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仲が良かった友人の、身内鍵アカウントから断絶されていたのに今日気づいた。
初めて会ったのは2019年の1月だった。Twitterで仲良くなり始めたのは…いつだったっけ。ずいぶん前だったからもう覚えてないけど、1回会ったら何回も遊ぶようになって、お互いがお互いといる時間が楽しいなと思うようになって、6月には相手の家に泊まりに行って、私は初めてお酒を飲んだり深夜にコンビニに行ったり、友人はベースを買って一緒にスタジオで演奏もした。
まず私は人からの好意を素直に受け取るのが苦手な上に自己主張をしないたちで、向こうも伝えるのが苦手だったし、あんまり自分の内側の話を面と向かって話さないけど一緒にいる空間をここちいと思っていた。私だけだったのかもしれないけど。
共通の友人も増えた。それこそ一緒にスタジオ練だとか、カラオケだとか、大学が終わったその足で家に行ったり、何人かでご飯に行ったり。言って仕舞えば当たり障りのない関係というか、仲良いよね〜私たちいい友達だね!と言い聞かせてるみたいで、でもその形に当てはめられているのは不快ではなかったし、私としては好都合だった。
三ヶ月くらいしてから、妙によそよそしくなった。私がいたら喋ってくれなくなった。露骨に裂けてるなー、と判る態度を取られて、それってつまり悪者にしたいわけだね?と悲しくなった私は、本人は見えないけど共通の友人がいるアカウントに@tosという便利な機能で愚痴を書いた。無視はひどくなった。内通者の存在がわかりやすいなー、と思いながら、個人のラインに直接「なんでそういう態度をとるのか」聞いて、向こうの認識と私の振る舞いの相違があるなあ〜なんて考えた。一度壊れかけたものは頑張って戻しても不和がちらつくようになるから、もう無理だと思った私は話を着地させてそれ以来話すのをやめた。友人は私より人気者であり、話題に上りやすかったので、私も仲良くしたかったのにな〜〜〜〜〜とか考えたくないので名前やら渾名やらをぜんぶミュートワードに入れた。
先日、共通の友人のうちの一人と腰を据えて話す機会があった。お酒をゆっくり体に回しながら、自分の人間性の話や、聞きたくもない自己分析を聞いて、その流れで仲違いした友人の話になった。
「相談乗ってたんだよ」と彼は言って、「もともと君もあの人もスタート地点が違っていて、仲がいいと思い込んでいた。けど、そうじゃないって気づいて、踏み外したところから直ろうとした(からこうなった。)」と続けられた。友人はその意見に納得したらしく、正しいものであると繰り返し主張する彼に腹が立った。
結局ここまで打ってもわたしはまだ彼女とまた仲良くしたいだけで、かなわないことが悲しくって考えていることがまとまらないにちがいないのだ。新しい環境に入っていく彼女はきっと素晴らしい人間に囲まれて、持ち前のカリスマ性でのしあがっていったり、彼女なりの幸せを過ごしていくのだろう。私のことは忘れていくのだろう、 ああ〜でもやっぱさびしいなあ 仲良くしていたかったな〜〜どこで間違えたんだろうなあ 許さなくていいからあと1回だけでも遊んで欲しかったよ 次の夏は私も混ぜていっしょに花火しよって言ったじゃん 8月から9月の間になにがあったんだよ さびしいよー
人に大切に扱われたこと、自分が誰かを大切にしたことを思い出してみよう、と言われ目を閉じて考えてみた
が、あの人の優しさは言わば営業だよなあ、とか、あの人の優しさはまあ弱者への哀れみだろうな、とか、親の優しさは‥生物としてのものと惰性みたいなもんだな、とか
ろくなことが思い浮かばなかった
じゃあ逆に自分がした他人への優しさは、と思い返すも、相手を思っての優しさというよりは自分の信念でやってることがほとんどのような感じだ
とある自分語りマンガで作者が、優しくしているのに相手から感謝されないことを悩んでいた
作者はなぜ感謝されないのか、ということについて、自分を評価しろという見返りのための優しさだからだ、そういうのが相手に伝わるのだろうと自己分析していた
私も結局自分の信念と自分の中での行動規範に基づいたものなので、たぶん相手はとくに感謝も感じないだろうなと思う
そう思うと人に優しくされ、返ってくる関係には、両者が同じ思考パターンを持っていないと成り立たないよな、…
きっとインストラクターの先生のしてほしかった瞑想は違うんだろうな、もっとこう、人に感謝していこう…とか、人の優しさに気づいていこう…とかいうイメージを持つべきだったんだろうな、と思い、しまったと思った
結論から言おう。僕は就活に失敗した。理由は明確で、自己分析が全く足りていなかったから。この記事は、皆さんに自己分析の大切さを口酸っぱく伝えることが目的だ。「そんなこと言われなくてもわかっている」という方も、反面教師として嘲笑する目的で読んでほしい。
僕は、いろいろあって、新卒で入った会社を3月末で退職する。世間では「3年は働け」とよく言われているが、これは半分間違いで半分正解である。精神が病むほどひどい環境ならやめるべきだが、そのかわり転職の難易度はグッと高くなってしまう。なのでできることなら、頑張って長く続けたほうがいい。そういう僕が1年で退職するということは、頑張って長く続けることが不可能だと感じたからだ。
これから、自分が仕事をやめる原因となった「いろいろ」について延々と語っていく。時間がない方は、下の方にある「【幸せとは何か、とは哲学でなく分析である】」まで飛ばしていただくのが良いと思う。
就活の時期、私はプチ鬱に陥っていた。大学の研究室の多忙さと、難航する就職活動。「人の心を動かしたい」という信念のもと、エンタメに関わる仕事がしたくて、倍率の高い大企業しか受けていなかったのだ。20〜30エントリーするべきと言われていたところ、僕は10社未満しか応募できていなかった。その結果見事に全落ち。路頭に彷徨っていた時に拾ってもらったのが、いま僕が働いている会社だ。
この会社は、数十人規模の中小企業だった。不況の荒波に流されないよう必死にしがみついていて、必然と業務もハードになる。裁量労働制という、無知な人にとっては「最新鋭」と思われそうな制度のおかげで、全員時間を気にせず残業しまくっていた。
正直、労働環境は劣悪だった。特に大変だったのが、自分の周りに歳上の女性しかいない環境。いちばん歳の近い男性が上長、さらに同期はほぼ一人もいない。男子校で6年間育ってきた僕にとって、女子校のような職場は未知数だった。そんな状況でも、熱意があるから頑張れると思っていた。思ってしまったのだ。
業務内容は、僕の好きな分野だった。毎日新鮮な体験ができ、仕事が楽しくてたまらなかった。一年目でまだまだ仕事ができない自分だが、楽しいから頑張っていける。そう思っていたのも約半年、そして僕は現実を思い知った。
仕事が思っていたよりできるようにならない。なぜならば、上司に相談しやすい環境が全く整っていなかったからだ。いちばん歳が近い上司は、「それ前も言ったよね?」と覚えが悪いことを怒る。女性が怖くなり、男性に相談しようとしても、いちばん歳が近いのが部長なのでなかなか相談しづらい。そんな環境で、何が正解かわからなくなっていた。
もちろん入社前から予見していたことだが、人数も少なく多忙な会社に、新卒を教育する余裕なんて全くなかったのだ。「仕事覚えが悪いせいだ」と言われたらそれまでだが、僕からすると、あまりにも部下の失敗に対する寛容さが足りていなかったように思えた。
やめるかもしれない、と思い始めたのが11月。立て続けの仕事に追われ、ストレス発散のために飲みの予定を立てた。学生時代お世話になっていた方との飲み会で、絶対に断りたくなかった。その日、上司から仕事を頼まれた。僕は苦渋の思いで仕事を断った。その結果、その上司からの評価がガタ落ちした。
全て断定形で書くとこんな感じ。こうして見れば大したことない出来事だが、その後に問題があった。僕だけがいない飲み会で、僕の悪口で盛り上がっていたそうだ。
部長は、全てを大声で話す人だ。叱る時は大声かグループラインで。内緒話もできない。その上長がいる飲み会で僕の悪口を言えば、きっとそれが僕にも伝わってくるだろう。そういう確信のもと、僕は飲み会をサボったのだった。
確信は事実へと変わった。全員がいる職場で、「お前けちょんけちょんに言われていたぞ」と大声で言い放つ部長。その瞬間、私の熱意は温度を失った。
別に、私が仕事をサボったことに関して悪口を言われるのは良い。だが、それ以外にも、芋づる式に私への罵詈雑言が飛んでいたそうだ。良かれと思ってやったことが、その上司にとっては許せなかったり。細かな内容までは知らないが、ざっくり言うとそんな内容である。この環境で働くのはもう無理そうだな、そう思った入社7ヶ月目だった。
確実にやめようと決意したのが、12月頭。そんな状態で仕事をしているので、当然作業が遅れてしまう。全員熱意だけで働いている環境で熱意を失うことの重大さは、誰にでもわかるだろう。そしてまた当然のように、上司からの冷徹な叱責を受ける。精神的ダメージからいつもできていた仕事ができなくなり、また怒られる。その繰り返しで、僕の心はボロボロになっていった。
だが、そんな状況でも、大仕事を一つ持っていたため、具体的な転職活動まで乗り出せないでいた。
そんなある日、限界が来た。いちばん嫌いな上司に激怒された次の日、仕事が全く手につかなくなった。
そこからはもうあっという間だった。年が明け、心がリセットされるかと思ったらむしろ悪化し、実際に転職活動を始めることになった。会社にも正式に報告し、3月末で退職することが決まった。
しかし、1年目で辞める人間など、できれば雇いたくないというのが会社の常だろう。就職活動は難航を極めた。数十社応募し、面接に行きまくった。裁量労働制のいいところは、自分で勤務時間を決められること。そのアドバンテージを最大に活かし、朝面接に行き、会社に行き、夜また面接に行く、という多忙な生活を繰り返している。
そして現在に至る。まだ転職先は見つかっていないが、さすがにそろそろ見つかるだろうというタイミングだ。これで本当に見つからなかったら、正真正銘のバッドエンドになってしまうので、焦らずいい職場を見つけていきたい。
結論として、僕が言いたいのは、「自分の軸をしっかりと考えろ」ということだ。軸とは言い換えるならば、幸せの定義である。「これさえ守れば自分は頑張れる」というものがなければ、きっとあなたは挫折する。
昔、学生時代は、とにかく「人の心を動かす」ことを軸にしていた。しかし、それは恐ろしく独りよがりな考えだった。一人でも多くの人を幸せにしようとするあまり、自分とその周りの人々を幸せにすることがすっぽりと抜け落ちていたのだ。
これは、やはり自己分析の欠如による悲劇に他ならないと僕は思う。今までの人生でつらい時には、優しい先生がいた。励ましあう仲間がいた。そんな健全な環境で、僕は今まで成長してきたのだ。
それが前職ではどうだったか? 周りから浮き、誰も信じられず、一人で悩みを抱え込む日々。入る前に完全に予見するのは難しいだろうが、少なくとも、労働時間が長くほぼ女性しかいない職場で僕が生き残る術はなかったのだ。
一つ目は、自分が幸せになること、幸せな生活を送ること。彼女と結婚して幸せな家庭を築き、親孝行し、生を謳歌することが、人生における最大の目標になった。
二つ目が、いい労働環境に恵まれること。いい上司に恵まれること。伸び伸びした環境なしに、スキルアップは望めない。いい土壌なしに美味しい野菜は育たないのである。
そして三つ目に、やりたい仕事をすること。これは正直、もうどちらでも良い。上二つを実現できない仕事ならやる意味がない。そう思うようになった。
もう一度あなたに考えてほしい。あなたが思っている軸は、本当に軸としての機能を果たしているのか?と。そして、その軸と職場を照らし合わせたとき、本当にその軸を守り続けられるのか?と。
以上、自己分析が足りていなかった僕がここ一年で味わった絶望とこれからについて話してきた。僕と同じ立場の人は、世の中にごまんといるはずだ。決して人ごとだと思わず、自分の人生と照らし合わせて考えてほしい。
仕事にせよプライベートにせよ、この先あなたはどこかで挫折するかもしれない。しかし、挫折は敗北ではない。挫折して立ち上がらないことこそ敗北なのだ。軸が折れたとしたら、より強い新たな軸を探せば良い。そうして人間は太くなっていくのだろう。
でも新卒で入社してすぐに折れたくなかったら、今から自己分析をしなさい。全くしてこなかった人も、今からでも遅くない。
前田裕二氏の『メモの魔力』という本をおすすめする。何がなんでもメモする癖を付けることで、とことん自分を突き詰められるようになるらしい。という僕もまだまだメモする習慣を身につけられていないので、ちゃんとメモします。
通過すらしたことなかった東京にはじめて行った。なんとなくその時の感情を記録しておきたい気分になったので書く。都内で働いてるというだけで急にポエミーな事を書き始める浅はかな連中(暴言)(ごめんなさい)を少し見下してたのに、いざ自分が行ったらこれなんだから悲しいなぁ。
(そもそも人口が多いんだからポエマー人口が多いのも当然である)
田舎出身で地方大学に進学した。大学から都内までは電車で2時間くらい。ライブや展覧会といったイベントに行く習慣がなかったので、普段東京に行く理由も特に無かった。
夏、宿泊費と交通費が全部出る都内のインターンが決まった。タダで1週間近く観光できる!! このインターンは評価と無関係らしいので尚都合が良い。伸び伸びと好き勝手に観光させてもらうことにした。インターンとは……?
面接があるタイプのインターンだったので、実際は決定前に一度行く必要があった。交通費で得する為に高速バスで新宿に向かう。就活の話を聞く際、バスタバスタ言ってる先輩を見て「イキってんな。普通にバスターミナルでいいでしょ」とか思ってたけど、ホントにバスタという文字がデカく掲げられていたのですこし申し訳ない気分になった。外に出ると明らかに都会だった。時間的な問題か、塵でちょっとビルが霞んでる感じも都会っぽい。高層ビルを見上げてキョロキョロするなんて明らかに田舎者で恥ずかしいな、と思いかけたが事実正真正銘の田舎者なので、無駄な抵抗はやめて思う存分キョロキョロしていくことにした。
にゅうぉまん?めん?柔麺って何の施設なんだ?そもそも何語なんだ?都庁を初めて見た感想が「銀と金1巻のビル」なのはちょっと面白いな。マック狭すぎるのに中高生以外も多くて草。高架下めっちゃ臭いやんけ!ここ1階なのか?知らないうちにデパート歩いてるのウケるな。地面はどこなんだ??
地下鉄に一人で乗るのも初めてだった。「スマホがあれば余裕やろ」の精神でスマホで確認しつつ進んでたら一瞬で迷った。ビルの間でGPSが死ぬのは知っていたが、都会的なビーコンか何かで解決されていると思っていた。改札の場所が全然分からない。諦めて案内に従って歩くロボットになったら数分でホームに着いた。自分がどこに居るのか全然分からないのに目的地に着いたのはなんだか悔しかった。あとから調べたら大江戸線というのは数ある路線の中でもだいぶ地下にあるらしい。なら仕方ないか。なにが? 電車内は予想より空いていた。アナウンスで知ってる地名が流れまくるのでテレビの東京特集ってやべえんだなぁと思った。中央区の一角に出て少し歩くと明らかに人が減って地面が綺麗になって、お昼のビジネス街ってこういうことなのかぁ、とかいうよく分からない感想を抱いた。
インターン開始前の時間を使って、都会の就活イベントとやらに行ってみようとウキウキで前泊。再び新宿駅の周辺で迷い、ようやく自分の勘でのゴリ押しを諦める。どうにか線路を乗り越えて就活イベントに到着。会場内でセミナーをやっていた就活コンサル?の人に「○○から来たんですけど地方だとこういう場が少なくて…何か出来ることありますかね」と聞いたら、あからさまに答えに困ってて(あのさぁ……)と心のなかで唱えてしまった。講師の人に罪はない。むしろ優しい、ありがたい。罪があるのは地方軽視の日本の政治が~~とかではなく半分冷やかしで聞いた自分のせいでしかない。夜は新宿から出て、ちょっと良いカプセルホテルに泊まった。ホテルの中は前回新宿に行った時に感じたニオイが凝縮されていて少しテンションが下がった。人が集まると発生するニオイなんだろうか。
実のところ、滞在中に新しく感じたことはあまりない。あのニオイがしない場所もあるんだな、銀座ってパーカー1枚で徘徊しても怒られないんだな、築地市場ってホントに消滅したんだな、汐留はカネの塊みたいな場所だな、中銀カプセルタワー思ってたより廃墟じゃないな、上野には木があるんだな、インターン民自分以外首都圏民だからってライブの話ばっかし過ぎだろ、秋葉原意外とスッキリしてるけど歩いてる人の服装には共感できるな、とか、まあそんなことを思いながらグループワークに耐えていた。と同時に、こういう銀座やら市ヶ谷やら六本木やら、ただの地名や駅名をさも世界の共通認識であるかのように使う人達を毛嫌いしていたことを思い出してなんとも言えない気分になった。たぶん次の自分は、上京したばかりで地名を連呼する人を見下し始めるんだろう。悲しみの連鎖だった。
最終日、会社を出る前にシュウマイ弁当を貰ったが、直前にもご飯を食べていてお腹に余裕がなく、駅までシュウマイ弁当をぶら下げて帰ることになった。荷物も来た時点でパンパンだったので余裕はゼロで、駅前のホームレスの人にお弁当渡せば一石二鳥か、でもそれじゃ人をゴミ箱扱いしてるみたいな気もするし、なにが一番いいんだろうなどと考えているうちにバスが来た。自分の偽善者ぶりに内心ニヤニヤしながらバスの中でシュウマイ弁当を食べた。美味しかった。
思えば地方から上京する人なんてごまんといるし、ましてや普段から恵まれてる大学生ごとき、自分の感想もその域を出ないんだなと改めて感じた。あえて書くなら住んでる人そのものは東京でも変わらないとか、建物は大きくて意外と古くて地味に歴史があるとか、人が多いので適当な格好しててもあまり浮かないとか、そんなもの。自分が都内で働いてみたいと思うのも、一応いっかい中心地での生活を経験しておきたい、程度のしょうもない動機。その動機自体はなんだかんだ皆実際のところはそんなもんでしょという謎の確信があるが、特に自分の場合はクビになっても山小屋なり工場なりに籠って働けばいいやん、としか考えてない甘い思考の人間なので、もう少しきちんと考えたほうがいいかもしれない。これが自己分析ってやつなのだろうか、よくわからない。来年、無事就職して、呑気に『初めて東京に住んだ』みたいな日記を書けてればいいけど、こうやってこの時期にダラダラ駄文で自分語りを書き散らしてる時点で厳しいのかもしれない。悲しいなあ。
化粧の前と後での見た目の違いっていうより「化粧をしている」という事実が嫌なんだと自己分析してる
これで女性(というか化粧をする人)との関わりが全然ないなら別に勝手に嫌ってればいいんだけど、彼女がいることで厄介になってる
彼女が頑張ってメイクしてくれたとき(普段そんなに化粧は濃い方じゃない)にマジで反応に困る 化粧は薄ければ薄いほど(薄く見えれば薄く見えるほど、と言うべきか)いいって基準しか俺の中にはないので気合を入れて可視化されればされるほど嫌さがあがる
でも勿論がんばってやってくれてる(俺のためだけじゃないだろうけど)わけだし、「俺はメイクないほうが好きだな」なんて言うのは振る舞いとしてウンコ でもすごい可愛いね最高!なんて言うのもそれはそれで完全に嘘になるから長期的に見ると良くない気がする
俺が化粧を好きになるっていうのが一番丸く収まっていいと思うんだけど、そういうことってできるんだろうか
最初のうちは
預金チェックもしていたし
運動もそれなりにやってたし
友達と遊びにも行ってたし
美容室にも月1で行ってたし
衣替えもちゃんとやってたし
部屋の細かな掃除も毎週末やってた。
でも、だんだんストレスが増えてくると、ひとつずつやらなくなってきて、今はギリギリ人間、みたいな生活。お風呂には入るけど髪を洗うのは2日に1回だし、洗濯物もためちゃうし、洗濯しても取り込まないし畳まないし。
みすぼらしくなった自分が惨め。
どこから直せばいいんだろう。
xxx
すみません、残業はすくないです。月に10時間に満たないくらい。それなのに、土日はどっと疲れて夕方までベッドで過ごしちゃうことが多くて。
ストレスは仕事でどうしても関わらなくてはならない先輩が原因だと自己分析しています。
その先輩が現れなくても、いつ来るのかとびくびくしているので。
自己分析がしっかりできて偉い
ストロングゼロ350ml x 6 を毎日飲んでるような人間が酒をやめるとどうなるか、の3週目。
15日目…身体的な離脱は引き続きなし。コーヒーは飲んでしまう、まあいっか。髪の毛を変なふうに切られてむかつく、半日で立ち直る。よい。近く思いきってホラン千秋みたいにする。
16日目…身体的な離脱は引き続きなし。部屋の模様替えを進める。コーヒーは飲みすぎ。本の並び替え、ラグとソファーの位置を変える。などする。かなり楽しい。
17日目…身体的な離脱は引き続きなし。多少弱まった気もするけど引き続き自己肯定感あり、すこし落ちても湧いてくる。コーヒーは飲んでる。ニトリとダイソーと無印を行ったり来たり、模様替えまだやってる。
18日目…身体的な離脱は引き続きなし。自分が好きなものを自覚、落ちたときはすぐに触れるようにする。キッチン以外はだいたい片付く、いい感じ。でもキッチンはやる気しない、日々の営みに密接な場所は難関。まだうつ?もともとズボラ。
19日目…身体的な離脱はなし。仕事っぽい会話でアプセットしそうになる、が会話中に自覚しつつコントロール。とてもよい。そのあと飲みたくなる、仕事と飲酒が紐付いてることを認識。ストレスの解消方法が自動的に飲酒に向かってることも認識、別の道をいくつか作ることを意識的にやっていく。オイコス奇跡の30%オフで喜ぶ。
20日目…離脱なし。友達とお酒のむ。たのしー、超だいすきなひとたち。ありがたい。お店で中ジョッキx3、別れて散歩しながらストロングゼロ350mlx3、飲んでも酔う感覚がない、飲まなくてもいいんじゃないかと思う、と思いながらストロングゼロ。飲むと際限なくなることを理解する(口が寂しい、という理由でのむ)。この日は飲むと決めてたので習慣飲酒と区別した飲酒、明日以降の変化を観察する。もし飲みたくない・飲みたいを自覚して飲まないを選択できるのなら私の認知で行動を変えれることになる。でも頭いたー、これは飲みながら書いた。
21日…すこしだるい、飲酒のせい。すこしのみたいような気がする、これは習慣飲酒のバグ。とりあえず身体が疲弊してると思うのでごはん食べる。写真でとった友達の顔を見てふふふとなる、高い自己肯定感。
この一ヶ月、永田カビさんの「現実逃避してたらボロボロになった話」を何度も読んでる。自己分析と前を向いていくための努力を見習うための本。自分の感情を分解していく作業(12話)を自力でやってるのはちょっとスゴい。
●2週目
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
婚活パーティーで会った男と5〜6回食事に行った。鎌倉とかイルミネーションも見に行った。でもなんか、違うなと思った。いい人だし友達として付き合うのはいいけど、男女交際となるとピンとこない。
でもその人とズルズル会い続けてるのは、次の人を見つけるのがめんどくさいからで、一から関係を構築するのがめんどくさいからで、お察しの通りコミュ障だからなんですけど。
私は妹気質のめんどくさがりだけど、ええかっこしいで宝塚の男役に憧れがあって、なんかその人といると「エスコートしなきゃ」という気分になって頑張ってしまう。鎌倉に行った時も、本当は一緒に地図を見て回りたかったけれど、とうとうその男は一度も地図を出さなかった。鎌倉行きたいっつったのお前だろ。イルミネーションも、お前が行きたいって言ったくせに地図を出そうともせず、「姉御肌なんですね」と年下の私に向かって笑っていた。「しっかり者っぽい」とも。お前人を見る目なさすぎだろ、と思いつつ、「そんなことないですよ〜」と笑って自分を誤魔化すのもそろそろしんどくなってきた。
極めつけに、「僕、〇〇ちゃん(下の名前)(別に呼んでいいって言ってないのに勝手に呼ばれてる)(きもちわるいから呼ばないでほしい)といると緊張する」と言われて以来ずっとLINEも既読スルーしてる。こっちだって人と会う時はいつも緊張して、私と一緒にいてつまんなくないかな、ちゃんとスマートにエスコートしなきゃ、って気を張ってるのに、相手も気を張ってるって最悪じゃん。お互いに緊張しながら会ってて何が楽しいわけ。どえむかよ。
と、ここまで書いて、私のそういう強迫観念みたいなものが相手を緊張させているんだろうなと気付けたので、書くことはなかなかいい自己分析になる。そしてその男とはもう会わない。
しゅーかつって心病むよね。
おしゅーかつしたくなくて理系来たのに、理系も資格系でなきゃ結構普通に就活するのね。
面倒なのでフェイクもなく言うと化学専攻のM1で、まあ学歴フィルターには引っ掛からんだろくらいのそこそこの大学で、ラボの卒業生のメインは化学業界で総合化学メーカーの研究開発なんです。
まあ定番にそれかなーという思いは8割方あるのですが迷いもあって。
私は本当に研究開発に向いているのだろうか、という迷いがどうしても出る。
今研究室での実験をしまくる生活は超楽しいけれど、とっても好きではあるけれど、じゃあ活躍できているかと言われるとそんなこと無いような気がする。
これも気のせいなのかな?ちゃんと活躍できているのだろうか。活躍という言葉は違う気がする。
学部時代の成績があんまりよくなかったコンプレックスはあって。とはいえ真ん中くらいだけど。少なくともうちの研究室は学部時代の成績はマウント材料になれる。
それなら化学あんまり関係ないフィールドの方が気にせず過ごせるのかな?みたいな思いもある。
首席みたいなラボの先輩に比べると全然知識が足りないなぁみたいな思いがある。
でも今の私の経歴で入りやすそうなBtoBメーカーが他に何なのかは分からない。(BtoBがいいという強い思いはある。製薬や化粧品や食品は行きたくない。入りにくそうだから。)
ほら、いるじゃないですか。ああこの人は研究者向きだわ、みたいな人。うちのラボでいうとWさんとかYさんとか。私そういうタイプじゃないし。そういうタイプになりたかった。
自己分析が足りないのだろうか。足りないって同期には怒られそう。どうやったらいいの???
自分を四字熟語で表すと猪突猛進だな、と思う。実験のかけ方に丁寧さが足りないな、と思いつつどうやったらいいのか分からない。
あと傾向としてはADHD。今日も乗る電車を間違えた。5年も通っているのに。実験も何かミスをしないかとひいこら言いながらやっている。
ラボの中で、ラボの他の人と比較して私が優れているところって何だろう、無くない???愛想がいいところ?そのくらいじゃない??研究開発に要らなくない??
あ、お仕事好きアピールは欠かさず出来るよ!住めば都だと思える力は高いと思うから!僻地に飛ばされても他の人よりは多分腐らずやるよ!あとまあ人並みで申し訳ないけど朝から晩まで楽しくゴリゴリ実験する体力と根性はあるよ!
自己PRが書けない!!学部時代まともに過ごしていないから!!!
実験の何が楽しいって私は計画を立てた実験が計画通りに進んだことに一番快感を見いだす。大体実験は2,3個同時進行でかけるんだけど、反応と精製がいいかんじにどれもストップせず流れている時に一番快感を見いだす。ソシャゲのライフ管理が上手くいっているときと同じ快感。
それで研究開発でいいのだろうか??違うんじゃないか?でもだとしたら何??
あ、そりゃあ分かりやすい成果とか、これは世界で私だけが作ったとか、そういうのも快感ですよ。
上手くいかなかったときの条件検討は未だに得意ではない。過去の事例からのパターンマッチングでやっているからいけないのかな。いや、でもまあ大体こういうのは上手くいきそうな他の論文を見てその通りにやってみるもんだよね。まだM1ならこんなもんだといいな。
私が出した実験データによって他の人の研究が進んだときもとっても嬉しい。
研究室にいるときはこんな実験くそやりたくねーと思いながらやってるけど、他人に実験楽しい?って聞かれたら超楽しいって言う。なんでだろ?
まだ実験が上手くいかなかったときに自分の人格を責めてしまう思考回路は持っている。単純に生きづらいので改善したい。
理系の癖に論理的思考力が弱いのではないか?みたいな思いによくかられる。研究概要がちっとも進まない。
くだぐだ語りました。いつもこういう悩みを言うときも論理的にまとめられない。だってメインは私が不安だということを聞いてほしい、それでできたら君は間違ってないよって言ってほしい。こんな論理的でない女っぽい思考回路が嫌だ。理系の癖に。
いつも思う。誰かにお前はこれが向いているんだからこれやれよって言ってほしい。こういう他責思考は良くないんだろうな。上手くいかなかったときに他人のせいにするから。
キャリアカウンセラーってこういうメンタル的な話って聞いてくれるんだって?ES添削でしか使ったこと無いけど、これ印刷して持っていったら有用なアドバイスくれるかしら。でも会ったこともない学生に「私は研究開発向いていると思いますか?」って言われても困るよな。やはり辞めとこ。時間もったいないし。その分実験しよ。
そういうの自己分析して納得できるってすごい才能だと思う、すごいよ。
教えてください。
気が付いたらホッテントリに入ってた。
今までうんち先輩やKKO先輩のトラバくらいしか付いたことが無かったので非常に驚いています。みんな苦しみのなか生きているんだなぁ…
切り抜けた前提で質問したのは、抜け出した方法があれば何か参考にできるのではないかと思ったからです。(けれども「過ぎ去るのを待つ」って人が多くて結構意外でした)
皆さんが挙げてくれた方法を参考にしつつ、会社で産業医面談が受けられるようなので一度そちらを受けてみようかなと思います。
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せっかくなのでまとめました。
仕事に対してストレスを感じて眠くなってボーっとするのか、自分では順序がわからないが、とにかく俺にとってストレスと眠気は間違いなく関係していて、それは学生時代から続いていて、勉強なんて手につかなかった。
働き出せば眠気どころじゃないと思っていたが、働き出しても眠いものは眠くて、仕事中に寝ない為に家で10時間眠ったのに、眠くなって昼休みに昼飯も取らず1時間寝ていた。
自分にとってのストレス回避法が睡眠しかないので、身体がストレスから逃げる為に眠気を誘発しているんじゃないかと自己分析している。
死にたいわけではなくて、生きていてはダメな存在だと思っているだけ。
多分自分自身にハンディキャップを持たせて、自己陶酔に近いんだと思う。
鬱とかではない。甘えといっても過言ではない。
ネットで探してもアフィブログしか出てこないから、解決に繋がらない。
海外は知らんが、日本って人気のあるテーマほど、アフィブログばっかりで、情報が汚染され始めている気がする。
(ダイエットや語学、メンタル、医療、占いあたりは顕著)、良くも悪くも没個性化している。
少し話が逸れたが、おそらくどんな人でも似たような感情を覚えたことがあるだろう。
立ち直るまでが長い。何か作業をしていてもふと頭の片隅からまた全体へ侵食してくる。
内容が繰り返しだから、自己分析にもならないから生産性は皆無どころか、他の作業の邪魔をしているから、マイナスになっている。
もちろんこういう症状が起きるのも自分の過去の行いが悪いからだからだろうし、それについては常に改めなければならない。
上手な対処療法があるなら知りたい。