はてなキーワード: ヌーとは
高校時代の青春をギターの練習にささげ、ヤング・ギターを読んで教則ビデオを見ては「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤に明け暮れる日々を送るギター・ヲタクだった現在40代の私にとって、
この4名が一緒のステージに上がって演奏するというライヴの情報を見たときはまさに目を疑った。仮面ライダーで言えば初代とV3とストロンガーとスーパー1が一緒に登場して戦うような豪華さなのである。
スタンディング席10,000円というチケット代に昨今の物価上昇の流れを感じながらも私は数ヶ月前からこのステージを心待ちにしつつ、ついに迎えた4/7、定時ダッシュの18:00で会社を上がり、そのまま一目散にお台場のZepp Tokyoへと足を運んだ。
これから綴るのはそんな私からの、ヒーローたちへの拙いラブレターである。
今回出演する5人の中では最も若く、私もインタビューで姿をチラッと見たことある程度の存在だったトシン・アバシ。当然音は一切聞いたことが無い。
8弦ギターを高く構えて演奏するスタイルを見て、「恐らくものすごいテクニカルで複雑な演奏をこなす人なんだろうな」と思っていた私の予想そのまんまの人だったので、何も新しい衝撃はなく、かと言って印象的なメロディがあるわけでもなく、ただただ早く終わってくれとしか思えなかった。
強いて言えば低音弦で鳴らすヘヴィコードがとても心地よく聞こえたくらいだろうか。
アバシの黙々とした独演会のラスト曲で共演したヌーノ。曲が終わってアバシが去り、残ったヌーノはユーモアあるMCで客席を温めてそのまま「Get The Funk Out」を畳み掛けた瞬間からもう会場は雰囲気が一転!「そうそうこれが聞きたかったんだよ」というオッサンオバサン大歓喜!
EXTREMEの「Pornograffitti」ツアーからかれこれもう25年は使い続けているであろうギター、WashburnのN4。無塗装で手垢だらけのボディ、もはや何回交換したのだろうか分からないネックの先に伸びた印象的なリバースヘッド、そのギターを腰の位置まで低く構え、細く引き締まった体で長い髪を細かく振り乱しながら、リアピックアップL-500特有のトレブルな音を、爪を黒く塗った細長い指を駆使してカリカリと弾き出すそのヌーノのスタイルは、25年前から全く変わっておらず、我々ギターキッズにとって永遠の憧れであり、ヌーノといえばそのN4を携えたスタイルこそがアイコンなのである。
ヌーノもおそらくファンのそういった思いをきちんと分かっているのであろう。ドラマゴッズの頃はほんの一時期だけ肥えていたこともあったが、昨今はさらなるワークアウトを続けてとても50歳とは思えない体型を維持している。
要は我々はそんなカッコいいヌーノが懐かしい曲を弾いてくれさえすれば良かったのだ。そしてそんな期待に100%応えてくれるかのように彼はEXTREMEの代表的なギターソロ部分をつなぎ合わせたメドレーで私を満足させてくれた。ありがとうヌーノ!
オジー・オズボーンの「no rest for the wicked」や「No More Tears」の頃は歴代オジーギタリストの流れを汲む印象的なリフとよく練られたギターソロで、私もよくコピーして練習していたザック・ワイルドの曲。
ソロ時代のザックといえば「Pride&Glory」こそが至高であり、その作曲センスとギタープレイがさらに輝きを増しているように私には見えたが、そこから何があったのだろうか、Black Label Societyなるバンドを組んでからというものの、知性がゼロのギタープレイヤーに成り下がってしまった。
かつての「Miracle Man」のようなスピーディかつメロディアスなギターソロは存在せず、適当にチョーキングしている以外はペンタトニックスケールをフルピッキングしているだけ。ダサい、ダサすぎワロタ。ZZTOPを意識してるのか長いあごひげも汚いだけだし、時折モニタースピーカーの上に立ってゴリラのモノマネをするのも「俺はこれだけアホになったぜ」と言っているようでかつてのザックを知る身としては寒くて痛々しくて仕方なかった。
彼に関してはとにかく「Pride&Glory」の頃のスタイルに戻って欲しいとしか言えない。よくあんな曲とスタイルでレコード契約が持続できるなと思うほどのダメダメっぷりである。
今回の5人のなかで誰が一番好き?と聞かれれば私は即座にスティーヴ・ヴァイと言う。中学3年生で「Passion And Wafare」を聞いて以来、未だに私のスマホの音楽ライブラリではこのアルバムがヘヴィローテーションしているし、私が今メインで使っているギターもIbanezのJEM7Vだ。
過去にヴァイ先生の来日公演は見に行ったこともあるし、ライブ・アルバムやライブDVDはすべてチェックしているうえに、YouTubeもかなりチェックしている。
したがってこれまでのGENERATION AXEのツアーでどんな曲を演奏していたのかについては知っていたのだが、そのうえで今回はどう私たちを驚かせてくれるのだろうというのが一番の期待だった。
ザックに「エイリアン」と紹介され、のっけからヘヴィな「Bad Horsie」という意外な選曲だったのが嬉しかった。しかし、使われているのはあのミラーギター。全弦1音下げ+6弦ドロップCという変則チューニングのこの曲にあのミラーギターを使っているということは、すなわち今日は「Building The Church」をやらないという意味でもあったのだ。これはちょっと残念だったが、ひとまず「Bad Horsie」の重厚な音を堪能することにした。
その後は「Racing the World」が続いたが、今回の短い時間で聞きたいのはコレジャナイ感は否めなかった。アメリカツアーでは「Now We Run」もやってくれたそうだが、そういうのが聞きたかった。
そして「Tender Surrender」。ライブでこれほど映える曲はない。何百回と聞いている曲だが、それでも聞くたびにブルっとくるものがある。そこからは「Gravity Storm」もやったがこの選曲もやはりコレジャナイ感があった。
あともう1曲やってほしいというタイミングでヴァイ先生はあっさりとラストのイングヴェイへとバトンタッチをした。最も思い入れのあるのがヴァイだっただけに、今回のセットリストはちょっと残念だった。
実は私、生でイングヴェイのライブを見るのは今回が初だった。ただ、古くはWOWOWのライブ中継や、DVD、YouTubeを通じてイングヴェイのライブはさんざんチェックしているので、どんなライブをする人なのかはとてもよく知っている。
まさに「王者」の呼称にふさわしい、自信に満ちた堂々たる立ち居振る舞いで、とにかくピロピロピロピロと弾きまくり、3秒に1回はギター回しをし、5秒に1回はピックを投げ、10秒に1回は片足上げをするイングヴェイの変わらないスタイルが私は昔からずっと好きだった。
冒頭から赤い照明にドライアイスのスモーク。そのスモークの中から登場するイングヴェイ。もう最高!
前半は知らない曲もあったが、中盤からは「イングヴェイといえばこれでしょ!」という曲ばかりでうれしかった。お決まりのパガニーニからの「アダージョ」からの「Far Beyond The Sun」はもちろんのこと、なんと「Trilogy」も爆速で演奏してくれた。
途中、例の「バディヌリ」を演るも、キーボードのストリングスがまったく聞こえず、これでどうやって演奏を合わせるんだろうとそのあまりのアンバランス具合に思わず笑ってしまった。また、片足上げキックの高さが以前よりも随分低くなってしまっていたが、53歳という年齢を考えればそれも致し方ないだろう。イングヴェイはこれでいいのだ(笑)。
また、意外にうれしかった選曲がオーケストラとの共演曲である「Fugue」。当然バックにテープを回してのイングヴェイ独演会ではあるが、ずっとバンドの音が続いてきたうえでこのようなサウンドは良いアクセントだった。
ラストはヴァイ先生との共演による「Black Star」!個人的にはこの曲が今回のピークだった。まさかギターのハモリありの「Black Star」が生で聞ける日が来るなんて夢にも思っていなかったのし、その曲をヒーロー2名が一緒に演奏しているというのがもう感涙モノだった。
さぁ最後5人揃って…のはずが、最初はFrank Zappaの曲だろうか?知らない曲が始まり、弾いているギタリストもイングヴェイを除く4人だけ。あれ?イングヴェイは?このまま出てこないの?と不安になったところで「Highway Star」が始まり、ここぞとばかりにイングヴェイ様が再降臨。もう本人も分かっているんだね。どういう音楽なら自分が一番かっこよく振る舞えるかってことが。
しかし、リードギタリストが5人も揃って一斉に音を出してしまうと、聞いている方は「うるさい」としか言いようがない。とてもじゃないがじっくりと演奏を聞くのは不可能で、ただあの5人が一緒のステージに立って演奏しているという感動を味わうのが精一杯である。
かくして長い長い3時間半が終わり、会場を出たら時計は22:30前になっていた。足は棒のようになり、膝や腰にも痛みが来てしまったが、それでも私のギター人生において一生の思い出とも言える素晴らしいステージだった。この企画で来日公演を実現させてくれた全ての人々に感謝をしたい。
1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった.
医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRはCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった.
結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った.
ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MRの検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ.
そこで初めて医者から「未破裂脳動脈瘤」という単語を聞かされることになった.
未破裂動脈瘤という病気がある.未破裂動脈瘤は動脈血管の何らかの理由で薄くなった部分が風船の様に膨れる病気で,それが破裂すると大量の出血が起こる.この未破裂動脈瘤が脳の動脈に起こるのが未破裂脳動脈瘤である.
逆に,破裂さえしなければ,瘤が相当大きくない限り(そもそも瘤が破裂せずにそこまで大きくなることは稀)何らかの症状が出ることはまったくない.また破裂するタイミングは予測ができない.
脳と言っても,瘤が脳を覆っているくも膜の内側にあるか外側にあるかで破裂した場合の結果が変わってくる.
脳動脈瘤がくも膜の内側で破裂した場合はくも膜下出血となり,1/3の患者が死亡,1/3の患者が重篤な障害,1/3の患者が特に何もなく日常生活に復帰できるという話だった.外の場合は硬膜外出血という別の病気となる.
私の場合は左目の奥,くも膜の内側にあるためくも膜下出血の恐れがあるということだった.
聞かされたときはなんだか現実感がなかった.「この一年で破裂しなくてよかったですね」「そうですね.ははは」という会話をして再度MRを撮るということになった.
脳動脈瘤の原因について尋ねたが,未だによく分かっていないらしく,先天的に血管の壁が薄いところがあって,そこが年を経ていって膨らんでいくというふうに考えられているということだった.
タバコやアルコールが後天的な原因と考えられているらしいが,私はタバコも吸わないし,アルコールも一滴も飲まない.なりやすさは遺伝するらしいが,くも膜下出血で亡くなった近しい親族はいない.男性より女性の方が若干なりやすいということだったが,私は男性である.なぜ動脈瘤が発生したのかはよく分からなかった.
再度撮ったMRの結果としては,瘤の大きさは1年前と変わっていなかった.未破裂動脈瘤は破裂する前に大きくなることが多いため,期せずして1年間観察することになったが,とりあえずは安定しているように見えるということだった.
動脈瘤の手術を受けられる病院への紹介状を書いてもらい,今度からはその別の病院に通うことになった.
新しい病院で脳血管造影を受けた.これは造影剤を流すためのカテーテルを腕から脳まで入れてCTで血管の三次元構造を撮影するもので,血管の様子を3Dモデルとして見ることができるという優れものである.
造影剤が流された瞬間,血管がカッと熱くなるのが分かり,普段は意識することのない自分の脳内の動脈がどこを走っているのかが体感として分かるという斬新な経験をした.
理由はよく分からないが,CTを撮っている時に,閉じている目の裏に飛蚊症のようなつぶつぶが動くのが見えた.
検査の結果,私の動脈瘤は細長い形をしており,長径が4mm,短径が2mmほど,先端に乳房に対する乳首のようにぽっちりと膨れている部分があることが分かった.
「通常5mm以下で形が均一なものは様子を見るということが多いが,君の場合は5mm以下だが形が不均一で,daughter sac(ぽっち)があり,かつ平均余命から考えて君はまだあと30年は生きてもらう必要がある.手術したほうがいい」医者が言った.「普通,君の年齢でこうした未破裂の脳動脈瘤が見つかることは珍しい.ほとんどが破裂してから病院に運び込まれて緊急手術して死んだり障害が残る」「破裂する前に見つかってよかったね」
破裂する確率はどれくらいか尋ねると,形や大きさにも依るが君の場合はだいたい1年で1%から2%くらいじゃないかなということだった.「君が80歳のお爺さんなら様子見するところなんだが」長く生きるならその間に破裂する確率は累積してやはり高くなる.
「そんなベルヌーイ試行みたいなことを言われても」と私は思ったが,実際そんなもんなのかもしれなかった.要は不発弾がいつの間にか脳内に埋まっていたということなのだ.
昔からある偏頭痛はこの動脈瘤と何か関係あるのか問うと,「全く関係ない」ということだった.「偏頭痛は生まれつきのもので,治るということはなく,それぞれの患者さんが偏頭痛の起こるきっかけを把握して予防するしか無い.ちなみに60を過ぎると起こらなくなることが多い.今は良い頓服薬があるから出しておこう」というので偏頭痛用にマクサルトという頓服薬を貰った.「頭痛があったからこそ今回動脈瘤が破裂する前に見つかったわけで,何がどう転ぶか分からんね」
私は病院からの帰り道に死ぬまでに破裂する確率を計算してみた.医者が言うように1年で破裂する確率が2%とすると,98%の確率で来年も破裂しないまま今と同じように生きているということだ.2年後も破裂しないままでいる確率は0.98*0.98でだいたい96%すなわちこの2年間の内に破裂する確率は100-96で4%ということだ.同様に平均寿命である80歳まで生きるとすると,残りの寿命は54年,0.98^54は0.34.34%の確率で破裂しない.逆に言えば,80歳までに66%の確率で破裂するということだ.
実際のところは破裂しても1/3の患者は日常生活に復帰できるので,80までにくも膜下出血で死ぬか重篤な障害によって死んだ感じになる確率は0.66*(2/3)で44%ほどと言える.
手術せず破裂しないのを祈るのは分の良い賭けとは言えなかった.
同様に,今から24時間で破裂する確率はどれくらいだろうと考えてみた.1年で破裂する確率を同様に2%とし,1年を365日とする.1日24時間で破裂する確率をxとすると,(1-x)^365=1-0.02であり,これを解くとxはだいたい0.000055となる.
すなわち0.0055%で24時間以内に破裂するということだ.後で調べて分かったが,これはだいたいスマホのガチャゲーで一回の試行でトップレアを引くのと同じくらいの確率である.私はとりあえず安心した.
同時に,自分って死ぬんだなと思った.幼い頃に死んだ祖父の冷たくなったゴムのような手を思い出し,それから交通事故で亡くなった小学生の時の親友を思い出した.
思い返すと,私は日々を死んだように生きてきたなあと思った.そしてこのまま突然死ぬのは嫌だなあと思った.死んだら何もかもどうでもよくなるので,生き残った場合に備えるべきだと思った.今まで研究にも就活にも後ろ向きな態度だったのを恥じた.
出すつもりのなかった研究予算に無理やり応募し,興味のある企業のインターンに応募した.
脳動脈瘤の手術のやり方は2種類ある.ひとつは頭を割り開き外からクリップで瘤を留める方法,もうひとつはカテーテルで血管の内側からプラチナ製のコイルを瘤内に詰める方法である.私の場合は瘤の位置がかなり脳の奥にあり,クリップで留めるのは難しいということだったので,カテーテルでコイルを詰めることになった.SFが好きなのでいつか身体に機械をインプラントしたいと思っていたが,まさか治療のためにこうして脳内に物体をインプラントすることになるとは.
コイルが詰められた瘤は血が血栓として固まって破裂しなくなり,二週間程度で膜ができて固まった血栓が飛ぶ心配が無くなるということだった.ただし,術後二週間は血栓ができにくくなる薬を飲む必要がある.
治療の過程でカテーテルの様子をCTで観測する必要があり,そのため長時間放射線に被爆することになるが,最近の機械は少ない放射線でかなり見えるようになっているので,そこまで気にする必要はないらしかった.昔は皮膚が放射線でやけどして赤くなったり,まれに白内障になったりということもあったらしいが,今はそんなことはまったくないとのこと.実際に放射線で皮膚や目に異常が起こることはなかった.
手術の成功率はだいたい97%程度ということだった.単純に考えて2年様子を見るくらいなら手術したほうが良いということだ.私は手術を受けることにした.
結論から言うと手術はうまくいった.関東では全身麻酔でやることが多いらしいが,関西ではカテーテルを入れる入り口である太もも付け根に局所麻酔をするだけが多いらしく,関西の病院だったので局所麻酔だけだった.
なので手術中は自分の脳内でカテーテルが動いているのが分かった.血管自体に痛覚を感じる神経は無いらしく,違和感だけで痛みはなかった.術中はバルーンで血流を一部止めるということだったが,脳というのはよくできていて,一箇所を堰き止めても全体の血流が滞らないように根本の血管が輪になっているので大丈夫だという話だった.後で医者曰く,「いつもは破裂してくも膜下出血を起こして運ばれてきた高齢者の動脈硬化した動脈瘤ばっかり手術してるんだけど,未破裂だし動脈硬化も無いし手術はやりやすかったよ.血栓による脳梗塞も見たところ起こってない」とのこと.
結局のところ手術のための入院で最も辛かったのは尿道カテーテルだった.脳に異物を入れるのよりも尿道に管を入れるほうが痛いというのも妙な話だが,入れるのも痛かったし,抜くのも痛かったし,抜いてから排尿するのも勇気を振り絞る必要があった(痛いが思い切って出すのがコツ).抜いた後排尿しようとして時折尿道から空気が出てくるのは奇妙な感覚だった.
手術直後は凄まじい頭痛が起こった.偏頭痛とよく似た慣れた痛みで,今までの偏頭痛では見たことのなかった歯車のようなギザギザしたものが空中に見えた.朦朧とした意識の中でこれが閃輝暗点というやつかと思った.気分も最悪で手術後にコイルの様子を見るためのMRを撮っている途中で我慢しきれず吐いてしまった(大変申し訳なかった).
翌日になるとだいぶ頭痛は収まったが,それでも一ヶ月ほど偏頭痛のような頭痛は続いた.最初の一週間は眠れないくらい痛い時もあった.他の脳動脈瘤の治療をした人の話を調べると術後にこうした頭痛を起こしている人はいなかったので個人差があるようだ.
1日経って,シャワーを浴びるために頭に湯をかぶった時に,左目に奇妙な筋が走った.明るいものを見て目が部分的に眩んだような感じだ.初めは何か明るいものを見て焼き付いているのだろうと思ったが,いつまで経っても消えなかった.閃輝暗点の一種だろうかと思い,しばらく様子を見ることにしたが,一向に消える気配が無い.翌朝眼科を受けたところ,左目の網膜の一部に浮腫ができているということが検査で分かった.原因は不明で,考えにくいが詰めた動脈瘤から血栓が網膜の血管に飛んだ恐れがあるということだった.通常,血管にはそうした血栓を通さないための仕組みがあり,そうした血栓が目に行くことはあまりないことらしい.
私としては熱いシャワーを頭に浴びたのがよくなかったのではないかと思う.それで血管が広がり血栓が通過してしまったのではないか.眼科医は「時間がかかるだろうが,浮腫は軽度のもので年齢的に若いから治る可能性が高い」と話した.神経の修復を促進するためのビタミン剤と血行を良くする薬を処方された.もしかしたら左目はずっと一部が見えないままなのかとウンザリしたが,見えていなかった左目の奥の動脈瘤という危険な穴が,命を脅かさない代償として目に見える位置に移動したのだと考えることにした.
退院後は血栓を作りにくくする薬を二週間飲んだ.応募していた企業のインターンが受かったため,それから二ヶ月の間インターンに参加して企業で結構忙しく働いたが,最初の方は頭痛が残っていた以外に動脈瘤の治療が何かの問題になることは無かった(目も実際のところそんなに気にならなかった).痛みや症状がある内は不安で頭が一杯になるかもしれないが,少なくともそうした不安がずっと続くことは決してないということが分かった.人間は適応するのだ.
それから数カ月が経ち,今現在は左目の網膜上の浮腫もほぼ無くなった.目が暗順応する過程でもやもやとした揺らめきが時折視界の外側に見えることがあるが,ほとんど日常生活する上では気にならなくなっている.
また,あれだけ頻発していた偏頭痛がほとんど起こらなくなり,起こっても以前ほどの痛みを伴わなくなった.思えば偏頭痛で毎回痛かった部分が動脈瘤のある場所だったのでやはり何か関係があったのではないかと思う.
手術前に応募した研究予算はやはり燦々(*1)惨憺たる結果だったが,インターンさせてもらった企業からは内定を貰ったので,来年から務める予定である.
脳動脈瘤は年齢に関係なく成人の5%程度が持っていると言われている.ほとんどの人にとって知り合いの内の数人は持っているということだ.ほとんどの脳動脈瘤は小さく,破裂することは稀だが,それでも全ての脳動脈瘤は破裂してくも膜下出血を起こす恐れがある(というかほとんど全てのくも膜下出血は発見されていなかった未破裂動脈瘤が破裂することで起こる.逆に未破裂脳動脈瘤が無い人はくも膜下出血を起こすことはほぼ無い).
くも膜下出血を起こしてからでは遅い.MRを撮ったことがない人,特に偏頭痛に悩んでいる人(*2)は一度MRを撮ってもらうことをおすすめする.
たとえ,未破裂脳動脈瘤があったとしても,パニックになる必要は無い.5%は引くかもしれないが,スーパーレアを引くのは難しい.
(*1) 20170108修正.コメントで多数指摘があった通り「燦々」は誤字.燦々たる結果だったらよかったのだけれど.指摘ありがとうございます.
(*2) 20170108修正.偏頭痛と脳動脈瘤は無関係なのでこういった提案はおかしいという指摘があったが,その通りである.医者の言によれば,脳動脈瘤を持っている人の中には偏頭痛持ちの人もいればそうでない人も脳動脈瘤が無い場合と同じようにいるということだった.ただ,私の実体験として,脳動脈瘤の治療後に偏頭痛の発生する頻度が激減したことと発生しても以前と比べて痛みが軽くなったことから,私の場合は両者には何らかの関係があるのではないかと考えている.しかしながら,これはたかだか一個人の体験から来た本人の推量であるので,一般的な話と考えるのは無理があった.指摘ありがとうございます.
http://anond.hatelabo.jp/20161116140139
すすって食べることを「ヌーハラ」と呼んで批判するとかいうの、すすってでないと食べれないという欠点を持った弱者を攻撃しているとも思えるんだけど
ポリコレ的に良いのか?
日本人が麺類やスープを啜って食べる音が外国人には不快だ、これはハラスメントである。ということで「ヌーハラ」と呼ばれてるらしい。
誰も呼んでないけどな
うちの婆さんは麺類どころかスプーンで食うものならカレー、シチューからヨーグルトまでほとんど
ズルズルとすすってるんだよなあ。あれはどうなんだろうか。
そういえばコーヒーとかをすすっている飲む人もいるよなあ。
Beaujolais の Beau は伸ばさないからもとのがあってるはずなんだけど
でも、それ言ったらヌーヴォーじゃなくてヌヴォーだけどな
悪い方にあわせたんだな
なんか悲しいな
日本人が麺類やスープを啜って食べる音が外国人には不快だ、これはハラスメントである。ということで「ヌーハラ」と呼ばれてるらしい。
なんかのテレビでやってたのかな。市川紗椰はラーメンは啜って食べるらしいです。一緒に行きたい。
例のごとくトゥイッターでは江戸っ子気取りの蕎麦おじさんが出現して盛り上がってるみたいなんだけど今日はどうでもいい。
日本人含むアジア系の人が音立てて食べるのは、料理の温度が高すぎるのが根本原因だとずーっと考えてるんだけどいかがでしょ。
日本人って熱々の料理を好むじゃない?ラーメンでスープがぬるいと食べログにボロクソ書かれたりするじゃん。
コンビニのチルド麺を時間通り温めるとめちゃ熱いし。みんなあれが好きじゃん?
あの熱々の麺やスープをどうやれば音を立てずに食べられるのか知りたい。スタバは蓋の穴からコーヒー飲むといつも火傷するし。
啜ると香りがうんちゃらかんちゃら〜とかいうけどそんな効果あるかな?ただ単に熱いからだと思うのよ。
そんでもって洋食を考えるとスープがぬるい。日本人の感覚からするとホントぬるい。スプーンを唇に付けても「あちっ」ってならないし。ゆっくり飲める。
コース料理だと温度管理が難しいのかね。あの温度なら啜る必要ないわ。
ちょっとぬるいのがうまいぐらいに作ってあるんだろうな。それとも欧米人はみんな猫舌?かわいいなそれ。
そう考えるとパスタは啜る必要ないんだよね。麺類だから身体が勝手に動いてるんだろうけど。
冷たいそばとうどんはどうだろう。冷たいからすする必要はない。あとは食べやすいかどうかだけ。
フォークで食べることを許されてるなら巻くだろう。こどもにフォーク持たせるとうどん巻いて食べるよね。そっちのほうが食べやすいみたい。
あ、そばはアレルギーの危険性があるから子供には食べさせないように。
全部
GitHubの謎生物が気になり、せっかくなのでIT界隈の動物(?)を用いた名前やロゴの由来など調べてみた。
※追記あり:Gopherファンに襲われそうなので。ごめんねGopher君
Q.どうしてタコなのに8本足じゃないの?
A.なにも考えずに描いたからね!
もともとデザイナーはoctopussと呼んでいたが、いくら訂正してもGitHubの社員がoctocatと呼ぶため、octocatで落ち着いた。
octocatはあの生物種の名称であり、monalisaという名前は社員の娘が学校の課題で名付けたもの。
種類:ニシキヘビ
名前: -
イギリスのコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』より。
またPythonという英単語はニシキヘビを意味するため、マスコットとしてヘビが用いられる。
オライリーの本とかすごい表紙だよね。
種類:ゾウ
種類:ゾウ
名前:slonik
「動物のロゴにしたいなら、象なんてどうだい?アガサ・クリスティの小説にもある『象は忘れない』だ」
― PostgreSQL発足時のメーリスより
種類:ゾウ
名前: -
象は記憶力が非常に優れた動物のため。PostgreSQLと同じで、象の優れた能力にあやかっている。
種類:ヌー
名前: -
種類:キツネ
名前: -
もともとPhoenixという名前だったが、商標権を侵害していたので、公募でFirebirdという名前に決定。
しかし今度はDBに同じ名前があったので、Firefox(レッサーパンダの別名)に改名。
みなさん命名は慎重に。
種類:クジラ
『白鯨(Moby-Dick)』より。クジラを採用した理由はデザイン見れば納得。
種類:ペンギン
名前はタキシード(Tuxedo)を着ているように見えるから。
ロゴコンテストで決定されたが、他の作品を見ればなぜ選ばれたのかよくわかる。デザインって大事。
https://www.cs.earlham.edu/~jeremiah/linux-pix/linux-logo.html
種類:鳥
名前:ラリー・バード
名前はNBAのラリー・バード選手より。社員がファンだったらしい
ちなみに初期のTwitterのデザインはGitHubのデザイナーが手掛けたもの。すごいっすね。
種類:シーサー
名前: -
種類:イルカ
名前:Sakila
種類:ネコ
名前: -
オライリーの本に載ることを考慮して動物をマスコットにしようと考え、「自立した強かさ」を持つという意味でTomcat(雄猫の愛称)を採用。
しかし、猫はオライリーのUML本で使われてしまい、念願のTomcat本にはユキヒョウが使われたという…。
種類:Dogcow(イヌ+ウシ)
名前:Clarus
昔々、Mac OSで用紙の向きや色を表示するために使用されていたらしい。
知らんわ。
種類:ウサギ
名前:Glenda
OSの名前である「Plan 9~」はエド・ウッドの『Plan 9 from Outer Space』に由来。
ウサギの名前であるGlendaはエド・ウッドの『グレンとグレンダ』に由来。
どんだけエド・ウッド好きなんだよ。
ニュージャージーのWFMUラジオで、Renee Frenchによって宣伝用のTシャツに描かれたのが、彼の初登場。
その後、Bell labsのメールシステムでアバターとして起用もされた。
(ちなみにReneeはBell labsのGlendaを描いた人。Glendaもアバターの一員だった)
そうして2009年、Goプロジェクトが発足し、ロゴを検討していたメンバーにReneeが無償で描いてあげたのが「Go gopher」である。
みんなGo Gopherと呼ぶので、特に固有の名前は無いらしい。
由来は下記サイトにありました。
なんか巷では大麻関連のニュースがちょこちょこ出てきていますね。
麻栽培で町おこし始めた社長の逮捕や合法化運動を始めた元芸能人の高木なんとかさんが政治家になるとかかんとか。
この辺のコミュニティに詳しくはないですが、あまり恥ずかしい活動だけはやめてもらいたいかなという思いです。
それで掲題の話なんですが、いまラッパーのMCバトルが流行していていろいろな番組があるらしいですね。
その人気にのってラッパーも存在感を増してきているようで、深夜帯ながらも自番組なんかもっていて
先日はEテレに出ているのも見ました。すごい活躍ぶりですよね。NHKですよ?ムチャ振りされてグダグダでしたけど。
でも、出てる人たちは自分たちの曲の中で大麻吸ってることを公言してますよね?それってどいう扱いになってるんでしょうか?
ヒップホップは好きなので国内海外問わず曲は買います。カルチャーも好きなので映画だったりメディアに掲載された特集記事なんかもちょいちょい読みます。
で、海外ではそのカルチャーの一つとしてドラッグ、とくにマリファナは切り離せない要素の一つですよね。スヌープなんて吸いながらライブしてません?
間違ってとらないでほしいのですが、大麻吸ってるやつをテレビに出すなとか大麻は悪いものだって言いたいわけではないんですよ。
逆に大麻がかっこいいとか、そいういうことでもないです。単純に疑問なんです。
もし俳優やミュージシャンが大麻で逮捕されたら大々的なニュースになりますよね。出演箇所のカットはもちろん
CMや番組は打ち切り、出したCDを回収されるぐらいまでの措置だって取られてもおかしくなさそうなこのご時世なのに。
なんで「いまこの時代」のラッパー達は許されているんだろうって。これって視聴者も「ラッパーならしょうがないかな」と感じてることなんでしょうか。
「リリックに入ってるだけで吸ってないかもしれない」という主張はあるかもしれませんが、たぶんそれは期待を裏切られると思います。
大麻の話からはずれますが、最近のMCバトルの仕掛け人はZeebraとサバーエージェントの藤田社長だという記事をどこかで読みました。
お二人は前から知人のようで、藤田社長はあのさんぴんキャンプにも観客として参加してたということなんで、根っからのヒッポホップ好きなんでしょう。
過去にもヒップホップをメインストリームへ押し上げるための企画をいろいろとやって、それがいまやっと花開いたという話でした。
なので、このムーブメントはカルチャーをよく理解した人たちが作り上げているしっかりしたものなのでしょう。
それゆえ、制作側(テレビ側)はこういった個々人のバックグラウンドをよく知らずに、企画先行で番組を制作しているのではないかなという気もします。
いままで出演者の大多数だったタレントやスポーツ選手、文化人、アナウンサーのように事務所もなければ個人のプロフィールも少なそうですからね。
この先、逮捕者が出たりしたらテレビ番組は打ち切りでしょうかね。残るのはAbemaTVだけでCA総取りという未来もありそうですが。
それとも大麻取締法違反程度ではテレビから消えることない時代が来るのでしょうか。
過去に大麻で逮捕された芸能人を調べてみるとびっくりするような大御所の名前が出てきますしね。あれはなんでしょう、ヒッピー時代の出来事なのかな。
とにかく、これはいい機会だと思うのでなにか事件が起こって良い方向に進んでいくのを期待しつつ、視聴者であるみなさんのご意見も知りたいです。
「シン・ゴジラ」を見終わった直後の感想は「おもろいけど、説教くさくてめんどくせー」だったが、
疑問点を検討した結果、「シン・ゴジラ」はおれの中で「死者たちが地獄でゴジラと戦い続ける映画」と結論づけられ、さらにめんどくさいこととなった。
まず、最初になんじゃこりゃと仰け反ったのが、官邸に海底トンネル崩落の死者が0人と報告されるところ
車両が何台も走行しているトンネルの天井抜けて、海水が流れこんでんのに死者がいないってありえんやろ。奇跡か!
海水と瓦礫やらで満たされたトンネル、どうやって被害状況確認したん?
崩落の原因もわからず、2次被害も当然想定されるなか現場確認したんか?
道路のカメラ映像と避難者照らし合わせたら、誰も死んでないってことだろうか。それにしても報告早すぎだろ。AI使えば楽勝なんだろか?
しかも、「死者0」報告に誰も疑問を呈さない。官僚機構はクソだけど現場は優秀だから信用してるということか
おれが観た限りこれ以降も、死者の存在が映画に現れることはない。
つぎ、ゴジラが再上陸して防衛相が首相に自衛隊の発砲許可を求めるとこ
ここ観ながら「なる、ここは時間軸が前後してるんだな」と勝手にきめつけてたら、そんなことなくて愕然とした
おれは「ゴジラへの発砲許可が下りず、ゴジラ再上陸を許す」って描写だと決めつけてたんだけど
実際は「ゴジラが再上陸してから、市街地での自衛隊の発砲許可をだす」ってところでした。
ゴジラ再上陸が予見されるなか、至上命題はゴジラ再上陸阻止だろって考えたおれがバカでした
ゴジラ発見→直ちに空自のスクランブル。くらい事前に立案されてると予想したおれが浅はかでした
多摩川防衛線での攻撃を観ながら、これって焦土作戦だろか。人的・物的損害、上陸させたメリットってなんだろ?って考えてたのもむなしい
市街地のドンパチのほうが、海上のゴジラに攻撃より見栄えがよいからだろか?空自のスクランブルって平成ガメラに似た場面あったし
おれの予見は外れたが「ゴジラの再上陸=政府の絶対敗北」というのはおれの妄想ではないはずだ
作中の危機管理はその起点となるべき認識において、致命的な欠落を抱えていることになるとおれは考えるが、これは作為的なものだろう。
現実のヌークリア(原子力・核)政策における危機管理がそうであった、もしくはそうでありつづけるように
無人機攻撃は狙い通りの効果を上げるし、電車爆弾は狙い通りの効果を上げるし、
ビル爆破も、凝固剤の経口注入も狙い通りだ
指揮所本部はゴジラを直接視認可能な立川自衛隊で、視認可能ということはゴジラのレーザの射線にあることと同義であるが、指揮所からみる対ゴジラ作戦あくまでも遠景に過ぎず、およそ現実感がない
(蛇足だが、第1ポンプ隊と第2ポンプ隊との間にはきっと通信回線はないんだろうな。あるのは指揮所と各隊との縦の通信回線のみだろう。横の通信回線はない。決死隊だからね。第2が第1が壊滅したことを知れば士気に関わるし。と想像すると指揮所の主人公の泰然とした姿に戦慄をおぼえる)
「ゴジラ事案」収束を可能にするモノ・知識が積み上がっていく様で、かつて読んだ直木賞作家高橋克彦氏の「総門谷」をおれは想起した。
現実の福島原発事故は本作戦で使用されているコンクリートポンプ車による放水により収束したのだったか。注水作業に従事された方々への尊敬の念は禁じ得ない。が、しかし、注水作業はメルトダウン後であったと理解している。現実では手遅れだったポンプ車が本作で活躍しているのをみておれはこう思う。
人間がゴジラ活動停止させるにはファンタジーが必要だと。逆に言えばゴジラを人間が止めることなど現実では不可能であると。
「シン・ゴジラ」は、ヌークリアで死んで亡者になった者たちがヌークリアを消滅させるという不可能な願望を延々と繰り返す地獄絵図の一幕である。実にお盆映画にふさわしい。んでもってこの地獄絵図はおれに問いかけるのだ。それでもヌークリアを存続されるのなら、あとは好きにしろよと。
バングラデシュで流行しているというペットボトルのクーラー、あれがなんかずっともやもやしてるので、オーダだけでもあってるか概算してみた。
ただ、流体力学なんて20年前に習ったきりだし、今完全に酩酊しながらこれを書いてるのであってるかどうかわからない。誰か検算して。
・前提
なんか元記事を見る限りやっぱりベンチュリとしか思えないのでベンチュリの式で計算。
外の気温30℃で計算。
気圧はとりあえず1気圧。
計算がめんどくさいので空気は非圧縮性・粘性無視(たぶんこれがだめだと思う)
大雑把に添え字1が外、2が部屋の中(というかペットボトルの出口)。
v1:外で吹いてる風速[m/s2]
A2:ペットボトルの細い方の断面積[m^2]
T1:外の気温[K]
v1=3[m/s2](微風)
d1=0.01[m](10cm。こんなくらい?)
d2=0.0025[m](2.5cm。これもこんなくらい?)
p1=101325[Pa](1気圧)
T1=303[K](30℃+273)
じゃあ計算してみよう。
ペットボトルの太い方の断面積
ペットボトルの細い方の断面積
非圧縮性のベンチュリの式(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%AA)より、
いきなりこの時点で怪しいな。
けど続ける。
次に、ベルヌーイの定理(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86)より、
v^2/2+p/ρ=一定値
これより、部屋の中と外での圧力と速度の
これを変形して、ペットボトル出口と外の圧力差p2-p1を出す。
p2-p1=(v1^2-v2^2)×ρ/2=1336[Pa]
気圧差13ヘクトパスカルか…。
さらに、ボイル・シャルルの法則(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87)より
セ氏に換算すると
299-273=26[℃]
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20160323/p1
ここに書いてあることはその通りで、シラク三原則と寺井校長スピーチは違う。
ところで、シラク三原則などフランス的価値観が日本にあうかというとそれはまた別問題だろう。
フランスの価値観は上記サイトにもある通り。女性の権利は最優先である。仕事をする権利は守られなければならない。子供も3歳から上は幼稚園というか学校(エコールマテルネル)に入るので、就業前と就業後に父親と母親が分担してお迎えすればなんとでもなる。あるいはシッター(ヌヌー)がやる(フランスでは小学生高学年くらいまで、子供一人で家にいることだけでなく外出することも法律違反なので、幼稚園~小学校の送迎が必要)。日本の幼稚園と違って、4時くらいまで面倒を見てくれるし、無料だ。面倒を見るというか授業してるけど。まあ、まずはこれが成立するために週35時間労働制だとか安くてたくさんのアフリカ移民を主体とするベビーシッター(フランス語を話せないこともまれではない)が必要になる。
しかし3歳まではそれもなく、保育園(コクシネル)は競争率が高いしお金もかかる。そのため、子供はほぼヌヌーさんに預けっぱなしである。パリの公園で平日の昼に観察しているところによると、彼女たちヌヌーさん(男女平等・差別禁止が徹底されているはずのフランスで、なぜかヌヌーさんのほとんどはアフリカ系女性だったように思う)は子供たちが遊具で遊ぶのを遠巻きに眺めつつ、みんなで集まってベンチに座ってタバコを吸ったりマックを食べてだべっている。
実際ヌヌーさんに預けるというのはどういうことなのかとフランス人に聞くと、それはやはり不安なことはある、とは言うのである。
しかしそれでも預ける。なぜか?女性が働かないなどというのは考えられないからのようだ。そちらのほうが優先だからのようである。
日本からの赴任家族では、当然ながら(?)奥さんは働いていないことが多い。それを知った時のフランス女性の不思議そうな顔つき、「ずっと家にいるの?へぇ~」という反応を見るに、これは女性の選択の自由を尊重しているように私は思えなかった。日本では子供がいる母親は働かず家で子育てをした方がよいという暗黙の圧力があるのと同じように、フランスでは子供がいても母親は外にいて働いているはずだという暗黙の圧力があるように感じたのである。私はこれは「自由」の名のもとに行われる別の因習的社会であるように感じた。
まあ、それはそれでいいのだ、不思議なことではない。世界のどこかに理想郷があるわけではないのだ。あるのはバランスであり、フランスでは子供が母親とずっと一緒にいられることよりも、母親が仕事をして自己実現を続けることを選んだところ、(因果関係は分からないが)出生率が向上したらしい。社会がどれを選ぶかの話であろう。正解と誤答があるような話ではないと思う。
ドイツ人に、ドイツはどうかと聞いたことがある。ドイツでもやはり女性の労働は権利であり、その程度は日本よりもずっと強い。しかしそれと同じくらい、子供が小さいころは母親は家にいて子供の面倒を見るべきだという社会的意識も色濃く残っているそうだ。それはまた母親の多くもそのようにしたいと思っていることでもある。また、出産後一年以内に仕事を再開しようとすると、あなたそんなことをして子供はかわいそうではないの??という周囲の目があるのだそうだ。ちなみにドイツの出生率は日本と同様に低い。
フランスは経験談だがドイツは伝聞である。出羽守ではあるが、真実を含んでいないとは思わない。日本はどの方向に向かうべきか。フランスの方向に向かうのは不可能であると思っている。
アミダラ「おう、ワレ、随分やってくれたな。議長の特使が来とるやろ」
アミダラ「まあ首洗って待っとけや」
ルーン・ハーコ「やべえよ兄貴、元老院が動いたらどうするんすか?」
ルーン「あのネーチャン、こっちが次にどうするつもりか分かってるんすかね?」
ヌート「そんなん考えても始まらんわ。それより、すぐにすべての通信を途絶させるんや」
阪脩「通信の途絶が意味するものはひとつです陛下、侵略(A communications disruption can mean only one thing...invasion.)」
アミダラ「い、いや連合もそこまでのことはしないはず…」
アミダラ「交渉を続けるしか…」
阪脩「交渉ですと?すべての通信が途絶えました。そして、議長の特使も行方不明なのですよ?(We've lost all communications. And where are the Chancellor's ambassadors?)」
参考・http://www.starwars.jp/script/ep1.html
もともとビブル先生は
というのを踏まえて発言している。
要するに通信途絶だけで判断してるのでなく、それまでの積み重ねで、次にどういう手を打って来そうかを予想している。
「But we must move quickly to disrupt all communications down there.」と言った直後にビブルが
「communications disruption」と言って、同じdisruptって言葉を使ってるので、ヌートの動きをビブルが読んでるのが自然に伝わる仕掛けになってる。
日本語版だとヌートの台詞が「だが、急いで地上のすべての通信を遮断しなければならん」となってて、翻訳ミスとまでは言わないけどニュアンス伝え切れてない感じ。