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はてなキーワード: ギラギラとは

2019-07-09

anond:20190709081034

金あって、若い女結婚するようなギラギラした男は、定年と当時に家に引きこもったりしないで、外で遊びまくってるんじゃなかろうか?

2019-07-04

海獣の子供☆☆

わたくし海獣の子供を観てきましたわ!

海、つまり鯖の出番ですわ!たぶんいませんでしたわ!

新江ノ島水族館はもうだいぶ行ってませんわ。そろそろ行きたいですわ。

この方たち、もしや海の生き物を描きたいだけなのでは?という勢いで最後の方の話も絵もよくわかりませんでしたわ!

ついでに言うと主人公から隕石を取り出す10秒くらい前にクラウドセフィロスラストバトルが始まるんじゃないかという場面になったときに頭の中に田代の歌が流れ始めて完全に集中力が切れましたわ。

最初の方の報復をしてるギラギラした主人公ハンドボールマンガを書いてほしいですわ!



パンツが見えなかったので星2つですわ!パンツが見えなかったので星2つですわ!



追記

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20161007231223

2019-07-01

anond:20190701013041

独立したら?」をいってもいいし、メリットデメリットは人それぞれ。

何を持って友達なのか、だけれど、大事だと思うなら、仕事の話以外で盛り上がった方がいい。

一緒にスポーツするのか、芸術を堪能するのか、旅行食事にいってみるのか。

儲かってるなら「仕事が入って儲かったから、たまにはおごるよ!でもいつでもおごれるわけじゃないからね」っておごるのも悪くないんじゃないのかな。

 

かに起業した人たちはギラギラ系も多いが、足元しっかりみて経営している人もいる。

交友関係を広げたら、いい出会いもあるかもしれないですよ。

独立して話のできる友達がいなくなった

一昨年に独立して個人事業主になった。

仕事は充実しているし、年収も数倍に上がった。

はっきり言って人生で一番余裕ある暮らしをしていて、独立してほんとうによかったな、と思うのだけど、唯一悲しいのが長い付き合い友達境遇金銭感覚が変わったので、話がうまくできなくなったことだ。

特に時事の話題になると将来への不安会社への愚痴が出てくるので、もうさっぱり共感して話し込むなんてことができない。

お金がないなら仕事を取ってくればいいよなー、と思ってしまう。しかし、それを言ったらおしまいだ。

自由にできるお金時間も違うので、話していて感覚の違いが浮き彫りになってキツい瞬間が多い。

まぁ、でも人生ってこんなもんなのかな。

友達と飯屋でずっと話しているのがなによりも楽しかったけど、こうなる日が来るとは。

「おまえも独立したら?」って言えばいいのかな。

これからだれと遊べばいいんだろう。起業系の人たちもギラギラしていて話が合わないんだよね。ちょっと前に仕事で知り合った人たちと海外に遊びに行ったけど……まぁ下品だよね。

はぁ、悲しみ。

2019-05-12

ダブルソーダっていつの間にか販売停止してたんだな

ソーダ味のアイスキャンディーギラギラなお日様の下ハンブンコしたい人生だった

何で悪者なのに歯ピカピカなんだろ?

歯白くてギラギラした悪役とか何か正義ヒーローしか思えないんだが

悪ければもっと虫歯、歯抜け、差し歯、銀歯金歯ってないといまいち悪役として信用できない

もう少し悪役らしくしてくれよ!

2019-05-08

アイマスペンライト規制

現場ボタン電池オンリーねって言ってるのにLVならギラギラのキンブレ使って良いみたな風潮

本来スターダストによるケガ防止(機材破壊防止も)が目的なんだからPならLVでもボタン電池式を使うべきではないのか

2019-05-06

ありふれた新社会人GW明け

 どんな人間でも不快になるような文章を書いてしまいました。

河原の大きな石をひっくり返したような、汚泥にまみれた実話です。

 GWも明けるタイミング、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

私は丁度死にたいと思っていて、だからこそ筆を取っています

私は学生の頃「仕事しかない」人間になる事を恐れていました。

から見て“面白くない”社会人になる事を避けたいと。

だというのに今の私は、まさにその"面白くない"社会人になってしまいました。

20にして人生に失敗してしまった人間備忘録です。

私のゴミみたいな半生が少しでも皆さんの娯楽になれば、ちょっとは報われるかもしれません。

 私はこの4月から晴れて新卒一般企業就職する事になりました。

しかし、訪れた新社会人としての生活は、想像を遥かに凌駕する程過酷ものでした。

 人間の悩みというのは、将来、人間関係、金、の3つに集約されるそうです。

例に漏れず私にぶち当たったのは人間関係、でした。

経済的問題否が応でもから近い公立高校に進学しようと本気で勉強した、その程度の事が一番辛かったと語れる程ぬるま湯に浸かったようなこれまでの人生の中で、人間関係に悩まされた事など一度も無かったのです。

私は人と話す事が好きな部類の人間でした。

希薄人間関係を築くのは割と得意な方で、逆に関係を持続されるのが極端に苦手。

進学や就職環境が変わればまた新たな人間関係を構築すれば良いという発想の私にとって、離れた環境の友人と無理に関係継続するというのは、意味の無い事に思えました。

薄く広い淡白人間関係典型的な連絡先だけ沢山持っていて本当の友人が1人もいないタイプ人間です。

 私が入社した企業は、業種も考慮すると今時珍しいくらいに体育会系人間ばかりで構成されていました。

自分に甘く、ストレス源となるようなものから逃れ続け自分の生きやす環境だけを構築してきてここまでやってきた私のような人間にとって、呑みの席というのは甚大なストレスになります

 私も流石に1年目の社会人のはしくれですから、毎朝入浴して身だしなみを整え清潔感を心掛けて毎朝出勤していますし、幸い人前で喋る事も然程苦ではないタチなので明るく爽やかな印象を持ってもらえるように自分を偽っています

スーツを着ている時の自分は完全にスイッチが切り替わっているので、会社にも上司にも従順人間でいるのですが、流石に「呑み会の出席率」のお話を訊いた時は笑顔が曇ってしまいました。

入社1年目はどんなに仕事ができなくても、呑み会の出席率で社内の心証大分変わってくるから、呑み会には絶対来ておいた方がいいよ、という旨のお話

 ふざけるな、と思いました。

ただでさえ業務時間外の中、自由参加という体の惰性みたいな呑み会に無理矢理連れてこられている身分なのに、まだ私を拘束したいのか、と思いました。

入社歓迎会だとか、社内の行事であれば流石に意図を汲んで参加しようと思うぐらいの社会性は持ち合わせているつもりでした。

しかし、あの呑み会は断じて違う。

 先輩方が何の気もなしにする発言一つ一つが、刺さってしょうがない呑み会であった事をよく覚えています

私がスーツを着ている時に演じている人格が私の素であれば、先輩方の言葉は全てありがたいアドバイスです。

しかし私の根はどうしようもない程の"陰"。

 実際、全て私が悪いのは分かっているのです。

社会的にどちらの方が正しいのかは明白であり、会社行事でも呑み会でも優しくもてなしてかわいがって頂けるこの環境をありがたく思えない私が悪いのです。

ただ私は上昇志向だとかそういった意識の高い言葉とは無縁な人生を歩んできたので、ギラギラした先輩方と同じ卓で美味しいお酒は呑めない。

 その日の晩、ギラギラした先輩と沿線で分かれるまで電車でご一緒し、最寄り駅に着いてから私はずっと死ぬ事を考えていました。

自分でも驚くぐらい簡単に生への執着を手放してしまいました。

Bluetoothイヤホンから流れるMOROHAが、かつてない程遠く感じていました。四文銭の最後の熱いメッセージでさえ、もう二度と私に向けて歌ってくれないのだと理解しました。

 そこから抜け殻みたいに出社してなんとかGWを勝ち取り、山形まで先祖墓参りに向かったり、気を許せる数少ない親友に誘ってもらって遊びに出掛けたり、引きこもってゲームしたり、好きに過ごして今に至ります

 「皆辛いけど、乗り越えてきたんだから

 なんて、色んな人に言われてきました。

こういう言葉を聞く度に、"平均信仰"の恐ろしさを感じます

他の皆が乗り越えられるから、私も乗り越えられる保証なんてどこにもないのに。

"辛い"なんてのは平均でしかなくて、研修から既に優秀で何の苦労もせず頭角をメキメキ表している友人だって、まして辛すぎるあまり誰にも相談できず電車に飛び込んだ同志だっている筈なのに。

 そうそう、人間は本当に精神的に参ると、孤独になります

自分の抱えている悩みや葛藤なんていうのは後ろ向きなもので、聞く人が多かれ少なかれ不快気持ちになってしまうのを理解しているので、仲の良い友人であればある程話せないものです。

私を心配して送ってきてくれるLineだって煩わしくて、でも折角気を遣って送ってきてくれた文章だしな、と返信を考えているうちに休憩時間が終わって、また仕事が舞い込んできます

その内全てがどうでもよくなって、携帯に入っている全ての連絡先を削除しようと思って、そうしてしまえば私が生きてきた意味が一緒に全部消えてしまうみたいで消せなくて。

そんな自分が情けなくて、使いもしない117の人脈を眺めて、それに縋るしかなくて。

 私は4月社会人になってから、死に対して真摯に向き合っています

でもあと一歩が踏み出せなくて、こんなどうしようもない袋小路でも無職になって親に縋るよりはマシだと考えると環境を変えるのすら怖くて、退職届1つ提出できずに、自分死ぬ事もできず、多分明日ミイラみたいになりながら朝6時に家を出ます

 Twitterで「幸せになりたかっ太」様が 

死にたがってるのに行動に移さない人たちの「死にたい」は、「生きていて幸せになりたい」と同じ意味だと思っている。

と言っていて、腑に落ちてしまいました。

 死にたいです。

死にたくないです。

幸せになりたいです、

私は一体何のために筆を取ったんでしょうか。

こんな惨めな人生を笑ってやってください。

誰か私を救ってください。

2019-04-20

KKOと活気ある街作り

キモくて金のないおっさん」と「活気ある街作り」の関係性について考えてみる。

KKOとくたびれた感

KKOにはくたびれた感がある。

くたびれた感を別の言葉表現すると

となるだろう。

過酷労働に疲れ果てトボトボと帰宅するKKO

「家に帰ってもなにもやる気が起きない」

KKOと聞けば、そういうシーンを連想する。

容姿に優れない」「経済的に優れない」「中年男性」という3条件を満たしていても「KKOらしさ」のない人間もいる。

例えば「見た目のよくない売れない中年芸人」などがそれである

「見た目のよくない売れない中年芸人」は「キモくて金のないおっさん」という条件を満たしながら「応援」されて成功する場合がある。

KKO応援されない」という言説への反例と言えよう。

逆にKKOの条件を満たしていなくても「くたびれた感」があると忌避される。

容姿絶対的基準がないことは、あえて言うまでもないだろう。

金を持っていても「くたびれた感」があれば周囲から嫌煙される。

年齢について言うなら、おっさんもかつては若者だったのだ。

(KKOは「おばさん」も含む場合がある。性別重要ではない)

すなわちKKO構成する3条件とは、根本的なポイントではない。

KKOらしさ」は「くたびれた感」によって規定される。

3条件を満たしていても「くたびれた感」がなければKKOらしいとは思われない。

くたびれた感と活気

くたびれた感の反対を考えてみると「活気」ということになる。

活気を別の言葉表現すれば

となるだろう。

個人レベルKKOを脱却したいのなら「くたびれた感」を消して「活気」を出さなければならない。

よく「見た目には清潔感が大切」と言われるが、それは本質的ではない。重要なのは「活気」である

KKO自業自得」という言説も「活気」を出せば解決できるという理屈に基づくのだろう。

世間にとって「活気がない」=「悪」というのはあえて言うまでもない自明の理なのである

から、そこはわざわざ語られない。だが、心当たりはあるだろう。

シャキッとしなさい。元気を出しなさい。背筋を伸ばしなさい。笑顔を絶やしてはいけません。

ただしKKOもなにも好き好んでくたびれているわけではないのかもしれない。

強いられている「低賃金長時間労働」が原因と考えることもできる。

KKO低賃金長時間労働については鶏と卵の関係なのかもしれない(その辺は後述)。

「活気ある街作り」という流れ

本邦では「活気ある街作り」が試みられている。

いったいなぜ「活気ある街作り」を目指しているのか明確なところはわからない。

しか大衆に「活気ある街作り」=「善」と認識されていることは確かだろう。

元気のある街。笑顔のある街。24時間営業バーゲンセール。ケバケバしい看板

「活気ある街作り」とは、こういう方向性だ。

KKOはよく「弱者救済」の文脈を持ち出す。

しかし「弱者救済」もそれ単体で存在するのではない。

「活気ある街作り」という大きな流れの中にあるものひとつが「弱者救済である

活気ある街作りと弱者

「活気ある街作り」と「弱者」の関係を考えてみよう。

まり「活気」を演出するツールとしての弱者である

子供」「老人」「身体障碍者」「女性」の例で考えてみる。

子供が「活気」の象徴であることは、説明するまでもない。

子供の声は騒音ではない」という言説が一定の支持を得るほどだ。

ゲームばかりやってないで外で遊びなさい」という理屈も「活気ある街作り」という文脈に繋がる。

「元気に走り回る子供」の姿は活気を感じさせる。

老人はそれ単体では活気ではない。

しかし老人が出歩くことは「年齢というハンデに負けずアグレッシブ活動」という意味を持つ。

また老人が存在することで「助け合い」という「活気」を演出するイベントが発生する。

例えば「若者が老人に電車で席を譲る」という行為は「活気」のあるシーンである

創作物の中でも「大きな荷物を持った老人が横断歩道を渡るのを助ける」シーンを幾度となく目にしてきたはずだ。

身体障碍者についても老人の場合と、おおむね同様である

「ハンデをものともせずアグレッシブ活動する」ことは「活気ある街作り」という方向性である

また「車椅子に乗った人を手伝う」のは活気を演出する「助け合いイベントである

一方で精神障碍者身体障碍者ほど受け入れられてはいないのが実情だろう。

それは「助け合い」という活気を印象付けるイベントとあまり関係がないからではあるまいか

女性存在もほかの弱者と同様に「活気」を演出する。

女性存在は「女性が一人で出歩けるほど治安が良い」という意味合いで活気の演出となる。

また「女子高生」などは「活気」のシンボルアイコンとして用いられがちだ。

「飛び跳ねる女子高生」は活気の象徴だ。

権利を求める一部女性の「活動」は良く言えば「アグレッシブ」、悪く言えば「狂犬」だ。

だが、それでも「元気があってよろしい」ということなのだろう。

くたびれた感よりも「攻撃的で噛み付く」くらいの方が好感をもたらす。

ところで、すべての女性弱者として救済されているかというと、そうでもない。

女性の中でも「くたびれた感」のある人間は救済されない。

それは「活気ある街作り」という目的合致しないためだ。

活気ある街作りとKKO

さて、ここまで読んできたら恐らく気づいただろうが「KKO」=「くたびれた人間」は「活気ある街作り」という方向性には合致しない。

くたびれた人間は「活気のなさ」の象徴である

くたびれた人間他人を助けもしないし、助けられもしない。

くたびれた人間の周囲では「助け合いイベントが発生しないのだ。

(なお「仕事に疲れてくたびれた人間」が助けられるシーンは活気とは言えない)

くたびれた人間の中には「仕事で疲れているのだから暇な老人に席を譲る必要はない」と公言するものさえいる。

もしも、くたびれた人間に金を与えたらどうなるか?

「つらい、しんどい疲れた」と言いたがるタイプが街に出歩くことになる。

よくよく考えてみると、日本の街には「休憩する場所」があまりないように思える。

「休憩」は活気ある街づくりからは遠ざかる方向性であるためだろうか?

疲れやすタイプ人間を出歩かせないために、どうすればいい?

金を与えてはならない。暇を与えてはならない。

面接の段階で「くたびれた」タイプ人間は弾かれる。

くたびれたタイプには出来るだけ出歩いてもらいたくないからだ。

さて「くたびれた感」は低賃金長時間労働によってもたらされるのか?

あるいは「生まれ持った気質なのだろうか?

世間は恐らく「くたびれた感」を生まれ持った気質判断しているのだろう。

KKOは「KKOに金と暇を与えても活気ある街作りには繋がらない」と認識しているはずだ。

現状を踏まえて待遇改善要求するなら「金と暇があれば活気ある街作りに協力する」という姿勢を示すのが有効だろう。

まずは応援したいと思わせなければ、助けてはもらえない。

なぜ「活気ある街作り」を目指すのか?

近年では工業立国の先行き不安とともに観光立国を目指すべきであるとの声が出つつある。

美しい国」。国全体がそういう世界観アミューズメントパークを目指している。

ヒントはいくつかある。アニメで言うなら「クールジャパン」「聖地巡礼」もその一環だろう。

「活気ある街作り」の集積によって美しい国が実現される。

観光立国を目指した都市景観を考えると「くたびれた人間」は存在してはならない。

活気ある街作りとは矛盾が生じるから「くたびれて帰宅する人」の姿を目にしたくない。

から場所時間帯をずらしてもらいたい。

くたびれた人間を隠したい気持ち特に観光」を意識する人種ほど強いだろう。

観光に携わる人間ほど「景観に害を与える」くたびれた人間を敵視しているはずだ。

さら政治家資産家などの決定権を持つ人間観光を強く意識しているだろう。

そのような人間が決定を下すからKKOはいつまでも救済されない。

根本的には、そろそろ「活気ある街作り」という方向性自体を見直すべき時期であるように思う。

他国観光立国を見ても必ずしも活気ある街作りを目指す必要はないように思える。

観光には活気どころか「ゆったり感」「のんびり感」の方が求められているのではあるまいか

さら少子高齢化の加速する日本において今後も「活気」という方向性勝負するのは厳しいだろう。

KKO積極的に「カメラへの映りこみ」を狙うべきだろう。

都市景観を守るためにKKOを隠す」方向性が無理となれば「KKO存在にあわせた都市景観」を考えなければならない。

結局のところビジョンとは映像なのである

「活気ある街作り」という映像リアリティをなくしてしまえばいい。

KKOはどうすべきか?

  1. 活気を演出する(個人アプローチ)
  2. 「金と暇があれば活気ある街作りに協力する」という姿勢を見せる(社会的アプローチ適応)
  3. 「活気ある街作り」からの脱却を目指す(社会的アプローチ・改変)

2019-04-09

出せない手紙ゴミ箱

決められた箱の中で思いっき叫び、跳ね、全身でのたうち回る君は本当に本当に眩しかった

枠の中で暴れ回りながら、ギラギラと光らせる目と虚脱した笑顔、余りのいびつさに、足が竦む程の生命力を感じた

背景の私が、いつの間にか少しずつシルエットが重なって、目が合うようになって、君への現実感が増していく日々は身体の底から震えるくらいの恐ろしさだった

私を見て観察し、奥底の人となりを探って、信号を受け取りあって、笑い合い、更にはぎこちないコミュニケーションまで取れるようになった

舞い上がって噛み締める自分と、いつかこんな日が来ると思って会いに行くたび怖くなる自分が居て、とうとう迎えてしまった今日が 本当に苦しい

君の意識外というのは、そういえばこんなにも淋しいんだったなぁ

数年前、君と何も築けていなかった頃の物悲しさがまた、比べ物にならない大きさになって襲ってくる

もう、恐らく私は、君の大切な人じゃない

あの人が自分を待つならと、君を奮い立たせられる存在でもない

苦しんで、辛かった、そんな冬の間に通過した地点の一つになったのかな

会う度にくれたもの、あの時言えば良かったと思う言葉、取っておけばよかった態度、どれも過ぎ去ってからじゃ陳腐に思えて、だけどもしもやってみていたら?その先の想像出来る世界自分があまりに羨ましくて、悔しくて、こぶしに おなかに、力が入る

どんどん剥き出しになっていった私達は、ふたりだけで言葉を持つことが出来なくて、これはつまり信じ合えなかったということになるのかな

愛情が足りなかった とか そういう事ではなくて、ただふたり空間を持てなかった私達が、作れなかった私達が、自分を愛し過ぎていて、自分の中の相手を愛し過ぎていて、結局最後まで傷付くことが怖かったんだと思う

それでも私は手を握ってみたかったけど、同じ時間を持たない事は こんなにも距離を作るんだね

あの日から目に入り続けてしまうあの子とのやり取りを睨み憎み続けたし、そして最後まで君は何も知らなかった

嬉しくて嬉しくて恐くて苦しい私への言葉をくれる、一ヶ月に一度のその間だけ君を見て不安に思わずにいられたし、でもその大事な時間前後や ましてや空間にあの子も居るのかもしれない、と思うたびにどうしようもなくなった

同じ指で、声で、思考コミュニケーションを取る君に 心を許す君に あの子の前で恋愛の話だけはぐらかす君に 私はどんどん悲しくなって 悔しくなって 腹が立って 疲れて また悲しくて そうして少しずつ諦めた

まだその気持ちが大きいから心の底からは言えないけど、でも、君はずっと何も知らなくていいよ

自分が想う人を信頼して、心を開いて、そして安心して生きていてほしいか

傷付かなくていい、自分が耐えられなくなったんだと 見切りを付けてやったんだと思っていてくれればいい

いつかズタズタに傷付いたあの時のように、君はまた同じような事をしてしまっていたけど

大事な君の未来を曇らせるものはここに置いていってほしいんだよ

それが私への気持ちなら、今日に置いていってぜんぶ過去にしてほしい

傷付く姿はもう見たくない、ただ君のあるべき姿を見せ、正当に評価され、そして確実に必要とされていて欲しいか

これまで、この一年、たくさん傷つけていたらごめんね。

思いもしなかった私の行動が、君にとっての裏切りになっていたならごめん

こんな言葉も、全部がもう既に要らない物だとしたら、それもまた ごめんね

私の日の当たる部分は、笑顔は、明日への活力は、少しばかりの自信は、本当に君によって造られていて 私は文字通りずっと君に生かされていたんだよ

から、どうもありがとう。初めて会った日から、緊張いっぱいの表情で初めて信号を送ってくれた日から、ずっとずっと 本当にありがとう

私の人生に、可愛くて可愛くて 誰よりも眩しくて愛おしい君が居てくれて 本当に良かった

どうかこの先君の歩く道が、蹴り、跳ね易く、明るく、そして健やかなものでありますように

今日明日も、あさっても、君が誰かとたくさん笑っていますように。

愛しています とびきり眩しい日々をありがとう

元気でね

さようなら

2019-03-16

anond:20190316153650

エロ浮世絵の書いてある、なんか皿みたいなの、たぶん探せばみつかる。

父がええもんといいながら見せられた時は、心から嫌だったけど、たぶん家にあるんだろう。

買取店にまえ話したらそれ買いますよ!!てギラギラしてたけど鍵がみつかってないのよ。

2019-03-12

Hに興味があるJKという設定でネカマをやっていた

群がる有象無象を見るのが面白かったし、俺はたぶん無性愛者なので性欲でギラギラニラニラしてる人というものを見るのも面白かった。親にも友達にも言うなと用意周到なのがウケた。一応罪の意識あんのね。

突然チャットセックスをはじめたり。服脱がせておっぱい揉むよ..チュウチュウ(増田ちゃん処女おっぱい吸ってるよ)とか書いてくる。どんな顔でタイピングしてるんだろう。しかもなぜが三点リーダではなくピリオドの連打で草

2019-03-03

anond:20190302004438

本当にその通り。

東京会社を辞めて、そこそこの町に引っ越して、改めて東京の異常さを実感した。

だけど、現代文明は、足るを知る暮らしを捨てて、ギラギラした生き方をするように世界中制度を作っていくから、みんな都会で生き残るをはかることになる。

2019-02-20

なぁ、ハンバーガー食いに行こうぜ?

マクドナルドモスロッテリアみたいなチェーン店のうっすいバーガーじゃなくてさ。

 

上司が「俺の友達がやってるからいこうや」といって外回りの昼休憩に連れて行ってくれたのが、個人でやってるバーガーショップだった。

まれからハンバーガーなんてマクドナルドモスロッテリアバーガーキング、それにコンビニに売ってるようなのしか食べたこと無い俺(デブ)は「ありえないwボンバーガーなんかで我を満たせるわけがありませんなw(いいですね、個人ハンバーガーショップなんて初めてですよ)」と言いながら上司についていく。

「いらっしゃいませ!」

30半ばぐらいのグラサンをかけた筋肉ムキムキのマッチョマンが威勢よく出迎えてくれた後、「タケちゃん上司竹原氏の事)いらっしゃい!なに?仕事?」と言った。

「おう、俺はアボカドエッグオニオンリング烏龍茶のセットな」と言った後、こっちを向き「おまえは?好きなんでいいぞ」と言う。

自分メニューをひと眺めした後「え、あ、こ、この、あの、エッグチーズバーガーと…あ、あの、コーラ…」と言うと竹原さんは「ポテトもいるだろ」と言い店長に「エッグチーズバーガーコーラポテトな」と注文する。

 

9月半ば、よく晴れていたので、テラス席の影になってる所にカバンを置いて席につく。まだまだ暑い時期だ。

午後からの周り先の確認をしているとハンバーガープレートを両手にもった山が迫ってきて、プレートを席に置いた。

プレートの中のハンバーガーハンバーグ重厚で、チーズがとろりとなって、日差しを浴びて輝いていた。そして、その横には山盛りのポテトマクドナルドポテトLどころじゃない量のポテトの油が日差しをあびてギラギラしている。

見るから身体に悪そうながらも魅惑的な宝石プレートに置かれていた。

驚いている自分をみて山、もとい店長は「サービス」といって笑っていた。

 

竹原さんはなれた手付きでナイフハンバーガーに入れて食べやすい大きさにして食べている。

それを見よう見まねでナイフを入れるのだが串が刺さったところから切り離されたハンバーガーは見事に崩れてしまう。

それを見た竹原さんは「フォークで全部さすぐらいのつもりで力をギュッといれ潰すんだよ」と言うので、こんどはフォークで押しつぶして、押しつぶされていない部分の境界線を見定めてナイフを入れると、ハンバーガーから肉汁が溢れなんとも言えない匂いが鼻に届く。

一心不乱に頬張ると、肉々しい味とたまごにかかったソースが合わさりくどいぐらいの旨味が押し寄せてくる。

無我夢中咀嚼をし飲み込むとコーラが欲しくなり、一気に飲む。たまらない刺激が口を刺激し、口の中に残っていたくどさが名残を残して消えていく。

気がつけばハンバーガー一個を食べて満足感に満ちあふれている自分がいた。

 

そうなると苦痛なのがポテトだ。

最初の4~5本は美味しかったが減らないポテトカリカリ)のやま。

デブから山盛りにしてオーケーと信じてくれた店長の粋なサービスであるが、それを裏切るわけにはいかない。

一心不乱にポテトを食べる。「ポテトもいるだろ」と勝手ポテトを注文した竹原を恨みながら。

食べに食べ、満腹も満腹、腹12分目ぐらいまで入って苦しいお腹をさすりながら店を後にするのだった。

 

―――――

 

さっき、竹原ヤローの目を盗んで、久しぶりに地元に帰ってくる友人とどこに食べに行こうと食べログを探していると、例のハンバーガーショップが出てきた。

LINEを起動して、

「なぁ、ハンバーガー食いに行こうぜ?」

と打ち込むのだった。

2019-01-29

HIVポジの人にSNSで会った

一昨日、健康診断を受けていた時に、担当してくれた女医

自殺未遂者とセックス由来によるHIV感染者とアル中ヘビースモーカー

全て保険治療適用外にするべきだと思ってるのよね。」と言った。

自分はどれでもないので、「なんて酷いことを言う先生なんだ。

ネットにこの音声でも流れたら即失職だろうな」と思いながら

適当に相槌をうっていた。


昨日、SNS映画好きな友達募集してるユーザーがいて、

しかも住んでる場所が近かったので思い切ってメッセしてみた。

30分ほどして約束場所に現れた彼は

折れそうなほどに痩せ細り、異様に落ち窪んだ目がギラギラしていて

はじめましてぇ〜」と笑ったら歯はボロボロだった。

一見してヤバいタイプだと分かったけど

「人違いです」と逃げるのも悪い気がして挨拶をし、

カフェをする時間でもなかったので近くの居酒屋に行くことにした。


座るなり彼は「お姉さぁ〜ん」と呼び、ハイボールダブルで注文した。

映画の話しをする気配は一向になく、なんだか危なそうな人だったので

一杯だけ飲んだら早々に話しを切り上げて帰ろうと思っていたのに

何故か向こうは自分に心を許したらしく、「仲良くなりたいから話すね。」と前置きをして

自分HIV感染であること、パンセクシャルの男娼であったことを語り始めた。


エイズなんていつなってもいいやと思って年齢も性別も問わず

セックスしまくってたんだけど、いざなったら人生終わった!って感じでぇ〜」と

悪びれる様子もなく明け透けに言う彼。

言葉がたどたどしいのは鬱病と脳漿を併発しているかなのだそうだ。

エイズになった人あるあるなんだってぇ〜。

行ってる病院にはぁ〜似たような子がたくさん来てるよぉ〜」

現在生活保護を受け、二日に一度来てくれる在宅介護ヘルパー

炊事や洗濯などは全て面倒をみてくれるらしい。

男娼をやっていた頃の太客からも援助を受けているそうで

生活はとても安定し、酒や煙草制限特にないらしい。

日本ていい国らよねぇ〜、なぁんもしなくても生きてはいけるしぃ〜。

スマホつかって遊んでれば生きて行けるのぉ〜。

でもねぇ〜、これでもいつか社会復帰はしたいんだよ。

そう言ったらヘルパーさんも偉いねぇって褒めてくれるのぉ〜エヘヘェ〜」


三本目の煙草に火をつけた時、「もう一杯いい?」と言うので

「駄目、もう帰りましょう」と打ち切り会計をして店を出た。

「せっかく久しぶりに人に会えたのになぁ〜、寂しいなぁ〜。」と

大声で話しながら店の外でふらふらと漂っている彼は

今日ありがとう、すごく嬉しかったし楽しかった!

また会えるといいなぁ〜」と、男娼をやっていた頃ならば

必殺業にしていたのであろうとっておきの笑顔を見せた。

「ごちそうさまぐらい言える大人になりましょうね」とだけ言って背中を向け

「あ、ほんとら!ご、ごめんなさい。ごちそうさまっ!」と言っている

彼の方を振り返りもせずに駅に真っ直ぐ向かって帰った。


自殺未遂者とセックス由来によるHIV感染者とアル中ヘビースモーカー

全て保険治療適用外にするべきだと思ってるのよね。」


きっとあの女医は、こんな人を山ほど見てきたんだろうと思った。

自分も賛成だ、あんゴミ税金が使われていると思うと無性に腹が立つ。

2019-01-22

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

2019-01-10

同人誌の話が考えられない

もう一年くらい同人活動(漫画)してないんだけど、その理由が話が思いつかなくなったから。

一枚絵は一応だらだら描いてる。

結構長年そのジャンルにいて、同人誌ハイペースで出しまくって、

直近の2冊は自分の中でやりたかった話を過去最長ページで描いた。

やり遂げた感が強い。

反応がめちゃくちゃ悪くてちょっとショックだったけど、自分が描きたいもの描けたからまぁいいかと思うようにしてる。

ジャンルは相変わらず大好きだし萌えてるし燃料もあったしイベント出たいか新刊出すかーって話練るんだけど、もう何も思いつかん。

スカスカ

インプット足りないのかと、色んなもの見聞きしたりもしたけどストーリーには繋がらない。

どんなプロット書いても、過去に出したものの焼き直しにしかならない。

自分テンションが上がらないのに原稿するのはキツイので、新刊出せないままでいる。

もう冬が来てしまった。前のイベントから一年くらい経った。


引き出しが少なかったんだな、というショックと、ここまで長期間何も描けないショックがずっと続いてる。

漫画ってどうやって描くんだっけ。

他の人の作品読むと深さと視野の広さに驚く。

もうなんだか自分で何か話を作れる気がしない。

イベント出たい・新刊作りたいという気持ちばかりが空回りしてて辛い。

この正月休みで本気出そうと思って途中まで話を書いたけど、なんだか全然面白くなくて、こんなもの最後まで作画する自信がなくてボツにしてしまった。


私生活仕事が忙しくなってきてるので、今後同人に割ける時間はどんどん少なくなっていきそうなのに。

熱いパッションみたいなものが煮え滾っていない。

もう結構いい大人だし、オタクとして落ち着いてしまったのだろうか。

一通りやりきって燃え尽き症候群なんだろうか。

ただのスランプみたいなものだと思っていたけど、1年ともなるとそういう問題でもなさそうだ。


熱い気持ちを取り戻したい。

穏やかになりたくない。

ギラギラしていたかった。

2019-01-03

過去の思い出に囚われてる

22歳女。社会人になってもうすぐ一年つのか。早いね

友達ほとんどいなくて彼氏もいない陰キャだよ。

過去の思い出ってどうして美化されて事実よりも美しく見えるんだろう。

どうしてあんなに煌めいてるんだろう。まぶしい。

結局自分が大好きってことなんだよね。今から自分の思い出振り返りするね。

毎回テストテストばっかで勉強に追われてた。受験の時なんてこれで人生きまっちゃうんだ、落ちちゃったらどうしようってすっごく心配だったけど今となってはあのどきどきも愛おしい。いじめられたこともあって学校も行きにくかった、けど今の年になっても付き合いのある一番仲がいい友人もできた。

すごく好きな人ができた。結局告白もせず自然に疎遠になっていったけど。毎朝7時50分に家を出るとね、好きな人交差点で会えた。それが楽しみで楽しみでどんなに朝寒くても起きるのが苦痛じゃなかった。あんなにときめいたり誰かを好きになったりすることってもうないかもな。授業中や休み時間、気がつけばその人のこと目で追ってた。帰り道だってしかしたら会えるかもしれないなんて期待でウキウキしてた。ほんと、若いよね。

修学旅行なんて行く前は「行きたくない~」とか言っちゃうめんどくさいやつだったけど、いざ言ってみたらすごい楽しくて。好きな人と見た長崎夜景が忘れられない。付き合ってなかったけどずっと私の胸の奥底でキラキラ輝いてる。心の中でシャッター切ったみたいに覚えてる。肌寒かった空気も。ずっとこの思い出に囚われていくのかな。

オープンキャンパスに行ったとき真夏日差しギラギラしてて、涼しい研究室の中から見た木漏れ日の翠が美しかった。あの時大学紹介してくれた先輩たちはすごく大人びて見えて大学生活ってなんて自由楽しいものなんだろうって心がうきうきした。今でもこの時のこと思い出すと将来への期待と不安が入り混じった何とも言えない甘酸っぱい気持ちがこみ上げてくる。つらい勉強も頑張ろうって思えた。今振り返ってみても、自分はあの時の先輩たちみたいに大人になりきれていなし、きっとこれからもあの人たちより大人になれることはないんだろうな。

大学生の時は片道2時間もかけて電車通学してたんだよ。同期からは散々馬鹿にされたけど、親が一人暮らしさせるの心配だったから。学費全部出してくれるのも親だったから。同期と飲み!とかサークル活動とか研究室に籠って勉強とか世間一般にいう大学生らしいことは全くしなかったけど、電車から風景眺めながら論文読んでたのがすごく懐かしい。

初めてデートもした。この人とも結局付き合わなかったけど。水族館に行って一緒に観覧車に乗った。2人とも緊張してがちがちしてたな。自分で言うのも何だけどすごく初々しかった。あれから観覧車のってない。

一人で初めて旅行もした。奈良燈花会。朝早く行き過ぎて、ライトアップはじまるころには足がクタクタになってた。我ながらあほだな。

卒業式ではきれいな袴を着た。学友たちと写真撮ったり、教授感謝気持ち伝えたりしたけどいまいち「卒業」っていう実感がわかなかった。

去年の4月から社会人になった。毎朝起きて、化粧してヘアセットして職場に向かう。先輩からの小言愛想笑いでかわして、上司に頭ペコペコさげて。お客様対応とか笑顔もうひきつってるし。残業も長くて毎日家に帰ったら風呂入ってすぐ寝て朝。の繰り返し。土曜出勤もあるから日曜は死んだように寝てる。その分お金は稼げるんだけどね。好きだった趣味社会人になってからやってない。

感情の起伏がなくなった。大人になるってこういうことなの?

自分以外の人間がすごい充実して煌めいて見える。

過去の思い出は煌めいて見えるけど、社会人になってからの思い出と現実は今もこれからもずっと煌めいて見えないような気がする。

2018-12-27

anond:20181227230133

それは貴方が舐められている証拠

もっとギラギラしたカッコで相手威圧すると運気上昇するかも。

そんなあなたラッキーアイテムはとげとげ肩パッド。

どんな敵にも果敢にショルダータックルかますあなたの姿は立派な戦士に見えるはず。

2018-12-26

40になったらもっとギトギトギラギラするのかと思ってた。

なんか、最近枯れてる。

出世欲も性欲もどっか行った。今のままでじゅうぶん 。ありがたや。

あ、食欲はあるな。量より質の。とにかくおいし〜いもんを食べた〜い。

2018-12-20

客同士気軽に話せる飲み屋が欲しい

出会いの場ってだいたい性欲ギラギラしてるとこしかない。

知らん人と楽しく酒を飲める場所はないのか。

2018-11-26

anond:20181125225142

俺は、東南アジアに6年くらい住んでて、周りの中高年の人たちは現地女性普通に結婚して、子供を作って、幸せそうに家族してるんだけど、なんで日本であること、日本であることの大前提があるんだろう。なんで日本の人たちは揶揄うみたいに「東南アジアの女と結婚すればいい」とか言うんだろう。こっちに何度か旅行に来て、普通に友達を作れば、普通にいろんな可能性があることや、彼女たちは揶揄する存在じゃないってわかるのに。なんかギラギラした海外婚活サービスじゃなくて、そういう穏やかな海外婚活サービスとかって存在しないのかな。

こっちの女性は、平均して強くて暖かくて、とても素敵。僕はこの地で妻に出会って既婚者になってしまったけど、結婚対象だな〜という現地女性はかなりたくさんいるよ。妻に話しても、「わかるわかる、あの子はとてもいい子ね」って言われるし。向こうからしても、日本人男性はちゃんと真面目に働くからお金という意味じゃなくて、普通に「働く」ということ笑)、それだけでよくうつるし。もちろんお金目当ての変な人もいるけど、それは日本でも一緒だから、よく人を見たらいいだけ。こちらに住んでいる日本人はその辺りがよくわかっていてフラットに話せるから、そういう人の意見も聞けばいいし、なんなら俺もアドバイスしたいくらいだよ。

2018-11-16

知り合いの社長見てると

起業してそこそこうまくいってる奴って人生つまんなそうにしてるよな、人生って言うか仕事

当初やりたかった業務ができなかったのか、人を雇ってるストレスなのか、軌道に乗ってルーティンワークだけの毎日多忙すぎるのか、目が死んでるし声のトーンも暗い

からかひたすら趣味に打ち込んでいるような奴も多い

毎回失敗しても何故かめげないやる気だけはある奴の方がギラギラ活き活きしてる、俺はそうもなりたくないが…

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