人に大切に扱われたこと、自分が誰かを大切にしたことを思い出してみよう、と言われ目を閉じて考えてみた
が、あの人の優しさは言わば営業だよなあ、とか、あの人の優しさはまあ弱者への哀れみだろうな、とか、親の優しさは‥生物としてのものと惰性みたいなもんだな、とか
ろくなことが思い浮かばなかった
じゃあ逆に自分がした他人への優しさは、と思い返すも、相手を思っての優しさというよりは自分の信念でやってることがほとんどのような感じだ
とある自分語りマンガで作者が、優しくしているのに相手から感謝されないことを悩んでいた
作者はなぜ感謝されないのか、ということについて、自分を評価しろという見返りのための優しさだからだ、そういうのが相手に伝わるのだろうと自己分析していた
私も結局自分の信念と自分の中での行動規範に基づいたものなので、たぶん相手はとくに感謝も感じないだろうなと思う
そう思うと人に優しくされ、返ってくる関係には、両者が同じ思考パターンを持っていないと成り立たないよな、…
きっとインストラクターの先生のしてほしかった瞑想は違うんだろうな、もっとこう、人に感謝していこう…とか、人の優しさに気づいていこう…とかいうイメージを持つべきだったんだろうな、と思い、しまったと思った