はてなキーワード: 補助動詞とは
このブログについての話だが。
https://nakaii.hatenablog.com/entry/2022/02/22/210429
タイトルだけ見て何じゃこらと思っていたのだが、読み進めるうちになるほどなるほどと引き込まれる内容で面白かった。
ところで、she is sadの「自然な日本語訳」として、ブコメでは「彼女は悲しんでいる」という訳があがっている。
自分もそれなら自然だなと思ったのだが、実はこれは純粋な形容詞?ではなく動詞?なので、「日本語の形容詞の特徴」を説明してるブログとはまた話が違うらしい。
悲しい、が形容詞で、悲しんでいるは悲しむという動詞だから文法的に違うという事っぽい。
(こういうことを細かく考え始めたら、「でいる」ってなんだよと混乱しかけたが、助詞の「で」と補助動詞「いる」らしい。「飛ぶ・飛んでいる」と同じような関係か)
この辺の国語は昔から全く理解できなかったので間違ってたらすまん。
とにかく、「悲しんでいる」はちょっと違うらしいので、他に何かしっくり来るものはないかと探していて見つけたのが、
かなり客観的な説明調で口語ではまず使わなそうだが、「彼女は悲しい」ほど違和感がない日本語として成立していて、
she makes me sad. とは取られない文章だと思うが、どうだろうか。
小説の文中なら、恐らく「彼女は悲しい」は使わないし、「彼女は悲しんでいる」というストレートすぎる記述もあまりしなさそうで、
多分「彼女は悲しかった。なぜなら〜だからだ」というような形がいちばん自然な気がする。
赤かった、寒かった。
(またしても「〜った」って何だよと思ったが、形容詞の連用形に対する、助動詞「た」の接続用法らしい)
上記ブログ文中の例「彼は楽しい→彼は楽しかった」「彼は怖い→彼は怖かった」などでもイケると思ったのだが、誰も指摘していないようなので、もしかしたらこれも何か間違っているのだろうか?
こういう事を考え始めるとゲシュタルト崩壊的な状態になって判断がつかなくなる。
(「彼女は悲しい」も、自然な気がしたりしなかったり訳がわからなくなってきた。「彼女は悲しかった」も変な日本語か?)
先ほども書いた通り、小中の国語の授業で躓いているので自分では何が間違っているのかもよくわからない。
誰か詳しい人がいたら、おせーて。
丁寧語とは、眼前の相手への敬意を表す言葉であって、単なる「敬語」という意味ではない。言ってみれば、部下が上司にする言葉遣いである。一方「しゃーない」はどちらかと言えば上位者から下位者になげかけられる男性語における関西弁の俗流表現であり、軽い侮蔑語としての「アホか」に近いニュアンスすらある。「シャーナイヤン(1)」「シャーナイヤロ(2)」とか「シャーナイヤンケ(3)」「シャーナイチュートンノジャ(4)」など、「シャーナイ」のヴァリエーション(※1)を考えれば、ほとんど罵倒語ですらあるので、これを丁寧語にするというのがまず発想として奇妙である。
また、コレを無理に「仕方ない」の意の丁寧表現と取るとしても、一般に関西弁ネイティブの世界で、たとえば部下が上司に向かって”仕方ない”という自分の感想を直接的に述べるシーンというのがまず想定しにくい。関西弁は非常に日本そのものであるような文化体系に基づく言語なので、「仕方ない」出来事に遭遇したときには、出来事の「状態」を描写するよりも、古語のようにその状況に遭遇した「相手の心情」を慮って言葉が発せられ、これによって相手へのより強い敬意や遺憾の念を表現するのが普通だからである。従って、「しゃーありません」などという妙な言い方は、ネイティブからは出てこない。これは、表面だけ関西弁だがハートが関西弁ではない人間が想像で喋るエセ関西弁である。朝ドラなどで非常に頻繁に見られるが、イントネーションを似せれば似せるほど不気味の谷に近づいて違和感があるのでこういうのは本当に止めた方がいいと思う。(※2)
たとえば「上司が契約を取るため条件を下げるよう上にかけあってきたが、社の方針でダメだと言われる状況に遭遇したときの部下の一言」を想定するならば、「コレ、ホン↓トニナン↓トモナラナ↑イン↓デスカネー…」が正解だ。やや棒読みで最後を低く呟くように発音するのがコツである。「何ともならない」ことを分かった上で、敢えて相手の心の内を代理的に言語化する。一番「何ともならない」ことを分かっているのは上司だ、との了解の下で(棒読み口調によってこれは察せられる)敢えて一段自分を低め、道化となって「分からないフリ」をすることで、上司自身に「マアナラヘンナ/無理↑ヤ(=仕方ない)」と言わせるための一言である。これはかなり気を遣った「仕方ない」の関西弁による丁寧表現である。「仕方ない」とこちらから言うのではなく、相手に「仕方ない」と分からせるために相手の心情を思い諮り、同時に敬意を表現する。こういう柔らかな「寄り添う言語としての日本語」の特長を、日本の伝統を大事にされる方々には関東においてもぜひ日常的に取り入れてもらいたいと思うばかりである。
また、もう少しカジュアルに(カジュアルという概念自体が関西文化にはうまくそぐわないのだが)表現すると? たとえばちょっと丁寧に同格の同僚と喋るようなケースで「今後こういう傾向になっていくのはやっぱり『仕方ないですね』」という内容を言う場合どうなるか。その場合は、自立語ではなく付属語や補助動詞で表現することになるだろう。つまり、「ない」自体が敬語化されるのではなく、「仕方ナイ↑デスネー」みたいな感じだ。女性的表現としては、「仕方アリマセンネー」が考えられ、これは増田の想定に一番近いのだが、女性語の場合丁寧な社交の場では言葉が関東弁に近づくケースがあるので(これについては谷崎潤一郎の小説「細雪」の中でも少し触れられている(※3))このようになる。
以上、増田の初級関西弁講座である。ネタであることは言うまでもないので話半分に聞いておくように。ホナマタ。
https://anond.hatelabo.jp/20180113124118
※1 厳密に言えば、「シャーナイ」とほぼ同義で使いうるのは「アホクサ/アホカイナ」である。前者は事態を、後者は相手を軽くあしらい流すときに用いられる。ただ、このような間投詞的な「アホ」(詠嘆の「アホ」という)の用法は、シチュエーションにより様々な意味を含有するので、非ネイティブが使用するのに苦労する部分である。「アホ」は本来道化(クラウン)を意味する言葉だが、同質性の高い世界において道化役は時に非常に重要な役割を果たすものであり、それが関西文化圏では共通了解とされているため「あいつアホやな」という言葉は批判ではなく、時に非常な敬意や褒め言葉になりうるし、また若年女子が用いる「アホっ」は、おおむねソフトな「I like you.」の意味で了解されるのである。
なお、「ヤン(1)」~「チュートンノジャ(4)」に至る変化は、一見微妙に見えるがそれぞれ
「(1)仕方ないじゃないですか?(=だからあきらめて貰えませんか?(依願))」
「(2)仕方ないじゃないか?(=だからどうしようもないと考えなさい。(命令))」
「(3)仕方ないと私は言っているでしょう?(=ひょっとして言いがかりを付けて喧嘩したいのですか? 何ならお相手しますよ?(威嚇))」
「(4)仕方ないとこの私が言っているのだ。(殺すぞ(予告))」
…という意味となっており、特に(2)から(3)に変化したときは明らかに相手のモードが変化しているので注意が必要である。親切なネイティブならば、語尾に「ヨォ」という威嚇語を追加し「シャーナイヤンケヨォ!」とメンチ(接近して目を合わせる威嚇のポーズ)とともに発音してくれるので、こちらは非ネイティブにも分かりやすい表現となるが、できれば(3)を聞く前に第三者を介入させるか和解を申し出るのが望ましい。
※2 たとえば朝ドラなどで、番頭はんがお嬢さんに「仕方ナイデッシャロ」などという奇妙な関西弁を用いる「けったいな」シーンは容易に想像できる。このように関東人がエセ関西弁を振り回して「関東人の思う関西人」を演じているのは、実際典型的な「文化の盗用」であり、今後厳しく批判されていくことだろう。
※3 谷崎潤一郎「細雪(上)」より。(舞台は戦前なので、約80年前の話である。)
「彼女は相良夫人のような型の、気風から、態度から、物云いから、体のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手なのであった。彼女も阪神間の奥さん達の間では、いっぱし東京弁が使える組なのであるが、こう云う夫人の前へ出ると、何となく気が引けて、――と云うよりは、何か東京弁と云うものが浅ましいように感じられて来て、故意に使うのを差控えたくなり、却って土地の言葉を出すようにした。それに又、そう云えば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪弁で話す癖に、今日はお附合いのつもりか完全な東京弁を使うので、まるで別の人のようで、打ち解ける気になれないのであった。成る程丹生夫人は、大阪っ児ではあるけれども、女学校が東京であった関係上、東京人との交際が多いので、東京弁が上手なことに不思議はないものの、それでもこんなにまで堂に入っているとは、長い附合いの幸子にしても今日まで知らなかったことで、今日の夫人はいつものおっとりとしたところがまるでなく、眼の使いよう、唇の曲げよう、煙草を吸う時の人差指と中指の持って行きよう、――東京弁はまず表情やしぐさからああしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄がにわかに悪くなったように思えた。」
はてなブックマーク - 素人さんの原稿でとりあえずチェックする漢字にしないだけで読みやすくなる単語 - Togetterまとめ
やあ、弱小専門書出版社に在籍していた増田ですよ。乗り遅れた感がすごいけど、読んだら書きたくなったので書く。
上のまとめは「素人さん」「読みやすくなる(=元々のオメーの文章読みにくいんだよ)」という表現でいらん反感を買ったと思うんだけど、たしかに適切に開く(=ひらがなにする)と見た目にメリハリがついて、頭に入りやすくなる効果はあるなーという実感は持っております。
自分が使っていた一般ルールは以下のような感じ。記者ハンドブックは持っていなかった。口伝。文法用語を間違ってたらごめんネ。
「(~して)あげる」「(~して)ほしい」「(~し)だす」「(~し)すぎる」etc.
「~にすぎない」「~における」「~によって」etc.
「また」「したがって」「すなわち」「もしくは」etc.
「ひとつ」とか「ひとり」とか。算用数字にするか漢数字にするか、それともひらがなにするかというのが毎回悩ましかった。
基本的には縦組みなら漢数字、横組みが算用数字にして、とくに意味合いの強そうな表現(「一人ひとり」とか)だけ開いてお茶を濁していた。
「かえって読みにくい」とか好みの分かれるところなので、著者とも要相談。
これは絶対。だからテキストを一括置換してハイおしまい、っていうのは危険で、目でもチェックする。
以上をふまえて例をあげますと、
という文は
となるわけです(あ、書き忘れたが「有る/在る」「無い」もだいたい開いてた)。
在職時に扱っていた『ある専門分野の書籍では』だいたいこれでやっていました。ガチガチの専門用語が頻出する原稿も少なくなかったので、多少なりとも見た目をやわらかくしたいという意図もあり、自分はかなり開く方だった。で、カギカッコをつけたように、これはあくまである1分野の話で、ジャンルや対象読者によってまったく変わってくると思います。たとえば、小説やエッセイだと書き味というか、文の手触りみたいなものも重要でしょうから、こういう機械的な方法はそぐわないでしょうね。
ブコメで書いてる人もいましたが、基本的には「1冊の中で統一がとれていればOK」だと思っています。あとは読者対象をふまえて著者と相談。ここまで書いておいてなんですが、結局ケースバイケースなんですよね。1冊1冊で変わってくるので。
キテレツ〜
被害者の一人として集中砲火を受けたにすぎないナリ。
たとえば、加害者側をみてみよう。
この手順は一貫しており、パターン化されていることに注意されたい。
以下、具体的にその手法を示す。
相手のブクマコメント、ツイートなどを拡大解釈(自分への名誉毀損と断定する)
→相手側をブログにて名指しで指摘
→少しでも気にくわないと思った人物も、IDコールで名前を晒しあげ
→キャプチャ、キャッシュなどを用いて、相手を加害者に仕立て上げる記事を作成
これを悪質な嫌がらせと呼ばずに何と呼べるだろうか。
事の是非を議論し、非難すれば相手の思うツボだ。
(あるいは、他のブログを閉鎖に追い込んだという事実に対し、その対価として自らも閉鎖するよう要求されてしかるべきだ)
寛大にも、日本語表現の指摘を行ってくれた方々の心の広さに感謝すべきであろう。
wikipediaを見ればよく、その手間すら惜しんだということだ。
あと補助動詞ってわかっているのかな^^
まずは良識ある社会人としての常識を身につけ、出直してくるべきだ。
とても模範的な成人とは思えない。
利口なはてな読者達は、相手にする価値すらないことを見抜き、一刻も早く放置プレーを決め込むべきだ。
なお、コロスケとは、野菜炒めの具材を指す。
コロスケはジューシーなサラダが食べたいナリ。新しいピーラーを買ってくるナリ。
かくして、刃こぼれしたピーラーは誰にも相手にされなくなり、
めでたし、めでたし。
その後、その姿を見た者はいない。
わざわざ強いて言わなくていいですw
待つことは確かに客の負担だけど、客は待てないなら出てっていいんだよ。
これを「待つという選択をさせられた」と捉えるのはちょっと被害妄想入ってんじゃないかな。
別に堅い話が好きなわけじゃないけどwあなたは堅い話に持ち込んだ方が話しやすいの?
対等なら、待たずに食べる人と待たされて食べる人が同じ待遇・料金ということはありえないよ
「〇分以上待つ場合には代金を幾ら幾ら割引く」という契約があるなら
両者は完全に対等
同じように作られたモノ食ってんだから同じなんじゃねーの…というのはさておき、
じゃあそんな契約は最初から結んでないので、店と客は対等でないってことでもいいですよw
というか「堅く」考えるならそういうことになっちゃうよね。
でもそうなると店の方が最初から客より強いので、客はむしろ文句言わず待つべきって帰結になるんじゃね?
といえる
本来店は時間割引を支払うべきであるってことにはそもそも全くなってないです。店も客もそんなこと事前に了承してない。
他の増田が書いてるけど、先に待ち時間聞いてみてもよかったんだよね。
なんでそこで「待ってあげる」になるの?w
当たり前だけど店と客は基本的に対等なんだよ。少なくとも店が目下だと客が考えるのはどうかと思う。
対等なら、待たずに食べる人と待たされて食べる人が同じ待遇・料金ということはありえないよ
「〇分以上待つ場合には代金を幾ら幾ら割引く」という契約があるなら
両者は完全に対等
冗談でもなんでもなく
対等な2者の商取引というのはそういう風になってる
買掛金の支払いを待たせれば余分に払うとかね
堅い話が好きらしいあなたに合わせれば、
といえる
補助動詞「~てやる」の解説は
仕方ないから待ってあげるんでしょ?
なんでそこで「待ってあげる」になるの?w
仕方なかろうと何だろうと待つと決めたならただ待つだけだよ。
待てなきゃ店出るだけ。
補助動詞「~てやる」の解説は
わざわざあることをしてやる気持ちや恩着せがましい気持ちをこめて、目下の者のために何かをする。
(丁寧語:「あげる」)
当たり前だけど店と客は基本的に対等なんだよ。少なくとも店が目下だと客が考えるのはどうかと思う。
できる限り新しいブラウザでご覧いただくことによって、asahi.comが提供するサービスを、より確実にご利用いただけます。
私は、あなたに、できる限り新しいブラウザで見てもらうことによって、asahi.comが提供するサービスを、より確実に利用してもらえます。
はい、おかしいですね。
おかしくない。というか、どこがおかしいと思ったんだろうか?
確かに元の文章中の「ご覧いただく」はおかしいと言えなくもない。
ここでの「いただく」は動詞の連用形またはサ変動詞の語幹につく補助動詞だ。
「ご覧」の部分は「ご覧ず」(「見る」の尊敬語)であり、その連用形は「ご覧じ」だから、これに「いただく」を付けるならば「ご覧じいただく」が正しい。(なお「御覧ぜらる」という表現もある。)
(なお「ご利用いただけます」は「利用する」というサ変動詞の語幹(「利用」)に付いてるから、こっちはおかしくない。)
だから「見てもらう」を「ご覧いただく」と敬語表現にするのは間違いと言いうる。
しかし、元増田が「敬語を使わない表現に直し」た文を持ち出して「おかしい」というからには、その「敬語を使わない表現」に誤りがあるのでなければならないのだから、敬語表現化の誤りは増田の指摘の射程外となる。
ところが、この「敬語を使わない表現」が「おかしい」という、その部分がどうにもわからない。
元増田が違和感を感じた理由を推測するヒントは「修正」にある。
元増田の修正案では、「見てもらう」「利用してもらう」が「見る」「利用できる」に「修正」され、主語が「私」から「あなた」に変更されている。
どうも、元増田は「あなた」の行動について「私」が主語になることが耐えられないのではないかと思われる。
しかし、「あなた」しか現れない文章では「私」の謝意が表せない。
しかるに、「〜していただく」や「〜してもらう」は、相手の行為で自分が利益を受けるという関係性を表現し、以て相手の行為を承認・称揚する作用を持つ。それゆえ、謝意を表すために主語を転換し登場人物を増やすために用いられる。日本語では普通に行われていることだ。
発話の内容が「過去」に起きて固定された出来事である「完了」した出来事でまだ流動的に持続していることなのか。それは結構重要な情報です。よってそれは文の頭に近い場所にある方が望ましい。
英語で、動詞にその情報を載せるのは、一般に英語の文において動詞が文頭に近い場所にあるからですね。一方日本語で、動詞にその情報を載せる慣習がないのは、日本語において述語動詞は文末に置かれることが多いからです。
よって日本語では、時制を表す副詞句などによってその機能を代行させてきました。
「I lost my key.」 については「3年前ここで鍵を失くしたのよ」
「I've lost my key.」については「今鍵失くしたの。」
持続を強調したい場合は、さらに補助動詞を補ったりする。「今、鍵を失くしててさあ。」
そんな感じです。だから
「日本人にその『感覚』がない」ということはないのではないでしょうか。古文における過去形と完了形にハッキリした違いがあったのかなかったのかと問われれば、それが英語の過去形・完了形とはまた全然違った意味合いで、ハッキリした違いがあった、ということは申し上げておきます。完了形にも、有意志と無意志、また生物に使う完了と無生物に使う完了も分かれてましたしね。それが消えたのは、最初に述べたとおり、重要な情報だけに文末に置かれると困るケースが増えたからでしょう。おそらく、貴族の時代から武士を中心とする時代に移り変わった頃にそうなっていったのではないでしょうか。
ついでながら、「楽しい5日間だったねえ」「や、まだ終わってないから」というツッコミは、現代日本語の動詞に完了と過去の区別がないことを利用した一種のジョークだと思っていたのですが、あれは真面目にツッコんでいるんだったんですか?
あなたの文章が馬鹿にされていないかチェックする6つのポイント
http://anond.hatelabo.jp/20081227153032
・「まあ、○○と言われたらそれまでだが」で文章を締めくくることが多い。
こういうふうに相手が言ってないことを事前に決めつけて言うのは「憶測メソッド」っていうんだっけ? こういうふうに書く奴って思いこみが激しいんだよね。
・タイトルが思いつかず、「○○について考えてみた」に妥協したことが一度でもある。
タイトルが思いつかないというより、結論が決まってないという点を指摘したいのかな。
・「○○なのかなあ」と疑問を放置することがよくある。
これはブログだったら別にいいと思う。コメント欄やトラックバックってもんがある。
・文章に行き詰まったら、とりあえず別の文章から引用しておけば良いと思っている。
これはいかんね。逆に引用文は単なる手段で内容と関係ないDanメソッドもどうだろ。
・「○○だと思う」を一段落中で三回以上使ったことがある。
これは別にいいんじゃないか。自分の考えだということを明言して断言しないのは悪い事じゃないぞ。
・「要するに」を一段落中で二回以上使ったことがある。
これはまとめきれていないことだからまずいよね。
追加。
・読点(、)を打ちすぎる。呼吸が短い、論理的判断力がないと思われるぞ。