はてなキーワード: アルトリアとは
なぜFANG+ではなくオルカンが良いかの理由は、長期で投資を考える場合、特定の国や企業に偏った投資は好ましくないから。データ付きで説明するよ。
特定のジャンルが流行しているときは、それが永遠と続くように錯覚するし没落する理由なんて全く思いつかないけど、歴史的にそれはない。
今回は過去とは違うと思い込んで失敗する投資家は過去に大勢いた。
どこかの1国が延々と繁栄し続けることはない。ローマ帝国、大英帝国、日本のバブルなど、一時期は世界を制覇するほどの勢いだったが、永遠と続くことはなかった。
また、特定の企業が繁栄しつづける事はもっとない。国の繁栄より短期間で終わる。
現在のアメリカやITセクターの繁栄が終わる事は容易には想像できないけど、それは多くの人が10-20年程度でしか物事を考えられないからだし、どんな原因で終わるかは予想できないから。
となると、若者で数十年間の長期投資を予定しているのならば、特定のセクターや国に偏重するのは好ましくない。
できるだけリスクを取ってリターンを高めたいなら、余裕資金をすべて株式インデックスファンドに投資するくらいが一般人の許容範囲。
レバレッジを掛ける事はさらにリスクを取る1つの手段ではあるが、人間は射幸心を煽られて不適切にレバレッジ比率を高くしてしまう傾向があるし、コストも割高になるので、ほとんどの人には薦められない。
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100年ほど前の欧州のシェアの低下や、1970年代のアメリカの株式の死の時代、日本のバブル崩壊がとても分かりやすい。
https://i.imgur.com/cRbyugc.png
5 Intl. Business Machines
6 Mobil
7 Chrysler
8 Texaco
9 ITT Industries
1 NTT
2 日本興業銀行
3 住友銀行
4 富士銀行
5 第一勧業銀行
6 IBM
7 三菱銀行
8 エクソン
9 東京電力
10 ロイヤルダッチシェル
2 NTT
4 AT&T
5 エクソンモービル
6 コカ・コーラ
7 メルク
8 トヨタ自動車
9 ロシュ・ホールディング
1 GE
2 エクソンモービル
3 ファイザー
5 シティグループ
6 ウォルマート
7 ボーダフォン
8 マイクロソフト
9 AIG
2 エクソンモービル
3 マイクロソフト
4 シティグループ
5 BP
8 ウォルマート・ストアーズ
9 トヨタ自動車
2 アルファベット
3 マイクロソフト
5 エクソンモービル
7 フェイスブック
fgoの野球のやつめちゃおもしろいやつだった。大学に入ってから友達ができなかった俺は、バイト代がたまったのと、「野球が上手かったら大学でも大企業でもいけるんじゃねえか?」という高望みの思いから、俺は野球サークルに入った。サークルに入ってからは2年くらいになった。サークル内では上辺だけの関係だった奴とは仲良くしていた。ある日、bがいた。「a先輩。君はホームランを打ったよ。でも一塁ランナーだから一塁でタッチ・ツーベースになる」と言われ、俺
講評
・「ある日、bがいた。」ってのがシュールでよい。わかる。増田構文わかる。文脈的にはaの後輩なんだろうなぁ。でもaと元増田とは
・「でも一塁ランナーだから」って一塁に邪魔なランナーがいますよってこと?
・野球サークルってそんな気がるに入れるのかとかうわべだけど仲良しとか
・俺が本当にいいたかったことはFGOのエイプリルフール企画の野球のゲームがちょっと難しい。右端、左端のすみっこにいるキャラを流し打ちだのひっぱりだので狙おうとするのが。むしろアルトリアは邪魔
①
女「つまり、この男たちが妻と性行為をしたということであり、男が女に性的な視線を向けている証だ」
②
女「柏木由紀は男性向けグラビアで活躍したアイドルであり、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはゆきりんであってお前ではない」
③
女「くまクッキングの人は巨乳を売りにした活動をしており、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはくまクッキングの人であってお前ではない」
④
女「セーラームーンという作品は多数のエロ同人が出ており、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはレイちゃんであってお前ではない」
⑤
女「アルトリアは元々エロゲのヒロインであり、男が女に性的な視線を向けている証だ」
男「俺が性的な視線を向けているのはアルトリアであってお前ではない」
↑俺は①~⑤は全て等価だと思う。
②~⑤のそれぞれにも『それでハアハア(*´Д`)しているキモオタを想像させる』以外で違いがあるという人はマジで違いを教えて欲しい
2年半ぶりにスマホ起動したらLINEに当時のフレンドがコード残してた
俺のアカウントも引き継ぎコード書いてあったからそれ使ってログインした
とりあえずLINEに書いてある友達のコード入れてフレンド申請して気付くの待ってる所
5年も観ない間になんか色々ユーザーに条件良くなってるんだな
メルトが星4ですって!と思ってガチャやったら20連でなんちゃら姉妹とかいう星5が出てきた
5年前もそうだけど相変わらず無課金なのに運が太すぎる
まぁストーリーやる気は毛頭ないしフレンドが気付くかどうかしか気にしない
フレンドは最終ログイン日99日前だし アルトリアキャスターで止まってるっぽい(アルトリアキャスターっていつ登場したのか教えて)
Fate/Grand Orderには良い部分もあるが悪い部分がありすぎる。
今回はそんな悪い部分を紹介していく。
なお、筆者は型月ファンであるので途中で型月アンチだと思わないように気を付けてほしい。
課金額が100万を超える人がかなりいるらしく、
オタクを引きずりこむようなことをしている。
偉人に対して下品な格好をさせるのは如何なものか。(特にイベント礼装とか)
原作やホロウでもアルトリアやライダーとのシーンがありましたが、下品さはあまり無く、むしろ要らないとすら思ってました。
原作でもそんなシーンがあるから、FGOのことは言えない(偉人に対して侮辱)と言われたらそこまでです。
絵師の作風だから仕方ないとは割り切れないので、こういった絵を許容した型月かDW、あるいは両方を私は理解できない。
やたらとチヤホヤされる主人公など、FGOの主人公である藤丸立花もそれに該当する。
別にそれは構わない。
敬意が欠けている場面が多いのだ。
イベントだから〜なんて言葉で済ますようなものではないとは思います。
正直やめてほしい。
以上がFGOの悪い部分です。
他にもありますが...
型月ガイジの私としては、FGOで過去作品の設定などを大量に使用してくれるそうで嬉しいです。
ちなみに私は二部一章の怒りの日が好きです。
怒りの日は一人で弾くのは基本無理なので
(一人で弾くことも出来ますがかなり難しい)
あの時、サリエリの隣にモーツァルトがいると考えたら胸熱ですね。
私が何を求めているか。
それは今までのFateらしさです。
これまで延々と愚痴を書いてきましたが、最近のFGOはとても面白く感じます。
メインシナリオも私が求めていたFateらしさが出てきて、システム面での不満こそありはするものの納得いく形になりましたし、
最近では、あやふやな藤丸にも自我が形成されより一層素晴らしい作品になったと感じました。
もう終わりが近づいてきてはいますが、このまま突っ切ってほしいですね。
どちらかと言えば、我々ユーザーより型月側の良い部分ですね(笑)
DWの取り分やライターなどの費用でどれほど消えているかは定かではありませんが、それでも型月が手に入る収益はかなりのものだと思います。
これが何故良い点かと言うと、新作やリメイクだったりの資金になったり(新作出してほしい...)、
空の境界、真祖、アルティメットワンなどFGOから知った人も多いのではないでしょうか。
やはりここら辺の月姫、鋼の大地から続く設定や共通の世界観などが繋がって楽しいですし、考察するのも醍醐味ですね。
二部ではメルブラの主人公であったシオンが出てきてビックリしました(笑)
ネロ・カオスも彷徨海出身だったな、とか考えながら、懐かしくてメルブラのアーケードを遊びにゲーセンまで行ったほどです。
もしよければFGOを機に、FGOだけプレイしている人は様々な型月作品を遊んでみてください。
昔からの型月ユーザーも、久しぶりに遊んでみるのも悪くないと思います。
私は佐々木小次郎が好きなので、冬木からずっとパーティに入れてます。
おかげでいつもギリギリの戦いですが......
他のソシャゲだと、レア度によってレベルの上限があったり、上限解放しても高いレア度には最大レベルが劣ったりします。
FGOではステータスが多少劣るものの、基本はレベル最大までレア度問わず上げることが出来ます。ステータスも上昇させるために必要な素材もありますから良い点ですね。
一番良い点はこれです!
エミヤが楽しそうで、これは本当に良かった。
エミヤは衛宮士郎が英雄になった姿で、正義の味方というものに絶望。
大勢を救うために少数を殺す、それを繰り返してきたため疲れ果てており、そこから抜け出そうとして過去の自分を殺そうと考えていました。
しかし本編では凛のサーヴァントになったことや、衛宮士郎が自分とは違うことを確信して、凛に過去の自分を託して聖杯戦争を終えました。
救いは無いのかと、涙無しには見られないシーンだったために、FGOで羽を伸ばしているエミヤを見て嬉しい気持ちになってます。
これ以上書くと長くなるのでここまでに。
FGOアンチであることに変わりはないですが、それでもFate、型月作品であるため応援しています。FGOユーザーの皆様、育成にイベント、そしてメインシナリオを目一杯楽しんでくださいね。
ありがとうございました。
それってFGOでいうなら妖精騎士トリスタンはブリテンの妖精全て嫌いだけどアルトリアキャスターに対しては嫌いにならなかったのはアルトリアキャスターが楽園の妖精だったからって事か?
キャラが女体化したり、長期シリーズで主人公が女になったりすると議論が起きる昨今だ。
「またポリコレか」「お前らオタクだって散々女体化や女主人公してるだろ」「だったら女主人公のオタク作品をポリコレ勢が叩くのは何でだ」。
この論争は厳密に結論づけることは難しいから変にこじれるけどさ、感覚的なことでは大体みんなわかってるだろ。
性欲や萌え欲とかの欲望主導での女主人公と、ポリコレ配慮での女主人公じゃ手触りが違うじゃん。
バトルヒロインや女体化もそう。人種問題やセクマイの扱い方もそう。
欲望主導が好きな人と、ポリコレ配慮主導が好きな人とは対立するってだけだろ。
そりゃ、実際に作り手がどっちをメインにしてるかはわからんよ。内心のことだからさ。
消費者がどっちで受け取ったかも、これまた内心のことだし、おまけに一人一人違うしわからんよ。
ついでに言えば欲望とポリコレ配慮を、7:3とか5:5のバランスで意識して作った人とかもいるだろうし、受け手にも同じこと言えるし、うまく両立してたり境界線上のキャラもいるし。
だから厳密に「これは欲望女主人公!これはポリコレ女主人公!」とか分類はできねえよ。
できねえけど、感じてるでしょ、その両者の違い。
そしてそこの違いこそが、好きか嫌いかに重要かなんて大体みんな分かってるだろ、分からないふりするなよ話がこじれるから。
説教臭い雰囲気があるかどうか、意識の高さが感じられるかどうかって言いかえてもいいよ。
女主人公や女体化でも、ポリコレ/反ポリコレ観点での好き嫌いに大事なのは、説教臭いかどうかなんだよ。
スターウォーズのレイはかなりの人数が説教臭いと感じたし、Fateのアルトリアは説教臭くないと感じる人が多い。
レイが劣るって話じゃない、「意識高いからレイは好きだが、アルトリアにはそれがないから嫌い」って人もいるからだ。
何にせよ、同じような表現にも欲望ドリブンなのとポリコレドリブンなのがあるって事に気づかぬふりして、核心に行かない議論すんのはやめなよみんな。
そりゃ
こんどはまけない、なぐりっこキャスター スキなし スキがないぞその子供・・・
セイバーしかもアルトリアをすででぶん殴る男の子供で、すででぶん殴る魔術師にもまけたキャスターの子供 雪辱戦!
・・・あの、キャス子さん・//?有効範囲4万キロの大陸弾道トラン○がですね・・・@アーチャー
あのどちらへ?
中国で学ぶキャス子の子供 これは東洋魔術か!?とおもいきやクンフー
西洋古代魔術を使うクンフーマスター あちょー クラスは まぁ歴史的経緯で キャスター
キャス子の子供に魔術で勝てると思えない・・・だが本人はクンフー使い・・・血の勝利・・・設定上もはや生まれた段階で、クラスがキャスター
最近、私オタクじゃないかも的な話をよく気がすが、オタを自任するのってそんなに大事なのか。
思春期の真っただ中を過ごした15年前は、深夜アニメ見てるなんて言ったらイジメられてしまう殺伐とした雰囲気だったよ。学校に.hackのクリアファイルを持ってた子が、酷いイジリを受けるって地獄でしょう。
深夜アニメとの出会いは、今では考えられないほどに貧弱だったインターネットが舞台だったけな。
すっかり衰退してしまったけれど、昔はアニメのキャプチャをアホほど張り付けて、「むふーたまらん」みたいな感想を書きつけてるブログがたくさんあった気がする。実家暮らしの少年には、それが唯一のソースであり夢の世界への希望でなくて何だろう。神無月の巫女は百合の英才教育教材。
だから、深夜アニメ=えっちなキャラ=表に出してはイケないモノとして思春期男子には突き刺さったし、いまでも変わらない。DOAの霞がいまだに3D化して生き残っているのに衝撃を受けている。
当時は個人サイトでえっちな二次創作イラストが発表されてて、それで満たされてたっけな。同人誌はサンプルの1ページを使ってて、フルでアップされてるやつにはたどり着けなかった気がする。
大学生になって、実家を出てアニメとエロ漫画を見まくったけど、オタクの友人にも打ち明けなかった。
今でもアニメは見てるし、多少キャラについて知っているけど、オタクではないのかなって。興味の中心は「かわいい女の子キャラ」なわけで、あまり他人と語り合うこともできないしな。
女の子キャラ目当てで(包み隠さず言えば性欲で)、情報を集めてる。本編でどういうキャラか全然しらないけど、やたら二次創作で女装にさせられてるとか、そういう部分だけ知ってる。FGOだったら刑部姫、ブラダマンテ、アルトリアとか好き。艦これだったら、摩耶、高雄、霞なんかが良いです。アズレンだったら、愛宕、赤城、フォーミダブル、Z28が良いと思う。
直近だとプリコネがソシャゲアニメの「初見勢を見捨てて残念」というジンクスを破ってて、強くてやさしいペコちゃんがめちゃかわいいと思う。ロードムービー的な進行テンポも心地いい。
だけど、オタクの必修的なジョジョ、ドラゴンボール、仮面ライダーやプリキュアにも興味が持てないし、ゲームに面白さを感じないのでソシャゲを含めゲームは一切やってない。
vtuberはキャラの見た目を切り離してかわいいとか言ってはいけない風潮があって、アバターものなので、得るものがない気がしてチラリとチェックにとどめている。バイノーラルマイクに向かって耳舐めする動画はたまに見てる。中身は全然知らないが、マリン船長と白神フブキはキャラデがすごく魅力的だ。
結局のところ、アニメの話をしても性欲駄々洩れのギトギトおじさんとしてしか熱く語れないので、オタクでも何でもないのかなあ。
ここまで書いて気づいたことがある。ときどきエロコンテンツに信じられない熱量でキモい文章をブチ込むおじさんがいるけど、そういうのってこうやって生成されていくんだなってさ。
キャラが女体化したり、長期シリーズで主人公が女になったりすると議論が起きる昨今だ。
「またポリコレか」「お前らオタクだって散々女体化や女主人公してるだろ」「だったら女主人公のオタク作品をポリコレ勢が叩くのは何でだ」。
この論争は厳密に結論づけることは難しいから変にこじれるけどさ、感覚的なことでは大体みんなわかってるだろ。
性欲や萌え欲とかの欲望主導での女主人公と、ポリコレ配慮での女主人公じゃ手触りが違うじゃん。
バトルヒロインや女体化もそう。人種問題やセクマイの扱い方もそう。
欲望主導が好きな人と、ポリコレ配慮主導が好きな人とは対立するってだけだろ。
そりゃ、実際に作り手がどっちをメインにしてるかはわからんよ。内心のことだからさ。
消費者がどっちで受け取ったかも、これまた内心のことだし、おまけに一人一人違うしわからんよ。
ついでに言えば欲望とポリコレ配慮を、7:3とか5:5のバランスで意識して作った人とかもいるだろうし、受け手にも同じこと言えるし、うまく両立してたり境界線上のキャラもいるし。
だから厳密に「これは欲望女主人公!これはポリコレ女主人公!」とか分類はできねえよ。
できねえけど、感じてるでしょ、その両者の違い。
そしてそこの違いこそが、好きか嫌いかに重要かなんて大体みんな分かってるだろ、分からないふりするなよ話がこじれるから。
説教臭い雰囲気があるかどうか、意識の高さが感じられるかどうかって言いかえてもいいよ。
女主人公や女体化でも、ポリコレ/反ポリコレ観点での好き嫌いに大事なのは、説教臭いかどうかなんだよ。
スターウォーズのレイはかなりの人数が説教臭いと感じたし、Fateのアルトリアは説教臭くないと感じる人が多い。
レイが劣るって話じゃない、「意識高いからレイは好きだが、アルトリアにはそれがないから嫌い」って人もいるからだ。
何にせよ、同じような表現にも欲望ドリブンなのとポリコレドリブンなのがあるって事に気づかぬふりして、核心に行かない議論すんのはやめなよみんな。
増田だが、文字数制限で追記できなかったことを吐いて終わらせる。
ちなみにいろいろ勘違いされている人も多いようなので、言っておくと、別に恋につじつまってなくてもいいんだと増田は思っている。キャラをしっかり描けば、つじつまが合わないのに何故か説得されてしまい、恋愛が成立する。そしてキャラクターがきちんと描けているかどうかというのは、やっぱりシナリオ全体にシナリオライターの存在をいかに悟らせないかに尽きると思っていて、その点で前述のお三方はたしかに作風が現れてはいるが、シナリオ全体に無理筋がない。描くべきものをきちんと描いた結果の必然としてキャラクターがいくつくべきところに行き着いた結果を描いている。シナリオのためにキャラクターを駒のように使うことをしないというのはとても重要なことで、虚淵氏もそのせいで「自分にはバッドエンディングしか書けない」と自棄にすらならせるほど飼いならすのが難しいスキルだが、安定感のあるシナリオライターのほとんどはキャラクターにシナリオを語らせるという手法を取っていることが多いと思う。正解ありき、シナリオありきでキャラクターを作ることが悪いわけではないが、やっぱりそれだとご都合主義的なシナリオを回避できない。殊に恋愛に関しては人間模様だけがすべてで、その中でどれだけパターン化されたシナリオの中にキャラクター性を見いだせるかが肝なのだから、お決まりのシーンやお決まりのパターンをどれだけ裏切れるかがむしろ味噌なのだと言い切ってしまってもいいと思う。
そういう意味では、とにかくデートイベントを入れたり、主人公に照れるヒロイン像、お料理イベントといったお決まりをパターンのように踏襲する手法こそ、裏切って然るべきものなんじゃないだろうか。そしていちいち主人公を好きになる主体性なんてものに、わざわざエピソードを入れなくてもいいではないか。奈須きのこ氏の悪いところは、もしかしたらつじつまを合わせることばかりに終始しすぎて、振り切れてないところにあるような気もする。Fate/ExtraやExtellaを見ていてもそうだったけど、感動シーンなはずなのに「このシーンいらねえわ」とか「別に感動させなくてもいいわ」と思ってしまうシーンがたくさんあった気がした。没個性型の主人公なのに妙にシナリオの中でノリツッコミするところなんかもモヤモヤした。パターン化され、お決まりで、踏襲的なシナリオに終始している感じがあって、言葉や台詞ばかりが妙に浮いているのだ。
いちいち主人公に格好つけてヒーローさせなくてもいいような気もする。変に人格障害こじらせたりとかも不要だと思う。衛宮士郎も、いちいちアルトリアに張り合って過去に闇を持つ壊れた人格を持つ必要なんてなかったように思う。衛宮士郎くんはちょっと無力すぎたし、そのくせ無謀に過ぎて人間的になんというか情けなくて鬱陶しさが目立つのもマイナスだ。それこそセイバーが言うように「能力が無いなら下がっているべき」なのだ。無理に前に出てセイバーを守ろうとする、そんなところに人格障害&人格破綻者みたいなエピソードを入れる必要はないし、別にそれがあったところでシナリオに深みが出たとも筆者は思わなかった。単に衛宮士郎という人間像に理解不能感が増すだけなのである。そんなことさせるくらいなら、普通の少年なのに突如ギフトとして特別な力を持ってしまった少年というプロフィールにして、普通にアルトリアの元英国騎士王というセイバーにびびったりちょっと劣等感を感じたりして、そして本当にそのまま特にヒーローっぽいことも出来ずヒーローになれず、ただ突如として与えられた聖杯戦争の参加者という立場で何らかの与えられた力との向き合い方を懊悩し、悩みながら、同じ悩みを抱えてそれでも聖騎士王という立場を全うしたアルトリアに学びながら、彼女に惹かれながら、自分の使命を全うしようとする、そんなエピソードで良かったのではないだろうか。そんなシナリオであれば、もっと素朴で純朴な恋愛が描けたのではないだろうか、どうだろうか。
そして奈須きのこ氏もそれに気づいているからこそ、Fate/Extra、Extella、Fate/GrandOrderではそういうシナリオを書こうとしたのではないだろうか。
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。
一言でいうとそれが男性向けエロゲの主人公補正なんだが(虚淵は富野につづくタイトルホルダーだから・・)
女性の二次創作はそれを演繹して毎度大変なことになってて解釈力がすげーなって思うぜ
公式が毎月のように似たようなキャラを連続で出して飽きられない
(ランサー長尾カゲトラとラクシュミーとかすごいカブってそうだけど)
Fateという作品が非常に気になっていたので、ここ数年Fate関係をずっと漁って、Fate/Staynight → Fate/ZERO → Fate/UBW → Fate/HF → Fate/Extra(アニメ) → Fate/プリズマイリヤ1,2,3 → Fate/Apocrypha → Fate/Extra(ゲーム) → Fate/Extra CCC → Fate/Extellaという順番で消化し続けてきた。途中Type-Moonの世界観が共有されているとのことなので、空の境界のOVAを6作見てみたりもしてみた。そしてその結果として、言いようのない気持ち悪さを覚えたのでここに書き散らす。ぶっちゃけると奈須きのこ、てめえは駄目だ。人間ってもんがぜんっぜん書けてねえ!!
Fateのヒロインって奴は、というよりType-Moonの主要ヒロインは以下にまとめることができる。
・遠坂凛
・玉藻の前
・クロエ
・美遊
まあだいたい出てくるヒロイン枠はこんなもんなんだが、ぶっちゃけエロゲと同じでわりと単純で簡単に類型化できてしまう(どうして簡単にかつ単純に類型化できるのかは実は一言で表現できるのだが、それは次のチャプターで話す)要するに以下のタイプしかいないのだ。
・食い意地が張ってるので、基本は食事で胃袋を掴む
・使命感を捨てて恋に生きるよう説得するため、とにかく女の子扱いする
・不器用な生き方そのものを肯定し、過去の傷を舐めて肯定してやる
・チャラい、不真面目
※要するにギルガメシュ
・チャンスを見て、心のSGを暴いたり、心の中身を覗き込んで一旦丸裸にした上で従順にさせる
・たまに大真面目に褒めると照れるので、褒めのジャブを入れつつ、好意をストレートに打ち込むと何故か落ちる
・間桐シンジ
・真面目な朴念仁で、目的のために愚直に突き進む優男タイプに弱い
・ド直球に大してド直球に返す、沈黙に沈黙を返して誘い受けする、これを繰り返していると勝手に相手が落ちている
・倫理にもとる行為をしても基本的には立ち位置を信頼モードにして「何があっても一緒だよ」「過去どんなことがあっても俺は気にしないよ」と言い続ける
・意外と寂しがり屋だったり、わりと物事を達観してる節があるので、そういうときに包容力を見せるだけで落ちる
・こいつら自身が裏表があるタイプなので、裏表が通用すると思ったら間違い
・下手に策を弄するよりも天然を地で行くタイプに弱い。本人たちもそこがわかってるから冗談交じりで愛情をストレートに表現してくる。
・とにかくこいつらは寂しがりで承認欲求が強いので、友達とか絆とか特別というキーワードに弱い
・特に精神的な繋がりを重要視するだけで、それを与えるだけで生きる目的にすらなっちゃう
・精神的な闇の部分も含めて「お前が特別」を与えてやるだけで落ちる
・必ず不器用な一面を見せる
アホかってくらいみんなこれに該当する。そのせいで(2)Fate男主人公全般に見られる妙な脱個性&表面的素朴化が起こってる。
Fateというか、Type-Moon系の主人公格はほぼ以下の五人に集約できる。すなわち黒桐幹也、衛宮士郎、ジーク、岸波白野、藤丸立香の五人である。これは女ヒロインがType-A~Dの四種類に集約でき、かつ変形種まで存在することから考えると驚くほどに単調で少ない。とはいえ一応五人はいるのだから、五人を一人ずつ分析していってもいいのだが。ぶっちゃけるとこの五人、精神分析するまでもない。細かい差異はあれど以下の一行に簡単に集約できてしまう。
マジでこれは異論は認めない。ぶっちゃけTypeMoon系の主人公(男)ってやつはどいつもこいつも女に対しておんなじアピールしかしてない。驚くくらいこれがまったく変わってなくて驚きを通り越して笑えてくる。マクロス・フロンティアでMay'nが歌うノーザンクロスに「君を掻きむしって濁らせた、なのに可憐に笑うとこ、好きだったよ」という歌詞があるが、まんまこれである。すなわち「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」「僕を傷つける君でも、俺はお前を好きだZe!放ってなんかおけないZe!」のどっちかを繰り返して女の子を包み込んでいるだけなのである。その証拠に各々のメインヒロインをFate/StaynightシリーズとFate/Extraシリーズを用いてざっくりどうやって各主人公が落としてきたかを振り返ってみよう。
「士郎は卑怯です、私の過去を知って、何度も私の中に入ってきた(性的に)」
→「惚れちまってんだから仕方ないだろ、俺はお前をこのまま放っておけないZe!」→「俺はお前を救いたい」→陥落
「(アーチャーが私を裏切った…!?そんな…っ)士郎、今日は疲れたでしょう、もう休みなさい」
→「お前の方が辛いはずじゃねーか、俺はお前をこのまま放っておけないいZe!」→陥落
「先輩、私綺麗じゃないんです、もうずっと前から汚れた女なんです」
→ 「そんなお前をこのまま放っておけないZe!俺は女としてのお前を求めたいんだZe!」→陥落
「奏者よ、本当の私は悪名によって星に刻まれた為政者なのだ。為政者としての余は完全に間違いばっかりなのだ」
→ 「そんなお前の姿が俺には眩しいZe!」
「私は傾国の姫君、私は人とは一緒にいられない、一緒にいてもどうせ不幸にしてしまう、」
→ 「そんなお前が俺との何気ない日常を選んでくれたことが俺はうれしいZe!俺はお前を信じていたZe!そんなお前を俺は好きだZe!」
「私は破壊の王、命を奪いたくは…ない、私は、その意味をまだ知らない。だが私には、破壊しかないのだ。他には…何もない。だから…」
→ 「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」
ぶっちゃけFate/Extra、Extellaなんてのはストーリーはメチャクチャ単純で、主人公の事を好きな味方(サーヴァント)を連れて聖杯戦争を進んでいく内に主人公の事を好きな敵が現れて、その敵から主人公が逃げたり逆にその敵を救おうとして失敗してを繰り返しながら、ラスボスとの戦いで主人公を好きな味方と敵の全員が力を合わせ、最後にラスボスを大団円で倒した後に、切ない別れが待っている、以上。もうぶっちゃけこれだけである。FGOもほとんどこれを繰り返してるだけ。(※この系譜に当てはまらないのはせいぜいがFate/ZeroとFate/Apocryphaくらいのもんで、しかもこの2つは両方ともメインライターは那須きのこじゃなくて虚淵と東出)那須きのこの描く女性像、特にヒロイン像ってヤツがいかに偏ってるか、いい加減気づいた方が良い。こいつにとってヒロイン女ってのは精神的脆さという名前恋愛スイッチが存在していて、そこを押しさえすれば女はみんな落ちると思ってる。でもってそのためには男は全員器が謎に広くて天然朴念仁でありながらストレートに女性を褒めることも出来て自分のピンチにも泰然自若としている肝っ玉のある男じゃなきゃいけないわけだ。
このヒロイン像に対比する形で生まれた男性像が顕著といえるのが<空の教会>の黒桐幹也くんである。
筆者は空の教会の「殺人考察(前)」編で両儀式から殺されかけて逃げながらも彼女を何度も振り返って見つめ合う黒桐幹也になんだかシュールなものを感じてしまって半笑いになってしまったのだが、とにもかくにも那須きのこのヒロインを救う主人公(ヒーロー像)ってのはこのときからまったくといっていいほど変わっていないことが伺える。この異常なヒロインをそれでも愛するヒーロー(男性)というのはFateにも結構登場していて、藤丸立香や岸波白野だけじゃなく、メディアさんの恋人ポジションである葛木先生なんかはモロにそのポジションだったりする。特に岸波白野くんの包容力演出の異常さに関してはメルトリリスやパッションリップのエピソードでも充分に語られているから分かるだろう。基本的に那須きのこ氏の作品に登場するメインヒロインたちは絆や深い関係を作るために何らかの精神的ウィークポイントが存在しなければならず、そこを無意識に突くことができ、かつ人格的にも不安定な彼女たち(意図的に男性の手の中に転がりやすい存在として貶められている彼女たちの人格)を包み込んであげるためには、ヒーローたる男性は極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好しでなければならないというわけだ。
これって西尾維新とかの物語シリーズにもよくあるんだが、とにかく女性という存在を何かと欠陥のある存在にしたがっている。「欠陥のある存在にしたがる」というのは要するに、手触りがあって男の手の中に何となく収まってくれそうな存在に押し込めたがる傾向がある、という意味だ。早い話が心に隙間のある人間に仕立て上げることで、弱点スイッチを作っていることだと言っていい。そしてそこを上手に押してくれる男性をヒーローと仕立てあげる構図を作り上げている。これは病的なまでにすべてのヒロインに共通して言えることである。例えばFate/Extellaに登場するアルテラは1万4千年前の世界を滅ぼした遊星の尖兵たる巨神そのもので、その気になればサーヴァントたちのみならず神級の英霊をも下すこともできる超弩級の危険人物なのだが、どういうわけか主人公に惚れていて何故か必要もないのに彼にプログラム世界であるにも関わらず料理を振る舞ってみたり、甲斐甲斐しく抱きしめてみたりする意味の分からないエピソードが大量に存在する。そしてどういうわけか主人公の昔の英霊パートナーに嫉妬したり、主人公と会話をしたがるも話すことが見つからなくてじっと見つめてしまったり、逆に見つめ返されて恥ずかしがったりしてしまうのである。
この一言に尽きる。だから女性ヒロインにわかりやすいテンプレを付けすぎて、しかも毎回それを使いまわしすぎる。そして男性ヒーローに対して、女性を救う存在とさせすぎる。一言で言えば、女を舐めすぎだ。この辺は主人公(男)がしょっちゅうヒロイン(女)をからかったり弄ったりすることからもよく分かる。その弄り方のほとんどがどうにもこうにもヲタ臭いのだ。
別に人間なのだから、弱点を押されれば弱いのは分かる。精神的な脆さや寂しさが女の魅力になることも分かる。
でもそれに頼りっきりかっつー話である。いい加減恋愛スイッチのあるヒロインをヒーローが助ける構図をやめてみたらどうなのか、と。例えば歴代の有名ヒロイン・綾波レイに恋愛スイッチがあったか?ガンダムのララァに恋愛スイッチがあるのか?ヒーローはいつだってヒロインに愛されていなければならないのか?そうだとしても、それは常に恋愛という形である必要があるのか?ときにはヒーローこそが、心理的に成長する物語を描いたっていいんじゃないか?Fate作品のヒーロー(男性)が画一的で単調なのは、決してヒロイン(女性)を魅力的に描く上でそれが必然だからなのではない。単純にヒロイン(女性)をきちんと描けていないから、その対存在であるヒーロー(男性)が対応する形で単調な存在になってしまうのである。
ポケモンのレッドや.hackのカイトのような、没個性的な男性を主軸に置くことを続けていくことは否定しない。しかしあえて言おう。真の意味での没入感や共感を視聴者が得るためには、登場人物には哲学や主張が存在しなければならない。中庸をいく存在であってはならないのだ。極端に何かを主張する存在でなければならない。それでいてなお、視聴者の好意を射止める存在でなければならない。そしてそれに共感するか否かは、すべて視聴者に委ねるべきなのだ。
この点を非常にうまくやったのは間違いなく虚淵氏である。Fate/Zeroの主人公たる切嗣は、主人公としては実に賛否両論だろう。この主人公に対して感情移入できたのかどうかは実際のところ評価の別れるところだし、正直行って那須きのこ氏が展開する没個性型の主人公とはまったくもって一線を画す、主義主張の塊のような漢だ。しかしどうだろう。不思議と切嗣を憎めない。また那須きのこ氏がヒロインとヒーローにばかり話の焦点を当てるのに対し、虚淵氏が上手いのはヒロインとヒーローが絡むメインテーマに対して、ヒロインとヒーローとは異なる視点におけるサブシナリオをきちんと描いてメインテーマに関連付けさせるところだ。衛宮切嗣に対して言峰綺礼をきちんと置くし、セイバーに対して、きちんとウェイバーとイスカンダルそしてギルガメッシュを置く。(※この違いはなんのかというと、要するに虚淵氏が単にラブコメも恋愛もあんまり書くつもりもないからなのだが)
したがって、那須きのこ氏がこの課題をクリアするためには、まず安易なラブコメや恋愛スイッチヒロインを描くことをやめるところから始めるべきだろう。もっと多種多様な人間の感情模様を描くべきだし、そしてもしそれがきちんと出来ていれば、主人公(男)があれほどまでに没個性的で妙なヲタのりをする奇妙な包容力のある人物になるわけはないのである。