自分の中に「独特の正義」と「ある種の承認欲求」のようなものが強く存在していて、それを根拠として「カジュアルな感覚で他者に暴言を投げつけることが日常の一部になっていた」という点において、極めて親しい存在だったんだろうなと。
それと同時に、そういった行為がそれぞれのもつ「独特の正義」に反している側面があることにうっすら自分でも気づいていて、それゆえにたまったフラストレーションを暴言によって解消するというループから抜け出せなくなっていた。
ただし、一方はその暴言のカジュアル性により一部コミュニティで「面白いやつ」として認められており、もう一方はその暴言の単調さにより「つまらないやつ」として嫌われていた。
確かにその点ではまったくもって大きな違いがあり、「善悪はキモいキモくないとか、俺の仲間かどうかといったもので決まる」という視点で考えるなら両者はまったくもって別の立ち位置にいたわけで全く別の存在ではあるのだが……
内面に置いては親しいものを持っており、それ故に正面からぶつかりあった時エネルギーは逃げ場を失い暴走したのではないだろうか。
だから?
善悪は愛と憎しみくらいには近いものだと思う。 利害だけで繋がってる人間関係が一番平和な気もする。
利がなくなったら捨てられるよ。
これぞマーチ・オブ・ザ・レッドクイーン
そういうの自己分析して納得できるってすごい才能だと思う、すごいよ。