はてなキーワード: チャイムとは
一昨年のクリスマスイブにPerfumeのライブに行った。場所は東京ドームだった。
近所の親しくしているオジサンに、仕事で行けなくなったから良かったら代わりに行かないか、とチケットを譲ってもらった。急遽友達との約束を断り、オジサンのお友達らしき人とライブに行くことになった。
ライブに行くのは初めてだった。よってマナーやノウハウが分からなかった。
仲のいい友人に、アイドル好きでいつもライブや握手会に参加している子がいたので助言を貰った。
物販に並びたいのなら始発で行け。動きやすい服装で行け。サイリウムやウチワがある方が良い。サイリウムには各メンバーのイメージカラーがあるはず。降ってきた銀テープは持ち帰れ。
とのことだった。
自分はかしゆかが好きだったので、早速彼女のイメージカラーをネットで調べた。
予想をした。あ〜ちゃんがピンク色、のっちが水色、かしゆかはすみれ色あたりかな。でものっちがオレンジで、あ〜ちゃんが赤でもいいかな。もしかするとあ〜ちゃんが白、のっちがグレー、かしゆかは黒かもしれない。そんなことを考えた。
すると、Perfumeのライブではレーザーなどの効果が薄れるためサイリウムは持ってきてはいけない、と書かれていた。
なんだ、いらないのか。確かに言われてみると、Perfumeのライブにサイリウムを振っている人々のイメージは無い。たぶんウチワを持ってきている人もいないだろうと判断した。
色々と知識が不足していることを知ったので、YouTubeに上がっているPerfumeのコンサートの動画を見て予習をした。クリスマスがとても待ち遠しかった。
ライブ当日、始発で行く元気は無かったので、朝9時頃に家を出て後楽園に向かった。
友人のアドバイスが嘘だった。のではなく、単にファンの熱量の違いだろう。
「全部ください」一度は言ってみたかった言葉を、齢23にして実現してしまった。
「TシャツはMで。あとバッグは2つ、グミは3つ下さい」 と言って受け取った。1つ目のグミはすぐに食べた。ふつうの、ぶどう味のピュレグミだった。美味しかった。
10時開始の物販に、10時に来てしまって、開場まですることが無く、どうにかこうにか時間を潰した。
開場が近づくにつれ、物販にも人が並び始め、気づいた頃にはすごい行列になっていた。早く行っておいて良かったのかもしれない。
ドームに並ぶ列ができはじめたとき、真っ先に並んだ。自分は前から5番目くらいだったと思う。自分の後ろにぞろぞろと並ぶ人たちを見て、少し優越感を覚えた。
ドームに入って驚いた。初ドーム。初野球場。想像していたよりも中に入るまでの道が長いし、なんか坂道だし、入場だけで疲れた。そして広い。あちこちにスーツを着た学生アルバイトらしき人たちがたくさんいる。本当に、たくさん。10メートルに1人くらいの間隔でいる。今から凄いことが始まるんだ、と思った。
席はアリーナの中程。とてもいい場所だった。オジサンと、オジサンの大事なクリスマスイブに仕事を与えた人に心から感謝した。
ライブ開始までに、3度ほど会場モニターでチョコラBBのCMが流れた。その都度、会場が湧いた。ライブは始まっていないのに、Perfumeのコスプレをした人たちが立ち上がり、周囲を煽っていた。みんな、それに乗って、手を振っていた。まだ始まってもいないのにこんなに盛り上がっているなんて、始まったらどうなるんだろうか。膝と顎が震えた。ちょっと寒かった。
会場が暗くなると、みんなが立ち上がった。自分と、隣に来たオジサンの友人らしき人も立ち上がった。
ライブは、なんかもうよくわからないくらい楽しかった。楽しすぎて、ほとんど覚えていない。ごめんなさい。
とにかく、3人ともメチャクチャ可愛かったし、あ〜ちゃんはメチャクチャ面白かったし、演出もメチャクチャカッコ良かった。途中、クレーンのようなものに乗って、客席の上を3人が飛んでいた。かしゆかゴメン、スカートの中凝視しちゃった。ゴメン。
ちなみに、降ってきた銀テープと3人のコメント入り風船はきちんと確保できた。
ライブが終わっても尚、高揚していた。アドレナリン出まくり、であった。でもお腹が空いたので水道橋まで歩いて、ラーメンを食べに行った。
道中、イブなのでカップルがたくさんいた。自分はオジサンの友人らしき人とも別れ、大荷物を抱え、ひとりぼっちで歩いて、ひとりぼっちでラーメンをすすった。なんだか急に寂しくなった。
20そこそこの女が、ひとり、大荷物抱えて、クリスマスイブの夜に、ラーメンを食べている。しかし私は楽しかったのだ。それで良いのだ。
次の日、私は筋肉痛で動けなかった。飛び跳ね続けた脚、振り続けていた腕がピクピクとしていて、布団から出られなかった。
でも、Perfumeのほうがもっとずっと激しく踊っていた。彼女たちは今日もまた同じように踊るのか。信じられない。彼女たちは人間ではないのではないかとさえ思った。人間じゃないのなら、天使かも。
布団の中でPerfumeを想い、物販で買ったものを眺めてニヤついていたとき、携帯が鳴った。先月私を捨てた男から会おうよとメールが届いていた。死ねと呟き私は寝た。
夜、家のチャイムが鳴った。ドアスコープを覗くと先の男が立っていた。どうやら私を捨てたときに付き合っていた女に捨てられたらしい。ざまあみろ。
居留守を使い、ツイッターでPerfumeと検索をかけて、楽しげなツイートをお気に入りに入れる作業を続けた。チャイムの音がうるさかったが、時折、チャイムのリズムがそのときのBGMにしていたMagic Of Loveと重なる瞬間があった。悪くない。
もしライブに行っていなかったら、ドアを開けてそいつを受け入れていたかもしれないと思うと、たくさんの感謝の気持ちが湧いてきた。ありがとうPerfume。ありがとうオジサン。
先日、オジサンとオジサンの友人らしき人が結婚したらしく、報告を貰った。おめでとうございます、と喜んで見せたのだが、正直戸惑った。
オジサンの友人らしき人、女の人、だったのか。
オジサンの友人らしき男の人だと思っていた女性(よく見ると普通に女の人だった)からその時のことを感謝された。オジサンが連れてくる代理が男でもなく、年の近い女でもなく、倍近く離れた女だったから、この人なら私の気持ちを分かってくれている、安心できると思ったらしい。
その論理は私には全く分からなかったが、とにかくそうだったらしい。
あの時私がライブに行きますと返事をしなかったら2人の未来は変わっていたのかもしれないとのこと。
「ファミマ入店音」の正式なタイトルは「大盛況」に決まりました - デイリーポータルZ:@nifty
冷蔵庫とか洗濯機などの白物家電は松下電器産業の開発/製造でしたけど、ドアホンなどの住宅設備機器は
同じナショナルのブランドでも松下電工の開発/製造じゃなかったかしら?
稲田康さんは電産と電工の両社とお仕事してらしたんじゃなくて?
ブクマ/ブコメは随分伸びているのに、誰も指摘されてなかったようなので。
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http://b.hatena.ne.jp/entry/portal.nifty.com/kiji/150526193643_1.htm
フレッ○光には気を付けろ!を読んで思い出した話
http://anond.hatelabo.jp/20150321125214
チャイムが鳴って玄関に出てみるとNTTに委託された業者を名乗るイケメン風の男(以下NTT)が。
NTT「今、電話線の交換工事のお知らせに回ってるんですよぉ~」
おら「そうですか」(ここ道が狭いから工事中の道路使用でも説明するのかな)
NTT「工事は無料なんですけどぉ~ちょっとサインと判子が必要なんですねぇ~」
NTT「ええ。古くなった電話線を交換する工事にちょっと判子が必要なんですよぉ~」
NTT「工事も無料ですしぃ~月々の電話代もネット代もお安くなるんですよ~」
おら「えっ。これってもしかしてフレッツ光の営業ですか??!」
NTT「今お客様ADSLをご使用されてますよね?今NTTの方ではADSLの交換機の設備が負担になっているんですよねぇ~」
NTT「光に変えて頂いてADSLを辞めたいっていうのが正直な所なんですよねぇ~」
上巳が近づいてきて、そろそろ雛人形でも出そうかしら、と考えている人もいると思う。
アルバイト先の倉庫では人形を扱っているのだけれども、今は雛ではなく五月人形が毎日のように入ってきて、また出て行く。
これ本当に人形か?と思うくらい軽い荷物もあれば、こりゃあ本物だろ、というくらい重い兜もある(これらは荷札や段ボールに書いてある)。
トラックからパレットに移し、それをフォークリフト倉庫内に運び、荷札を貼って、それをまたパレットに積んでトラックに載せる。
僕の担当は、おばちゃんたちが荷札を貼り終わった荷物をパレットに移し、リフトでトラックまで運ぶところだ。
なるべくパレットに高く、安定させてて積むとドライバーに喜ばれる。
ただ荷物の大きさはまちまちだから、たまに50センチくらいの幅があるラップを巻いて安定させることもある。
パレットに移すとき、天地無用とかガラス注意のシールが張ってあると一応気をつけるのだが、重いものだと角を下に積んである段ボールに当ててしまって、穴を開けてしまう時がある。
この時は穴があいたものを弾いて、休み時間明けに社員に報告する。
で、だいたい怒られる。
荷主がどうとか届けられた人がどんな気持ちになるとか、実際苦情が来てる、この3つがメインで、そこから発展していく時がある。
荷物が無事なのに苦情を言ってくる人って一体どんな神経してるんだろう。
酒飲んで帰ってきたけど寝れんくて、ニコ生で雑談してると朝までになりそうだから、ここで今日の不満を吐き出しておく。
今日は午後からどうにもこうにもムラムラしてきて、ここ最近使ってる人妻系の店(在籍嬢の年齢が20後半から30後半)に6時過ぎに電話をする。
その嬢は会社の後輩に顔や体つきが似てて、ぽっちゃり系で初めて入ったときから毎回本番してる嬢。
こないだみたいにバンバン騎乗位で腰振ってくれるとやらしくていいなぁと妄想に浸っていると、保留音が切れタッチの差で早い時間の予約が埋まったとのこと、
今朝からの天気でかなり寒いこともあって、少しでも早くひと肌がと思い、その嬢はあきらめて、半年くらい行ってなかった別の素人系の店(大体20前後が在籍)に向かう。
移動中にHPで出勤スケジュールを見ると、前に本番した嬢が三人ほど出勤していて、ほかにも新人が入っているのをみて特に予約をせずに受付所に行った。
あまりパネマジがない店なので、好みの顔の子を探して、そのなかでスタイルの比較とかをして、とある嬢を指名した。
身長は155センチと小さめ、バストは数字忘れたけどCカップ、いい感じだなとわくわくしてホテルで到着を待っていた。
連絡から5分としないうちにチャイムがなる。かなり来るの早いな・・・と思いドアを開けると、すごい白けた顔したガリガリの嬢が立ってた。
あれーこの店でパネル吟味してからの指名はあまり外したことないんだけどなーとちょっと後悔・・・と思ってる間もなく、
嬢はぼそぼそっと「こんばんは、失礼します」といい、笑顔もなく部屋に入ってきた。
あ、地雷踏んだかな、今日は失敗したかも、と思った瞬間だった。
嬢はコートを脱ぐと、寒いですからお風呂入れましょうかといって、お風呂にお湯をためる。
お風呂にお湯がたまるまでの間はよくある、お仕事帰りですかー、おうちはここから近いんですかーといった他愛のない会話。
で、お湯がたまってきたのでシャワーにってことで、全裸になるわけだ、嬢はCカップということだったが、あまめにみてB程度・・・
そしてがりがり・・・いつもならお風呂行くのに脱いでる段階からフル勃起になるのが、今日は全く萎え萎えだった。
その後お風呂に入ってタオルで体をふくのだが、脱衣スペースが広くないホテルだったので、先に出た自分はベッドで嬢が来るのを待ってた
そしたら、いつまでたっても嬢が来ないからどうしたのかなと思ったら、さっきのお風呂少しぬるかったから熱いお湯を足しておく、といって
湯加減調整をはじめる。そんなもん後でシャワー浴びるときに調整して最後にはいりゃいいじゃんと思っていると半勃ちになったのが萎えた。
妙に長いシャワータイムが終わってベッドに移ってからは、私攻めるほうが好きだから攻めさせてということで、
途中で攻守交代して、こんなガリ女でもいいから本番決めるかと思っていたのだが、
攻めの技術については割とよく、乳首を強く吸いながら下半身中心でフェザータッチ。嬢のあそこには仕込みローションをしてきていたようで、
ときおりローションで濡らしたあそこをこちらの体にこすり付けてくる。
さっきまでのテキトーな対応とは打って変わって、テクが中途半端にあるのか気持ちがいい。
途中途中で、おおきいー、すごいかたい、こんなかたくなっちゃうのー、というようなお決まりのセリフを織り交ぜてくる。
体を預けてのサービスに限ってみれば、少々の不満はあるが、本番なしでも結構気持ちのいい手技でたっぷりと分身を勢いよく放出した。
そこかしこに派手に飛んだようで、目につくあたりや体についたのはティッシュでふいた。
そのあとはピロートークかと思いきや、嬢はまたお湯加減をみに風呂場に・・・・
そして促されるようにシャワー&風呂、まあこういう流れだと着替え終わった後にもう少し話して終わりかなーっと思ったら、
そんなことはなかった。
いそいそ着替えたら、忘れ物ないですかーともう帰る気満々、あと10分はあるような・・・・
でもしかたない、竿と玉を中心としたマッサージはすごく良かったがそれ以外は屑のサービス地雷なんだ。
あきらめて帰路についた。
そして、フラストレーションがたまってきたので、酒のみにいって帰ってきてこんな時間。
酔ってるから帰ってすぐ寝られるかなーとおもってたのに、なんか目がさえてきちゃってる。
冒険をするときはもっと心に余裕があるときにしたほうがいいな。
ムラムラしてしょうがねーなって時は過去に本番できた安牌の嬢に入るのが一番だな。
週末か来週にその会社の後輩に似てる嬢が出勤してたらロング枠で行こうかな。
「0.999999・・・ってさあ」
数Aの教科書をじっと眺めていた彼が、振り向いて言った。
「ん、何」
「1 じゃねーだろ」 「1 だよ」 「なんで」
休み時間は残り5 分を切っている。次の授業はヤマケンの英語だった。そろそろ単語テストの "仕込み" をはじめたい。
僕は教科書をひったくって読み上げた。1 を3 で割ると、0.333・・・。それを3 倍すると、0.999・・・。でも、この0.999・・・は1 を3 で割って3 倍しただけだから、結局は最初と同じ、1 に戻る。キューキューキューと連呼する自分がバカみたいに思えた。
「でもさあ」 「ん、何」
「キューキューキューってことはさあ、どこまで行ってもキューが出てくるんだろ?それってキューだから、イチとは違うじゃん」
「でも教科書にそう書いてある」 「違うと思うんだよ」
彼はこっちを向いて座り直した。本気だ。
「1 を3 で割ったら0.333・・・じゃなくて、3 分の1 だろ?0.333・・・のテンテンってなんか、数っていうよりルールじゃん。ここから先、ずーっと3 が並ぶぞって。3333」
彼はサンサンと鳴いた。
「ほとんどおんなじじゃん」 「ちょびっとは違うだろ。お前が0.999・・・のテンテンのとこにずーっと9 を書き足していってもさ、ヨッシャー、ついに1 ができたぞ、ってならないじゃん。やっぱ1 じゃねーよ」
もやもやした。でも、それは間違ってるだろ!という理屈もすぐには出てこなかった。
「じゃあ、教科書は間違ってるってこと?」 「そうだよ!」
彼は、彼の理論が教科書を打ち破った(あるいは、一見打ち破った)ことに興奮したようだった。キューキューはルール、イチじゃない、と繰り返している。
「じゃあ、イチじゃない、としてもさ」 「何だよ?」 「0.999・・・は、もう、1 にします。ってルールも作ったら、やっぱ一緒になるってこと?」
"仕込み" に失敗した僕の点数は0点で、彼と一緒に追試を受けるハメになった。放課後、数Aのヒョロ川のところに二人で聞きに行ったが「そんなことは考えんでええ」と追い返された。
以前は静かだったしネットの無害宗教一覧にも入ってたから、ご近所さんだからとあいさつ程度には付き合いもあった。
でもここ最近信者の出入りが凄く多いし、何より平然と家の前に何台も車を置いてて、おいらが仕事で車出すときにいつも
そこにお願いしてどいて貰ってたりしたけど、ここ数日は我が物顔でずっと置きっぱなしで、チャイムにも応答しない時がある。
また、最近改修工事が入ってか朝から非常に喧しいし、そういった工事をする時はある程度何がしかの挨拶か何かをしてくるってのが
おいらの地域におけるご近所付き合いだったはずだ。
長いです。そして大部分が「自分語り」です。そんなの読みたくないよ、と言う人はブラウザのバックボタンを押してください。
で、なぜ自分語りをするのかというと、結論部分の教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたい事につなげる為なので、時間がない人はその部分だけ読んでもらっても構いません。
それでは、物好きな人はどうぞ……
20代も後半になってくると、「結婚しないの?」とよく聞かれるようになった。「相手がいない」、「仕事が忙しくて相手を探す余裕がない」と言うと、たまに「いい人紹介しようか?」と言われることがある。
しかし、私にとって友人や知り合いや同僚から相手を紹介されるというのは、最も避けたい出会い方だ。「自分のようなつまらない人間を紹介することで、相手の評価を下げたくない」「紹介してもらったところで、うまくいくはずがない」と考えてしまう。
「自分には価値があり尊敬されるべき人間であると思える感情」のことを自尊感情と言うが、私はこの感情が非常に低く、一日一回は「死にたい」「この世から消えてなくなりたい」と考えている(これでも回数は減った方。昔は一日十回は死にたいと思っていた)し、友人と遊んだり飲んだりしていても「自分なんかのために時間を使ってもらって申し訳ない」と考えてしまう。自分と実際にあったことがある人の中には「自分の話ばっかりするから、自尊感情高いんじゃないの?」と言う人もいるかもしれないが、それも自尊感情の低さの裏返しだと思う。自尊感情が無いからこそ、他人から褒められたり、認められることを期待して自分の話を頻繁にしてしまうのだろう。私が「知り合いからの異性の紹介」を避けているのも、この自尊感情の低さからきているのだろう。
それでは何故私の自尊感情は低くなってしまったのか。色々な原因が考えられるが、一番大きいのは、私が「普通の人が出来ることを、出来なかったから」だと思う。
まず、私は小学生時代、「普通の子供と同じように授業を受けることが出来なかった」。静かに、教室の椅子に座って授業を受けることができない。授業中に教室を抜け出し、先生を慌てさせる。教室にいても、授業い集中できず、本を読んだり他の子供にちょっかいを出す。
そんな子供だったせいか、小学生の一時期、いじめられていた。いじめは「異質な存在」が標的にされやすいことから考えると、自分がいじめの対象になったのも自然なことで、意味もなく殴られたり、筆箱を窓から投げ捨てられたりしていた。そこまで酷いいじめではなかったので、不登校になるほどではなかったが、自分は人と交流することに臆病になってしまっていた。
未だによく覚えているのが、隣に住む一学年下の友人の家のチャイムを押すのに一時間以上ためらった挙句、押せずに自分の家に帰ってしまったこと。小学生の時点で、私は友人の家に遊びに行っても、「そろそろ帰らないと鬱陶しいと思われるのでは」と考えてしまう、人間関係を形成することに臆病な人間となっていた。
小学生低学年の時のこの問題行動は、ADHD(注意欠陥・多動性障害)によるものであり、診断後、月に数回、大学の研究室に通うことになった。そこに行くと宝探しゲームやパズルなどをさせてもらえるので、私は「遊びに連れて行ってもらっている」という感覚だったのだが、今では「あれは行動療法の一環だったのだ」と理解できる。
大学での療法の結果、私のADHDの症状は目立たなくなっていったが、中学校入学後、私に新たな「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」が出来てしまった。
それは、「普通の人と同じように起きていること」。
授業参観、テスト、学校行事、時と場合を選ばず、どんな時でも居眠りをしてしまう。その眠気は尋常ではなく、拳で太腿を殴りつけても、ペンで血が滲むほど掌を突き刺しても、消えることは無く、結局は寝てしまう。なんとか地元の公立高校には入れたものの、いくつかの授業にはついていくことが難しくなってしまった。そして三年生の時は難関大学を目指していたのにも関わらず、文系の一番下のクラスへ。一部の教科の成績と授業態度(よく居眠りをする)を考えれば当然のことではあったが、授業のレベルが大学受験レベルではなかったのは困りものだった。居眠りをしているのに教師のところに「わからないところを教えてください」と行くことなんて出来ないし、独学もなかなか難しい。そんな時に自分を救ってくれたのが予備校の配信授業。自分が通っていた塾では予備校が衛星配信する授業をビデオに録画したもので受講することができた。ビデオなら途中で居眠りをしてしまっても居眠りをする前の段階まで巻き戻せばいい。そうして90分の講義を毎回120分以上かけて受講し、なんとか受験に対応できる学力をつけていった。
結果として、第一志望の大学に合格することはできなかったものの、国立大学に進学することが出来た。自分の居眠りは怠けからきていると思っていたので、大学に入れば、環境が変われば少しは改善するとおもっていた。……だが、そんなことはなかった。
自分が受けたいと思い、はりきって教室の一番前の席に座った講義で寝てしまった時の絶望感。サークルのミーティングで居眠りをしてしまった自分への冷たい視線を感じた時のこの世から消えてしまいたい気持ち。大学に入れば何かが変わると期待していただけに絶望感は大きかった。ずたずたになっていく自尊心。
自尊感情が低い故に人間関係を構築するのに臆病なのは相変わらずで、自分から食事や飲みに誘うことなど殆ど出来ず、昼食も一人で食べてばかり。
大学院に進学してからも居眠りは止まらず、二年次に受けた公務員試験も当然のことながら不合格に。修士課程だったので二年で修了できたのだが、自分では働きながら試験の勉強はできない、とわかっていたので、親に頼み込んで一年間留年することにしてもらった。
留年時は相も変わらず寝てはおきてを繰り返しての勉強生活。一日十時間勉強しても、実質的に集中して勉強できているのは六~七時間なのだから効率は非常に悪かった。
二回目の受験でなんとか公務員試験に合格し、就職。このときはまだ自分の居眠りは自分の怠けからきていると思っていたため、さすがに就職すれば意識が変わって居眠りも無くなるだろうと思っていた。しかし就職してからも止まらない居眠り。会議で、行事で、起きていようとしても寝てしまう。当然のことながら、同じ居眠りでも学生と勤め人ではその捉えられ方は大きく異なる。面と向かって厳しく注意されることも増えたし、必要以上の会話をしてくれない同僚も増えていった。完全に自信を無くし、せっかく合格できたのに、退職しないといけないかな、と思い詰めていた時に、上司が睡眠障害外来の受診を勧めてくれた。
休みを取って「睡眠ポリグラフ検査」というものを受けた。体中に脳波、体の動き、血中酸素濃度、呼吸などを計測するセンサーを付け、一晩眠り、起床後は二時間ごとに横になって検査を行った。
検査の結果、入眠直後にレム睡眠期があること(普通の人は入眠直後はノンレム睡眠らしい)、前日に十分睡眠をとっていたのも関わらず、横になると数分で入眠してしまうこと、夢見や脳波などから、「ナルコレプシー」と診断された。ナルコレプシーとは非常に強い眠気の発作を起こす脳疾患(睡眠障害)の一つで、私の居眠り癖は自分の怠けからではなく、睡眠障害からきていたものだったのだ。
睡眠障害というと、「眠れない」障害ばかりが注目されがちだが、実際には「眠りすぎてしまう」「眠気が強すぎる」睡眠障害というのも数多くあるらしい。しかし、後者はあまり知られていない為、私のようにそれに気づかずに、発症後も長く苦しむ人が多いそうだ。
根本的な治療法はないが、薬物により日中の眠気が抑えられるということで、「モディオダール」という薬を処方された。早速薬を飲んでみると、劇的に症状は改善された。仕事の効率も良くなり、「普通の人はこんなに起きていられるのか」と驚いたと同時に本当に悔しくなった。もう少し早くこの障害のことがわかっていれば、これまで人間関係や学業でここまで苦しむことは無かったのに、と。
私はこのように二つの他人から理解されにくい障害をかかえて生きてきたのだが、それによる自尊感情の低さは、原因が分かった今もなかなか解消できそうにない。三つ子の魂百までではないが、一度形成された人間性というのは、なかなか変わらないものなのだ。
自分の体験を通して、教育に関わる人たちや、子供の「親」となっている人、もしくはこれから「親」になる人たちに伝えたいことは、「自分の教え子や子供に、何か気になるところがあったら、ためらわずに専門機関で検査を受けさせてほしい」、そして「もし自分の教え子や子供が何らかの障害をかかえていたら、その子に合った教育、療法を受けさせてほしい」ということだ。
自分の教え子や子供がそんな障害を抱えているとは思いたくない気持ちはよくわかる。しかし、障害を持つ子は検査を受けて診断を貰えなければ、自分にあった治療や教育を受けることもできずに成長することになってしまう。
さらに、「普通の人が出来るのに、自分には出来ないこと」があるということは、自尊心を大きく傷つけてしまう。自分がそうであったように。
一般の人が想像する以上に、発達障害や、睡眠障害を抱えている人間は多い。「他人事」だと思わずに、教育に関わる人たちや、「親」、これから「親」になる人たちには、発達障害や睡眠障害について学んでほしい。
ジィシェット :ビスケット
シャベッシ :もう一回。なに由来か謎すぎる
ジューチュ :野菜ジュース
ダッチュ :抱っこ
チャチャ :飲料水
チン :電子レンジ。うちでは「チンして」と言ってないし、ピーという電子音なのに…
トト :トトロ。惜しい
ニギニギ :おにぎり
バイチンシャン :バイキンマン。アンパンマンは完璧に言えすぎてちょっと怖い
パシャパシャ :肌の保湿剤や柿の葉ローション。手でパシャパシャ塗るので
パチャ :お風呂
パンニャ :お気に入りのパンダのぬいぐるみ。他のパンダや製品は別
ブー :クルマ
プーシャン :出産時セットで貰ったくまのプーさんマークの入ったグッズ。TPOに合わせ、スプーン、フォーク、カップ、枕を正しく選択しないとグズられる
ボンボン :うさぎ。ミッフィーからなぜかうさぎをボンボンと呼ぶように
ポンポンポン :卵。これまた謎
メイメイ :目。
趣味や生きがいがないまま70-80-90歳くらいの高齢になると、ああまで人間無気力になり、食べて寝て排泄するだけの毎日になるのかと思わされる。
祖父は特に体に異常があったり障害がある訳ではないが「動くのが嫌」という理由で自らの意思で寝たきり生活を送ってる。三度の食事は毎回、母が寝床にお盆で運び、食べ終わったらまた母が下げに行く。少し痴呆も入ってる。
祖母は寝たきりではなく家の中なら乳母車を押して歩き回る。そして3度の飯に加え、プラス五回くらいご飯を食べる。昼間は自分が家にいないので分からないが、少なくとも、18時頃に夕食を食べても、21時頃、23時頃、午前2時頃にも一人でふらふらと台所(キッチン)に来ては炊飯ジャーを開け、ぼそぼそとご飯を食べている。
休日に家にいると分かるのだが、祖父祖母は電話がなっても玄関のインターホンが鳴っても絶対にでない。(祖父はそもそも寝たきりを決め込んでいるので出ないが)祖母もどんなに電話の近くにいても出ない。これはウチの父が「電話に出ても会話を覚えていられないし、振り込め詐欺にあうから、電話に出てはいけない」と禁止するようにしているからだ。
確かに電話に出てもトラブルにしかならないだろう。この言い付けを守って、祖母は「わしゃ、電話に出ちゃいかんと言われてるから」として電話にも、玄関にも、何も反応しない。ベルやチャイムは聞こえているだろうが、まあ鳴っても何もしない。
電話や玄関対応を禁じる父の命令が良いか悪いかは別にして、電話が鳴っても玄関に人が来ても祖父祖母は無視を決めているのだから、当然、祖父祖母への電話や来客はゼロになる。つまり祖父祖母への外部からの用事、家族以外のアクセスは皆無だ。そして二人とも家の外には出ず、家の中だけでもう何年も過ごしている。祖母は定期的に自治体の老人向け娯楽教室みたいなのに通っている(迎えが来る)から、外部とは刺激があるのか。祖父は同じ教室(?)に昔最初だけ行ったが「数えましょうや歌いましょうなど、幼児みたいなことをさせる」と怒って行かなくなってしまった。(たしかに、ああいう高齢者向けの教室は、男性には向き不向きがあるようにも感じる)
前置きが長くなってしまったが、「健康」と「いくつになっても持続可能な趣味や生きがい」は重要で、それがないと自分も年を取ったとき、祖父祖母のようになってしまうのだろうか、と感じた。
当時僕は28歳だった。
当時僕は翌週に29歳の誕生日を控えていた。
もうすぐ20代も終わる、周りも結婚し始めている、そんな状況にやや焦りを感じていた。
そして、28歳にやり残したことはなんだろう、と考えて出た答えがデリヘルだった。
風俗にも少ないけれど行ったこともある。
当時はそんなに女の子に不自由していなかったし、徐々に性欲も衰えてきていたし、
何よりデリヘル業者に自宅がバレるのが怖かったのだ。
リスクを背負わないと何も得れないんだぜ、と自分を勇気付けた。
デリヘルを呼んだことのある人生の方が豊かに違いない、との結論に至った。
誕生日の前の最後の休日、この日を自分のデリヘル記念日と決めた。
あえて、家のポストに入ってあった、すごくうさんくさいチラシのところで呼ぶことにした。
ちなみに僕の住む地域では、キン肉マンの作者によく似た名前のデリヘル屋があって、
しかしそこに決めていいのだろうか。安定に走っていいのだろうか。
優良店で人気の女の子を呼んで、プロのサービスを受けて満足する。
そこに挑戦はあるのか、成長はあるのか。28歳最後のチャレンジはそれでいいのか。
いい訳が無い。それになによりロマンが無い。
なので怪しいピンクチラシ(二次元のイラストばかり)に電話をすることにした。
こちらとしてもコンディションは最高だ。
昼間に電話しても繋がらなかった(ちなみに携帯の番号だった)が、夜になると繋がった。
電話のオジサンにどんな子がタイプが聞かれ、慌ててしまい、どんな子がいるか聞き返してしまった。
オジサン曰く、20代~30代らしい。
ちなみにチラシは二次元のロリっぽい画像だったため、30代はマズイと思い、
料金を確認すると、チラシに書いてあったように66分8000円、それにプラス交通費が1000円かかるとのこと。
交通費は無料と書いてあったのでそこを確認すると、どうやらチラシが古いそうだ。
30分ほどで来るそうなので、コンビニにお金を降ろしに行くことに。
ついでに女の子の機嫌を取る用にちょっと良いアイスと飲み物も買った。
アイスは後で出すより先に出した方がご機嫌になってサービスがよくなるかもなー、など考えながら、
ドアを開けた瞬間、みんなが口を揃えて最初は良い店にしとけって言ってた意味を理解した。
あぁもうホントごめんなさい、僕調子に乗ってました。そんなうまい話あるわけ無いって分かれよ俺。
どうしようどうしよう無理無理無理無理。
とにかく、この人とはそういうことはできないなって思った。
つーかオッサン俺のたった1つの要望にくらい応えろよって思った。
こちらも色々言いたいことを堪えてとりあえず若い子って言ってるのに、なんで明らかに年上やねん。
そんですごくこういう言い方をして申し訳ないけれど、来た方の良い所が見つからなかった。
生まれもった外見はしょうがない。でも、体型と服装とお化粧と愛想は努力できるじゃないですか。
しかしチラシに初回チェンジ無料と書いてあったのでおずおずとその旨を伝えてみる。
オッサン曰く、チェンジは無料だが預かり金5000円が発生する、また次の女の子はすごく時間がかかるとのこと。
全然納得できなかったけど、正直泣きそうになっていたのでそれでお願いする。
女性の方はふてくされた感じで5000円を持って帰っていった。
まぁ、結論からいうと、そのまま誰も来ませんでした。
二時を過ぎて、さすがに遅すぎると思って電話しても誰も出ませんでした。
デリヘルこえーって思って寝ました。
あと、今まで自分が関係を持ってことのある方たちはみなさん素敵なひとだったなーと、改めて感じることができました。
格好良く言うと、デリヘルを呼んだけどそんな気分になれなかったので、お金だけ渡して帰ってもらいました。
そんなことが、28歳の時にありました。
ちなみに、先々週の話です。
あと、誕生日にnoteで有料記事作ったのに誰も課金してくれませんでした。
高学歴高収入の心優しいはてな村の方々、どうぞよろしくお願いします。
https://note.mu/happybirthday/n/n6b4db841598f
・テキストがやっぱダメ。こういうのがいいんだろ?あん?ほれほれ、シコれよ(笑)って言われてるみたいで不快。あざとすぎる。あと普段のテキストもくどい。ランスはもっとシンプルで雑なテキストなのになぜか面白い・不思議な魅力があるっていう感じのはず。
・ゲーム性がないに等しい。一応必殺技を演出カットで発動できたりもするけど、戦闘全体が遅くて一戦闘あたりに時間がかかってくどい割に爽快感がないに等しい。
・シナリオ、イベントもやらされてる感が大きすぎてつまらん。地名がいろいろあってどこから攻めるかとか考えさせてもくれない。全部勝手に進んでいく。パステルチャイム3と同じ感じ。バトルがおまけについてるってだけって感じ。
デリヘルというやつに初めて行きました。
年上の貧乳がいいと思って、ネットでランキング3位の女の子33歳を選びました。
サイズは、82 57 90 でした。
安いラブホじゃ嫌われるとネットに書いてあったので、少し高めのホテルに入りました。
部屋でビデオを見て待っていると、チャイムが鳴って女の子が来ました。
疲れたおばさんでした。
年齢は、40半ばだと思います。
「まだダメだよ。私は攻めるのが好きなんだよ。」
といって、肛門を舐められました。
と言っても、
「ダメダメ、それじゃああたしが満足しないの。いっぱい責めさせてよ。」
と言うので仕方なく応じます。
ベッドに言っておっぱいを触ろうとすると、
「まだダメだよ。さっきおっぱいを触られそうになって気が散って全然満足できなかったの、もう少し責めさせてよ。」
と言って、いきなり手こきを始めました。
「生フェラじゃないの?」
と聞くと、
「私はこの方が好きなんだよ。」
と言ってみたのですが、
と言って一向におっぱいに触れません。
あそこが元気にならないと、
「どうしたの、こういうの嫌い?」
と言うので、
「おっぱい触りたいんですよね。」
と返すと、
「なんか悲しいな、私の攻めが気持ちよくないのかと思うと落ち込んじゃう。」
「悲しいよ。」
「そろそろおっぱい触っていいですか?」
そのうちアラームが鳴って、僕はふにゃふにゃの息子を力ずくで慰めて果てた。
デリヘルって怖いな。
別の風俗に行ったほうが良かったのだろうか。
教員というと、「夏休みとか暇でいいよね」とか「授業ない時間なにしてんの?」とか言う人が多いわけですが、
要因という仕事の面倒くさいところは、「複数の仕事が同時に流れている」ところ。
一人の教員は
1、教科の仕事
国語や数学、などの授業をやるのは勿論、テスト作成や課題作成やチェック、
例えば教務だと時間割の作成や時間割変更、行事の計画立案(文化祭なんかはだいたい生徒会指導がやるけど)、
担任の仕事はHRをやるだけではなく、面談や出席統計、成績処理、要録作成など色々ある。
学年としての仕事は学年主導で行う行事の計画立案など。修学旅行とか。
しかしそれだけではない。
5、個人の仕事
経年研修など。
初任者研修のあと、うちの自治体では五年目までは毎年研修が何らかの形である。そのあとは十年研修かな。
あとは今免許更新制度があるのでそれもこれに含める。いや、実際には自腹だから厳密にいうと仕事ではないんだが(泣)
田中太郎 教科 数学(数学科副主任) 分掌 進路指導部 担任 一年一組担任(一学年団) 顧問 野球部顧問
という感じ。
教員という仕事は意外に出張が多い仕事で、自分は今年度数えてみたら四十日ほど出張してた。
しかしその出張もある時は「部活動顧問として地区の顧問会出席」だったり、ある時は「分掌の仕事としての研修への出張」だったり、
ある時は「教科主任として研究大会への参加としての出張」だったり。
しかもそれぞれの仕事は独立してるから、研究発表の準備でクソ忙しいところに部活動の大会が入ったりする。
自分が利用するときに、検討/実践した内容なので誤りやより有益な情報がありましたらご教示ください。
厚生労働省の助成事業にあたる公益社団法人全国保育サービス協会、
財団法人こども未来財団からシッターや一時保育を選ぶのをおすすめします。
会社で配布される、ベビーシッター育児支援割引券を利用する場合は、
財団法人こども未来財団の割引券取扱事業者一覧から探してください。
お住まいの地区によってシッター券などが配布される場合がありますが、
区の助成券に対応するにも免許、資格を証明する、保育士認定書の写しなどさまざまな書類の提出などが必要だからです。
ベビーシッターは紹介サイトで個人間で契約を交わすよりも幾分安心です。
助成券/ベビーシッター育児支援割引券に対応しているシッターかつ、
シッターが対応している区を調べます。だいたい、50くらいは見つかると思います。
50のシッターサービスに登録するのはありえないので2つくらいに絞り込みます。
私が利用しているシッターサービスは、下記のものを提出しています。
こんな感じです。預けるのが面倒になるくら準備が大変・・・
たまに今回の事件になったような紹介サイトの有人版みたいなのもあります。
人を調整して派遣します系の。それよりは、保育園運営しているところのほうがいいなとは思います。
そしてある程度、運営期間(実績)があるほうがいいかなと、思います。
>できれば2011年の災害時を経験しているところがいいです。
と書きましたが、災害時の対応はどうしますか?など質問を投げて、
調べてから折り返しますなどいくつか反応が遅いところがあります。
まずは”【1】提出物がしっかりしているところ”で書いたものを一式用意します。
相手が訪問してきたら名前を確認して、一通り子供や荷物の情報共有する時間を設けます。
こっそりですけど・・・室内をリアルタイム配信するのもいいでしょう。
子供も見知らぬ人に部屋で2人きりというシチュエーションがはじめてになるので
今後の参考にするためです。(お気に入りのおもちゃを増やすとか、食欲の様子とか)
リアルタイム配信の方法は、なんだっていいんですけど世界中に公開するわけにはいかないので
skypeのアカウント2つとってビデオ通話状態のままにしてみました。
鍵が掛かってる&チェーンもつけているので電話またはチャイムをならして帰宅をお知らせします。
※シッター中はヤマトが来ようが勧誘が来ようが絶対あけないです。
だいたい、2500/h*9時間(日中価格)=22500円です(ドドーン!)
助成券をフル活用すれば1.7万くらいには収まりまると思います。
まぁ、ちょっと目を離すと怪我する/死ぬ子供をみてるわけですからこれくらいの料金になりますよね。
預け先を自宅ではなく、一時保育所にすればもう少し安くなると思いますが宿泊・日/祝日はやっていないところが多いですね。
※区の乳児院(ショートステイ)だと、1泊5250円というのがありますが親の病気が理由などではないと利用は不可能です。
個人間で2人の幼児を16時~翌日10時で4000円の依頼をしていました、格安ですね。
(ニュースでは無職とありますが、依頼内容やプロフをみると夜間のお仕事のためのようです。
シングルマザーだから認可保育園は優先的に入れるんだけど夜間はやってないですよね・・・)
まともなところにお願いすると2時間分の費用にしかなりません。
さらに深夜料金や宿泊保育をすると費用がかかるし、兄弟2人だと料金は割り増しです・・・
だいたいは1日預けた分の費用>稼ぐ費用となってしまうわけですね。
相手の連絡先を電話と名前のみしかしらないのに預けるというのも危機感が足りなかったと思います。
利用者としては、怪しいところは絶対に利用しないのを徹底しなければならないし、
そもそも怪しいものをそこらへんに湧かしておくなよと思うわけで。
自治体でも国でも率先して制度・資格・指導をしっかりしてほしいものです。
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私の頭はおかしいって自覚はあるものの、類なんてみなすな、友として呼んでないという案件に出会ってちょっと傷心気味だ。
一昨日の夜九時過ぎに、玄関チャイムが鳴った。こんな夜分に、と疑問に思いながら受話器を取ると、
「201号室の方ですか?」———と聞かれた。
「いえ、204号室です。」———がちゃり、と反射的に受話器を置いてしまった。
自分の名前も名乗らず、私の名前も聞かない。これは宗教家か、もっとよくない人だと直感が告げていた。
その瞬間、荒れ狂ったように目の前の受話器が鳴り出した。十回を数える頃、後ろ手に取った携帯を握りしめて再び受話器を取った。
「201号室の方ですか?」———男性の声だ。
「どのようなご用件ですか?」
「201号室の方ですか?」
「どのようなご用件ですか?」
「201号室の方ですか?」
「どのようなご用件ですか?」
「201号室の方ですか?」
「どのようなご用件ですか?」
「201号室の方ですか?」———比喩じゃない。本当にこの回数分問答を繰り返したのだ。
「どのようなご用件ですか?」
「私......NHKの」———とっさにまた、受話器を切ってしまった。
NHKだけ、大きく聞こえた。その他、何を言っていたのか、よくわからない。
一応、受信料は毎月口座引き落としで納めている。
また、受話器が鳴り出した。何回も何回も。
玄関のチェーンロックが掛かっていることが不安だったが、玄関越しに立つことの方がもっと不安で、
結局嵐が去るまで、部屋で固くなっていた。携帯の存在は、いつの間にか寝付いていた床から起きるまで忘れていた。
今日、体調不良を理由に会社を休んだ。警察の方には、お話を伺っていただいた。
何もかもが済んで、ぐったりとなった午後、土日の天候不良で溜まった洗濯物が気になって、それでもまだ、ベランダすら顔を出せない。
実家の浴室乾燥機が急に恋しくなった。ゴミの日も逃して、廊下が散々なことになってる。それが嫌で、明日も多分外に出ないだろう。
明後日は出勤できるか。
今日の朝、嫁が返却期限が今日のレンタルDVDがあるのを思い出した。
雪が積もっていて少し遠回りのがおっくうだが、花金のアフターファイブに向けてお互いのタスクは一つでも少ない方がいいし、嫁の機嫌をとるためにも
「俺がかわりに返しておくよ」と言って、少し早起きして駅と反対方向のレンタルDVD屋の返却ボックスにDVDを入れてから、出社した。
当然のように降雪の影響で電車が遅延したものの、朝礼に間に合う時間には会社に行くことが出来た。
会社に付くと、営業の若い子がネットの降雪情報を見ながら、道路の状況をホワイトボードにメモをしていた。
そこでふと思い出した話がある。
あれは十年以上前、まだ携帯電話が普及し始めた頃、一人暮らしのアパートに固定電話を引くのが当たり前だった頃の話だ。
当時の俺はデリヘルにはまっていた。
「フェラと手コキとシックスナインに顔は関係ない」がモットーの俺は、もっぱら安くてエロい熟女系人妻デリヘルを家に呼んでいた。
就職したての高卒のガキが金をもってする贅沢といえば、デリヘルを呼ぶことだったのだ。
当時とくにはまっていたのが「わかな」という40半ばのデリヘル嬢だった。
彼女はなんというか、教育ママというよりは、教育ババアといった趣の顔だったが、
顔とは正反対の性格をしていて、忘れ物をしがちでおっとりとした人だった。
よくバスタオルを忘れてきては「あらら、困った困った、吉田さんバスタオル貸してもらえす?」とか
「あらら、困った困った、タイマーセットし忘れたわ、何時から入りましたっけ?」とか
何か困ったことがあると、わざとらしく手を頬に当てて「あらら、困った困った」というのが口癖だった。
ある日俺はいつものように「わかな」が勤めているデリヘルに電話をして、彼女を指名した。
細かい時間は覚えていないが、話の流れから推理するに午後十時ぐらいだったと思う。
「わかな」は人気がないデリヘル嬢だったのか、そのデリヘル屋が流行ってなかったのは知らないが、だいたい指名は問題なかった。
そこでレンタルビデオの返却機嫌が今日までだったことを思い出し、当時でも深夜十二時まで営業している店だったし、徒歩五分のところにあるので、
そして、いつものように三十分ぐらい待つと「わかな」がチャイムを鳴らし俺の家にあがるのだが、
「いつもは二時間だけど、今日は一時間でお願いします。ちょっと用事があるので」みたいなことを「わかな」にも伝えた。
その日は倍は丁寧に感じた、二時間とは思えない濃密な時間だった。
いつもなら嫌がるシックスナインでも積極的に顔に股間を押し付けてくれた。
そう「わかな」はいつものようにタイマーをセットし忘れて、いつものように二時間のコースを俺は堪能し
俺は慌てて時間が過ぎていることを伝えると「わかな」は
「あらら、困った困った、お店には一時間って言ったんですよね? じゃあ延長一時間なので普段よりお金もらっちゃいます、ごめんね」
とプレイ後のデリヘル嬢特有の妙に優しい声の冷たい顔で言うのであった。
「バカじゃないの、あんたの小遣いでちゃんと払ってね」と笑いながら優しい声で怒られた。