はてなキーワード: 騒音とは
電波状況が悪くなったり、電車の騒音に遮られたりすると、声のボリュームが大きくなってくる。それだけならまだしも、単に会話が盛り上がってきただけで、自分がどこにいるのかも忘れて、無意識に声がでかくなってくる。
降りる人に気づかずに通路やドア前を塞いでいることに気付かなくなったりもする。
これ、電話が悪いんじゃなくてうるさいことや人のじゃまになることが悪いわけで、個別にこれらのことをやらないように啓発すりゃ良い話でしょ。小学校でハサミを使ったいじめがあったからハサミの持ち込みを禁止にする。みたいな話だ。やるべきことはいじめやハサミを使った暴力を止めることであるはず。
大体、通話を解禁しても大概の人はそれなりに周りに気を使うだろうと個人的には思う。マナーの悪い人を想定し、しかも個別の悪いことを指摘するのではなく「すべての人が携帯電話を使うことを禁止すること」で対応。なんというか、ダメなマナーの見本だ。
マナーってゼロイチじゃなくて、「周りが不快に思う」と「個人個人が快適である」の社会の中でバランスしながら形成されていくもの。「車内で携帯を使いたい(他人の通話も我慢するから)」「車内で他人の通話を聞きたくない」という今回の話は、携帯の普及率が低い頃には後者派が多かったろうが、これからはどんどん前者の声が大きくなるだろう。
http://kotoripiyopiyo.tumblr.com/post/69280042242 (えいっ:電車の中で電話してもいいじゃん - 小鳥メモメモ)
僕としては「え? いまさらそんなこと言ってんの?」という話でしかない。
携帯電話が急速に普及したのは今からざっと12、3年前。当時僕は高校生だった。
で、その頃も「電車内での通話は是か非か」という論争があった。
高校生の僕も自分なりに考えてみて、出した結論は「やっぱりダメでしょ」だった。
つまり、十数年前の並の高校生でもちょっと考えて分かったことを、今の大人たちが蒸し返してあーだこーだ言っている。
挙句の果てには、海外では云々、とか言っている人もいる。日本の話をしてんだろ。
なんで「電車内での通話」がダメなのか、高校生の頭で考えたことを整理しつつ説明しよう。
たとえば友人と二人で電車に乗って会話していたとする。自分も、友人も、同じ「車内という空間」にいる。「同じ空間」を「共有」している。
だから、ちょっと声のトーンが大きいと思ったらお互い小声にすることもできるし、場合によっては中断するという判断もできる。
降りる人が通る際にも、「お前邪魔になってんぞ」とお互い声を掛け合ってよけることができる。(できていない奴も普通にいるけど、話を進める)
一方で、携帯電話での通話。
通話相手は、その空間にいない人間だ。なので、相手とは「車内の空間」を「共有」していない。
電波状況が悪くなったり、電車の騒音に遮られたりすると、声のボリュームが大きくなってくる。それだけならまだしも、単に会話が盛り上がってきただけで、自分がどこにいるのかも忘れて、無意識に声がでかくなってくる。
降りる人に気づかずに通路やドア前を塞いでいることに気付かなくなったりもする。
つまり、通話した瞬間、その空間の外につながった瞬間に、その人は「車内という空間」を共有しなくなる。
逆に、周りの人間=「同じ空間を共有する赤の他人」から見れば、車内で通話している人は、車内という空間に「別の空間」を持ち込んできた人間、ということになる。
では、「外の空間につながる」のはなにも通話だけではない、スマホやタブレット、ゲーム機、新聞や本だって「外の空間につながる」ことではないか、と思うかもしれない。
あるいは、友人と2人で、あるいは大人数で話が盛り上がって周りが見えていない、「同じ空間を共有できていない」人間だっていくらでもいるではないか、と思うだろう。
その通りだ。それらもすべて同じ空間にいる人間に対して注意力が散漫になる可能性をはらんでいる。
しかし本やスマホだったらいったん目を離すのはわりと簡単だ。大人数の会話だったら誰か一人が気を利かせて声をかければいい。(ゲームは中断しづらいので、座っている時以外はしないほうがいい)
一方で通話の場合、いちいち周りに気をつかって会話を中断するのも難しい。なぜなら通話相手は「同じ空間を共有していない」から。
そもそも、その都度通話を中断するくらいなら、電車から降りてから改めてかけ直したほうが手っ取り早いだろう。
結論。
何よりも優先するべきは「同じ空間」を「共有」している人たち、周りの乗客であるはずだ。
通話にかぎらず、スマホやタブレット、ゲーム機、新聞や本、友人同士との会話、それらも、「同じ空間を赤の他人と共有すること」をまず優先しなければならない。
その中でも、とくに通話に関しては、それを行うのがより難しいので極力控えたほうがいい。
だから電車内に限ったことではない。たとえば、人混みを歩きながら通話するのも、人混みという空間を赤の他人と共有することを優先できなくなるので、やめておいたほうがいい。
というのが、十数年前の並の高校生が考えて出した結論だ。
以下余談。
・・・それにしても、「自分の中では当たり前のこと」をこうして文章にするとびっくりする分量になった。
コンスタントに更新するブロガーさんのご苦労が少し分かった気がする。
今回はkotoripiyopiyoさんに反対する意見を書いたけど、好きなブロガーさんなのでちょっと書くのをためらった。
でも、長年の僕の行動規範にかかわることなので、これだけは異を唱えたいと思ったのだ。
たしかに、もっと社会が寛容になればいいと思う。でも、寛容な社会とマナーとは決してぶつからないとも思う。
http://y-ta.net/fukuoka-freelance/
読んだ.
細かい部分で補足を.主に住む場合の.ちなみに大阪-福岡(博多周辺)で,住んで1年半なので話半分でどうぞ.
あと割とどうでもいい気もするが,小倉(北九州)と博多は大阪-京都くらいは離れてるので,同一視すると色々アレなんじゃないかとブコメ見ながら思った.
具体的な駅名を挙げると箱崎,吉塚あたり.海から空港へのアプローチの経路にあたるので.少なくとも窓開けっ放しとかは無理.
ただ,これには利点もあって,新しめの建物だと騒音対策が施されてるので,隣人等の生活音もついでにシャットアウトされる.
そのまんま.家賃の安さに惹かれて契約したらプロパンガスで実質的な家賃が上がる場合がある.
地域にもよると思うが,博多周辺だと燃えるゴミ,燃えないゴミ(カン含む),ペットボトル・ビンの3種類で,有料のゴミ袋なんで注意.後ろ2つは月1.
有料ゴミ袋なせいで袋が一杯になるまで捨てたくない.よって,あんまり出ない燃えないゴミの扱いが割と面倒.
で,これとは別に「雑紙」なるカテゴリがあり,段ボールはこっちに入る.問題は「決まった曜日に決まった場所」に出さなくちゃならんという点にある.
まず出す場所を探すのが面倒.下に博多区の場合のURLを示すが,住所だけ書かれてもどこなのか分からん.地図も見にくい.
http://www.city.fukuoka.lg.jp/kankyo/jigyokeigomi/life/shisetsu-hakata/kyoten-hakata.html
近くにあるならいいが,無ければかさばる段ボールを抱えて延々移動せにゃならん.
最寄りが2週に1回なので,一回出し忘れると段ボールで部屋が占有される始末である.
海沿いなせいもあって,大雨が降ったら30分以上遅延するのはざらで,大体週に1回は特に理由無く遅延している印象.通勤だけでそれなので,実際にはもっとではないかと
博多周辺と天神周辺を経由するバスは大体遅れる.あの辺が常に混んでるせいなんだけども.
http://www.nishitetsu.co.jp/bus/service/rosenmap/pdf/all_fukuoka.pdf
見ての通り,網の目のように走っているのは分かるがどこをどう走ってるのかさっぱり分からん.
これはまあひとそれぞれ.
なんかのパーツが急遽必要になった時に,選択肢が博多駅前のヨドバシか,その周辺にある小店舗のパソコン工房その他しか無いってのはちょっと.基本高いし.
別にとんこつが嫌いなわけではないが,醤油なり味噌なりが食いたくなることもある.
というか王将で出てきたラーメンがとんこつだった時にはさすがに頭おかしいんじゃねえかと思った.
食い物が安くてうまい.
青魚,白身,きす,いか,野菜3種の天ぷらに,ご飯と味噌汁が付いて,さらに総菜4種(いかの塩辛等)食べ放題で670円て頭おかしいんじゃねえかと思います.いい意味で.
お返事ありがとうございます。プロテスタントの人です。
日本人は無宗教とか言いつつ気がついたらお寺に所属していたりするので
ご心配するほどのことはないと思います。信仰心の問題としては。
ただ、キリスト教は「信仰心を持たない」というフレーズが「罵倒言葉」なので
そこら辺気をつけていただきたいと思ったりしています。
そうそう、まず、神社・お寺の「保存会」に入ってみてください。あの空気は説明するより見た方が早いです。
まるで地域のPTA役員みたいに、「私はやりたくない」とか、ほかの人にやらせようというムードでいっぱいです。
そして、周辺地域の人は、「保存会」の行う「お囃子」さえ「うるさい」「騒音だ」という感じです。
太鼓なんかもうやれません。
ネットにはたくさんいる右翼な方々や外来宗教が嫌いな人(仏教以外 笑)は仕事にかまけてそういうことをやらないのではないかと勘ぐってしまいます。
外来文化を飲み込んだカトリックとイベント好きな一部のプロテスタント由来ですが
教会に関わらないでやってる人が多いのでもう別に勝手にしてください的な感じで見ています。
目に余るのは「教会に関わってないから」という理由で無視しています。
旦那さんが本来所属していたお寺さんの住職と何故かトラブって、教会に来て
そういうこともあるから選択肢を知らないよりはいいんだろうとも思います。
他の宗教でお祝いをしようという流れはノンクリ(非キリスト教徒)の結婚式辺りからもう始まっているので
結婚式だと「あーそうですかーじゃあ勉強会3ヶ月くらい来てくださいねー」で「 妥 協 」しています。
本来は洗礼受けたりか求道者期間を持ったりしてからやっていただきたいというのが本音ですけど。
外食するとき僕が最も恐れている事、それはそのお店が混んでて入れないとか初めて行ったお店が残飯レベルに不味いものを出してきてしまったとかではなく、自分の真横にクチャラーが座らないかどうかだ。
店の味なら食べログでも見ればいい。混み具合も食べログなり口コミなどで知れるだろう。ただ、自分の行ったタイミングで隣にどんな奴が座るかどうかは天下の食べログだろうとさすがに分かり得ない。
完全に運まかせだ。
食べる事が嫌いというやつはそう多くないだろう。僕だってそうだ。食べることは好きだ。その至福の時間をどこの馬の骨かも分からないようなマナーのなってない輩に台無しにされるわけである。本当に最悪だ。ぜひともノーベルぶっ殺したいで賞を授与してやりたい。
今日も新宿ナンバーワン人気のラーメン屋に数十分並んでやっとの事で美味そうなつけ麺とご対面したところで、隣のハゲ散らかした中年のおっさんにその至福の時間を邪魔された。なんで金払ってこんだけ長い時間待ったのに、一刻も早く店を出たいなんて気分になってしまうんだろうか。意味がわからない。これだからハゲはダメなんだ。クソが。何でそんなに咀嚼の回数多いんだよ。そんで何でそんなに食うの遅いんだよ。なんで一噛み一噛み几帳面に音を立てるんだ。死ね。ハゲ。
イライラしながら脅威のスピードで麺をかっこみ、味の評価もままならぬまま足早に店を出る。さあ、今日のノーベルぶっ殺したいで賞授与式会場は将門の首塚あたりにしようかしら?と思いながらターゲットのハゲの顔を思い出す。うーん、殺してくださいとでも言わんばかりの憎たらしいあの顔立ち。というかなんでクチャラーってハゲ率というか中年のおっさん率があんなに高いんだろう。これまでに出会ったクチャラーどもの顔を思い出す。どいつもこいつも中年ハゲばかりだ。死ね。ハゲ。
ハゲ共の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、さっき勢い良くかっこんだつけ麺を戻しそうになりながらも、その走馬灯の中にいつも見ている顔があるのにふと気づく。そうだ、そういえばこないだの会社の飲み会の時、先輩もクチャラーだったことが判明したんだった。
先輩はいつも厳しいことを言いながらも僕のことを助けてくれる。会社の中で一番たよりにしている人。ハゲてもいない。
今日の僕なら、人がくちゃくちゃ音を立て始めるのを聞いた途端に眉間にしわを寄せ相手を睨みながら小野田坂道顔負けのハイケイデンス貧乏揺すりをし始めるのに、その時はそんなことは一切なかった。あ、先輩クチャラーなんすね、と、それだけで終わっていたのを思い出した。
何故だろう?咄嗟に拒否反応を示すべきクチャラーが目の前にいたのにかかわらず、僕はいつもの反応を示さなかったのは。
考えてみたけど、僕が先輩に心を開いている。その1点しか理由が見つからなかった。
初対面のやつに馴れ馴れしく肩組まれて話しかけられたりしたら、誰だってムッとしたり物理的に距離をおくなどのそれなりの警戒反応をするだろう。
それと同じで見知らぬハゲが隣で不快な音を出しはじめたら僕は不快感を表す。けど、それが見知らぬハゲでなく見知った頼れる人間であれば許容が出来る。
親しき中にも礼儀あり、確かにどれだけ僕が彼に心を開いていて、また彼も僕に対してプラスの感情を持っていたとしても超えてはいけない一線だってある。
しかし、僕の中で「咀嚼時に音を立てる」行為はその一線を超えていなかったようだ。
僕の中ではどうやら音を立てるというのは僕自身の精神的なテリトリーに踏み込むという行為に等しいらしいということが色々考えているうちに分かった。
満員電車の中で隣にいる奴がイヤホンから音漏れしてるとイヤホンをぶっこぬいて耳を引きちぎってやりたくなる衝動に駆られるが、会社で隣の席に座ってる同僚がイヤホンから音を漏らしていても特に気に留めない。
昔住んでいたアパートは壁が薄く、日中に隣からぼそぼそと声にならない声が聞こえてくると、無性に腹が立ってAVやお経を大音量でかけて謎の仕返しをしたりなんかしていたが、今思い出せば実家もそんな感じで声にならない声は聞こえていたはずなのに、気にならなかった。
自分と相手との精神的な距離感によって、僕の騒音許容量は増減する。音の大小だけでなくその性質も加味されるのであろう。
ここに署名する我々は,グラフィックデザイナー,写真家,そして学生である。我々は広告技術・機構こそがもっとも有利で,効率的・魅力的な我々の手腕の活かし方だとされる世界に育った。キャットフード,胃薬,合成洗剤,毛生え薬,縞模様のついた歯磨き粉,髭剃り後ローション,髭剃り前ローション,痩せる食品,太る食品,におい消し,ソーダ水,タバコ,伸縮下着,ゴム入りズボン,スリッポン。こんなようなものを売るために技能と想像力を売り飛ばす人々を賞賛し,広告こそが正しいと主張する出版物に我々は責め立てられてきた。このような,この国の将来にほとんどないしはまったく貢献しないどうでもいい目的のために,広告産業に従事する人々の途方もない時間と労力が無駄になっている。
市民社会の拡大とともに我々はある飽和点に達しており,もはや押し寄せる消費者向けの販売攻勢は騒音以上のなにものでもない。我々は我々の技能と経験を活かすより価値のある仕事があると考える。例えば道路標識,看板,書籍,定期刊行物,カタログ,取扱説明書,工業写真,教育補助のためのツール,映画,テレビ番組,科学・工業出版物,我々の産業・教育・文化,そして世界の人々の意識に貢献するすべてのメディアがそうだ。
我々は消費者向けの激しい広告を廃止せよと主張しているのではない。そんなことは不可能だ。楽しい仕事がしたいというのでもない。より有用で持続的なコミュニケーションのために優先順位の反転を提案しているのだ。我々は販売のためのギミックやセールスマン,悪辣な隠し広告,そういったものに人々が辟易とし,そして我々の技能が有用な目的のために活用されることを希望する。この考えの下,我々は我々の経験と考えを共有し,関心を持つ仲間や学生等に供することを提案する。
簡単な解説:この宣言はイギリスのグラフィックデザイナ-,ケン・ガーランドによって63年11月29日に起草され,翌年4月,22人の署名とともに発表された。発表後400人以上のグラフィックデザイナーやアーティストが支持を表明し,デザイン雑誌を中心とした多くのメディアに掲載された。また,共感した英国議員トニー・ベンによってThe Guardian紙にも掲載された。当時,グラフィックデザインは経済成長に後押しされた広告産業の拡大によって急速にその主とした職域を広告産業へと移行しており,その形態・質が大きく変化しつつあった。ガーランドを始めとする一部のデザイナーはこの変化に危機感を持っており,ある種のバランスのとれた世界を目指した。この宣言は「グラフィックデザインは伝達されるメッセージに対して常に中立的であるべきなのか。あるいは中立的であることが可能なのか」という今日まで続く議論を引き起こした。後にこの宣言はカナダのAdbusters誌に再度掲載され,2000年に改訂版が各主要デザイン誌上で発表された。
・選手は自己の持てる力を最大限に発揮した試合をしたいと常々願っている。
・観客もそのようなレベルの高い試合を観戦したいと願っている。
・そしてそのようなレベルの高い試合は、選手だけで達成できるものではなく、選手と観客との総合作品である。
こういうことではないのかなと。
特に3番目の、レベルの高い試合は、選手だけで作れるものではなく、観客と選手が一体となって初めて出来るものだ
というところが、テニス観戦の歴史の長い海外ではもしかしたら、観戦マナーとして定着しているのに対して、
もちろん、日本でもまったくなじみがないわけではなく、野球でも、鳴り物自粛だとか、スポーツ以外の分野でも、
観劇のマナーとか、いろいろ定着してはいるけれども、はっきりと言語化した形で、あるいは明確に意識化された形で、
試合中のためいきの是非といったひとつひとつの具体化されたものにまで踏み込んで、意識に根付いているわけではないのだろう。
だから伊達発言に違和感を感じる人は、「プロであるにもかかわらず、自身の不出来を客のせいにするとは」といった反応に
なるのではないだろうか。
だがプロとはいえ、メンタルをもった人間であるから、メンタルに左右されるのは事実として否めない部分はあるのではないだろうか。
たとえば、将棋や囲碁の頭脳ゲームで、周囲で騒音を鳴らしても、ゲームの質は本当に維持されるだろうか。
ゴルフのパターで観客の携帯が鳴ったらプレーヤーの集中力はどうだろうか。
こう考えていくと、「プロといえども…」という部分は、絶対にあるはずで、「いやしくもプロならば…」という気持ちも一方でもちろん
わからなくはないのだが、しかしレベルの高い試合をしたい&見たいという願いは、プレーヤーと客の双方の共通の願いなのであるから
そう考えていくと、観戦の歴史の長い国ではすでに共通認識化されているマナーが、日本ではまだはっきりとそこまでは進んでいなくて、
日付が変わるころ、毎晩のように「眠れねえ」「落ち着かねえ」「どうするんだ俺」と絶叫。床を叩いてるんだか、飛び跳ねてるんだかの音が1時間以上続く。耳栓は用をなさないし、耳栓をつけたまま眠るのは違和感がある。
慣れたおかげで恐怖はないが、最近残業が多いので、眠れねえのはこっちだ!とでも怒鳴り返してやりたくなる。
これがテレビや楽器の音なら大家に相談しているところだが、精神科案件のような気もするので言い出せないでいる。
封筒に3万円でも入れてポストに「これで通院してください」って投函しておこうか。引っ越す手もあるが、この騒音以外は、日当たり良好で駅までも近い物件なんだよなあ。
ここからは海運系船乗りがどんな日常生活を送っているか紹介しよう。
その1はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130925025344
船乗りは当然毎日自宅へ帰れるわけはない。まとめて働いて、まとめて休むという形で生活を送ってる。
その比率は年間の2/3働いて、1/3休むという形になっており、3ヶ月間連続で乗船して1ヶ月間休暇をもらうスパンの会社が多い。
ただここで勘違いしてはならないのは3ヶ月乗船していると言っても絶対に上陸はしないわけではなく、港に入れば地に足を付けることもある。
たいてい1ヶ月に1度くらいは運行予定が無い日があり、そのタイミングで借りバース(岸壁のこと)して交代で上陸し遊びに行くのだ。
まあそれでも例えば北米まで約10日はかかるので、その間はずっと海の上ではある。
乗船中は甲板部へ所属しているか?機関部へ所属しているか?で仕事の内容が当然違う。
甲板部と機関部の双方へ所属したことのある筆者の感覚では、荷役などで極端に忙しい事のある甲板部、いつも同じくらいの忙しさである機関部という違いがある。
当然、不意に予測してない業務が発生することもある(機械故障とか)から何処が一番楽ってことはない。
集中して忙しい方が良いのか、万遍なく忙しい方が良いのかという好みの差だ。
甲板部は航海士系の部署だ。
船乗りとしてイメージされやすいのがこちらで、航海術を駆使し実際に船舶を操縦して目的地まで予定通りに荷物や旅客を運ぶ。
現代の船舶の多くの船体素材は鉄鋼かFRPである。FRPは漁船で採用されることが多い。
海運に使う船舶はたいてい鉄鋼であり、塩水に使っている状態なので錆びにくい対策が取られているとは言え、船体は時間が経つに連れて錆びていく。
そこで甲板部は「錆打ち」という作業を行う。
錆という物は化学変化によって錆びていない部分へ伝播する。
その伝播を抑えるために錆びてしまった部分を機械ヤスリ(ハンドグラインダーなど)を使って削り取るのだ。
削り取った部分は錆止めを塗り、いわゆる「船体色」ペンキを塗って錆が進行しないようにする。
「あんな大きな船の全体をやるの?」という疑問はあるだろうが、その通りである。
正確には海中へ沈んでいる部分(喫水線より下)は物理的に作業ができないので喫水線より上を錆打ちする。
「高いところとか足場がないところはどうするの?」という疑問にも答えよう。
「ジャコブスラダー」という空中ブランコみたいなものを使って作業をする。詳細はググってくれ。
船舶は安全運航するために様々な法定書類や会社が求める書類がある。
甲板部に所属する者の作業スケジュールなども考えたりもするので肉体労働っぽい船乗りにも頭脳労働があるのだ。
と言うよりも現代の船舶は頭脳労働の比率が船舶の高性能化によって増えて行っている。
肉体労働の部分は決して無くならないだろうが比率は減少傾向にある。
現代はだいたい頭脳労働が70%、肉体労働が30%と思えば良い(船の操縦は肉体労働じゃなく頭脳労働である)。
荷物は積めば終わりというわけでもなく、積んでいるものによって航海中も様々な作業が発生する。
例えば普通のコンテナならばしっかり固定されているか?を確認したり、冷凍コンテナなら更に温度管理をしなければならない。
オイルタンカーであれば積む油種の違いによって「タンク洗い」という作業が発生する。
例えばいわゆる「重油」であっても「A重油」「B重油」「C重油」と3種類ある。
重油というカテゴリーではA重油が一番キレイでC重油が一番汚い。
C重油が入っていたタンクへA重油を入れるとA重油が汚れてしまい価値が下がる。
そこでC重油を揚げ荷役した後にタンクを掃除してA重油を積み荷役するのだ。
甲板部の仕事はこれだけでは無いが、最後に階級を記しておこう。
上から並べるとこうだ。
経験量や知識量が豊富なのは当然として人格的にもよく出来た人がかなり多い(人格に問題ある人が居ないわけじゃない)。
船では出世するほど仕事量が減る傾向にあるのだが、出世するほど責任が物凄く重くなる。
どれくらいの責任かと言えば船舶自体が億円単位の物だし、一度に荷物を多く運べるため荷物も億円単位。その責任を持っている。
実は警察権も持っており、合理的な理由があれば乗組員を逮捕拘束監禁しても良い事になってる。
更に船長は裁判権も持っている。船内で起きた揉め事に対して合理的な理由があれば采配を下し強制させることが可能。
もっと言えば立法権もある。合理的な理由があれば必要に応じて(既存の法律の範囲内で)新たなルールを追加できる。
何故こんな船長独裁とも言える制度になっているかといえば船舶は閉鎖的環境だからだ。
最高権力者を2人にすると派閥が出来てしまい争いのもととなる。なので船長の権力は絶大なのだ。
航海士はそれ以下の直属の上司という考えで間違いない。
船舶には「職員」と「部員」という職種に分かれており、部員が普通の社員ならば職員はいわばキャリア社員だ。
当然、会社や船舶の規模によって人員の数が変わるので例えば三等航海士という階級が無い会社もあるので注意が必要だ。
現代の船はオートメーション化も進み、それだけシステムとしては複雑化をしている。
過去の時代のように航海士だけ居れば船舶を運航できるということは現代の船舶ではあり得ない。
そこで活躍するのが船舶の機械を専門に学んだ機関部人員である。
シリンダー経が100cmを超えるものも珍しくなく馬力も数万と一般的な感覚で言うと超大型のものがほとんである。主機だけで2階建てアパートくらいのものも存在。
当然、非常に熱を放出し室温は40℃を超える。騒音も大きいため機関士たちは耳栓などをして整備作業をする。耳栓がないと難聴になってしまう。
燃料は始動時にA重油を使い、安定したらC重油へ切り替えるタイプがほとんど。
始動は自動車で言うセル方式であり、セルモーターではなく圧縮空気を送り込んでピストンを回転させて始動する。
セルというと勘違いされやすいがディーゼルエンジンが大部分を占めていて毎周点火プラグで着火するわけではない(ディーゼルエンジンは圧縮によって発生する熱で燃料へ着火する。詳細はググれ)。
少数ながらタービンエンジンも存在し、こちらはボイラーから発生させた蒸気でタービンを回転させプロペラを連動させるというものだ。
主流のディーゼルエンジンと比べて構造は複雑化するが船舶の速度が出やすいという利点はある。
高速船や軍艦などで採用されている事例が多い。
電力を失った船舶を「デッドシップ」というくらいで電力を失った船舶は死んだ船扱いされる。
各機器は電力によって制御されているので電力消失すると全く動かなくなってしまうのだ。
補機の大きさはこれまた一般的な感覚の「エンジン」と見るとこれまた超大型であり、普通自動車一台分はある。
船舶の規模が大きくなれば発電機も大きくなり、トラックサイズになったり、コンテナサイズにもなったりする。
まだまだこれ以外にもあり機関部はこの全てを運用整備修理する。
機関部もまた事務的業務が結構あり、法定書類や燃料の管理、整備日程、各種データ計測(故障早期発見のため)など多彩だ。
書類作成や各種データ管理にパソコンを使ったりもするため船乗りは以外なほどに事務能力が高かったりする(筆者は就職してからExcelマクロを組めるようになった)。
甲板部であれば変わりゆく天候や他の船舶の位置、揺れる船の中で小難しい運航を考える。
機関部は高温という過酷な環境の中で、科学と経験から故障原因などを探ったりする。
「ガハハハ!」と脳筋的に笑ってるイメージは本当にイメージであり、実際は文武両道なスキルを求められるのが船乗りという職業である。
もちろんトップは機関長であり、職員は機関士、それ以下が部員だ。三等機関士が無い会社もある。
各人員は担当の機器が配分され、何も問題が起きない場合は損担当機器を整備する事が多い(故障などがあれば皆で修理する)。
就職した直ぐの段階ではあまり複雑ではないオイルストレーナー辺りが配分され、徐々に管理が難しい機器を与えられる。
一般人にはわからない感覚だが人員によって機器の好き嫌い、得手不得手があったりもするので機関長はそれに合わせて配分する(プログラマの感覚で言うOSの違い、言語の好き嫌いみたいなものか)。
「原因がわからん。V型の空気圧縮機なら増田が詳しかったな。休暇中で悪いが電話するか」と稀に休暇中の得意な人員へ電話することもある。
最近ではメールで画像が送られてきたりもするのでIT化が何気に進んでる。
機関部の最高権力者は機関長であるが、船舶という閉鎖環境と考えるのならば船長のほうが機関長より法律では上の立場になっている。
ただし現場では殆どの場合、船長と機関長は同位であり、甲板部のことは船長が最終判断し、機関部のことは機関長が最終判断をする。
事実上、同位の二人は方針の違いによって口論することもあるので下の者は気が気でない。
船長としては、運行スケジュールに遅れが発生すると会社の信用に関わるためスピードを上げたい。
機関長としては、機器へ過剰な負担を与えると主機故障などで運航自体が止まってしまうので過剰な負担は避けたい。
双方の意見とも正しいためどっちの味方へ付くこともできず板挟みである。
たいていは機関長のほうが「アンタは最高権力者だから」と折れる場合が多いが、どうしても解決しない場合は会社へ意見を仰ぐ。
「最初から会社に意見を仰げよ」と思うかもしれないが会社はよく無茶ぶりをしてきて船長機関長から怒られることも多く、簡単には会社へ相談しないのだ。
「俺は一回会社に南側の低気圧が不安だって言ったぞ今更突っ込めったって行けるかアホウ」「クソみてえな部品使わせやがってコストダウンって言えば良いと思ってやがる」
こういう愚痴を下の者は酒の席で延々と聞かされるわけである。
消火など緊急想定訓練など法律で定められているやらなければならない訓練がある。
船舶が事故を起こすと人命的にも経済的にも大きな被害が出ることが多い。
そこで国連は加盟国へ緊急時の訓練を定め、日本国法でも国際法に則り定期的な緊急時の訓練が定められている。
現場としても比較的熱心にこういう訓練は行うが、運航スケジュールの兼ね合いで簡易的に行う場合もある(それでも最低限はする死にたくないし)。
むしろ海難を起こす船舶は会社側がこういった法定訓練が出来ないほどの過密スケジュールを組んでる場合が多く、会社の体制に問題があると現場は思う。
昔の船舶はそうじゃなかったが現代の船では乗組員の殆どへ個室があてがわれる。
「ボンク」と呼ばれるベットに、書類作成などで使える簡易的な机が配備されることが多い。
TVもある。当然地デジ視聴は不可能なので衛星放送を楽しむ。番組は周回遅れになるが無いよりマシである。
パラボラアンテナは自動追尾方式であり、船舶がどんな方向を向いてても受信できるが荒天時など揺れが大きいと画面にノイズが走りまともに視聴できなくなる。
太っ腹な会社ではスカパー!の基本パックを契約してくれていて有料チャンネルも観れる。ちなみに何故か筆者の会社はAT-Xも観れる。
3ヶ月間もの間、さすがに風呂へはいらないのは日本人としてキツイ。船舶には風呂もある。
浴室はたいてい大浴場でありぱっと見は銭湯と変わらない。
船舶によって浴槽の水の種類が2種類あり、普通の真水を温めたものと、最近は少なくなったが海水を温めたものである。
船舶では真水が貴重であり、昔の船舶は造水機を持っていなかったり、持っていても造水性能が低かったりして浴槽に使うのは勿体なかったのだ。
浴槽の水が海水でもシャワーの水は真水なので、身体が海水だらけになっても大丈夫である。
船舶によっては船長や機関長の居室に専用の浴室があるものも存在する。羨ましい・・・。
最近では温水便座化してることも珍しくなく快適に「いたす」ことが可能だ。
娯楽室がある船舶も珍しくない。娯楽室が畳である場合も結構ある。
将棋や麻雀、トランプなどのゲーム、大型テレビでの映画鑑賞などを楽しめる。
たいていは上級職員の昼寝の場と化しているので下っ端は将棋や麻雀のカモ、酒の相手とされる時以外は近寄らない(入ったらダメなわけではなく下っ端なので忙しくそんな暇がない)。
ごはんを食べるところ。現代の船舶には司厨人員(調理師)が乗っているのでおいしいごはんが食べられる。
ベテラン司厨になると転びそうになるくらいの荒天時でも何故かスープなど汁物が出てくることがある。どうやって調理しているかは不明。
職人芸は純粋にすごいと思うが、荒天時に汁物を出されると非常に飲みにくいので、出来るのならば控えて欲しいけれども乗組員はそれを口に出してはいけないという暗黙の了解がある。
船内設備では無いが、一般的に知られていない文化として紹介する。
つまり海のコンビニエンスストアであり、食料品からお菓子、新聞雑誌、衣類、事務機器、医療品、オーディオ家電、AVエロ本まで何かと色々揃う船乗りにとって便利な存在。
意外と結構融通が聞く存在であり「次までに○○用意しといて」と伝えておくと用意してくれてたりする。
通話料が非常に高く、過去の船乗りはこの衛星電話で散財していた。
どれくらい高いかといえば時間帯で変動はするが平均約1秒/1円である。テレホンカードの度数が面白いくらいに減っていく様を見ることが出来る。
ただ近年は公衆電話を備えている船舶が激減しているため若い船乗りはこのことを知らない。
まだまだ希少な設備ではあるがインターネット環境を備えている船舶もある。
海洋ブロードバンドという人工衛星を経由したサービスであり、上り64kbps/下り3Mbpsでインターネットが使える。
月額が60,000円(定額)もする上に設備設置費用も高額なので積極的な普及には至っていない。
筆者の会社では船内WLAN化しており船内に居れば何処でもネットが使えるが、これも衛星放送と同様にあまり船が揺れるとネットの接続が切れたりする。
船舶は24時間動いているため交替制である。
「0-4時(ゼロヨンワッチ)」「4-8時(ヨンパーワッチ)」「8-12時(パーゼロワッチ)」と3交替制で一度の労働時間は4時間働き、8時間休憩と繰り返す。
パーゼロワッチは特に人間らしい時間帯で働けるので「殿様ワッチ」とも呼ばれたりする。実際に船長機関長がここへ入ってる場合が多い。
船舶が海難を起こす時間帯は統計として日出日没時が多く、経験を多く積んだ一等職員や部員長がヨンパーワッチへ入る場合が多く、新人も難しい時間帯で経験を積ませるためここが多い。
その間であるゼロヨンワッチは中間管理職が入ることが多く、初めてその時間帯の責任者になることも多いため結構いつもドキドキしている(上司からは気楽にな何かあったら呼べば良いとは言われるけれども)。
先程から出る「ワッチ」という言葉は「Watch」のカタカナ英語だ。つまり見る監視するという意味で見張り番ってことだ。
その3へ続く
あえてタイトルは書かないけど、それなりに有名だと思う。
読んだ結果・・・・・落ち込んだ。
なんの先入観もなく読めればよかった。
相手のパニックだとか困ったことに対してひとつひとつ丁寧に対処していることは本当に上手だなと思う。
そう、本だけ読むとそれなりに幸せに過ごせていて素敵だなと思える内容なのだ。
けれどもtwitterでその人たちのtweet読んでるとそれはあくまで一面であって根っこの問題の大きさをひしひしと感じてしまう。
例えば本の中で彼女が親にカミングアウトするところ、それはとってもほほえましい受け入れ方で終わっているけれど、確かひどいこと言われたかされたかで実家を出たことは触れられていない。
騒音が苦手とか服のかざりとかの意味がわからないと言ってる彼女が田舎が嫌で都会で服を見たいとtweetしている矛盾にも。
これを書いた作者のひとが今鬱で求職中にも触れられていない。
ふたりとも料理が苦手で外食ばかりになることが触れられているだけにこれは厳しい状況だろう。
だからといって作者が嘘をついたわけではなく、出版の時期よりも後から起こった事だから触れられていないだけなのだろうけど。
当たり前だけど人生は長くて、その長さが真綿のようにじわじわと彼らを締め付けて行くように思えてならないのだ。
どうしたらこの状況が打開できるのだろう。
彼らには幸せになってほしいから本を買ったことは後悔しない。ちょっとの手助けにもならない額だろうけど。
けれども読むんじゃなかった。
あ、本のレビューを見るとみんないいことばっかり書いてるので、その本よりも私の文章の方がよっぽど読むに値しないのは間違いない。
猫嫌い的にはエサ食い散らかして家の前ベタベタにされるし糞尿でベタベタにされるし猫ノミで足刺されまくって半年はかゆい。発情期には騒音もある。
それでも「可愛い~」って無責任にエサやってる奴らが正義の味方で、
淘汰されずにバカスカ増えまくった挙げ句仕方ないから仕事してる保健所が悪者にされるとかほんと納得いかない。
可愛がりたいなら家に引き取って、ちゃんと責任持って飼って欲しい。
エサやって自分の好きな時だけ可愛がって、猫が死んだり保健所がつれていったりしたら悲しむとかほんっとに意味わからなすぎる。
この辺は住宅密集地でアパートやマンションも連なってる。きっとペットも禁止されてるだろう。
まぁうるさくもなく、臭くもなく、なら別に文句も言わないよ。
しかしその家の犬がアホかっていうくらい吠える。吠えるというか最早悲鳴。虐待を疑うレベル。
時折飼い主の怒声も聞こえる。そのあとにわんこの悲鳴とか虐待してるでしょ…って思わざるを得ない。
でも「虐待してるかも」というだけでなんの確証もなく1年ほど経った。
相変わらず毎日わんこの助けてと言わんばかりの悲鳴が聞こえる。
一回、ベランダで狂わんばかりに鳴いているわんこの首根っこ掴んで無理矢理部屋に戻した飼い主の姿も見たけれど、それを写真に収めたわけでもなく虐待しているという証拠にもならない…。
某質問サイトでの回答は「騒音として届け出るしかない」と言われたんだけど、これ飼い主が「躾です」って言ったら終わりじゃね?っていう。
さてはてどうしたものか。
取り敢えず…その飼い主は犬を飼う資格はないだろうな、と思う。
(この日記は、この増田さん http://anond.hatelabo.jp/20130612102930 にインスパイアされ、1年ほど前の事故をつづったものです)
(露骨な表現を含んでおりますので、お食事中の方や下品な表現が苦手な方はお避けくださいませ。)
僕はちゃんと朝家でトイレに行っても、通勤中にもよおすクセがついてしまっていました。
しかもここ数年、硬いのが出たことはなく、毎回ゲリ便なのです。
なので、少し早めに家を出て、駅で用をたすようにしていました。
ある朝、家を出るのが遅くなってギリギリの電車に飛び乗った時のことです。
いつも特急に乗っているので一度乗ってしまうと10分程度は降りられません。
電車に乗る直前、腹部に違和感を感じたのですがタイミングよく電車が来たのとかわいい子がゲフンゲフン電車に飛び乗りました。
いつもならあのタイミングのあの程度の感触なら10分は我慢出来るのですが、あれよあれよという間に我慢の限界がきてしまいました。
両手でつり革を持ってうつむいたまま足腰をくねらせ汗をかき、周りから見ると相当キモかったと思います。
なんとか次の駅で降りてトイレに向かうものの、既に肛門は汗だくでプルプルけいれんすらしており、まともに歩くこともできません。
太ももの間に物をはさんで歩くような歩き方で、汗だくのおっさんがノソノソと歩いていたわけで、これまた周りから見ると相当キモかったと思います。
正直いって記憶が余りありません。
決壊したのです。
「ゲリ便がドシャー」っと出たのです。
それでもまだ50%程度大腸に残っていたため、疲労しきったかつやく筋にムチを打ちながらトイレへ突き進みました。
苦しいやら恥ずかしいやらで下を向いたままだったのでどれほど注目されていたのかはわかりませんが想像すらしたくありません。
既に残りの50%をこらえる意味すらあるのか状態でしたが、ここで立ったままさらにドシャるわけにもいかず、アスリートばりに苦痛を耐え抜きながら並んでいました。
うんこが垂れてる先をたどっていくとこぶしを強く握り、汗だくでうつむいたまま震えている僕。
壮絶な光景だったことでしょう。
大便がガチャッと開いた時、前に数名並んでいる人はいたのですが、僕は何も言わずうつむいたまま入って行きました。
その人達が、どん引きしながら譲ってくれていたのか、順番を抜かされて怒っていたのか、わかりません。
中に入るとやっとの思いで残りの50%を放射し、賢者モードが訪れました。
あんなところ靴以外でなにも触れたくないですよね?普通
僕はヘナヘナとそこに座り込みました。
完全放心状態で通勤ラッシュの駅の騒音だけが耳を通るだけのしかばねと化しておりました。
大きくため息をついたあとで、会社に連絡し、家に連絡し、母に着替えを持って来てもらうことにしました。
着替えは持ってきてもらうにしても、足や靴がうんこまみれになっておるわけです。
やっと気力も体力も回復してきた頃、着替えを持ってきてもらうに1時間ほどかかるので、それらを洗うことにしました。
まずは手で便器を洗います。
そして和式便器の中に足を入れて、片足ずつ便器の水をすくいながら洗いました。
一通り片付いた所で、30分ほど、下半身マッパのまま、トイレから出ることもできず、することもなく、ただただ、絶望のうちに、たたずんでおりました。
いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡りました。
やっと母が着替えを持ってきてくれて、男子トイレの中に入り、大声で僕の名前を呼びました。
もう怖いものはありません。
キミが腹を立てている相手、「そいつが酷い目に遭うと非常にスカッとする」相手というのは読んでる限りちっとも具体的ではない。
キミんちの向こう三軒両隣に韓国人が住んでて騒音その他でトラブってるとか大学に韓国からの留学生が来ていて天皇は韓国系とか自動車の起源は韓国とか言って威張っているとか道端を歩いていたら突然見知らぬ韓国人に「日本人か?」とインネンつけられて土下座を要求されたとかそういう接触は一切ない。
想像するにキミは韓国人なるものがどういう人種で文化か自分で経験し理解したことは一度もない。全部伝聞だ。
つまりキミの頭の中でキミの憎しみを一心に受けている「韓国人」は存在しない。キミの妄想の産物だ。
同時に「俺たちの国をさんざんいじめてきた」とキミが言うその「俺たちの国」とやらも存在しない。
いじめられてるのはキミだ。
キミは被害妄想に苦しんでいて(感受性が強すぎてレイプ事件とか見ると頭に血が上っちゃったりするんじゃないかな?)、勝手に加害国像を練り上げて、しかもその加害国や関係者を自分で罰するでもなく、ただ経済悪化で「天罰」食らったって喜んでるだけだ。
逆に向こうが好転したら(そういやアップルがサムソンに押されてるっぽくね?w)、「俺たちの国」でより良いものを作って更に上回ろうとも思わずただ臍を噛んで地団駄踏むだけなんだろう。
はっきり言ってキミはキミ自身が非常な憎しみを抱いている「韓国人」と全く変わりない。そうだろ?
あの地震や津波を天罰とほざいたクズどもと何がどう違うっての?
ってな具合にある程度理詰めにされると「わかってるんだよ言葉では。でも問題は感情で本能なの」「そもそも向こうが反日で高圧的な態度で腹立たしいのがいけないんだよ」とか言い訳始めるんだろ?
それはつまりアレだ、「人間は自分の見たいものを見る」の原則に従って、脳内麻薬がドッバドバのレイシストごっこが絶頂すぎて中毒してますやめられませんってことだろ。
中毒の治療は古今東西元を断つこと以外にないので、まあテレビにハンマーぶっこんでネットは「韓国」で閲覧フィルタかけるとかしかないかな。
でも賭けてもいいけどキミはそこまでしないよね。【急募】とか書いてるけど別に今すぐ治したいわけじゃないでしょ?
こういうの本当に本気で治すなら本人がマジにならなきゃいけないし、そのためには危機感とかないと厳しいんだけどそういう必要性を感じてるわけじゃないんでしょ?「他人のやり方でパクれそうなのがあったらいつでも自己洗脳し直してレイシズムから足洗えそうだし、後ろめたさもなく存分に韓国ネタで楽しめるから儲けもの」くらいにしか思ってないよね?
今の勢いだと例えば性格やスキルが申し分なく完全無欠な婚約者ができて後から在日ってバレたりみたいなことになったらキミはただ一瞬で冷めるだけでレイシストの自分を恥じたりとかしないっしょ?
いいんじゃないの治さなくて。類友が集まってきてきっと楽しいよ。
蛇足だけど、これだけ長文連ねてる俺は韓国嫌いだしキムチは食わないしギャラクシーよりiPhone使いたいガラケーユーザーだけど「経済打撃でざまあw」とまでは思わないっす。まとめサイトとかで面白おかしく編集されてるの見て笑ってたことはあったけど自分が就活で地獄見てからは足洗った。
新政権が中韓に厳しく行ってる(らしいの?よくシラネ)のも別に爽快とまでは感じない。国家として筋通るようにやってよねって程度。某ツイートの「日本人化」とかには脱力して「脳みそ煮えてんじゃねーの」と思ったりはする。不用意にも程があるっしょ…。
あと朝鮮学校にはマジで補助金出さないとヤバイんじゃないかとは思う。
かわいそうとかいう感情的な話じゃなく、単純にダブスタすぎて日本側の神経疑われるレベル。
「国の基準満たした教育やってないからカネが出ねーんだよ」って言ってる奴いるけど、なんか他の国のインターナショナルスクールとかは国の基準満たした教育やってなくてもカネ出すことにしてんだっていうじゃん。
もしそれがホントなら「法治国家の取る態度ですかそれが?」って詰められたらぐうの音も出ないし正直ニッポン人であることが恥ずかしい。とても誇れない。
今夜は父に連れられjazz喫茶へ。その帰り道、近所にある(父の)知人のbarへ寄るはずが貸切のため延期となった。
でもね、そこのお店、以前私がクレームつけた店でした。。毎晩毎晩夜中に楽器の音が聞こえてたから。。そのことを父に伝えたら小言を言われちゃいました。大目に見なさいって。
繁華街の騒音問題って難しいよね。お店の人も客寄せ(サービス)のために演奏してるだろうから。月2〜3日のイベントならしゃーないとは思うよ。でも、毎晩23時だったり26時だったり28時に演奏されちゃあたまんないです。。
今回は店には入りませんでしたが、たぶん、今後のスマートな対応としては父にはクレームのことは何も言わず、お店に入ってもそ知らぬ顔してお酒を楽しむというのが良いんだろう(かな?)。今からよく分からない騒音に備えてに耳栓で寝ることに慣れるべきなのかな。