はてなキーワード: 死霊の盆踊りとは
季節外れな死霊の盆踊りみて震えたんやろなあという話
手軽に馬鹿にしたいからキャッチーで伝わりやすいフレーズが珍重されてるだけ。
それ以上でも以下でも無いのに何をそんなに怒ってんのか分からん。
お前はガキだろうから知らないだろうけど、別にデビルマンに限った話じゃなくて、
邦画なら「北京原人」とか「シベ超」、洋画なら「死霊の盆踊り」とか「プラン9・フロム・アウタースペース」といった
「駄作と言えば」という代名詞的な作品は古くから存在してて、「〇〇はシベ超並み」みたいな表現も存在してる。
なんというか、学園祭のバンドでクラスの地味な生徒がステージに立ち、有名な曲をコードを間違えながら噛みながら唾を飛ばしながら汗を撒き散らしながらもそれでも最後まで演奏し切ったものの、結果ひどい有様で曲のファンから有名な曲を汚したとブーイング。それが下手にクラスの中心人物だったから結果的にその後生徒はそのことでステージに立つ気すらなかったような奴や、曲に思い入れもないやつ、そもそもステージを見てないやつにまで馬鹿にされている、みたいな気持ちの悪さを感じる。楽器を弾いたことも、弾けるように努力したことも、どんな努力が必要で誰がしたのかも知る気がないくせに。
結果出せてない奴が「向き合う姿勢や頑張った過程を評価して!」っていう方が死ぬほどダサいけどな。
むしろ馬鹿にされまくった方がそいつの為になるから周囲の連中は泣くまでコケにするべきだと思う。反省無くして成長無しだからな。
今の邦画界隈がまさにこの病気に現在進行形で罹ってるんだろうけど、オナニーのし過ぎでジリ貧になって吠え面かいてるのは自業自得だわな。
何故か、銀河間航行できる宇宙人が何故か、日本に来日して、某番組並みにホルホルしてくれて、何故か機密の軍事技術供給までくれてやり、悪い中国人を倒すとても都合の良いお話があった。
まぁ、死霊の盆踊りを見るような半笑いで斜め読みしていたのだが、その中の主人公と国家主席との会話で「中国は対外戦争に一度も勝ったことがない」とあった。
そうなんですか?と思い改めて調べると、そもそも中国は侵略戦争自体ほとんど起こしたことがなかったのだ。
紀元前から辿れば、白村江の戦いから最新では珍宝島と中越国境紛争を除けば、までだいたい朝貢国を侵した宗主国としての立場の自衛戦争である。
ノモハンでボロ負けしたどっかの国とは大きな違いである。しかもちゃっかり領土まで増やしている。
戦争ネタを齧ってるネトウヨギークの中でも割と常識だと思っていたが、純粋に知らなかったのか。知っても記憶から削除されたのか。そもそも知ろうとしなかったのか。
中国と比較してヤポンはなんと殴りつけのヤクザ紛いの因縁戦争が多いことか。
この認識だと次やるときは確実に負けるでしょう。下痢に誑かされた第二次神聖ニッペ帝国との自衛戦争なら多いにやってくれという感じですが。
ドームもまた増えるでしょうか・・・。
「シン・ゴジラ」を見終わった直後の感想は「おもろいけど、説教くさくてめんどくせー」だったが、
疑問点を検討した結果、「シン・ゴジラ」はおれの中で「死者たちが地獄でゴジラと戦い続ける映画」と結論づけられ、さらにめんどくさいこととなった。
まず、最初になんじゃこりゃと仰け反ったのが、官邸に海底トンネル崩落の死者が0人と報告されるところ
車両が何台も走行しているトンネルの天井抜けて、海水が流れこんでんのに死者がいないってありえんやろ。奇跡か!
海水と瓦礫やらで満たされたトンネル、どうやって被害状況確認したん?
崩落の原因もわからず、2次被害も当然想定されるなか現場確認したんか?
道路のカメラ映像と避難者照らし合わせたら、誰も死んでないってことだろうか。それにしても報告早すぎだろ。AI使えば楽勝なんだろか?
しかも、「死者0」報告に誰も疑問を呈さない。官僚機構はクソだけど現場は優秀だから信用してるということか
おれが観た限りこれ以降も、死者の存在が映画に現れることはない。
つぎ、ゴジラが再上陸して防衛相が首相に自衛隊の発砲許可を求めるとこ
ここ観ながら「なる、ここは時間軸が前後してるんだな」と勝手にきめつけてたら、そんなことなくて愕然とした
おれは「ゴジラへの発砲許可が下りず、ゴジラ再上陸を許す」って描写だと決めつけてたんだけど
実際は「ゴジラが再上陸してから、市街地での自衛隊の発砲許可をだす」ってところでした。
ゴジラ再上陸が予見されるなか、至上命題はゴジラ再上陸阻止だろって考えたおれがバカでした
ゴジラ発見→直ちに空自のスクランブル。くらい事前に立案されてると予想したおれが浅はかでした
多摩川防衛線での攻撃を観ながら、これって焦土作戦だろか。人的・物的損害、上陸させたメリットってなんだろ?って考えてたのもむなしい
市街地のドンパチのほうが、海上のゴジラに攻撃より見栄えがよいからだろか?空自のスクランブルって平成ガメラに似た場面あったし
おれの予見は外れたが「ゴジラの再上陸=政府の絶対敗北」というのはおれの妄想ではないはずだ
作中の危機管理はその起点となるべき認識において、致命的な欠落を抱えていることになるとおれは考えるが、これは作為的なものだろう。
現実のヌークリア(原子力・核)政策における危機管理がそうであった、もしくはそうでありつづけるように
無人機攻撃は狙い通りの効果を上げるし、電車爆弾は狙い通りの効果を上げるし、
ビル爆破も、凝固剤の経口注入も狙い通りだ
指揮所本部はゴジラを直接視認可能な立川自衛隊で、視認可能ということはゴジラのレーザの射線にあることと同義であるが、指揮所からみる対ゴジラ作戦あくまでも遠景に過ぎず、およそ現実感がない
(蛇足だが、第1ポンプ隊と第2ポンプ隊との間にはきっと通信回線はないんだろうな。あるのは指揮所と各隊との縦の通信回線のみだろう。横の通信回線はない。決死隊だからね。第2が第1が壊滅したことを知れば士気に関わるし。と想像すると指揮所の主人公の泰然とした姿に戦慄をおぼえる)
「ゴジラ事案」収束を可能にするモノ・知識が積み上がっていく様で、かつて読んだ直木賞作家高橋克彦氏の「総門谷」をおれは想起した。
現実の福島原発事故は本作戦で使用されているコンクリートポンプ車による放水により収束したのだったか。注水作業に従事された方々への尊敬の念は禁じ得ない。が、しかし、注水作業はメルトダウン後であったと理解している。現実では手遅れだったポンプ車が本作で活躍しているのをみておれはこう思う。
人間がゴジラ活動停止させるにはファンタジーが必要だと。逆に言えばゴジラを人間が止めることなど現実では不可能であると。
「シン・ゴジラ」は、ヌークリアで死んで亡者になった者たちがヌークリアを消滅させるという不可能な願望を延々と繰り返す地獄絵図の一幕である。実にお盆映画にふさわしい。んでもってこの地獄絵図はおれに問いかけるのだ。それでもヌークリアを存続されるのなら、あとは好きにしろよと。