はてなキーワード: 救急車とは
駅のホーム歩いていたら、
横から物凄い勢いで固太りした
って怒鳴ってきたけど私サイフしか持ってない
近くにいたおばちゃんが
って一喝してくれて
周りの人も状況把握してくれたみたいで、
駅員さん呼んでくれたりおっさん確保してくれたり
私を起こしてくれてイスに寝かせてくれたり
助けてくれた
服が濡れてるから何か零れた上に
倒れたかなと思ったらケガしてて…
おばちゃん、
汚れるのも構わず膝枕してくれて
「冤罪かましてきた女に腹が立ってて、
その女に似てる私に恥をかかせて鼻を明かしたかった。
妻と子供がいるのでどうか穏便に…。
なんて言ったらいいか…」
「こっちはそんなの知ったこっちゃない、
妻子がいるのにこんな事する幼稚な人には
それ相応の罰を受けてもらいます。
こっちも大切に育ててくれた両親祖父母が悲しむし、
何のいわれもないのに怪我を負わされて
こっちのが可哀想。
小汚いおっさんのせいで服も汚れた。
待ち合わせしてた友人にも、
ここで助けて頂いた皆さんにも
被害届出したけど、
同駅で同様の被害が相次いでて
どうか示談に穏便に、
家庭環境が主な原因だった!!
そりゃそうだ。当たり前。
書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、
こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。
言いたいことはこの後に書いてあるので、
面倒くさくなったら飛ばしてください。
生まれてから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、
こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。
女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格の人間は苦手すぎる。
本当に家庭は選べねえなあと思った。
仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、
その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。
周りのように旅行に連れていけという姉が言う。
金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。
姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。
自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。
毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。
翌日には忘れ、繰り返す。
感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いかに自分の精神に影響し、
自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。
小学校3年までは小説や子供向け科学雑誌を学校でよく読んでた。
将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。
そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。
誰からも肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。
小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。
そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。
感動するものもあったが、自分の環境を見直したときの絶望感が怖くなった。
誰も何も誰しも自分の気持ちなんてわからない。他人を理解しようとしない。
そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。
文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。
中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。
自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、
ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。
全てがくだらない。
絶望的な気持ちを査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。
でも、周りと馴染めなかった。
何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?
人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。
自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。
うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。
満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。
そんなことをしながら、何のために勉強しているかわからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。
勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。
難しい話は通用しないことはわかっていたので、
家から出て、高校の延長線上の分野で、大学でしかできない勉強をしたいというが、反対される。
金がないから、心配だから、不景気だから、あんたのために言ってるから。
は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?
大卒の就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。
お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?
ニュースで得た情報と自分の身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。
めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。
お前じゃい!
その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、
勉強は続けたが、やはり高1のときに高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。
何より自分の大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、
何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、
もうなんだかよくわからなかった。救急車も警察も呼ぶ気になれなかった。
30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。
パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。
恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。
もう何がなんだかわかんなかった。
自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。
悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。
自分が違うのか?田舎に生まれた自分は田舎に埋もれなければいけないのか?
精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。
自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、
正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。
もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。
周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。
子離れできない親から親離れできない。
毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。
頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。
さらに自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。
実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。
あーもう何もしたくない。考えたくない。
人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。
悩まない人間にとって悩んでいる人間の気持ちなんかわからない。
逆もまた然りだ。一生分かり合えない。
自分は具体化しすぎなのだ。人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。
記憶を消し去りたい。
昔からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。
降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。
この問題は解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか?
わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか?
なんでこんなこと考えるようになったんだ?
最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、
自分の性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。
納得いく解釈を探しつつけてたのは、
親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである。
でもこうするしかなかった。
こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。
自分の気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、
早々に自分の気持ちに蓋をして、自分の気持ちに嘘をついてきたということだ。
頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。
気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。
他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。
俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。
でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。
そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。
「自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。
皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分の表現をするのだ。
それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。
素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。
だからこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。
ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。
結局こうするしかなかった。
よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。
最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。
その場しのぎで余裕がなかった。
これに関しては納得行くようになってきた。
書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。
これは終わったことだし仕方がない。
見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。
原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、
自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、
と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。
何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。
学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。
本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。
あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。
自分の気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。
やっと人間らしさを取り戻した気がする。
今までどこか、頭を何かのタイミングでリセットできると期待していた。
まあ解決しようにもできないもんな。
わからないから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。
自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。
自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。
環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。
初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。
時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。
見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。
苦しいとは思うが、自分の内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。
対面して初めて分かるものは自分だけの発見であり、自分で掴んだものだから信頼できる。
こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。
あと、外部の情報に目を向けるべき。
漫画喫茶で見たことのないジャンルの漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。
まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。
そうすれば外部に注意が向く。
自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、
そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。
結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体が自分のためになっていると思うこと。
そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。
とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、
人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。
書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。
そのことを忘れないでおきたい。
(追記)
終わりに
(内面の気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)
全体を見ると、自分の内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、
気になるものを自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。
ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。
趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。
湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。
これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。
どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。
うちの父もそうだった。共通点は多い。
通院するも行かなくなる、長期断酒はたまにしてた、一見アル中とわからない、酒を隠れて飲む、酔って大けが救急車、病院に行かない理由をいろいろ言うので本人の意思に任せる、・・・などなど。
病院に行かせようとするとケンカになるので、あまり言わなくなる。
「おれはいつでも断酒できる」と言い、実際にそうなので、ずるずると病院に行かないのを肯定してしまう。
うちは、母が最後には折れるから、増田の父のように、精神的に追い込まれて失踪したり、近所も巻き込むほどの大問題にならなかったのだろう。
通院は本人の意思に任せられる。行かなくなって病院に相談するといろいろアドバイスはくれる。しかし、「まずは本人といっしょに来て」と言われる。
問題を先送りしてる人(家族)は、けっこういるんじゃないかと思う。
うちの場合は肝臓ガンになって、がん治療を始めたら依存症専門の病院には行かずにやめれたが、時すでに遅しだ。
かつての同僚にもアル中がいた。2回長期入院をしたが、退院すると結局飲んでしまった。
今は抗酒薬(飲酒をすると身体が強烈に不快になるので、その恐怖を利用して心理的に飲酒を断念する薬)を毎日飲むことにより、酒を断っている。
彼の奥さんが薬を管理して飲ませているが、彼一人だったらその薬を途中で止めて、飲酒を再開しているだろう。
アル中を自分の意志で治すのは、ほぼ無理なのではないかと思う。
家族は大変だろうけど、少しでも早く病院に連れて行くようにしたほうがよい。
家はそれほど裕福ではなかったが喧嘩はまったくない平和な家族だった。
当時、賃貸に暮らし商売がうまくいかなくなっていた親父とおふくろを呼んで同居することに
一緒に住みはじめて1年で親父は救急車で運ばれた
原因は栄養失調
しかし栄養失調の原因は酒で食べ物を受け付けない状態になったことだ。
病院に通うことになる。
当時の親父はまだ理性的だったし
僕も仕事が忙しく子どもが生まれたばかりでアルコール依存について勉強することもなく
お袋にまかせていた。
今考えれば
親父は1年間、断酒した。
今なら分かるがこれはとても凄いことである。
僕らも説得できず親父の意志にまかせることにした。
そこからは
を繰り返した。
次第に疑うようになった
躁鬱病で
徐々に上手く行かない全ての原因を自分ではなく
それを止めようとする僕に殴りかかってきた。
反省ができない
徐々に親父が壊れていく
子どもが大きくなってきて
おかしな状況を感じはじめる。
しかし、話合いは待ってくれと
色んな理由をつけて時期を伸ばされた。
ある日、トイレにワンカップが隠してあるのを見つけた
僕は腹が立ってその酒を捨てた。
次の日
親父がいなくなった。
おふくろに聞いたら
外で暮らす。といって出ていったそうだ。
1日に2~3回お袋に会いに来た。
このままどうなるんだろう?
家族は疲れ切っており
いっそのこと失踪してくれたらいいのに
など僕は考えていた。
ある夜、事件が起きた
深夜1時ごろ
玄関のドアが開いて
浮浪者のようになった親父が入ってきた
そしてお袋の部屋に入っていった
その後、暴れだし暴言を吐き
椅子をひっくり返した
家の回りを発狂しながら
荒らし始めた
家族はみな気が動転して
命の危険を感じた。
僕はカギを締めて警察を呼ぼうとした。
それよりも先に近所の人が呼んだ。
いきなり家に来て
「警察を呼んだのはだれだ!ぶっころしてやる!」
と言ったと思ったら
孫に向かって
「かわい〜ね〜」
と言ったり。
僕は家のカギを締め切って入ってこれないようにした。
夜中にいきなりドアを開けようとする音や親父の怒鳴り声が聴こえる。
みんな寝れないし常に緊張状態にあった。
その時僕はもう
おじさんが
「俺が話す、病院に連れていく準備しとけ」
と言って親父を探しに行った。
ただただ虚しかった。
家に連れて行くのは危険なので
車の中で親父を説得することになった。
おじちゃんがどんなに説得しても
親父は病院に行く事に納得しなかった。
話し合いの途中で何度も暴れて
逃げ出そうとした
と言われた。
説得してる駐車場に向かった。
しかし、車に乗った親父は動けなくなっていた。
兄貴は180cm80kg以上でずっと格闘技をしてたゴリラのような男だ。
親父は完全に固定されていた。
おじちゃんが
と言ったので
病院までの30分は
親父は僕達を罵倒し続けた。
家を買って
みんなで住んで
本人だけじゃないくて
お袋は親父をかばって嘘をつくようになった
僕は気付けば親父とお袋を常に疑い、監視するようになった。
仲が良かった家族がどんどん崩れていった。
入院期間の三ヶ月
どうなっていくか分からない。
親父と戦うのではなく
親父と共にアルコール依存と戦うための準備をしなければいけない。
【追記】
今回はじめて投稿してのですが、こんなに沢山ブックマークが付くとは思ってませんでした。
沢山のご意見をありがとうございます。
入院させてしまったあと、言いようのない気持ちを一気に吐き出してしまったため
いろいろな部分を端折ってしまったり説明不足な部分があったり、
今後同じような状況になってしまった人が少しでも参考になるようなことを追記したいと思います。
・嫁さんついて
嫁さんは僕には勿体無いくらい良い人です。元々両親とも仲が良く、同居の際もきちんと話し合って決定しました。
僕にとって彼女は全てを話せる妻であり、気の合う友人であり、優秀な仕事仲間であり、頼りになる母でもあります。
同居はじめてアルコール依存の問題以外にも色々な問題が起きましたが全て隠さずしっかり話し合って解決してきました。
逆に嫁さんに何かトラブルが起きたときは僕は全力で問題解決をします。
・こどもについて
相当近くにいかないと酒を呑んでいることが分からない状態でした。
ただ、躁鬱があり、落ち込むときはひどかったのですが
孫達と遊ぶことで元気になりました。
孫のおかげで躁鬱はかなり良くなったと思います。
親父がおかしくなってきたのはこの1年くらいでしたが
もし良くなって帰ってきた時のために
僕らも子どもたちと親父の距離感や説明については細心の注意を払ってました。
両親は貯金も年金もない状態で、雨漏りするようなボロボロの事務所だったので家業の売上もどんどん下がって
お金が貯まらないので広告もテコ入れもできない、毎月仕送りをしないと家計が回らない状態でした。
そこで、解決策として
親父は躁鬱を治すために何がいいかなと考え
僕のPCをあげました。
SNSで昔の友人と繋がったり
僕の友人と仲良くなったりで
とても充実した毎日になりつつありました。
家に帰っても不機嫌で中学生になるまでほとんど会話らしい会話をしてない状況でした。
状況は常に聞いていました。
説得されていました。
お袋の話を信じて、通院せずに自分の力で治すことに納得してました。
この1年間、沢山の本を読み、話を聞き、病院で先生の話を聞きました。
最初は変化が見えにくく
進行が進むと嘘をつくようになり
約束をやぶり
信じたいけど、本当かどうかわからない。
「否認」
です。
https://www.dansyu.jp/アスクヒューマンケア/
親父はこの否認がかなり強く出る傾向にありました。
頭が良い人なので、飲酒理由と環境を作るための理論武装が上手でした。
それは信頼関係が構築されていればいるほど見抜けません。
仮に見抜いて指摘をしても
家族に対して不信感を抱く段階にくると
そうなると強制入院か底付きで死にかける(もしくは死ぬ)結末が待ってます。
そういうときは警察に連絡して一緒に病院まで連れてきてもらってもいいと病院で言われました。
私が、人当たり良くて、性格にも特に問題なくて、友達が多くて、明るくて、見た目だって不潔じゃない。
なのに、ずっと恋人ができなことを、ときどき、不思議がられるときがある。
だって、みんな、数年前まで、
私が一人でいるときは頭を壁に打ち付けたりしていたことを、知らないから。
過食症で、土日は「食べては吐き、食べては吐き」を1日中繰り返していたことを、知らない。
何度も何度もコンビニに行って菓子パンとアイスとお菓子を異常なほど買って、
「もうやだ」と思いながら、毎日大量のお菓子の空き袋を出していたなんて、絶対に信じないと思う。
数年前、鬱病になったってことも、信じないだろう。
でも、確かに、病院でそう診断されたし、薬も飲んでいたし、あの頃のことはよく覚えていないけど、
いつも頭に靄がかかっていて、過呼吸によくなって、謎の腹痛で救急車で運ばれたこともあったな。
ストレスで毎日、1日10個ぐらいのニキビができて顔中白い塊ばかりで、
今は驚くほどニキビができない体質になったから、あの頃の写真を見たら心底驚くだろうね。
私も、ニキビ体質だと思っていたので、ストレスが原因だったなんて思いもしなかった。
引っ越す前に住んでいた前の部屋も、生ゴミこそきちんと処分していたし、水回りも清潔にしていたけど、
どうしても、物が片付けられなくて、部屋中に物が散乱した暗い部屋にいたのも、想像できないでしょう。
物を片付ける時間があるなら、コンビニ行ってあまいものかって食べて吐いていた。
あの頃のことも、思い出したくない。そのちょっと前は、顔面麻痺になった。
あれも、多分、その頃のことを考えると、ストレスがある一銭をこえちゃったんだろう。
書き切れないけど、「第三者がいないところ」では、私は精神障害者だった。
二度と戻りたくない。
不思議なもので、本当に、根本原因が解決した5年ぐらい前から少しずつ改善していった。
もう2年ほど、こうした症状はほぼマシになっている。
でも、吐けなくなったけどお菓子は未だにやめられないし、
大好きだったアイロン掛けは、まだ、思ったほどできない。
部屋は片付けられる日もあるけど、何もできずに散乱していく日の方がまだ多い。
当時、本当に一人でいるのが怖くて、今はシェアハウスに逃げ込み、共用部分はすごく普通にできている。
汚部屋のころよりはずいぶんマシだ。
でも、このシェアハウスから引っ越して、第三者の目がなくなったら、
前見たいに戻るかもと思うと恐ろしくて引っ越せない。
でも、でも、まだ、ときどき、昔の自分がでてきそうなときがある。
そんな自分を鎮める術は、原因がなくなった今はいくつか持っている。
そんな、乱れた私が、バレてしまうかもしれないと思うと、
「ほしいな」という気持ちはあるけど、怖くてその境界線を越えられない。
衝動的にカルモチンと同じ成分の入った薬を200錠くらい飲んで自殺を図ったけど普通に失敗した。
っていうかそもそも手段が悪すぎる。何故寄りにもよってカルモチン…
「自分は放浪の旅に出た途中で宿代わりに入院した」と思い込んでいた。
家族が見舞いに来たときも「どうやって入院先を連絡したんだっけ?」とか聞いてしまった。
目の前の父が救急車呼んだんだよ…
その後転院したりとかいろいろしながら2ヶ月くらい病院で暮らした
去年母も自殺した(母は成功した。マザコンなので凄く泣いたし羨ましいと思った)せいか、
都合が合えば精神科の通院にも付いてくるようになった…というか
ほぼ毎回、無理やりにでも時間を作って付いてくる。
フリーランスで仕事をしていたので、突然の音信不通で信用ガタ落ち
自殺前とくらべて貰える仕事が格段に減ってしまった。年収二桁万台になった
自殺に失敗して生き残った結果、物凄く辛いので次は失敗したくない
体を重ねるよりピロートークをずっとしていたい。そんな思いを汲んでくれて、
あずまんが大王と桜蘭高校ホスト部の話で盛り上がれる泡姫の元に今日もまた通ったら、六月で辞めるねと告げられた。
お嬢いわく、小学校の頃はドッジボールで男子のボールをキャッチしてガンつけるのが好きだった。
お嬢いわく、背の順と名前順は表面上の公平さを歌いつつ実際は不平等な社会に初めて出会った瞬間だった。(どっちも後ろの方だったらしい)
お嬢いわく、小学校低学年の時にお兄ちゃんのタンスにあった、蔵馬と飛影のBL18禁同人誌を読んじゃって受けた衝撃が今でも忘れられない。
お嬢いわく、Mステの曲をカセットで録音すると、ガシャコンって音だったり救急車だったりバイクの排気音だったり、時々家族の声も入った曲をいつも聞いてた。
汲んでも汲んでも干上がる感じはなくて、昔話は続いていく。そんな話をずっとしていた。
生まれ変わるなら17才ー18才の女子高生がいいというお嬢に、僕は13歳だと言ったときのお嬢の表情を観て、
お嬢はなんでも話を合わせてくれるのだけど、ちゃんとひくこともできるんだなとそんなことを考えながらずっとその顔を観ていたくてガン無視して話しつづけた。
店頭にイリヤの空、UFOの夏を持って行ってレジのお姉ちゃんにドキドキしたその感情をまた取り戻したいんだと早口熱弁は止まらない。
お嬢の言葉にわかる、それな、せやな、知らんけどと相槌を打つたびに強く滾る感情に、今日も不発だった短小銃の代わりだと思った。
昭和生まれも後一年で二十代から消える今、一昔前のオタばなで花を咲かせることもだんだん難しくなってきた中で、歳を隠さない彼女には救われ続けている。
スマホの入力の打ち方がフリックでもなぞり書きでもなくてガラケー打ちなのを見るたびに、auのイチマツを使って初めてメールを顔も忘れたクラスメイトに送った当時を思い出してまた、話が止まらない。
世界広しといえども今日もお世話になったあの人だけだろう。深く深く感謝したい。しながら寝る。決して安くはないが、今日途中で盛り下げたおそ松さんの話をするためにまた再来週あたり行くだろう。
駅員さんに救急車呼びますか?って聞かれて「仕事行かなくちゃいけないので呼ばないでください…」って言った瞬間救急車呼ばれた
マジで人生終わったと思ってボロボロ泣いてたらあのね、仕事より大事なことがあるでしょう…って諭されて、人ごみのなかを担架で運ばれながらあぁ…もしかして社畜精神に蝕まれてたのか…とようやく気づいた
熱だけについてはまあ軽症の場合が多いのもそうだが、
「激しい胸痛」→心臓絡みの病気の可能性がある。急がないと死ぬ。救急車。
「激しい頭痛」→脳絡みの病気の可能性がある。急がないと死ぬ。救急車。
「お父さん、ろれつが急に回らなくなって泡吹いたんだけど」→脳絡みの病気の可能性がある。急がないと死ぬ。救急車。
「突然倒れた」→脳も心臓もどちらもある。急がないと死ぬ。それどころか、即救命措置をしないと。もちろん救急車。
救急車を軽症に使うな!という問題が起きたが、こういう一見軽症に見えるが重大な病気まで救急車使わなくなることがおきてる。
だから、最近は「こういう症状なら即救急車」というポスターが出回るようになったね。
ああ、あと、人倒れてるのに女が土俵に上がるなとやじとばしてる他の客も重大だって気づかなかったから野次飛ばしたんだろ?
それとも、はじめから重大なのわかってて市長殺すつもりで野次を飛ばしたのか?
なので、まずはじめ診療所かかるハードルは低くしたほうがいい。はじめに判断できる人にかかりやすくするほうがいい。診療所の医師は判断する人という役目もある。
今朝の通勤電車
隣に立ってたおっさんがふらふらっとして、座り込むような体制になった
気分が悪くなったんかなと思ったけどどうも様子がおかしい
口は半開きで白目むいて、天を仰いでる
とぉちゃんしっかりして!救急車呼んで下さい!心臓が悪いんです!
隣の奥さんらしき人が慌てて叫んでる
心臓麻痺か!やべーな、救急車って電車内から呼べんのかな?頭揺らさない方がいいのかな?それは脳卒中か?
こっちも若干パニックになってすぐに動けなかったけど
とりあえず電車から降ろさなきゃ!と思っておっさんを抱えてドアの方まで運んだ
どうやらおっさん半分意識あるみたいで、大丈夫ですとか言いながら、手すりを掴んでなかなか降りようとしない
別のおばさんが手すりから指ほどいてくれて、最後はおっさんをお姫様抱っこして何とかホームに下ろせた
すぐに駅員が駆けつけてきて、病人です、汗をかいてます。みたいなことをピンマイクで報告してた
駅員に引き継いだからもういいかなと思って車内に戻ろうとしたらおっさんの奥さんが
お名前だけでも教えて下さい!みたいなこと言ってたけど、気恥ずかしくて、大丈夫です。つって逃げこむように車内に戻った
でもとっさの時にちゃんと動けたし、電車も2、3分の遅れで出発できてよかった。
良い事して嬉しい様な、悲しい様な気持ち。
過去の自分の書いた増田を見返してみたら、「妻に嫌気がさした時の愚痴日記」になってた。いや、ひどい。
でも、将来離婚する事になったときのために増田に事実、自分が感じたことを記録しておくのも悪くないかなと思った。
ここ数日あったこと。
家族が病気になると自分の面倒が増えたとばかりに機嫌がわるくなる妻だが、骨折して、気をつけないと片手がうごかなくなってしまうかもしれない
手術を本当はすぐにしたほうがいいんだけど、混んでてすぐにできない…息子は痛くて怖くて泣いてて夜も眠れない…というような状況で自分の子供を(俺がついているとはいえ)会いもせずほおっておけるのは本当に凄いと思ったしわかりあえないと思った。
手術が終わった直後、まだ目もまともに覚めてないうちにちょっと顔を見たくらいの状況で実質の飲み会にいってそれが「楽しかった」と俺に言えてしまう感覚もほんとうにわからない。
いや、小学校が終わる記念のイベント、そのあとの先生への感謝の会なんだからそれはそれでいいし、それがおかしいとは言わない。
抗生物質の薬の飲み方の指示は退院時のやり取りの中で妻が受けたのに、忘れていて一食分ぬかしちゃうし…。
俺が息子のギブスがお風呂に入る時に濡れないように色々と保護している中でラップを使ったら「もったいない」と言い、俺が自分でラップを補充するからと言っても不満そうにしたこと。
ちゃんとやらないと細菌感染してワイヤー抜かなきゃいけなくなって、骨がずれて、再手術になっちゃうから気をつけろって医者からも言われているなかで、本当にそれはひどいと感じた。
はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、
幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストでしかない
一方、幸せな人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている
簡単に言えばアフリカの飢餓孤児をお茶の間のテレビで眺めながらホットケーキにメープルシロップかけて食ってる構図だ
もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、
自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう
ところがどっこい、これは起こり得ない
何故なら遠いから
ただ遠いから、自分の生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない
今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカの飢餓孤児をTVで見たときはフーンと思っていた
しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた
「俺と孤児のどこが違うの?」
肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で
もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、
俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓で目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないかと
人によっては「日本にアフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない
じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい
それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子どもの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい
とにかく、完全に、運なのだ
運なのだ
こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている
努力すれば変えられるという人も勿論いる
だが努力が公平であればあるほど、天才の努力に凡人の努力は勝てなくなっていく
甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈だ
プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる
ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている
こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ
結局、ボールをバットに当てる才能は天から授かりしものであり、
凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである。
しかしその努力はスポーツ界では認められていない、ただし公には。
では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?
発想も発明もファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。
嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。
ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見、平和な世界に見える。
異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験を更新していく方が個人の人生において充実しているのではないか?
自分が作った映画や小説など、所詮自分の想像以上の産物にはならないだろう
娯楽に頼ろうとしても自分の日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう
なぜならその経験の解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ
明日も明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう
俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう
そしてそこには同意のトラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから、自分の独り言に反応する必要性すらなく
ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう
ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう
重大な疾患を抱える子どもを遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが
個人的には行ってもよいと考える
人間原理的に生存と繁栄は肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている
絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう
この広い宇宙に知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト的思想だ
また宇宙から寵愛を受けているから人間が誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想だ
人間は宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間の選択そのものによって理想的な世界を手にするべきだ
理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれる必要性があるかないかを選択することができ
恵まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ
関心があれば産まれたときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙の法則として残しているはずである
仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという
では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?
全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である
俺は全く信じられない
俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児が地球から存在しなくなった瞬間だ
それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない
もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない
俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ
故に神や宇宙が人間にそもそも無関心であるという解釈を俺は信じている
そしてその上で神や宇宙が人間にとって安全装置として機能しないのであれば
人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ
法について話をするのは、また別の機会にしよう
可能性の隙間があってそこを通り抜けたから存在しているのであって
寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない
宇宙・天体・この世の物理法則は自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり
故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない
もっと具体的に言えば俺が真に幸福にホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる
この世は地獄だ
観念崩壊セミナー(かんねんほうかいセミナー)は、オウム真理教で行われていたセミナーの一つ。麻原彰晃逮捕後の信者の引き締めを目的として、麻原彰晃の三女である松本麗華が中心となり1996年8月24日から、10月下旬まで断続的に行われた。
内容は次第にエスカレートし、縛り蓮華座では足を紐でぎっちりと縛りつけられあまりの苦しさにのたうち回ったり、絶叫する者もあったが「逃げてどうする。地獄に堕ちてもいいのか!」と言われ「地獄に堕ちてもいいから、ほどいてくれ!」と叫び出すものなどが続出。長時間にわたる「縛り蓮華座」の結果、足部のうっ血が原因で毒素が内臓に達し、救急車で病院へ担ぎ込まれ、その後もびっこをひく身体障害者となる者、両足切断寸前となる者、酸素吸入を受ける者、熱射病にかかる者、死にかける者、意識不明となる者や負傷者も続出、脱会者も多く出したという。
正直、こわい。
画面のキャプチャとかに、スタンプおしたりしてSNSにあげている。
鍵付きだからいい、という想いなのかもしれないけれど、
関係ない人のものだったとしてもタイムラインに流れてくるのは抵抗がある。
「この間帰りが遅かったのは先輩とご飯だったみたい〜LINEで判明(はーと)」とか、
などとおっしゃっているのだが、これをSNSにあげるってどういう心境なのだろう。
し、正直、最低だなと思ってあまり仲良くしたくなくなってしまった。
これ、SNSにあげて誰が得するのだろうか。
そして、多分だけどこういうことをしている女性は多いんだろうなと思う。
私は元彼の携帯を見たことはあるけど、元彼が倒れて救急車読んだときに使って、
友達に「ひとまず大丈夫」って連絡するときに見たぐらいだったな。
そこからはもみくちゃの大乱闘に発展。「アイドルだからってナメんじゃねぇぞ!」地元・藤沢で鳴らした不良の血が騒ぎ、啖呵を切る中居。その直後、カメラの前に歩み寄るキムタクの背後で、ある光景が映し出されます。森クンが自慢の長い脚を目にも止まらぬ速さで旋廻させ、上段廻し蹴り一閃! いきった素人の即頭部を打ち砕き、一撃にしてノックアウトしたのです。
そのスピード・正確さ・鮮やかさは、00年代前半、PRIDEで活躍したクロアチアの総合格闘家ミルコ・クロコップにも引けを取らないクオリティ。アクション俳優の道を歩んでいたなら、ショー・コスギを超える国際派スターとなっていたに違いありません。
ハイキックされた素人が救急車搬送されたため、この一件は当然かなり問題になったそうですが、同時にメンバー間の絆が強まったとも後に語られています。空中分解してしまった今のSMAPには、もう一度この「森クンの一撃」を見てもらい、結束を誓った日の記憶を思い起こして欲しいものです。