はてなキーワード: カラカラとは
自分が日本人だからよく分かるけど、お前らは死んだほうが良い。
現代で知性的であることや、真面目に働くというのは仕事を効率的に行ったりイノベーションを起こせるような環境や体制を作ることだ。
ところがお前ら日本人は若手を活用しようとせずに、書類上は真面目に働いたことにして実際は全く効率化のための改善を行おうとしない。
効率化というのは結局のところ新体制や新システムへの連続的な移行そのものであり、旧体制派との衝突は避けられない。
もし自分たちの上司やクライアント、出資者の立場の人間が旧体制派であった場合は新しいシステムに移行する際の障壁となる。
そこでお前たち日本人は
「ビビって引き下がる」
ことを
「優しさ」
だとか
「真面目」
だとか
「思いやり、空気を読んで」
とか
「和をもって」
とか
負け犬の口で言い換えているだけだ。
実際は戦いすらせずに自分と仲間の命を全くかけようとせずに自分たちの権利と自由を勝ち取ろうともせず、
理想を一切叶えようとせず、しゃぶり尽くされてカラカラになった残飯の骨だけ加えて引き下がるだけの糞犬でしかない。
自分らの方が正しいと信じて、理論的にも論理的にも正しいという主張を持っているにも関わらず、
相手が権力者で相手の方が有利で会社や組織内で有利であるというだけで、しっぽを巻いて逃げる負け犬そのものだ。
いや、闘ってすらいないからクソ犬だ。
お前らはドラマの中ではレインボーブリッジを封鎖したり討ち入りしたり仕事人したりして
現実では自分より強い存在にはビビって何も言えなくなるホビット族でしかない。
何が誇り高き日本人だ。
そんなやつらは太平洋戦争で大量に死んで、今生き残ってるのは他人の命よりも自分の命を優先にしたやつらの子々孫々だろうが。
生き残って帰ってきた人間たちがどれだけ戦争が悲惨だったのか、同じ間違いを繰り返さないように教えても
お前ら日本人は馬鹿だからテレビに映る裸の男をみて手を叩いて笑うだけで誰も真剣に考えてこなかっただろ。
なぜお前らはそうなってしまったんだ。
何もデモを起こせなど言ってるわけではない。
自分らに正当な主張を持っているという確信があるなら同調する仲間を集めろ。
その主義主張が受け入れられるものであれば、どんどん広がっていく。
たとえそれが現代の法律に反していても自分たちのもつ倫理・論理が正しいと思うなら主張すればいい。
法律の元となるものが何なのかお前らは忘れてしまったのか。それは一般常識だ。
一般常識とはお前らが考えて行動している日常生活におけるルールそのものだ。
お前らがこのルールは違うと思えばいくらでも変える権利がある。
だがそれを国民全員で決めれない、だから選挙で選んで代理で政治をさせるのが間接政治だ。
お前らは元々の権利が自分ら個々人にあることすら完全に忘れている。
政治家とは常にお前らに評価されなければ代理人としての使命を果たさなくなることすら忘れている。
今、お前ら日本人が何年も続けてきた、権力に対する無関心のツケを支払うときが来ている。
団結しない
正しいことを正しいと主張することすらできない
自分らが新しいリーダーになるのではなく、権力者のおこぼれをもらうのを成功だと信じている
今、そういった古い考えで人生を生きている日本人は一度死ななければならない。
実行しろ。
反抗しろ。
もうお前ら汚くなった日本人たちに、誇るべき精神的文化なんて残ってないんだよ。
勇気をもて。
たったそれだけがないせいでこの国はこうなった。
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
サウナの好み
高湿度 高温
近年のサウナブームにうまく便乗できたサウナ。サウナブームをうまく理解したサービスをしている印象
でもそんなに大きな設備投資をしていないからハードウェア的には点数は低い。
水風呂はひどい
もうちょっと低い水温にしてくれないと体が冷えない
ジートピアと設備的には同等もしくは上位互換なのになぜか、ジートピアよりネット評価が低い
サウナは高温でパワフル、水風呂は軟水のチラーでジートピアの上位互換
ジートピアの受付 →サブカル好きそうな若い女の子、ヴィレッジヴァンガードとかで働いてそう
船橋グランドサウナの受付→小汚いおじさん、風俗の受付で働いてそう
若い女雇え。
始まると上段が熱くなりすぎて肌が火傷状態に
苦情とか出たことないのかな
影の実力者
サウナは高温パワフル
水風呂は低温、高温2種類あって最高
惜しむらくはレインボー本八幡にある瞑想サウナのオートロウリュがこちらにはないこと
設備はおおむね汚い
あと数百円でドリンクバーが使えるんだけど出てくるメロンソーダがなぜか臭かった
昔はここまでひどくなかったはず
本当に訪れた?
最高。
惜しむらくは料金が高いこと。
ここ2~3年サウナに行くのが週末の楽しみになった。
けれど疲れた時や大きな風呂に入りたいなという気分の時に、近所のスーパー銭湯に行く程度だった。
生活圏内の地名をそのサイトの検索ボックスに入力しては、訪問するのが毎週末の習慣になった。
1軒は都内で最も温度の高いサウナを持ち、1時間1000円で入れるサウナ
もう1軒は3時間2000円かかるが、プールのように大きく冷たい水風呂のあるサウナだ
両店ともサウナとは店によって個性があって人気のお店には理由があるのだと、サウナ初心者を感動させてくれた。
しかし錦糸町とは千葉県民の自分にとって遠く、年に何度かは行くが訪問のレギュラーにはなれなかった。
所要を終えると、時刻は17時頃になっていた。
夏のはじめ頃だったので周りはまだ明るく、家に帰るには何となく早い気がした。
新しくもう一つできたという情報をレビューサイトで読んでいたからだ。
受付に行くと以前何度か訪問した時のおじさんと同じ人がいた。
受付のおじさんに目を合わせずに最も安いコースを注文する。
料金を支払い、ロッカーのカギを受け取ると、1階奥の更衣室で指定された番号のロッカーに荷物を押し込み、
館内着に着替え2階の浴室に向かった。
浴室は改装したとの評判だったが以前と景色は変わらないように見えた。
だが奥のサウナに向かって歩くと垢すりのコーナーだった場所にサウナが設置されていた。
早速そのサウナに入る。
サウナの中には先客がいて神経質そうなおじさんが一人で大汗をかいていた
私はおじさんと反対側に座ることにした。
サウナは高温で湿度がないタイプで、体力を奪いそうな熱の中でFMラジオが小さな音で流れている。
湿度のないカラカラ系のサウナだと汗が出ずらい私は、しっかり汗を出せるか不安になった。
私のサウナルーティンは12分サウナに入り水風呂に体が冷え切るまでつかり、浴室のベンチなりなんなりに座り休憩をする。
経験的にこの12分間で汗が出れば出るほど水風呂は気持ちよくなる。
カラカラ系のサウナだと、相性が悪いと体がきつくなるばかりで、汗が少ししか出ないことがあるのだ。
そうすると不思議なもので水風呂での気持ちよさは半減し冷え切るまで冷水の温度に耐えられなくなる。
そんな不安を覚えながら、サウナで流れているFMラジオに耳を傾けていると、滝のように汗が出てきた。
ほう、ここはどういう具合かわからないが、かなりの発汗を誘発するタイプなのだな、カラカラ系にしては珍しいな
そんなことを考えていると、おじさんがもう耐えられないという表情を浮かべサウナから出て行った。
そして入れ替わりにサウナハットをかぶった青年が一人で入ってきた。
青年は私の反対側の正面に座った。
痩せ型の優しそうな顔つきの男だった。
なんとなくだが深夜ラジオとか好きそうだな思った。
そんなことを考えているうちに滝のように出ている汗は勢いを増し、我慢の限界に近付いているような気がした。
まだ半分なのか、そんな絶望感を感じた時だった。
「このサウナすごいですね」
私はそう正面座る男に話しかけた。
知らない人としゃべるということが億劫になってぞんざいにその会話に返答してしまう
私の経験上きっと青年はめんどくさそうに思うだろう、そして場を取り繕うような返答をしてくるのだろう。
もしかしたら返答すらしない、そんな残酷なことを平気でするかもしれない。
優しそうな顔つきの男というのは、優しいのは自分の周りに対してで「他人」に対しては平気で残酷なことをするのだ。
「いやここは本当にすごいですね」
そう私にむけて嬉しそうに言った。
そしてさらに
「ここよく来るんですか?」
と聞いてきた。
私は自分のことを棚に上げて友達のいなさそうなやつだなと思った。
それからサウナを出ると青年と水風呂でも、2周目のサウナでも同じになった。
けれどサウナを出た後青年に話しかけるのは気恥ずかしく、できるだけ遠くに座った。
サウナに満足した私は風呂上りに、かき氷を食べようと食堂に行くとまた青年がいた
せっかくだから話しかけてビールでも同伴すればいいじゃないか、
そんなことが頭をよぎったがすぐにそれはとても無粋だと思いなおした。
注文したかき氷は予想よりも大きく、シロップがたくさんかかっていた。
そして食べるのに大変難儀した。
青年の遠くでかき氷を食べ終え食堂を出て、サウナをチェックアウトする
派手なネオンで装飾した看板の中華屋さんの間に挟まるようにチェーンの居酒屋が軒を連ねている
そのビルの地下でガールズバーや性的なマッサージをしてくれるお店がうごめいている。
呼び込みキャッチをよけながら、空を見上げるとあたりはもう暗くなり始めていた。
そんで、
ちゃんと襟を正して正した書類を税務署に郵送して無事一件落着かと思ったら、
なんか微妙に還付されているのこれ?って
私は片手にパピコを食べながら、
どうしたらいいのかわからなくて
そう!
って違う違うそうじゃないの
それはマーチン!
違う違う相談するところが違うのよ
これなんか数十円還付されているんでけど返金します!って意気揚々で言ったら、
コンピューターの都合上端数がそう言う振り込まれた処理になってしまっているので何もしなくていいですよーって言うじゃない。
私は数十円儲かったわ!って
実際これは帳簿で雑収入として勘定するのかしらか?どうだか分からないんだけど、
これで本当に一件落着中の一件落着で
マッハ10から無事生身の人間が生還したぐらい感動を覚えるマーヴェリックってことでオーケーよね。
もうほとんど勘で経理をやっていると言っても過言ではないわよね。
いろいろといろんな節税対策をやった方がいいのは名無しに聞くんだけど、
日々そんな調べて記入したりする暇が夜しか無くって
ってそれはデオコ!
通常業務の他に
そういうのも調べてやんなくちゃーって思っちゃうのよ。
時間がないと言ってないでここでバシーンと
今はもうすっかり見ない叔父さんと姪っ子が戦う増田みたいにバシーンってビンタするみたいに天ぷらが美味しく揚がってるかどうかは私は分からないけど、
そういうのも処理しなくちゃって思うんだけど、
あんまり何でもかんでもやってしまうと月々の負担になるのもあるところが実情よね。
しないよりかはマシだけど
それなら無駄にコンビニに行って無駄遣いしない方がよほど節約できる効果は絶大!だと思うんだけど
でさ、
これ返礼品もらっても
私一人じゃ処理できないのでそれもなんか躊躇する理由なのよね。
まあ実家に押しつけてもいいんだけど、
美味しいA5サイズの美味しいステーキ牛肉だったら私が食べたいけど!
なんつって、
そう言うこともあるのが大変だなぁーって
世の中はやっぱりそういうのをやってる人が勝利して優勝しているのかと思うと、
日々勉強よね。
つまりはそうなのよ。
そればっかりはどうにかして捻出するしかないのよねー
さすがに。
まったくやることが多いわ。
うふふ。
鮭朝定を駅の早朝から開いている喫茶店ここは和食の定食の朝定食も頂けるのが凄いところで気に入っているのよ。
ちょうどみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の入り口の角の斜向かいの喫茶店よ。
美味しくいただいたわ。
たまにはこう言うのもいいわね。
そんで
ピンクグレープフルーツウォーラーね。
1玉買ってきたので、
ちゃんと輪切りにして昨晩仕込んできたやつで
それはともかく
暑くって小さい水筒持って出掛けないと
水分補給はしっかりとね!って
私からのお願いよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
春のポカポカ陽気!って感じのあったかい日よりは、三寒四温において三寒のほうに分類されるような、冬寄りの日の方が好きだ
気温で言うと15度前後くらいの日
日付で言うと、3月20日とかのあたりだ(これ冬か?)
桜が咲き始めているが、寒くて、しかしクソ寒いって感じではなく、分厚い上着はいらない
空はよく晴れている
あの辺の時期に、なんかよくわからんけどどっかで咲いている花の匂いなんかがふと漂ってくると、なんというか、胸が締め付けられるような、謎の感覚に襲われるんだよな
アレがいい
ムチャクチャ暑い日に、くたばれ!と思いながら外を歩いて、コンビニ・スーパー・銀行なんかの、よく空調の効いた建物に立ち入った瞬間の感覚 あれですね
大理石なのかなんなのか知らんけど、石造りの、ツルッとした内装と、高い天井と、展示品のためにガンガン効かされた空調と、静けさですよ
美術館行くためにあまり慣れてない土地にやってきて、マジクソ暑い中をちょっと歩いたあとに、涼しさと静かさの権化みたいな空間に出会うわけなので、感動もひとしおだ
いよいよ涼しくなってきた10月〜11月あたりの、よく晴れた日に、植物園に行くのがいい
あえて具体的に言ってしまうと、豊中都市緑化植物園に行くのがいい
ホントにいいんだよ
豊中都市緑化植物園の温室の横にある、池のほとりに、ガーデンテーブルとガーデンチェアがある
でけえ広葉樹が色づいていて、鳥が鳴いていて、ガキが広場ではしゃいでいて、池の水面は静かで、後ろには温室
なんなんだよあの空間
実は1回しか行ったことないんだけど、俺はあの空間が本当に好きだった
あれこそが秋だと思う
オフシーズンだから、多くの花壇はからっぽで、植え込みも全然元気がない
イタリアンパセリかなんかだけがやや元気そうにしていて、他の植物は茶色くなって萎れている
でもハーブ園なんで、花壇の構造やデザインなんかは全体的に洒脱な感じ
ギャップがよかった かなりよかった
とにかく、秋の晴れた日に豊中都市緑化植物園に行って、温室を見てるうちに3時くらいになっていて、なんとなく日が翳り始めたことを感じつつ、背の高い木に囲まれた遊歩道を歩く 鳥が鳴いている そういう体験をするべきなんだ
問題があるとするなら、11月って秋扱いでいいのか?というところだ
冬になったらシティーに繰り出したい
シティーに繰り出すっつっても大した目的はなくて、見たいのは、落ち葉だ
街路樹から落ちた葉っぱが木枯らしに吹かれて、ウェーブ状になってカラカラいいながら灰色の街路の上を渡っているのを見ると、言いようのない満足感があるんだよな
道っていうか、空間が広ければ広いほどいい
地面は石畳がいい
アレがいいですよ
絶対雨降んないけど、絶対晴れもしないなって感じの、無害な分厚い雲の日
嫌いじゃないんだよなあ!
ああいう空模様の日に、隣町くらいの遠さのところにある、どうでもいい公園に行って、あまり快適ではないベンチに座って、初めて寄ったよくわからんスーパーで買った、うまくもまずくもないおにぎりなんかを食うと、マジでたまらない
焼鳥が大好きだ。
週5で焼鳥でも構わない。
週7だと次の週は少し休むかもしれない。
最近の評判の焼鳥屋はおまかせの店が多いが、アレは違う食べ物のような気がしている。
1本ずつ食べたいときに食べたいモノを焼いてもらうのが焼鳥の醍醐味じゃないだろうか?
そろそろ本題に入ろう。
でも、串に挿して鶏肉と一緒に焼いたネギは本当に美味しいだろうか?
焼鳥じゃない。
ネギに最適な火加減と焼き時間と、鶏肉に最適な火加減と焼き時間は異なる。
美味しい焼きネギは深谷ネギや下仁田ネギをじっくりトロトロに焼いたやつであって、強火でカラカラになるまで焼いたネギは美味しいとは思えない。
そうなんだ、ねぎまじゃなくて、モモとか正肉とかそういうメニューを頼むのが正しいんだよ。
昨日、いつもの店に入れなくて初めての店に行ったんだ。
美味しい焼鳥屋さんだった。
あぁ、分かるよ、それが良いよね。
なんかさ、ちょっと、同じ値段なのに勿体ないって思ってしまったのさ…
オレはやっぱりパリパリなカワが一番好きだなって思いながら。
以前はカプセルの鼻炎薬と漢方薬を併用、あとは花粉症用化粧水スプレー、目の周りクリームを使ってた
目薬は一番強いやつ使ってた
目薬は並〜ちょい上位程度のもの
カプセルの鼻炎薬は飲むと喉がカラカラになって苦しかったが、鼻炎スプレーはそれが無いので使い心地はこちらの方が自分は好き
だけど飲む方が効果は強い気がする
乳酸菌タブレットは前も飲んでて、効果あった気がしたので今年も継続
前回はテキメンに効いた気がしたがその後そうでもなく、思い違いだったかと思うところはある
今回は高容量ビタミンD飲んでる
これも一瞬テキメンに効いた気がしたが、その後強い症状が出たので、そこまでじゃないけど無駄でもないだろうと思って飲んでる
子供時代の頃は断片的な記憶しかないのだけれど、ひろこちゃんと遊んだあの日の事は何故かしっかりと記憶している。
ひろこちゃんとは小3の時に同じクラスになり知り合った。昭和59年。80年代の独特な空気感があった。
ひろこちゃんはストレートのショートヘアでいつもどこかがぴょこんと寝癖で髪がはねていて、アレルギー皮膚炎なのか、目の周りや膝の裏がポツポツと赤かった。
掃除の時間、雑巾がけをするひろこちゃんの下着が見えた事があった。
茶色く変色していてびっくりした。いつもフッと尿臭がすることがあった。
ひろこちゃんはひとえの、フニャッとした顔立ちでふわふわとした性格だった、どこかいつも泣きそうな表情をしていた。性格が暗いというのではなく…どこかいつも「困ったなぁ」という感じの雰囲気だった。
ある日ひろこちゃんと放課後遊ぶことになった。ひろこちゃんが私を自宅に招いてくれるという。ただしお母さんの了解がいるらしい。お母さんの働く美容室に一緒に向かった。お母さんの姿は細部まで覚えている。
当時ダイアナ妃ブームだったせいか、美容師のお母さんはダイアナ妃と同じ、キレイに両サイドをブローした洗練されたヘアスタイルをしていた。真珠の一粒ピアス、ベージュのニット、チェックの細身のパンツスタイル、
長身にパンプス。自分の母親との違い、地味なひろこちゃんとのギャップ。お母さんはお客さんの髪をブローしている。ドライヤーの音でひろこちゃんとの会話は分からないが自宅で遊ぶ事を了解してくれたらしい。
ひろこちゃんの家は古い長屋のようなところだった。木製の引き戸をガラガラ開ける。
初めに目についたのは暗い廊下の両脇に溜まった埃だった。
ひろこちゃんの部屋に入る。砂壁の小さな部屋。ベッドに腰掛けると布団が湿気でじっとりと重かった。
ひろこちゃんは当時流行っていたファンシーなしおりを一枚くれた。
「海の王 シャチ みんな楽しそう」
何故か台所に移動する。途中、模様ガラスの引き戸の向こうから男性のグォーグォーというイビキが聞こえる。豆電球の灯り。お父さんは夜勤で昼間は寝ているらしい。
突き当たりにお兄ちゃんの部屋、というかスペースがある。物が溢れて窓を塞いでいる。当時の少年が夢中だったプラモデルがひしめいている。
暗い、日の差さない台所。食堂から引き戸が全開になっているお風呂場が丸見えになっている。風呂場が長い間使われていないことが何となくわかる。タイルが干からびていてどこから舞い込んだのかカラカラの落ち葉が洗い場に落ちていた…
マンモス小学校だったのでひろこちゃんとはそれきり、同じクラスになることはなかった。6年生で私は転校した。
子供の頃はひろこちゃんの、けして明るいわけでない境遇を何とも思わなかった。
ただ、そうなんだ、と。それだけだった。
美しいお母さんは?
あの日は何月何日だったのか、あの日私とひろこちゃんはどんな夕飯を食べたのか?
ひろこちゃんは私の事を覚えているだろうか?