はてなキーワード: 名詞とは
http://anond.hatelabo.jp/20150910215231
からの続き
自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。
僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端の研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。
いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。
そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語、英語、世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会、政治・経済、倫理、科学と人間生活、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しかし高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省のサイトで過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。
まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文・漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文と漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文・漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから、中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。
英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外を放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。
次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。
日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい。地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。
公民は、現代社会、もしくは政治・経済+倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。
理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。
科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領が改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙なラインだ。これは勉強必須だなあ。
あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須。
まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。
え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもうホントかんべんしてくださいよマジで。マジで……。なんぞこれ……。1ミリもわからん……。死にたい……。
マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分は理系なのだとばかり……。マジかよ……。
嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。
まずは本屋で数Iの参考書を立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学の参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。
参考書とドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。
算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである。
算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスとマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学の最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省の陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。
そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそがギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。
つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズのケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実の認識が必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ。
そのとき「バタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。
そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。
数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。
それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書をパラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学をちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。
よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。
まずはまた本屋で参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学のときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学のときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイトに実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。
いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気でちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師はあくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学や物理の実験を映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端の研究の現場のリポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。
よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽のエネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれたときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。
さらに日本史、世界史、数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。
試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後の若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史」なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代そのものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。
高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。
次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたい。しかしおかげで緊張はほぐれた。
英語はTOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。
そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。
科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。
1日目、無事終了。
2日目。地理。海外放浪のときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。
世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。
地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。
2日目も無事終了。
試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。
1ヶ月後、試験結果が届いた。
全科目合格だった。
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。
数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。
あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。
方程式、定理、法則、電気、磁気、エネルギー、素粒子、宇宙、銀河、太陽、地球、生命、遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力、支配、隷従、社会、自由、イデオロギー、宗教、民族、言語、貨幣、法、国家、議会、政党、福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション、条約、為替、貿易、経済。
時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。
そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。
人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。
それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム。
どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。
だから僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。
http://kanji.quus.net/jyukugo1815/
てめーのせいで↑にある初便りって言葉が最初のうんこにしか見えなくなったじゃねーか
どーしてくれるんだクソが
駅の「ホーム」とかよ~~~
とか思ってるやついるだろ???
それ platform だからな
home じゃないどころか plat- が消滅してるんだが~~~???
とか思ってるやつもいるだろ???
「ホテルに戻ったあと夕食ってどうすればいいの?」
みたいに答えるの何度も見てきたわ~~~???
ヴァイキングとは、ヴァイキング時代と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略した
スカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の武装船団を指す言葉である
おまえの想定してるそれ buffet だからな
それか smorgasbord でも言いたいことは伝わるからよ!!!
あと最近よく「マッドキャッツはウメハラをスポンサードしてる」みたいな言い方見るけどよ~~~
おまえら普段は「マッシュポテト」とか「コンビーフ」とかよ~~~
「なんだこの「ド」? よくわかんねーし取っちゃえ」
みたいに軽々しく取っちゃうじゃねえかよ~~~
なぜ「スポンサーする」にはうっかり「ド」を入れちゃう??? なぜここで入れちゃうんだ???
聞きなれてない「スポンサード」のほうがそれっぽく聞こえて正しそうだとか思っちゃうんだろ~~~???
以上のように普段から和製英語にストレスを感じながら生きています
とはいえ
だが
それが英語でも通じるのか通じないのかはぜひ知っておいていただきたいですね
http://anond.hatelabo.jp/20150801220547
「とれいC」以外誰が誰だかまったくわからん。「名詞 ミニマリスト」で調べてみたけどこういうこと?
姫様 これは「風の他人の姫姉様」というブログだろう。何回かみたことある。
蜜姫 これは「蜜の国」というブログか?初めて知った。
メロン熊 これは「楽に生きる方法」というブログがあてはまりそう。本多メグさんという人で熊のアイコンだから。
紫雑草 わからんかった。「A1理論はミニマリスト」というブログと「心の雑草」というブログがでてきたけどどっちも雑魚すぎるので多分違う。
あのさ。いくらなんでも妄想で話し過ぎじゃないか?
見てみたけど、姫姉様って人のブログ、70万PVもあるらしいわ。だったらこんな少人数でごちゃごちゃ揉めようが関係なくない?
しかも姫姉様って人のブログ、ミニマリストあんまり関係なくないか? どっちかというとモテとかコーデとかの話してるぞ。
だったら下っ端がいなくなってもPVが1万か2万へるくらいだろ。ミニマリストと全く縁切っても10万PVがくらいしか減らないんじゃない?だったら影響なくない?
日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が
多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおはは手段でしかない。
いやいや。てにをはは論理構造の基礎も基礎、初期のスコア10くらいの位置でしょう?
「増田に100万円与える」と「増田が100万円与える」の意味が同じなわけはない。それをおまけだ接着剤だとはとても言えないよ。
「(言語の利用は)論理構造を説明する手段でしかない」っていうの考えは、人間の脳内に、言語を超越した「論理的思考」が存在していて、それを言語で他者に伝達しているはずだという思想があるわけなのだけど(だからこそ母国語と外国語を並列に並べて、どっちでもいいじゃん、並行で学べばいいじゃんというわけだけど)、そうではなく、人間の論理的思考というのは何に由来して何に育まれているのか? という話をしているんだよ。
結論から言うと論理的な思考というのは言語によってなされている。脳内の自己対話、思考の検証にすら言語がつかわれているんだよ。直感や閃き、感情などは言語に先立つけれど、仮説や推理や検証、そして論理や伝達などは言語化における教育で内在する。だから母国語をきちんと使いこなすことは重要だし、人文教育はまさにこの「思考できる人間を育てる」ことに価値が存在する。
もちろんそういった論理的な会話や文章っていうのは日常生活では必須じゃないよ。「だるい」「電車むかつくわ」「わかりました」「できた」「計算ミスったわ」「先言っとけよ」「腹減った」「眠い」「昼ラーメンミスったわ」「二倍だって課金しなきゃバカ」「大盛りくおう」「トイレ紙ねえし」「買ってこないとねえし」「だるいわ」「もう寝よ」くらいで生きていけるし、問題は特に起きない。そしてそういう思考や言動をしているとき、てにをはも、主語述語も、論理構造も気にしないでいいし、事実そこまで厳密な運用を求められない。
なるほど。考えさせられる意見でした。
ちょっと考えてみたけど、てにおは は個人的には、日本語を100マスターする
上での残り30だと思っている。
いわゆる 日本語でおk? とか 日本語で説明する = てにおは をマスターするであると
日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が
多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおはは手段でしかない。
動詞、形容詞、名詞、あとは文章のメッセージがしっかりしていたらそれをくっつける複雑な
個人的には、英語をこれだけ長いこと教育している国で英語がサバイバルの言語として
教えられない、あるいは、仮説思考的にどんどんjump in していくのが大切ってことを教えれないのは
このへんの完璧主義
(いいほうに完ぺきだったらいいけど、実は別にゴールに向かう上での完璧さではない
ところでの枝葉末節と幹を切り離せて考えられない、ただの過剰主義と一緒なのでは?)
はてなブックマーク - 素人さんの原稿でとりあえずチェックする漢字にしないだけで読みやすくなる単語 - Togetterまとめ
やあ、弱小専門書出版社に在籍していた増田ですよ。乗り遅れた感がすごいけど、読んだら書きたくなったので書く。
上のまとめは「素人さん」「読みやすくなる(=元々のオメーの文章読みにくいんだよ)」という表現でいらん反感を買ったと思うんだけど、たしかに適切に開く(=ひらがなにする)と見た目にメリハリがついて、頭に入りやすくなる効果はあるなーという実感は持っております。
自分が使っていた一般ルールは以下のような感じ。記者ハンドブックは持っていなかった。口伝。文法用語を間違ってたらごめんネ。
「(~して)あげる」「(~して)ほしい」「(~し)だす」「(~し)すぎる」etc.
「~にすぎない」「~における」「~によって」etc.
「また」「したがって」「すなわち」「もしくは」etc.
「ひとつ」とか「ひとり」とか。算用数字にするか漢数字にするか、それともひらがなにするかというのが毎回悩ましかった。
基本的には縦組みなら漢数字、横組みが算用数字にして、とくに意味合いの強そうな表現(「一人ひとり」とか)だけ開いてお茶を濁していた。
「かえって読みにくい」とか好みの分かれるところなので、著者とも要相談。
これは絶対。だからテキストを一括置換してハイおしまい、っていうのは危険で、目でもチェックする。
以上をふまえて例をあげますと、
という文は
となるわけです(あ、書き忘れたが「有る/在る」「無い」もだいたい開いてた)。
在職時に扱っていた『ある専門分野の書籍では』だいたいこれでやっていました。ガチガチの専門用語が頻出する原稿も少なくなかったので、多少なりとも見た目をやわらかくしたいという意図もあり、自分はかなり開く方だった。で、カギカッコをつけたように、これはあくまである1分野の話で、ジャンルや対象読者によってまったく変わってくると思います。たとえば、小説やエッセイだと書き味というか、文の手触りみたいなものも重要でしょうから、こういう機械的な方法はそぐわないでしょうね。
ブコメで書いてる人もいましたが、基本的には「1冊の中で統一がとれていればOK」だと思っています。あとは読者対象をふまえて著者と相談。ここまで書いておいてなんですが、結局ケースバイケースなんですよね。1冊1冊で変わってくるので。
職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。
ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。
たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい
ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。
カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。
しかし、現実のショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップはモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。
オンラインと現実の世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。
ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである。
これを楽天などで商品を検索した場合、あるいは楽天でネットサーフィン()したと考えてみる。
キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。
そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。
そんなショップが跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。
真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。
だから、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。
ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。
オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww
流行は個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。
均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。
まるで諸行無常の激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。
ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。
最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。
流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。
服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。
廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。
普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。
すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから。
ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。
輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。
消費税や関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格で計算するのかが異なる)。
稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。
ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局の手数料であって税金ではない。
オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。
オークションの利用料と関税率と消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。
利益を度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。
つまり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者は脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。
ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます。
大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。
何をどの時期に輸入しているかは郵便局と税関と接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。
ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます。
それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。
個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます。
会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。
キャンセル理由の第一位は「入院や病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である。
多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。
きっと、このような理由で休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。
本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったからキャンセルという理由の根拠が分からない。
転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。
要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。
これを本音と建前という日本人の文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。
「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。
いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである。
そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。
それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。
1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。
学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章に統一が取れていませんね。
自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります。
貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。
さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます。
追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています。
副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語を習得して、クメール語も覚えました。
これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。
それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語も勉強しました。
というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらからの借用語が多い言葉です。
ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。
名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!
…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉のルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています。
率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。
実に恵まれていると思っています。副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています。
というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます。
「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由で休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます。
しかし、その経験が職場に於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています。
通関業者は税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。
ですが、通関業者も収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。
(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者の費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)
相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります。
そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当な費用か否かが判断の一助となります。
というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろと上司から言われます。(もちろん任意)
というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。
ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。
ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています。
ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商に於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています。
現在、ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります。
しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。
続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)
それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。
「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。
これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。
これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。
しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います。
密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。
オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています。
実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。
もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。
しかし、購入者の一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。
例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから。
ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化が形成されるのかもしれませんね。
本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者の自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから、入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。
いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。
これは例外なく私にもあてはまり、私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。
深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります。
そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります。
そして、自分がその立場になってみて「はいはいまたか」と思いながら、受注キャンセルボタンをポチりしているわけです。
相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。
この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます。
舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議な感覚です。
忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセルな!!!
あれだけは本当にやっちゃならん。
なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。
これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。
これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。
また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。
しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います。
というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているからであると思うのです。
私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。
そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます。
反論として提出されるであろう統計的にデータを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。
私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータとコミュニケーションをしていないのです。
そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。
なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。
しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。
Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。
>日本人には憲法上国籍離脱の自由があるし、渡航・移住の自由があるから、「永住してもらう」てのは無理
そうですね。永住を強制するとか「永住してくれ」と言うとか、そういう意味ではないです。
>曽野綾子氏とかは自分ですらも誤解しているようだけど、「永住帰化外国人」を期待しているんじゃなくて「出稼ぎ外国人」を期待している
その通りで、私が言いたいことが名詞として何を示すのか自分でもよくわかっていなかったので、まとめていただけて良かったです。
>あと、外国語しゃべっても、故国の文化を貫いても君の政策では差別されないんだろう?
はい。結局そういう物事に対して(政府だけでなく)私達自身がまだ寛容ではないから障壁になっているのでしょうね。
それでn十万人移民などという話にばかりなる。
プレイしていないソーシャルゲームの二次創作を行っていたところ、非プレイヤーには二次創作の資格がないと云われカチンと来たので書く。
スタティックなゲームにはどんな些細なものであっても名詞には最大の注意を払っていてほしい。
なぜならプレイヤーが見ているのはゲーム画面ではなく、その向こうにある物語なのだから。その起因や発達を阻害する名詞はプレイ体験に致命的なダメージを与える。
スタティックなゲームのプレイヤーにとってゲームはよりしろの機能の側面を持ち、プレイヤーはひとつひとつのアクションには意味を持たせたがる。選択行為への意味の総体がゲーム体験となり、ゲーム体験というプレイヤー共通の基盤からプレイヤーひとりひとりに固有の物語が発生する。
ところで、ある名詞が致命的なものである場合にプレイヤーに可能なのは以下の三つである。
(2)名詞を視界に入れないようにする
(1)はやがて意味の総体を混濁させ蝕む。(2)は有り体に言えば縛りプレイである 。最も険しい。(3)はお手軽だ。
いったん、ゲームのよりしろとしての機能に着目すると、必要な機能はゲーム性ではなくむしろよりしろだったとわかる。
であれば、(3)は最もお手軽であるだけでなく、最も経済的な選択肢だったと明らかになる。合理性バンザイ。我らの経済性に喝采を。
しかしながら、(3)には決定的な瑕疵があり、プレイヤー(ですらない誰か)は無限に孤独である。ひとりで無体験から物語を幻視し、幻視し続けなければならない。共感すべき体験を持たず、基盤を持たず、回路を持たない。原理的に共感を拒むことになる選択肢であり、孤独の選択肢だ。
それでも私は誰かとよろこびを分かち合いたかったのだ。
手を握り合い、肯き合いたかったのだ。
英語でもやっぱり、自分の言いたいことをいきなり主張するだけではぶっきらぼうすぎる。
メールだけ(ネットだけ)でしかやりとりできない相手がいる場合は特に要注意。
さすがに同僚なら口論にまではならないが、相手が妙に防御的になり、議論が進まなくなったり、余計な手数が増えたりする恐れはある。
そういうことで、以下、便利だなあと思ってる表現。
「……するのはどうでしょう」
「……する気があれば、やってみるのもいいんじゃないでしょうか」というように、
相手に判断をゆだねている点が尊重する態度として受けとられるらしい(例 You might want to read this. これを読んでみるのはどうでしょう。)。
Would you like to ...? も似た部類に入る。
Can you ...? Could you ...? で代替できることもあるけど、これらはどちらかというと頼みごととして受けとられる。
字面上は「あなたは……したいと思うかもしれません」とやたら曖昧で何が言いたいか分からなく聞こえるが、控えめな提案の熟語としてまるごと覚えるのがいいと思う。
「ちょっと提案させてもらえるなら」「老婆心ながら……」のような用法が多いように思う
例:If I may suggest, it's better to use foobar for this. ひとつ提案させてもらえるなら、ここは foobar がいいかと
意地悪い人は、あまりにも明らかなことについて「おいおい、こんなのは基本中の基本だろ……」を喉元まで出しながらこれを言うこともある。イギリス人特有の皮肉(偏見)。
単に if I may と suggest 抜きの例もよくあって、動詞がないので初見ではパースしにくかった。
「もし……でしたら」
例:Should you have any questions, please do not hesitate to ask. もし質問がおありでしたら遠慮なくお訊きください。
個人間の会話・論文みたいなものではあまり使わないが、ややオフィシャルなメールで比較的よく見る。意味の上では "If ..." とそれほど違いはないんじゃないかと思う。
上述の You might want や would like と同様、丁寧に語りかける表現という位置付け(だから多分、ステートメントをばしっと書く公式文書などでは普通使わない)。
ただ、慣れるまでは構文がぴんとこない。初見では、なんとなく疑問文に見えるからまぎらわしかった。
「申し訳ありませんが」
受験英語でもよく見るが、実際にも使う。
類句の we regret と比べて、軽めの話題や、多少決定的でないことに対しても使う(例 I'm afraid you got it wrong. すみませんが、あなたの勘違いじゃないでしょうか)。
I'm sorry (but) もあるけど、I'm afraid のほうがなんか大人語っぽい。
よく日本語の「すみません」の感覚で I'm sorry を使うと「悪いとも思ってないのに何で謝るんだ」という話になったりするけれども、
I'm afraid は謝罪の意味はないのでその辺は気兼ねなく使える。
内輪の場合、 ..., I'm afraid. と最後につけるややくだけた構文もある。
「ただ、……ですけど」
例: I'm all for that. It might be expensive, though. 大賛成です。ただ、高いかもしれないですけど。
however, ... でも悪くないが、 ..., though のほうが「おまけ」的雰囲気がある(逆に言えば、however はそれ以下がメインだと受けとられる恐れがある)。
文末に置くのはやや口語的らしいのでその点は注意。
インフォーマルに「お知らせしておきます」的な名詞(例 This is just a heads up. ちょっとお知らせしておきます)。
類句に FYI (for your information) があるが、 heads up のほうが積極的。
相手が一人でも heads と常に複数形なのに注意(a に惑わされない)。
「その上で、……」
例:With that said, there are a few rules you need to remember. その上で、覚えておくべきルールもいくつかあります。
「ちょっと違う視点で見てみると」「一方では」的なニュアンス。
それまでの話とは別の立場にもここからちょっと言及しますよという印。
Having that said, [I/we] ...も類句。
(追記:エアリプしておきますと、丁寧さのレベルを使い分けるのが重要というのはその通りで、各自他の人の使い方を観察しましょう。1フレーズだけ大人語になってて他が中学生並なのは非常にかっこ悪い。ただ使えなくても、表現を覚えておいて他の人が使った時にすぐ理解できるのは便利です。)