外食するとき僕が最も恐れている事、それはそのお店が混んでて入れないとか初めて行ったお店が残飯レベルに不味いものを出してきてしまったとかではなく、自分の真横にクチャラーが座らないかどうかだ。
店の味なら食べログでも見ればいい。混み具合も食べログなり口コミなどで知れるだろう。ただ、自分の行ったタイミングで隣にどんな奴が座るかどうかは天下の食べログだろうとさすがに分かり得ない。
完全に運まかせだ。
食べる事が嫌いというやつはそう多くないだろう。僕だってそうだ。食べることは好きだ。その至福の時間をどこの馬の骨かも分からないようなマナーのなってない輩に台無しにされるわけである。本当に最悪だ。ぜひともノーベルぶっ殺したいで賞を授与してやりたい。
今日も新宿ナンバーワン人気のラーメン屋に数十分並んでやっとの事で美味そうなつけ麺とご対面したところで、隣のハゲ散らかした中年のおっさんにその至福の時間を邪魔された。なんで金払ってこんだけ長い時間待ったのに、一刻も早く店を出たいなんて気分になってしまうんだろうか。意味がわからない。これだからハゲはダメなんだ。クソが。何でそんなに咀嚼の回数多いんだよ。そんで何でそんなに食うの遅いんだよ。なんで一噛み一噛み几帳面に音を立てるんだ。死ね。ハゲ。
イライラしながら脅威のスピードで麺をかっこみ、味の評価もままならぬまま足早に店を出る。さあ、今日のノーベルぶっ殺したいで賞授与式会場は将門の首塚あたりにしようかしら?と思いながらターゲットのハゲの顔を思い出す。うーん、殺してくださいとでも言わんばかりの憎たらしいあの顔立ち。というかなんでクチャラーってハゲ率というか中年のおっさん率があんなに高いんだろう。これまでに出会ったクチャラーどもの顔を思い出す。どいつもこいつも中年ハゲばかりだ。死ね。ハゲ。
ハゲ共の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、さっき勢い良くかっこんだつけ麺を戻しそうになりながらも、その走馬灯の中にいつも見ている顔があるのにふと気づく。そうだ、そういえばこないだの会社の飲み会の時、先輩もクチャラーだったことが判明したんだった。
先輩はいつも厳しいことを言いながらも僕のことを助けてくれる。会社の中で一番たよりにしている人。ハゲてもいない。
今日の僕なら、人がくちゃくちゃ音を立て始めるのを聞いた途端に眉間にしわを寄せ相手を睨みながら小野田坂道顔負けのハイケイデンス貧乏揺すりをし始めるのに、その時はそんなことは一切なかった。あ、先輩クチャラーなんすね、と、それだけで終わっていたのを思い出した。
何故だろう?咄嗟に拒否反応を示すべきクチャラーが目の前にいたのにかかわらず、僕はいつもの反応を示さなかったのは。
考えてみたけど、僕が先輩に心を開いている。その1点しか理由が見つからなかった。
初対面のやつに馴れ馴れしく肩組まれて話しかけられたりしたら、誰だってムッとしたり物理的に距離をおくなどのそれなりの警戒反応をするだろう。
それと同じで見知らぬハゲが隣で不快な音を出しはじめたら僕は不快感を表す。けど、それが見知らぬハゲでなく見知った頼れる人間であれば許容が出来る。
親しき中にも礼儀あり、確かにどれだけ僕が彼に心を開いていて、また彼も僕に対してプラスの感情を持っていたとしても超えてはいけない一線だってある。
しかし、僕の中で「咀嚼時に音を立てる」行為はその一線を超えていなかったようだ。
僕の中ではどうやら音を立てるというのは僕自身の精神的なテリトリーに踏み込むという行為に等しいらしいということが色々考えているうちに分かった。
満員電車の中で隣にいる奴がイヤホンから音漏れしてるとイヤホンをぶっこぬいて耳を引きちぎってやりたくなる衝動に駆られるが、会社で隣の席に座ってる同僚がイヤホンから音を漏らしていても特に気に留めない。
昔住んでいたアパートは壁が薄く、日中に隣からぼそぼそと声にならない声が聞こえてくると、無性に腹が立ってAVやお経を大音量でかけて謎の仕返しをしたりなんかしていたが、今思い出せば実家もそんな感じで声にならない声は聞こえていたはずなのに、気にならなかった。
自分と相手との精神的な距離感によって、僕の騒音許容量は増減する。音の大小だけでなくその性質も加味されるのであろう。