はてなキーワード: ゼミとは
現代の学校教育では、クラス制度が設けられている。小学校から高校(大学も一部の講義ではクラス制度が存在する)まではクラス制度が当然のように存在するので、毎日固定されたメンバーと共に集団生活を送らねばならない。
こうしたクラス制度の存在がなければ、友達を作ることが難しい人は一定数存在するのではないかというのが今回の記事のテーマである。
どうしてこのような考えを持っているのかというと、高校までは受動的な姿勢のままでいても友達を作ることは容易にできるからだ。高校までは周りに人がいるという環境が既に与えられている。その環境は何かといえば、クラス制度である。これは本人の意思によらず、自分がどこか一つの共同体に属することが強制的に義務付けられるので、周囲の人間と関係を構築しやすいところが多分にある。その理由としては、主に三つの要因があるのではないかと考えている。
一つは、クラスが構成された共同体の一つであることにある。クラスには名簿なるものや連絡簿、名札などが存在するので、自分の顔と名前がほかのクラスメイトに知れ渡っている状況が簡単に作り出されている。そのため、少し交流しただけで、交友関係が容易に発展しやすいという特徴がある。特に何をせずとも自分の個人的な情報が、いくらかクラスのメンバーに知れ渡っているという状況は、交友関係のとっかかりを作りやすい。
二つは、周りに人がいるのが当たり前の環境下で生活することを強いられる点にある。自分の周りには当たり前のように人がいるので、自然に声を掛けられてそのまま流れで友達になったというケースはよくあることだ。実際にそうした経験を持つ人はとても多いのではないだろうか。クラスが存在しないとなれば、自分から進んで声を掛けないと簡単に友達を作ることはできないが、クラスが存在するのであれば、自然にコミュニケーションが発生し、気付いたら友達になっていたという状況になっていることはままある。
三つは、本人の意思によらず問答無用でクラスメイトと一緒にいる時間がとても長いことにある。高校の授業は1限から6限、あるいは1限から7限まで授業があることがほとんどである。そうすると、一日の大半をクラスメートと共に過ごすことになる。高校まではクラスメートと共に同じ机を並べて授業を受けることを強要されるので、同じ体験を共有することができる。この同じ体験を共有しているという状況が関係性の発展に貢献しているところが結構ある。何せよクラスのメンバー全員が、同じ体験を積んでいるので、授業でわからなかったところなどをクラスメイトに相談して問題を解決することもできる。これは会話をするきっかけとしては十分なものである。 こうしたように高校までの環境は特に自分から行動を起こさなくても、自然に友達ができやすい傾向にある。
一方、大学以降の友達作りは、交友関係を形成しにくい面があるように思う。それは大学にはクラスがないことがほとんどなので、自分から積極的に声でもかけない限り、他人と会話をするきっかけそのものがない。きっかけがないと、自分の顔と名前を知ってもらって、関係を構築するという次のステップに達することはできない。また、 同じ学部のメンバー全員が、一様に同じ講義を受講するわけではない。大学では、それぞれ自分の興味関心のある分野を自主的に選択して講義を受ける。つまり、人によって受ける科目にばらつきがあるのだ。そのため、いつも周りの人間と同じ講義の科目を受けることになるわけではない。被っている科目が少なければ、それだけ同じ学部の人間と接触する機会も減る。会う機会が少ないと、会話を重ねて人間関係を形成していくというのは難しいところがある。つまり、高校までと比べて共同体に属しているという感覚が希薄であるように思われる。高校までと違ってクラスもないし、名簿も名札もない。だから、自分の存在を知ってもらうことが高校と比べて難しい。もちろんゼミや語学の講義などのように同じメンバーで定期的に講義を受ける科目も存在するには存在するのだが、その頻度は週に1、2回とさほど多くはない。なので高校までの授業と比べて。同じクラスのメンバーと共に何かをするという経験を積むことが難しい。そうした環境が人間関係を形成しにくくさせる要因の一つになっている面もある。
高校までは周りの人間が声を掛けてくれることで何とか友達(友達らしき存在)を作ることができたが、それがなければ、その間ずっと友達を作れずに学校を卒業したケースも多かったのではないかと思われる。そうした人たちは一定数いるのではないか。むしろそうした人たちの存在の方が多いのではないかというような気さえする。クラス制度の存在が友達作りに貢献しているところを踏まえると、クラス制度の存在に救われている人も結構いるのでは。クラス制度って案外必要な制度なのではないかと思ったりもする。
俺は一人で家にいるのが大好きで、何か月も誰とも会話しなくてもまったく平気なタイプである。
もう20年前のことだが、大学に入り、一人暮らしを始め、大学と大学院の6年に渡って人とほとんど会話をしない生活を続け、
気が付けば言葉をうまく話せなくなっていた。
とはいえ完全な引きこもりだったわけではなく、大学の講義やゼミには普通に行っていたし、ゼミで発表なんかもしていた。
またコンビニやスーパーの店員とも会話をしていたので、致命的なほどではなかったようだ。
しかしそれ以外では、サークルにも入らずバイトもやらず、恋人どころか友達も作らず、
夏休みに至ってはコンビニやスーパーの店員以外とは誰とも会わない生活をしていた。
人と話すのが嫌すぎて携帯は持ってもいなかった。(一応、固定電話はあった)
俺は別に対人恐怖症とかではなく、自ら望んでそういう生活をしていたのである。
まず、言葉を発するのに喉や舌をどう動かせばいいのかが分からなくなった。
一旦話し出すとある程度なめらかに話せるが、最初の一音目がとにかく突っかかって出ないのだ。
それでよく、「あ、あ、あの、」みたいな言い方をすることになる。
大学以前はそんなことはなかったのだが、
会話の中で瞬発的に次の話題を出すことができなくなったのである。
また語彙も少なくなり、特定のパターンの言葉ばかりを繰り返すようになった。
会話ではなくこうして文字に書くのは得意で、キーボードを前にすれば次に書く言葉がどんどん浮かんでくるのだが、
会話でだけ、それができなくなったのだ。
使われない脳の機能がどんどん縮小していく感じだった。
その頃の後遺症は今でも残っていて、俺を苦しめている。
当時よりマシにはなったものの、いまでも最初の一音目は出ないことがあるし、
いつか定年退職をしたら死ぬまで家に一人でいたいと思うが、先はまだまだ長い。
今年の4月。
念願叶って非正規から正規職に転職した某私立院卒の26歳、社会人3年目。
だが、転職して4ヶ月が経った今、仕事を通して生きる目標を見失った。ここ数日、平日の朝を迎える度に「自分はなぜ、この仕事に就いたんだろう」と自問自答を繰り返し、「仕事に行きたくない」という思いばかりが頭に浮かぶ。
別に仕事が激務な訳ではない。残業なんて今のところ忙しかった時期でも月20時間程度、現在はほぼノー残業で、定時上りもザラな職場だ。
では、人間関係やパワハラ上司に嫌気がさしたのか?というと、そういう訳でもない。確かに直上の上司は少し厳しいところはあるものの、決してパワハラをするようなタチの人間ではない。むしろ僕の目線では、それなりに自分の事を思って仕事を指導してくれる良い上司だと思っている。職場の人間関係も若返りを図っているためか、自分を含め20代の若い人が多いので、比較的良好だと感じる。
傍から見る分には「なんてホワイトな職場なんだ!」と思うだろう。実際、僕も今の職場はホワイトだと思っている。
だが、それでも生きる目標を失うに足るほどの辛いことがある。それは、「仕事に対する重責に自分自身が耐えられない」ということだ。
あまり具体的には書けないが、現在、僕がいる部署は(その手の業界では)日本でもそこそこの知名度を誇る。
業界人に「今、◯◯◯で働いています」と言うと、「えー!◯◯◯で働いているんですか!?凄いですね!」とそれなりのレスポンスが返ってくるレベルの部署だ。
だからこそ、特に幹部クラスの上の世代には「ここで働いている自覚とプライドを持ちなさい」という意識が強い。
それがハッキリした形で僕に返ってきたのは、転職して2ヶ月後の忙しくなりつつあった頃。
その時、僕ともう一人の若手(1年上の先輩だが、年は僕より下)が仕事を進める上で失敗し、そのザマを見ていたトップが、
「あの子たち、仕事が出来ないね」と、こぼしたのを直上の上司が聞いたらしく、鬼の形相で事務所に飛んできて、二人共々こっ酷く怒鳴られた。その後、さらに上の上司から「アンタらは◯◯◯の担当なんだから、その事にもっと自覚と責任を持って仕事に取り組んでください(要約)」というお気持ちメールが届いた。
この時は、自分の不甲斐なさに反省しつつ、「もっと頑張らないとな…」と思った。
だが、徐々に仕事に慣れつつある中で、仕事でのミスは一向減る気配は無かった。先輩から頼まれていた仕事は忘れる始末で、これを書いている今日とかも、上司から「仕事の段取りをもっとちゃんとしなさい」と怒られた。僕自身、注意される度に「次は気を付けよう」、「忘れないようにしよう」と思うのだが、どこからか気持ちが抜けるのか、中々思うようにいかず、その度にいくら気を付けても改善できない自分が嫌になり、自己嫌悪に陥る。
「オイオイ、まだ入りたてなんだから、そのくらいのミスは誰でもあるさ」、「若いうちはミスして当然」というのは簡単だ。だか、一応2年間の社会人期間もあり、院卒としてのプライドがあるので、そうした割り切った気持ちよりも先に「なんでうまく仕事が出来ない、回せないんだろう」というモヤモヤする気持ちの方が強く出ててくる。そして、段々「この仕事、やっぱり合って無いんかな」と思えてきて、
遂に「面接の時に『◯◯◯をしたいんです!』と言い切ったあの時の思いは、受かりたいが為の啖呵だったんだな」と気付いて、仕事での目標を見失った。
だが、こうして目標を失った今に思い返せば、そもそもの話、「この仕事が好きじゃない」ってところに行きつくのかもしれないと思っている。
少しばかり話はズレるが、今の仕事は学生時代からやって来たことをそのまま"プロ"として仕事にした感じである。だから、両親や周りの人からは「好きなことで仕事しているんだから、羨ましいことだよ」と度々言われる。じゃあ学生時代どうだったかたいうと、あまりいい思い出が多いとは言えないなぁと思う。勿論、それで院まで行って論文を書いたのだから、それなりの偽らざる感情は持ち合わせていたとは思う。だが、思い返せば辛いことの方が多いなと。
院試を受ける前はあまりにもの出来なさに焦り、やる気のある真面目なゼミの同期とも対立して人間関係が拗れたこともあって、「本当にこの道でいいんだろうか」と思い悩んで、精神的に追い詰められてカウンセリングを受けた。院進後には、自分の院生としての自覚の足りなさから、やる気のある学部生の後輩から突き上げられ、指導教官の部屋で後輩同席のもと教官から説教喰らったこともあった(特に説教された件はかなりのトラウマになってる)。
結局、こうした過去を今も引きずったままだから、仕事にしている今が1番辛く感じるのかもしれない。
そして話は元に戻るが、こうやって目標を失った今、どうしたらいいんだろうかと思う。
業種を変えようにも、異業種のスキルも経験も全く持ち合わせてない。何か新しく身に着けようと思うが、なかなか体も心も動かない。では今の仕事を耐えて続けるのが最善かと言われたら、それはそれでプレッシャーに耐えきれなくて発狂する未来が容易に想像できるし、自分の本心を偽ってでもしがみ付くのも違うかなと思う。
本当にどうしたらいいんだろうか。
それも全国的に知名度がある学校だったのでしっかりした家庭が多かった。
ところが私自身はポンコツだったため、大学受験に失敗し、結局中堅女子大に通うこととなった。
私は話の中で「医者の子供ってよくインフルかかるよねー。」という話題を出した。
するとAは「医者の子供とかそういうエリート見たことないんだけど。」と言ってきた。
私は自慢に聞こえてしまったかも知れないと思い「私立だと親が医者の人は時々いるよ」とだけ伝え、話題を変えた。
内心、小さい時から親が医者の友達なんて沢山いたので、医者はエリートではないだろうと思った。
それからAとその取り巻きのような人たちは、私にだけゼミのお知らせを回さない嫌がらせをしてきた。
時には、私が公務員(役所系)の勉強をしていることを小馬鹿にしてくることもあった。
結局、最後までAたちとは仲良くなれなかった。
私は念願の公務員になり、Aはメガネの販売員、その取り巻きもアパレル販売員であった。
相変わらず私には「公務員はつまらなそう」「安月給じゃん」「お堅い職業だと彼氏できないよ」と言ってきた。
いい加減にして欲しかったのでこちらも「自立できるくらいは自分で稼いでいるから大丈夫。あと、医者の彼氏いて今度結婚するの。最初は断ったんだけど、両親がどうしてもっていうから今度家を買ってくれるんだ。結婚式は絶対呼ぶから楽しみにしてて。」と伝えた。
Aたちは顔を引きつらせていた。
私は今までの鬱憤を晴らせて清々しい気持ちと同時に、最後は親や彼氏のスペックを借りないと対抗できない自分が情けなかった。
大学時代、Aたちの実家が田舎出身なことを聞いたことがあった。
彼女たちからすると、東京出身の私立のエスカレーターできた私はお高くとまっているように見えたのかも知れない。
しかし仮にそうだとしても、なぜ私にいちいち勝てもしないマウントをとるのか理解できない。
まぁ、そういう子は東京でインスタキラキラ生活に夢を見て、東京に搾取される生活を送るのだろう。
そのことに気がつかないのは哀れではある。
弱者男性とか婚期逃した喪女の話とか見ると、女であることと若さのコンボはそれだけで武器になるんだなと思うが、やはり同じ大学生やそれに近しいコミュニティという土俵では何の効力もない。
163センチ55キロ21歳女。9年彼氏いたことないから黙ってても言い寄られるタイプではないのは明白だろうけど、明らかに恋愛できないだろう顔でもない。好みの別れそうな顔だけど、クラスの男子がつけてた学年で可愛い女top10に入ってたり、ゼミで可愛いと言われたりしてたらしい。話せばモテそうと言われるし、社交性は大きな問題はないはず。多分、彼氏いるて言っても、別に驚かれないと思う。まぁそもそも、大学生の恋愛というのは広く開かれたもので、特権階級だけが享受できるものではないからね。
それなのにいまだに彼氏ができないとは。理想が高すぎる、周りに異性が多くない、性格的に恋愛に向いてない、顔が丸すぎる、考えられる原因を挙げてみたけど一つ一つ検証していくしかないな。もちろん挙げたものだけではないだろうし、言葉では表せられない要因もあるのだろう。それが一番厄介だけど…
ちなみに付き合う条件として、目が埋もれるタイプのデブではないこと、最低限の清潔感と不快感のないコミュニケーションが取れること。博識だったりウィットに富んだ会話ができたり尊敬できるところがあったら最高。でも理想はあっても現実を見るとハードルを上げる意味がないなと思うから、欲を言えば普通を満たしてる大学生がいいけど、まぁこんな感じ。結婚を考えだした時にいきなり恋愛を始めるみたいなギャンブルにならないように、まだ結婚に焦らなくてもいい今だからこそ、相手に求める条件を下げてでも付き合うことを経験しておいた方がいいと思ってる。
若さは有限。特に女性はその側面を無視するのは得策ではない。女という性別と若さは生まれたときから与えられたものだから、それを失ったときにはじめて価値がわかるのだろうな。ある面ではイージーだったと。明日もジムに行こう、今が一番人生で若いのだから頑張りどきは今なのだ。
うちの高校は普通科しか無かったし(今は国際情報とかあるんだったかなあ。しらん)
大学も文系学部のみだったんで授業の選択の幅全然無かった。経済みたいな理系文系の学科も無いから授業も無い(初等教育が算数の授業やってる程度じゃないかな)
まあ流石に語学は色々選択出来たから面白かったけど、ラテン語とか取る勇気無かったし
そもそも入ってから「国文じゃなかった。社学の方が良かった」って思った。社学の授業受けたら明らかにこっちが面白いと思った
かと言って学部変わる程の熱意も無かった
基本やる気も無かったのでゼミは近現代という体たらく。これが漢文や中古とかだったらまだ格好つくけど
近現代の作家で卒論書いて大学出て後の人生の何の役に立つというのか
彼はその分野において権威だった。著書は何作もあり、そのほとんどにおいて高い評価を得ていた。にもかかわらず、彼は教育熱心でもあり、教授然とした態度ではなく、気さくに、いち個人として学生たちと接してくれていた。
教授の教育は、人を信じることから始まった。難しい問いをかければ、安易に答えを出さず、まず質問者がどのように考えているかを聞いた。それを傾聴したあとに慎重に自分の意見を言った。決して押し付けたりすることはなかった。ゼミの内容についていけない生徒がいれば(わたしの友達はまさにそうだった)、さりげなくフォローし、適切な課題を与える。相談したいことがあれば、当たり前のように、自身のプライベートな時間でも面談をしてくれる。友達が個人的な悩みについて相談をしたいとメールをすると、家庭もあるのに22時から面談をしてくれた。にもかかわらず開口一番、遅い時間に申し訳ないと言われたそうだ。どうしてもしなくてはいけないことが立て込んでいて、といった教授の後ろでは、教授の子供の声がしていた。
友達は彼のような教育者にはあったことがないと言っていた。話を聞くかぎり、それはひいき目はあるものの、おおむね正当な評価のように思えた。世の中には先生と呼ばれるだけで、自分が偉くなったと勘違いしている大人が多く存在し、そういった人々にわたしたちは子供の頃から辟易させられていたからだ。
友達は彼のゼミに所属したことで、専門知識はもちろん、人間的にも大きく成長できたと言ってはばからなかった。彼はもともといい奴であったが、適切な時期にメンターに出会い、成長し一皮剥けた。青年期によくある、しかし人生に大きな影響を与える出会いだった。彼はその出会いに感謝していた。
皆に愛されていたそのゼミを卒業するときに、ゼミ生たちみんなでお金を出し合って、ブランドのネクタイをプレゼントした。教授からもゼミ生たち個人個人にプレゼントをくれた。友達はタイピンをもらって嬉しそうにしていた。友達は進学するか、就職するかにおいてもかなり悩んでいた。いっときは本気でその教授のようになりたいと考えていたようだ。友達以外にもそういう生徒は多かったし、大学院への進学率は教授のゼミだけ突出して高かった。結局、友達は就職したが、Facebookにアップされた入社式の写真の胸元には、教授にもらったタイピンがあった。友達は卒業後も教授と交流があったらしく、教授が新刊を発売すれば、自分の恩師だと宣伝に協力していた。彼のSNSのプロフィール欄には、教授の名前を冠された研究室所属であったことが、誇らしげに記載されていた。
ニュースはその大学教授が、未成年に対する性加害者だったことを伝えていた。
信じられない思いでいたが、日を追うごとにおぞましい行為の数々が暴露され、それが事実であることを告げていた。
友達は、なにを思っただろう。わたしはその一連の事件に対し、彼がなにかしらの態度を示すものだと思っていた。
しかし、彼はなにも言わなかった。
過去の教授との写真を消すこともなかったし、教授の研究室所属であったプロフィールを消すこともしなかった。
教授が犯した罪を擁護することもしなかったし、糾弾することもしなかった。
しばらくの間、沈黙をした後、何事もなかったかのように日常の発信に戻った。
そして見知らぬ子供を、取り返しのつかないほど傷つけている教授。
二つの人物像はわたしのなかで別々の人間がなした別々の行為のように感じさせられた。
ひとりの人物について、語ることはとても難しいことだと思う。
文系大学院のDなんだけど、今年入ってきたM1の後輩に思うところがあるから愚痴らせてほしい。
その後輩はなんて言うか、無菌室で培養されたって感じの純朴なヤツで、すげー勉強するし学問に対するやる気もバイタリティもある。ちなみに男。
そいつの研究に対する熱意や努力は普通にすげぇなって思ってるし、俺も見習わなきゃなって自分の怠け具合に危機感を持つくらいなんだけど、そいつ、どうも協調性がないんだよね。
まず4月に一度面倒事を起こしてる。
俺らの大学院は合同研究室制になってて、専攻全体でひとつの研究室。で、教授ごとにゼミがある。分かりにくいだろうけど、詳しく書くと身バレするからこれくらいで。
研究室のグループLINEを作ってるんだが、新M1の中でその後輩(仮にAとする)だけLINEをやってなかった。
今の子はLINEやらない子が多いって聞くし、時代だなーって思った。
で、専攻内の連絡事項とか大事なやり取りは全部LINEでやるから、「申し訳ないけどLINEを入れてほしい」って頼んだんだ。
そしたら頑なに「入れたくない」って拒否してて。理由を聞いても「LINEはやりたくない」の一点張り。
LINEをやってない子が他にも何人かいるなら、時代に合わせて連絡網を別の形に変えようとは思ったけど、そいつ一人だけだから、Dの俺ら(取りまとめ役)もどうしたもんかと思って。
じゃあメーリングリストにするか?って話も出たけど、「研究室開室しました」とかの細かい連絡をいちいちメールで流すのも…となった。
じゃあdiscordとかSlackは?って意見が出て、アカウント持ってない人は作らないといけないけど、それなら大丈夫だろうってAに話した。
でもAはそういうメッセージアプリを絶対に入れたくないらしくて、その案も拒否された。
俺はその時点でワガママがすぎるって思ったけど、入ったばかりのM1に小言なんて言いたくないし黙ってた。
結局周りが説得して、AはLINEを入れてくれたんだけど。
次にモヤッたのが、ゼミ費の扱い。
毎年大学から各ゼミに補助費が出て、そのお金は教授とゼミ生が使い方を決める。
例年うちのゼミでは飲み会に使ってて、この3年はコロナがあったから、補助費で教授が図書カードを買ってゼミ生に配布してた。
今年はどうする?飲み会復活させる?ってなって、他のみんなは補助費で飲み会やりたいって言ったけど、Aだけは図書カードがいいって即答。
ちなみにゼミ費で飲み会をやること自体は大学側からも許されてる。
そういう機会でもないと、教授とじっくり親睦を深められないからかな。懇親会的な扱い。
この2つの出来事があったから、俺の中でAは「純朴すぎて協調性がないやつ」ってイメージがついた。
けど俺がアラサーだから、価値観が古いだけなのかなとも思ってた。
その後もAは専攻全体の飲み会とか、M同士の飲み会とか、全部欠席してる。
酒を飲むの自体は好きって言ってたから、飲み会って場が嫌いなのかもしれない。
まだコロナも蔓延してるし、感染が怖くて出てないなら分かるけど。
俺が古い価値観の人間&コロナに対してもう楽観的になってるから、Aに対して穿った見方をしてしまうのかな。
ただなんかモヤモヤするのは、このままだと専攻内で孤立するかもしれないことに、A自身が気づいてなさそうだから。
研究って一人でやるもんだけど、一人じゃ出来ないものでもある。
同期や先輩や教授と日頃からコミュニケーションを取っていないと、ちょっと躓いた時に気軽に相談しにくいし。関係性が出来てないと気軽に質問しにくいって、院生なら分かってもらえると思う。
院生同士のちょっとした雑談とかから知識を得られることもある。
別にそれは飲み会じゃなくても、日頃から研究室で周りとコミュニケーションを取っていたらできることなんだけど、どうもAは研究室内でも周りと雑談とかあんまりしてないんだよな。
他のM1は最初の新歓とかでコミュニケーション取ってるから、相手の人となりとか分かってて接してる雰囲気あるんだけど。
Aに対しては、なんとなく距離がある感じ。
最初に書いたように、Aはすげー勉強するし、研究発表でも人の2倍のボリュームをやってくるんだよ。
ただ中身はまだまだだから、これから壁にぶち当たるだろうなってのが見えてるんだけど。
そうなったときに、誰にも相談できなくて孤独に陥りそうな気配がしてて怖いんだ。
もちろん俺らも先輩として面倒みるつもりだけど、研究の悩みや孤独って、むこうからヘルプ出してくれないと、こっちからは手を差し伸べられないんだよ。どう差し伸べたらいいか分からないし。
俺が考え方古くて要らないお節介を感じてるだけで、何も考えないほうがいいんだろうけど。
なんかモヤモヤするんだよな。
なんか似たような話は死ぬほどあると思うし、てかここで死ぬほど見たし、たかだか人生21年でなにがわかるのかという話である。私が一番そう思っている。
この日記は私の思考を整理したいのと、それに対しての反応が見たくて書いている。ぶっちゃけ初めて書くのでなんか変だったらごめんね。
先に言いますが弱者男性とか弱者女性とかそっち系では全然ないです。そういうの期待してたらごめん。
ここからしばらく自分の人生語りになるので嫌な人は結論まで飛ばしてください。長いし。
私は現在21の大学四年生である。タイトルにもある通り処女である。スペック的には152センチ45キロFカップ。顔は極めて普通であると思う。ナンパとかそこそこされる程度の顔である。地元ではそこそこ名前は知れてるけど全国だと聞かないよね、みたいなレベルの大学に行っている。IT企業の内定は出た。
小中はそこそこ男子とも話したが高校から女子校に行った。女子校とはいえ彼氏のいる子はいたし、女子校だから彼氏ができなかったというわけではないと思う。ただ私は積極的に学校外のコミュニティを広げる気は無かった(そこまで余裕がなかった)。学校での友達はできた。
大学に入学したのは2020年で、コロナウイルスが猛威を奮っていた年である。当然ながらリモート授業がメインとなり、出会いなんて夢のまた夢であった。あとソシャゲにハマった。私のバイトは諸事情ありより稼げることを優先したため、病院の清掃を選んだ。若い男性なんかいなくて、基本主婦の人が多かった。辞める人もめちゃくちゃ多かったがメンタルが強いのが売りだったので結構続いた。主婦の人が可愛がってくれるのも嬉しかった。
大学3年ごろからいい加減自分で動かなければ出会いはないのだなと思った。とはいえ大学ではサークルに入りそびれそのあたりの出会いは期待できず、ゼミではなんかみんな個人での活動が多く話す機会がない。
正直すぐに飽きた。まあおとなしめの清楚系に見られる顔ではあるため結構なレベルのいいねが来た。やってたのはタップルである。一日ほっておけば99+件のいいねが来る。ここでの選別(言い方が悪くて申し訳ない)だけでだいぶ疲れる。マチアプは写真というのは真理である、こんなんいちいち文章まで読んでいる暇はない。顔写真を出していて、一定以上太っていなくて肌が綺麗、年齢は27あたりまでの人を条件に選んでいた。余談だが見てる限りでは30後半や40あたりの人、果ては60あたりの人からもいいねが来ていた。彼らは何を求めて私にいいねをしているのだろうか。間違えたかパパ活かなと思ってスルーした。
さて、ようやくここから会う段階に入り、8人ほどと会った。デート内容は割愛するが自分の費用は自分で払った。大半の人は、二、三回目あたりで付き合いたいと言ってくれた。ヤリモクもいたけれど。
ヤリモクでなさそうなひとから2人ほどと、期間がめちゃくちゃ短かったが(一ヶ月と三ヶ月)付き合ってみた。いれる寸前まではした。が、私サイドがめちゃくちゃ何も感じなくて続行できなかった。触られようが何されようがビタイチ気持ちよくならない。触られることやハアハアいってる人間への不快感こそあれ、これで何が楽しいのかさっぱりである。男性が多いジャンルのオタクであるためエロ同人とかも読んでるんだがあんなふうに全然なれない。濡れるわけもなく、シンプルに続行不可能となり、気まずくなり別れた。面倒になりタップルはやめ、就活頑張った。
私と付きあった2人が特別下手だったとは思わない。私サイドに圧倒的な問題があったんだなと思う。女性はテクニックどうこうではなく好きな人だとか雰囲気だとかの感情で感じるとかいうのをどこかでみた記憶があるが、私にはそれがなかったんだなと。好きになってもいない人とどうこうなっても、面倒臭さの方が優ってしまうし、そんな相手に触られても、本当に申し訳ないが感じ方としては痴漢と遜色ない。
じゃあ好きな人を見つけよう、となったって、現実にいたるまでまともに人を好きになったことがない。なんかいいな、と思う人がいても、自分を俯瞰的にみている自分が白い目で見てしまう。俯瞰的な自分が、こんな自分が誰かを好きになってるのを気持ち悪いなと思っていてどうにもできない。実際付き合っていた時もどうにも嫌で嫌で仕方ないときがあったし、相手から事に及ぼうとするときになんとなくなにかに失望していたし、そういうことをしようとする自分が気持ち悪かった。ベタベタ触られるのが嫌だった。
改善策もよくわからないし、なんなら改善したいかと聞かれたら現状面倒くささが勝る、という感じではある。ただ自分が人間としてなんとなく不出来だなと思って、誰かを真っ当に好きになりたい、もしくは原因を知りたいとは思っている。心が二つある〜
あとなんかまともに付き合った経験がないと社会から異常者に見られるのはよろしくないなという気持ち。まともな人間に見られたい。
精神病とかそういうのではないと思う。元気。
当たり前だがそこそこ荒れててこれがインターネット…となっている。Twitterもろくに呟かない人間なのでめちゃめちゃ新鮮!
女風は2回ほど試したけど会ってすぐの人間に心開けるわけもなく苦痛なだけで終わりました。本番なし。対して彼氏と変わらなかった。お金が無駄だった。
二次元なら、というのはよくわからない。夢女子とか腐女子ではなく、誰かのことを好きなキャラが好きだからか自分のことを、とかは一切思わない。女子校出身だからか周りには多かったけど。恋には落ちたい。
アセクとかはそうなのかな?わからない。勉強不足なのもあるけど、恋愛したい、とは思ってるのでなんとも…理想としては性的なこと一切なしでお付き合いできれば、なんだけど難しいよね。
マチアプのいいねに関してはほんと男女で違うと思う。大量に来るいいねを捌くだけで大変で、女性側からいいねを送る機会は減るんじゃないかなとは思った。知らんけど。
女友達にこれ相談するの恥ずかしくね?周りは基本恋愛してるのでなんとなく相談しにくい。
三大都市圏内ではあるのでギリ田舎ではないと思ってるんだけど東京じゃないから田舎かもな。その辺りの感覚人によるからわかんないけど…
オナニーだがしない。これもしてる自分が気持ち悪くて気分が乗らない。数少ない付き合った彼氏におもちゃを使われたりもしたんだけど特に何も。有名な吸うやつとやらは痛くてキレた。
マチアプ向いてないは仰る通り。なのでやめた。結婚相談所とかでスピード婚!みたいなマンガ見るたびにどんな手を使っているのか聞きたくなる。
強制的な結婚、漫画の恋と嘘みたいな感じかな。その場合めちゃめちゃ相手に申し訳ないな、我ながらハズレくじ寄りだと思うので。
コメント総括すると恋しろっていうのが多いね。そのためにマチアプやってみたり書かなかったけど男子多めなバイトしてみたりしたんだが難しかった。根本的に私の気持ちを変えないとどうにもならないんだと思う。社会人になったら出会いが少なくなると聞いてるんだけどどうなんだろう。恋愛したい理由として、恋愛したことがある経験が欲しいっていうのがある。よく聞く40代で発狂とか、何かしらのロマンス詐欺とかも怖いけど。友達にいわゆる恋愛脳の子が多いのでしなきゃいけないんじゃないか、って気持ちにもなってるのかも。
研究室のグループLINEを作ってるんだが、新M1の中でその後輩(仮にAとする)だけLINEをやってなかった。
(中略)
じゃあメーリングリストにするか?って話も出たけど、「研究室開室しました」とかの細かい連絡をいちいちメールで流すのも…となった。
狭い世界なので適当にやってしまうのは自分も所属しているのでわかりますが、いろいろな人がいるのだから筋は通すべきだと思います。
メーリングリストがメインで、それとLINEをapi連携、大学院生なら30分もあればゼロからでもできるでしょ。
次にモヤッたのが、ゼミ費の扱い。
これはおそらく勘違いで、補助費は「学生会」から出ているのではないでしょうか。
その場合、使途の範囲は、大学でも教員でもなく学生(学生会)が決めているはず。
そして、補助費は「全員に均等に配るべきもの」ではないはず。(それなら最初から徴収する学生会費を減らせ、という話になる。)
「懇親は全体に有益なので、それを促進するために補助をする。ただし、参加者数に応じて一人あたりいくら。」みたいなのが根本的な原則のはずで、それを雑に理解して運用しようとするので、想定外の状況でごたごたする。
もし上述のようなルールなら、A氏の意見(図書カード)は否決して良い。
もし配慮するなら、「懇親会の欠席者には図書カードを支給する」で良い。
言っちゃ難だけど、大学院でDまで来ておいて、考えが雑で筋が通っていない。
そんなことで、複雑な社会やら文化やらにアカデミックにアプローチできてるの?
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
人生の先輩方の生存バイアスに塗れた話を聞き,キャリア形成に活かせといった講義だ.
スライドの中でその先輩は外国人に交じって日本人には似つかないほどの笑顔を見せていた.
それを見ている自分はというと,研究とはまったく関係がない,レポートのための英論を読んでいた.
ポケットに入れたスマホが震える.今日もマイナビでセミナーがあるらしい———
4年でやった研究は楽しかったし,成果も少しはできたが物足りなさを感じていた.
あと2年あれば自分の満足のいく研究ができるだろう,そう思って新たな学びの門を叩いた.
なんでも夏のインターンに参加しなければならないらしい.
選考に影響があったりするので業界研究・企業研究をして数か月後にはESを出さねばならない.
ガクチカがどうとか志望動機がどうとか考えるのは非常に苦労した.
そしてその後には履修登録もあった.
もともと学科の中では異質な研究だったので仕方ない部分もあるが,B1と何も変わらないような一般教養まであった.
これからの修士は自分の専攻だけでなく,他学科の授業や教養も含めたリベラルなんとかが求められるようだ.
そして6月,自分は精神的にとても追い詰められた生活を送っている.
たいして調べていない企業の志望動機を書き,これから行うはずの研究の成果を書き,クマが残った顔で面接を受ける.
研究に関連しない英論を読み,異なる学科の未知の概念と格闘する.
おそらく今週のゼミではあるようなないような進捗を発表し,最近の繊細な学生のために身に着けた,奥歯に物が挟まったような指導教員の説教を聞くことになるのだろう.
娘、新しい仕事を覚える時に悩む。で、母である私に愚痴る。数十年前に私も通った道。あの頃欲しかった言葉でもってめちゃ励ませる。
息子、ゼミの勉強に夢中。夢中になれるものに出会った喜びが溢れ、母である私に熱く語る。新しい世界の話を喜びで溢れた言葉で聞けるの、自分の世界も広がるし、楽しい。
英語が好きな二人、フレディマーキュリーの歌がめちゃ聞き取りやすいらしく、Don't stop me nowの華氏のところでねっ!って言いながらゲラゲラ笑い合ってる。君たち仲良いな。
私だけでは見つけられなかった面白い楽しいものを二人が見せてくれたり、自分が欲しかったもので彼らを満たし、自分も満たせる。いつか離れるけどそれも楽しみ。君たちにはどんな苦難や喜びが待ってるんだろう。
ひとりぼっちだったら手に入らなかった豊かな人生。不器用だから大変だったけど、あなた達に出会えて良かった。良い人生をありがとう。