はてなキーワード: カリキュラムとは
国立大理系中退でニート歴2年フリーター歴3年のガイジである(自己紹介終わり)。現在趣味が3つある。
「それで食えるわけがない」
「くだらんことに金をかけている」
「そんなことしてないで就職しろ」
フリーターという身分上、リアル、ネット問わず冷たい風当たりは避けられないが、成人してからようやく趣味を楽しめるくらいにはなったのでここに書き残しておく。
中流家庭の出で小さい頃は習い事をさせてもらっても、ガイジなので集中力はもとよりないし、先生の言っていることが分からず、時折癇癪を起こして、数年やっても初級者の域を出ないという状況だった。月謝を出してるパッパとマッマが泣くのも同情に値する、という習い事歴である。ちなみに趣味はさせてもらえなかった。
Twitterで若くして活躍している人たちを見ていると、ソウルジェムがガンガン濁っていき、交際相手にも無能と罵られる始末である。
以下読まなくていいです。
大学一年生のときに履修した位相幾何学の講義が面白かったので、学部生1,2年のカリキュラムに相当する教科書を3冊読んだ。今は足りない知識を中古で落とした教科書で補いつつ専門書を一冊、カリキュラムに相当する本を一冊読んでいる。
小学生のときに習っていたが、フォアとバックとツッツキしか打てるようにならなかった。成人してから二万円で用具を買い揃え、経験年数不問のチームを掛け持ちして週三回ほど練習している。ガキの時より遥かに短い期間でショート、プッシュ、フリック、バックドライブができるようになった。
サウンドクエストでハーモニー編を勉強中。聴音もどきをしている。キーボード買いたい。
総括
子供の頃に「無限の可能性という名の勝手な期待」を盾に説教され、テレビでは天才キッズたちが毎日のように映り、投資をされているから「何者かになる」ことを要求されてきた。その圧力も期待ももはやない。ただの無能になった。
「無限の可能性」のない大人になって、シンプルに物事を楽しむことができるようになった。コネもない蛇の道を歩いているから、上達する保証も低いしメシの種になる可能性はゼロである。
それでも「自分で決めたからその活動をしている」という感覚は、上達や称賛よりもはるかに尊いと思う。
脳筋、なんて揶揄されてるのを見るたびに思い出すけど、まともな指導者に当たったことがない。
小学生のころの体育の成績は「励ましたい」←励まされたことがない
課題が全然こなせなかったのは事実だけど、それに向かい合ってくれるような指導者は皆無だった。
思いのほか滑ることができて驚いた。
苛立つことなく、諦めることもなく、根気強くアドバイスをし続けてくれた配偶者には本当に感謝している。
スキーだけは、好きなスポーツだと言えるようになったのが嬉しい。
振り返れば、私の出会った体育やスポーツの指導者は、私のようなできない人に対してできるように教えようとしてくれたことがなかった。
親が勝手に決めてきてやらされたミニバスは、ルールを知らなかった。
小学4年とか、それくらいの時期だった気がするけど、私は低学年の子たちのグループを指定され、ペアを組んでなんとなくボールをパスし合っていた。
それ以外に何をしたらいいのか分からなかった。
ゴールに向かってボールを投げる機会があっても、私のボールがゴールに届くことはなかった。
何度投げても入らないこの競技は、ちっとも楽しくなかった。
当然のことながらポンコツな動き、なんの役に立つこともなく、周りのうんざりした雰囲気が刺さる。
コーチは上手な子にしか眼中になく、彼らに厳しい指導をしていたけど、
特に自分には何も教えてくれないこの人の存在がこの時はよく分からなかった。
なぜこの人に皆頭を下げるのか?
なぜこの人に「ありがとうございます」と言っているのか?
今ならばとりあえずそうしておくのがいいと分かるし、スポーツの世界は厳しい上下関係が存在するということも知っているけど、
自分の知らないルールや基準で進んでいくこの集団に属していることが、みじめで苦痛だった。
お礼を言うべきことを私は一度でもしてもらっただろうか?
入団したときに挨拶くらいはしただろうけど、「コーチ」と何かやり取りをしたことはほぼなかったことに気づいた。
結局ミニバスは辞めた。
体育の授業では、校庭に半分埋められたタイヤや馬跳びはなんとか跳べる(またげる)けど、跳び箱は跳べない。
周りの動きを見ても、「上手に跳んでる」事実が分かるだけで、どうしたら跳べるのか結局分からなかった。
中学生になると、跳び箱の奥行は更に伸びた。
小学校にある跳び箱も跳べないのに、こんな細長いの跳べない。
マット運動は身体をどうしたらそうなるのか分からなかったし、体力測定のボール投げは最低ラインの線までいかなかった。
小学校の担任も体育教師も、見ているだけ。きっと安全管理のためだろう。それは必要なことだ。
たまに上手な子が何かを挑戦しようとしているときには手助けしてたけど。
私にかけられた言葉は「やれ」「なんでできないの?」だった。
こっちが知りたいくらいだ。
まあ分かる、分かるよ、できる子を更にできるようにする方が簡単だからね、達成感もあるだろうし。
でも指導する立場としてできない奴にそれができないならせめて黙ってろ。
あれかな?できない奴をこき下ろして恥さらしにすることでストレス解消してたのかな?
サンドバッグかよ。
教育者とは何だろうか。
競技のルールは知っていることが前提で、みんなどこでそういう知識をつけていたのか不思議だった。
今ならインターネットで調べればすぐに出てくるけど、当時はどうやって調べたらいいのかも分からなかった。
田舎の学校だから選択肢もなく、しぶしぶバレー部に入ったものの、ここでもやっぱりルールが分からない。
やたら人数の多いこのバレー部は、だいたいの人が球拾いと、走り込みと、腹筋背筋。
尚ボールに触れる機会はない。
この時点でかなりの運動嫌いになっていた私にとって一番マシだったのは球拾いだった。
単調で時間が永遠にも感じられる走り込みや腹筋。ただ苦しいだけだった。
競技をする方がまだ気が紛れていいけど、参加に値する身体能力がないからひたすら苦行に徹するのみ。
お片付け要員にしたって多すぎる。
何もできないし、できるようになることもないし、得るものもないし、苦痛と拘束と息苦しさばかりの体験だった。
他人がやっているのを見て何がそんなに楽しいんだろう?なぜそんなに熱狂できるのだろう?
アイドルとかにも興味ないけれど、友人に「それは推しだからだよ」と言われて、概念として納得できた気がする。
プレイヤー自身のファンであるならなるほど、確かに夢中にもなるだろう。
なぜ公的というか、全国大会とか世界大会とか、テレビの独占放映だとか、交通規制してまでやるのだろう。
スポーツ界からの「みんなスポーツ好きだよね!協力してくれるよね!応援して当然だよね!」という圧を感じる。
歴史を見れば、肉体賛美や競技場での決闘に湧き上がるのも理解できるのだけど、
少なくとも「全員がスポーツ界や競技に好意的ではない」ということは知っておいてほしい、と思う。
スポ少に限らず何等かのスポーツをする団体は、ぜひとも目的や応募条件を明示してほしい。
ルールも知らねえ運動音痴はお断り、としてくれればこんなみじめな思いをすることはなかった。
学校の体育も部活も、エンジョイ勢とガチ勢(とできればゆるーいグループ)に分けて運営してほしい。
教員不足や労働環境に関する問題は別の深刻な問題なのでここでは置いておく。
その競技を思いっきりやりたい人たちにとって、私のような運動音痴は足を引っ張るだけの存在だし、こちらも楽しめるはずがない。
お互いにとって不幸なのだ。
教育のカリキュラムとして身体を動かすことがマストなら、運動音痴には基本的な身体の動かし方だとか、そういうところから教えてほしい。
メリーランド州民主党、「組織的な人種差別」を解体するために白人女性を指導部から排除すべきだと宣言
民主党選出議員は講演者のラインナップについて「白人は…少数であるべきであり、それには正当な理由がある」と述べた
FOX初– 教育委員会の会議で発言したイスラム教徒の子供たちが「白人至上主義者と同じ側にいる」と主張して最近批判されたある民主党のメリーランド市議会議員は、「白人女性」や「白人至上主義者」をバッシングした経歴もある。シオニストユダヤ人」とFOXニュースデジタルが報じた。
元公立学校教師のクリスティン・ミンク氏は、12月に第5地区を代表してモンゴメリー郡議会議員に選出された。
彼女は「これは公平だ」と宣言しながら、火曜日の夜の教育委員会会議で、 LGBTQ+のカリキュラムに反対するイスラム教徒の子供たちは「白人至上主義者と同じ側にいる」と論じた。
「残念なことに、この問題は…一部のイスラム教徒の家族を白人至上主義者や完全な偏屈者と同じ立場に置くことになっている」と民主党は述べた。「私はあなたをそれらの人々と同じカテゴリーに入れるつもりはありませんが、ご存知のとおり、彼らはこの特定の問題について同じ側に陥っているので、それは複雑です。」
彼女はまた、「愛国者」という言葉は白人を表すのに使われると主張した。
「今こそ『愛国者』という言葉を取り戻す時だ。そして明確にしておきたいのですが、私が『『愛国者』という言葉を取り戻せ』と言うとき、私は実際に『愛国者』という意味でその言葉を使っている人たちが、『白人』という意味でそれを使っている人たちからその言葉を取り戻しているということです」と彼女は語った。
同市議会議員はまた、黒人や警察との衝突の間、白人は自らの身体を人間の盾として使用すべきだという要求への支持を表明した。
彼女は「現場で白人たちの特権をどのように活用するかをロジスティックに教えてくれる主催者たち」に感謝した。
この春から地方の大学に進学して、ひとり暮らしをはじめた息子のようすがすこし心配だ。よくある五月病だったらいいのだけれど(よくないけど)、とにかく一度顔を見にいくことにした。
息子はバカではないが成績が良かったわけでもなく、小~中~高と見事に「下の上」あたりをキープしつつ受験生となった。それでも受験の年には勉強も頑張り、あっぱれ第一志望の公立校に合格、腕試しに受けたそこそこの私学もなぜか受かり、合格祝いのPS5をかかえて引っ越していったのが4月の初旬。ちなみに地方の大学というのは親戚が通っていたこともあり、遊びついでに何度かいったことがある。というかそれで気に入って志望校にしたらしい。また、私自身が(そこではないが)地方大学で下宿生活経験者なので、最初はさびしいぞー、みたいな話は家でよくしていた。
最初に電話で話をしたのが4月の中旬、ひとり暮らしが思っていた以上につらいという。仮面浪人して、地元の大学を受けなおしたいとのこと。大学にはちゃんと通っているらしい。というか部屋で一人だとさびしいので、できるだけ毎日講義があるようにカリキュラムを組んだそうだ。ぼっちというわけでもなくて、会えば普通に話す程度の友人もいるみたい。バイトもして自動車教習所にも通って、なんかふつうの大学生じゃんとおもうんだが、それでも帰りたい帰りたいと思いながらくらしているんだとか。
その電話の時は、こりゃほっときゃおさまるな、と思ったので、「夏休みまでは真面目に大学生して、そのときになってもまだ悩むようなら仮面浪人の勉強をはじめれば?とりあえずそれまではちゃんと単位を取るつもりで通いなさい」というようなことを話した。
次の電話がちょうど1ヶ月後の5月中旬、なんと担当教官に他大学受験の相談をしたらしい。そこで後期は休学したらどうなるかとか、あと授業料の話なんかもしたらしくって、ようするに後期の休学かなんかの申請をすれば授業料が減免(?)される、その締め切りが5月末までなのでどうしようか…。という相談の電話だった。
こっちはてっきりおさまりつつあるもんだと思っていたので、まださびしい帰りたい病が続いていたことにおどろいた。とりあえず「前回の電話での話はまだ変わらない、夏休みまではちゃんと通え・夏休みに考えろ、あと金の話は気にすんな、5月末の締め切りとか考えなくていいよ」と答えた。ほかにも話を聞いてみると、仮面浪人するから一年よぶんに学費がかかるのを気に病んでいるらしい。仕送りのお金も使い切ると申し訳ないからと節制しているという。アホか、遊べ。
ちょっとさすがにこれはまずいかなと思ったので、次の日に会いに行くよとメールした。なるべく早く行きたかったんだけど、その後こっちの別件でなんやかんやあったので、けっきょく明日になってしまった。ということで行ってくる。
まだどうなるのかぜんぜんわからない。とりあえず当たって、後は流れで。だな。
一番大事なのは本人のメンタルヘルスだと思う。ただの五月病ならいいけど、うつ状態とかになるのは絶対に避けたい。それくらいなら戻ってきたらいい。それが大前提だけど、それがクリアなようであれば、なるべく続けてほしいなと思っている。もちろん金の問題、一年ロスの時間の問題もあるけど、なにより「しなくてもいい挫折体験」はせずにすませてほしいから。
明日会って、いろいろ話して吐き出してスッキリしてくれるといいんだけど。
【以下追記】
コメントありがとう!!会ってきた。きょう帰ってきたので報告です。二晩いっしょに食事しながらいろんな話をして、笑ったりときどき泣いたり(←息子が)でした。
とは言っても、正直いって報告するほどの進展というか、成果みたいなものはありません。二日間の印象ではこのままうつになりそうな感じではなかったし、仮面浪人の意思はけっこう固いものの、後期も休学はしないつもりでいるらしい。とかいいつつ、本人の気持ちにもまだ揺らぎがあるみたいで、最初の晩には「受験してだめだったら切り替えて4年間通う」と笑ってたのが、次の晩は「でも帰りたいな…」とちょっと涙ぐむとか、そんな感じ。
というか、会いに行ってわかったんだけど5月中旬の二回目の電話のときが結構ヤバかった。いままで二回ほど寝坊で講義を欠席しちゃったとか言ってたのがちょうどそのころらしく、聞いたら寝坊というかまあ寝坊なんだけど、そこで目が覚めても布団から出る気になれずにそのまま休んでたらしい。ほかにも休みの日に映画を見に行ったけど何を見たか覚えてなかったり、たぶんそれアカンやつやん。ほんと危なかった。よく持ち直した。
いまは本人にも当時はヤバかったという自覚があるみたいなので、もう一度そんな状態になったら、なりそうだったらすぐ連絡しろとよくよく言い聞かせつつ、ほんとうに持ち直しているのか気を付けてみておかないと、と肝に銘じる。
ともかく本人が「会って話ができて本当に良かった」と言ってくれたので、ああ行ってよかった。間に合って(間に合ったのか?)よかった。
そういう過去のヤバさはあるものの、いまは落ち着いている感じだったので、元増田でも書いた私の考え(うつを避けるのが一番とか、しなくてもいい挫折体験とか)はそのまま伝えました。たぶん伝えて大丈夫だと思う。それから教習所を早く卒業して、夏休みまでにいちど帰省して免許とりに行くことにしました(住民票そのままなのです)。これも息子はお金を気にして夏休みにとるつもりだったらしいけれど、しばらくはこまめに帰省させたり、こっちから行ったりしたほうがいいと思う。息子も「教習がんばる!」とのこと。
奴が検定でしくじりまくらない限り、来月にはまた会うことになるはずなので、またいろいろ話をしようと思います。
コメントのからみでもうちょっと書くと、浪人・留年の評価については私はわかりません。息子に言わせると、「なぜか受かったそこそこの私学」だとちょっと残念な気がするらしい。そのもう一ランク上の私学を目指して仮面浪人するつもりだそうです。まあ大学によるってことですね。
グループワークや課題、泊まり込みなんかは、息子のすすんだ学課ではそうでもないみたいです。他大学に進んだ高校の同級生からそんな大学生活も聞いているみたいで、うらやましがっていました。
異性の雰囲気は…なかったですね。いや昨今は異性とは限りませんが、そういう雰囲気は。あればたぶん素直に言う息子だと思いますし、隠したとしても見抜けない私ではない、と思う。そんな感じです。コメントありがとう。
https://note.com/yukitsumu931/n/n5d2379b9518e
このため、いくつか開示請求事案があったので当方は3月ごろに厚労省に請求を出していた。
すると、4月初旬に厚労省から若年被害女性等支援事業や困難女性支援法の所管自体を子供家庭庁に移管したので、開示請求の移送手続通知が送られてきた。併せて、同時期に厚労省の担当者から電話があり、”厚労省から子供家庭庁への移送事案範囲が拡大され、困難女性支援法などは子供家庭庁に移管したので、開示請求も問い合わせも子供家庭庁支援局家庭福祉課にしてほしい”というお話だった。
そこから時が経った5/1に今度は子供家庭庁から電話があり、5/3付けの先掲の再移送通知発行の連絡があった。その時に担当者から聞いたのは、4月の中旬~下旬にかけて厚労省と子供家庭庁で再度追加移送事案の打ち合わせがあり、女性保護事業は厚労省の女性支援室に再移送することを決定したので、二転三転して申し訳ないという話だった。
これと
@wakakusamidori_
国が「困難女性支援法の研修カリキュラム策定を公金使ってやります!」って言った3日後に
Colaboが第4回・第5回若年女性支援者養成講座の募集開始…露骨ですね〜
気になる差分が一点…
🎲松島悟
@satowi
公金切れて、その他の助成金も切れたって言ってるんで、多分切られてます。
@wakakusamidori_
1ヶ月ほど前に確認していたんですが、
今回日本財団の分も確認できたとなると、仁藤さんの言を信じてよさそうですね
@wakakusamidori_
4月3日
仁藤夢乃さんが民間からの助成金も打ち切られたと言っていましたが、
確認したところ、日工組社会安全研究財団というところからColaboへの助成金が
ここは表向きパチンコ系の民間団体ですが、実態は警察の関連組織らしい
なんで助成金がなくなったんでしょうかねー
これを見るとわかるとおり、Colaboが日本財団から切られたのがわかる。
こども家庭庁は駒崎弘樹日本財団庁なので、当然困難女性支援事業を取る。
しかし、駒崎弘樹は裏金を更に増やすために困難女性支援事業を奪い取るのは既定路線だったはずだ。
そうすると、なぜ東京都が開示しなかったものを厚生労働省が開示したか?なせ厚生労働省東京都に冷たいのか。
そもそもこども庁は駒崎弘樹の里親マッチング事業の推進組織だった。なぜ家庭が入ったかが不自然。
@Hiroki_Komazaki
駒崎委員「実親だけでなく、里親・特別養子縁組、あらゆる家族形態が子どもを愛し、育む。そういった多様性に基づく理念を盛り込んでほしい。」
事件を利用する。
そういう文脈でみると
闇が深いのがよくわかると思う。
10年くらい前、法学部を卒業し「学士(法学)(Bachelor of Law)」を得た。2年間の休学を挟んだので6年かかった。
修学自体は極めて順調だったので3年次までにほぼ単位は取り終えた。就活だるいし逃げるか〜人生の夏休みって今っしょ?とカジュアルに休学して遊び呆けたら2年経っていた。休学費用はタダだった。
ちなみに奨学金(学生支援機構)は休学中は支給停止されるが復学したらちゃんと支給再開してくれる。
何年か前、働きながら放送大学を卒業し「学士(教養)(Bachelor of Arts)」を得た。学士入学(3年次編入)したので最短2年で済むのだが4年かかった。
放送大学には社会と産業コース、情報コースなど現在6つのコースがあるが、すべて教養学部所属で学士(教養)だ。全コースを卒業すると「名誉学生」として表彰される制度がある。特典は改悪されショボい。
現在の放送大学は単位認定試験が会場でのリアル受験からWeb受験に切り替わったため格段に社会人に優しくなった(リアル受験も可能)。コロナ情勢に左右される一時的なものではなく恒常的な変更だ。オススメ。
ちなみに奨学金は社会人学生(科目履修生や聴講生ではない正科生のみ)になると返済猶予できる。返済総額は変わらない単なる先送りだが、手元の現金は最強だし投資してもいい。以前は社会人学生を続ける限り無限に猶予できるガバ制度だっだが改悪されその時点から最長10年間のみとなった。
さてlawとartsを修めたし次はscienceと行きたかったが残念なことに通信制の理系大学は壊滅状態だ。
学士(IT総合学)、学士(情報マネジメント)、学士(経営情報学)みたいなエセ理系(超失礼)はいくつかある中で、ザ・理系感があるのは帝京大学理工学部情報科学科の「学士(工学)(Bachelor of Engineering)」が唯一の存在である。
愛知産業大学は建築学科だが造形学部所属のため学士(芸術)となる。
放送大学含め上記大学の中から理数系単位をかき集めて大学改革支援・学位授与機構で学位(理学)などを得る方法もあるがちょっとハードルが高いな。卒業さえすればいい帝京大学が無難と言える。
ところで大学に編入学する際の単位認定にはザックリ2種類ある。
・個別認定:過去の履修科目の中でカリキュラム上と同等の科目を個別に認定。「あなたは過去に"コンピュータ科学"を履修してるからうちの専門科目"情報基礎"の2単位を認定するよ」出身専攻が違うと認定数も少ない。
放送大学のような教養系の大学だと卒業要件全体で一括認定されて大卒3年次編入は62単位認定のようなスタートダッシュになる。
帝京大学のような教養科目+専門科目だと前者は一括認定されるが文系出身なら個別認定が少なく専門科目はゼロスタートのようなものだ。先は長い。自分にコンピュータサイエンスの適性があるかもわからない。
というわけで逃げを打つ。資格合格による履修免除システムだ。入学前に資格を掻き集めて負担軽減する作戦。
入学後の合格でも申請で免除なのだが単位試験と資格試験の二兎を追うより入学前の方が気楽だろう。でも履修免除すると成績表上の評価がSABCでなくN(認定)になるらしい。うーんこれは…GPA的にどうなんだ…
以下の資格に合格している場合は、履修が免除される科目があります。
ITパスポート、基本情報技術者、応用情報技術者、データベーススペシャリスト、 ネットワークスペシャリスト、ドットコムマスター(アドバンス)、CGエンジニア検定(ベーシック・エキスパート)、陸上無線技術士、電気通信主任技術者(伝送交換)、(電気通信に関する)工事担任者
試験日程の自由が利くCBT受験で基本情報、工事担任者(2級アナログ通信、2級デジタル通信)に合格。関係ないけど電気工事士2種に合格。
電通主任の4月21日申込締切を失念してしまい悔しい。難関だから科目免除できる1陸特や工事担任者総合種を先に取るのがセオリーらしいから傷は浅い。ドットコムマスター、下級の陸上無線特殊技術士もCBTなので合間を見て受験したい。今気付いたけど履修免除科目がダブってると取っても意味ない資格もあるのでは?確認していなかった…
先の話すぎて鬼が大爆笑だが、学士(工学)を取れたら次は慶應通信で学士(哲学)かどこかの美大通信で学士(芸術)にでも挑戦してみたい。
後者はBachelor of Fine Artsだから学士(教養)のBachelor of Artsと並べて収まりが良さそうくらいの理由。
前者は実は帝京を考える前の本命だった。学歴コンプはあるのでいずれ慶應で上書きしたい。所詮は通信だが。コロナ最盛期は単位認定試験が中止になりレポート代替となる単位ボーナスステージだったのだが、決心がつかず指咥えて眺めてるうちに試験形式に戻ってしまった。
単位試験は難関らしいし(全体的に不親切ともいう)卒論もある。実は今まで卒論を含め論文自体を書いたことがない。下手したら卒業に10年かかってしまう。
それで尻込みして完全な趣味よりもまだ仕事(メーカー技術職)に関連のある学士(工学)を先に選んだというわけだ。
学士ばっか集めてないで修士に挑戦しろと自分でも思うが、そもそも勉強したいが研究したいわけではない。研究テーマとか何も考えられない。与えられたカリキュラムに沿って学問を修めた気になりたいだけだ。学位や資格のような証がないと勉強にも身が入らない。自分でもその怠惰さはわかっている。
上記理由で修論にもビビりまくり。働きながらの修学もキツそうだ。夜勤もするシフト勤務だから夜間通学もできないので通信制頼りとなる。
思い出したので。
母と父の馴れ初めは全く知らない。小学生の頃何気なく聞いたことがあるがはぐらかされ、これはあまり聞いてはいけないやつだと思ったので詳しく聞かなかった。
父は私が中学2年になる頃までにはすでに警備会社の契約社員まで堕ちていたが(警備会社と言うが実際ところはイオンの駐車場の交通整備である)中学3年生の頃に職場の人とソリが合わず会社を辞めてしまった。そして初めは小銭欲しさに精神科を受診したはずでうつ病だとかの診断をもらって手当金を貰うという話だったはずだが、あれよあれよという間に何かの診断がおり障害者となった。障害者年金がもらえるとのことと、自分が障害者であるということから勤労意欲がなくなったらしく、それからはニートになった。
父について印象的なことを話したい。
私は高校に進学するとき、本当は全日制の高校に進学したかった。私立高校で学びたいカリキュラムがあった。制度も調べたし、提案をしたがどうしても入学金はある程度の額を出してもらう必要があり、提案した。だが
「生きるだけなら他にも方法はあるしそんなにお金もいらない。自分の仲の良い宗教グループで仕事ももらえるし中卒でいい」
と言われた。
私はこのとき「この人にとって現世は消化試合であり、自分の人生や子供の人生に責任が取れないレベルの人なのだ」と思った。
ちなみに母はあまり我がなく、口も上手くないので、このときも何かモゴモゴ言ってたと思うが何の助けにもならなかった。
カリキュラムめちゃくちゃになるじゃん
内容(6)には、自分たちの県(都、道、府)について、その地理的位置を確認するとともに、47都道府県の名称と位置を学習することが新設された。
そしてこれらの学習に際して、資料の活用と白地図での作業が重要であると示されている。
この自分たちの県(都、道、府)を含めた47都道府県の学習が学習指導要領に明確に示されたのは、現行の平成20年版からである。
ということらしいので、
平成20年(2008年)に小学5年生以上だった世代(1998年以前生まれ?)に対して「義務教育で習うだろ」というのは難しいかもな。
職業訓練校の話になると高専の話題が出るが、卒業者の一人として思ったこと。
現時点の採用側や大学や職場での高専卒に対する能力の評価はポジティブなものが多い印象受ける。
だけど、そこを担保しているのは
・学校数が少なく、入学の段階で一定の学力が必要なこと。(中学卒業者の1%)
・一般的な年齢の子が大学受験に要する時間の多くを、実務や専門の勉学+α(ロボコン等)に割けること。
・高校生相当の年齢(15〜20才)で留年する子がそれなりの人数発生すること。
※卒業した高専は在校生の1割が留年経験者で、入学時からストレートで卒業するのは8割くらい。退学者も多い。25%が留年したクラスもあった。
大部分は若い段階で学力と専門への適正で篩い落としが働いていることが大きいと思う。
他の高専は分からないが入学以降はカリキュラムと塾がリンクしていないので、塾で成績を上げてきて入学した子は辛そうな印象を受けた。
高専退学者で怨嗟の声もよく聞く。若い段階で篩い落としが激しいので当然。
近々だと卒業者が毎年全国で1万人ほどで、就職するのが6000人弱。しかも専門の特性上特定産業。
専門とマッチする卒業生が就職市場に何人投入されるんだろうなって人数。
大学もここまで極端に数が少ないわけではないが、そこに至るまで競争や篩い落としが働いてたこそ質が担保されてた側面もあるんじゃないだろうか。
高専の数を増やすだけだと、私大が増えた現状と似た感じで安泰とは言えなくなるように思う。
現状は工学に偏ってるので、他の専門分野の高専が増えるのなら面白く思うが。
【追記】
・第一に小学校の中学年時点でなりたい職業が決まっていたこと。大学生になって学べるようになるまでの時間を考えると中学卒業時点から学べるのは魅力があった。
・高等教育は受けたいなと思っていたこと。それに対して高専のコスパが良かったこと
・田舎だと教育コストの関係上 公>私 の価値観。私立高校に対する認識は、大学内におけるFラン私立のような認識。
・高校受験が学区制で自分の学力と合う公立高校が近隣になかったこと。調べたら現在半数の都道府県で学区制は廃止らしい。自分が受験した当時は大半でまだ学区制があったようだ。
学区内の公立進学校の偏差値が60、次点の公立高校が55。近隣の私立高校は公立進学校よりも低い。
自身の偏差値が60半ば、高専の目的の学科が60前半だったので高専を選んだ。
自分が住んでいる地域に置ける中学卒業時のコスパを含めた選択肢の狭さの影響が大きい。
中学卒業時点で学力さえあれば住んでいる地域に限らず入学できるよっていう公立学校が高専しかなかった。国立のメリット。
公立小中学校→推薦→高専→入社だったから、組織に入る際に学力を測るテストを受けたことはなくそこに関しては個人として特殊なんじゃないかと思ってる。