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はてなキーワード: 過去形とは

2022-10-11

anond:20221010215654

マイナスゼロ広瀬正

日本戦後から戦前へ向かうタイムトラベルもの

SFとしても面白いんだけど、自分の生きていない時代のはずなのに妙にノスタルジーを感じる緻密な描写が秀逸。

広瀬正は「小説タイトルで損をしている」とよく言われるSF作家。故人。

1972年没だが著作権が死後50年から70年に延びたので、まだしばらくは無料では読めない。Kindle版あり。

『転生ごときで逃げられるとでも、兄さん?』紙城境介

なろう発。未完、かつ半年ほど更新されていない為注意。

俺はWeb版を読んだんだけど、仕掛け上書籍版で読むと大分違った印象になる気がする。

あんまり言うとネタバレになるけど、異世界転生ものとしてはかなりごった煮感がある。

海辺のカフカ村上春樹

村上春樹作品は(俺はあまり読まないんだけど)、2人の主人公が章ごとに語り部を交代しながら物語を進めることがある。

この作品もその一つで、かつそれが上手く機能していると感じられる。

たとえば、一方の主人公は徹底して過去形を用いるのに対して、もう一方は頻繁に現在形を用いていて、その時制の違いが一種舞台装置になっている。

時制一つでこうも文章に対する印象が変わるものなのだなあとか、小説書きの立場で見ると興味深い。

ただし、海外文学翻訳したような独特の春樹節はやっぱり鼻につく。

anond:20221011013125

今は監視体制確立して工事兆候があればすぐ座り込みカヤックでのブロックができる体制が構築されてるんだよ

工事時間帯での抗議を行うのにどれだけの手間と時間がかかっているのか、そういう事情理解せずにいちゃもんつけてるのがお前らウヨなんだよね

監視はずっと続いているし抗議もずっとしてる

過去形も何も現在進行形しかない

anond:20221011012334

ほらまた過去形さらっと取り入れてごまかそうとする

言い訳ごまかしの類があったら共感は得られません

沖縄県民以外の共感不要ならひろゆきやそれに同調する連中が何を言おうが関係ないはずだろ

お前らみたいないのが絡まなければ、あいつらはすぐ次の話題に移るわ、信念持って批判してるんじゃないんだから

ただただ、お前らみたいなのの言い訳ごまかしが世の中に広まっただけだったな、残念

これ以降、お前が何を言おうが言い訳ごまかしのイメージが世の中に広まった事実が動かないし、覆ることもない

から、もう絡まずほっとけよ、そうすればみんな忘れちまうんだから

でも、また誰かれかまわずに絡んでいくよな、悔しくて悔しくて仕方ないか

2022-09-07

anond:20220906134333

Simeji」は、それはそれは行儀の悪い、半ばマルウェア呼ばわりしたくなるような迷惑ソフトウェア代表格・・だった(もう過去形なのか?)

2022-08-23

N君は夜行バスに乗って

anond:20220822215327

夜行バスの思い出を気紛れに綴っていたら、連想ゲームのようにN君のことを思い出した。これも何かの機会だと思い、ここで書き残すことにした。予め断っておくと、ほとんど夜行バス要素は無いし、N君という呼び名も、星新一式のニュートラル呼称であり、実名イニシャルではない。

N君は、高校同級生で同じクラスだったが、特に俺と親しかったわけではない。俺の記憶の中のN君は、優等生でも不良でもなく、運動部所属でも文化部所属でもない、あまり目立たない帰宅部の生徒だった。

ここでド田舎高校あるある話を解説しておくが、当時の暗黙の了解として、生徒は部活動所属すること、しかも、運動部が最も望ましいとされていた。文化部は、運動部より一段低く見られ、帰宅部となると、教師保護者から胡散臭く見られるという始末だった。俺はといえば、オタクのくせに無理をして運動部所属し、体育会系集団と校内オタク集団の間を、コウモリのようにフラフラしていた。

そんな風にド田舎同調圧力に屈していた俺から見ると、校内のどのようなコミュニティにも属していないように見えるN君は、孤高というか不思議存在だった。

N君は、俺を含めた同級生との休み時間放課後の会話に、自ら積極的に加わったりすることは無かったものの、会話をする機会が有れば、分け隔てなくフランクに接して明るく話す程度には社交的だった。俺も他の同級生も、N君を特別に好きだったかどうかはともかく、特別に嫌ったりはしていなかった。帰宅部にも関わらず、運動部所属する生徒たちから見下されたりするということがN君はなかった。優等生でもなかったとは書いたが、話し方や物腰を思い浮かべるとN君の頭が悪いとも決して思えず、むしろ頭は良さそうに俺には見えた。

特にしかったわけでもない俺の、N君に関する記憶や印象は、おおむね以上のようなものだった。

在校中の特筆すべき思い出を残すことも無く、高校卒業して実家を出た俺は、田舎の度合いが出身地と五十歩百歩ぐらいの、他県にある大学へと進学した。

大学夏休み実家帰省してゴロゴロして怠惰に過ごしていた俺に、親は「在校中にお世話になった顧問先生に、挨拶ぐらいしに行け」と言った。仕方なく俺は、運動部OBとして母校に顔を出し、OBらしく後輩たちにアイスクリーム差し入れを振る舞ったりした。母校での野暮用を済ませ、帰宅するために母校から最寄りの駅へと向かった俺は、その途中で、偶然にもN君に再会した。市外から汽車(ディーゼル列車田舎ではこう呼ぶ)で片道一時間強かけて通学していた俺と異なり、N君の家は母校と同じ市内だった。

特にしかったわけでもないが「久しぶり」ということで、俺たちは喫茶店アイスコーヒーでも飲もうということになった。高校時代校則入店禁止されていた喫茶店に、今では堂々と入店できるということに、俺は開放感を覚えたが、その時のN君はどうだったのだろうか。

「今どうしてる?」という話になり、大学生としての暮らしについて、俺は適当に話した。昔も今もコミュニケーション能力に乏しい俺は、大学生になっても彼女もいなかったどころか、友人もろくにいなかった。だから、決して薔薇色の生活というわけでもなかったし、そんなに明るい話のネタも持ってはいなかった。しかし、そんな俺のつまらない話でも、N君は「良いなあ」と相槌を打ちながら聞いていた。ひとしきり俺のことは話したので、今度は俺が、N君のことについて訊いてみることにした。しかし、聞けば、大学専門学校などに進学するでもなし、働くでもなし、N君は何もしていないと言った。

少し言い淀んだ後、N君は俺に「悩んでいることがある」と切り出した。今でも、この時の話題をN君が特に親しくもなかった俺に切り出した、本当の理由はよく分からない。喫茶店自由に入れるようになった開放感からだったのだろうか。あるいは、田舎を捨てて他県の大学へと進学した俺のことを、進歩的偏見が少ない人間だとN君は見たのだろうか。単に、親しくもなかった赤の他人からこそ、却って話せたというだけかもしれない。

N君の悩みというのは、彼の恋の対象が、女性ではなく男性であるというものだった。

N君の話を聞いて、俺は驚いた。

N君が同性愛者であったことに驚いたのではない。俺が驚いたのは、N君が彼自身以外に「男性恋愛感情を抱く男性」の存在を知らなかったかであるストレートの俺ですら存在を知っていた、雑誌さぶ』や『薔薇族』などの存在も知らなかったと言われたが、その時の俺は、俄にはN君の言葉を信じ難いと思った。

しかし、後になって思い返した俺は、それほど有り得ない話でもないのではないかと思うようになった。同性愛であることを子供からカミングアウトされた親の中には、同性愛治療可能な病と考えて、何とか"治そう"と試みる人間が少なくないという。だから、もしかしたらN君の親も、そんなふうに"治そう"とか"悪化を防ごう"とかするために、N君が彼以外の同性愛者や性的マイノリティに関する情報へとアクセスする機会を、奪っていたのではないだろうか。スマホインターネットも無かった時代のド田舎で、子供経済的支配している親の立場ならば、情報遮断もある程度は可能だったと思う。N君がどうだったかは覚えていないが、俺の同級生の中には、テレビお笑い番組を観ることを、親から禁じられている人間が何人もいた。お笑い番組などでは笑いのタネ同性愛者が持ち出されることは珍しくなかったが、そういった俗悪番組などを観ることを禁じられていたとしたら、自分以外の同性愛者の存在を知らなかったということも有り得るかもしれない。

「えっ、そんな雑誌があるの?!」

「そうだよ、男の人を恋愛として好きになる男の人は、なにも世の中でN君だけじゃないよ」

逆にN君の方こそ、俺の言うことが信じられない、自分の他に男性恋愛感情を抱く男性存在するなんて信じられない、という表情だった。

別に俺は、高邁な思想の持ち主などではなかったし、世の中の差別を無くすために戦う人間でもなかった。過去形表現したが、現在形で表現しても俺は「そのような人間ではない」。しかし、そんな俺でも、N君が理不尽に苦しんだり悩んだりする必要は何も無いとは思った。とはいえ、若くて馬鹿大学生だった俺に、まともなアドバイスや励ましをN君に与えることが出来るはずも無かった。『さぶ』とか『薔薇族』の存在の他に、何か俺がN君に教えられることが有るかと、無い知恵を絞って出てきたのは、俺が夜行バス東京に行った時に、新宿駅の雑踏で見た、今風の言葉で言えばオネエと言われる人たちの集団のことだった。俺は馬鹿である

新宿二丁目には、そういう人たちが集まるお店が、沢山有るんだよ。俺、東京に行った時に新宿駅で、そういう人たちの集団を見たよ」

実際に新宿二丁目に行ったことも無いくせに半可通の知識から発した、今から思えば我ながら馬鹿発言だ。それでも、その時の俺は、馬鹿なりに「N君は『独りぼっち』ではない」と言って励ましたかったのだ。とはいえ、当時のN君との会話の中で、俺は「オカマ」や「オカマバー」という言葉を頻繁に使ったと記憶している。励ましたいと思いながら差別表現を使っていたのだから、今でも俺は恥ずかしくなる。その上、明るくひょうきんなオネエたちと、同性愛者とを安直イコールで結びつけるという思考は、粗雑で乱暴ものだったと言うほかない。

兎に角そういった話を聞いたN君は『さぶ』や『薔薇族』の存在以上に、俺が新宿駅で見たという人たちの存在実在に驚いたようだった。その人たちの様子を訊かれたので、俺は、思い出せる範囲で、彼女たちの服装とかメイクとか、かしまし面白おかしい会話の様子とか、堂々とした態度とかをN君に話した。特に彼女たちが明るく堂々とした様子だったところ、自由に見えたところに、N君は深い感銘を受けたように俺の目には見えた。

そろそろ俺の帰宅するのに乗る汽車の発車時刻が近いという理由で、喫茶店でのお喋りを切り上げると、別れ際にN君は俺に「ありがとう、色々と教えてくれて」と言った。大袈裟なぐらいに何度も、N君は「ありがとう」と言った。駅へと向かう俺を、N君は喫茶店の前で見送ってくれていた。

その後、N君と会ったり連絡を取ったりというドラマチックな出来事特に無い。だから、その後のN君がどうしたのか、どうなったのか、故郷に残ったのか、それとも出て行ったのか、俺は何も知らない。

俺の勝手空想の中では、その後のN君は、故郷を出て、何処かの都市部リベラル場所で、仲間と出会うことが出来て、孤独ではなくなったという筋書きになっている。その俺の空想の中で、故郷を出て都市へと向かうN君は、夜行バスに乗っている。俺がN君のことを、勝手に俺自身と重ねているからだ。

たか夜行バスに乗って、何回か東京その他の場所に出掛けたからといって、田舎っぺで馬鹿な俺が、顕著な人間的成長を遂げたりするはずもない。また、故郷を出て東京その他の場所に移り住んだからといって、必ずしも薔薇色の人生が待ち受けているとは限らないことも、今では俺も理解している。

それでも。

それでも、夜行バスの旅は、若くて井の中の蛙の俺に、新鮮な風景を見せ、田舎では触れることのできなかった、新鮮な空気文化的産物に触れる機会を与えてくれた。たか新宿駅でオネエの人たちを見ただけにすぎないという体験ですらも、若くて田舎者だった俺にとっては、貴重な体験機会の一つだった。俺にとって夜行バスは、そういう思い出と結びついている。

から俺は、その後のN君が、彼にとっての夜行バスを拾うことが出来ていれば良いなと、今でも思わずはいられないのだ。

2022-08-13

anond:20220813014308

いつ過去形で話した

日本語通じない戦争推奨の鬼畜はしんどけ

生きてる価値ないぞ

2022-08-11

好きな歌い出し17

They found our city under the water

彼らは僕たちの街を水底に見つけた!

これ歌の後のほうでも一切言及がない(たぶん)意味不明フレーズなんだけど、詩的ですげー好き 過去形なのがいい どういう意味なんだ

すごいぞ!エスパーのように俺は君の目を見て心を読める

ハイハイ、って感じの内容なんだけど、実際読めるっていう文脈では全然なく、強がりで言っているというところまでなんとなく伝わってくるのがイイ

Tengo un par de cosas tuyas tiradas en mi cuarto y no sé qué hacer

「部屋に君のものがいくつかほったらかしで、どうしたらいいかわかんないや」

失恋ソングの歌い出しとしてかなり好きなんですよね

やや投げやりな感じな歌い方とあいまって、なぜ「どうしたらいいかからない」のかは、長く付き合ってそれなりに繋がりのあった恋人との関係が、急になくなってしまたからだというのが、歌い出しだけでわかってしまう!

憧れのインディアは遠かったけれどカ-タ-スタイルフラットピッキングとケララ産できめて午前5時までならステップバイステップ踊ってあげるよそして僕の部屋においでよ

何言ってんの?

Timothy

ティモシーって歌で、1秒の前奏もなく、いきなりティモシーと歌い出す これに勝る歌い出しはないよ

さすらおう

さすらいって歌でさすらおう!って歌い出すのマジで性格がいい感じがする

Esta es la melodía de extrañar

Extrañarは恋しがる的な意味で、「これは恋しがることについてのメロディ」的な歌い出しなんすけど、まさにそのmelodía de extrañar曲名なのがいい

曲名言及する歌い出しって好きなんだよな

Life can be so vicious that we can’t even appreciate its purities

人生ときにあまり邪悪から、僕たちはその純粋さに気づけないことがある!

いいフレーズすぎる

こういう、人生を悪くいいながら良くもいうようなフレーズってすげえ好きなんすよ

これが歌い出しにくるのがまたいい

Volevo dirti tante cose ma non so da dove iniziare

「君に言いたかたことがたくさんあるんだけど、どこから始めていいかからない」

内容自体はまあフツーなんだけど、何がいいって、俺でも意味がわかる程度の文法・語彙だってところ!

厳密にいうとvolevoの時制の意味微妙にわかんないんだけど、でも大意はわかる!

〜したい、言う、たくさんの、こと、でも、〜ない、〜から、どこ、始める

奇跡的なまでに基礎単語構成されていてすごい

イタリア語の響きってかなり好きなんだけど、なんせ分からんので、たまにわかると嬉しい

I declare today that life is simply taking and not giving, England is mine, it owes me living

今日ぼくは宣言する、人生とはただ奪うことであり与えることではないと、イングランドはぼくのものだ、ぼくを養う義務がある」

俺もこういう感じの宣言したい!!!

I may not always love you

「君をいつだって愛するってことはないかもな」

名曲の歌い出しがクソみたいな宣言だとかなり嬉しい

I once had girl or should I say she had me

「むかし彼女がいたんだ、あるいは彼女に僕がいたというべきか」

ノルウェイの森だという意識を持って聴くと歌い出しかキモい感じがしてかなり良い

or should I sayの精神は大切にしていきたい

Busco a mi perro perdido

「いなくなった犬をさがしているんだ」

曲名El Perro、ザ・犬で、歌い出しがこれで、ずっと君が必要なんだって歌って、最後は「どこにいるんだい、友よ…」を連呼して終わる

マジで悲しいけど哀愁あって好き

歌い出しから一貫してるのがいい

Tal vez así

「たぶんそう」

tal vezは多分、asíは「そう・こう・そうやって・こうやって」あたりを全部担当する謎の単語

ということは、maybe so 的な感じで、メチャクチャ訳しにくい

切ないメロディで、セクシーな男がtal vez así と歌い出す なにがasí なのかは不明

眠りの手 閉じ込められていた熱が

「眠りの手」部分の意味全然からないんだけど、それがいいんですよね

眠りの手ってなんなんだマジで 以降言及ないし

でも、ね!むり!のて!って切って歌い出すのは本当に気持ち良すぎる

From way far across the sea, came an eritrean maiden, she had a one-truck mind and eyes for me, half blinded in the war

「海を越えてはるか遠くからエリトリア乙女がやってきた、彼女が僕に向けたのはまっすぐな心と目、その目は戦争で半盲だった」

このフレーズのどこが好きって、最後half blinded in the warの付け足し方なんすよ

彼女が僕に目を向けた、つった直後にその目に重い修飾をつけてくるのが渋すぎる

これができるのが英語の強みだと思うマジで

Dropped down the lights, I’m sitting with you.Moscow, 1972

これのモスカウ、1972 部分がマジで好きすぎる

明かりを消して、僕は君と座っている。モスクワ、1972年

年、場所 だけで舞台表現するのすげー好きなんだよなあ

実際歌全体としてモスクワ1972年要素があるかっつうとよくわかんねえんだけど、とにかく最高の歌い出しだ

You と twoで韻を踏んでるのもいい

2022-08-05

anond:20220805095108

お前の言ってるのは過去形の"彼女いなかった歴"や

彼女いない歴は現在形やから今いない人しか使えないし、最新のいない期間のことしが示していない

2022-08-01

TOからヲタク失格まで落第した大馬鹿者の末路

あなたには"推し"って存在しますか?

アイドルキャラクター声優俳優スポーツ選手最近であればVtuber。なんでもいいです。推し推しのいる生活って豊かですよね。しかし今の私の生活は全く豊かではありません。完全に自分で招いた最悪の結果ですが、人生どん底にいます

「TO(トップヲタ)」

ヲタクの頂点に君臨する人間のことです。私は本人公認のTOでした。たしかにそりゃもう全力で推していました。まだまだ駆け出しで無名だったこともあり、とにかく推しのためにできることはなんでもしていました。自分で言うのもなんですが当時は超優良ヲタクだったと思います。当時は。

大きな過ち

結果どうなってしまたか。そう、繋がりです。私はこれを断れませんでした。「そういうのはよくない」と一蹴するのが本当の「優良なヲタク」です。全ての間違いはここに起因していたな、と冷静になった今思います。繋がってしまった結果、自分の中での軸が完全にぶれ、ヲタクをしている本来目的が入れ替わってしまいました。

本来手が届かないはずの「推し」だったからこそ純粋な、ピュア気持ちヲタクをできていたのに、手が届いてしまったが最後自分だけのモノにしたくなってしまいました。

「推す」という感情崩壊

それからの私は推しを「推している」のではなく、推しに「依存している」だけでした。推しの放つ言葉が好き、表現が好き、考えが好き、そんなものどこかへ行ってしまっていました。残ったのは「この人に嫌われたくないからついていく」「この人を私だけのモノにしたい」、そんな歪みに歪みまくった考えだけでした。

モンスターペアレント

文字通りです。モンペになりました。私の推しは駆け出しのひよっこでした。まだまだいろいろな活動模索している段階で、無限可能性を秘めていました。しかし、その推しをいつの間にか自分だけのおもちゃにしようと行動していました。完全なる毒ですね。時には厳しい意見も出す、それも愛だと思っていました。この考えは今も変わりません。全肯定するだけが愛ではありません。それは現実人間関係においてもそうで、間違っていることには間違っていると臆せず指摘できることが本当の愛だと私は考えています

しか批判コントロールは全く違います人間なので意見が合わないことはあります。それはどうしようもありませんし、どちらが正解でどちらが間違いだということもありません。でもそれをどうにかこうにか自分の考えに丸め込もうとするのはおかしいですよね。「死んでも魚しか食べたくない!」と言っている人に「食事バランス大事だよ。肉も野菜バランスよく食べようね。」とアドバイスするのは愛でしょうが、私の場合単に「肉より魚が好き!」と言っている人に対して「私は肉の方が好きだから魚なんか食うな!!」って叫んでるようなもんです。バケモン。

人は変わっていくもの

感情方向性、やりたいこと、どれも時が経てば次第に変わっていくものです。生まれから死ぬまで同じ考えを貫く人なんてそうそ存在しないと思います。だったらどうすればいいか。離れてしまえばいいんですよ。自分ポリシースタンスと合わなくなったのなら、離れたらいい。執着する必要はありません。私の推しはそれができる強い人間でした。

その当時は精神的に不安定になっており、結果繋がりを求めてしまったのかもしれません。しかし今は立ち直り、どう考えてもご法度である繋がり行為を続ける必要がなくなった。だから次第に私から離れていった。しかし一方の私は、いつまで経ってもそれを受け入れられず、現実から目を背け、自分自身に嘘をつき続け、延々としがみついていた。なぜならそこにドス黒い恋愛感情が生まれしまっていたから。

狭いコミュニティゆえ去ることができない

数十人しかいないコミュニティからそれまでとてつもない熱量を持っていた人間がいきなり消えたら、さすがにどんな人でも「おや?」と異変を察知します。例えば大学の大きな講義であれば、たった1人学生が消えたところで誰も気づきませんが、小学校クラスで一番目立っていた人間が突然不登校になったら、さすがに誰でも気づきますよね。だったら徐々にフェードアウトしていくしかないのですが、その徐々にというのが難しい。

待っていたのは地獄

去ることができないので今でもヲタクを続けています。そこに純粋気持ちはもう残っていないのに。誰ひとり得しない地獄ですね。繋がりというある種のアドもも存在しません。ちなみに推しは私以外のヲタクと交際していました(過去形)し、こうして私的な繋がりを持っていたのも私1人とだけではありませんでした。自分けが特別扱いされていると勘違いして完全に舞い上がっていた私が本当に馬鹿でガキで情けない人間だったな、と痛感しました。

とはいえちゃんと(?)恋人を切り捨てた時点で「ヲタクはヲタク、それ以上でもそれ以下でもない」と決意していたんだと思います。私から離れていっている予兆もありました。それなのにそれを無視して勝手勘違いし続けていたのは私の方。いつまでもしがみついていた気持ち悪いバケモノが1匹。あー気持ち悪い。無理無理。

結論

推しと繋がってもいいことはお互いに何もない

・「推す」と「依存」を絶対に間違うな

自分の身が一番大事 傷ついてまでヲタクするな

・異性とのいざこざはガキのうちに済ませておけ

2022-07-13

anond:20220712225602

自分ピル服用者だった(過去形なのは2年前に服用を止めたから)のでこういった増田は嬉しい。

自分も服用者だった経験をn=1として書いておこうと思う。

(はてな記法を分かっていない初心者なので後で調べて直します)

理由について

ストレスによる生理不順で生理が来ないのを中容量ピルでなんとか揺り戻したが、中容量ピルをやめると安定しない→低容量ピルで安定させよう、という感じ

・そしたら低容量ピル飲んでる間は、生理中の頭痛腹痛が緩和されるし、PMSも穏やかになるしでいいこと尽くめだったので服用を継続

副作用について

・太りやすくなる、というのはかなりあると思う。自分は、服用中ストレスがかかったり生活習慣が乱れたり加齢で代謝が落ちたりと色々な要因はあるものの、服用した当初の2年間でめちゃくちゃ太った(20キロほど)

吐き気だけはどうしても克服できなくて、飲み忘れなどで24時間おきに飲めない場合(特に間隔が18時間以内に詰まると)吐き気が起こった

・なんなら寝不足睡眠時間が5時間以内になると吐き気が起こった。服用を中止した今は仕事で無茶して3時間睡眠になった時も吐き気はなかった

副作用と言うべきかは微妙だが、出血間中はそれなりの腹痛はあった。生理中よりは100倍軽いけど

私は自分身体の変化や環境などからメリット<<<デメリットになったと感じてやめたけど、初期の生理不順期間中は本当に必要な薬だったと思っている。

必要な人が必要な時に手に取りやすいよう整備してほしいと心から強く願っています

2022-07-10

anond:20220709124657

統一教会は、公安調査庁が出す「内外情勢の回顧と展望」というレポートニュースでも毎年内容が取り上げられるレポート)で取り上げられる組織だった。

「特異集団」というカルト新興宗教団体などを扱う項目があって、

「こうした特異集団は,引き続き,独自主義・主張の具現化に向け,危機感不安感をあおって勢力拡大を図っており,その過程不法事案を引き起こすことも懸念される」として、

不透明朝鮮半島情勢を背景に,「国内外韓民族和合統一を図り,南北平和統一に貢献する」として,我が国において,在日韓国朝鮮人の糾合を目的とする新組織設立し,これら在日関係者を取り込むことで勢力拡大を図る動きをみせた集団もあった」(平成17年版)とか

「『朝鮮半島統一』を標榜して,我が国在日韓国朝鮮人を糾合する新組織への結集を目指し,これら在日関係者韓国大会に参加させるなどして,在日組織との間で軋れきを生じさせるといった動きを示す集団もあった」(平成18年版)とか

そういった動向が書かれてた。

https://www.moj.go.jp/psia/kouan_naigai_naigai18_naigai18-04.html#05

よくアホウヨが「共産党公安レポートに載ってるからテロリストと同等の危ない組織」って揶揄してるけど、それ言うなら統一教会公安調査庁監視対象組織だった。

でもこれは全部過去形

公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」の「特異集団」という項目は2006年版を最後に消えてしまい(代わりに「右翼団体」という項目がレギュラー化した)、結果として統一教会問題が取り上げられることもなくなった。

統一教会が悪さしなくなったとかではなくて、その後も全国各地でトラブル起こしてるのにね。

2012年 統一教会に2.7億円賠償命令 札幌地裁布教活動違法」: 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG29048_Z20C12A3CR8000/

2017年 旧統一教会賠償増額の判決 多額献金を巡り 東京高裁朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASKDV5Q3TKDVUTIL039.html

2020年 旧統一教会賠償命令 違法勧誘東京地裁 - 産経ニュース https://www.sankei.com/article/20200229-5V6SY5MH5FM6BIWN76GXI62HQU/

過去の「特異集団」項目に毎年統一教会が名指しで書かれてたわけではないが、「拡張過程では,依然としてトラブルを引き起こす事例も多く,構成員の中には,強引な勧誘暴力事件引き起こしたり,公的機関に勤務していることを利用して勧誘を行うなどの動きも見られた」(平成14年版)といった普遍的カルト勧誘問題が毎年書かれていたのでメディアを通じて広まることで社会への警告として一定の効果があったと思う。

今の若者にはカルトへの警戒感が薄れている人が少なくないが、公安調査庁2007年から書かなくなったことが一定程度影響あったと思う。

 

追記

一応。この平成17年、18年の記述に「統一教会」という言葉は出てきませんが別に統一」という言葉が出たから「統一教会」のことだと判断したわけではありません。以下判断した経過を書きます

平成17年の「回顧と展望」に、「不透明朝鮮半島情勢を背景に,『国内外韓民族和合統一を図り,南北平和統一に貢献する』として,」という記述があります

https://www.moj.go.jp/psia/kouan_naigai_naigai17_naigai17-04.html

このカギ括弧内の文章検索すると、ほぼそのままの文章が載っている「平和統一聯合」のページがヒットするので、2004年設立で05年の報告書矛盾はないのでこの団体のことと判断しました。

https://www.tongil-net.org/press/平和統一聯合」創設15周年記念日大会を開催/

設立者はサイトに載っていないのですが、サイト検索で「文鮮明」とググると、「文鮮明総裁意思相続し、南北統一へ向けて」という記事が出てきます。これで私はこの団体統一教会系列のことである判断しました。

https://www.tongil-net.org/2013/05/post_271.html

統一教会に詳しい日刊カルト新聞鈴木エイト氏も「教団フロント組織FPU平和統一聯合」と書いています自分宗教法人の旧統一教会と「友好団体」を別団体として切り離さな立場なのでまとめて統一教会と書きます

https://web.archive.org/web/20201125233428/https://hbol.jp/232996

平成18年記述は、「在日韓国朝鮮人を糾合」という前年とほぼ同じ言葉あることから同じ団体を指していると判断しました。

 

最後に書いた通り、毎年統一教会(系組織)のことが記載されていたわけではありません。国会図書館デジタルコレクションでは平成13年版まで遡って読めますが、「特異集団」の項目に「統一教会勧誘手口にも通用する」普遍的カルト勧誘記述はあっても統一教会とはっきりわかる記述はありません。

しかし同じく最後に書いた通り、悪質強引な勧誘をして社会不安を与えるカルトはなくなっていなかったのだから統一教会2009年問題ある勧誘が大規模摘発された)「特異集団」という項目は無くさずカルトへの警鐘を鳴らし続ける必要があったと思います

2022-07-07

anond:20220707115756

過去形だと増田状態遷移において、過去カテゴリーだったことがあるなら、みたいな意味なっちゃうでしょ

anond:20220707115756

「今はカテゴリではない」とか「masudaはもう失われている」とかい場合じゃないと過去形にはならない

2022-06-21

anond:20220621202946

標本調査推定できるようなものは「暗数」じゃないんですよ

実際の数値と統計結果との誤差で、なんらかの原因により統計に現れなかった数

これが暗数の「定義」です

統計に現れるもの暗数ではないんです

いいですか、暗数定義統計に現れなかった数です

何らかの事情により後から実数が判明してその解離が大きかったと確定したときに「暗数が多かった」と常に過去形で語られるのが暗数で、

暗数が今現在いか少ないか、ましてや統計結果の何倍なのかというのは神以外には語り得ない

2022-06-18

1passwordって好きなアプリだったんだけどな(すでに過去形は気が早いか)。

アップルグーグル生体認証を鍵として利用する方法提供するってことで

認証管理ソフトが消えるのは間違いない。

1passとか導入したときにこれなら金払うことに文句はないなあ、って納得できる数少ないアプリだったなあとか振り返る。

ややこしい暗証管理を一元化して任せることが出来ることへの満足感は半端なかった。

消えてしまうのは残念だけど利用料金を払わなくて済むのは財布に優しい。

けど、世の中には無料のものなんてねえんだぞ、って悟空の声でうっすら聞こえてきたから、そうかもねって人造人間(女型の方)が答えた。

2022-06-15

過去形そして過去進行形

孤独に耐えるより性欲に耐える方がほんの少しだけマシだから私は行為の一切をやめた。

2022-06-11

[]靴の話

私は女だ。

そのへんを歩くときに履く靴にこだわりがある。

スリッパだと足の甲に靴ずれを起こす。

スニーカー系は履くのが面倒くさい。

ヒールパンプス?ガサツな私には敷居が高い

 

スリッパのように気軽に履けて、そのへんをペタペタと歩き回り、時々はかかとまでしっかり覆ってそれなりにフォーマルを装ったりもしたい。

 

その最適解が私にとってはチヨダのShutte、その中でもかかとを潰して履ける、バレーシューズ的なタイプ子ども上履きの形といえば分かりやすいだろうか。かかとを潰すとバブーシュのようになる。

革でできたそれは柔らかで軽く、踵を戻せばそれなりにフォーマルにも見える。茶系統の落ち着いた色合いもじつに良い。

 

この靴は途中でデザインリニューアルしているのだが、私はその前から通算で4足ほど代替えして履いている。この靴が私に合うのを実感していたので、2足ほどは買い溜めておいた。

 

柔らかく履き心地の良い靴はどうなるか?すぐ駄目になる。それでも一足につき一年強は履いたのではないだろうか。長い付き合いだった。

 

なぜ過去形で書くのか?

 

今日、今履いているのがくたびれてきたように感じたので、次のストックを買おうと検索したのだが、生産終了となっていたのだ。

 

似た系統シリーズが5年ほど生産していただけでも、割と息が長かったほうだろうか?たくさんの人々にも愛されたのだろうか。寂しい気持ちと共に、似たような、しかしその靴ではない別の靴を通販で注文して、私は日常の所用を済ませる為に出かけた。

 

消耗品などを通販で購入することが多くなり、実店舗には長く足を運んでいなかった。

しかし、なんとなく、通販で買うよりも、実店舗のほうが、似た靴が探しやすいかもしれないと思い、私は出先で久々に靴屋に足を運んだ。

 

棚に並ぶ靴、靴…あの靴と似たような靴を探す。ああ、あった、Shutteのコーナー。あの靴ではない、別の種類………いや、これはあの靴。しかもこれは、リニューアル前のオリジナルの方だ。サイズも私に丁度いい、色も私の好きなライトブラウンだ。更に半額になっている。

 

私はそれを手に取るとレジに向かい、同じ物、同じサイズはないかと聞いた。何足かあれば買い溜めておこうと思ったのだが、今私が手に持っているこれがこの店の最後の品で、生産終了だから他店からも取り寄せなどは出来ないものであるということを伝えられた。

 

それでも、もう手に入らないと思っていたその靴が手に入ったテンションで私は履いていた靴を片方脱いで、

「この靴はこれの前のモデルで、この靴をずっと気に入って履いていたんですよ(見つけられて嬉しいですの意)」とついついレジの人に見せたりもした。レジの人は笑って、この靴は柔らかいので、履き心地が良いですもんね、と言った。そう、そうなのだ。私は頷いて靴を履き、生産終了して残念です、と言いながら支払いを済ませた。とても嬉しい気持ちでいっぱいになりながら。

 

別にオチはない。これはただの日記だ。

今履いているこれの靴裏が剥がれるか先に穴が空くか、底から水が染みるようになるかしたら、今日買った靴に履き替えよう。

2022-05-27

ある女のセクハラ体験談(追記)(更にいくつかの追記修正あり)

 現在ネット上で私に対する告訴をちらつかせている人物は、その人物の元・妻であると私が称したと主張している。しかし、文章修正の前も後も、私はそんなことは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。

 2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメント被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次被害を防ぐために個人情報曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメント被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪ピックアップすることで痴漢被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメント被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。

 以下の話は、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

SLAPP訴訟を準備している人に対する注釈ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 最初に発表した時点では無かった「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、上のとおり書き加えることにした。後に続く部分でも同じ書き加えをした。この、たったの一文を挿入することが、私には耐え難い苦痛だった。私自身のハラスメント被害を無かったことと、皆の前で宣言しろと言われているような気持ちになったからだ。私は今、トイレに行って嘔吐してから、この部分を記している。結局、あの頃と同じく今の私も、保身のために自分の主張を引っ込めたことになる。

SLAPP訴訟を準備している人への注釈・終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 元・夫が、ある場所で「離婚したとはいえ、元・妻が傷つけられるのは許せない。何らかの対応検討する」と言っていることを知った。この元・妻というのは、何を隠そう私のことだ。はてな匿名ダイアリーに書いているのだから、隠すも正体を明かすもないが。

 「傷つけられる」と元・配偶者が言っているのは、かつて私がある人物から受けたセクハラについての情報が広まって、私が心無い言葉を浴びたり、中傷される状態を指しているようだ。

 しかし、である

 今になって「元・妻が傷つけられるのは許せない」と言い出すぐらいなら、何故あの頃、言ってくれなかったのか。そう思って、元・配偶者ながら、というか元・配偶者からこそ余計に、私はゲンナリしている。

 私にセクハラをした加害者は、元・夫の仕事上で付き合いがあり、仕事以外のプライベート時間や場でも私たち交流が有った、私たちよりも年長の男である

 加害者は、私にセクハラしただけでなく、そのことを仕事仲間などに自ら話したりもしていた。懺悔としてではない。愉快な話としてである。つまりセクハラをされた時にだけでなく、その後にも継続的に、私は傷つけられ続けている状態に置かれていた。

 セクハラされた時、私は「そういうことは止めて下さい」と加害者に対して言ったのだが、私の憤りや恐れや嫌悪感情をまるで理解しようともせず、軽い口調で「ゴメンゴメン」みたいな感じで誤魔化されただけだった。今でも「もっと強い口調で言えば良かったのでは?」「いっそ殴ったり蹴ったり物を投げつければ良かったのでは?」「何故あの時、もっと適切な反撃ができなかったのだろう」と、自分自身に対して不甲斐無さを覚えて、自己嫌悪に陥ることが度々ある。

 さらに私が苦しむ原因になったのは、その頃は婚姻関係にあった現在の元・夫が、私の側に立ってくれなかったことだ。

 加害者から私がセクハラを受けたこと、それに対して私は憤りや恐れや嫌悪を感じたこと、加害者へは私に対する謝罪をするように要求して欲しいことを、その頃は夫であった彼に訴えた。それに対する彼の反応は「あの人も悪気があった訳ではない」とか「あの人は昔気質の人だから」とか「あの人は冗談のつもりだったのだから、怒るのも大人げない」とか、概ねそういった言葉だった。漫画寄生獣』でパラサイトと会話する主人公・新一が、昆虫か何かと話している気分に陥る描写があったが、私も新一と同じような気分だった。つまり元・夫は、加害者の側の人間だった。だったという過去形ではなく、であるという現在形で言うべきだろうか。

 会社勤めとか役所勤めの仕事などであればその組織に訴え出て処分要望するとか、金銭知識を持っていれば弁護士などに相談するとか、何かしら対処の仕方があったかもしれないが、私は上手いやり方を思いついたり実行したりすることは出来ず、そうこうしているうちに私たちは、元・夫と元・妻という関係になった。

 あの頃、彼は「馬鹿馬鹿しい話だ」と言った。近頃の彼は「これまでは馬鹿馬鹿しい話だから取り合わず放置していたが、いい加減、噂を広められて元・妻が傷つけられるのは許せない」と言っているようだ。私にとっては、あの頃も現在も、少しも馬鹿馬鹿しい話ではなかったのに。

 私の元・夫が「馬鹿馬鹿しい話」として放置できなくなったのは、決して私が苦しんでいることが理由ではないことを、私は知っている。元・夫が黙っていられなくなったのは、加害者の男が批判されているかである。元・夫は、あの男のことが大好きなのだ

 最近では、何処の業界職場でも大なり小なり、セクハラは良くないことであり、するべきではないし、セクハラをする人がいれば止めたり批判するべきであるという意識が浸透し始めた。私にセクハラしたことを愉快な話として吹聴していた加害者の男と、私を救ってはくれなかった元・夫が関係している仕事世界にも、少しは変化があった様子で、私に対するセクハラの話を愉快な話とは受け止めてはもらえなくなったと聞いている。

 このため、加害者の男は「大袈裟に話して誤解を招いた」と言うようになったらしい。大袈裟?誤解?私にしたことを、そのまま本人が言い触らして回っていたのに、いったい何が大袈裟で何が誤解なのだろうか。

 元・夫は、誰に対して、どんな対応をするつもりなのだろうか。私がされたセクハラの話を誰よりも他人に広めたのは、ほかならぬ加害者本人なのに。元・夫は、加害者批判したり止めたりしてくれなかったのに。まさか加害者批判する人たちに対して「元・妻が傷つくから許せない。セクハラについて語るのを止めろ」と言うつもりなのだろうか。仮にそうだとしたら、それを何故あの頃、加害者に対して言わなかったのだろうか。元・妻である私を救おうとしなかったことが知れ渡ると、元・夫としては困るのだろうか。

 セクハラ被害者が、セクハラ加害者に対する批判を食い止めるために、よりによって元・配偶者から利用されるという救いの無い境遇を知ってもらうために、理解してもらうために、自分気持ちを吐き出すために、はてな匿名ダイアリーに書いた。

 以上の話はフィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。最初に書いた時には、ここに「どっとはらい」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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追記修正2022/05/29

 このフィクション日記に書かれた人間関係が、具体的に誰のことを指すのかに関して、はてブで推察と特定が試みられている。それに対する答えのようなものを記しておく。

 以下もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

 私は、人物特定に関する推察を肯定否定のいずれもするつもりは無い。答えは無い。それが答えである実在人物団体事件には一切関わりはない。

 そもそも特定可能ならば、匿名ダイアリーに書いたりする必要は無く、私も現実世界対処しているはずだからだ。

 一次的なセクハラが反復的に行われていれば、それを例えばボイスレコーダーで録音するなどして証拠を固めて私も反撃できただろうと思う。しかし、一次的なセクハラが突発的・単発的なものであった場合被害者は驚きやパニックなど心理的な硬直状態に陥って、証拠固めなど実行できずに終わることが多い。たとえ複数回継続的に行われるセクハラであっても、被害者が恐怖心で萎縮するなどして理性的思考するのが困難な状態に陥り、やはり証拠固めをできないことは珍しくない。

 私に対するセクハラを愉快な話として加害者が吹聴していたという、二次的な加害行為に関しては、その話を聞かされた人たちの記憶にも残っている。しかし、一次的な加害行為のものに関する証拠が残されていない状態では、加害者が今になって主張する「大袈裟に話していただけで、事実ではない」という言葉を覆すのは、極めて困難だ。

 二次的な加害行為だけに関して言えば、それ自体セクハラなので、その被害司法機関などに訴え出ることは理論的には可能かもしれない。しかし、それを仮に私が実行したとしても、やはり加害者は「大袈裟に話していただけで、事実ではない。しかし、たとえ事実ではなかったとしても、愉快な話として触れ回ったことは被害者を傷つけた。だから、そのこと(二次的な加害)については謝罪する」といった、一見すると謝罪に見えるが、肝心の一次的なセクハラ行為については否定する言葉を述べるという手法をとるだけであろう。

 私が、何よりも加害者に認めて謝罪して欲しいのは、一次的なセクハラ行為についてなのだ。それなのに、加害者にとっての都合が良い主張を、それを覆す手段も持たないままに聞かされて、挙句の果てには「一次的なセクハラ行為については、認定が困難である」と公的結論づけられるかもしれない。そう考えると私は、とても精神的に耐えられない。もっと悪い方向に想像を巡らせ、加害者が「むしろ自分の方こそ、セクハラしたと誤った情報を流されて苦しんだ被害者立場だ」と、SLAPP訴訟などで私を攻撃してくるかもしれないとも思って恐怖すら覚えた。元・配偶者ですら助けにならなかったという、孤立感も私を動けなくした。

 こうして私は、自分が受けた一次的なセクハラ被害を決して忘れたわけではないのに、無力感や恐怖感から口を閉ざすことを選ばざるを得なかった。私が口を閉ざしているから、どうせ何もできないと高を括って「大袈裟に話していただけ」と言い張ることで、加害者は乗り切ることにしたのだろう。元・配偶者からセクハラと思われるようなことは無かったよね?」と誘導され、無力感孤立から沈黙することを選んだので、加害者が私のことを何もできない人間と値踏みしたのも無理はない。

 加害者の男は、私に対するセクハラを無かったことだと言っている。つまり、私に対して行ったセクハラの話は、加害者の男にとってはフィクションというわけだ。私を登場人物にして作り上げた、馬鹿馬鹿しいフィクションだ。

 ならば、と私も考えた。

 私が私自身にとってのフィクションを作ったとしても、特に問題は無かろう。今度は私のターンなのだから、私の周囲の人物登場人物として、馬鹿馬鹿しいフィクションを書いたというだけのことだ。柳美里作品とは異なり、人物特定もできないように最低限の配慮もしてある。人物特定ができないということは、私の受けたセクハラ日本社会でありふれた話なのだ。それに、加害者とは異なり、私は私のフィクション現実の周囲の人たちに言い触らしたりなどしていないのだから、私の配慮に少しは感謝してもらってもいいぐらいだ。

 世の中のセクハラ加害者たちは、私たちのような被害者たちが沈黙しているからといって、セクハラした過去を全く無かったことにできるなどとは思わない方がいい。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の中で、法的に罪に問えない人物に対して京極堂呪いを掛ける描写があったが、このフィクション呪いとして書いたようなものだ。呪いが在るのか無いのか私には分からないが。

 以上もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。一つ目の追記を書いた時には、ここに「とっぴんぱらりのぷう」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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 2022/05/29さら修正して追記

 私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいない。私は誰それの元・妻ですとも書いてはいない。

 では何故、私はフィクションと銘打って、人物特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラパワハラに置き換えたりして、考えを深めてくれることだろうと淡い希望も抱いていた。

 しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけられて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災朝鮮人虐殺を描いていて、日本人を攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか

 自分のことではないならば「この文章に書かれた人間同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか

 私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダ虐殺被害者でなければ、虐殺被害者ではないと言うつもりなのか。自分たち以外に、この社会構成している人間存在しないとでも思っているのか。

 仮に、ある痴漢事件冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか

 セクハラを含めたハラスメント被害というものは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解共感を得られると思ったのだ。

 それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。

 私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。

 「この文章自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章修正し始めて理解したが、そんな日が来ることはなさそうである

 この文章を書いた人間である私が、ある特定人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である

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 「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、苦渋の決断とはいえ書き加えたことで、私の文章から普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメント問題自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、今の私は、一部の人間をこの問い掛けの対象からは除外しようとしている。とんだ腰砕けだ。私は、セクハラを無くしたいと言いながら、土壇場になって、我が身かわいさの保身に走ったのだ。このクソみたいな自分自身のことを許せない。私にはセクハラハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った今、絶望しかない。

「月より火星の方がキレイじゃないですか?ロマンもあるし」と言われた

いや、そういうことじゃなくてさ…察せよ!

お前には、せ~まるき~し~しかまるだよ!

まり、お前はもう過去形だよ!

しかも、間接過去じゃなく直接過去だよ!

お前にとって月は、野山に混じりて竹を取りつつよろづのことに使いけり(間接過去)って感じか!

って、私は竹か!

火星より目の前のロマン(ス)に気づけよ!

ちっきしょー!!

化粧落として寝よ。

2022-05-12

美人だけど人生全然イージーモードじゃなかった

大抵の人には「綺麗だね」「可愛いね」と言われ続けてきた。

中にはお世辞もふくまれているであろうけど、人生において私の容姿批判してきた人はいない。

でも、人生全然楽しくなかった。それどころかしんどすぎた。

まず毒親に育てられたので、自己肯定能力と対人スキルものすごく低い。

しかも20歳かそこらで統合失調症発症し、おまけに軽度発達障害の診断がついた。

からとんでもなく社会で生きづらい。

友達といえる人間は、一人もいない。

私がまともな対人スキルを持ち合わせていないので、途中で誰もかれもが私のおかしさに気づき離れていく。

自分の対人関係におかえるなんらかがおかしいのは分かっているが、何をどう直していいかからない。

田舎に住んでいるかちゃんとした精神病院なんてなく、ただ医者は大量の眠剤と薬を出すだけで、話もまともにしない。

診察時間カップラーメンが出来る時間にすら届かない。

発達障害なので、当たり前のように社会の中では生きづらい。

どの職場でもちゃんと働けたためしがない。他の人が当たり前にできることが全くできない。

おかげで今は十万円ちょっと手取り毎日お金不安と戦いながら底辺を生きてる。

美人なので恋人がいる前提で話をふられるが、ここ10年ほど恋人がいない。

今まで告白してきた男性は全部私の容姿が好きだった。

これが一番しんどかった。

私が少しでもおかしいと、男性たちはがっかりし、離れていく。

最初メンヘラだよ、と言っているのにそれでも付き合いたいと言われ、付き合うのに、数カ月で無理だと言われる。

から言ったじゃん。メンヘラだよって、頭おかしいから、負担かけるよって。

よくメンヘラ女性と付き合っている男性を「理解のある彼くん」とインターネットでは揶揄されるが「理解させる」まで行けるのがまずすごいと思う。

私の場合理解してもらえる前にみんなみんな離れていく。

美人だと奢って貰ったりするでしょ、とか、ハイブランドのバッグやジェリープレゼントしてもらったりするでしょ、と言われるが、そんなことは一度もなかった。

いつも自分病気とつきあうのがいっぱいいっぱいで、美人で得したと感じたことなんて人生で一度もなかった。

それどころか、もっとブサイクに生まれたかった。

外見じゃなくて、中身が好きだからと言って告白してもらいたかった。

対人スキルが高くて、誰とでも友達になれるような人になりたかった。

軽度発達障害で生まれず、普通の頭に生まれたかった。普通に働いて、普通キャリアつんで、普通恋愛して、普通結婚たかった。

特別なんて何一ついらなかった。顔なんて美しくなくても良かった。

毒親に育てられず、両親に愛されて生まれたかった。

過去形なのはようやっと40代になれたからだ。シミができ、シワが増え、白髪も出てきた。

そろそろ容姿ジャッジされなくなるだろう。

美人だね」何度もそう言われて、すごい苦しかった。

私は私の顔を一度も美しいとおもったことなんてないから。

美人だね」といわれるだび、すごくしんどかった。

他人が、社会が、私にそう生きるのを強要しているようで、常に綺麗でいないといけないような強迫観念の中で生きてきた。

もしこの文章を読んでくれた人は次の日から誰かの容姿をほめるのをやめてほしい。

「綺麗だね」「美人だね」は褒め言葉のようだけど、受け取る人間からしたらそうじゃない可能性もあるかもしれないってこと、分かってほしい。

容姿ジャッジするのをやめてほしい。

未だに私は私の顔が美しいのかそうでないのかわからない。

人生、辛かった。

2022-05-01

推しVTuberが死んだ。

有名なヲタクコールに「私が生まれてきた理由」みたいな言葉が入ってたのを思い出した。

最初こそ馬鹿にしていた。私が生まれてきたのは私が生きる為だ。それを他人に委ねるなんて馬鹿じゃないのかって多少苛立ってもいた。

去年の2月、その人に出会った時。真っ先に「生まれてきた理由!」だと思った。漫画表現で言えば桜が散っていたし集中線も引かれていたと思う。

その人の声を聞くだけで心臓が高鳴って、その人が笑うだけでなんだか嬉しくなりもした。

幸せだった。

その丁度1ヶ月後の事。

その人は歌を発表した。それもとんでもないクオリティで。

芯の通った力強い歌声のはずなのに、その芯は僅か1mmにも満たないんじゃないかってぐらい細くてその周りで霧を纏っているような歌声だった。

それでも確かにその芯は存在感を放っていて、でも掴もうとすればするほど前後不覚になった。

正直死にそうだった。

私が恋したこの人は、可愛いだけじゃなくカッコ良いのか。どこまで私を惑わせれば気が済むんだ!とFF0アカウントで暴れた事もあったような気がする。

その時からもう、その人以外見れなくなっていた。

夢中だった。

時は過ぎ、つい3ヶ月ぐらい前の事。その人と仲の良い3人組でまた歌が投稿された。

歌だけではなく、今度はダンスも付いてきた。

私は先入観が酷い方で、少し捻った見方をしてしまいそうだった。この人に合うのはもっと夕暮れのような歌だろう!とか、俗な言い方をすれば"エモ"な歌だろう!と。

私は馬鹿だった。

1番初めに歌を聴いたあの時のような、素敵過ぎて冷や汗が出て、指が震え画面スレスレまで前のめりになるような感動。

でも私が心を奪われたあの歌達とは一風変わって、今度は物凄く楽しそうに歌っていた。

不思議ダンスもノリノリでへんてこな動きも、妙ちきりんなのに可愛さ余るその全てを愛おしく思った。

3人でくるくるお互いを追いかけるように回る振り付けの時、楽しさのあまり「えへへっ」と笑っていたその人は、私がそれまで見てきた2年間1番楽しそうだった。

聞き終わったあと、不思議と涙が出ていた。

紛れもなく愛だった。

昨日、有料会員だけが見れる所である発表があった。

今までで1番大きな発表。

正直、あまり記憶に無い。

人間は興奮し過ぎるとつい記憶を無くしてしまう生き物らしい。どこかで聞いた。

卒業するそうだった。

別名義での活動に重きを置くようだった。

私はその別名義も知っていた。

どうすればいいかからない。

私にはわからない。

別名義のその人は本当にその人なのだろうか。

私は見た目も好きだったけれど、声も話し方も笑い方も、かなり天然な所や意外とズバズバ言う所、ゲームが上手くなくてでも頑張り屋さんで、あぁ。

好きだ。好きだ。

過去形なんかじゃない。好きだ。

だって絶え間なくこの愛はこの胸で確かに彷彿としている。

好きだ。

なのに、どうして名義が変わるだけで私はこんなにも苦しんでいるのだろうか。

見た目だけが好きだったんじゃない。

なら別名義で活動していてもどうだっていいだろ。

わかってる。わかってはいるんだ。

その人が居なくなっても追い続ける事は出来る。

別の場所ちゃんと生きている。

しかも今度は会える形で。

寧ろ喜べばいいぐらいじゃないか

それなのにどうして、こんなに胸に虚無感が存在しているのか。

虚無感でいっぱいになった胸がキシキシと痛むのか。

結局の所、私はその人を本当の意味で好きだったのでは無かったのだろう、と気付いたのは今朝だった。

泣きながら目が覚めた。

その人のツイートを見て、時が過ぎれば全て消え去り、もう会えないのだと実感した朝だった。

ガラス割れる音が遠くで聞こえて、何か割れたんだと探しに行こうとした。

前に進もうと地に足をつけた時、強烈な痛みが走った。

ガラス片が大きなまま散らばって、その周りには熱湯が滴る。

持っていたマグカップを落としていたようだった。

自分の中で色んな物がぐちゃぐちゃに壊れていた。

まだ何も整理出来ていない。

今こうやって書いているのさえ、今何を書いたかわかっていない。サラサラ記憶が砂になって消えていくような感覚だ。

こうして書いて、何がしたいのかもわからない。

こんなもの、誰も見ないでくれ。

何にもならない。何にも。

今もiPadからその人の歌が流れている。

やはり、私はこの人が好きだ。

少し、落ち着いてきた。

この歌、好きだったんだよなぁ。

今思えばその人に出会うまで、私は随分空虚人生だった。

何も楽しいことなど無かったように思う。

出会えて良かったな。

うん。

私が好きになったこの人にもう新しいものは増えない。それどころか全てが消え去りその人がここに確かに居た痕跡がほぼ全て、失くなる。

寂しいけれど、お別れを言わなければならない。

書いてた意味がやっとわかった。

私はこの人がここに居たと誰かに叫びたかった。

メリッサキンレンカがここに確かに居たのだと、記したかった。

ここは私なりの、あの人と私の想いの墓石だ。

ここに全て置いていく。

ありがとう、愛している。

私の全てだったその人へ。

ここに全て置いていく。

そして私はこの人生に幕を閉じる。

メリーが居なければ、私は生まれてきた意味を見失っていたよ。私が生まれてきた理由へ。

今までありがとう世界で1番愛していたよ。

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