はてなキーワード: デザインとは
デザインのスキル向上はあとひとつ足りないカンジなので、それを地道に伸ばしてポートフォリオを充実させて最強になりたい。
ところで自分は結局ReactのUdemyコースをやり始めたけど、楽しいね。とにかく自分がなにかしたら実際にブラウザで表示されて何かが起きてるんだから。
Sketchでペラッペラの画面つくって『きれいにできたぁ〜(ふわふわ)』とはわけが違う。
IllustratorやPhotoshopでガッツリバナーとか広告ビジュアルつくれたらまぁいいんだろうけど、UIって動いてなんぼだし。
あともちろん英語のコースなんだけど、講師の発音がはっきりしてて聞き取りやすいからありがたい。
けどやっぱり英語ネイティブレベルでもないし、コードを打ちながら聞き流していろいろ理解するのは難しいね。結局止めたり戻したりしないと、意外と便利なTipsを合間に挟んだりしてるから聞き逃がせない。
結構ボリューミーなコースだから、全部やりきるまで時間かかるかもな。
けど根っこのReact覚えたらNext.jsとかGatsby.jsへの理解も深まるし実用度も高くなるから頑張ろ。
いい気晴らしになる。
メンタルが回復してきたらデザインのトレースとかの鍛錬初めてこうかな。まずは薬になれて朝それなりに起きれるようになってから出ないと無理だけど。
表題の通り、検索エンジン(Webアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿の目的だ。
ただ、せっかく増田に投稿するのだから、制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアやデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考の一助となれば幸いだ。
SalonaというGoogleを超える検索エンジンを作った。
機能を一覧してもらうと分かる通り、Hashcashによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでHashcashを思いつき、それを考えているうちに上記の機能実装が思い浮かんだ。
Hashcash.org
(けっこういろいろ応用されていて、ビットコインで使われているだけでも素晴らしい。)
他にこんな機能があったらもっと良さそう、というアイデアがあれば教えてほしい。
こんな検索エンジンをつくるのだから当然だが、わたしはSEOが大嫌いだ。いま、この検索エンジンには毎日何の投稿もされない。DBをウォッチしていて、まれに投稿があるとその文書を読み、ノンスの有無について調べ、ハッシュ値を見る。ローンチして4ヶ月が過ぎ、数十件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる内容やハッシュの値について調べている。これがたまらなくつまらなくて、気づくと一月が終わっている。
“一月が終わっている”はさすがに比喩で、サービスのデザインを作ったり追加機能の設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってこない投稿を待っていると泣けてくるし、その状況をなんとか好転させるためにと機能改善・追加機能のアイデアも自然と出てくる。
こういった熱中・没頭状態は、少女時代のMVや、自社サービスをやっていたベンチャー企業を横目に昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。
長いことオープンソース界隈には「普遍的なソフトウェアを作ってスターをもらって社会貢献!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体がエンジニアリングやデザインを学ぶときの目的と化している人の割合も増えてきた。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々と技術を学べる人は凄いと思われるが、もしそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。
プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特にこれからの時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思われる。
わたしはGoogleを利用しており、本当に膨大な情報を探すことができるようになったが、その反面、SEOスパムが少なかった時代と比べると、Googleの検索結果に対して深い信頼を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。検索で出てくるページが、宣伝という存在の域を出ず、自分の役に立ってくれない。検索をしているが、虚構を消費しているだけのような気がして、真実と自分の間の関係が希薄になりつつある気がしている。これはロボット型検索エンジンの限界によるものなのか、Googleの加齢による革新性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由と仮定して作ってみたのが今作だ。
検索で出てきた結果について、自分の投票のノンスを計算する費用を掛けること。投稿が自身の投票でアップボートされていく様子は、平成時代にビットコインの上昇を眺めていたときを思い出す。Googleを「たくさんのゴミと出会う空間」とするならば、Salonaは「出会った情報の中から気に入った情報を連れてきて、褒めて伸ばす空間」と位置付けることができる。この二つの営みは最初は共存し、SalonaがシームレスにGoogleに置き換わっていくことで人間と情報の関係を良好にしていくはずだと考えている。
法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(社会で使われているようなプレスリリース・サービスを利用しようとしたら、まともな人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースをメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が誰もおらず、その状況を打破したくて増田に投稿してみたという次第だ。この文章がSEO嫌いの人たちに届くことを願っている。
最近似たり寄ったりなキャラデザが多いけど(フォールガイズとamong usは発売に二年差があるのに見た目が似てる、ソシャゲもキャラはほぼ同じ、アニメや漫画もみんな顔似てる)どうやってデザインしてるの?
ああいう文脈でのおっさんピンク、ダサピンクってピンク色そのものではなくて
「いかにもセンスがないおっさんが『女が好きそう』と考えたようなクソダサいデザイン」って意味じゃないの
お金の量は評価の単位なので単位が多くなると細かくなるだけだよ
例えば水100mlに100gの塩を溶かすと 水という国が保障してる価値基準のを全部1mlあたり1gという価値にするわけ
日本の人口1億なら政府発行通貨が1億で価値基準を人間としたら一人1円の評価だね
国有林とか文化財とか都市機能とか治安とかみんな含めて評価したぶん硬貨になるんだね
それで人ひとりが絵画を展示したり食事を出したりものを売ったりするために銀行の信用を得てお金を借りるのね
銀行から一人1円単位の人が30人分の資材や能力を調達するために30円の銀行発行紙幣の通貨貸付をうけるのね 1年で50円にして返すって約束で
すると人ひとりのところに一時的に30倍の価値があることになるんだね それを使って客寄せしてさらにもっといっぱいを数字的に獲得する方法を準備するために
たとえば30円つかって一回に50の売り上げを伸ばす方法を考え付いたらその場で20円の差額を含めた銀行返却分を返すことができるよね
そこまでいかないにしても一回目は25を売り上げて二回目は30の予算を使い切らずに10の運転資金で25稼げるとしたら15は売上がプラスになるよね
2回の生産で原価は元が取れて3回目以降の利益から4回にわけて5の利益を利息の支払いにあてたら6回目以降の営業でどれだけ売り上げを伸ばせば収益が伸びるかってことになるよね
基本的にはこの国が発行してる現価値と銀行が発行してる信用価値でできていて人やモノの移動や使用という時間での変化の対外的なやり取りを仲介してるんだ
いますぐ宿題するから明日テレビみていい?というのは立派な取引交渉で いますぐ2宿題するからあした3テレビみていい?などの数値をそれぞれに公平に価値を評価したものが通過の単位ということだね
それをたくさん分割したからどうなるのかというと
お金をいっぱいすって
20宿題をいまするからあしたの30テレビをみていい?ということになるだけ
すると18宿題で33テレビと交換しますかとか24テレビと交換になりますとかって選択肢がふえてくる
するといままで2宿題ではとられなかった0.1単位が流動性を帯びてくるよね
でもお金の単位が10倍にふえたら国土が10倍とか商品価値とか10倍になるかな
いってみれば親切に牛乳を10倍にうすめて販売してくれるのと同じ もとの濃さには単位的に10倍必要になってくるだけ
10倍の選択肢ができるので たとえば有名牛丼チェーンでたべる300円が3000円のメニューとなると 2950円で食べるちょっとしょぼい(原価はすごい低いが競合に合わせた)メニュー 材料にこだわった品質重視だが相場に無理やり合わせたお値打ち高級3120円とかでてくる
10倍とはいわないけどそれくらいの幅の同業他社が全部にできるみたいなもの 消費選択の幅が10倍にふえると一社あたりの同じ業界内の売り上げは単純に10分の1におちるよね
また10倍種類の選択肢で自由度が増すとおもわれるけど 10倍の詐欺商品が入ってくる隙もできるってことだよね 原価と単価のアンバランスが発生できる余地が10倍になる
この流通を無法で放置すると大変だけどその価値に引き上げても半分以上はよい取引といわれるようになるためにあげるバリューが国の安全性とか保障だよね
公共事業とかで商業とかの基礎値をあげたり価値そのものをつくったり
日本はこれがとてもいいからリスクヘッジ通貨として人気がたかい いきなり円という単位のどっちかが機能停止したり無価値なものにいきなり何億円とかしたりしない安定性が国によって守られてるから
国債っていうその国が個人みたいにその利益を自分で将来国民のみんなにかなえるべき未来というのを担保に出動させるお金を現金として用意するのがいっぱいやりすぎて中身がないけど安全性だけは投資がしっかりいってるから
高級ブランドが10~100分の一の価格で買えるコピーがつくられるラインに他のものがのぼってブランドはさらに上にいくだけ
安ければコピーとか競合の脅威は少ないだろうとおもわれるかもしれないけど コーラとか小さなおもちゃとかキーホルダー商品とかでさえいろんなコストをカットしたメインのバリューに乗っかったものは商売でつかわれてる
業務用で利用にたえうるというのは必要な期間において供給が安定している品質に一定の高さがあるなど複合的な要素が必要なのだけど より短期間に少額でそれゆえに品質を削った商品も出しやすくなるね
だっていままで100円では商売を始められなかった人が1000円になると採算を10倍の単位で考えられるわけだから始めやすくなる
国民のお金の単位を0.1円通貨を発行しますというか量として10倍印刷しまくるかをするとこうなるよね
生活がどうかわってくるかというと 100円のパンを買うとき101円の店とか98円の日とか広告で隣町の店が94円とかそういう選択肢が101.5円とか98.2円とか94.7円になるとかいったイメージ
1000円のパンが962円だから38円もやすこれはお得2個かうと76円だし10個かいだめしに隣町まで車でいこう となると実際380円もお得になる選択がでてくる
38円程度でそこまでするかといわれてもやりかねない人もいるわけで実際激安スーパーで買いだめしてる人の感覚はおなじようなもの 安くないものまで買ってたりするし
移動に対するガソリン代自分の時間交通事故のリスクや配送がプロではないものによるリスク保管の期間と品質劣化と保存にかかるコストを考えたらそれは380円で十分おさまるものなのか
そんなことを考えずに380円という現金がもどってくるからその特典を受け取らなくては得をしなければ損だといって損をする可能性がいまの単位でも充分にあるのにそれが倍増することにはなる
ただ1円の単位からでさえ品質がととのっている通貨で10倍にあがっているなら問題はないしすばらしい
でも実際には日本にある資材のバリュー(政府発行通貨)とその可能性の価値(銀行発行通貨)について今と同じものを10倍にすると上に書いた薄めるだけのことになっちゃう
いまの品質で最低限度がいまの10円の単位にすらとどくというクオリティや発明発見ができたときこれは0.1円単位で切り捨てられるジャパンのバリューがもったいなすぎるとなったとき10倍に刷ったり価値をあげたりしたらいいとおもう
料亭がいつもすててる魚のはしっこ部分が実はめっちゃおいしいし栄養もいっぱいなのでもったいないから商品として出す となるとそれは十分お金がとれるバリューになるのでメニューにふやすべきみたいな
お金する結果にいたるっていうのはいいしそのプロセスに突入はしてほしいけど その新しく刷る枚数分のバリューって何なのかな
あたらしいものがなんにもないのに発行量を倍にするといままでの価値が半分になって価値の基準が倍になるから松竹梅が松竹梅上中下の6段階になるからいままでの松コースを手に入れるのにはコストが倍かかるとか同じ価格でもハズレ品質にあたる可能性が倍になるとかなだけだよね
お金を刷らざるを得ないような単位で割り当てられる日本の価値ってなんだろ 工業製品の品質とかデザインとか人間関係などのサブストーリーがメイドインジャパンってなってたとおもうけどそれがどうでもいいものに落ちたうえに量も種類も消費も減ってお金の濃さをうすめる意味はいまのところはないとおもうのだけれども
フードロスとか外貨について追記するけど、フードロスについてみたときお弁当生産者とかは会計的には生産ラインで生ごみ作ってることになるんだよね
一個500円の弁当100個出荷で20個廃棄になったら2割の空生産で原価つり上げして廃棄の料金分利益を削ってるのと意味的には同じ
2割の売り上げ増でフードロスが消滅するか8割に生産抑制をかけて利益率を上げた場合実質の通貨価値は2割ほど上がっていることになるよね
外国との交換条件でいい数字がだせるようにする約束や品質とか治安の交渉材料でできた為替で外国の商品を買える(外国のお金なので外国で使えるというだけの事)
ので生産が外にあるということ お金の価値を外国がつくってるわけなので自国の生産がゼロでも買い物ができるということでレートのいいときに買いだめしておけばお得だね
自分のところでつかえる商品券を安く買われてしまったらできるだけ高いところで交換してほしいし安く引き取りたいから所持量について交換しあってる国同士では
期待値や予定価値で上げたり下げたりしてその都度交換を激しくしてるよね 外国為替証拠金取引だね
これ交換するだけでお金がもうかる便利しすてむだけどなぜこれを銀行業務がやらないのか得するだけなのにお金もうかるのにって思うけど
外国全体や自国全体のなにかしらの事件事故やニュースで大きくその価値が無期限に変動するリスクを運用としては使えないので一般人にその金銭量について
参加してもらうことでねん出できるお金の供給量を確保しているんだね
来年でる新型機種で売り上げいくらだから利子をこれだけつけた予算を融資してほしいというのは成り立つ賭けだけど
いっぱつきたらドカンとくるのでここはひとつガバッといっといてくださいという事業計画にお金を出すのは危険すぎといことだね
危険すぎなのに自己責任で参加させるFXこわいけどその魅力に群がる日本人の圧倒的数量
その生産を前設定の10割で行えたら8割販売2割廃棄の時点から生産量そのままで実質2割成長となれるね
生産の無駄を減らして流通上商品価値を充分に使い切ってかつ量的に増えていけば成長といえるから消費者の量としての人口も大事
100生産8:2だった頃と比較して100生産100売り上げになると実質120生産と同じ意味だけど貨幣量は100の時のままで大丈夫
↓
通貨の安定性や治安とか商品の品質などについて価値価格の設定が低いところと取引につよくなる(円高:\100→\95)
↓
いまの日本 人数が100→80に減ったし消費はそれぞれ1:1だったのは変わらないので実質規模的に80→単位自体の範囲が狭まっているので1:1換算すると2割の増(逆バブル
↓
経済は衰退していないしむしろ成長しているように見える(縮退して質量が増してる惑星みたいに)からといって円高いいね国民の生活は国民まかせに自由競争
↓
してると高くて買えない商品のバリューはじつは買う人が物理的に人数がいなかっただけ食品の自給率は供給過多に支えられていただけになり
↓
必要のない商品が山積みで消耗品を買い渋る少ない国民が国自体を切り売りしながら老後を過ごすことに
(土地とか日本のモノとか時間とか権利とかを売って外貨と交換して通貨がすっかり外国のものと入れ替わるまで消耗品を買いつなぐ
↓
とりたい政策
①お金を刷る:いまの80が800になったところで消費する手段が倍増するだけ
②生産を80→100に上げる(どうやって?:つくった増2割の消費はどこへ)軍備はかならず消費されたり消耗したりする(闇)があるからいいね
③80になった20の減である人をふやす(少子化対策:外国人受け入れ)まず消費を増やさないと生産も供給もふえないし増やしても意味ないのでまず日本人が増えることがなにより大事かと
もうなりふり構わず③のカップル推奨恋愛賛成で口数ふやそう消費が確実に増加するために雇用を優遇しようというのを治安と品質を維持したまま増加させないと
①も②もいままでどおりの日本って感じではいられなくなりそうな気がする
ちなみに国を耕したり高速道路をつくったりとかして国の資本を増加させるための発注を増やして雇用の面積だけ増やしてゼネコンに核家族をぶちこむ政策をとると
120生産して8:2の96:24だとすると売り上げは80→96の2割増にみえるけどロスも20→24に2割ふえてる 生産と廃棄に配分する数値の量がふえるのでお金を刷らないといけない
↓
お金の量は増えるが生産量も品質も変わらず生産と廃棄の規模が増加しただけ(バブル
↓
通貨の安定性や治安とか商品の品質などについて価値価格の設定が低いところと同じようになる(円安:\100→\105)
(高速道路を作ってる<高速道路のある社会:働く人員だけの局所的な消耗地域がある<デスクワーク社会の治安など)
↓
生物も、
生物かどうか意見が分かれるヤツ(ウイルスは生き物だと思います)も、
日本生物物理学会も “材料的には生命と非生命の物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか?“ とか言っています
ね、興味深いでしょう?
化学進化についてはこの動画がわかりやすいよ。英語だけど字幕もつけられるよ
自己組織化については2005年の動画でだいぶ古いけど科学技術振興機構(JST)の運営する
jstsciencechannel のこの動画がわかりやすいよ
分子、そして自己組織化って現象すごくなぜだろう?ってならん?なんで自ら安定した形に組みあがっていくの?みたいな?何のために?
現象に意味などの無いって言っちゃそれまでだけど、じゃあ、生命という現象のワイたちは意味ないの???みたいな
けど、すごく、なぜ????ってなるでしょう
そんなこと(生きる意味)を年がら年中、考えている人ばかりなら、
あるジャンルに20年以上もの間、没頭していた。青春を捧げたと断言できる。
どのジャンルか詳細はボカすが、90年代末のポケモンブーム真っただ中に登場した、漫画・ゲーム・アニメのメディアミックス作品だ。
比較的マイナーだが作品名を聞けば、30歳前後なら誰もが口にすることだろう。「あー懐かしい」「そんなのあったね」「まだやってたんだ」と。
まさにそのような、最新の情報を調べようともせず、調べても「昔の方がよかった」などと抜かし、そのくせ恥ずかしげもなくファンを自称しては雑語りをするような連中を啓蒙する活動を何年も続けてきた。
確かに一度「死んだ」ジャンルではあることに違いないのだが、10年も前にゲームの新作を出して復活して以来何作も続編を出し、web漫画も連載中で、新しいグッズもたくさん発売されている。
今ではれっきとした、「生きた」ジャンルなのだ。出戻りや懐古厨どもに好き勝手言われる筋合いなど微塵もないのだ。
健やかなる時も病める時も、自分はジャンルに人一倍貢献してきた自負がある。
復活前の空白期間からwikiを運営していたし、希少な資料から情報を得るために国会図書館にも足を運んだ。
イベントには公式・非公式問わず顔を出した。ジャンル最大級の合同誌に寄稿したこともある。
ゲームが出れば毎回現物を複数とDL版も購入したし、ブログやツイッターで考察だってした。
そして暇さえあれば作品名で検索し、雑語りを見つけてはツイッターのフォロワーたちと一緒にRTした。
東に懐かしいと言うニワカあれば 行って 現行作品を認知しろと言ってやり
西に昔の方がいいと言う懐古厨あれば 行って 思い出補正だろと言ってやり
南に低迷期の不人気作品disあれば 行って お前の感性は浅薄だと言ってやり
そうしてあらゆる方面から、20年以上という気の遠くなるような歳月を、ジャンルを支えることに費やしてきたのだ。
アニメが終わったとか主人公が変わったとか雑誌連載が終わったとか、そんなくだらない理由で脱落したお前らに代わって、ずっとずっと。
そんなジャンルを、なぜ離れたのか。早い話が、疲れてしまったのだ。
自分やフォロワーたちがどれだけ半可通を見つけ出して正しい知識を啓蒙しようとも、思い出に憑りつかれて過去を美化し続けるゾンビのようなオタクたちが毎日毎日無数に湧いてくる。
更には自らの無知や不見識、無礼を棚に上げて我々をブロックする者やレスバを仕掛ける者、過激派のレッテル張りをする者など、反感を隠そうともしない者も少なからず現れた。
自分が、否、我々がこれだけ作品への認知や売り上げに貢献してきたにもかかわらず、こともあろうに今年始まったスマホアプリで懐古厨に媚びた。
ボイスに、戦闘システムに、デザインに……随所に「みなさんご存じのあの頃」の要素をちりばめたのだ。
システムやキャラやシナリオが気に食わないとか、バグが多いとか、展開がへたくそだとか、そういった点はいくらでも庇ってきた。
せっかくシリーズ再始動に伴って一新した部分もあったのに、間違いなくそれを支持していた人もいたはずなのに、ノスタルジーのためだけにそれらを否定して退行する姿勢にうんざりしてしまった。
そうして公式から錦の御旗を下賜された懐古厨どもは出戻りと合流して急速に勢力を増し、ギルドの様相を呈している。
いかに我々が精鋭といえど、もはや手に負えないほどの規模に膨れ上がった。
ブログは放棄した。ツイッターもジャンル者の99%をブロックした。
必死に守り抜いた結果がこれでは殉教者か、はたまた道化か。どちらにせよ自分の戦いは終わった。
今後は他ジャンルでひっそりとやっていく。もしどこかで見かけても、そっとしておいてほしい。
プレイヤー2人で1種類のボードと2種類のコマを扱うようなゲームでよくあるデザインなんだけど
一方のコマだけ塗装(あるいは黒檀)して、もう一方のコマを無塗装でボードと同色にしてるものおすぎ!!!
訴えてやる!!!!
DTPからweb移行でももうちっとあるでしょなAdobe知識がないうえ、ワイヤー作ってくださいも最初通じずなんでもいいからデザイン出してって出てきたものに沿ってざっくりbootstrapで手抜きして組んだら
てめえPC/SPでデザインよこせつうたのに出てないし、aiのと異なる口頭での文字サイズがもっと大きい小さいのがいいとか舐めてんの?そう言うこだわりあるなら自分でコーディングするか人にちゃんと指示しれや
つかaiから画像の切り出しアセット関連の機能も知らず解像度てかサイズたりてねえっての
で、もらったデータはやつしか持ってないモリサワフォントでOLかけたのと元のとでLPなんこもつくるそれ×2とかで、全部同じファイルのアートボードに入れてよとかデータ作りからコケてるからデータもらった後にこう作って欲しかったとかできないじゃん
そこまで指示されるデザイナーってなに?素人?自称webデザ?つかデータ作るときに聞けよ
って期待してんのがクソか?ハァー
ジョー氏にはサイトが機能してればそんな細えこたあいいんだよって言われてるし締め切りも迫ってるから目先の制作をあげるの優先で本人はコーディング丸投げして暇になったからなんか仕事ある?って聞いてるんだーとか聞こえてんだよクソが
って言う愚痴です
持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属できれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。
大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)
貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。
種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャのデザインはデカかった。自分の持っている気球デザインは文庫にちょうどよい。
紙に跡が付くのは気になったことがない。
トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。
金属製パート2。土産物屋でよく売っている、長方形のオーソドックス型でなんかステンドグラス風のもの。
地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。
多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。
学生時代、友達からこのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である。
とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。
その後似たようなしおりを自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。
ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。
ひこにゃんと箱根のかまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。
観光地の土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。
私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画やハードカバーに使う。少し大きめサイズの漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。
青森の土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。
私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。
高村光太郎記念館で買った。
革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間の使用や持ち歩きの本には向かない。
光の文字が箔押ししてある。
この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの。
中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり。
紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。
仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ。
いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。
本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。
スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコンや生ハム、スライスチーズなどがある。
https://www.ganso-sample.com/item/
(オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)
面白いし可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品。
主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚にしまう等すると跡がつくと思う。
お土産で生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。
悲しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。
凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。
色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。
自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。
A5のワイドサイズの漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。
ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。
好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし、放置はやめたほうがいい。
旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやすく自分へのお土産によい。
ちなみに文庫本の持ち歩きについて。
布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。
厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙をカバーに差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。
昔CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。
今はCDショップでCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。
10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。
文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなもの。シャカシャカした素材で、生地と生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。
しかし10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバー(Amazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。
あと細かいところとUIデザイン、キャラデザだけだしもう一月で終わるだろうな→細かいところの追加で一月使う
細かいところも終わってきたしもう一月で終わるだろうな→細かいところの追加で一月使う
あと細かいところとキャラデザだけだしもう一月で終わるだろうな→細かいところの追加で一月使う
そして今回ほとんどの機能の追加を終えてあとはbaas周りとキャラデザに関した機能二つ、キャラデザ(絵は決まってる)だけ
流石に今月リリースいけるだろ
なんだかんだ一月に終わる予定だったんだけどバカみたいに長引いた
というかFGOの金時×玉藻とかいうカップリングのことなんですけどね
ついでに源頼光に恋愛的に迫られてるけど俺は上司として尊敬してるんだよなーいやーまいったなーみたいなキャラ
玉藻はFGOじゃないfate(エクストラ)の主人公が本命でその設定をFGOまで持ち越してる
玉藻がFGO主人公に恋愛アプローチしてほしいみたいな需要が発生しても玉藻本体ではなく別の人格がキャラクター化してあてがわれる徹底ぶり
そんで肝心の金時玉藻(略して金玉…にはならない。なぜかゴルフォとかいうカプ名)の公式での絡みというと、なんか…一回だけ同時に召喚されて…金時は玉藻のこと(こいつ毛皮派手だな)みたいな感想で…玉藻は金時を(こいつ顔面はイケメンだけど中身が全然タイプじゃねーわ)みたいに思っていた…
なんでこんな二人をくっつけようって発想になるんだろう…両方とも他の相手おるやんけ…せめて男女どっちか片方だけでもフリーのやつとかいるだろ…茨木童子とか…あっあいつなんか最近綱とかいう男と接点できてて…まあなんか他にいるはずじゃん妖怪キャラ同士でやりたいにしても
なんなら両方既存のカップリング相手いたとしても…なんかこう…それを蹴飛ばしたくなるくらいぐっとくるやりとりがあるとか…
そういうのすらない
マジ虚無
まじなんもない…そういうカプ…
そんでそのよくわからない取り合わせのカップリングの公式単行本が出てしまって困惑しかしていないってわけ
しかも!ほぼ同時に二冊出てる!星海社と角川から!二種類!出版社違うのに表紙デザインはお揃い!なんで!?
いやなんなんだこの待遇
公式側にこのカップリングをすこっている者でもいるのか?それにしては公式での絡みが薄いを通り越してちょっと会って挨拶したかな…ぐらいのぼんやりした感じなのはどうして???
5つ星のうち1.0
耐風性なし。購入はオススメ出来ません。
書いていることはだいたい合ってるんだけど、なんかイラッとするレビューというものがある。
上にあげたものはスノーピークのシングルバーナー「ギガパワーストーブ 地」についたレビューで、
耐風性のなさとか、別売の専用風防がディスコン(高値で転売されている)なこととか、
挙げられた不満点にはおおむね同意できる一方、その書き振りがいささか不誠実に思える。
①
せっかくのコンパクトデザインですが、結局風防セットで考えると全くコンパクトじゃないですよね。
(中略)
スノーピークならば風防セットのナギの方がオススメですし、他メーカーでは風防が無くとも耐風性が良く考えられ、且つコンパクトで優秀なバーナーはいくらでも有ります。
たとえば前段では、市販の風防とセットで使う羽目になるので小型軽量でも意味ないと言っているが、
後の方で引き合いに出しておすすめしてる「ナギ」なんか、そもそもが350gオーバーで、
「地」(75g)とその辺の風防のセット(例えばEPIgasのロング、221g)
のほうがまだ軽い。
だいたい「ナギ」は鍋やフライパンと併用するようなサイズの分離式だし、あえて比較するようなものではない。
②
また、他のメーカーのシングルバーナーに耐風性の高いものがあるのはその通りなんだが、
ソロテントの前室で「地」を使ってて、吹き込んだ風で幕体に引火するほどの強風条件下なら、
類似のどのバーナーでも使用感はどっこいどっこい(ほぼ使えない)と言ったところである。
ジェットボイルぐらい燃焼部を覆うやつなら別だけど。
③
「地」を使っていた知人らの内、今でも手放さずに使用している者は1人も居ません。
とにかく安いモノでスノピが好きでという方にはピッタリかもしれません。
という締めの文句なんかはずいぶん安っぽい煽りだが、このへんはかわいいものである。
ライフステージが進んで、ソロ向けの軽量ストーブを使わなくなっただけなんじゃないのと思うけど。
要するに、対象の品を批判するために他の選択肢を引き合いに出しておきながら、
表現を盛ってるせいで正当な比較になっていない悪文を晒す大間抜けの分際で、
表題の通り、Webサービス(iOSアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿の目的だ。
ただ、せっかく増田に投稿するのだから、制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアやデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考の一助となれば幸いだ。
機能を一覧してもらうと分かる通り、Spotify APIによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでAPI Referenceを目にし、それを読んでいるうちに上記の機能実装が思い浮かんだ。
https://developer.spotify.com/documentation/web-api/reference/
(けっこういろいろ公開されていて、コンソールから叩いているだけでも楽しい。)
他にこんな機能があったらもっと楽しめそう、というアイデアがあれば教えてほしい。
こんなサービスをつくるのだから当然だが、ぼくは音楽が大好きだ。いま、このサービスには毎日何かしらの投稿がされる。DBをウォッチしていて、投稿があるとその曲を聴き、アーティストについて調べ、MVを見る。ローンチして3週間が過ぎ、数千件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる音楽や界隈の文化について調べている。これがたまらなく楽しくて、気づくと一日が終わっている。
“一日が終わっている”はさすがに比喩で、サービスのデザインを作ったり追加機能の設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってくる投稿を読んでいると時間が溶けてくし、その体験を更に充実させるためにと機能改善・追加機能のアイデアも自然と出てくる。
こういった熱中・没頭状態は、大学時代の学祭や、自社サービスをやっていたベンチャー企業に飛び込んで昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。
長いことスタートアップ界隈には「流行りそうなWebサービスを作ってバイアウトして一攫千金!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体がエンジニアリングやデザインを学ぶときの目的と化している人の割合も増えてきた。ぼく自身がそういったモチベーションの新人の育成にあたったこともある。自分にはそういった風潮が合わず、うまくやってこれなかったという引け目がある。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々と技術を学べる人は凄いと思うが、もし自分と同じようにそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。
プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特に学生時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思う。
ぼくはSpotifyを利用しており、本当に膨大な音楽を聴くことができるようになったが、その反面、CDを買って(レンタルして)きていた時代と比べると、楽曲やアルバムに対して深い感情を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。部屋で聴いている音楽が、データという存在の域を出ず、自分の部屋に入ってきてくれない。音楽を聴いているが、素早く消費しているだけのような気がして、曲と自分の間の関係が希薄になりつつある気がしている。これはストリーミング・サービスの利用によるものなのか、加齢による感受性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由と仮定して作ってみたのが今作だ。
ストリーミングで聴いた音楽について、自分の思いや感想を書き起こす時間を設けること。投稿が自身のタイムラインにコレクションされていく様子は、高校時代に部屋の棚にCDを飾っていたときを思い出す。Spotifyを「たくさんの音楽と出会う空間」とするならば、Chooningは「出会った音楽の中から気に入った音楽を連れてきて、改めて向き合う空間」と位置付けることができる。この二つの営みは共存し、互いに影響し合うことで人間と音楽の関係を良好にしていくはずだと考えている。
法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(会社で使っているようなプレスリリース・サービスを利用しようとしたら、法人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースをメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が友人の友人くらいの域を出ず、その状況を打破したくて増田に投稿してみたという次第だ。この文章が音楽好きの人たちに届くことを願っている。