鹿と煽るためにこっちの同意を利用しようとしている?」「つまり不味いというのが正解?」「はい」「わかりません」って無数の選択肢が見えてもう何も分からなくなって「はい」っていうんだよ。
それをコミュ障って言われるんだよね。
でも「話の流れがわからねえ」って返すとそれはそれでコミュ障なんだよね。
もうさ、分からねえよ。
「俺の脳内を超能力で読めないお前が悪い」って言われてるのと変わらねえから。
そういうのが本当に悔しくてさ、違うよお前が表現力ない分を他のやつが必死に補ってくれてただけだろうがよ他人に甘えてる自覚がないお前がゴミなんだよ、って、怖いからソイツらには言えなくてさ。
でも段々と不安になってくんだよ。
俺が間違ってんじゃねえかって。
でも無理だったよ。
俺は小説家になろうでまともに伸びずにぼろぼろになって終わってアカウントも消した。
今は作り直した垢で最後に一言愚痴って全部止めようとこれ書いてる。
非言語コミュニケーションとか言語コミュニケーションとか俺にはよく分からねえ。
でもなんとなく、言語コミュニケーションに限定すれば俺も勝てるんだって心の神棚に飾って毎日祈ってたんだ。
でも違ったんだ。
やっぱ俺駄目だったんだよ。
それを認めねえと前に進めねえって気づいたんだ。
俺は駄目なんだ。
コミュ障なんだな。
どうしたらコミュニケーション取れずに生きられるのかっていつからかずっと妄想してる。
たとえばマトリックスみたいな世界になったらさ、仮想空間の町の中で何度も餓死しながらコミュニケーションから逃げても死なないからまあ大丈夫じゃん。
そこまで行かずともベーシックインカムとか生活保護みたいのでいけるかなって妄想もしたけど、駄目だったよ。
だって窓口で申請しようとしたらそこにコミュニケーションが産まれるだろ?
全部が自販機を押すようにアマゾンで発注するように完結するならイケルんじゃないかって。
でもそういう世界にはなってねえだろ。
でもどうにかならねえのかな。
生きていくこととコミュニケーションの結びつきが強すぎるんだよ人類は。
そもそも親に育てられてるやつ多すぎだよ。
植物は、なんなんだろうな。
でもアイツら本当にコミュニケーションしてねえのか確信が持てねえんだよな。
結局アイツラの身体にも電気信号は流れているわけで、それで交信とかしてるとしたらやっぱ駄目じゃねえか。
俺はコミュニケーションしたくねえんだよ。
いや、したくねえわけじゃねえんだ。
ミットにめがけず投げあったボールを勝手に拾って勝手に投げ合うだけの世界でいいんだ。
全てがボトルメールみたいに誰あてかも曖昧なままで終わって欲しいんだよ。
読み返したわ
実は今まで小説とか描いても怖くて読み返してねえんだわ
いやー読むと分かる
これは駄目だ
文章の書き方に型がねえな
型破りってわけでもねえし天衣無縫でもない
継ぎ接ぎだ
よく小説の修行で好きな作家の書き方を真似してやってみろっていうが
アレはつまる所その作家の型を真似て書くことで「型にそって書く」という感覚そのものを身につけるために合ったんだな
真似ることの最終目的は「自分がイメージする理想の自分」を演じられるようになることで、その準備としてまずは既にイメージの固まった作風を真似して演じるという概念を筆で理解するってことか
分かってきた
分かってきた折れた筆を取り直すのもダルいな
つうか好きな作家とか居ねえよ
だって俺が好きになる作家ってつまりは俺が描きたいことを俺よりうまく描けてるってことだしつまりは目の上のたんこぶだろ
俺は最強に成りてえんだ
さっき諦めと言って何いってんだって話なんだが俺としてはやっぱ作家とかになりたいのは俺が最強であることを証明して俺は最強だから絶対にコミュ障じゃねえって俺の中に植え付けられた最悪の敗北感を屈服させることなんだよ
でもあれか
いやそうなのかも
いやそもそも悪役とかそういうのですらないんだろうな
なんでもないんだ
マジで無なんだな
その上でコミュ障なんだ
産まれてきたのが間違いだな
俺さ、「生きててよかった」みたいなのが大嫌いなんだよ
だって「生きててよかった」ってのは「死んでたほうが良かったか」って疑問を掘り起こすじゃん
生きててよかったと死んでりゃよかったでポイントを比べ合おうと頭が動き出すじゃん
すると今までに感じてきた死んでりゃよかったが次々思い出されるだろ?
それどころか他人の迷惑になるから死んでたほうが良かったのかとか振り返らされるじゃん
なんで「超気持ちいいーーーーー」とか「死にたくねえ!だってゲームやりてえええ!!!」とかで終われるものをさ
いちいち「生きててよかった」なんて言い方にするんだ
こういうことに無頓着で想像の翼が生まれつきへし折れて出てきたカスどもに「お前、コミュ障」とか「つまんない」って言われるのマジで許せねえんだよ
やっぱ屈服させてえよ
「お前、マジで面白いしコミュ力すごいっす。僕が間違ってました。そんなことも思いつかないほどにカスでした。無知の知の逆ですね。言い方は知りません。バカだから」って言わせてえよな!!!
言わせてえよな!!!!
言わせたかった………
本当に悔しい……
Windowsの標準ニュースアプリのヤバさ
anond:20211110184109
うん、そうだ、いいところに気づいてくれた。
ただ、そもそもの問題は、ニュースアプリではなく、アプリが表示しているニュース供給元のmsnニュースやBingにある。
https://www.msn.com/ja-jp/news/
msnはInternet Explorer登場初期から運営されているマイクロソフト版Yahooにあたるポータルサイトだが、現状ではほぼニュースサイトとしてしか機能していない。
もともとmsn立ち上げ時からmsnニュースの編集部は産経などマスメディアから天下りしてきたような外人部隊による編集であまりモラルも質がいいとは言えなかったのだが、現在は機械学習をベースとしたエンジンで動作しているようだ。
"新聞社が作るニュースサイト"という葛藤 - MSN産経ニュース編集長に訊く (1) | TECH+
https://news.mynavi.jp/article/20071121-sankei/
矢口真里さんがMSN特命編集長に就任、Twitterで「特ダネ」投稿キャンペーン - BCN+R
https://www.bcnretail.com/news/detail/100915_18147.html
MicrosoftがAI編集者を“雇用”、MSNニュースの編集スタッフ数十人は契約終了へ【やじうまWatch】 - INTERNET Watch
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1255985.html
広告やフィッシングの問題に関してはBingとその広告エンジンに問題がある。そして、日本語版Bingは米国と比べて機能は少ないし、検索結果の品質も酷い。
とはいえ、それが放置されている最大の原因は、すでに多数指摘されているように「だれも読まない・使わない」「使っているのは情弱だけ」だからだろう。
そして、それを運営している日本マイクロソフトにしても、これらのサービスを提供する動機が、Windowsの機能として米国で提供しているものはカウンターパートとして日本でも用意しなくてはならない、という義務的なものであるからと考えられる。必然的に意識は低くなるわけだ。そもそも、米国本社はともかく、日本マイクロソフトでAppleやGoogleを吹っ飛ばしてやろうと質を向上させるような高い目的意識や技量・発言力を持っている人材はそう多くない(いないとは言わないが)。
というと、この増田のように周りから油を注いで燃やしていくのもアリではあるのだが(じゃんじゃんやってほしい)、マイクロソフトの場合、実は正面から指摘・報告するためのフィードバック窓口がほとんどの場所に用意されているので、気づいたら片っ端から報告していくのが本来の正攻法となる。
Windows10以降には諸問題を報告するための「フィードバックHub」アプリが同梱されており、ほとんどの標準アプリにフィードバック送信ボタンが用意されている。
ニュースアプリの場合は、左側のハンバーガーメニューの下にある😀のボタンがフィードバックボタンになっている。
ここをクリックすると、フィードバックHubが立ち上がり、自動的にニュースアプリの既存のフィードバック一覧画面になるので(もしかすると初回は規約の承認画面かなにか出るかもしれない)、右上の[+フィードバックを送る]ボタンを押下すれば、入力画面になる。
あとは、問題を報告するだけだ。
報告内容は機械翻訳されて米国本社でまとめられるので、日本語でいいのだが、一文一文は短く、平易な日本語で書くことを心がけてほしい。
また、ついカッとなって「フィードバックの要約」に罵倒や見下すような乱文を書くのはご法度だ。
正直、使い勝手は良くないが、問題を報告し、賛成票を投じ、マイクロソフトに対して問題をエスカレーションできるシステムが用意されていることを知ってほしい。
なんなら、送信したフィードバックのリンクを共有してSNSなどで組織票を集めることもできる(これも使いにくいが…)。
ただし、注意すべきなのは、このフィードバックHubは、「一般ユーザー」と「Windows Insidersユーザー」では、データベースが分離されているという点だ。それぞれのユーザーからは自分たちが属している集団のフィードバックしか見ることができない。
msnニュースやBingにも直接フィードバックを送信するフォームが用意されている。
https://www.msn.com/ja-jp/news/
https://www.bing.com/search?q=test&pq=
それぞれ右下フッター辺りにリンクがあるので、おかしなニュース記事や検索結果に遭遇したら報告してほしい。
Edgeにも…メニューの中にフィードバック機能がある。EdgeのフィードバックはフィードバックHubではなくEdgeから送信した方がEdgeチームに直接届くそうだ。
最近は、新しく「フィードバック ポータル」というサイトも用意された、製品ごとにフィードバックをWebから送信できる。Edgeから送信したフィードバックもここから状況を閲覧できるようになった。
Feedback · Community
https://feedbackportal.microsoft.com/feedback
Windows Insidersなどマイクロソフトのフィードバックコミュニティーに参加していると、マイクロソフト社員から頻繁に口に上るのが「日本人はフィードバックが極端に少ない」という点だ。(あと、「ポジティブなフィードバックがほとんど無い」)
この世界は声が大きいものほど有利に動くようにできている。シャイで発言しない日本人は損をしてばかりなのだ。
「こんな当たり前のことわかってるだろ?」というレベルのことが当事者や責任者には全く伝わっていないことがままある。あなたが声を上げなければ世界は何も変わらない。
心強いと思う
優秀な人ほど未来をみているなあ
1950年代に描かれた手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」の中で、動物たちの共食いをやめさせるために人工の肉である「人造肉」を作る場面がある。
そこからおよそ70年。
“培養肉”のいま
筋肉の細胞を培養して増やし、固めることで肉にする“培養肉”の技術。
きっかけは、2013年にオランダの研究チームが発表したハンバーガーだった。
ただし、作るのにかかった値段は総額3000万円以上。
大量生産は難しいものの、培養肉が料理として使えることを示し、世界を驚かせた。
ことし6月、鶏肉の培養肉を大量に作ることができる工場が誕生した。
細胞を培養するためのタンクを7基備え、1日に最大で500キログラムの培養肉の製造が可能になった。
こうした技術によって、ハンバーガーのパテ1枚にあたる100グラムの原価が3.9ドル、日本円にして450円ほどにまで下げることができたという。
国内で販売の許可がおりていないため、食べられるのは従業員だけ。
アメリカの食品企業がホテルのレストランで、培養肉をつかった料理を提供している。
価格は一皿およそ2000円。
(GOOD Meatの担当者)
「今、培養肉を扱う企業は爆発的に増えています。世界の食肉市場は巨大で、私たちの力だけでは足りないので、今、多くの企業が参入して来ていることをとても心強く感じています」
食糧危機に
世界中で培養肉の研究が進んでいるのはなぜか?背景には、世界規模の人口増加がある。
お祝いの日に「焼き肉」を食べにいく家庭もあるかもしれないが、経済的に豊かになると肉の消費量が増加するとも言われている。
人類が食べる肉の量は、2050年には2010年と比べて1.8倍に増えるという予想もある。
これに対して、既存の畜産では飼料となる大量の穀物や水が必要になるため、拡大が難しい。
食肉からタンパク質の摂取が難しくなる「タンパク質クライシス」が近い将来訪れるという懸念もある。
こうした畜産業では足りない部分を賄うために「昆虫食」や「植物性の代替肉」、それに「培養肉」などの新しい技術が注目を集めている。
アメリカのコンサルティング会社は、2040年には、世界の食肉市場の6割が「培養肉」と「代替肉」になり、培養肉の市場規模は69兆円になると試算している。
培養肉は、牛や鶏などの動物から少量の細胞を取り出して、動物の体の外で増やして作る。
広大な土地も必要ないため、将来、安く大量に肉が作れる可能性があると期待されている。
日本では、大型研究プロジェクト「ムーンショット型研究開発制度」などで培養肉の研究を国が後押ししている。
(太陽エネルギーを駆動源、藻類を栄養源とした培養肉工場のイメージ 画像提供:インテグリカルチャー)
現在大量生産が可能なのはハンバーグなどに使われる「ミンチ肉」にとどまっている。
そこで日本の研究者が目指しているのが、サシの入った和牛のような培養肉。
大阪大学の松崎典弥教授は、ことし8月、和牛と同じ構造をもつ培養肉を作ることに成功したと発表。
「細胞の繊維だけかき集めてハンバーグ状にしているが今の培養肉の主流です。でもそれではステーキにはならないんです」
肉は、繊維状の赤身と脂肪、それに血管などが複雑に絡まっている。
そこで目をつけたのが3Dプリンターだ。
(3Dプリンター)
特殊な容器の中に細胞を入れ込み形状を保ったまま細胞どうしを融合させる手法を開発。
筋肉、脂肪、血管、それぞれの繊維を作ることに成功し、これらをくみ上げることで、和牛と同じ構造をもつ1.5センチほどの大きさの培養肉を作ることに成功した。
(できあがった培養肉)
この方法の画期的なところは、赤身と脂肪の割合を自由に変えることができるところにある。
将来的に家庭にある3Dフードプリンターで肉が作れるようになれば「お母さんは胃がもたれているからきょうは脂肪を少なくしよう」とか「高校生の長男はサーロインで」などと、気分によって作る肉を調節できると期待されている。
ただ現段階では繊維をくみ上げる作業は手作業で行っていて、松崎教授は、メーカーと協力しながら、自動でステーキ肉を作る装置の開発を目指している。
「いまは、すべての行程を食べられる成分で作っていないので、食べることができません。ただ和牛と同じような構造ができたので、食べたらおいしいと思います。これから先にいくためにはスケールアップをしないといけませんし、自動化の装置開発もしなきゃいけません。細胞を大量に培養する技術も必要になります。まだまだ新しい技術開発が必要です」
大阪にあるダイバースファームは、肉を寄せ集めたチキンナゲットではなく、焼き鳥で使うようなかたまりの鶏肉の培養肉を作る研究を進めている。
副社長の島村雅晴さんは、独自の技術で鶏肉を培養する方法を確立。
できるのは薄いシート状の鶏肉だが、それを重ね合わせることで、4センチ四方で5グラムほどの大きさの培養肉を作ることに成功した。
実は、島村さんは星の数で店を評価する世界的なガイドブックに選ばれるほどの腕をもつ料理人だ。
いま、特定の種類の魚が手に入らなくなっているのだ。
また漁獲高が減っているというニュースも聞いたり、仕入れ先の養鶏業者から「飼料の値段があがり、経営が厳しい」といった話も聞いたりしてきた。
(ちゅう房に立つ島村さん)
そうした中で、細胞から培養することで肉を作る培養肉であれば、今の環境を守りながら、新しい食の選択肢も増えると感じ、取り組みを始めたのだ。
国のプロジェクトの代表を務める東京女子医科大学の清水達也教授の研究室にも出向き、勉強した。
その中で、研究がメインの大学ではなかなか“食べる”ところまでたどり着けないことを感じ、清水教授を通じて再生医療の研究者を紹介してもらい、ベンチャー企業を立ち上げた。
島村さんは、みずから作った培養肉をコース料理の中の一品に加えようと試作を続けている。
培養肉は血が通っていないため、コクを出すためにみそを加えてつくねを制作。
こかぶらとシメジ、まごいも、金時にんじんとゆずを加え、あんかけをかけた料理などを作っている。
島村さんによると、培養肉はこれまでになかった薄さの鶏肉を作れるほか、骨が多くて食べることに適さなかった魚や、絶滅が危惧される種類の魚の肉を増やすこともできるという。
さらに、無菌状態でつくれることから、生の鶏肉やレバーなども気軽に食べられるようになるのではないかと期待している。
常連客の中には、培養肉の料理が食べられることを楽しみにしている人もいるらしい。
(島村さん)
「お客様に提供する食品なので、すべてを分かっておきたいので自分で研究も行っています。まだちょっと食べることができないですが、少し培養肉にも興味を持っていただけるような機会ができればなと思って、議論が始まっていくきっかけを提供したいと思っています」
安全性は?
これまで大阪大学とベンチャー企業の例を紹介したが、食べられないの?と疑問に思った方もいるかもしれない。
察しのとおり、日本では販売のためのルールが十分に整備されていない。
日本では去年10月、農林水産省のフードテック官民協議会の中に、培養肉のルールについて検討する細胞農業のワーキンググループが立ち上がった。
また、実用化に向け法整備や安全基準の策定を進める議員連盟の設立に向けた動きもある。
細胞農業研究会事務局の吉富愛望アビガイル広報委員長によると、主な論点は5つだ。
4. 名称
最終的な商品には、既存の食品や食品添加物として認められていないものが入っていなければいいのか。
日本は品質の高いブランド牛があり、畜産農家の細胞の知財をどう守るのか。
論点はたくさんある。
(多摩大学 ルール形成戦略研究所 細胞農業研究会事務局の吉富愛望アビガイル広報委員長)
「超高齢化社会が訪れる日本では、健康を意識して食生活送らないといけない人がいる。また、これまで動物愛護の観点でお肉を食べなかった人に対しても培養肉は需要があるかもしれない。日本にはいい食材がたくさんあるので、培養肉のもとになる質の高い細胞が手に入り、ブランド化ができるかもしれない。日本がいないところで新しい肉の世界基準が決められてしまわないように、ルール作りを進めたい」
科学技術振興機構の湯口玲子副調査役は、培養肉が普及するためには、情報の透明性が重要だと指摘する。
「培養肉が社会に受け入れられるために必要なこととして、2つポイントがあります。まず製造過程自体が安全なものであるかどうかということを、きちんと消費者の皆さんに伝えて理解いただけるかという点です。それからもう1点が、培養肉の原材料が体に取り入れて大丈夫なものであるということを、きちんと証明できるかどうかというところです。いずれにしろ、消費者と作る人とのコミュニケーションが重要な点だと考えます」
綿密なコミュニケーションを
迫るタンパク質危機に対しての選択肢の一つとして、大きな可能性を感じた。
一方、専門家が指摘しているように、消費者がどのように培養肉を受け入れるのか、また、畜産業との関係がどうなるのか、しっかりと議論することが重要だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211121/k10013354981000.html