2018-03-19

この世ってつくづく思うけど、地獄のものだな

はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、

幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストしかない

一方、幸せ人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている

簡単に言えばアフリカ飢餓孤児お茶の間テレビで眺めながらホットケーキメープルシロップかけて食ってる構図だ

もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、

自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう

ところがどっこい、これは起こり得ない

何故なら遠いか

ただ遠いから、自分生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない

 

今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカ飢餓孤児TVで見たときはフーンと思っていた

しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた

「俺と孤児のどこが違うの?」

肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で

もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、

俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないか

人によっては「日本アフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない

もちろん現実アフリカ人を急に移せばそうなるだろう

じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい

それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子もの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい

とにかく、完全に、運なのだ

なのだ

こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている

努力すれば変えられるという人も勿論いる

だが努力が公平であればあるほど、天才努力に凡人の努力は勝てなくなっていく

甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈

プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる

眼球の筋肉(眼筋)は後天的に鍛えにくい部位であり

ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている

こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ

結局、ボールバットに当てる才能は天から授かりしものであり、

凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである

しかしその努力スポーツ界では認められていない、ただし公には。

 

では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?

どこにいてもどんなとき出会うのは自分と同じ人間

発想も発明ファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。

嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。

大した争いも起こらず同じ権利のため競争も起こらない。

ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見平和世界に見える。

しかし彼・彼女にとってその世界は本当に楽しいものだろうか?

好きな物・嫌いな物が混在し自分理解を超えたもの存在し、

異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験更新していく方が個人人生において充実しているのではないか

自分が作った映画小説など、所詮自分想像以上の産物にはならないだろう

娯楽に頼ろうとしても自分日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう

なぜならその経験解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ

もし増田に俺しかいないとしたら絶望である

明日明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう

俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう

そしてそこには同意トラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから自分独り言に反応する必要性すらなく

ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう

それもまた地獄と言わずに何というだろうか

 

ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう

重大な疾患を抱える子ども遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが

個人的には行ってもよいと考える

なぜなら、元々生まれ必要などこの世には無いからだ

人間原理的に生存繁栄肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている

しかしそれは誤りである

宇宙地球人間がいつ死んでもいいと思っているし、

絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう

この広い宇宙知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト思想

また宇宙から寵愛を受けているか人間誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想

人間宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間選択のものによって理想的世界を手にするべきだ

理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれ必要性あるかないか選択することができ

まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ

なぜなら宇宙も神も世界も誰も人間について無関心だから

関心があれば産まれときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙法則として残しているはずである

仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという

では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?

全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である

俺は全く信じられない

俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児地球から存在しなくなった瞬間だ

それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない

もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない

俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ

故に神や宇宙人間そもそも無関心であるという解釈を俺は信じている

そしてその上で神や宇宙人間にとって安全装置として機能しないのであれば

人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ

人間人間必要権利自由を決める上で最も重要なのは法だ

法について話をするのは、また別の機会にしよう

 

話を戻すがこの世は地獄のもの

人間生命は単に誕生することができたか

可能性の隙間があってそこを通り抜けたか存在しているのであって

寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない

宇宙天体・この世の物理法則自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり

自分らが身をよじってそれらが絶滅しようが全くの抵抗がない

故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない

でなければいつまでも地獄に閉じ込められたままだ

もっと具体的に言えば俺が真に幸福ホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる

この世は地獄

  • 仏教にようこそ ブコメくたばれ

  • https://anond.hatelabo.jp/20180319130341 では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった? 来世か過去世でしょ。一行上に輪...

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