はてなキーワード: 住まいとは
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場所は東京なので被るけど、スペックはITフリーランスの人よりもだいぶ低い。
その上で恋愛弱者。妻と会うまで彼女はおろか、女友達さえいない。
気になったコメントについて答えてみる。
そうか?私は許容できる年齢が広いほど夢があると活動してて感じたな。(年下〜同世代以外は無理!と思う人は読まなくてよい)
相談所には婚期逃した医者一族の秘蔵っ子や資産家の令嬢っぽい人も登録しているので、成婚退会まで行けば婿養子や専業主夫にもなれるかも。そうでなくともバリキャリ女性(年収1000万超え)が多く在籍していて、入籍まで行けば生活基盤はガッツリ安定する。私は仲人にはプラスマイナス5歳と伝えていたものの、年齢の括りがなかったので会えるだけ会ってた(流石に10歳差以上は話が合わないのでは?と考えてたので申し込まないし、断ってた)。考え方を変えれば、弱者男性が普通〜強者男性になる可能性に満ち溢れている感ある(深窓の令嬢は普通に生活していたら、まず会えないし)。
子供が欲しい場合は若い女性のほうが確率は高いものの、年齢が高くても可能性は0じゃない。
正直な話、結婚生活に必要なのは年齢や若さ、美人か否かじゃなくて、互いに折り合いつけて生活を切り盛りできるか?なので、考えや趣味嗜好が如何に合うかのほうが重要だと思うぞ。
約2か月の間に6人と見合いして、一人に絞り込んでからさらに2か月で成婚退会。この間かかった費用は、あちこちデートで出かけたりした費用(ただし交通費のぞく)も含めて、総額約32万円。
ありゃ、デート代、意外とケチってる...もしかすると計上もれがあるかもしれないけど。
相談所に支払った費用は、入会金・月々の会費・成婚退会費(いわゆる成功報酬ってやつ)。
月会費は約17000円/月でした。
なお、当時のスペックは以下の通り。5年ほど前です。
お見合いの申し込みはほぼ断られませんでした。見合いの結果、断られたケースもなし。
同時並行で複数人との交際をしていた2か月間は正直大変でした....。
「ああ、こんな人、残ってたのかぁ、すごいなぁ」と、思うくらいしっくりきたのが、決め手でした。
時々は喧嘩もしますが、基本的に現在も仲良くやっているつもり....です。2馬力共同体生活は、生活の幅が広がって楽しいですね。
(以下追記)
妻の収入は私の半分くらいですかね。
チームとして考えたときに、一人よりも二人のほうが出来ることが増えるだろう、と思い、お互いを保管するような役割のパートナーを求めたのが始まりです。
独身時代の家事ノウハウをお互い出しあって、快適な生活を営めるよう、日々努力中です。今のところ、良い方向に進んでいると思っています。料理のレパートリーもかなり増えました。また、めんどくさがりな私にとっては、妻の行動力には随分と助けられています。単なるノロケですが、「ありがとう」「ごめんなさい」「いってらっしゃい」「いってきます」「ただいま」「おかえり」を言い合える家族がいるのはそれだけでも大変幸せなことだと思っています。
二人の遺伝子を残すのは生物学的にもはや可能性が低いのはわかっていたので、子供目的というわけではありませんでした。
ただ、妻は子供が欲しいようでしたので、今後どのように折り合いをつけていくか、だと思います。
養子縁組というのも一つの方法かな?とは思っています。一人より二人、二人より三人のチームのほうが、出来ることがさらに増えそうな気もするので。ただし、これはこれで条件が厳しいですが....。
ー最近の不動産価格食料品税金の値上がり見れば年収1000万って一昔前の年収800万くらいだよな
もしかすると、もうちょっとキツイのかも?とは思っています。住宅購入は正直手が出ないですね。年齢的に長期ローンを組むのが難しいというのもありますが、なにより高い。独身時代に購入した中古マンションを賃貸に出し、その家賃収入の助けを得て、少し広めの賃貸マンション住まいです。売買相場と比較して、家賃相場はそれほど動いていないので、なんとかなっている感じです。
あとは、年収の増加だけに関わらず、年齢とともに、いわゆる天引きされていくものも増えていく(介護保険料とか)ので、年収が1000万円を超えたとしても、手取りが増えていっている実感はあまりないです。
また、年収1000万超、といっても、ボーナスが占める割合が4割近く、会社業績が悪化すれば普通にこれを切ってきます。昨今の情勢だと、数年後には1000万は割り込むんだろうな、という状況が見えているので、今のうちに余裕資金をつくって、自らセーフティネットを構築しないと....と思っているような感じです。
お湯沸かしソリューションのオートメーション化を目指すべく私のファイナルアンサーとしての結論は
やっぱり3リットル級のポットを準備し導入することを可及的速やかに行うことなの。
火にコンロに掛けている間の目を離せない時間がもったいないので、
ここはやっぱりポットでお湯沸かしを自動化するべく、
私はこの夏にいよいよ可及的速やかに動き出すかのように
全米が泣く湯沸かし素麺ソリューションのファクトリーオートメーション化を目指すのよ。
簡単に言えば、
ポットでお湯を沸かしてお鍋に移して素麺を湯がく!ってだけの話しなんだけど、
そのお湯沸かしソリューションの問題解決としてインスパイヤザネクストなの。
私の中の頭の中ではもう
問題はそう!
薬味をいかに良い状態の新鮮のものをキープしておくかってことに
次の焦点をあてるのよ。
予め薬味セットって売っていればありがたいんだけど
ネギはあるのよ。
素麺つゆもまたいろいろと楽しめていけば捗る率アップ間違いなしよね。
なんかぎりぎり面倒くさくないって言っている新垣結衣ちゃんのお湯を沸かすことすら、
私は面倒なのよね。
優勝出来るんだけど、
ティファールでは一気に800ミリリットルしか沸かすことが出来ないから
これ4回もその作業続けないと行けない羽目になるじゃない。
これじゃ元も子も虎の子もないので
4回湯をくべて沸かすなら
鍋で沸かすちゅーの!って言いたいところだけど
もうすでにギリギリ面倒くさくない緒湯沸かしですらお鍋でお湯を沸かすところが面倒なのよね。
だから
世の中に3リットル以上のお湯が一気に沸かせるポットの存在に気が付いたとき、
この大量の湯量で一気に素麺ソリューション解決じゃね?ってね。
でもさ、
お湯沸かしソリューション
全てこれ解決したとしても
素麺ってあっと言う間に気付いたら食べてしまって無くなってないかしら?
切ないわね。
さすがにどかどか食べているとお腹がポンポコリンになってしまうので、
一気にたくさんは湯がけないけど、
無意識で麺を食べているとあっと言う間に無くなってしまう夏のさみしさみたいなのが大黒摩季さんの曲を聴きながら夕立に打たれて食べる素麺の美味さよって
あの俳句名人の松尾芭蕉先生もきっとその美味さに種田山頭火先生との
そのぐらい
言わないわよ。
愛しさと切なさと……なんて。
そのぐらい寂しいものよね、
心強さをもったないとって
この夏は乗り越えられないわ。
またポットは買ってないけど、
きっと可及的速やかに導入に至ったあかつきには宴もたけなわでありますが、
まだパーティーは始まっていないけどね!
みんなに素麺を奢る羽目になってカウンターの上に吊されている鐘を鳴らさないように気を付けたいものよ。
カードが使えなかったら大変じゃない?
今からそれを思うと素麺バーでうっかりやらかさないことを切に祈るばかりよ。
うふふ。
ヒーコーも美味しいし、
薄暗い店内から出たときに眩しーって思うぐらいそんな感じよね。
カッツスイカ買ってきたのでカッツスイカアンド苺もこの時期加えてみて、
久しぶりにというか
夏すいか待ってました!って
季節到来よね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず住まいは戸建て。5,000万円ほど借金をして、夫婦それぞれ職場から車で30分以上かかる政令指定都市の端っこの120坪の土地に建てた。
棚類が一切無い状態で引き渡されるので、そこから仕事の合間をぬって靴箱、食器用とパントリーのガチャ棚を製作、壁掛けテレビや時計、ハンモックなどなどを付けるために壁に穴を開けた。住んで半年で売る価値無しと言ってもいいだろう。
庭は業者に頼んで芝生を張り、ドッグランを人工芝とアメリカンフェンスで製作、駐車場とその他空きスペースは砂利敷にした。
芝生とアプローチに作った花壇のために毎週、夏場は毎日の水撒き、草刈りなどお世話は欠かせない。
ウッドデッキとベランダは維持のために1年に1回塗装する。それなり広いウッドデッキなので塗装は1日仕事になる。
エアコンは付いているが、冬場は薪ストーブ。誰も相続したがらなかった宮大工をしていた奥さんの祖父の山とバンドソーを引き継いで木を切り倒して薪ストーブ用に切り出している。週末は片道1時間半を何往復もしてその薪を運ぶ。
薪棚は幅4m、高さ2mで自作。このサイズに一杯になれば一冬越せる。これは夫婦で2日でできた。ストリングライトで飾っていい感じに光ってる。
家を買って5年。我ながら休日くらいゆっくり過ごせよと呆れるくらい家のために動いている。金も材料や道具でめちゃ使う。
車は自分がトヨタのピックアップトラックのタコマ。輸入車だから左ハンドル。デカすぎて街中行くの怖いけど、薪が目一杯積めるから大助かり。あと煽られる心配が無い。
奥さんはボルボのXC90。仕事用と誰かの送迎用。ピックアップで迎えに来られたらちょっと引くよね…?
もう1台は中古のプラド。これが日常使い用。中古だからどこぶつけようが汚そうがどうでもいい。ぼこぼこになったら買い換える。電気自動車のような静かな車や燃費気にした小さい車はこの世から消えてしまえ。車はデカさが正義だ。(異論は認めます。)
バカみたいに金使って不便な暮らししてるけど、毎日がキャンプみたいで楽しいのよ。
涼しい日はウッドデッキで食事して、子どもが自作のブランコやハンモックで遊ぶの見てるのが幸せなのよね。
庭も広いから焚き火ばかりしてるし、それで焚き火台では我慢できなくなってつい最近ガビオンでファイヤーピット作ったら週5で夕飯は外で肉や魚焼いてた。サンマも家のキッチンではもう焼かない。
これの続きです。
ダウナーな気分になって愚痴を書いてしまったんですがグダグダしててもしょうがないなと思い直しとりあえず始めたマッチングアプリを続けることにしました。
35歳~45歳、子供なし、同県か隣県住まいくらいの条件で趣味の合いそうな人にいいねをどんどん飛ばしてみたところ1週間くらいは全然だったんですが、その後何故か立て続けにマッチングしました。
5人マッチングしてメッセージが帰ってきたのが3人、そのうち一人とは一応会う話までいったんですが予定を詰める段になって相手の返信がめちゃ遅くなったのでなかったことになるかも。
マッチングしたのはみんな30代の方だったので40↑の人の方が見る目が厳しいのかもしれませんね。
29歳
男
年収350万
顔:多分ふつう
友達:0人(連絡すれば返事は来そうだが5年以上連絡取ってないのが5人、職場でそれなりに仲良いのが2人)
実家住み
高校卒業後は浪人してた特定の国公立を狙ってたけど失敗。入れそうな大学はあったけど
ランクを落として入るぐらいなら働くわ。と言ってアテも無くブラブラし続けて6年ぐらい経ってたクソ野郎時代
当然、お金も無く一人暮らしもできず少しの貯金はあるけど、後は運転免許や資格取得に消えた。地方故に車が必須なので維持するだけでも結構辛かった
去年から、ようやく目標だった職種(経理)に就けたはいいけど地方故に年収が低い
一応まだ上昇志向ではあるけど、肝心の経験値が低すぎて転職しづらい。でも現職だと深い経験が積めないので将来的には転職したい
あといい加減一人暮らしをしたいけれども、職場がかなりのド田舎なので近くの家を借りようにも、そもそも物件が無くて断念せざるを得なかった
借りられる物件も職場まで車で30分前後と、実家から通うのと大差が無いので諦めた
一方で、少しお金に余裕が出てきたのでアウトドアな趣味(ゴルフ)と運動(ジョギング、筋トレ)を始めた。インドア趣味は逆に頻度が減った
ゴルフは同世代とは一度も行ったことが無く、職場の定年を迎えたアルバイトさんに誘われて行ったことがある程度。まあまあ楽しかった
運動はダイエット目的でやってるけど週に4日ぐらい、仕事の日は3,4km走って休みの日は6~10kmぐらい走る。考えがまとまるのでこれはこれで楽しい
異性と接した経験はあんまり多くない。高校の頃に仲の良い女友達が居たので
良く話していたり、クラスの女の子とカラオケに行ったことぐらいはあるけど、付き合ったことは一回も無かった
フリーター時代はそもそも周りに若い女性が居ない、居てもフリーターだったのと資格(と免許の)勉強に必死だったので
誰が好きとか、そういうのは一切なかった。そもそも友達とすら疎遠になり、同年代も居ない場所でフリーターしていたので誰かと遊ぶことすらなかった
一応ネトゲのボイスチャット(肉声で会話)はコミュニケーションの一環としてやっていたので
男性、女性問わずコミュニケーションは割と取れるし、取りやすい方だと思う
今の職場は比較的20代が多く、男性・女性問わずよく話してる。自分からも話しかけるので多分そこまでコミュ障だと思われてない
同じ部署の年下の女性(先輩)がすごく好みで絶賛一目惚れ中だが、良くて仲が良い友達程度にしか思われてないだろうし、そもそも既婚者なので脈が無さそう
仕事の愚痴のみならず、家庭の愚痴が誰にも相談できないからと泣きながら相談してくれたり、プライベートな話をよくしてくれたり
仕事中でもよく話しかけてきてじゃれ合ってくるので、こっちもつい話しかけてしまうし、何故か話の流れでスマホケースもお揃いになったが
正直今の職場ではこれが一番辛い。一目惚れとかホントに久しぶりなので辛い
ここ1年は上記のような感じで過ごしていて、少し自己肯定感が高まったせいなのか最近は街中のカップルとかが羨ましく見えてきたが
上記の通り交友関係が壊滅的なので積極的に行動してみようと地元の街コンに行ってみるも、当たり前のように玉砕
正確に言えば、2人と連絡先の交換をしてもらえたが、1人は彼氏いるんです宣言で終了。もう1人は1回だけ食事をしたが、ものすごい長文ラインでお断りされて終了した
「〇〇さんはすごい良い人だと思うんですけど~」みたいなことが綴ってあったが、長すぎてなんて書いてあったのか覚えてない
アプリも使ってみたが、実家住まい・低年収・年齢あたりで即アウトだろうな。と思ってあんまり本腰を入れてない
何人かとマッチングしたことはあるけど、向こうが興味無かったりすぐ退会されたりして話にならなかったのと
全体的に旅行好き、ディズニー好きが多くて話が合わなさそうだな。と思ってほとんど放置してる
モテる方ではないし、待ってたところで出会いも何も無いと思うので
一目惚れを吹っ切る為にも街コンには積極的に参加したいと思ってるけども
一目惚れしてる女性になんとか振り向いてもらえないか、という邪な感情と
そもそも今は転職も視野に入れて仕事に集中すべきでは、という感情と
今年30歳になるので節目として色々と変化をつけたい、という感情と
突然ですが、皆さんのITエンジニアのイメージはどんな感じでしょうか?
今日はそんなIT業界のエンジニアにこれからなりたい方にお届けしたいお話しです。
コンピュータ専門学校や大学でコンピュータ系の学部を出ていたり、
個人的にプログラミングが好きで個人活動をされていたりして新卒時に就職活動をしてこの業界に来られる方だと思います。
Webなどで人気のRubyやPHPなどでWebサービスの作り方を教える教育サービスを受講して来られる方でしょう。
教育体制や会社の規模、企業の顔である事務所の所在地やエントランスに騙される事無く、
自分がどんなことをやりたいか(本当に今考えているやりたい事が自分の為になるのかも考えて下さい)、
『甘くないです、どんな勉強をしてこようが相当の覚悟がなければ半年持ちません』
『あ、そもそも半年持たない前に、この業界に入れません・・・』
え?
何で???
こう思われた方は多いと思います。
けどこれ事実なんですね、
ではその辺りを私の私見になりますがお話していきたいと思います。
中途でこの業界にきたということは1~2年でその方たちに追いつかないといけないんです。
なぜ追いつかないといけないかと言うと、
30歳を超えた経験の浅いヒヨコPG達に優しく教えてくれたり、
バリバリの専門性特化になるかマネジメントを経験していって管理側に行くそんな時期だと思います。
そんな人材が求められる年代で悠長なことは言ってられないのがあります。
また、有名なWebサービスをやっている企業が新卒以外で即戦力にならない、
エンジニアの下地もできていない方たちを中途採用するでしょうか?
たいていは第二新卒などの中途採用で未経験者を採用しているのは、
そうです、ずばり、
『え、でも20代30代の未経験の方も歓迎って書いてる企業もありますよ?』
1年が経ち2年が経ち。。。
『あれ、気づけば34歳、今年35歳やん、俺(わたし)何してんのやろ????』
積んできた3年~5年の経験はエンジニアとしての開発スキルではなく、
開発できない35歳、
これが現実です。
なので、本当にエンジニアを求めている企業は中途採用での未経験は取りにくいのが現状です。
でも、中には頑張って努力をしてくれる方ならと年間2~3人中途未経験を採用している企業もあります。
そんな先が見つかると良いですね。
と言いつつも、知ってか知らずかわかりませんが、
年間5名ほどの方は未経験採用していないのを承知で応募させて欲しいと言ってこられます。
お互いのためこれだけは決めている事です。
『何が何でもエンジニアになってやる!』
『仕事だけではなくプライベート削ってでも勉強して1日も早く独り立ちしてやる!!』
もちろん1年以上の経験者が欲しいですが、
かつ努力ができる方なら歓迎です。
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。
住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。
父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。
父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。
子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。
母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。
子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。
そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。
わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら布団を抱きしめて毎晩過ごした。
わたしは体が小さく、運動はできなかった、また容姿もよくなかった。しかし勉強はそれなりにできた。
わたしは近くの中学校を経て、県立の進学校に進学した。わたしは少しだけやっていたスポーツをやめ、ガリ勉になった。
わたしの学力は上がった。地元の医学部の推薦を受けることの出来る成績であったし、父はわたしに医者になってほしかったようだった。
しかしわたしは官僚になりたかった。文部科学省で、子供の未来を司る教育を作りたかった。思い返すと、子供である自分が満たされていないことの代償行為かもしれない。
慶応には受かったのでそちらに行くことにした。当時は家がおかしいとは思っていなかったが、家で浪人はできる精神状態ではなかったというのは無自覚ながらあったのかもしれない。
滑り止めは大阪大学の予定だったが受けなかった。そのとき父が単身赴任で大阪に行っていたので、やはり避けたかった思いがあったのかもしれない。
大学は刺激的だった。
わたしはいわゆる陽キャに分類されるであろうサークルに所属し、おそらく人生で一番楽しく充実した毎日を送っていたと思う。
そこにいた彼らはみな優秀で誠実で、親の愛と期待、また財力もあった。彼らのほとんどは期待と自信に満ちあふれていた。
彼らは本当に善性に満ちあふれていて、世の中を肯定的に見ることが出来るのだ。育ちが違うというのはこういう事を言うのだろう。昔話題になった低学歴の世界と高学歴の世界はまさしくこれである。
そのうち、わたしに初めての彼女ができた。今思うと浅はかな考えだが、わたしは全くもてなかった、だから当時、彼女さえいればバラ色の人生とは行かずとも人生が好転すると信じていた。
しかし、それは何も自分の渇きを癒やしてくれなかった。自分の持っている悩みは解決されないまま恋愛関係という新たな悩みをわたしにもたらした。
わたしは彼女と別れた。そして気まずくなりあまりサークルに行かなくなった。
年次が進みわたしは就活に向けて、大学向けの官僚の話を聞きに行った。そしてショックを受けた。そこに来たのはみな東大出身だった。自分の大学向けの講演であったにもかかわらずだ。少しは慶応出身のひともいるはずなのに。
わたしは後悔し、東大に行けなかった自分を恥じた。そして受ける努力もせず官僚を諦めた。
わたしは堕落し、成績はどんどん低下した。お金もなかったが留学するだけのGPAも全く確保できていなかったと思う。卒業はぎりぎりだった。
わたしはインフラ企業に就職した。安定した企業で地方転勤がない会社に入りたかった。NGだけがあってやりたいことが思いつかなかったので公益性などを考えた、いや就職のための美辞麗句として使用しただけかもしれない。自分でもわからない。なんだかんだで父を尊敬していたのかもしれない。
しかし、コンプレックスは拭えなかった。先輩方はみな電通や博報堂に入社していた。そもそもわたしは受けもしていない。
同じサークル出身でまさに文部科学省に入った同期もいた。ハンデを乗り越えて入省した彼は本当にすごいと思う。しかしわたしは怖くて彼と連絡をとることはできなかった。
わたしは会社で体育会系の部署に配属され、不眠症になった。不眠症は一項に改善されず処方される薬はどんどん増えていった。
わたしは仕事にやりがいも見いだせず、また傍目にも優秀とは言えなかった。当然ながら、出世コースに乗ることはできなかった。
他の会社は違うのかもしれないが、この会社は出世ルートから1度でも遅れたらもう二度と追いつくことはできない仕組みになっている。
しかしやる気はでなかった。そもそも出世したいかしたくないかもわからなかった。しかしお金は必要だった。
わたしはそのうち花形部署に配属された。それなりの残業代を得て、それらはすべてソーシャルゲームに消えた。
そこではわたしの評価は勝手に上がるようになった。私は上位の等級に選ばれ、少し位が上がって係長になった。同期では真ん中くらいか少し遅いほうかもしれない。
昔の部署で自分より年下の後輩が係長になっていたのを見て、ショックを受けていたわたしは少し持ち直した。
そもそもそれでショックを受けるまで出世がしたいとも思っていなかった。もはや取り返しのつかないことだが。
わたしは奨学金を借りていた。そして、借りたお金を利子がつかないよう両親が建て替えて両親に返す形になっていた。
なぜかそれが親の好意みたいな形になっていたし、そもそも払えるじゃないかとも今は思う。そして母は利子をつけない代わりに、支援機構の倍の速度での支払いを要求した。
わたしは10年かけてそれを返した。そして最後に振り込みをした日に両親と絶縁した。
わたしは外から見たら、おそらくそこそこ恵まれているように見えているのではないかと思う。
部屋は最新のガジェットとデザイナーズ家具で溢れている。椅子はアーロンだし、キーボードもRealforceだ。Alexaは一声かけるだけでシャンデリアを操作してくれる。なのに、わたしは大枚はたいた高級ベッドの上で、大の字で寝ることもできず、子供の時と変わらず隅っこで布団を抱いて眠ることしかできない。しかも大量の睡眠薬が必要だ。
わたしは人の顔を思い出すことができない。父も母も妹も昨日あった同僚でさえもゼロから顔を思い浮かべることができない。
結構早くに24時前には絶対寝るようにしている意識はあるんだけど、
でも何か違うような気がする質の善し悪し今のところどちらが良いとか悪いとかではないけど、
そういう感じがするわ。
夜だって可処分時間でなにかゆっくり商標登録でもしたいわよね。
でも体質的に
早寝早起きが丁度いいのかも知れないわ。
あーでもだんだんと暑くなってきて、
暑さ慣れぬまた身体に堪える纏わり付くような暑さがやって来る梅雨だわ。
梅雨で美味しいのは麺つゆだけいいわ。
そうそう、
あれだけはなんかお店で食べるように美味く上手に茹でた後の次のなんかテクニックでもあるのかしら?
ボソボソしていて
お店のみたいにツルツルもちっとした感じの滑らかさがないのよね。
乾麺茹でてたもーれと言うより
お店で食べた方が開幕ダッシュで勝てるって分けなのよ。
どう挑戦してもなかなか上手く茹で上げることが出来なくって、
何かコツみたいなものがあるのかしら?
パッケージには茹で時間のあと何分間か蓋をして蒸し時間を作れって、
私はそれ無視しちゃって、
麺ってあっと言う間に無くなってしまって気が付いたらもう全部無い切なさがあるわよね篠原涼子さん的な。
愛しさも心強さもない、
麺もう無いのに残るとか相反するような現象だけど
美味しいからつるつる進んじゃってあっと言う間に無くなってしまうけど、
いやガス代がエネルギーどうのこうのって言ってるわけではなくて、
もう1ターン麺を茹でる間になんかもう満足してしまうわ。
結局は食べてしまうのよ。
そして切なさだけが残るの。
空しいわ。
お皿が空だけに。
そしてまた食べたくなるのよね。
そんな話をしていると冷たい素麺なんか今から食べたくなってきちゃうわよねってお蕎麦の話しをしていたのに。
そんなこだわりのお蕎麦狂の狂想曲は奏でないけど、
上手く家でお蕎麦乾麺が茹で上げる自信が付けば美味しく出来ると思うのよ。
ただそれだけよ。
うふふ。
朝の元気は玉子にあり!って
タマゴは朝の元気の源よ。
何回も言ってるけど。
黄色い色も元気の色よ。
後ボトル半分のこっている水出し緑茶ウォーラーを頂くことにしたわ。
ボトルはしっかり洗って干しとかないと次使うときにすぐ使えないので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
straychef それで次の一ヵ月生活できるってことは実家で別に手持ちの金もそこそこあるってことでしょ 普通の人がそれやって外れたら借金でもしないと生活できないがそこまでの信用はまだないだろ
tacamula 初任給もらえる時点でひと月過ごせる貯金できる環境もしくは都内の実家住まいな時点で勝ち組。親ガチャの結果が強かったね。
securecat 初任給なくてもこれから一か月(初任給までを思うと合わせて二か月)は生きていける資本がベースにあるものによる遊びでは?という気持ちしかない(遊びは自由だけどね)。"強い"というプラス評価の根源は何だろう?