はてなキーワード: MbSとは
2024年3月31日(日)放送のMBSのドキュメンタリーだけど生で見られなくて配信まだかなぁと待ってたらTVerに来てた。
https://tver.jp/episodes/ep706l9a50
労組と弾圧~関西生コン事件を考える~ | MBSドキュメンタリー 映像’24 | MBS 毎日放送
https://www.mbs.jp/eizou/backno/24033100.shtml
ウクライナやガザを映したドキュメンタリーみたいに特別な映像があるわけではないのに、見てて緊張感覚える構成で迫力があった。経営側が警察と右翼と暴力団と四位一体となって労組潰しをする様子が描かれる。
最初に「連帯ユニオン関西生コン支部、通称‟関生″」がアメリカでは普通の産業別労組として生まれて労働者の待遇向上を勝ち取ってきた歴史。
続いて生コン企業が作る経営者側の団体「大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域)」と対決し潰されていく過程。関生のゼネストからの官財暴の連携の鮮やかさが怖かった。大量逮捕された組合員は警察の取り調べで「関生を脱退すれば釈放されるぞ」と脅されていたという。
見どころは右翼活動家に直撃インタビューして「大阪広域の木村理事長にお願いされて毎月70万円で関生を潰す活動をしてた」と話す場面。大阪広域は金銭の支払いを認めず。
終盤の展開は逮捕された組合員たちがぞくぞくと無罪判決を勝ち取っていき希望が見えるが、元警視総監は「無罪が出ても警察に後悔はない。組織暴力と変わらない」と言い放つ。そして無罪判決は上告審で高裁差し戻しになって終わる。戦う労組の将来の暗さが暗示されて陰鬱な気持ちになる。
zyzyのこの件だけど。
【速報】「中学生らが大学生から金品奪おうとしたか…」強盗致死事件で14歳の女子中学生ら逮捕 逃げた男性(22)は建物から転落死 | MBSニュース
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20240307/GE00055950.shtml
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.mbs.jp/news/kansainews/20240307/GE00055950.shtml
zyzy 中学生に手を出そうとする大学生、言っちゃなんだが死んで当然なので、ざまぁ案件でしかないし、これはセーフとするべきでしょう。2024/03/08
zyzyはツイッターでアカウントを凍結されてきたjijiで、今は@nekoballonにいる。
jijiはフェミニストというけど、トランス差別をしているトランスヘイターとして有名。
トランス女性の自殺率がシス女性より遥かに高いのは、zyzyのようなトランス女性を執拗に叩いている連中がいるから。
トランス女性を叩いてるのは、フェミニストを名乗ってるシス女性にも多い。
zyzy流に言うと、トランス女性からシス女性が殺されても、「死んで当然なので、ざまぁ案件でしかないし、これはセーフとするべきでしょう」となるのかね。
少なくともzyzy流に言うと、zyzyがトランス女性に殺されても、トランスヘイターが殺されたので、ざまぁ案件でしかないと言われても仕方ないし、自業自得となるだろう。
ちなみに、zyzyがフェミニストと言うのは、今のフェミニズムはインターセクショナル・フェミニズムの第4波で、
このブコメ欄が一切の根拠もなく「こういう意見を選んだだけ」「チェリーピッキング」みたいな信じたくないムーブになってて草生えるんですけど。
これ、「だから大阪の人は悪くないんだ」みたいなフォローのようだけど、じゃあこれが実際に大阪の多数派だったらどうするつもりなの?
ネットの意見は東京中心に偏りがち(首都圏の人口が多いので)で、リアルの他地域とは全然違うということが普通にある。
ここだと蛇蝎の如く嫌われている維新が支持されているのもそう。
自分たちこそ常識で普通で正しい側だというのは驕りで、住む地域が違えば常識が違う。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/296754
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-12-18/2023121801_01_0.html
「膨大な量。本当に心が折れそうでした」自民党の裏金疑惑を刑事告発、上脇博之教授が語った『正月返上の収支報告書チェック』きょう国会閉会、捜査の行方は
https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2023/12/098069.shtml
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20231210/pol/00m/010/005000c
23/12/19(火) 12:00頃でブクマの数で取材記事トップは何かと話題の望月記者。この人結構批判されているんだけど、ジャーナリストとしての取材能力は高いんでないの?それとも左側といわれるはてぶと親和性高いからかね?
1stガンダムはティーンエイジャーのアニメファンを中心に受けたが、その後のガンプラブームではより低年齢層にリーチした。
これらはガンダムではないが、ガンダムの商業的成功の影響下で作られ、その後の続編ガンダムにも様々な影響を与えた。
アムロとシャアの物語が一段落。これらに馴染めない尖った人は雑誌連載の『ガンダムセンチネル』(1987年~1990年)に流れたが、そちらもその後のガンダム(ガンプラ)に大きな影響を残す。
BB戦士が本格的始動、SDオリジナルの『SD戦国伝』が始まったのが1988年。既存のシリーズファンが高齢化する一方、こちらは若年層を獲得。一時はリアルガンダムを抜いて商業展開における大黒柱だった。
かなり長期間(『08小隊』の完結は1999年)になるので時代で括るには難しいが、括られがちなので括る。宇宙世紀の解像度が高まっていく。『08小隊』はリアルガンダムリバイバル期にも重なる。
元々は『F91』の続編として翌年1992年にTVシリーズ『F92』が予定されていたが、紆余曲折あり『Vガンダム』に。リアルガンダム冬の時代扱いされがち。
『Vガンダム』の後番組枠ながら宇宙世紀から他の世界線に舞台を移した3作。ファン層を広げる。
1stを中心としたリアルガンダムへの需要が再び高まる。ガンプラでは1995年に『MG』、1999年に『HGUC』展開開始。ゲームでは『ギレンの野望』など。宇宙世紀人気は『UC』などを経て現在まで続く。
雑誌『ガンダムエース』が2001年に創刊。『ガンダム THE ORIGIN』も『ガンダムUC』もここから。よくわからない宇宙世紀の設定が生えていたら大体ここ発。
女性層、若年層などに強く訴求。以降MBS系での放映続く。宇宙世紀のリバイバル人気と両輪でここらからガンダムというIPのギアが一段階上がる。
TVシリーズのガンダムが新しい層に向けて作られる一方、ジオン残党みたいにしぶとく宇宙世紀ファンに向けて作られる作品群。
ファンの若返りを図り、それまでの『SEED』、『00』とあまり層が重ならないためこういう印象になる。
スレッドが立つと関東が中心だからか時間帯の問題もあるけど話題が噛み合わない
特に昨日のかのかり~デキ猫までMBSとTBSで微妙に時間ズレがあったせいで実況スレッドが関東中心だから関西民が書き込むとどうしてもズレる
違和感が凄い
といってツイッターを覗くとやっぱり関東民中心で関西はハッシュタグに関西民であるようなマークを付けてて借りてきた猫みたくなってて不愉快極まりない
同時実況って同じ時間帯のはずなのにほんのちょっとだけズレ込んでるから共有できなくてつらい
これがBS11だったら全然違和感ないんだけど地上波なのにTBS系列だけ時間をズラすから実況がし辛い
変な事するなよ、MBS。丸山かもしれんがTBSイジメしたいんかもしれんけどそれならMBSが関東放送局に負けない速さで放送するか日にちをズラす、つまり一日遅れじゃなくて一日速い放送を目指せよ
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
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今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?
旅行先のホテルで普段テレビ見ないのにチャンネル回してご当地番組見る「アレ」。
最近は各テレビ局がYouTubeにニュースの一部または全部をアップロードしてくれており、
それを見ると僅かながらだが、自宅でも同じ気分が味わえることを発見した。
しかし自分はテレビ局に詳しくないし、網羅しているまとめサイトも無かったので、見つけ次第チャンネル登録するようにしている。
最近はG7の影響で広島のテレビチャンネルを網羅できた。(気がする)
以下は自分が把握しているニュースチャンネル。ANNとか全国区もあるのは許して。
「地元のテレビ局のチャンネルがない!」とか「これ抜けてる」とかあればコメントほしい。チャンネル登録させていただきます。
https://note.com/yoppymodel/n/nfb5ed80ea890
思ったことをつらつら書いてみる。
ちなみに隣の県在住。たかじんや紳助のベタベタなヤンキー臭は大嫌い。
確かに橋下徹が府知事になる前後は関西メディアはこぞって支援していたし、そこにはルサンチマンがあったと思う。
アンチ巨人みたいなやつね。
当初は当時の民主党ともダム問題とか地方分権とかのポリシーでうまくやっていた。
そのうち橋下徹がメディア環境もあってアイドル化するにしたがって、勘違いし始めて強権化し始めたので、メディア、特にABCやMBSが距離を置き始めた。
すでに吉本とよろしくやっていたし、関西の昼間から夕方にかけての情報番組は吉本のタレントなしでは成り立たない状況。
今でも、御堂筋のライトアップイベントにダウンタウンが呼ばれるくらいだし。
ちなみに、今、大阪城公園の管理を任されているのは電通や読売テレビなど。
https://www.osakacastlepark.jp/articles/detail.html?id=187
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25062390V21C17A2LKA000/
興業と政治とメディアはいつでも癒着しているし、利権を差配するもの。
読売テレビは相変わらずだけど、MBSやABCが関テレとほぼ逆な立場をとっているのは笑える
だって、関テレの夕方のニュースには数年前まで、青山繁晴や有本香がコメンテーターとして出ていたんだよね。
今の関テレのニュースには、テレ朝のモーニングショーに出ているコメンテーターがしばしば出るのよ。
それを元にした作品にハケンアニメ!があり実写映画化もされたりした。
円盤の価格は、例えばぼっちざろっく!を基準にすると¥5,000~¥6000だ。
一般の歌手のアルバムを今時買う人も少なくなっているのだが、買う人は複数形態を購入する場合が多数であり二形態くらい買うだろう。3000円くらいだとすると2枚で6000円になる。
世間で「そこそこ」人気で「ミリオンとかじゃないけど」「時々歌番組にでるアイドルのアルバム」が30万枚くらいだ。
アニメ円盤売上で覇権とは言うが、数字をちゃんと俯瞰すると、動かす経済圏や人数はアニメ円盤基準だと狭すぎやしないだろうか。
どう考えても楽曲を制作するよりアニメを制作するほうが金はかかるので返ってくる金額が少なすぎる。1億ちょっとじゃ都内でちゃんとした家も買えない。
そうなるとアニメ商売に視聴者数が多い配信事業は欠かせないものであろう。
「視聴者一人あたり円盤の売上があるわけではない」が「総数が多ければお金は入ってくる」。
ボンズはそのやり方で視聴率も円盤も伸びずMBSに蹴られたヒロアカを制作し続けてきた。
グッズ売上なども考慮されてくる。または原作売上がのびれば出版社が出資という形を取ることもできる。
メディアミックスは「原作ありのアニメ」だけではなく沢山のメディアで利益を生み出すことが重要なのだろう。社会現象はここまでを含めなければいけない。
上記のことは誰でもわかっているのだろうが…
にしたって令和5年、2023年にもなって円盤売上で煽り合う文化が未だに残り続けているのは少々異様である。
さらに言えば未だに「オリコン」を基準にしているのも不可思議だ。
オリコン加盟していない独自店舗で販売する会社も多く、時代らしい取り組みだ。
配信抜きでもCD売上を基準に見ると、ビルボード集計のほうで数万枚計算に上ブレが出たりするので、もうアニメ円盤界隈以外ではオリコン基準を古いものだとする流れができている。
要するに円盤売上の数が数年前よりもさらに正確に把握できない状況になったはずなのだ。
(もちろん制作側は実数を知っているので、コケた成功したが消えるわけではない)
アニメ円盤売上を注視する界隈は、他の売上を見守っている界隈からも大きく取り残されている。
さらに独自ルールの計算方法を作り、サイトにまとめて「議論」しているのだ。
そこのルールブックにはデータが分からないような売り方をしたアニメが悪いような言い方で解説されている。何一つ建設的ではない。
そもそもアニメ円盤より、人気の洋画とかが特典付き1万円とかで凄い枚数売れてたりするのだが、そこであまり言い争うようなものを見たことがない。
円盤にこだわる彼らは一体そこでなにをしているんだろうか。
映画ハケンアニメ!は大規模に公開され、SNS口コミを頑張ったので名前は聞いたことが多いと思うが、実際のところ売上は1.8億のところで記録が止まっているほどの大コケ映画になった。
原作が発売されたのは2014年で、その時点でも少し題材として古かったかもしれないが、
俺も、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、千葉県の船橋あたりで生活していた。千葉県はカスだ。東京まで微妙な距離のせいで、逆にオシャレを履き違えているやつらだらけ。茨城のゴミ共もいるおかげで、余計に田舎者ムードは高まっていた。特に地元の船橋民が嫌いだった俺は、三国志大戦などをやるためにわざわざ津田沼エースまで行っていた。今思うと津田沼は津田沼でゴミみたいな街だったが、船橋よりはマシというところだろうか。あと、俺はオタなので秋葉原が微妙に遠いのが嫌だった。総務線で一本とはいえ、微妙に遠い。かといって千葉のオタショップはやはり、品揃えの面で大きく劣る。飲食店は何一つとしてとりえのない、個性のない「退屈な街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。
私が住んでいた地域には大学があったのか覚えていない。競馬場はあって、薄汚いおっさんが娘の給食費を無駄にするために通ってきていた。市立船橋高校はスポーツが盛んで、イキリ散らした民度の低いカスみたいなスポーツマンたちが船橋を不快な街に育て上げていた。あと、船橋高校のゴミどもも、もっと渋幕とかに行けばいいのに頭いいような面してイキリ散らしながら歩いていた。自然豊かといいつつそれは小室とかいう飛び地の話で、友達がそのへんの団地に住んでいたのだが、子供心に「こんななにもねえ田舎に住んで何が楽しいんだか」と考えつつ、スマブラをやりに行っていた。俺も競馬場に通うおっさんたちと同じ、人生を無駄にするのが好きな人間だったと言えるだろう。
小学校の時は色んな道徳教育を受けた覚えがあるが、ある日、うちの親戚のおっさんが登壇して「阪神淡路大震災の記憶」を語っていた。俺は幼心に、いや、お前関西住んでたっけ?と思ったが、無事に講演は終わり、無意味な感想文などを書いた。のちに親戚の集まりで、おじさんは講演会の人が来れなくなったので代打で登壇したと聞かされた。「わかりゃしねえよ」とのことだったが、まあどうでもよかったのでそんなもんか、と思い今日まで忘れていた。俺と震災には深い結びつきがあったと言えるだろう。
高校生にもなると、俺は自由だった。エスカレーター式の東京の学校に入学していたので、誰も受験勉強なんかはしていなかったのである。そんな中で、一学年上の先輩にとても頭の良い人がいた。そう。割れ厨である。エロゲや音楽を無料あるいは格安で手に入れてくれることは後輩の俺達にもすぐに知れ渡った。サブスクの走りみたいなものだ。ちなみに、その先輩は生徒会長だったので、なんか体育祭で頑張った的なスピーチをしていたことを鮮明に覚えている。その次の年に起きたのが、東日本大震災だった。
震災当時、俺は秋葉原にいた。試験も終わり、余裕綽々でカードショップで萌え萌えなスリーブを買い漁りに行っていたのである。その時、震災が起きた。スリーブはあたり一面に散らばり、混乱の中、店員さんに言われ、店の外に出た。駅に行くと、そこには人が沢山いた。だがしかし、電車は動いていなくて、そこで東北で大震災があった、という情報を聞いた。
震災なんてものはどうでもよかった。ただ、俺の心配は家に帰れるかどうかだった。録画していなかったのだ。その日、放送される「まどか☆マギカ」を。深夜だしリアタイ視聴余裕という慢心があったのだ。しかも、当時は確かものすごく盛り上がる10話の放送を控えていた時で、まどかを見られるかどうか、というのは俺の死活問題であった。あと、まどマギとか略すやつは当時のオタ仲間の間ではにわかの象徴だった。
さらなるハプニングが俺に起きた。ゲームのやりすぎで俺のガラケーは充電がなかったのだ。その上、萌えスリーブを買いすぎていたせいで、財布には100円の金もなかった。コンビニで充電器も買えやしない。もちろんクレカやキャッシュカードなんて持ってなかった。電車が動く気配はない。俺は、仕方無く歩いて帰ることにした。ぞろぞろと、他の帰宅難民の秋葉のオタクたちと共に。
途中で、公衆電話を見つけたので、並んで家族に無事である旨を伝えた。だが、当時オタバレを嫌っていた俺はプライドから、録画を頼むことはできなかった。まどかマギカくらいで何を、と今の世代は思うかもしれないが、当時はまだオタ差別は著しく、まどかマギカなどという萌えアニメを見ていることがカミングアウトできなかったのだ。
数駅くらい、歩いたところで俺の体力は尽きた。帰るのがダルくなったと言ってもいい。周りの人間たちから漏れ聞こえる被害状況を聞くに、心のどこかで動くと思っていた電車も、動かないことがわかってきたからだ。俺は近くのスーパーでなけなしの金でバナナを買って、フードコートの水を飲んで飢えと乾きを満たした。まどかマギカの10話が見られるかが心配で、その次にそもそも今日、どこに泊まるんだ?という思いがあった。
ということで、俺は近くの駅のポッポ屋さんに聞いて、避難所の小学校を紹介してもらった。たどり着いたのは、夕方ごろだろうか。そこには、俺と同じ帰宅難民のリーマンが何人かいた。俺が一番若くて、寝床のマットレスを運んだり、先生たちの手伝いをした。教室備え付けのテレビで、炎に燃える気仙沼を見て「関係ねえな、明日も仕事行かなきゃ」と語っていた、リーマンのおじさんの茫漠とした表情をよく覚えている。夕飯は乾パンだった。
夜。少し冷静になって。俺は件の割れ厨の先輩のことを思い出した。学校近くの公衆電話から、まどかマギカの録画を頼むために、俺は駆けた。「大丈夫だよ増田くん。MBS版はもう放送されてるからね。違法うpされたデータ回すよ」。先輩は、相変わらず元気そうだった。俺は大いに安心して、また気仙沼の火事を見に学校に戻って、ちょっとまた先生たちを手伝い、制服のブレザーをかけて、教室で眠った。
翌日、なんとか帰宅したが、普通にまどかマギカは10話以降放送延期になった。あ、あと親戚が2人ほど死んだ。例の阪神淡路のスピーチをした親類もそこには含まれていた。
そして大人になったある時、友達に誘われて行った飲み会で、誰からともなく東日本大震災の話になった。その飲み会には東北出身者が多かったので、彼らは当日の様子を思い出して話していた。親戚や家族が死んだこと、放射線関係で差別されたこと。
その会話の中で、参加者のひとりが「〇〇さん(私)は東京だから、こういうの想像できないかもしれないけど…」という言葉を発した。俺も被災者だから分かるよ、と返すと、彼は「何言ってるんですか」と少し笑った。歩いて駅まで帰ったんやぞ、まどかマギカのために。と嘘をつくと、彼は気まずそうに「なんやアンタ」と呟いた。
彼は俺より少し年下だったから、もしかしたらまどかマギカのことをリアルタイムでは知らないのかもしれない。劇場版から入ったにわかかもしれないし。彼のことを個人的に責めようとは思わないが、そうか、忘れられているのか、という虚しさが心に残った。
俺は今、違う場所で暮らしているけれど、今でも自分が育った千葉はゴミクズだったと信じている。そもそも秋葉原から遠くなければ、俺も簡単に帰宅してまどかマギカの録画云々なんて悩まなくてよかったし、千葉のオタショップの品揃えさえ充実していればよかったのだ。
俺も、30歳になった。平成初期に生まれた私たちは、Z世代や氷河期世代両方から馬鹿にされる「最悪の世代」だと言われている。確かに、地震は俺にとってすごく身近な問題であり続けてきた。だけどこれまでの人生、別に24時間365日「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」と思いながら過ごしてきたわけじゃない。忙しい日常を生きていると、震災のことを全然考えない日がほとんどだし、まあ今になるとまどかマギカとか大した作品じゃねえな、と冷静な評価を下すこともできる。でも、震災の時にふと過ったあの感情を、たまに思い出したり思いださなかったりするのだ。リーマンってなんで震災翌日も働くねん、という。
まああれだ。震災は一時のスリルというエンタメとしては面白かったが、アニメの放送延期からわかるように日常生活に大きな影響を与えるのは間違いない。
そして、俺は思うのだ。
サムゲタンとかディスク割ったとかかんなぎとかの話でててギョッとする。
10年以上前の話がまるで昨日のことのように語られるはてな、マジでインターネットのタイムカプセルだわ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%B4%9A%E7%94%9F2
https://ja.wikipedia.org/wiki/さくら荘のペットな彼女
2012年10月から2013年3月までMBS、TOKYO MX、tvk、テレビ愛知、アニマックスにて放送された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%8E_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)