2022-05-27

ある女のセクハラ体験談(追記)(更にいくつかの追記修正あり)

 現在ネット上で私に対する告訴をちらつかせている人物は、その人物の元・妻であると私が称したと主張している。しかし、文章修正の前も後も、私はそんなことは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。

 2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメント被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次被害を防ぐために個人情報曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメント被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪ピックアップすることで痴漢被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメント被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。

 以下の話は、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

SLAPP訴訟を準備している人に対する注釈ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 最初に発表した時点では無かった「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、上のとおり書き加えることにした。後に続く部分でも同じ書き加えをした。この、たったの一文を挿入することが、私には耐え難い苦痛だった。私自身のハラスメント被害を無かったことと、皆の前で宣言しろと言われているような気持ちになったからだ。私は今、トイレに行って嘔吐してから、この部分を記している。結局、あの頃と同じく今の私も、保身のために自分の主張を引っ込めたことになる。

SLAPP訴訟を準備している人への注釈・終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 元・夫が、ある場所で「離婚したとはいえ、元・妻が傷つけられるのは許せない。何らかの対応検討する」と言っていることを知った。この元・妻というのは、何を隠そう私のことだ。はてな匿名ダイアリーに書いているのだから、隠すも正体を明かすもないが。

 「傷つけられる」と元・配偶者が言っているのは、かつて私がある人物から受けたセクハラについての情報が広まって、私が心無い言葉を浴びたり、中傷される状態を指しているようだ。

 しかし、である

 今になって「元・妻が傷つけられるのは許せない」と言い出すぐらいなら、何故あの頃、言ってくれなかったのか。そう思って、元・配偶者ながら、というか元・配偶者からこそ余計に、私はゲンナリしている。

 私にセクハラをした加害者は、元・夫の仕事上で付き合いがあり、仕事以外のプライベート時間や場でも私たち交流が有った、私たちよりも年長の男である

 加害者は、私にセクハラしただけでなく、そのことを仕事仲間などに自ら話したりもしていた。懺悔としてではない。愉快な話としてである。つまりセクハラをされた時にだけでなく、その後にも継続的に、私は傷つけられ続けている状態に置かれていた。

 セクハラされた時、私は「そういうことは止めて下さい」と加害者に対して言ったのだが、私の憤りや恐れや嫌悪感情をまるで理解しようともせず、軽い口調で「ゴメンゴメン」みたいな感じで誤魔化されただけだった。今でも「もっと強い口調で言えば良かったのでは?」「いっそ殴ったり蹴ったり物を投げつければ良かったのでは?」「何故あの時、もっと適切な反撃ができなかったのだろう」と、自分自身に対して不甲斐無さを覚えて、自己嫌悪に陥ることが度々ある。

 さらに私が苦しむ原因になったのは、その頃は婚姻関係にあった現在の元・夫が、私の側に立ってくれなかったことだ。

 加害者から私がセクハラを受けたこと、それに対して私は憤りや恐れや嫌悪を感じたこと、加害者へは私に対する謝罪をするように要求して欲しいことを、その頃は夫であった彼に訴えた。それに対する彼の反応は「あの人も悪気があった訳ではない」とか「あの人は昔気質の人だから」とか「あの人は冗談のつもりだったのだから、怒るのも大人げない」とか、概ねそういった言葉だった。漫画寄生獣』でパラサイトと会話する主人公・新一が、昆虫か何かと話している気分に陥る描写があったが、私も新一と同じような気分だった。つまり元・夫は、加害者の側の人間だった。だったという過去形ではなく、であるという現在形で言うべきだろうか。

 会社勤めとか役所勤めの仕事などであればその組織に訴え出て処分要望するとか、金銭知識を持っていれば弁護士などに相談するとか、何かしら対処の仕方があったかもしれないが、私は上手いやり方を思いついたり実行したりすることは出来ず、そうこうしているうちに私たちは、元・夫と元・妻という関係になった。

 あの頃、彼は「馬鹿馬鹿しい話だ」と言った。近頃の彼は「これまでは馬鹿馬鹿しい話だから取り合わず放置していたが、いい加減、噂を広められて元・妻が傷つけられるのは許せない」と言っているようだ。私にとっては、あの頃も現在も、少しも馬鹿馬鹿しい話ではなかったのに。

 私の元・夫が「馬鹿馬鹿しい話」として放置できなくなったのは、決して私が苦しんでいることが理由ではないことを、私は知っている。元・夫が黙っていられなくなったのは、加害者の男が批判されているかである。元・夫は、あの男のことが大好きなのだ

 最近では、何処の業界職場でも大なり小なり、セクハラは良くないことであり、するべきではないし、セクハラをする人がいれば止めたり批判するべきであるという意識が浸透し始めた。私にセクハラしたことを愉快な話として吹聴していた加害者の男と、私を救ってはくれなかった元・夫が関係している仕事世界にも、少しは変化があった様子で、私に対するセクハラの話を愉快な話とは受け止めてはもらえなくなったと聞いている。

 このため、加害者の男は「大袈裟に話して誤解を招いた」と言うようになったらしい。大袈裟?誤解?私にしたことを、そのまま本人が言い触らして回っていたのに、いったい何が大袈裟で何が誤解なのだろうか。

 元・夫は、誰に対して、どんな対応をするつもりなのだろうか。私がされたセクハラの話を誰よりも他人に広めたのは、ほかならぬ加害者本人なのに。元・夫は、加害者批判したり止めたりしてくれなかったのに。まさか加害者批判する人たちに対して「元・妻が傷つくから許せない。セクハラについて語るのを止めろ」と言うつもりなのだろうか。仮にそうだとしたら、それを何故あの頃、加害者に対して言わなかったのだろうか。元・妻である私を救おうとしなかったことが知れ渡ると、元・夫としては困るのだろうか。

 セクハラ被害者が、セクハラ加害者に対する批判を食い止めるために、よりによって元・配偶者から利用されるという救いの無い境遇を知ってもらうために、理解してもらうために、自分気持ちを吐き出すために、はてな匿名ダイアリーに書いた。

 以上の話はフィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。最初に書いた時には、ここに「どっとはらい」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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追記修正2022/05/29

 このフィクション日記に書かれた人間関係が、具体的に誰のことを指すのかに関して、はてブで推察と特定が試みられている。それに対する答えのようなものを記しておく。

 以下もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

 私は、人物特定に関する推察を肯定否定のいずれもするつもりは無い。答えは無い。それが答えである実在人物団体事件には一切関わりはない。

 そもそも特定可能ならば、匿名ダイアリーに書いたりする必要は無く、私も現実世界対処しているはずだからだ。

 一次的なセクハラが反復的に行われていれば、それを例えばボイスレコーダーで録音するなどして証拠を固めて私も反撃できただろうと思う。しかし、一次的なセクハラが突発的・単発的なものであった場合被害者は驚きやパニックなど心理的な硬直状態に陥って、証拠固めなど実行できずに終わることが多い。たとえ複数回継続的に行われるセクハラであっても、被害者が恐怖心で萎縮するなどして理性的思考するのが困難な状態に陥り、やはり証拠固めをできないことは珍しくない。

 私に対するセクハラを愉快な話として加害者が吹聴していたという、二次的な加害行為に関しては、その話を聞かされた人たちの記憶にも残っている。しかし、一次的な加害行為のものに関する証拠が残されていない状態では、加害者が今になって主張する「大袈裟に話していただけで、事実ではない」という言葉を覆すのは、極めて困難だ。

 二次的な加害行為だけに関して言えば、それ自体セクハラなので、その被害司法機関などに訴え出ることは理論的には可能かもしれない。しかし、それを仮に私が実行したとしても、やはり加害者は「大袈裟に話していただけで、事実ではない。しかし、たとえ事実ではなかったとしても、愉快な話として触れ回ったことは被害者を傷つけた。だから、そのこと(二次的な加害)については謝罪する」といった、一見すると謝罪に見えるが、肝心の一次的なセクハラ行為については否定する言葉を述べるという手法をとるだけであろう。

 私が、何よりも加害者に認めて謝罪して欲しいのは、一次的なセクハラ行為についてなのだ。それなのに、加害者にとっての都合が良い主張を、それを覆す手段も持たないままに聞かされて、挙句の果てには「一次的なセクハラ行為については、認定が困難である」と公的結論づけられるかもしれない。そう考えると私は、とても精神的に耐えられない。もっと悪い方向に想像を巡らせ、加害者が「むしろ自分の方こそ、セクハラしたと誤った情報を流されて苦しんだ被害者立場だ」と、SLAPP訴訟などで私を攻撃してくるかもしれないとも思って恐怖すら覚えた。元・配偶者ですら助けにならなかったという、孤立感も私を動けなくした。

 こうして私は、自分が受けた一次的なセクハラ被害を決して忘れたわけではないのに、無力感や恐怖感から口を閉ざすことを選ばざるを得なかった。私が口を閉ざしているから、どうせ何もできないと高を括って「大袈裟に話していただけ」と言い張ることで、加害者は乗り切ることにしたのだろう。元・配偶者からセクハラと思われるようなことは無かったよね?」と誘導され、無力感孤立から沈黙することを選んだので、加害者が私のことを何もできない人間と値踏みしたのも無理はない。

 加害者の男は、私に対するセクハラを無かったことだと言っている。つまり、私に対して行ったセクハラの話は、加害者の男にとってはフィクションというわけだ。私を登場人物にして作り上げた、馬鹿馬鹿しいフィクションだ。

 ならば、と私も考えた。

 私が私自身にとってのフィクションを作ったとしても、特に問題は無かろう。今度は私のターンなのだから、私の周囲の人物登場人物として、馬鹿馬鹿しいフィクションを書いたというだけのことだ。柳美里作品とは異なり、人物特定もできないように最低限の配慮もしてある。人物特定ができないということは、私の受けたセクハラ日本社会でありふれた話なのだ。それに、加害者とは異なり、私は私のフィクション現実の周囲の人たちに言い触らしたりなどしていないのだから、私の配慮に少しは感謝してもらってもいいぐらいだ。

 世の中のセクハラ加害者たちは、私たちのような被害者たちが沈黙しているからといって、セクハラした過去を全く無かったことにできるなどとは思わない方がいい。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の中で、法的に罪に問えない人物に対して京極堂呪いを掛ける描写があったが、このフィクション呪いとして書いたようなものだ。呪いが在るのか無いのか私には分からないが。

 以上もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。一つ目の追記を書いた時には、ここに「とっぴんぱらりのぷう」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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 2022/05/29さら修正して追記

 私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいない。私は誰それの元・妻ですとも書いてはいない。

 では何故、私はフィクションと銘打って、人物特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラパワハラに置き換えたりして、考えを深めてくれることだろうと淡い希望も抱いていた。

 しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけられて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災朝鮮人虐殺を描いていて、日本人を攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか

 自分のことではないならば「この文章に書かれた人間同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか

 私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダ虐殺被害者でなければ、虐殺被害者ではないと言うつもりなのか。自分たち以外に、この社会構成している人間存在しないとでも思っているのか。

 仮に、ある痴漢事件冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか

 セクハラを含めたハラスメント被害というものは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解共感を得られると思ったのだ。

 それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。

 私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。

 「この文章自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章修正し始めて理解したが、そんな日が来ることはなさそうである

 この文章を書いた人間である私が、ある特定人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である

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 「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、苦渋の決断とはいえ書き加えたことで、私の文章から普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメント問題自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、今の私は、一部の人間をこの問い掛けの対象からは除外しようとしている。とんだ腰砕けだ。私は、セクハラを無くしたいと言いながら、土壇場になって、我が身かわいさの保身に走ったのだ。このクソみたいな自分自身のことを許せない。私にはセクハラハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った今、絶望しかない。

  • 理解しました。フィクションの中の被害者に、お疲れ様でしたと言いたい。 寄り添うどころか、身勝手に利用する邪悪さに嫌気がさします。

  • それが大切な人であっても、どんなに真剣に悩みを訴えていても、理解するまでに長い長い時間がかかることはある。

  •  2つ目の追記が長くなったことと修正部分があることから、独立して記しておく。元の文章を書いた時の私の気持ちと、今の私の気持ちである。元の文章は、いくつかの修正を加えたが...

    • 「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」 「ある人物の妻でない」から告訴したとして「ある人物の妻である」ことが証明された場...

  • はてサ「こんな匿名の場で何言ったって信用できないでしょwww」

  • 「セクハラを含めたハラスメントの被害を受けるのは、とても苦しい。 それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。」と、あなた自身が書いているが...

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