はてなキーワード: 通夜とは
気配りや思いやりのない看護師なんて即辞めるべきだと思う。気配りや思いやりが看護師に一番求められる資質ではないのか?
親族が病院に入院しているときや施設に入所しているときは、人質にとられている感じがして激しく抗議したいこともソフトに言うか、言わずに我慢するしかなかったりする。
病院の場合は、医療過誤があったとしても裁判で闘うと勝ち目はないし、認知症の施設で虐待による死亡事故があったとしても虐待が原因であることは分かりづらいし、さあお通夜だ、葬式だとアタフタするからうやむやになりやすい。
金品をもらうことに慣れてしまって、金品をもらわないと普通に仕事ができないなんていうのはもってのほかで、こういう医師や看護師は即刻辞めていただきましょう。公立の場合は、そういう行為を禁止されているところがほとんどではないかと思う。そのためかどうか知らないが、サービスもそれなりみたいな感じがする。
もちろん、気配りや思いやりがあり、毎日テキパキ明るく働く看護師さんも少なくないと思う。
「金パブ」と聞いてなんのことか分かる人は増田には少ないと思う。
「金パブ」とは数ある感冒薬の中でも薬局の棚で光り輝いている、
そんな「金パブ」を愛してやまない男がいた。アダ名はよっちゃん。
口が寂しいので、よっちゃんイカをしがみながら仕事をしているため、
よっちゃんと呼ばれたそうだ。
ちなみに知り合って5年になる。
よっちゃんは、目を覚ますとまず「金パブ」を牛乳で喉の奥へ流し込む。
それからショートホープを吸ってから、あらためて「金パブ」を水無しで飲む。
これは朝食代わりだそうだ。
「粉薬をよく水無しで飲めますね?」とよく聞かれるそうだが、
彼に言わせると、「なぜ、きな粉が食べられて、金パブが食べられないのか謎」だそうだ。
ちなみに彼は「金パブ」以外の朝食は摂らない。
朝の情報番組を見ながらしたくし、バスと私鉄にのって会社へ来ると、
かけつけ1杯とばかりに、ユニマットコーヒーで「金パブ」を飲む。
曰く、「カフェインと金パブの相乗効果」で臨戦態勢に身体がなるらしい。
しかし、よっちゃんは「金パブ」を飲むととたんに眠くなるみたいで、
食後には必ずドトールへ行って、紫煙をゆらし、「金パブ」を飲む。
そして会社へもどったよっちゃんはふたたび睡魔と戦いながら適当な電話をかけている。
と、くったくのない顔で彼はよく笑った。
そんなよっちゃんが死んだ。
司法解剖をしたところ通常白くなる肺が「金色」だったそうである。
あれだけ飲んでも風邪をひくのか。
後ろの方で、誰かがくしゃみをした。
1$が125円に。底ぬけたなー、という感じ。今月中に130円行っちゃうのかな。麻生、黒田は嘘でもいいから「歓迎しない」と言えばいいのにね。言うだけならタダなんだし。円安が進んだので、消費税10%導入と対して変わらん状況になったのだけれど、実際にはまだ消費税率は上がってないので、お通夜確定。もう一度延期したらすごいリーダーシップだと思うけどね。
政治家、経団連の人やらの富裕層の人たち向けの商品はもともと付加価値まみれなのでそうそう価格は変化しないのだろうけど、圧倒的大多数向け商品の価格は雪崩をうって(?)値上がりしてくね。それでも一部上場企業の決算、平均株価、景気一致指数なんぞを引き合いに出して、景気回復、というんだろう。言えば言うほど乖離していくのに。
結婚して実家を出てから、もしかして私の親は毒親だったんではないか?と思い始めたのでここで話させてください
三十路、既婚、子無しです。
実家にいた頃はとにかく親の言うことをよく聞いていました。
土日両方遊びに行くと怒られる(家で休みなさいと言われる)
一度学校とかから帰宅したら徒歩5分のコンビニとかに行くのも許されない
家の中にあるタオルなどのルールが決まっていて、間違えると怒鳴られる
外から帰ってきた時一度でも外で床においたものをを床に置くと汚いと怒られる
海外旅行(特に東南アジア)から帰ってくると汚物扱い。荷物は新聞紙の上にしか置けない。服は玄関で全てぬがされ、新聞紙の上しか歩けず、風呂場に直行させられる
こんな感じで息苦しかったです。
家を出てからは束縛されることもなく自由に暮らしているのですが、
仕方がないので予定を合わせたりするのですが、
土日はほとんど旦那と遊びに出掛けているので予定が合いません。
土日両方遊ぶなんて許されない、とか。
それが嫌なので実家から連絡が来ても無視したり、と疎遠にしています。
実家の超近くに住んでいますが、年に一度正月にしか合わなくなりました。
行ったことがバレると遊びすぎたと怒鳴られます。
遊ぶために共働きして頑張っているのに、なぜ怒られなくてはいけないのか。
そんな感じなので、旅行に行っても親にはおみやげは買わないし、そもそも旅行に行くことすら伝えなくなりました。
その結果旅行中に気がついたら祖母が死んでいたこともあり、通夜も葬式も出ませんでした(帰国したら山のような着信履歴)
これって、親は毒親なんですかね。過干渉なんですかね。
めんどくさいので交流してないのですが、実際こんな親いたらどうなんでしょう。
●会話が下手、弾まない、つまらない、
それは◯◯が出来てないから。ただそれだけだ。
これさえ出来れば激変するから、とりあえず読んでみてほしい。
「まず相手に興味を持て。」じゃないと始まらない。
…んなこと言われたって、興味の持ち方分かったら苦労しないよな。
そんなことでお茶を濁すことはしない。俺もこの手の啓発本は沢山読んできたからな。
ここで終止する本は、クソの役にも立たん。
●そうじゃない。
会話ベタに意識して欲しいのは、『会話の内容を相手に絡める/自分の気持ち・考えを織り交ぜる』これだけだ。
これが、会話が弾む奴と弾まない奴の決定的な違いだ。
「普段何してるんですか?インドア、アウトドア?→んーわりとインドアかな→家にいることが多い?→うん→家の中で何してるんですか?→映画見たり」
そもそもこんなインタビュー誰にでも出来るのであって、それでは、相手は「お前」と話してる意味が無い。
(この例示は相手も話下手)
そうじゃなくて、話題に対して、自分が相手に対してどういう印象を抱くか、話を聞いてどう思うか/考えるか、を中心に展開する。
「普段何してるですか?インドア?アウトドア?→んーわりとインドアかな→筋トレとか?笑→いや、筋トレはしないかなw 映画見たりしてる→うそ、鍛えてそうなのに笑→なんでw→映画だと何見るんですか?」
こんな感じで、自分が相手に対して抱く印象を適当でいいから冗談っぽく織り交ぜていく。
だから会話しつつ自分が相手に抱く印象伝えたり、逆に自分の気持ち/考えを伝える。
それがない質疑応答みたいな、インタビューみたいな会話が、盛り上がるはずない。
オウム返しとか5W1Hとか事務的に会話を広げるテクニックなんか会話で悩んでる人間には、糞の役にも立たん。
逆にこれさえ出来れば会話は弾む。もっと言えば、同時に自分のことも相手に伝えてほしい。
自分のイメージ、考えを伝えることを通して、相手の価値観を知り、同時に自分をアピールする。魅力ない人間とわざわざ関わろうとは思わんからね。
●逆に話題がない場合、自分が相手に抱く勝手なイメージを前提に話進める。
おしゃれですよね!表参道とか青山にいそう→いやいやw あんまり行かないかも、地元が多い→そうなんですかw→買い物とかどの辺でします?
基本相手をヨイショしつつ、楽しい雰囲気を出しつつ、多少小馬鹿にして立場を同等(あるいはこっち主導)にしつつ、話をする。
共通点を探すのも大事。ただ、それだと共通点がない相手とは会話が出来ない。でも、自分のイメージは自分固有のものだし、考え方もそう。
人は互いにバックグラウンドが違うがゆえに、今の思考/気持ちも違うし、会話を通してそれを知れば、あるいは知ってくれたと思えば、仲良くなれる。
●会話が下手な奴はこれが出来ない。
その背景には、トラウマ、自己否定、劣等感がある。こいつが厄介だ。
なので、アサーション(相手と自分の立場が同等であるということ)を感じる必要もある。この辺に関しては今は言及しない。
とりあえず上記のことを意識してみてほしい。
2月。同じグループで仲良しだった同級生が自殺して、週末に葬式だった。ぼくらはよく7人の仲間で、またはそれぞれの妻や子供と、みんなで一緒に遊んでいた。20代も終わる頃のぼくらは、やったこともない、仲間にやり方を教わるわけにもいかない慣れない葬式の受付で四苦八苦していた。そりゃあそうだよな、20代で仲間内の葬式なんか普通はやらないんだ。
それは突然だった。ある火曜の夜、「あいつが失踪したらしい」という知らせがいつものLINEグループに入った。奥さんや最後に話したぼくらの仲間も知っている友人に不穏なLINEが入っていたとのことで、これはただごとではないという話になった。
正直もうずっと見つからなくてもいいから、どこかで元気に生きて欲しいと思った。見つかってしまったら、それはもう終わりの合図のような気がしたからだ。翌日、水曜の夜にはそれぞれの心配はあっというまに落胆に変わった。ご遺体となった友人が地元近くの街で見つかったとのことだった。
木曜のうちにはグループの何人かは顔を見にいった。ぼくは金曜の夜、仕事を早めに終わらせて新幹線で地元へ帰り、友人の家に向かった。15年ぶりくらいだったので、家を見つけるのも一苦労だった。奥さんも同級生だったし、別の友人が同じように挨拶にきていた。顔を見て、それでも実感がなくて、そのまま帰宅して、先に挙げた同級生グループの仲間とデニーズで朝までしゃべった。なんで死んじゃったんだろう、話題はそれだけだ。
土曜。夕方からお通夜。ぼくらはもちろん、誰も葬式の受付なんかやったことないので、みんな泣くのをこらえながらそれぞれの仕事をこなしていた。夜になりぼくらは解散し、ぼくはひとり都内の一人暮らしの部屋に帰った。以前の仕事の同期だった1月からLINEが既読にならない友人に電話をした。「もう使われていない番号」とのことだった。
嫌な予感を胸に抱えつつ、その同期と特に仲が良かった共通の友人に電話すると、実は同期の友人は1月に自殺してしまったとのことだった。一週間にふたりも友人を自殺で失ったというわけだ。自分の中でそれなりに形作られていた死生観っぽい何かが、まったく無くなってしまった。意味をなさないものになってしまった。
何かを言いたいわけでも伝えたいわけでもない。吐き出すのにちょうどいいブログサービスがなくて、そこに増田があったからちょうどよかっただけだ。
一段楽したので、自分の整理のために書いておく
2年の終わりから休学してる。
というのも去年、親が事故で死んだ。
なんかすごいあっけなかった。
で、しばらくボーとしてたら、当然現実が襲ってくる。
これがオレの現実だった。
オレの衣食住までどうにかしてくれるほど実入りがいいわけじゃない。
大学は出ておけといってくれて
毎月3万円くれることになった。
兄貴にはかなり痛い出費だと思うけど
それでも下宿や食事、そして学費にかかる金は、毎月3万じゃ焼け石に水。
どうしようかと考えて、まずはバイトを強化してみた。
何倍も稼ぐようになった。
けど、まぁ体は素直にボロボロになっていく。
何より、あんまりお金がたまってる気がしない。
手元に50万のこったけど、学費の分納で40万もって行かれる。
もう、学校辞めようかなとも思った。
そんな時、深夜バイトで仲良くなったやつが、
待ち合わせの店先でなんだかおかしなことをやってるのに気がついた。
「なにやってんの?」って聞いたら
「転売だよー」って軽い答え。
聞いてみるとAmazon転売っていうものらしく、最近はやってるんだとか。
オレもやってみたいというと、んじゃツール買いなって紹介されたのがこれだった。
それから目の前で実際に使ってるのを見て、買うことに。
後から知ったんだけど、この手のものって毎月課金されるものらしい。
結果から言うと、かなり安い買い物だった。
Amazonとの差額を調べる。
売れる商品かどうかってのが分かるところ。
物を売るのに「売れないから仕入れない」っていう選択は
なんだか、単にツールの言うがままに買い物してるだけだなというと
「実際、そうだよ?」とかいわれて。
育英会だの遺児基金だの、学費名目なら書類一つで低金利の金が借りれる。
全ては転売を本格的に始めるために。
なんとか手元に200万円集まった。
正直、これが限界だったんだと思う。
でも、これが良い方向につながった。
A氏という人のコンサルを受けた。
この人、転売はもちろん、それ以外のこともかなりすごい。
ネット上で金を稼ぐやり方も教えてくれるらしい。
ともあれ、その人の言うとおりにやってみた。
投入資金150万円。
最初の一月で100万円を越える仕入はなかなかできないらしいけど
A氏の言うとおりに、毎日がむしゃらにやってたら、あっけなく達成した。
仕入に使った店は
こことか
こことか。
で。
価格を調整しながら待つこと2週間。
最初の入金は50万円だった。
150万投資して50万のリターン。
50万の入金があった日も、相変わらず商品は売れ続けていて
どんどん現金になっているわけで。
その時点で全部商品が売れたとすると250万近くが
うん、大金持ちや!と思った。
けどまぁ、現実はそんなに甘くない。
今入ってきた50万と取っておいた20万から生活費を引いて・・・・
それが去年の2月。
その間、半年の予定だった休学を1年に延ばして
ほとんどが仕入だった。
一人でへこみそうになったときも、なんとかやっていけた。
で、昨日。
手元の資金はまだ400万残ってる。
その間に荷物運びようの車を中古で買って
家賃は+3万だったけど、転売での稼ぎを考えると費用対効果は十分だった。
週に何日か、しっかり仕入をするだけで、体の負担も少なくてすんでる。
良い材料しか残ってないな、とおもって、今ふぅっとこれを書いてみた。
さて、出品作業するかな。
注:amiiboの村人がなかなかアツいです。
はてブで上がってたこのページを見て、俺も最近爺さんが亡くなった時に葬儀のお手伝いをしたので忘備録がてら書いてみる。
癌が発覚したのは約半年前だった。70歳の誕生日を迎えたばかりのことだった。
発覚した時点ですでにステージ3だった。
誰もが回復に期待した。
しかし、本人がその後の抗癌剤治療をすべて拒否してしまった。意外だった。
母はというと「癌は治せるってテレビでも本でもいってるじゃない」の一点張り。
その後家族仲はどんどん悪くなり、実家に立ち寄る回数も減っていった。
その後はあっという間だった。
ある日突然倒れ、その日のうちに病院で亡くなった。
びっくりするくらい体は痩せこけ、足だけがパンパンに浮腫んでいた。
それでも母は「良くなってると思ったのに…」しか言わなかった。
見た目がこんなにも変化していたというのに、それに気付かなかったのかということに驚くと同時に
それくらいに家族仲は冷えていた。
「癌は治せる!」「医療が人を殺す」「癌で医者にかかるな!」といった本ばかりがずらりと並んでいた。
父も母も、こうして自分達が望む情報しか選別していなかったのだと思うと
たとえ親子の縁を切られたとしても、もっと説得すべきじゃなかったのかという後悔だけが残った。
父も母も、PCをまともに扱う事ができない。
この世代は説得が通じない。
その「反医療」的な価値観は、いつ、何がきっかけで、どこから来たのだろうか…。
何より強くそう感じた。
>話の輪に入れない。
周りの人の話を聞いてないから、輪に加われない
>みんなワイワイ笑いを交えながら喋ってるのに、俺と喋ってる人だけ全員お通夜みたいなマジ顔
相手が何を話してたか聞いてないから、会話のキャッチボールができない(相手が取れる程度のちょうどいい球が投げられない)
人の話を聞いていなければ「へーそうなんだ、すごいね!それで?」程度の、きわめてテクニカルで低レベルな相槌でさえ、適切な場所に入れることはできない
>こっちはそういう状態が自分も辛いし、相手にも申し訳ないので、なんとか笑顔で明るく楽しく喋ってる雰囲気を作ろうとするんだが、
>そういう気負いが重いのか、相手が100%の作り笑顔で疲れていくのがよくわかる
なんか空気読めない人いる…と思われてるのは一応理解できている模様なんだけどさ…
>最初はコミュ障でも、がんばって愛想笑いのひとつでもしとけば職場の人間関係も多少は円滑になって、
愛想笑い=その場が楽しくないと思ってる人の記号。自分でも上の方で『相手が100%の作り笑顔で疲れていく』って言ってるじゃん
増田が他人の愛想笑いに申し訳なく思うように、相手も増田に対して居たたまれない気持ちになってるというのに、
なぜ「せめて愛想笑いでも」がOKラインになるのだ?相手に申し訳なく思わせたいわけ?
仕事を上手く回せるようになるだろうと思って、宴会苦手だけどがんばって参加しようと決意していたが、
>利害が透けて見える人付き合いほど、相手を鼻白ませるものはない
仕事だと割り切って参加してるけど、行くたびに自分ってなんてつまらない人間なんだろうと痛感させられる
みんなワイワイ笑いを交えながら喋ってるのに、俺と喋ってる人だけ全員お通夜みたいなマジ顔
こっちはそういう状態が自分も辛いし、相手にも申し訳ないので、なんとか笑顔で明るく楽しく喋ってる雰囲気を作ろうとするんだが、
そういう気負いが重いのか、相手が100%の作り笑顔で疲れていくのがよくわかる
最初はコミュ障でも、がんばって愛想笑いのひとつでもしとけば職場の人間関係も多少は円滑になって、
仕事を上手く回せるようになるだろうと思って、宴会苦手だけどがんばって参加しようと決意していたが、
だんだん参加するだけ場を盛り下げるのだから、似合わない事はやめて、仕事の関係と割り切って付き合った方が自分も相手も楽なんじゃないか、と思えてきた
そのくせ寂しがり屋で、人に好かれたいという気持ちは強いのだから困る
会社に休む時にやたらと『親戚の葬儀があるんで』を使う同僚がいる。
うちの会社が有給申請の理由にやたらとケチをつける癖に、冠婚葬祭に関してただけは空気を読もうとしてくるのが原因なのかもしれない。
今たしかにそこにある高熱よりも、非実在かも知れない親戚の死。
しかし彼に関してだけは正常が異常に変わる。
あるときだったか、飲み会をサボる時にすら「今日はこれから通夜があるんで」と言って私達の元を去っていった。
彼にとって親戚の死は凄い軽い。
なにせ彼が今まで「祖母の葬儀が」と述べた回数を合わせると10回に及ぶらしいのだから。
曾祖母が奇跡的に全員少し前まで存命だったとしても2+4で6人にしかならない。
彼のひいひいお婆ちゃんのうち半数が彼の入社時にはまだ生きていた可能性もなくはないが、
それならば今度は「祖母」と一括りに表現するぞんざいさが人としてありえない。
その事について一度彼に質問してみた事がある。
私「お婆さんが死んだって事にして休んだ回数多すぎませんか?」
彼「あー、うち家系図が凄い不雑なんですよ」
私「それにしたって多すぎでしょ」
彼「いいじゃないですか別に」
私「いいじゃないですかって、人の死を軽んじるような言い方は」
彼「まあまあ、どうせ実在しないんですから問題ないでしょう?」
私「実在しないんですか?」
彼「そうですよ。僕の祖母なんて最初からいないし、僕自身も最初からいないんですから」
私「えっ?」
彼「だってこれは貴女自身が書いてる釣りじゃないですか。最初から存在しない人をでっち上げて適当にブコメが集まればいいなっていう釣り増田ですよ」
彼「あなたも最初の内は釣りなんてする人じゃなかった。普通に増田を書いてても三桁ブクマを行ける程度には、内面に悪いものが溜まっていましからね」
彼「増田で伸びるのって、クズへのリンチ、傷の舐め合い、そういった負の感情が累積している物ばかりですからね」
彼「ここに来たばかりの頃はあなたにもそういった悪い話題の『弾』が沢山あった」
彼「でもすぐにその『弾』はなくなってしまい。今では気まぐれに長文を打っても0ブクマ、喧嘩を売っても0トラバだ」
彼「その上何の迷いか始めてみたブログは数ヶ月たっても週のヒット数が今まで一番伸びたブクマ数にも届かないと来てる」
彼「ヒット数がブクマの数に負ける。屈辱でしか無いですよ。昔の自分に今の自分がコテンパンにやらちまったんですから」
彼「そうして釣りを書こうとしてみた」
彼「でも結果がこれですよ」
彼「ナンデスカコレ?」
彼「でっち上げるにしてももう少し不特定多数の義憤を誘えそうなネタもあったでしょうに」
彼「本当何がしたかったんでしょうね」
彼「まあいいや、これぐらいにして僕は消えましょう」
彼「最初から存在しなかった癖に、ずいぶんと長くしゃべり過ぎた」
彼「釣りってのはもっとスマートに行かないとイケませんかね。とはいえこれはもう釣りでもなんでもありやせんがね」
彼「みなさん。婆さんは大切にするんですぜ。いやいや、あなた方のご母堂の事を言ってるんですよ。既に高齢者か、もうすぐって所でしょう?大事にしておやんなさいな」
親に1億円もらって、それを運用しながら一人暮らししてたのね。
まあ、体のいい勘当みたいなもん。
んで、都内で良い物件を見つけたから引っ越そうと思って不動産屋行ったのね。
家賃10万円ぐらいの割に、かなりシャレオツでカッコ良くて内装も奇麗だったから気に入った。
(都内と言っても、ちょっと田舎っていうか駅から遠いとこね。俺駅とか関係ないから)
今回は諸事情から親パワーが使えないので審査が心配だったけど、
通帳見せたら営業もノリノリで内覧とかさしてくれるから、もう大丈夫だと思った。
油断。。。っていうのかな?
そんなもんが出てた。ちょっぴり。
(不動産屋には見栄張って外資系金融機関を退職後に自分で資産運用しながら喰ってるって設定にした)
営業「その歳で投資家って良いですねー。うらやましいですよ」
俺「いやー、そんな良いもんじゃないっすよー。大損した時なんてすごいストレス溜りますよー」
営業「へー、そうなんですか。ストレス発散はどうしてるんですか?やっぱり美味しいものとか食べてるんでしょー?」
俺「いやー、俺ヒキコモリっていうか、レストランとか怖いんで、ひたすら家でストレス発散してます」
営業「家にずっと居てストレス発散なんてできるんですか?」
俺「できますよー。俺趣味がドラムなんです。ドラムは良いですよー。俺夜寝れない事が多いんですけど、そんな時はいつもより激しく叩いてま。。。あ、いや電子ドラムだから音はそんなに出ない、ような気がしますしおすし」(だんだん小声)
営業「へ、へー、それは良い趣味ですね。。。。」
俺「。。。」
営業「。。。ちなみに、いくらお金持っていても、あの言いにくいんですが、無職と同じというか、保証会社の判断で審査が落ちる場合もありますので。。。」
俺「。。。はい。。。」
俺の親父はドケチだった.
とにかくドケチだった.
口を開けば「カネがない」とグチった.
貧乏だった.
食う物と言えばパンの耳,着るものと言えばボロ雑巾みたいな古着だった.
ガキだった俺は友達が持っているスーファミが羨ましくて親父にせがんだ.
帰ってきたのはゲンコツだった.
そんなカネねえ,と.
ドケチなクソ親父め.
でも俺はあきらめなかった.
キャラクターをテレビの中で自由に動かせるのに,熱中していた.
根負けしたのか,なんとかしてやると言い出した.
俺は興奮で眠れぬ夜を過ごした.
どうやら友人から譲ってもらったらしい.
なんだか嫌な予感がしながら電源を入れたら,文字しか出てこねぇし,なにすりゃいいのか分からないし,
まさに「コレジャナイ~」と泣きながら手足をバタバタさせてダダをコネたい気持ちになった.
やっぱりクソ親父はクソ親父だった.
曰く,
「これさえあればゲームを作れるらしい.そんなに欲しいなら自分で作れ」
始めはとっつきにくかったが,やってみると面白かった.
「ゲームを自分で作れる」という魅力的な言葉に酔っていたのかもしれない.
これでいつか俺も,F-ZEROを作ってやるぞと,本気で思っていた.
ゴミ捨て場から拾ってきた古いベーマガを読みながら,小さなゲームを作っては楽しんでいた.
始めてジャンケンができるプログラムを作った時の感動は忘れられない.
グラフィカルなゲームは作れなかったが,友達も一緒になって楽しんでくれた.
だが中学2年に上がるころ,長年連れ添った俺の愛機が突然動かなくなった.
ついに寿命が尽きたのだ.
俺はこの世の終わりのように感じた.
まるで愛犬に死なれたような気持ちだった.
しばらく学校も休んだ.
今思えば前の持ち主から数えて10年近く,よく動き続けたものだと感心する.
ドケチな親父は,当然だが新しいPCを買ってくれるわけはなかった.
帰ってきた言葉は
「そんなに欲しいなら自分で作れ」
新聞配達で稼いだ金で少しずつパーツを買い集めた.
始めて自作PCが立ち上がった時は感動した.
親父に本を買ってくれと言ったら,始めは渋っていたが,ボロボロの技術書を何冊か古本屋から調達してくれた.
ヴォルトのアルゴリズムとデータ構造と,クヌースのThe Art of Computer Programmingもあった.
難しすぎたし技術的なところが足りないから,遠くの図書館までわざわざ出かけて技術書を借りてきては読みふけった.
学校の授業中にも読んでいた.
プログラミングの技術はもちろん,画像処理のための数学の道具についても勉強した.
同級生が2次方程式や因数分解をやっている横で,三角関数や行列計算をしていた.
特にアフィン変換には感動させられた.
こんな風に言うと,さぞ数学の成績がよかったのだろうと思うのかもしれないが,テストの点はそこそこだった.
コードを書くのに必要な概念として知っているだけで,証明問題は苦手だった.
それと,古典や社会の時間は全部すっぽかしてノートにコード書いてたから散々だった.
高校に入ったあたりでX windowシステムを使ったグラフィカルなゲームを作れるようになった.
出てきた敵を撃つだけの簡単なインベーダーゲームに始まり,オセロ,ブロック崩し,ウィザードリィみたいな迷宮探索ゲーム,思いつく物何でも作った.
友達の家にもPCがあるところが多くて,Windowsに移植して簡単なネットワーク型対戦ゲームなんかを作ったりもした.
ここまで本格的にゲームプログラミングをやっていると,さすがにジャンクパーツを集めただけのPCでは性能に不満が出ることが多くなってきた.
ビルドの待ち時間が長くていらいらしたり,友達の家で動くゲームが自分のPCで動かなかったりした.
「自分で稼いで買え」
親父はどこから取ってきたのか,俺でもこなせる程度の仕事を持ってきた.
始めはパソコン教室のバイトだったり,ゲームのデバッグだったり,まともなバイトだったのが,
ある日学校から帰ってくると,何に使うのかは知らないが,明日までにこういうコードを書けと言われて徹夜でプログラミングしたりするようになった.
プロの書いたらしいコードを読んで書き直す作業は,かなりの勉強になった.
給料は親父から手渡しで貰ったが,今まで見た事もないような額になった.
その金で新しいマザーボードとPentium IIと32MBメモリを何枚かと,自分の開発環境用にWindowsPCを作った.
こんな感じで高校には通っていたものの,勉強らしい勉強はほとんどしないで過ごした.
それでも,手に職はあるわけだし,しばらくは同人ゲームでも作って過ごそうと思っていた.
だけど親父は反対で,大学ぐらい入れと言い出した.
それでもやる気のなかった俺に,
一体何が起こった,このクソ親父,脳の病気にでもかかったかと本気で疑った.
どうやら正気で言っているらしいと分かると,俺も必死に勉強を始めた.
そうは言っても,中学時代から受験を意識した勉強なんてさっぱりしてこなかった俺には,何をどうしていいのか分からない.
しかも,やっぱり親父はドケチで,塾や予備校なんていく金は無い.
しかたがないから高校時代の友達で,頭のいい大学に行ったやつにお世話になることになった.
厚かましくも,キャンパスにまでついていったりしていたから,新入生として入って行くと顔見知りに驚かれた.
親父は約束通りPower Macintosh G3を買ってくれた.
だが,俺の親父はドケチだった.
「せっかくいいパソコン買ってやったんだから,そいつで学費ぐらい稼げ」
さすがにそいつは無いだろうと思った.
自分で遊ぶ分くらいは当然稼ぐつもりだったが,学費丸ごととは.
いくら国立大学とは言え4年分の学費となると200万ほどになる.
しかも教科書代やもろもろを考えると300万円は無いと厳しい.
300万円稼ぐために俺ができることと言えば,やはりゲームを作るぐらいだった.
志望動機を聞かれて,
「ゲームを作って300万円ほど稼ぐためです」
と言ったら爆笑された.
金が必要な理由を言ったら,一瞬でお通夜みたいな空気になったけれど.
先輩が相談に乗ってくれて,成績優秀なら学費は免除になったり半額になったりすることを教えてくれた.
それならなんとかできそうな金額だった.
プログラミングをしているだけなのに,「お勉強」として扱われるなんて.
今まで何気なく使ってきた道具に,こんなに深い基礎理論があるなんて,知らなかった.
講義が終わったらサークル棟に入り浸って,入学祝いのMacintoshで朝までゲームを作ったりしていた.
学費を稼ぐためのゲームだが,やはりエロゲを作ろうということになった.
ただし,そのためには絵師が必要だということで,先輩が漫画研究会から絵師をスカウトしてきた.
一目惚れした.
こんなちっこくてクリクリして可愛い女の子が,こんなドエロい絵を描くなんて!
俺の頭はすっかり茹だって,も~だめだ~という感じになった.
それから,なんやかんやあって,結果的に彼女は俺の嫁になった.
詳細は伏せるが,なかなかにこっ恥ずかしい青春を送った.
今まで○とか■とか,ちょっとしたドット絵でしかなかったキャラクターに命が吹き込まれるようだった.
先輩たちが,売上金を快く俺にカンパしてくれたおかげでもある.
満ち足りた大学生活だった.
スーファミはもう時代遅れになったが,自分の作ったゲームが本当に発売されて,ゲーム機の中で動いているのを見た時は嬉しくて泣いた.
娘が生まれた時と,どっちがと思うくらい泣いた.
さて,俺のドケチな親父だが,娘が生まれてほどなくして死んだ.
あんなにドケチに金を惜しんでいたのに,財産も何も残さず死んだ.
遺書を読んだら,葬儀は簡素に親族だけで行うように,とあった.
親戚付き合いらしい親戚も居ないし,どうせ誰も来ないだろうと思っていたが,
葬式当日には呼んでもないのに大勢の参列があって,なんだこれは,人違いかなにかかと思った.
なんでも,親父の運営するNPO法人の従業員だとか,親父の寄付金で建てた養護施設の代表さんだとか,
親父とは無縁の世界の住人だとばかり思っていた,立派な善人ばかりだった.
家に居ないことの多い親父が外で何をしているかなんて興味なかったし,どうせ競馬かなんかで稼いでるんだろうと思っていた.
葬儀が終わって,ちょっとした額になった香典の山を眺めていると,
「さあ自由に使っていいカネだぞ.お前はそれで何をするんだ?」
そんな声が聞こえてくるようだった.
なんだかむかついたので,その金は今まで通った学校にプログラミング関係の本を寄付するのに使うことにした.
一銭も残さずに,全部.
それでもなんだか負けた気分だったから,ボーナスをつぎ込んで,倍額にして寄付してやった.
ドケチなクソ親父を,見返してやった.
最高の気分だった.
それが6年ほど前の話だ.
ところで最近,小学校に上がった娘が,アニメに出てくるようなフリフリなドレスを着て学校に行きたいと言い出した.
もうそんなお年ごろになったのか.
子供には不自由させたくないと思っていたが,調べてみると我が子の眼鏡にかなう服は,日常的に着る服にしては,ちょっと高い.
悩ましい問題だ.
さて,どうやって安上がりにすませようか.
今まで迷ったことはあったけど、それは複数の選択肢でどれにするのかという悩みであって、今とは違う。
今はどう生きればいいのかわからない
あまりに突然で、朝見送ったときはつわりはあったけれども、元気だったのに、死んだ。
薄目を開いてこっちを見ている。
泣き叫ぶことしかできなかった。
本当に、何もかも信じられなかった。
妻が死んだことも、自分がなんでここで泣いているのかもわからなかった。
嘘であって欲しかった。
本当に嘘であって欲しかった。
妻は子供が生まれるのを心底楽しみにしていた。
ありがちなのかもしれないけれども、生まれる前から男の子でも女の子でもいいように二つ名前を考えた。
あと、男の子だったら春馬は?
と妻。
でも春馬はちょっとなー。
なんかいまどきっぽいし。
伊織は?
と俺。
伊織なんて変な名前なんて言ってたくせに、翌日には男の子だったら伊織ねなんて言ってくるから、こっちはたまったもんじゃない。
ベビーカーもいるよね、アプリコットってメーカーがいいらしいよ、あと他にもベビーベッドとかいろいろ買わなきゃね。
あんたに似たらキツネみたいになりそうだから嫌やわーとクスクス笑いながら言った。
そのあとのお通夜と告別式の準備も、非日常すぎて全く現実感がわかなった。
多くの人たちが来てくれた。
妻の友人や会社の同僚、上司、俺の友達が泣いているのを見て、やっぱり現実なんだと自分も泣いた。
なによりもそんなみんなを前にして、何も反応しない妻は、生きているみたいなのに、やっぱり死んでいた。
いつもみたいに、半目を開けた間抜けな顔だった。
一週間、仕事を休み、事故の時に居合わせた医師の方にお礼を言いにいき、少しでも事故の内容を詳しく知るために警察に行った。
でも、ただただ、つらい現実を知るだけだった。
妻が死んでから、仕事が忙しくて、こんな時に何やってんだろうと思いながら、働いて、とりあえず、今日一段落したからこれを書いている。
ただ、そこにいてくれることが、どれだけ自分のことを支えてくれいてだろうと、今さらながら思う。
とびきり美人でもない。
帰ってきても横になりながらテレビ見てる。
口を開いたら憎まれ口ばっかりだし、自分勝手なところもあった。
でも、普段は当たり前すぎてわからないその存在が、いてくれるだけなのに、その存在は間違いなく俺に生きる意味を与えてくれていた。
俺が世の中にいていいということを、家族以外で唯一肯定してくれていた人だと、今はそう思う。
当たり前の存在だった妻は、そこにいない。
もう、どうやって生きていけばいいのかわからない。
恥すらかけないほど影の薄い人生を送ってきました。
小さい頃から勉強はそこそこできて運動もそこそこできて全部中の上で、特に問題も起こさない。
で、どんどん自意識ばっかり膨れ上がってオタクになり性格捻じ曲げても地味なので別に誰にも苦にもされずここまで来たわけですよ。
まあそんな中身の薄い人生送ってたら、当然就活なんて上手くいくはずもなく。15卒NNTなわけであります。
自殺まで考えたこともありましたが、あれ。ちょっとまてよ。と。
これ、私生まれて初めて珍しい存在になってないか?と。
いや、6月NNTなんぞ別段珍しくもなんともねーよクソが。と思われるかもしれないのですが、少なくとも私の周りの友人達は次々と内定決めてる素晴らしい方々ばかりなので、そのコミュニティの中では珍しい。もしかしたら、一番のクズなのではないか?
私が……一番……と今気づいてしまったわけです。
笑わせてやるぜ……中途半端なやつじゃお通夜の空気になるだけだ。
そして何より、就活向いてないわーとか言って投げ出したら面白くねえわ。