はてなキーワード: お絵描きとは
絵に貴賤はない。その通りです。
自分で書いてても、言い過ぎだろうって。
褒められるために書くのは、大きなモチベーションの一つだし、むしろそれが普通だろうと思う。
ただ、息子の今書く絵をほめず、オリジナリティがあると思われる幼稚園時の絵だけを手放しでほめ、
その部分を伸ばせとひたすらいうことで、
今でも息子の絵を見て、「こういうことを書いたんだよ」という説明を聞いても、
自分は目の前で書かず、会心作だけを家に持ってきてそれを見せて、
我が家の小4の息子はお絵描きしていないと息が出来ないんじゃないかと思うほど、
ずっと絵を書き続けている。
万人が「この絵いいね!」というほどでもなく、面白い絵を書くなぁ程度のものだと思っている。
絵画教室等に行けば、もっとスキルアップできるのかもしれないけど、
本人が楽しく書き続けるのが一番!人に指導されるのは嫌だというので、
日々、紙とペンを与え続けて、書き散らかしたものを片付けなさい!と怒っている。
毎日、数十枚の紙が散らかって片付かないのも腹が立つけど、まぁ、それは本人の問題。
最近面倒なのが、2年ほど前に越してきた隣人親子。
隣の女の子も同学年でお絵描きが好きらしく、お絵描き仲間として時々遊んでいる。
が、この隣人母がイラストレーターを夢見て破れたタイプの人らしく、
自分の子よりも絵が上手いと認識した息子に対して、変な絡み方をしてくる。
目の前で息子が書き上げた某キャラクターの絵よりも、
卒園アルバムにあった幼稚園の時に書いた数字やひらがなを擬人化した絵をほめちぎり、
「そんな誰でも描く絵よりもこっちを磨けばいいじゃない!」とか言いだす。
あまりに自分の現在の絵をほめてもらえないので、息子は一時期、なんとも言えない絵を書き続けた。
それでしばらく親子での出入りは、それとなく控えてもらっていたけど、
コロナ後はまた時々親子で来るようになった。
そしたら、妙に息子に迎合するようになっていた。
「紙とペンがないと俺生きていけないわ」
「わかる、わかる。おばちゃんもね、そうなのよ!紙とペンがないと無理よね!
みたいな、妙に仲間意識を作ろうとする感じが非常に気持ちが悪い。
目の前で書いているあなたの娘は?と、つっこみたくなる。
「もう、これだけ気があうと、自分の子供みたいな気分になるわ!
みたいに言われて、息子ともども閉口し始めている。
ちなみに息子は、隣のおばちゃんにまったくもって親近感はない。
そして、息子の絵と隣人母の絵の質は違う。
勝手に仲間にすんな。
息子が人に絵を書くときは、見た人の感情を動かしたくて書いている。
人に見せた時に、笑い声や驚きの声が出たら、息子はいい笑顔をする。
「わぁ、上手い」は誉め言葉じゃないのだ。
これを息子が隣人母に言ったら、
「わかるわかるー。上手いって言われるのが当たり前すぎて、誉め言葉じゃないよね!」って、
答えが返ってきた。
だから、違うって。だから、絵のキモを見ないおばちゃんって言われるんだって。
第一声で「上手い」って言われるのは、その絵に「上手」以外の受け取り方を相手が出来なくて、
本人の書いた意図が伝わらなかったということだからなんだって。
彼にとって絵が上手になることは、自分の絵の意味を相手に伝える手段にしか過ぎない。
それ以外の絵を見せない隣人母とは、正直、相容れないタイプなんじゃないかと思ってる。
いや、それはそれですごい技術だと思うんだけど、自分と息子を同一視するにはあまりにも姿勢が違う。
音楽鑑賞中に落書きしてるんで近づいたら、その音楽のイメージをリアルタイムで書き続けてました!
初めての事態に動揺しましたが、授業はちゃんと受けているので、許可というかそっとしておきました!
自分の手帳の片隅やスマホに、自分で描いた絵の一つもないやつが、
人に褒められる場面でしか絵を書かないやつが、勝手にうちの息子を自分の子にとか言うな!
ああ、これ以上絡んでくるようだったら、同じ学区での引っ越しも視野に入れないとかなぁ。
長編小説のエントリをお見かけしたとき、自分の思考整理のために書いていたものを投げます。
私自身が誰になにを言われたわけでもないんだけど
今いる界隈で字数マウントっぽいのちょこちょこ見るようになったので。
いっぱい書いた貴方はえらいし褒めるし優勝!てなるのはわかるんだけど
じゃあいっぱい書いてない貴方はえらくないのかってことは全然ない。
ひとつの話を完成させてること自体を誇っていこうなという動機です。
というのは、自分が二次創作における文章の文字数に一回仮死状態になったからです。
筆を折ったというよりは筆を止めた。
家にスキャナがなかったので文字を書くことにした類の人間でした。
思いついたお話をかければなんでもよかったし「サイト」をやってみたかっただけです。
自分の考えたことが形になるのは楽しい。というのを繰り返して、
感想をもらって同好の方と交流を持つようになって、同人誌という存在に行き当たりました。
小説とは別にデッサンを習っていたのでそちらの言葉を使いますが
私にとって「書く」ことはクロッキーのようなものでした。速写です。
短時間でいかに核心をつけるか、そのものらしい一瞬をつかめるかが要点でした。
ワンシーンの抜粋、動作の美しさを描写して書き留めておきたい。
けれど本を作ろう、それも折本ではないものを作ろうとするとそれでは持たない。
シーンを複数用意して時系列や構成を思考して配置する必要が出てきて、それが正直めちゃくちゃ面倒だった。
でも油彩や日本画をしようとしたらもっと別の画材がいる。段取りもいる。
デッサンとするにしたって、完成度をあげるなら技法と知識がいる。
30秒や、長くても3分で完結するものばかり描いていた人間が、それを自覚せずに2時間以上、
下手すると無限に時間をかけてもいいものに着手するとそれはもう混乱する。
鉛筆一本だし、チラ裏に描いてたものを本格的に描こうとして「アレッ」てなるのは当たり前なんですね。
今思い返すとこういう言語化ができるけど、当時はできなかったので苦しんだ。
物語を読むことはできるし愛してはいたけど、私が傾倒して読んでいたのはほとんどが詩や短歌でした。
「情景を切り取って見せ方を演出する」が共通していても、小説のそれとは方向性が違う。
あと短時間でたくさん読める。
などの短文の魅力が好きでした。今も好き。
絵に関しても、美しく整えられて丁寧に塗られたカラー絵よりも
要点だけを的確に抑えて踊る筆致に傾倒しがちなので単に好みの問題です。
一口に長編といっても、実際は短編連作だったりする場合もあるので。
読んだの10年以上前なのに今でも思い出すお話あるけど、文字数とか覚えてないしね。
物量と、自分や誰かにとって魅力があるかは全く別なので混同しなくていい。
それがわかっていればよかったんだけど
小説というからには長いほうが立派で、分厚くないとならない。と無言の圧を感じて
(実際、紙媒体として本の形が成り立つためには物理的に必須なのですが)
それは私にはできなかったので、書くことから遠ざかりました。
今は自分がいちばん書きやすい文字数と話のスケールがわかってきたのでまた書いてる。
分量があってスケールの大きい物語を書きたくて目指すのは楽しいけれど
だからといって分量がないものを下に見たり、情けなく思う必要はない。
「こうしなくてはならない」を勝手に制定して自分をジャッジする必要はない。
なかったなぁという回想です。本当になかった。本当にないよ。
万字単位がかけるようになっても、140字以内にあるキラーフレーズが好きだし
3000字以下のショートショートに胸を打たれることがあります。
それに分量があるということはその分その世界に浸っていられる。
これは強い。好きな文章をずっと読んでいられるのは最高に楽しいです。
でも、短い文章が弱いわけでは決してない。恥じる必要は微塵もない。
「削ぎ落としてつくる」を考えさせられるのでとても好き。
長かろうが短かろうが、創りたいものが創れるようになるというのが理想だと思います。
私はインターネットお絵描きマンとか、字書きという呼称が好きです。
軽やかなので。
重厚で肉厚なものと一緒に、インスタントで軽やかなものが同じ空間で息をできるのが創作の醍醐味だとも思う。
そういう覚書でした。
(一般の出版物におけるショートショートは800〜4000字、
短編は4000〜32000字、中編は12万字までのようですが
二次創作においてはもっと細かくて感覚的な区分けがある、という認識です)
キャラクターイラストを描くのが趣味だ。そしてお絵描きしてると色ぬりも付いてくることが多いわけだけれど、色ぬりが苦手である。キャラクターのポージングとかについては理想が見えるからそれに近づけていけるけど、色ぬりの理想が見えない。正確には、理想は見えるのだけれど、その理想のレベルが低すぎる。
デジタル塗りが一般化してからキャラクターイラストの色ぬりのレベルが物凄く一気に上がったと思う。
二十年前のキャラクターイラストの塗りは、固有色がそのまま塗られてて、それに対して陰とハイライトが適切に入って、固有色の配色が魅力的なら上手に塗れているというものだった。けれども今は上手に塗るだけじゃ足りない。印象派が独自の色使いで一気に絵画の世界を変えたみたいに、デジタル塗りが一般化してから色使いの幅の振れ方が一気に広くなった。
これは、デジタルで色が塗れるようになったことにその要因がある。技術的な要因がこのブレイクスルーを起こしたのだ。
絵の世界にデジタル技術が持ち込まれた時に何が起こったのかというと、描き方の自由化が起こった。
アナログ時代の絵の描き方は、メソッドがかなり固定されていた。まずラフを描き、下描きを描き、ペンを入れ、色を塗った。その色の塗り方も、まずは広いところから薄い色で塗り始め、少しづつ濃い色で細かいところを塗り進めていくのが基本だった。
この手順は前後したりは出来なかった。なぜならアナログは、『やり直せない』からだ。
でも、デジタル時代の今は違う。まず色ぬりから始めてもいい。ペンは後からでも入れられる。むしろペンを入れない表現もある。自分のイメージが完成するところまで、いくらでも『やり直しができる』のだ。
加えて、そうした技術が人のイメージする力を引き上げているようにも思えるのだ。
さて、自分の絵の話に戻ると、私がもし二十年前に今の色塗りができていたのなら、それで満足できていただろう。キャラクターの色を上手に塗る以上の表現など、めったに見つからなかったのだから。でも今は違う。
単にキャラクターの色を上手に塗るだけではなくて、表現として華やかな色使いをしているイラストがたくさんある。それらと自分の絵を比べると、足りない、と感じる。だから、私もイメージする力を引き上げなければならない。
頑張る。
こう言う長文を書くときは結論とかどう言う話なのかを先に書いておくといいとどこかで学んだので先に記載しておきますが、
これは「何かに認められたいのに自分が自分を認められないせいでどうにもできなくなった絵描きの独り言」です。
途轍もない自己承認欲求と自己肯定感のなさがバグを起こしてオールウェイズ三丁目の躁鬱病持ちとなりました。
最初にこれまで生きてきた話をダラダラ書くのでここは読まなくてもいいです。
自分は人の少ない田舎で育ったので、一度いじめられたら進学エスカレーターから外れない限り
ずっといじめられっ子の枠に収まっているような、そんな社会の中の、どこにでもいる隠キャいじめられっ子でした。
母方に絵を描く人がいて、母もその兄弟も絵を描くのが好きでよく描いていました。血筋なんでしょうか、偶然私も絵を描くのが好きでした。
中途半端に手先が器用で平均くらいはできたものだから、中途半端に絵は描けました。
田舎の、学年に20人も人がいないクラスの中では一番手先が器用でした。
しかし私はいじめられっ子でした。保育園の頃からの筋金入りのプロです。すごいでしょう。
20人も居ない教室では私以外の全員が敵か傍観者であり、もちろん私のことを認めてくれる人なんて居なかったし
私が絵を描けばランドセルを漁られ、狭い校内のどこかに貼り出され馬鹿にされたものでした。
周りのクラスメイトが怖いから、昼休みも一人で教室で絵を描いていました。
当時の私は、自分が描く絵が好きでした。
誰も私を認めてくれるようなことはありませんでした。
今でも自分のこと、「カスなので」とか「ボンクラだから」と口癖のように卑下してしまうんですが、
もう少し違う人生を歩んでいたらこんなことになってしまうことも無かったのでしょうか。
私自身の自己肯定感の無さはおそらく幼少期から10年以上に及ぶいじめの影響も少しあるのかなと思います。
とにかく私は何かに認めて欲しかったんだと思います。それは今もです。
私を認めて欲しい、今ある私が幸せなのだと、過去の自分とは違うのだと認めて、認めさせて欲しい。
絵が上手くなりたくて、
認めて欲しくて二次創作をした。
同人誌も出した。
そうして一次創作をはじめました。
いろんなものにしがみつきながら、何年も絵を描いていて、ようやく気づきました。
ああ、絵、言うほどうまくないじゃん。と。
それでも絵を描くのはやめられませんでした。
絵を描くのが好きだったから。
そんな感情だけで絵を描いていたいのに、どうしても承認欲求が出てきてしまって、
何かに勝たなきゃいけない、あの時いじめてきた人間たちより優れていると、そうであると思いたかった。
そう言う気持ちがどこかにいつもあるから、滲み出してしまって、人を寄り付かせなくさせるのかもしれないですね。
もちろん有難いことに褒めてもらえることも度々ありました。ただ、
認められることのなかった人生を歩んできて、私を褒める言葉をまっすぐに受け取ることができないんですよね。
自分が褒められてると感じることができない。この絵は私が描いたんじゃない。描いた記憶がない。
もうぐちゃぐちゃです。自分を認めてあげたいのに。
折角褒めてくれた人に心からありがとうって伝えたいのに伝えられないのが何よりも申し訳ない。
もうちょっと楽になりたいだけなんです。
楽に生きたい。楽しく絵を描いていたい。
評価なんて気にせずに、楽しく。
実際いい絵を描くために必要なのは「楽しんで描くこと」が一番大きいんじゃないかと、
勉強することも大事ですが、一番はやっぱ楽しくなくちゃいけないんじゃないかなと、
少なくとも私自身に必要なのはそこだと思ってるんです。けど、それが一番私から遠いところにあって
どうしようもないんです。
描くたびに辛い。周りの人のデッサンが多少狂った絵も、味だとか個性だとか、そう言うものがカバーして
いいものに見えるのに、自分の絵だけはなんの面白みもない平凡な、しかもちょっと下手な絵でしかない。
こんなに苦しい思いをするなら絵を描くのをやめちゃえば一番楽なのに、
でもペンを握った瞬間「描かなければ」と言う義務感に変わってしまう。
あ〜〜〜〜あ! いじめられなかった世界があれば、そこからもう一度やり直してみたい。
楽になりたい。
どこかで見かけた話ですが、
「こんな…少しばかり絵が描けたばっかりに…!」
これ、首がもげるほど頷きました。
こんな苦しさといつまでも一緒にいないといけないなら、いっそ
絵なんて描けない方が良かった。
とりあえず書き殴って満足しました。
物心ついた時から絵を描いていて自由帳が何冊あっても足りなかった。だが中学校に入ると複数の小学校出身者が集まるようになって、自分よりも絵が上手な人が周りに急に増えた。
恥ずかしくなって筆を折った。
もう20年以上前。小学生の私は絵が大好きで、いっちょまえに自分専用のデスクトップPC、photoshop5.5、ペンタブ、スキャナ、プリンタを買い与えてもらっていた。パソコンだって一家に一台あるかないかの時代、ど田舎の小学生にはありえない環境スペックが揃っていた。
個人HP全盛期時代にhtmlタグを覚えてホームページを開設し、インターネット上で好きなアニメやゲームのキャラを描き散らかして「オタク」を満喫していた。顔の見えない人たちとイラストを褒めあったり送りあったりした。ほとんどが年上のお姉様方だったと思うが、小学生の自分に嫌な顔せず優しく接してくれる人ばかりだった。私はインターネットの世界に夢中になった。
しかし中学校に入ると上述の通りアッサリ打ちのめされ、更に勉強や部活にも追われて自然とフェードアウトしてしまった。気づいたらオタクもやめていた。
再び筆をとったのは、30歳もとうに越えた今年のゴールデンウィークだった。
昨年末にとあるアニメを人から勧められ、雷に打たれたような衝撃を受けたのがきっかけだった。生きる意味を突きつけてくる理屈っぽくて真面目なアニメだった。作画も綺麗で、魅力的なキャラクタも多かった。
だが何を描いたらいいのか一切思い浮かばないから、アニメのスクショをとってひたすら模写をした。
そこからは怒涛の勢いだった。模写を仕上げていくたびに描きたいものが浮かぶようになった。今では描くのが追いつかず、利き手があと1000本は欲しい。twitterアカウントを開設して地道に投稿を続けたら、嬉しいことに評価してくださる人も現れた。楽しさの倍ぐらいうまく描けない辛さもあって、会社が休みの日に、仕事より辛い思いをして描いたこともたくさんある。それでも熱に浮かされたように描き続けている。
コロナ禍による自宅待機やテレワークも、私を大きく動かした。いい歳してアニメイラストに狂ってしまった私だが、もう絵を描かない人生を想像することはできない。痛くて上等だ。ここまでの何もかもが、たった3ヶ月弱の出来事である。
17年で信じられないほど時代は変わっていた。竜宮城から帰ってきた人のような気分だった。photoshopではなくクリスタというお絵描きソフトがメジャになっていた。液タブやiPadすら通り越して、スマホに指で絵を描いている学生さんには度肝を抜かれた。
先日はフォロワーさんと絵を描きながら初めておしゃべりをした。いわゆる「作業通話アプリ」の存在も初耳だった。話して、聞いて、自分より若い人にたくさん教わって背中を押してもらった。今は制限された色だけで絵を描くことに挑戦している(俗に言うカラパレ)。
オタクだった小学校の頃も、今も、教わるばかりな自分に苦笑しながら、今日も私は推しを描き続ける。
——
2020.07.28 思った以上の反応に驚いています。ありがとうございます。リアルの友人に見せることにしたので、一部加筆・修正をしました。
最近長文のお気持ち表明がたくさん出ている。私も野次馬精神で何個か見たしそのほとんどがお気持ち表明というだけあってネガティブなことばかりだ。
だから、人生が救われた幸せな話だってあってもいいじゃないか。
別に面白い話でもない。ただ、推しがいたから明日も生きようと思えた根暗陰キャの話である。
成人済み腐女子。オタク歴十数年。ジャンルはひとところに留まりやすい。稀に同人誌を出すが基本支部中心の文字書き。
小中といじめられっ子。高校はどうにか卒業できる程度しか通っていない不登校。大学は地元の私大、就職は地元の中小企業。
平々凡々なネガティブ女。
私がオタクになったのは中学の頃である。当時の覇権ジャンルにハマってブログを開設して文字書きをしていた。バナーを自作し、ブログの検索避け方法を調べ、検索サーチに登録して頑張った。数年経てば拍手やコメントが届くようになった。なんとなく世界に認められた気がした。
不登校の間、新刊の情報とブログだけが私を支えていた。目の前にあるカッターを手首に近づけようとして来月出る新刊で推しが活躍することを思い出してカッターをしまう。おかげで私の腕は傷一つない。
また何年か経って、支部やTwitterがある程度成熟し、スマホの普及率が上がっていた。気軽に誰かと繋がれるようになった。私も活動場所を支部に移した。ブログは消去するには思い出が多いのでそのまま残しているが今は別名義である。
推しは歴史をある程度知っているとキャラ知識が深まる擬人化系のジャンルである。まずキャラのWikiを読み込んだ。原作もがっつり履修した。次に歴史をWikiから学んだ。参考文献のところに記載されている本を読んでみた。幸い学生だったので大学図書館が出入り自由だった。他大学の図書館にも通った。参考文献の参考文献という風に何冊も辿った。違う観点から見ることも重要だと覚えたので毛色の違うものも探した。諸説ありの諸説をまとめた。信用できる著者、そうでない著者を覚えた。学部も担当も違う教授を訪ねた。博物館や美術館に足を運んでみた。
ついでにチビでデブスでメガネでダサい私は推しに会う(概念)ときにこんな格好でいいのか?とインスタでインフルエンサーをフォローしまくって流行を覚えた。YouTubeでメイク動画を見まくって自分の顔をパレットにお絵描きも頑張った。最先端の格好はできずともどこにでもいそうな人間を目指して減量もした。
そうしてほんの少しだけ自信が持てる自分になり、自分の小説や妄言を聞いてくれるフォロワーができた。史実沼の方がオススメ書籍を教えてくれた。妄想が広がってできあがった小説を読んでくれた。同人誌を作ったら買ってくれた。一緒に推しに会いに行く友達ができた。
そして、推しに対しての知的好奇心はまだまだ収まらないので希死念慮も気がつけば消えていた。
最初の推しはリスカする手を止めてくれて、今の推しは私に生きることを選択させてくれている。
推し方がちょっと特殊だと言われやすいタイプではあるが、そこは人それぞれ好きなものを好きなように推していれば幸せになれる。
私は私なりの幸せを手に入れたので他の方もお気持ち表明する前に一旦離れて自分の好きだけ追い求めたら幸せなんじゃないかななどと考えたりもするがそこまでいうのはお門違いも甚だしいのでお口ミッフィーちゃんしておきます。
大学卒業後7年間引きこもっていたのだが、心機一転働き始めて約1年になる。その経緯を記しておこうと思う。
というのも、幼少の頃、一つ上の兄とは別に母方の実家で年下の従兄弟と一緒に祖父母に育てられたり、
父親に無意味に脅かされたり(曲がり角や暗がりから「ワッ!」と言って脅かしてきた)、小さな失敗を蒸し返して執拗にからかわれたことなどが影響したためだと思う。
自分から心を開くことはなく、相手が心を開いているかどうか疑いながら仮面を被って人と接してきた。
初めての一人暮らし、滑り止めで受かった大学では周りに馴染めず(若者が怖い)、居場所は2ちゃんねるだけだった。大学は憂鬱と不安と恐怖と怠惰にまみれた日々だったと言える。
高校の頃から長らく体調不良気味(慢性的な下痢・眼精疲労)だったのも関係しているかもしれない。
勉強のやる気を失い、優等生だった高校までと打って変わり落ちこぼれた。アルバイトもサークルも続かず、夜ふかしによる寝坊で授業をサボった。
人生が何かしっくりこない感じがあり、1年休学して第一志望を目指し予備校に通わせてもらったがすぐ行かなくなった。その後勇気を出して復学した。
実家から通うようになってしばらく続いたが、4年生の研究室で馴染めず、一時期登校拒否になった。
なんとか卒業の目処が立ったものの就活するのが怖かったため、作曲家を目指すと言って逃げ、就活せずそのまま無職引きこもりになった。
どうせ就職しても、責任が伴うのが怖いし、周りから浮いて仕事に適応できずにうつになったり自殺したりしてしまうだろう、だったら働かない方がましだ、とも考えた。
これからのビジョンがまるで浮かばなかった。ただ休みたかった。
世の中の人達と自分が全然違うという意識があった(それは今も変わらない)。また、世の中嫌な奴ばっかりだとも思っていた。大学に入ってから、気が緩んで性格が悪くなったのが原因かもしれない。
作曲について人一倍プライドがあったが(雑誌に投稿して賞をもらったこともある)、独学だし楽器も得意ではないのでとんでもなく無謀だった。
人生に失敗した分を取り返そうという、ギャンブル依存症的な感情に囚われていたのだ。
高校時代の友達がいたが、煩わしくて連絡を無視して縁を切ってしまった。
昼夜逆転はそれほどしなかった。2時半に寝て10時に起きるという感じ。昼寝もしていた。
一歩も外に出なかったわけではない。たまに自転車で人気の少ない場所に出かけた。
また、母親と一緒に図書館に月1で自分が車を運転して通い、小説を借りて読んだ。
両親になぜ就職しないのかと問い詰められることがあったが、無視するか、人と関わりたくないからと答えた。
それでも、引きこもりの繰り返しの日々で、体調不良の原因がわかってきて改善していった。
また、お絵描き(落書きレベル)、日記、将棋、ラジオ体操、読書を始め、次第に心が癒やされていった。
色々なYoutuberの動画を見たり、将棋の藤井君や羽生さんの活躍を見て感動するときもあった。世の中に希望を見出してきた。
心身ともに回復するにつれ、「そろそろ働けるかも」と思った。だが、あと一歩の勇気が出なかった。
そうして引きこもり7年目、30歳目前になって焦りを感じた。もはやモラトリアムなどと言っていられる年齢ではない。
母親がもうすぐ退職することになり、すでに退職している父親だけでなく母親とも日中顔を付き合わせることになるのが嫌だった。
その頃、8年使っていたパソコンが壊れて起動しなくなってしまった(幸い後に復活したのだが)。
パソコンには、過去作ってきた絵や曲が合計一千点以上入っている。作曲についての考察やソフトの使い方のメモも書き残してある。
それらが失われるというのは、引きこもりの間、自分は死んでいたと言うのと同然だった。
死を意識してみると、絵も曲も自分の人生においてどうでも良いものだったと悟った。ショックでベッドに横になった。如何に時間を空費していたか痛感した。
あれだけ取り組んできたのに、人生において意義のあることではなかったのだ。
大学生で塾講師をやっていたとき、わからないところを教えたら「ありがとうございます!」と笑顔で答えてくれた中学生の女の子、
高校の文化祭で(歌うのが好きなので)バンドのボーカルをやらせてもらったとき、終わったあと「良かったよ。」と声をかけてくれた先生、
高校の部活で、居残り練習をしていたのをお世辞で褒めたら、本気で受け取ったのか嬉しそうに微笑んだ後輩の子、
その3人だけ。他愛もないことだ。人生を無駄にした後悔の念と、人に少しでも喜びを与えることができた嬉しさに涙が止まらなかった。
「誰かのためにならずして死ねない、死ぬ前に感謝されたい」という答えに行き着き、それが根本的に自分の求める生きがいであることに気づいた。
それからなけなしの貯金を叩いて新しいパソコンを買った。しかし運の悪いことにそれも初期不良で壊れてしまった。
さらに国民年金の支払いを全額免除するかどうかの通知(よく覚えていない)も届いた。当然年金は一銭も払ってなかったためだ。
パソコン関連のゴタゴタに加え、冬の時期で冬季うつ病っぽくなっていたため、神経が参っていた。
母親にパソコンや年金の件を相談していたら「働いたら?」と言われ、そこで素直に頷いたのだ。
まるで、立てこもり犯が説得に折れて投降したかのようだった。それが脱引きこもりのきっかけだった。
就活は半ばやけくそだった。引きこもりで自信がなかったので正社員なんぞ端から目指さなかった。
ネットの求人サイトで事務職の応募に電話したのがきっかけで、紆余曲折あって地元の工場の検査業(肉体労働)の派遣社員をすることになった。
親に反対されたが言うことを聞かなかった。流れに乗ろう、直感を信じようと腹をくくった。
どうせ自分は働くのに向いてないので、続くところまで続けようというスタンスで挑んだ。
明日はどうなるかわからない、と覚悟した。おんぶに抱っこで、ずるい人間であろう、とも考えた。
始めは何も仕事がわからず、赤ん坊同然の気分だった。初日は久々に初対面の人と会話したり見知らぬところを歩き回ったので、
夕方帰宅したとき、まるで3日ぶりに家に帰ってきたかのように感じた。
出社拒否にならずに一日一日出勤できたことを自分で褒めた。3ヶ月くらいかかって次第に仕事に慣れていき、やりがいを感じるようになった。
職場の人達は親切な人が多くて意外だった。ここは本当に現実世界なのか?と思ったりした。女性の多い職場(お母さん達ばかりだが)なのもツイていたかもしれない。
職場の人に前職について聞かれたが、塾講師をしていたと嘘をついた。
家から近い工場なので近所にも勤めている人がいる。元引きこもりなんて言ったら噂が広まってメンツが潰れる、と親に止められたからだ。
正直に答えたかったが、職場の人に心配されると逆に面倒だったかもしれないので結果的に良かった。
週5のフルタイム勤務だが、残業したり土曜日出勤もある。仕事がきつくてストレスが溜まって週末泣くこともあった。
・好きなものを好きなだけ買って食べることができるようになった。その他欲しいものが買えるようになった。
・気後れすることなく病院で保険証を見せることができるようになった。
・人の視線が気にならなくなった。
・高校の頃から、死にたいと思っていたが、徐々にそう思わなくなってきた。
・肉体労働で汗をかいて、体調が良くなった。大食いになって、筋トレもするようになり、7kg体重が増えた。元々ガリガリだったので丁度いい。仕事ぶりを褒められるようになり自信がついた。
・ネットに毒されていたが、毒が抜けた。ネットと距離を置けるようになった。
・不安と恐怖で胸がいっぱいということがほぼなくなった。
・心に余裕が出来たためか恋愛したくなった。
・せっかく大学卒業したのに非正規の肉体労働の身なので自分自身を認めることができず、気持ちが楽になることがない。
・人生がつまらない。引きこもっているときとほとんど同じことしかしてない。
・スーパーや雑貨店、本屋以外の店に怖くて入れない。外食も怖くてできない。
・涙ながらの決意もどこへやら、感謝されるようなことを何もしていない。
・低収入で親と同居しているため、彼女を作る自信が出ない。まともな職についていれば良かった。
・もっと早く働き始めれば良かった。
・大学生の頃までは、同級生と自分というのをよく比べて劣等感を感じていたが、今は、自分は自分だと思うようになった。そんな心持ちで大学生の頃に就活をすれば良かったかなと思う。
たくさんのコメントありがとうございます!すべて読ませてもらいました。
自分が見ているオタクコンテンツをきっかけにくっついている人、ほぼ全員が絵を描いてるか音楽を作ってるんですよね(n=7程度)。やはり視覚聴覚に訴えるとかクリエイターがモテるんだなあ、と。モテたくてギター始めるようなのと同じなんかな。
はやくワイもそれになりたい。
3年か4年前「コミケに参加すると、作り手側の方がイケてるオタク率が高く、買う側のオタクはイケてない率が高いような印象がある」などとつぶやいたらめっちゃ炎上した— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー)🌓 (@terrakei07) November 21, 2019
どうすればプライベートやり取りが発生するんだろうね?全く分からん。自分からDM送るのか、相手から来たのかわからんけども。あと絵描きだけのDiscordやお絵描きチャットでちょくちょくお絵描きしてるぽい。喫煙所での交流みたいにお絵描きで交流が発生しているわけだ。コミュニケーションツールの側面もあるわけだなあ。
人間関係を深めようと一歩踏み込んでも何も起きない人生なので、自分にはよくわからない。どうなったらそうなるのか、意味不明。
彼は私に無言で一枚の絵を手渡しました。
渦中の絵
→ https://d.kuku.lu/8276af3257
苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
(絵をテーブルに広げつつ、、)
渦中の絵
→ https://d.kuku.lu/8276af3257
私「あのさあ、今日幼稚園で描いたこの絵について教えてくれないかなあ」
娘「あ、その絵お気に入りなんだ!パパはその絵好き?」
私「うん、好きだよ! これどうしたんだい?」
私「へえー! そうなんだ! で、何を描いたの?」
驚いた妻は両眉を釣り上げ、
私は眉間にシワをよせながらも必死に平静を装い、
注意深く絵を鑑賞しているふりをします。
私「そりゃ楽しそうだね。で、ここに描いた大好きなものって、何だい?」
娘「もうパパったら! わかってるくせに! テーブルに置いてるマフィンに決まってんじゃん!」
(妻、爆笑)
私「もちろんわかってるさ!すっごく上手に描いたよなあ!」
(ふぅ~)
便利(?)だよね、DMCAテイクダウン、特にインターネットお絵描きマンとかDTMユーザー辺りには
ナニソレ?って思った人に説明すると、なんかこう、自分の作品無断転載されたーとか、その上で自作宣言とかされたーとか、そういうの見つけたら、アメリカの偉いとこにそんなことされましたーってチクるやつね
そしたらさ、アメリカの偉いとこがなんかこう、そんなことしちゃ駄目ですよー悪い子にはお仕置きでーすって感じで、そいつの垢を凍結したりそのページを検索に引っかからなくしたりとかしてくれるやつなわけ
でさ、これ見ての通り、無断転載とか剽窃とかから守ってくれるヤツなんだけどさ、いつの時代も悪い意味で頭回る人いるのよ
まあ要するにこれ、お互いに何者かわかるのね、DMCAする側は自分が何者か示す為に教えて、された側はコイツがやりましたって感じでDMCAした人に自分の情報が開示される
でさ、誤DMCAもあるからそういう時は「いや私はなんもしてないですよ」って感じでやはり何者か名乗って、相手にそれが行くわけ
そう、それに目をつけたんだよね、悪いのは
自分はテキトーな名前名乗って、ターゲットにした奴の上げた写真とかそういうのを「無断転載されました!」って言う
相手は当然何も悪いことしてないのに垢凍結されたりするから、違いますよ私のです!って名乗る
そしてその情報が悪いやつに行く、悪いやつはネットリンチやストーキングのタネになる情報をゲッチュ
哀れ悪い事してない人は、個人情報をネットのフリー素材にされちゃいました、ちゃんちゃん ってオチ
嘘の個人情報名乗ってデタラメでアメリカかどっかの偉いとこ動かすのもふっつーに犯罪なんだけどさ、悪い奴って「だからどうした俺はこいつに嫌がらせできたらいい」って思考だから、意味ないのよね
pixivでは主にエロ絵を中心に、youtubeでは作画アドバイス講座作って収益化してる。
ここまで来るのに1年掛かったが、頑張った甲斐はあったと言えるんじゃないだろうか。
実家に寄生してる身分なので肩身は狭かったが、この不労所得で月数回は親を美味しい外食に連れてったりしてる。
高校も大学も皮膚疾患で中退して、それを治療した後死に物狂いで就活して何とか中途採用された事務仕事すら鬱で半年で退職して完全な社会不適合者に堕ち、どうにもならんと思っていたが、やれば何とかなるもんだ。
親には迷惑を掛けたが、これから徐々に収益を増やしてもっと上手いメシに連れてってやりたい。
オッスオラ増田!
何か知らん間にすげえ伸びててオラ驚いちまったぞ!
「30にもなって正社員ですらなく月10万とかww雑魚乙wwwwww」みたいに煽られてるのかと思ったら、
ブコメがあったかいコメントめっちゃ多くて思わずウルっときちまった…みんなありがとうな…ありがとうな…
せっかくなんで多く寄せられてたブコメ内容について回答していきたい。
>それ不労所得じゃなくない?働いてない?在宅フリーランスなのでは?
確かにイラスト制作や動画制作など、やってることはめちゃめちゃ手間暇掛かるし工数も多い、労力の掛かるまさに労働かもしれないが、
コンテンツを作成し、それをアップして置いておくだけで放っておいてもそのコンテンツが毎月自動的に金を生み出し続けてくれるっていう意味において不労所得だなこれは~って思ってた。
まあ安定した収益を維持し続けていくためには絵にしろ動画にしろ継続的に作品制作してかないといけないんで、何にせよ労力は掛かるけどw一番ヤバい時で一日17時間近く作画と動画編集に充てる生活を続けてたしな。
あとブコメにあった、「この方の考える労働というのは会社に所属して苦労して稼ぐということ。好きなことをしているのは「不労」なのでその意味では不労所得。」っていうのは、それ!それだよ!って膝を打った。
やっぱり、やってて楽しいことで稼げるのは精神衛生上良いぞ!自分には会社員経験が半年しかないが、それでもあの地獄の半年と比べると今はすごく楽しんで生きれてると思う。
おう、やったるで!
確定申告書類作成には、一時期ウメハラモデルも話題となったコイツを使うつもりだ。
月収10万に達したのは本当にここ最近で、それまでの稼ぎから考えれば今年の年収は100万行ってないがそれでも確定申告をしようと。
要するに還付金狙いだよね。
>同人誌作れ
やってるぜ!
今はコミケにしか出してないけど、いつか採算性度外視でコミティアに殴り込みたいと思ってる。
絵描きならやっぱ最終目標は完全オリジナルでウケるモノ描くことだよな~。
あと、DL同人という分野でめっちゃ参考にした書籍があるからこれも貼っときたい(布教したい)
>家に金入れろ
少ないが月1万入れてるぞ!
こればっかりは少なくて親にも申し訳ないが、制作用のPCを新調したいと思って金を貯めてるんだ。
もっと収益が上がればもちろんもっと多くの金額を家に入れたいと思ってる。
こんな感じだろうか。みんなありがとな!
メシ食ったらまたお絵描きの続きしてくるぜ!