はてなキーワード: しづとは
週末は所用でまるっと家をあけるのだが、今日やたら宅配便が届く
各種のセールで買ったあれこれ
納品が1〜2週間後とあり届く日時が特定しづらいもの、個人輸入で買ってやっぱり日程が分からないもの、どれも昨日今日バタバタと届く
空気読んでくれてるかのようだ
いやー助かる
英語発話には「噛んじゃう」みたいな状態がほぼない、みたいな話を聞いたが、日本語40年話してるおれでも日本語は会話してると発音しづらくてゆっくり単語を言い直したりすることが結構ある
それと、とくに仕事でのチャットを眺めてると、「〜というように認識しています」「認識お願いします」みたいに「認識」って単語がよく飛び交ってて、うまくいえないがなんか、そんなやり取りの仕方しないと、各人の意識を確認できないんだっけ?と違和感が出てきた。コミニュケーションのエラーを起きないように、と頑張ってるのだと思うが、他の国の言葉だとどうやってこのあたりやってるのか気になった。ようするに日本語だと「それどっちの意味で?」「どの文脈で?」みたいな状態がよく起きる気がする。まあ日常会話でなく仕事をするうえでってだけだけど、英語でもそうなのかな?
追記じゃなくて、投稿を分けて仕舞えばいいかなと思ったので、こちらで解説します。
letitbomb78 増田のレビューは削除されており、それらしいレビューがあるかを目印にできないとなると、ヒントとして成立するのは「デマ本である」「欧米Amazonでは発禁」のみだと思うが、この2つで辿りつける人がいるのか?
Amazon removes 92 books promoting Holocaust denial - The Jewish Chronicle
アマゾンは、ホロコースト記念日を前にユダヤ人団体から賞賛を浴び、ショア(ホロコースト)否定を助長する92冊の書籍を削除した。
アマゾンは近年、この問題に対する世論の圧力の高まりに直面していた。アマゾンは現在、17カ国にまたがる数多くの書籍と850以上のハイパーリンクを削除している。
いわゆる「ホロコースト否定(Holocaust Denial)」です。
上のブコメの人が、ヒントを出してあっても気付かないほど、日本ではほとんど話題に上らない分野です。
ホロコースト否定が日本で話題になったのは、おそらく今まででたったの2回程度です。
一度目は、西岡昌紀という神経内科医が、1995年1月に、文芸春秋社の若者向け月刊誌だった『マルコポーロ』にホロコースト否定の記事を書いてちょっとした騒ぎになったことがありました。
その記事のせいで、売れ行きのよかったその月刊誌は速攻で廃刊になってしまいました。
二度目は、2015年10月に、高須クリニックの高須院長が「南京もアウシュヴィッツも捏造だと思う」とツイートして炎上して話題になったのを記憶している方もいるかと思います。
高須院長が〈アウシュビッツは捏造〉ツイートに抗議受け酷い反論! ご意見番扱いするメディアはなぜこの問題を報じないのか|LITERA/リテラ
しかし、欧米では1970年代頃からだと思いますが、何度も問題になっていました。細かい話を入れると1950年代からと言ってもいいかもしれません。
欧米ではベストセラーの歴史家として人気のあった、『ヒトラーの戦争』などを著したデヴィッド・アーヴィングが、自身を「ホロコースト否定者」だと、歴史学者のデボラ・リップシュタットにレッテルを貼られて名誉毀損で訴えた事件は、『否定と肯定』なる変な邦題がつけられた映画でも有名です。
欧州では20カ国弱で、ホロコースト否定の主張を公に行うことは法律で規制されています。
米国では憲法修正第1条で言論の自由が厳格に認められているため、規制はされていませんが、米国のAmazonやFacebook、Twitter(現X)、Google(YouTube)等の大手ネット企業は世界的企業のためか、ホロコースト否定を原則的に違反行為として規制しているのです。
フェイスブック、ホロコースト否定の投稿を禁止 - BBCニュース
さて、ここからはいきなり私的な話になりますが、どうして私がホロコースト否定に対して異常に反感を持ち始めたかというと、2019年頃だったかと思いますが、たまたまNetflixやAmazonプライムなどで配信されていたホロコースト関連の映画に少しだけハマったからです。
そこからどういう経緯を経たかは覚えていませんが、日本でもホロコースト否定の主張をネットで行う人がそこそこいることが見えてきたのです。
おそらく一番反感を覚えたのは、YouTubeにある『ホロコースト論争』なる動画チャンネルの動画です。多分、「ホロコースト」関連の動画を見ているうちにおすすめに出てきたからだと思います。
私自身は、その詳細な内容は分からなくとも、いわゆる歴史修正主義者(ホロコースト否定派)たちがネット上で嘘(=誤り)ばっかり言っているのを朧げには知っていたので、「なぜそんなにデマを広めるのか?」と憤ったのです。
しかし、その時にもっと驚いた(というか呆れた)のは、その動画のコメント欄ではその大半が主張の賛同者で占められていたことでした。
それで、Yahoo!知恵袋に「どうしてホロコーストを否定しようと思うのか?」みたいな質問をしたりしていたら、何人ものホロコースト否定論者が当時知恵袋に巣食っていたことも知りました。
それら否定論者は、どこで知ったのか、とんでもなく細かい論点を事細かに幾つも示して、「証拠も全くない上に、これだけたくさんの疑問があるのだからホロコーストなど嘘である」と主張していました。
直感的に、それらの細かい論点は全部出鱈目なのだろうとは思ったものの、あまりに細かい話ばかりで、当時無知だった私には具体的な反論はほとんど不可能でした。それは、『ホロコースト論争』の動画に対しても同様でした。全然知らない話ばかりなので、どうしようもありません。
しかし、日本語で細かくホロコースト否定へ反論したサイトもほとんど存在せず、ホロコーストの歴史自体をざっくり学ぶのは容易ではあるものの、否定議論のような細部の話には打つ手がなかなか見つかりません。
ただし、日本のネットでのそれらホロコースト否定派が使っている情報自体は、日本語のものがありました。「歴史修正主義研究会」だとか、「ソフィア先生の逆転裁判」(※現在はwebアーカイブ以外には存在しない)だとかいうサイトです。
どうすれば反論できるのかと考えあぐねていたら、知恵袋である人から、外国語のサイトに有名な反修正主義者のサイトがあると教えてもらったのです。
私は英語すら全然ダメで、Google翻訳ではちょっと意味がわかりにくかったところ、2020年の半ばごろにDeepLという翻訳エンジンが日本語化対応したとはてなでも話題になったのです。早速使ってみたところ、とんでもなくわかりやすい日本語を生成することがわかったので、「これなら理解できる!」となったのでした。ただし、当時のDeepLの翻訳品質は、2024年現在よりかなり低品質です。
また、その方は、過去に日本でもホロコースト否定への具体的な反論をしていたサイトが Webアーカイブに残っているとも教えていただきました。
どうにかこうにか、そのようにしてホロコースト否定へ反論するための武器を整えていった結果、約4年経過後の現在、note上には300記事以上もの反ホロコースト否定関係の記事があります。
noteは英文記事の翻訳が中心で、多すぎて何から読めばいいか分からないという諸兄には、現在休止中ですが、自分で起こした記事を中心としたはてなブログもあります。
ちなみに、noteで最もアクセス数の多い記事は、なぜか以下の記事です。なぜこの記事がダントツでずっとアクセスが多いままなのか、理由がさっぱりわかりません。
ナチスの縮んだ頭、人皮のランプシェード、人体から作った石鹸、人毛の織物? 伝説から真実を見極める(1)|蜻蛉
まぁ、最近ではホロコースト否定派に正面から反論しても大して意味はないか、と諦めています。単純にホロコースト否定派は頑迷なまでにホロコースト否定を信じており、新興宗教から脱会させるのが至難の業であるのと同じように、本当に無意味です。
ですが、Amazonレビューでは本当にそこそこ「参考になった」票を貰えていたので、その程度には役に立てたかなと自分なりには満足だったのです。100個以上付いてたものもありましたしね。
たまーに、それらホロコースト否定主張に反論していた私のAmazonレビューをTwitter上で評価してくれる人さえいました。
永久にレビューできなくなったのでその楽しみもなくなってしまいました。
あとは単に細々とこの趣味をnoteやブログで続けるだけですね。もしよろしかったら、noteでサポート(投げ銭)ください 笑
追記:
hazlitt 翻訳と称して他人の記事を転載してる note の記事は元記事の著者・掲載メディアの許諾と訳文の権利者を明記してください。権利関係が不明だと訳文の利用にもリスクがあるのでまともな人は参照しません
とありますが、もちろん著作権上の問題は認識しております。著作物を勝手に翻訳して公開することは著作権法に抵触するのは知ってます。
が、翻訳公開しているものは無料で読めるネット上の不特定多数に向けて公開された情報に限定しており、Google翻訳等の自動で翻訳してくれるサービスとやってることは変わらないと考えています。
もし仮に私の翻訳公開がダメというのであれば、Google翻訳等の自動翻訳サービスもダメなのではないのでしょうか?
日本にはフェアユースを認める判例はありませんが、とある場所で海外の方(著作者ではありません)に聞いたらフェアユースだからいいのでは?と返されています。
別に私の翻訳文を利用してほしいとも考えておらず、単なる情報の提供に留まります。私の訳文を例えば研究論文などに利用する人がいるなどとは考え難いことでもあります。
元リンクは示しているのですから、引用したいのであればそちらを利用して自分で翻訳するのが当然だと思いますが。
要は。
日本語で情報公開しないと、日本の多くの人が理解しづらいだろうから、単にボランティアでやってるのです。
それでもダメだとなるのであれば、Amazonレビュー同様、私はネットから去ります。そうなったら、もはや絶望しかありません。
自動運転の技術的障壁ってそんなトルクの緻密な制御とか一瞬のレスポンスでは全くなくないか
自動運転とは少し違うけど今の運転支援機能がICEだとEVより劣化するかっていうとそうじゃないじゃん
自動車用のバッテリーって車としての制約からエネルギー密度や充電速度にこだわってコストかけたやつじゃん?
V2H用の蓄電池は充放電繰り返し劣化も早いからそんなコストかけて突き詰めた交換しづらい電池である必要ないし
V2H用の重たい蓄電池を車の移動に常に積載する必要性もないわけじゃん
なんか2重利用で合理的に見せてるけど実は車としても蓄電池としても中途半端なのが実態じゃない?
経済性で見ても補助金115万もらえなかったら誰も導入してないだろうし
EVとICEの違いとしてあげられる点ってEVにどうにか意義を見出そう!っていう強引さを感じるんだよな
結局EVが技術革新によりライフサイクルコストがICEを上回るかどうか以外の論点は枝葉末節でしかなくて
近所の美容室で12年同じ美容師さんに切ってもらってたんだけどその人が辞めちゃってから
2年も経ったらもう髪も肩甲骨くらいまで伸びてて、
こうなると逆にそんなに伸ばしてたのに切るのかと思われないか不安で新規の美容院を余計に探しづらい
Twitterもみてるけど「中身の是非」について書いてる人少なすぎて笑う
結局出版停止に追いやられたのが別の出版社が発行したことだけしか興味ないってことじゃん
そもそも未成年に対する熟考しないでの早期治療はどうかと思うけど(ここ矛盾してるけど)
外科的手術をとっととやろう!という話ではなくてまずはホルモンブロッカーとかそういうのね
ピーチでは残念ながら、オンラインチェックインに対応していません。
オンラインチェックインとは、航空会社のウェブサイトの専用ページで予約番号や氏名などを入力し、搭乗手続きができるサービスです。
オンラインチェックインは、事前にチェックインを済ませることで、空港のチェックインカウンターに寄らずに保安検査場に直接進める便利なチェックイン方法です。
搭乗者がストレスフリーで搭乗できるというメリットがあり、ジェットスターや香港エクスプレス、エアアジアといった国内外のLCCで導入が進んでいます。
しかし、ピーチはコストカットを理由にオンラインチェックのシステムを導入していません。
オンラインチェックインのシステムはコストがかかり、アプリを作るのも手間とコストがかかると言います。
このことから、ピーチは、「搭乗者は空港の自動チェックイン機でチェックインしてもらった方が経営上の費用対効果が高い」と判断し、オンラインチェックインのシステムを導入していないようです。
インターネットの検索情報を見る限り、今後もオンラインチェックインのシステムを導入する見通しは立っていません。
このため、ピーチでチェックインする場合は、空港に設置されている自動チェックイン機を使いましょう。
「機械操作は何となく面倒だな…」という印象を持たれる方がいそうですが、心配はいりません。
ピーチの自動チェックイン機は、画面上にはじめから「ご予約時に取得したバーコードをリーダーにかざしてください」との表示があり、実際に予約確認書のバーコードをかざすと、予約内容の確認を経て、ものの5秒で搭乗券を入手できます。
多くの空港では、自動チェックイン機の近くにグランドスタッフがいますので、「チェックインできない」という場合は救いを求めましょう。
上記で述べたようにピーチでは、スマホによるオンラインチェックインはできませんが、自動チェックイン機を使うとスマホでもチェックインすることが可能です。
メールで送られてきた予約確認書のチェックインバーコードの部分を、スキャナーに当てるだけです。
スマートフォンは画面の仕様でスキャナーに反応しづらいことがありますが、その時はスマホ画面を指でスクロール(拡大)するなど工夫してみましょう。
この章は、本記事の中でも必読の章かもしれません。
なぜなぜ、これから紹介するスルーチェックインサービスは航空会社で一般的なサービスだからです。
スルーチェックインサービスとは、出発する空港で最終目的までの複数の搭乗手続きを一括して行うサービスのことです。
搭乗者は、目的地までの座席指定ができ、預け入れた荷物については、乗り換ぎ時に預け直すことなく、最終目的地で受け取れます。
LCCではジェットスターやエアアジアグループがこのサービスを導入しています。
例えば、ピーチで関西国際空港から韓国・釜山を経由し、そこで乗り換えてオーストラリアのシドニーに行く便に乗るとします。
普通の航空会社であれば、最初に搭乗する関西国際空港でのチェックイン時に、釜山からシドニー行きの便も一括して手続きするので、釜山で再び荷物を預け直す必要がありません。
しかし、ピーチでは、釜山に着いたらターミナルに行き、再度チェックインして保安検査を受ける手間が発生します。
関西国際空港で行った出入国および通関手続きと、荷物の預け入れも再びしなければなりません。
このことから、ピーチで乗り継ぎを伴う国際線に搭乗する場合は、時間に余裕のある旅程を組みましょう。
乗り継ぎに必要な時間は、一般的に国内線同士なら90分、例えで挙げたような国際線同士や、国際線と国内線の乗り継ぎの場合は2時間と定められています。
しかし、この時間は、悪天候や機材の不備などで遅延が発生した場合に、航空会社が補償する際の指標であり、絶対的な指標ではないことを念頭に置いておきましょう。
ピーチの遅延率は20%前後とされていますから、なおさらです。
なお、スルーチェックインサービスがないことは悪いことばかりではありません。
このサービスがない航空会社のチケットは安くなることから、「国内LCCのチケットの最安値水準」とされるピーチの評判につながっているとも言われています。
ピーチは、代理人・本人以外のチェックインが可能だが、好ましくない
前述の通り、ピーチでのチェックインは、自動チェックイン機を使います。
イメージして頂いたらわかると思いますが、自動チェックイン機でのチェックインは、スキャナーを使ってバーコードを読み込ませるだけですから、近くにいるグランドスタッフが止めない限り、バーコードさえあれば誰でも可能です。
この方法は、国内線でのみ使えます。オンラインチェックインがないピーチの場合、代理人や本人以外によるチェックインは、搭乗者に時間の余裕がなかったり、空港に到着する時間が遅れたりしている場合に有効でしょう。
しかし、こうしたチェックイン方法は、本人以外が飛行機に搭乗してしまう恐れがあります。
実際、海外の航空会社では、チェックインカウンターで本人によるチェックインを義務付けている航空会社もあると言われています。
一方、国際線では、どうなっているでしょうか。
結論から言うと、国際線では本人以外はチェックインができません。
なぜなら、国際線は、テロや犯罪者の海外逃亡といった事態を防ぐため、チケットを持っている本人以外は搭乗できないよう、空港で本人確認が厳しく行われているからです。
ピーチでも、自動チェックイン機でのチェックインにおいて、予約確認書のバーコードを読み取らせた後、パスポートの顔写真があるページをスキャンさせる行程があり、本人以外によるチェックインは原則できないようになっています。
ちなみにピーチには導入されていませんが、オンラインチェックインであれば、国際線であっても本人以外によるチェックインができてしまいます。
例えば、ANAの国際線のオンラインチェックインを見ると、事前に必要な情報は、予約番号、チケット番号、会員番号の3つだけです。
本人以外でも簡単にオンラインチェックインできることがわかります。
ただ、オンラインチェックインした後、預ける手荷物がある場合、空港のチェックインカウンターで預ける手続きをするため、その時にパスポートによる本人確認が行われます。https://www.airticket-center.com/peach/blog/about_check-in-2/
今まで色々なジャンルに身を置いてきたが彼女が生まれて初めての女の子の推しだった。
出会いはTwitterで流れてきた自撮りが可愛くて、リツイートしたあとに○○ちゃんって子可愛いと呟いた。その時は何も期待していなかったしすぐ忘れてしまうことだと思っていたが違った、リプライが返ってきたのだ。
今度無料でライブがあるから興味があったら来てねという趣旨。びっくりした、リプライ送っていいんだって。
予定を確認すると行ける日程で、悩んだ結果私は初めて地下アイドルのライブに参加することになった。
そこからあれよあれよとハマっていきライブ以外にも撮影会、配信やオンラインチェキ、オフ会にも足繁く通いお菓子から洋服までいろんなプレゼントもしていた。
私はどちらかというと同担拒否気味の気持ち悪いアイドルオタクだったと思う。もちろん嫌いなオタクもたくさんいるし、そんな人たちと一緒にされるのは嫌だ。だからこそ、嫌われないように言動に気をつけて、身だしなみにも気を遣うようにしていた。
おかげで多分、多分だけどオキニだったと思う。
体調が悪い時や病んでいる時は心配してくれた。
あげた服のセンスを褒めてくれるしバレンタインのチョコレートが美味しくて感動していたらしい。
それが嬉しかった。
推しと喧嘩したことのある人もいるかもしれないが私は推しとオタクが対等な関係なわけないと思っている、喧嘩するほど仲が良いは通用しない。一回喧嘩したら出禁に一歩前進だ。そう考えている。
気がつくと2年が経っていた。
今までのオタ活の中でも2年間も1人の人間を推すのは珍しい、だからこの時間がずっと続くと思っていた。
その反面、少しだけ薄々とその時が来るんだろうなというのは感じていた。
地下アイドルが人気を得るにはやはりSNSでバズるのが手っ取り早い、さらに言えば、言い方は悪いが脱げば割とインプレッションは伸びる、元々グラビアに力も入れていたしスタイルも良い推しにとってはチャンスだと思う。でも推しは違った。正々堂々ビジュアルで勝負しようとしていた。でもライバルは多く、可愛いのが当たり前な世界、なかなか上手くいかなかった。なかなか自撮りが伸びないと落ち込んでいたのも知っている。でも私は頑張って毎日自撮りをあげて、配信を頑張って、TikTokもやる気あった推しが大好きだった。
明らかに他のアイドルグループのが事務所に推されていても、推しより可愛くないアイドルがエロ自撮りでバズっても、現場から少しづつおまいつな人たちが減っても、頑張って応援した。いつか報われると思ったいたから。
ある時期から少しづつSNSの更新が減っていった。配信もしなくなり、TikTokの更新も減った。さらにオンラインチェキも人が集まる時間帯ではなくど深夜にやっていたりすることもあった。
私は不安で、でもきっと疲れているんだろうなとか、忙しいのかなとかそう思って自分を誤魔化した。
不安は的中した。
ある日、推しのツイートの通知をつけているためいつもと同じように通知が来ており、ラーメンを啜りながら私はなんとなくスマホを見る。
そこには推しがグループを卒業する趣旨のお知らせが添付されていた。
頭が真っ白になって、食べていたラーメンの味もよく覚えていない。なんなら味がしなかった気もする。
地下アイドルのグループ卒業や脱退なんて当たり前ではあるが、私は違った、だって初めての推しだから。
あれよあれよとラストライブや最後のオフ会、最後の地方遠征などの予定が決まり嵐が来たのかと思うくらい次々といろんな予定がたっていく。
私はそれを受け入れられなかった。
そんな中1組のアーティストに再熱した。
きっとこの人たちはずっとこのままでいてくれる、そう思って現実逃避のようにのめり込んだ。気がついたら通知をつけた推しのツイートから目を逸らし、おはようツイートにリプライもしなくなった。それでもなんか元気に生きていけたし、厄介なオタクや運営方針への愚痴などで落ち込まなくなったし世界が明るく見えた。
ある日なんとなく通知を見るとオンラインチェキの予約が始まっていた。なんとなくその日は話したい気分だったので久しぶりに推しと話した。
「そう言えば○ちゃん最近ツイートしないけど、浮上すると○○の話ばっかりしてるね、ウケる。でもそれで楽しかったら私も嬉しい。」
何を言われたのか一瞬わからなかった。
考えた結果、推しがこまめに私のツイートを見ていることがわかった。
そこからなんの話したか覚えてなくて、チェキもなんてコメントが書いてあるのか怖くていまだに見れていない。
正直、そんなこと言わないで欲しい。
私のことなんて見てくれなくていい、現実逃避してるだけなんだから、現実なんか辛いだけなんだから、当たり前じゃないか、あなたが居なくなるから私はずっとそのアーティストの話をしてる。
「辛いことは考えなくていいから他のライブ行って元気つけてもらってね。」
そう言ってくれた。
そんなこと言わないで欲しい。
現実逃避の世界は明るかった。でも辛い現実と向き合うと、通知をつけたツイートとも、おはようツイートへのリプライだって、ずっと見てたし私もおはよう、今日は洗濯物回さないとって言いたかったしインスタントラーメン食べたって話したら一緒だねって、私はずっとそういう話をしてたかった。
現実逃避しながらも度々推しのことを考えていた私はその度に自然とと涙が止まんなくなり、声が漏れて、気がつくと号泣していた。
これからの人生の決断をしてアイドルを一度卒業する人間にずっと今のままでいてなんて、そんな自己都合な感情をぶつけられない。ぶつけても何も変わらないし困らせるだけなのに、私は涙が止まらなくて、悲しくて、ずっと応援して優しく送り出してこれからも頑張ってねとは言えない。だってまだ応援したいから。
いつか、いつになるかわからないが、泣かずにこの話ができれば良いなと思い、ここに気持ちを昇華させるために記事を書いた。
わかっている。
20人くらい所属しているグループで、マルチの募集を私がかけても誰も反応しない。
でも他の女の子が募集するとそっちにみんな群がっていく。同じ女なのにこんなに違うのか。
なんでこんなに差がついたのかといえば、思い当たるのは一人の男性のメンバーと仲良くしすぎていたことな気がする。
その人も他のメンバーから腫物みたいな扱いをされていて、募集をかけても誰も来てもらえていなかった。
そういう扱いを受けた理由を聞いたら、協調性がないとかなんとかだった。実際一緒に遊んでみたが、私にとっては全く気にならない程度の内容で、その人のプレイスタイルに合わせてあげればいいだけだと思っていた。
私は全員に平等に接しようと思ってたし、上記の通り気にならないと思ったから、その人の募集にも顔を出していたんだけど、それが良くなかったらしい。
誰にも相手にされない変人の男と、そいつのマルチにいつも顔を出す女。
変人の男とは誰も遊びたくないから、自然と私とその人の二人きりでゲームをするようになっていく。
そうすると、いつも二人きりで遊んでるあいつらは付き合ってるんじゃないかとか、変な男と付き合ってる女もまた変なやつだから関わるな、そう思われるようになったらしい。
気が付いたら私もハブられていた。
なんならグループ自体がもう私と変人男しか顔を出さなくなった。
唯一、グループの中で一人だけ私にも変わりなく接してくれる人がいるが、表立って関わりたくないらしく裏でこっそり色々と教えてくれる。
一緒に遊ぶ時もグループではなく個通だし、その人も変人男とは関わりたくないらしい。
私にとっては、他の人が乗用車だとしたら変人男はちょっとクセのあるスポーツカーみたいな感覚でしかなくて、害もない。
付き合ってるんじゃないかとか言われてるけど、至って健全に一緒にくだらない話をしながらゲームをしているだけだ。他の人と遊んでいるのとなんら変わりない。
なんでみんなゲームで遊ぶだけなのにこんな面倒な事を裏でコソコソするんだろう。
面倒くさい。
なるべく離婚しない方が良いってんなら離婚にデメリットがある方が良いわけで、離婚すると親権を失うかもしれない単独親権の方が離婚しづらいじゃん。
なんかアメコミで見覚えのあるような展開が色々でてくるけど、元々のアメコミと比べると流れが滅茶苦茶すぎて感情移入しづらくて仕方がない。
一部でだけ人気がある漫画として密かに伸びる火ノ丸相撲みたいなコースならまだ分かるんだが、何度もアニメ化して世界各国で売れているのは意味がわからない。
ストーリーがちゃんと読まれずにその場その場のエモさだけえ評価されているにしたって、それでこんなに成り上がれるほどのパワーがあるとは思えないんだよな。
ドラゴンボールやAKIRAみたいな圧倒的なパワーが紙面から伝わってくるような漫画でもなく、緻密に作り込まれた世界観が想像力を掻き立てるでもなく、全体で見れば支離滅裂であっても個々の勢いが強烈というわけでも、キャラクター造形にオリジナリティがあるでも、絶対的な魅力を感じる人物描写があるでもない。
本当にただただ特にこれといった強みがあるってわけでもないけど、なんか知らないけど売れてるってタイプなんだが、それでここまで売れるのはちょっと偶然が効きすぎているように感じてしまう。
なんでこんなに売れているんだ?
色々考えたけど、日本の憲法って将来的には衰弱死すると思うんだよね
これをいうと護憲派も改憲派も怒るんだけど、まず前提として、日本において憲法を改正することは不可能だ
あれだけの長期政権を維持し、国会で改正案を提出することが可能であった安倍ですら法案すら出せず、死んだ
この先どんな右派政権ができたとしても改正なんて出来ないし、するメリットもない
そう考えると、日本国憲法はこの先も改正が一切されずに存続していくわけだけど、当たり前のこととして同性婚や自衛隊の規模など、現実との乖離が生まれることとなるのは今生きていてもわかる
そして時の政権としては下手に世論を分断して改憲するよりも、憲法解釈を少しずつねじ曲げていく方がはるかに簡単だ
例えば50年前だったら信じられないような「敵基地攻撃能力」や「空母保有」が憲法解釈という魔法によって可能になったわけだが、元を辿れば自衛隊を保持した時点からもう憲法9条は死文化していることが原因
ネタバレあり。
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オッペンハイマー、まず理解するのにアメリカ人の伝記物なので当時のアメリカの歴史を知っておく必要がある。さらにノーランのあまり説明せず、時間軸をぶった切るスタイルがすごいのでよりわかりづらくなっている。
話の流れとしては、1954年(カラー)と、1959年(白黒)の話の二軸になっている。
1954年、当時のマッカーシーの赤狩りでオッペンハイマーがソ連のスパイ容疑かけられて狭い部屋の公聴会で責められて、最終的に公職追放されるまでのところがメイン。その中でオッペンハイマーが自分の過去を回想するという形で原爆開発の流れが示される。
そして、ややこしいのは白黒で示されるストローズの話。あの白黒の場面は1959年のことで、オッペンハイマーは出てこない。当時ストローズが商務長官に任命されそうになり、公開の公聴会がひらかれている。アメリカでは長官に任命されるときに公開の公聴会が開かれてどうするか決めるというのを知っていないとあのシーン自体が何をやってるか全然わかんないんだよな。そしてその公聴会でストローズはオッペンハイマーを陥れたことを追求され、反対が多く長官になれなかったということが表現される。
このオッペンハイマーとストローズ2人が一番絡まるシーン、湖の畔でストローズがアインシュタインに無視されるところってのは映画では一番最初に出てくるが、戦後の話だってのもまぁわかりづらい。
それで、そういうことを知った上で見直すと、映画オッペンハイマーはオッペンハイマー自身と、ストローズという二人のキャラの話を混ぜているとわかる。
オッペンハイマーは天才で破天荒な女性関係が滅茶苦茶なのかとか、自分がどういう立場なのかわかっていながら共産主義関係者を積極的に絡ませたり…それこそ弟誘うの駄目だと思うんだけど…とか、そういうの。自分が大学院のころに世話になった教授が似たような超天才型で、それに振り回された経験があり、あー天才ってこういうところあるよね…自分勝手に好きにやるよね…って思った。そういうのもあって、本人に感情移入しづらかった。
そして、オッペンハイマーの原爆への後悔は、確かに後悔しているんだけど、後悔している自分に酔ってる、可哀想な自分が可哀想てのを表現している感を感じてしまった。これは愛人が死んだときの態度で表現されているようで、あそこも自分のせいで人が死んだこと自体は後悔してるけど、こんなに後悔してます!自分が悲しくて泣いちゃってます!慰めて欲しい!っていうオーラがすごい。
でも、自分かわいそう感の強さにうーんって思ってたら、作中でもトルーマンには馬鹿にされて、ストローズには後悔なんてしてないっていわれて、奥さんからも殉教者になる自分に酔ってるだろみたいなこと言われてるから、意識的に表現してるんじゃないかな…と深読みした。
それで、正直、オッペンハイマー自身よりも、ストローズの方がすごく魅力的に感じた。RDJの演技がすごい。まぁ政治家って時点で普通の人間ではないのだけど、人間性がずれてる天才と比べる形で一人の人間を表現していた。小物さ、狡猾さ、天才とは違う尊大さ、そういうところを会話や態度で表現していて、とても魅力的だった。もう一人の主人公…というか主人公が2人いると思ったし、この映画はオッペンハイマーを舞台装置にしたストローズの話なんじゃないのかって思った。
とにかく、すごい作品だった。見て良かった。
匿名で吐き出させてくれ。
それは6年前。昔憧れていた女の子と飲みに行って、夜もいい感じになったんや。
ワイが泊まってるホテルで飲み直し、そこからイチャイチャした雰囲気になりキスをして押し倒す。もう空気は出来上がった。
なのに、なのにだ。
マイサンが反応しない。
EDにはグレードがある。上がリンゴの硬さ、下はフニャフニャ。ワイはまごうことなきフニャフニャだった。
触られてもくわえられても、ずっとフニャフニャ。
最後は、「なんだかゴメンね…」って言われて帰って行った彼女の後ろ姿が忘れられなかった。
その後も性欲はあれどもギンギンになることは無く、自家発電はできてもフニャフニャを弄んで至る感じだった。これは良くないと思ってもそういうやりようしか無いぐらい、マイサンはフニャフニャだった。
あの日の失態があったのに、その子はワイの宿泊先で飲もうと言ってくれてた。もう失敗はできない。
次はもう彼女に恥をかかせるわけにはいかない。ワイは病院へ向かった。
行ったのはイースト駅前クリニック。断じて言っておくが回し者ではない。Googleで調べて宿泊先に一番近い病院がそこだったんや。
行くまでに、ED治療薬の種類(バイアグラ、レビトラ、シアリス)の特徴や特性は頭に入れておいた。フニャチン野郎のワイはこの中でも効果が一番高いというレビトラにするつもりだった。
ところが、世界的なシェアはシアリスが一番だという。効果の持続時間が長いため、コスパが良いからだろう。
しかし、何度も言うがワイはフニャフニャだ。この数年、ガチガチのマイサンも見てない。風俗すら行く勇気が無いぐらいのフニャフニャだ。
しかし、その子はワイの宿泊先に一晩いる。複数回致すチャンスがあるわけだ。持続時間は捨てがたい。しかし、シアリスで効果が無かった時に追いレビトラというわけにはいかない。ならば、初弾にかけてレビトラで行くべきか…。
そしてワイは、シアリスとレビトラを両方買った。両方ジェネリックだ。優柔不断が極まり、決めきれなかったんだ。
悩んだ。「レビトラ 飲んでみた」「シアリス 体験談」思いつくキーワードで調べまくった。
そして、最後は腹を括った。バーで会う約束をしていたので、飲食の影響を受けにくいという一点でシアリスジェネリックを飲んだんだ。
ED薬は別に性欲が増すわけではない。飲んでも特に変化はなかった。不安がつのる。
約束の時間。その子は当時と変わりない笑顔でワイの前に現れた。あの日、フニャチンのワイと別れたのにその笑顔。守護りたい。
バーからホテルに移り、飲み直す。ホテルでワイがベッドに身体を投げ出したら、その子はそっと隣に来てくれた。髪の匂いが鼻をかすめたその時。
ギンッギンである。
えっ?嘘?なにこれ。中学生以来かと錯覚するほどのギンッギン。
もうそこからは一直線だった。サガミオリジナルを素早く被せ、一回戦に進出した。
幸せだった。もう性交はできずに朽ちていくものとばかり思ってた。
そして、ベッドに横たわっていたワイ。この日までの悩みや日中の病院での薬チョイスでの葛藤などもろもろの気疲れもあったと思う。いつの間にやらまどろんでいた。
なんだか息がしづらい。ふと目を開けると、その子がめちゃくちゃキスしてきていた。そしてマイサンはギンッギンである。嘘だろ。さっき致したばかりなのに。どうやら、その子は一回戦がむちゃくちゃ良かったらしく、おねだりが始まったのだ。いや、一回戦が消化不良だったのかもしれない。だけど、今あるのは二回戦のプレイボールを求める強い意志だけだ。
二回戦。人生においてもそうそう無い二回戦進出だった。県大会初戦敗退のような自分が全国大会で勝ち残れた、そんな気持ちだった。ワイは全力で致した。
そして翌朝も致した。朝立ちすら近年無かったワイが、前日に2回致しているのに朝からストロングスタイルで盛っている。もはや自分ではないようだった。
わざわざ増田したのは、フニャフニャでもシアリスで満足できるという情報が見つけられず、あの時不安だった自分と同じように情報収集している誰かに伝わればと思ったからだ。病院の口コミにはバイアスがあるかもしれないと不安な人もいると思う。ワイもそうだった。
自分の中でこれは良かったかも、と思うのはとにかく腹を空かせて空腹状態で服薬したことだ。そして、それから2時間は水分のみ。致したのは5時間後だったがしっかり成分が回っていたおかげか十分に効果を感じることができた。
男の自信は年齢と共に失われるものだと思うが、一粒の錠剤で景色が変わることもあるからチャンスを逃したく無いと悩む男性各位に、一つのケースとして読んでもらえたら嬉しいなと願う。
普通の会社でアラフォーっていったら管理職とかやってるベテランだし、下手したらそれよりも年上の他業種未経験、実績なしのワナビーは採用されないよ。
自分より若い管理職の立場に立ってみても、年上の未経験者(しかも一昔前の同人経験豊富で熱意だけはあるオタクワナビー)と働くのは嫌だと思うよ。
たいていの会社の地方支社って、コールセンターとか単純労働部門を置いて安い時給で現地のアルバイトを採用してコスト抑えるか、その地域の優秀な学生で地元から離れたくないタイプを囲い込むか、東京で編プロとか出版社に勤務してたけどUターンJターン考えてる人を取るのが目的であって、現地で仕事がない未経験者ワナビーのための慈善事業ではないことを理解したほうがいいと思う。
「編集者を希望する若い方々に現地採用の門戸を設けて頂ければ幸いです」 とか言うのもさ、増田がわざわざ言うようなことじゃないよ。
優秀な若い人になら増田が心配するまでもなく門戸は空いてるよ。東京の企業で働けるレベルの実力があるけど地元から出たくないor地元に帰りたい若い人にはね。
なんか言ってやった感出してるけど、結局自分が相手の需要に合わなかっただけのことを「悪徳企業が年齢とか職歴とか地方出身だからとかで差別して不当に門戸を閉ざしてる」と解釈して安心してるよね。
地方の人って、地方だから不利ってのを言い訳にしたがるけど、九州因習村出身の女性でも親の反対押し切って東京に出て、学歴はなくても若さを武器に編プロバイトから下積みしてる人はいるんだから、そういう人と比べてガッツがないのは否めないよね。そういう人たちと比較されて判断されてるんだよ。他人と横並びで田舎から出られず特に突出した能力もないワナビーを救済する義務なんて企業にはないからね。
漫画編集って全国区で読まれるものを作る仕事なのに、田舎の価値観に縛られてる時点でアウトじゃん?
むしろ、増田が地元でローカル漫画プロダクション作ればいいかもね。よくある因習村でドアマットヒロインがひたすら耐えるようなやつ、増田の地元ならリアリティがあるかもしれないし。
まあ、確かに先方の人事の態度は悪いように書かれてるけどさ。
冷静に考えてみてよ。一度エージェント経由の書類で落としたワナビーおばさんが現地支社に友達のツテ使ってまでゴリ押しでバイト応募してきた段階で、最初からネガティブ評価になるのは当たり前では?仕方なくミーティングの場は持ったものの「やっぱ無理だから断っといて」って現地の担当者に言って終わり、それで現地の担当者が増田に言いづらくて放置(作家さんの友達だし、断ったら逆恨みされそうで怖い)って流れが目に浮かぶわ。
それと、オンラインだと目線合わないのも普通にあるよね。先方が見てるのは画面でありカメラではないから、微妙に目線ずれて当然。
増田も画面見ながら相手の目を見て話してたかもしれないけど、カメラからは目線ずれてるから向こうとは目はあってないよ。
画面での目線が合わなくて話しづらくなるって、オンラインコミュニケーション力が弱すぎるのでは?それでコミュ力に自信があるってのもよくわからん。
ウィリアム・モリスの講演「芸術の目的」における分業と競争に関する言及(https://www.marxists.org/archive/morris/works/1882/hopes/chapters/chapter4.htm)
Will you, therefore, look upon me as a craftsman who shares certain impulses with many others, which impulses forbid him to question the rules they have forced on him? so looking on me you may afford perhaps to be more indulgent to me if I seem to dogmatise over much.
Yet I cannot claim to represent any one craft. The division of labour, which has played so great a part in furthering competitive commerce, till it has become a machine with powers both reproductive and destructive, which few dare to resist, and none can control or foresee the result of, has pressed specially hard on that part of the field of human culture in which I was born to labour. That field of the arts, whose harvest should be the chief part of human joy, hope, and consolation, has been, I say, dealt hardly with by the division of labour, once the servant, and now the master of competitive commerce, itself once the servant, and now the master of civilisation; nay, so searching has been this tyranny, that it has not passed by my own insignificant corner of labour, but as it has thwarted me in many ways, so chiefly perhaps in this, that it has so stood in the way of my getting the help from others which my art forces me to crave, that I have been compelled to learn many crafts, and belike, according to the proverb, forbidden to master any, so that I fear my lecture will seem to you both to run over too many things and not to go deep enough into any.
19世紀の芸術家であり社会思想家でもあったウィリアム・モリスは、1880年に行った講演「芸術の目的」の中で、分業と競争が芸術に与える悪影響について鋭い指摘を行っている。モリスは自らを「多くの職人と衝動を共有する一人の職人」と位置づけた上で、かつては商業の下僕だった分業が、いまや文明そのものを支配するまでに至り、本来は人類の喜びと希望、慰めの源であるはずの芸術をも困難な状況に陥れていると訴えた。
モリス自身の仕事も例外ではなく、分業の弊害により他者の助けを得ることが難しくなり、多くの技術を学ばざるを得なくなる一方で、どの技術も極められなくなってしまったと吐露している。
この指摘は、現代の音楽制作における問題にも通じるものがあるのではないだろうか。チームの肥大化と制作規模の拡大に伴い、個々のクリエイターの芸術性が発揮しづらくなり、音楽のおもしろさが失われていくのではないか?分業と専門化が進むほど、全体を見渡せる人材が不足し、音楽の芸術性が損なわれるという事態が、いま起こっているのではないか。