はてなキーワード: イボコロリとは
イボがふくらはぎにできたんだよね。ウィルス性?とかいうやつ。
そんでイボコロリとか使ったんだけどどうしても治らない。
いい加減、どうにかしたかったんだけど、カサブタみたいな手触りは、それはそれで好きで、何となくヒマなときとか爪でカリカリやってたんだ。たまに引っぺがしてみたりして。けっこう血が出るんだけど。
そしたらさ、だんだん大きくなって、ある日、根本からからつまめちゃった。
おお、こりゃ取れるんじゃね、とか思って思い切って引きちぎったんだよ。
そしたらさ、もうすごい。
僕さ、実は蓮コラとかニュル動画が大好きなんだけど、マジで、イボはすごい。
白い、虫の卵みたいなつぶつぶがいっぱいくっついてんの。しかもそれが自分の体の一部。
引きちぎったのは半分くらいだったんだけど、すぐに全部引きちぎったよ。
そんで全部眺めてすごくぞくぞくして。
今思えば恍惚に浸ってたんだね。
書きながら思い出してまたぞわぞわしてる。
まあ、その後、二時間くらい血が止まらなくて大変だったんだけど。
今、引きちぎったイボの穴はカサブタになっているんだけど、またイボに復活して欲しい。
欲求に負けて全部引きちぎった僕が悪いのか。
少し残しておけばよかった。
恋人氏が、折に触れて話していた話題として、こういうものがあった。
「その子、『乳首が取れたことがある』って言うんだよ」
「どゆこと??? 冗談じゃなくて?」
「そう思うだろ?」
「でも信じたの?」
「本当なのかと思って彼女の母君に聞いたら、本当だ、あの子は弄りすぎて乳首が取れたことがあるって言うんだよ」
「うーん??」
お母様と口裏を合わせてまで与太話をする意図がわからないので、ずっと首を捻っていた。
だってどう考えても嘘じゃん。嘘ってわかるじゃん。イボコロリを塗ったら取れた、とは訳が違う。
……。あとあまりに相手が下手すぎたらちょっと大げさに自分がセックスで傷つけられた体験を話す。「私乳首責められすぎて取れちゃったことあるんです〜」とか「おまんこの中ガシガシされすぎて傷ついちゃって昔一度手術したんですよ〜」とか。セックス下手な奴は基本バカだからだいたい信じてもらえます。— 未果子ちゃん (@uetora_wav) 2016年7月15日
(この日記は、この増田さん http://anond.hatelabo.jp/20130612102930 にインスパイアされ、1年ほど前の事故をつづったものです)
(露骨な表現を含んでおりますので、お食事中の方や下品な表現が苦手な方はお避けくださいませ。)
僕はちゃんと朝家でトイレに行っても、通勤中にもよおすクセがついてしまっていました。
しかもここ数年、硬いのが出たことはなく、毎回ゲリ便なのです。
なので、少し早めに家を出て、駅で用をたすようにしていました。
ある朝、家を出るのが遅くなってギリギリの電車に飛び乗った時のことです。
いつも特急に乗っているので一度乗ってしまうと10分程度は降りられません。
電車に乗る直前、腹部に違和感を感じたのですがタイミングよく電車が来たのとかわいい子がゲフンゲフン電車に飛び乗りました。
いつもならあのタイミングのあの程度の感触なら10分は我慢出来るのですが、あれよあれよという間に我慢の限界がきてしまいました。
両手でつり革を持ってうつむいたまま足腰をくねらせ汗をかき、周りから見ると相当キモかったと思います。
なんとか次の駅で降りてトイレに向かうものの、既に肛門は汗だくでプルプルけいれんすらしており、まともに歩くこともできません。
太ももの間に物をはさんで歩くような歩き方で、汗だくのおっさんがノソノソと歩いていたわけで、これまた周りから見ると相当キモかったと思います。
正直いって記憶が余りありません。
決壊したのです。
「ゲリ便がドシャー」っと出たのです。
それでもまだ50%程度大腸に残っていたため、疲労しきったかつやく筋にムチを打ちながらトイレへ突き進みました。
苦しいやら恥ずかしいやらで下を向いたままだったのでどれほど注目されていたのかはわかりませんが想像すらしたくありません。
既に残りの50%をこらえる意味すらあるのか状態でしたが、ここで立ったままさらにドシャるわけにもいかず、アスリートばりに苦痛を耐え抜きながら並んでいました。
うんこが垂れてる先をたどっていくとこぶしを強く握り、汗だくでうつむいたまま震えている僕。
壮絶な光景だったことでしょう。
大便がガチャッと開いた時、前に数名並んでいる人はいたのですが、僕は何も言わずうつむいたまま入って行きました。
その人達が、どん引きしながら譲ってくれていたのか、順番を抜かされて怒っていたのか、わかりません。
中に入るとやっとの思いで残りの50%を放射し、賢者モードが訪れました。
あんなところ靴以外でなにも触れたくないですよね?普通
僕はヘナヘナとそこに座り込みました。
完全放心状態で通勤ラッシュの駅の騒音だけが耳を通るだけのしかばねと化しておりました。
大きくため息をついたあとで、会社に連絡し、家に連絡し、母に着替えを持って来てもらうことにしました。
着替えは持ってきてもらうにしても、足や靴がうんこまみれになっておるわけです。
やっと気力も体力も回復してきた頃、着替えを持ってきてもらうに1時間ほどかかるので、それらを洗うことにしました。
まずは手で便器を洗います。
そして和式便器の中に足を入れて、片足ずつ便器の水をすくいながら洗いました。
一通り片付いた所で、30分ほど、下半身マッパのまま、トイレから出ることもできず、することもなく、ただただ、絶望のうちに、たたずんでおりました。
いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡りました。
やっと母が着替えを持ってきてくれて、男子トイレの中に入り、大声で僕の名前を呼びました。
もう怖いものはありません。